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「ううっ!寒い!」あまりもの寒さに夜中に飛び起きた。久万公園は、さすが標高が高い山中にあるだけあってかなり冷えた。寝袋は、−10℃まで対応できる結構いいやつを使っていたし、こうなることを見据えて、ジャージの上着も着込んで寝ていたのに、それでも寒いとは驚きだった。隣に寝ていたアホの末も、いなくなったと思いきや、休憩所のベンチの上で寝ていた。おそらく、私より早く起きたのだろう。地面のコンクリートの冷たさから逃れるために、ベンチの上に上がったものと思われた。 さて、私も寒さ対策として何をしようか考えた。上に着るものはないので、このまま寝るしかない。だが、それでは、眠ることができないので、横になって海老のように丸まって寝ることを考えた。こうすれば、体温が寝袋の中に保たれて、寝やすくなるに違いない。そう思い、再び寝袋に入って丸くなった。なるほど、横になって丸くなれば、だいぶ違う。それでも、寒いことにかわりはなかったが、どうにか再び眠りに就くことができた。 そして、頭が冴えたところで、毎日の恒例の前日の記録にとりかかった。前日は、記録する内容が盛りだくさんで、時間がかかるかと思われたが、頭が冴えていたためか、それで集中力があったからか、思ったよりも早く仕上げることができ、アホの末が起きるまでの時間を朝飯をゆっくり食うなり、公園の周りを散策するなりして有意義に使うことができた。アホの末は、私が公園の散策から帰ってきた頃にようやく起きた。
こういうマナーのない奴には心底ムカついてしまう。 目の前に散乱したゴミをそのままにして出発するわけにはかないということで、燃えるものと、燃えないものに分別し、コンビニのビニール袋に入れて休憩所の隅の方に置いておいた。たつ鳥後を濁さずである。 大宝寺までは、久万公園からわずか1qたらずの距離。いくら、起きて間もないとはいえ、体を温める間もない距離であった。久万公園を出発して10分ほどで到着したのだが、こんなに大宝寺まで早くたどりつけたのも前日に頑張ったおかげであった。
この大木達は、いったい何万、何十万というお遍路さんを見守り続けてきたのだろうか?もしかすると私の先祖達にも会ったことがあるのだろうか?千年あれば、自分のやりたいと思うことは殆ど出来るだろうか?などと、つい、思いを巡らせる。人間である私の人生なんて、よく生きてもたかだか80年。この木のように千年も生きられない。これでは、やれることも限られている。だから、今やりたいと思うことを確実にやるしかない!ここの大木を見ていると、改めてそう感じてしまう。 どちらかというと、本堂よりは大木の方が印象に残った大宝寺であったが、また来たいと思った。緑の多い、大木の多い大宝寺。紅葉の時期はさぞかし綺麗なことだろう。
「この辺の寺はキツいのばっかりやなぁ!」と愚痴をこぼしながらも、進むしかないので、気合いを入れてペダルを踏んだ。とりあえず、久万公園前の県道12号線まで戻り、岩屋寺に向けて、県道12号線をひたすら上ることとなった。 この12号線もかなりの傾斜のある上りである。全力でペダルを踏むので、心拍数は上がるわ、汗が滝のように吹き出るわ、鼻水は出るわで、綺麗な服とも爽やかな自分ともおさらばしなければならなくなった。爽やかな自分のままで、この日を終えたかったのだが、やはりそのようにはいかず、すぐに爽やかな自分でいたいという執着を捨て去ったのだった。 私には、やはり汗臭いのがお似合いなのか、執着を捨て去ってからは、実にのびのびとペダルを踏んでいた。そして、3〜4qほど上り続けると、右手に遍路道の看板が現れたというか、不幸にも見つけてしまったので、やむをえず遍路道に入ることにした。
