|
寝ているやら起きているやら分からない、まどろみの中で頭の中に浮かんだ言葉だ。どこかの寺で空海の残した言葉を目にして覚えていたものだが、意味は分からない。何故、こんな言葉が頭の中に浮かんだのかも分からない。ただ、目を開いた時は、この言葉の響きと寝不足とが相まって頭がボーッとし、気持ちも重たかった。 しかし、その重たい気持ちも、爽やかに晴れた外の景色を見たら、どこかへ行ってしまった。さすがは、過去の統計から見ても晴れの日の多い旧体育の日である。
朝飯に前日買った菓子パンを食っていると、私にはそれでは足りないだろうと思ったのか、サイケンとリッキーが柏餅を接待してくれた。甘い物に目がない私は、ラッキーと思い、もらった柏餅にかぶりつこうとしたが、口に入れる寸前で柏餅を止めた。柏餅をよく見たら、何と柏の葉が本物の葉ではなく、紙で出来た偽物ではないか!これでは、柏餅ではなく、ただの餡餅である。こんなのは初めて見た。こんな手の込んだことするぐらいなら、何もせずに普通の餡餅として売ればいいのにとも思った。とても美味しい餡餅であり、有難く頂いたのだが、柏餅と思い込んでいただけに何か物足りなかった。
サイケン達との別れは、あっさりしたものだったが、内心、寂しいものがあった。何度も思うようだが、おそらくもう二度と会うことはあるまい。それだけに彼らと過ごしたわずかばかりの時間は、私の思い出の中に永遠に残るはずだ。振り返れば、まだ彼らの姿が目に入ったかもしれなかったが、振り返ることはしなかった。お互い、別々の道を歩んでいるのだ。「彼らとは、ここでお別れ。」そう自分に言い聞かせて、ペダルを踏む足に力を込めた。ただし、お別れとは言っても、それは肉体の上でのこと。お互いのことを思い出す限り、彼らが漢塾のホームページを開く限り、私達は繋がっているのだ。
少し走ると、海岸沿いの道に出た。あの憧れの竜馬が、幾度となく足を踏み入れたであろう桂浜が、もう、すぐ近くにあると思うと、胸は高まった。 それにしても、晴れた日の太平洋の何と美しいことか!周りに島や視界を遮るものは何一つなく、遥か彼方まで、青い海が延々と続いているのだ。自転車で走りながら、その美しい景色に見とれるものだから、途中でハンドル捌きを何度も誤って、沿石やガードレールにぶつかりそうになった。 桂浜へ、早く辿り着きたいという気持ちと、美しい景色を出来る限り長く堪能したいから、自転車から降りて休憩しようかという気持ちの間で心が揺れ動いたが、景色は帰りにも見ることが出来るので、急ぐことにした。 桂浜ホテルのある小高い山を越えようとした時に、土佐犬を散歩させているところに出くわした。おそらく闘犬であろう。かなり大きくてごつい体をしていて迫力は十分だったが、いかつい体に似合わず、可愛い眼をしていた。桂浜に隣接して闘犬センターがあると聞いていたから、桂浜はもう近くだと思った。 実際、桂浜ホテルのある山を越えて下りきったところに桂浜はあった。桂浜初上陸である。
やはり、桂浜も全国の観光地の例に漏れず、しっかりと観光地化されていた。少し残念に思いながらも、「やっと桂浜に来れたんだから。」と自分を納得させて、どこにも立ち寄らずに桂浜に続く階段を登った。
折角、ここまで来たのだから記念にと、団体客が記念撮影を終えるのを待ってから竜馬像と一緒に写真を撮ることにした。本当は、竜馬像と並んで撮りたかったのだが、竜馬像は高い台座の上にあるため、それは無理なので、末の提案で、掌の上に竜馬像をのせるようなアングルで写真を撮った。出来た写真を見ると、確かに掌の上に竜馬像がのっているように写っていて、悪くはないのだが、竜馬像から離れて撮ったものだから、竜馬像が思ったよりも小さく写ってしまったことに不満が残った。