この遍路道は、とりあえず下って小川のすぐ側を通って行くようになる。杉などの針葉樹が密集して昼なお暗い遍路道とは違い、広葉樹がまばらに生えて、その隙間から太陽の光が燦燦と差しこむので、明るく開放的な雰囲気のある遍路道であった。 その雰囲気につられて、最初は余裕こいていたのだが、その気持ちもすぐに打ち砕かれることとなった。上り下りを繰り返しながらもどんどん上っていくのである。岩屋寺は大宝寺よりも標高が高いところにあるため、上らなければならないことは分かっていたので、心の準備はできていた。しかし、遍路道での上りは、舗装での上りよりも遥かにきつい。マウンテンバイクを押したり抱えたりして歩いて上らなければならないという体力的なことが、その一番の要因なのだが、舗装されてない歩きにくい道を歩くという精神的なものも要因としてあるのだ。それでも、とにかく黙々と上り続けた。
やはりなかなか簡単には行かせてくれないかと思ったが、進むしかなかった。いかなる障害があろうとも、それを乗り越えて進まない限りは、目的地に辿り着けないのだから。
岩屋寺まで4qと書かれているので、4qも坂を上り続けなければならないのかと、この時はガックリしたのだが、上ってみると想像と違った。確かに上るには、とてもきつい坂ではあったが、20分も上ると、あっけなく山の頂上に辿り着くことができたのである。距離にして1q弱ぐらいであろうか、思ったよりも距離が短かったので、拍子抜けした感もあったが、嬉しい誤算であった。
それにしても高い場所から見渡す景色は素晴らしい。遥か彼方まで見渡せるので、まるで自分が神にでもなったかのような錯覚をおこす。この山は、たかだか700〜800mぐらいの山だが、何千mという高い山に登りたがる人の気持ちも分からないではない気もした。 いつまで眺めていても飽きがきそうにないのだが、ブトに咬まれて痒いのと、時間に余裕がないので、10分ぐらいで、休憩を終え、出発した。
尾根を進むことなんて滅多にないことだから、心も弾んだ。尾根は、ほぼ真っ直ぐの緩やかな傾斜で、マウンテンバイクで走ることも十分可能だったのだが、両横の急斜面のことを考えると、バランスを崩して谷に落ちるのが怖くてとてもそんな気にはならない。それでも、スピードアップのため危ない箇所以外は、極力、マウンテンバイクに乗ることにした。 最初は、恐怖感はあったものの、普段はないシチュエーションでの走りに没頭すると、それが爽快感というものものに変わるから不思議だ。特に前を走る、アホの末は水を得た魚のように楽しそうにはしゃぎながら走っていた。これぐらいのことで、嬉しそうにはしゃいで走るなんて、実に幸せな男である。しかし、後ろから冷静にアホの末のことを観察していた私も、この初めてのシチュエーションが楽しくて楽しくて仕方がなかった。 我にかえったら、また恐怖を感じるかもしれないし、結構キツい道なのだが、楽しいので、しばらくは続いて欲しいと願った。
入口は、2つの巨岩に挟まれており、巨岩に挟まれた道をとりあえずは20mほど進む。その道の突き当たりに上に登るロープと鎖が垂れていた。私達の前に先客の人が4〜5人ほどおり、その人達がとりあえず、巨岩の中腹に登るのを見届けてから、私達も登りだした。
階段は、垂直に頂上まで伸びているので、中腹まで岩を登ってきたのとは恐怖の度合が違う。後ろを振り向こうものなら、足がすくんで踏み外しそうになってしまう。後ろを振り向かないよう振り向かないよう心がけて登ったのだが、あと3段ぐらいで頂上という時に、恐怖心より好奇心が勝り、思わず後ろを振り返ってしまった。巨岩の中腹でも足がすくんだのに、そこから更に20m近く登ってきているところだから、その恐怖の度合は、先ほどの比ではなかった。足がすくむどころか、体がガチガチに硬直して、階段にしがみついたまま、何秒か動けなかった。 しばらくすると、硬直から解放されたので、どうにか残り3段を登りきることができたが、好奇心とはいえ、後ろを振り返ったことを強く後悔した。あの時、硬直が解けなかったら、一体どうなっていたのだろうか?
しばらくは、高所ゆえの眺めの良さを楽しんでいたが、そろそろ戻ろうかという頃になると、現実に引き戻されてしまう。登るのも恐いが、降りるのも恐い。眺めを楽しんだ代償として、最初の上り口に戻るまでは、またしばらく恐怖を味あわなければならなかった。
そして、あと100mも下れば、岩屋寺というところに瞑想や坐禅をするのにうってつけの苔の絨毯が敷き詰められたナイスな場所を見つけたので、覚えたばかりの坐禅をしてみようと、苔の絨毯の上に坐って静かに目を閉じた。大きく深呼吸をして、心を解放し、ただ静かに耳をすます。森に住まう動植物の息吹が聞こえてくるような、何か大きいものに包まれているような気がした。わずか1〜2分のことであったが、坐禅をしたおかげで気分はすごく良かった。 私達の旅は、サラリーマンであるが故の、急ぐ旅である。おかげで、いろいろなことを見落としがちになる。だから、たまには、このように道草をくって、景色やその場所の雰囲気を楽しむことも大切なのだ。
それにしても、ここの自然が原始の姿を留めているのも素晴らしいと思ったが、この殆ど自然に手をかけず、自然の中に溶け込むように作られた岩屋寺の本殿及び境内も素晴らしいと思った。よく寺や神社などが観光地化すると、必要以上に周りの自然に手をかけ過ぎて、自然本来の趣きを損なってしまう例がよく見かけられるが、ここは違った。自然の趣きを損なうことなく、人間が作った建物などの人工物と自然をマッチさせているのである。見事だと思った。
本堂、大師堂でいつもの心のこもってない高速般若心経及び、各種お経を唱えて納経を終え、納経所へ行く途中で、一人の坊さんと会った。新潟県から来た普段は会社員をしているらしいこの坊さんとは、実は先ほどのせり割り禅定からここへ下る途中にも会っていた。会社員をしているのに坊さんとは、実家が寺なのかなとも思ったが、詳しいことは聞かなかった。大変礼儀正しく、人間も良く出来た人のように思えたが、坊さんに似つかわしくない眼光の鋭さと、物事に動じないやけに落ち着きのある態度が気になってならなかった。「本当にこいつ坊主か?本当は何やっている人なんだろうか?」と思ったが、そんなことは聞けるわけもなかった。まあ、この人が本当はどんな人であろうと私には関係のないこと、世の中にはいろいろな人がいるものだと思うだけだった。
肉体的にも精神的にもキツい思いをしながらも、私達は何かを得ている。何か素晴らしいものを見ている。そう思うと、階段の降り過ぎで、ガクガクになっていた膝にも力が入った。結局、表口まで降りるのは15分ほどかかったが、心が満たされていたので、疲労はありながらも、それを感じることはなかった。5月という今の時期も良いが、紅葉の季節である晩秋にもこの寺を訪れてみたいと思うだけの大変魅力のある寺だった。
暗い山中の遍路道と違い、明るく開けた道を走るのは気持ちの良いものだ。道路下に流れる渓流や紫色に咲き乱れる藤の花の美しさに、時おり心を奪われながらも走ることに集中する。しかし、その集中も途切れる時がきた。腹の虫が鳴ったのだ。 朝飯を早くに食ってから、ここまで6時間以上も何も食わないで、過酷な運動を続けていたのだから、それも無理はない。どこか飯を食うところはないかと探したのだが、ここは山奥深いところであるため、すぐに飯を食える店が見つかる可能性は低い。「これは、国道33号線に合流するまでは無理かな。」と思ったが、そこは持ち前の根拠のないプラス思考で、「どこか適当なところに飯屋があるさ。」と、考えをすぐに切り替えた。
肉食妻帯が禁じられていたのは、明治以前のこと。今では坊さんだろうが、一般の人と同じように普通に生活しているとはいえ、私の中に坊さんに対する先入観があったのだろう、坊さんが肉を食うことに違和感を感じてしまった。まあ、それもどうでもいいこととして、坊さんとまた会ったものだから、「本当にこいつは坊さんか?」という疑念が復活してしまった。悪い意味じゃない。あの凛とした佇まいは、只者じゃないぞと思ったからだ。ただ、幾ら疑わしく思ったところで、真偽のほどを確かめようはなく、疑うだけ時間の無駄なので、この坊さんのことを考えるのはやめにすることにした。 その代わりに、食堂の窓から見える山の断崖絶壁になった部分を見て、アホの末に「あの断崖絶壁を素手で命綱もなしに登ったら1億円やると言ったら登るか?」とか、「幾ら払ったら、あの断崖絶壁の頂上から飛び降りるか?」などと、とうてい30過ぎた、ものの分別のつく大人が口に出すようでないことを話して楽しんでいた。周りの人がこの話を聞いたら、眉をひそめることだろう。そうやって待つこと20分。ようやくオーダーしたものが目の前に並んだ。味は良くなかったが、腹はどうにか満たされた。