ここで、竜馬や志士達が、太平洋の彼方に夢や思いを馳せたのだと思うと、グッ!と胸に込み上げてくるものがあった。「ここは、俺も!」と思い、太平洋の彼方に向かって思いを馳せてみることにした。しかし、夢や思いを馳せようとしても、出てくるのは雑念ばかり。思いを馳せるどころか逆に「俺の夢は何?」「俺の思いは何?」と、自問自答する始末だった。夢や何かに対する強い思いが無くても生きることは出来るが、それらのものが無いと寂しい人生である。と、言うことは、楽しそうにしてはいるが、実は俺は寂しい奴なのだろうかと、少し不安にも思ってしまった。 竜馬や志士達は、皆若くして死んではいるが、密度の濃い人生を生きたに違いない。太く短く生きたと言える。自分は太く短くではなく、太くそこそこ長く生きたい。これまでの人生振り返ると、?と感じることや、あの時はこうやっておけば良かった!と悔いることが多いので、海を見ながら、「これからは、全てのことに一生懸命尽くそう、何か夢を持とう!」と自分自身に誓うのだった。そして、自分は性根が無いからこの誓いが、この場限りの誓いにならないようにとも自分に釘を刺しておいた。 思いを馳せたところで、観光客も増えてきてウザくなってきたこともあり、桂浜を去ることにした。もう桂浜に来ることはないのかもしれないと思うと少し寂しかった。しかし、思いを馳せるという目的は果たせたので、十分に満足していた。
竜馬の陰に隠れて、あまり脚光を浴びる人物ではないが、この中岡慎太郎も維新に関わった偉大な人物の一人である。写真を見る限り、ルックスはかなり良い。私は竜馬の方が好きだが、外見だけ比べたら、竜馬よりも中岡慎太郎の方が格好良く、女性にモテそうに見えた。 キリッとした大きい眼に筋の通った鼻、しっかりした顎。大きい眼としっかりした顎は、中岡慎太郎の意思の強さを象徴しているかのように思えた。 実際、本で慎太郎のことを知る限り、そのような人物だったらしい。物事にこと細やかで、周りにも気配りの出来るしっかり者だったらしく、竜馬に足りないものを慎太郎が補っていたようだ。だから、志を同じくする者達の中でも、よく竜馬とつるんでいたのかもしれない。 「慎太郎も格好良いな、慎太郎の写真も欲しいな。」と思い、また更に悩んだが、悩みぬいた挙句、荷になって邪魔ということで、両方とも買うのを諦めた。しかし、この日が最終日なら、間違いなく買っていたと思う。
ぽかぽか陽気に、そよそよとそよぐ風の中をほどほどのスピードで駆けていく。何という気持ち良さ!今回、四国に来て初めての心地良い走りである。前回の最終日が、丁度、このような感じだった。でも、あの時は春で、今回は秋。気温も湿度も同じようなものだが、何かが違う。それは、陽射しの照度であったり、空気の澄み具合であったり、風の匂いであったり、雰囲気であったりして、はっきりと言葉で言い表わせるものではなく、肌で感じるようなすごく感覚的な違いなのだ。 今は秋であるということを肌で感じながら、心地良さに身を任せて、何も考えることなく走った。幸い、途中に大した遍路道もなく、予定通りの時間に種間寺に着くことが出来た。寺に着く1q手前ぐらいでサイケンとリッキーを抜き去ったのだが、彼らが寺に着くまで待とうとは思わなかった。桂浜に行って、頭の中をリセットしたために、気持ちが切り替わっていたからだ。 この時は、実質的な最終日であるこの日に、行けるとこまで行ってやろうという気になっていた。
種間寺は、安産祈願の寺でもある。だから、お遍路さんの他にも、身ごもった女性や、その家族の参拝も多いらしい。本堂で、納経をしていると、やはり、それらしき人も多く見受けられた。 さあ、納経を始めようかという時に、おばさんのお遍路さんに「お兄ちゃん達、若いのにえらいね!」と声をかけられた。返事に困ったので、「はあ、そうすか。」と気のない返事をしておいた。近頃は、好奇心や自分探しで遍路をする若者が多くなったとはいえ、やはり圧倒的多数が、ある程度の人生経験を積んだ中年以上の方々であるから、そう言われるのも分からないではなかった。 とはいえ、褒められているわけだから悪い気はしないものの、「若いのに」と、言われたことはどうしても頭にひっかかった。神仏を拝むのに、遍路をするのに歳は関係ないやろう!と、言いたかった。 全て納経を済ませて、納経所で記帳をしてもらった時に、次の寺への行き方を聞いた。道を聞いた人は、この寺の若住職の奥さんだった。丁度、3歳か4歳くらいの女の子を連れていて、その子を見た末が、「この子は、この寺で安産祈願したから無事産まれたんすね?」と、わざわざ聞かんでもいいことを聞いて、奥さんがムッとした顔をしていたのを私は見逃さなかった。場の空気の読めない奴だと思った。 