しかし、こういう時こそ、考え方を切り替える。「美しい自然の中、思いっきり体を動かせることができて有難い。」そのように考えると、今この瞬間の一秒一秒がとても貴重な時間に感じることができた。遍路も今回で3回目、私は幾多の困難を克服して、考えや気持ちの切り替えが容易にできるようになっていた。 この遍路道は約40分ほどで抜けることができた。距離にすれば2qほどしかなかったが、山道で自転車を抱えての移動は毎度ながら辛いものだった。 遍路道を抜けて少し走ると、この日のスタート地点である久万公園に到着した。この時、時刻は午後15時。午前8時に久万公園を出発しているから、ここに戻ってくるまでに7時間を要したことになる。長い道程であったと、しみじみ感慨に耽ったが、ここが本日のゴールではない、まだ次があるのだ。46番浄瑠璃寺をこの日の最終目的地としていたため、ここで腰を落ち着けるわけにもいかなかった。 とりあえず、県道12号線が国道33号線と合流するところまで下り、合流したところの角にあるコンビニで作戦会議を兼ねて休憩をすることにした。県道と国道の合流地点であるコンビニから46番浄瑠璃寺までは、約19qの距離。まだ2時間近く時間があるから、途中で山道の遍路道さえなければ、十分に到着できる距離であった。 が、へんろ地図を見ると、浄瑠璃寺までの途中には、しっかりと遍路道が書き込まれていた。しかも、かなりの長さで。これがどんな遍路道かは、へんろ地図からは分からないし、山中の遍路道であった場合、時間内に到着できない可能性もあるが、行くと決めた以上は、時間内に到着できるつもりで行かなければならない。「大丈夫!絶対に納経所が閉まる時間までに到着できる。」そう自分に言い聞かせて、休憩もそこそこに浄瑠璃寺に向けて出発した。
2qを超え、3qを超え、4qを超えた地点で、マウンテンバイクから降りた。さすがに上り続けるのがしんどかったからだ。久万町の街中からは、岩屋寺へ行くのも上り、方向の違う浄瑠璃寺へ行くのも上り。この時、久万町の街は、山々に囲まれた盆地の中にあるのだということを悟った。ならば、盆地を囲む山々の一番高いところまで上りきってしまえば、あとは下るだけというように前向きに考えるようにしたので、少しは気が楽になった。
アホの末のマウンテンバイクの距離メーターを見ると、何と!先ほど休憩したコンビニから8q近くも上ってきていた。こんなに連続して長く続く上りは、37番岩本寺へ行く途中で心をへし折られた七子峠以来である。七子峠は、殆ど歩いて上ったが、この盆地からの上りは、途中少し歩いたぐらいで殆どマウンテンバイクに乗って上りきることができた。体力的にはあの頃と殆ど変わってないのに、この違いは何故か?要するに、考え方の違いである。あの時は、夜で周りが暗かったというのも影響しているかもしれないが、「何時になったら、終わるんだ?」というように絶望的な考え方をしていた。だが、今回は、「上りきれば、あとは下り。」というように前向きな考え方に途中から切り替えることができたことが、各々の結果に影響しているのである。 やはり、体を動かすのは心や精神である。その心や精神が良い働きができるように考え方にも気をつかうべきだと、この結果を見て改めて感じたのだった。
せっかくここまで辛いのを我慢して上ってきたのに、下りでも辛い思いをしなければならないのは面白くなかったが、この時は目的地である浄瑠璃寺へどうにか時間内に辿り着くことに必死だったため、そんなに気にしている暇はなかった。いつまでも続く苦しみはない。苦しみのトンネルもいつかは抜けることができるの言葉どおり、この苦しみも終わる時がきた。時間にして30分ばかり、ようやく山中の悪路の遍路道を抜け、お日様の射す明るい場所に出ることができた。
「そんなに精巧な造りではないけれど、造り手の気持ちがこっちにもよう伝わってくるなあ。」と、その造り手の思いのこもった真魚様にしきりと感心するのだった。人間の作ったものには、彫刻であろうと、絵画、音楽であろうと、文章であろうと、魂が宿るというが、真魚様はその良い典型だった。魂がこもるのは、こういうプロが作ったものだけにではない。私達のような素人の作ったものの中にも魂はこもる。要は、上手か下手かではなく、心をこめて作ったか、気持ちをこめて作ったかどうかなのである。字や文章は下手でも気持ちをこめて書いた手紙、美味しく食べてもらおうと作った手料理、心から書きたいと思って書いた絵など、心をこめたものには魂が宿る。そして、それらのものに触れる度に感動するのだ。 私も、自分の創作するものに心をこめたいと思った。上手下手はともかく、心の入らないものは作りたくないと、考えを改めた。真魚様は、考えを改める良いきっかけとなった。
教えていただいた公園は、浄瑠璃寺から目と鼻の先にあった。便所も屋根のついた東屋もあり、野宿するにはうってつけの場所だった。今日はここで寝ようと思った。しかし、ベンチに座って何気なく、へんろ地図を開いたところ、ここから1qもないところに第47番八坂があることが発覚。しかも、八坂寺には通夜堂があることも分かった。予約もしてないし、おまけに時間も遅いから、もう通夜堂は満員でそこには泊まれないと思ったが、久々に布団で寝たいと思ったので、ダメもとで行ってみることにした。
納経所には誰もいなかったので、呼び鈴を押すと、奥から歳は私達より少し上ぐらいの若い坊さんが出てきた。今日、通夜堂に泊まれるかどうか聞くと、泊まれると言う。しかも、私達以外に誰も泊まる人はいないそうである。泊まれることは嬉しかったが、せめて一人、二人でも他のお遍路さんがいた方が交流もできて良かったのにと、少し残念に思った。しかし、泊まれることは紛れもなくラッキーである。また更に「お陰様で!」という気持ちを私達を支えてくれている存在に対して持つのだった。 通夜堂に泊まるには、身分証明書として、免許証か保険証の写しがいるというので、お互いの免許証を提示した。寺も変な人や犯罪者を泊めたくないから、こういうことをするのは理解できるのだが、あまり面白くはない。これも、こういうことをしなければならないほど、物騒な世の中になったということなのだろう。 私達が免許証のコピーをとってもらう間に、一組の老夫婦が、「時間を過ぎていてすいませんが、記帳をしていただけませんか?」と言って駆け込んできた。そう言われて、若い坊さんは、「いいですよ。どうぞ、どうぞ。」と言って嫌な素振りを一つもせずに記帳に応じていた。今からでも記帳してもらえると知り、私達も、「それならば、私達のもいいですかぁ。」なんて、それに便乗してちゃっかり記帳してもらった。時間内ギリギリに駆け込むと、嫌な顔する納経所も今までにあったので、この若い坊さんの対応は、すごく親切に思えた。
おっさんは、納経を済ませた後、この寺の住職と思われる坊さんと、境内のベンチに座ってしきりに何か悩み事のようなことを話していた。私達は、その様子を離れた場所から見ていた。おっさんは、しきりに坊さんにこれはどういうことですか?どうしたらいいのですか?という具合に坊さんに問いかける。坊さんも面倒くさがらずに、その一つ一つの質問に丁寧に答える。そんな様子が30分も続いただろうか。おっさんは、納得した様子で、坊さんに礼をして去って行った。 おっさんの歳は、40代半ばぐらいといったところだろうか?どんな悩み事があるかは分からないが、このぐらいの歳ならば、家庭のこととか、仕事のこととか、いろいろなことが考えられる。私も、そのぐらいの歳になったら、悩み事の一つや二つくらいあるかもしれない。今は、悩み事というか、気にかかることぐらいしかないが、人生の荒波を越えていくのは大変なんだな、生きていく上ではいろいろあるんだなと、人生の先輩であるおっさんを見ていて実感してしまった。 時刻を見ると、もう既に午後18時半をまわっており、日も暮れてきたので、もう一度納経所に戻り、温泉の場所を聞いて、そこへ行くことにした。泊まる場所があったばかりか、温泉にも入れるときて、また更に「お陰様で」を感じたのだった。 温泉までは、八坂寺から4qほど離れている。少し遠いような気もするが、汗と疲れをスッキリ落としてから寝たいので、これくらいの距離は苦にならない。帰りだけは汗をかかないように気をつければいいだけのことだ。 ゆっくり走ること15分。教えていただいた温泉に到着できた。予想していたよりもかなり大きな温泉で、温泉というよりも健康センターのような感じで、その中には飯屋も何件かあったので、ここで温泉に入ったついでに食っていくことにした。 ゴールデンウィークの真っ只中というだけあって、風呂場は人でごったがえしていた。元来、人の多い場所の嫌いな私は、最低限のことだけやってさっさと風呂場から上がった。それでも、体の汚れを落とすという、一番大きい目的は達成できたので、満足だった。風呂から上がると、次は飯ということで、ショッピングセンターの中にあるような店が壁で囲まれてない、フロアーに椅子とテーブルが置かれただけで、注文したものをセルフで持ってきて食べるだけの店で食べることにした。 こういう素っ気ない店だから、味の期待は全くしておらず、腹の中に入ればいいぐらいにしか思ってなかったが、いざ食ってみると、思ったとおり美味くはないが、予想ほど不味くはなかったので、少し得した気になった。 とりあえず、風呂と飯という二つの目的は果たせたので、二人とも満足気に温泉を後にした。帰る途中、コンビニに寄って夜食と朝食を確保、汗をかかないように行きの倍もの時間をかけて通夜堂まで戻った。
日付も見ると、H16.5.24となっている。私達と一緒に栄タクシーに泊まったのが平成16年5月4日、最後に第18番恩山寺で別れたのが、翌日の平成16年5月5日であるから、寺にして29寺、距離にして800q近くを20日で移動してきたことになる。一日に計算すると、40qほど進んでいる。それもずっと遍路道を歩いてである。歩くのが速い人では、一日に40q以上進む人はざらにいるが、遍路道を歩いてでの40qの移動はとんでもない速さである。確かに、当時、私達が遍路道をマウンテンバイクを押して歩いていると、どんどん距離が引き離されていたから、それも頷けるのだが、それにしてもすごいと思った。 以前、別れた時に、彼とはいつかどこかで再会するような気がしていたが、これがこういう形で実現するとは思ってもいなかった。志を同じくするものは、例え遠く離れていても惹かれ合う、どこかで接触するようになるとは思っていたが、そのことは本当なのだと実感した出来事だった。しかし、私はこれが本当の意味での再会とは思っていない。本当に何時か何処かで、肉体を伴って再会するような気がするのだ。昨年、徳島で会ったのも縁なら、ここ愛媛で再会したのも縁。彼との繋がりを強く感じるとともに、切れる縁なんてないのだと感じた。そう、少なくとも心の面では。 彼との思い出に浸ってから、私も彼にあやかって何か書くことにした。一つだけ書いておけば良いものの、そこは欲張りな私。漢塾のホームページのアドレスなど、三つも書いてしまった。こんなのまともに見る奴なんていないと思うが、いつかまた、歩きで遍路でここへ寄った時に自分の書いたのを見たら、懐かしく思うことは間違いないだろう。
でも、それは翌日が最終日だから思えることで、これがあと3日も4日も続くと思うと、そうは思えない。こういう生活も気分が変わっていいとは思うが、ずっとしたいとは思わない。文明生活に慣れきった甘ちゃんの私達には、いつもの生活の方が良いのだ。 翌日は、順調にいけば午前中ぐらいで終わる行程なので、少し夜更かししようかとも思ったが、今さらアホの末と話すことなんてないし、連日の過労で心身ともに疲弊しきっていたので、やることやったらすぐに布団に入った。目をつむったら瞬く間に眠りに落ちていったように思う。最後の夜に布団で寝られることをこの上なく幸せに思いながらも。
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