納経も済ませたし、次の寺への行き方も聞いた。さあ出発しようかという時に、寺の入口付近に座っていたおじさんから話しかけられた。このおじさんは、私達が、他人の蝋燭の火で自分の蝋燭の火を点けていたことが気になったらしく、それで私達に声をかけたらしいのだ。他人の蝋燭は、その人の命であるからして、その火を消しても、それで自分の蝋燭や線香に火を点けてもいけないらしい。今まで、他人の蝋燭で火を点けたり、他人の蝋燭を誤って消したりもしていたから、次からは気をつけようと思った。わざわざそのことを教えてくれたことは、すごく有難かった。 おじさんに礼を言って、今度こそは出発しようとしたら、サイケンとリッキーが境内に入ってきた。サイケン達は私達に気付いていなかった。話しかけると、長くなりそうだし、また別れるのが寂しくなりそうなので、話しかけることなく寺を後にした。 これで、本当にお別れ。彼らの後姿を見ながら、彼らの旅の無事を祈らずにはいられなかった。
しかし、気持ちに余裕を持っている場合ではなかった。当初、36番青竜寺まで行くつもりが、この時は急遽予定変更して、37番岩本寺までは何があっても行くことにしていたからだ。岩本寺まで行くとなると、清滝寺からでも70qはあるから、この日のうちに到着しようと思ったら、出来る限り急ぐしかなかった。 平坦で殆ど起伏のない遍路道を抜け、仁淀川に架かる仁淀大橋を渡る時に、橋下に広がる川の大きさに目を奪われた。四国に来て初めて見る大きな川。その清らかな美しさは、まだ見ぬ四万十川の美しさを想像させるのに十分だった。 橋を渡り、しばらく町中を走っていると、遍路の看板があり、清滝寺まであと3qと書かれていた。正面にある山の中腹にそれらしき寺があるので、あれに間違いないと思った。そんなに高い山ではないが、それなりにキツい坂があるように見えた。
いきなりしょっぱなからキツい坂で、心拍数はすぐにMAXに近いところまで上がってしまった。遍路2日目の最御崎寺で上ったのと同じような、山の片側だけにジグザグに坂が張り付けられている形なので、非常に上り辛かった。また、坂の折り返しまでが短く、折り返しで向きを変える度に余計な体力を使わなければならないのも、上り辛さに拍車をかけた。さすがに、このような強敵が相手では、末と一緒に上っている余裕はなく、全力でこいで先に行くことにした。すぐに末の姿は後ろに見えなくなったが、下を見ると、懸命に上がってきている姿が見えた。体全体を使って、自転車をこいでいる姿が被写体として良いと思ったから、カメラで撮ってやろうかとも思ったが、自転車から降りると、気持ちが折れそうなのでやめた。自分も他のことを気にする余裕はなかったのだ。 坂の端まで行っては折り返し、坂の端まで行っては折り返しを何度繰り返したことだろう。もういい加減、嫌になって、何度、自転車を降りようと思ったことか。「ええ加減にせえよ!早う終われや!」と、心の中でブツクサ独り言を呟いていた。しかし、始めがあれば終りがあるの言葉どおり、そのジグザグ登りも終わる時がきた。寺の山門が見えたのだ。目標物が見えると、途端に力が出るもので、最後の100mくらいは早く自転車から降りたいものだから、更にスピードを上げて駆け上った。 自転車から降りた時は、しばらく放心状態だった。最初はなめてかかってはいたが、この坂はこれまでの遍路の中で間違いなく10本の指に入るキツさであった。でも、これは上れる坂の中でのことで、上れない坂でこれよりキツいのは幾らでもあったのだが。 何分か遅れて、末も上がってきたので、末の息が整ったところで山門をくぐることにした。
本堂に行こうとすると、寺に雇われたであろうおばさんが、「本堂はこちらで、あちらが大師堂で〜納経はこのようにして〜」と、言って聞きもしないのに親切に説明してくれた。遍路は関係なく、この寺だけに来た人には有難いのかもしれないが、ここに来るまでに幾つかの寺をまわって、納経のやり方を知っているお遍路さんには有難迷惑だったのではないかと思った。 この寺の本尊は薬師如来である。境内には街を見おろすように大きい薬師如来像が立っていたが、そんなものには目をくれるでもなく、次の寺に急ぐので、さっさと納経だけ済ませた。 本堂や大師堂から結構離れた、分かりにくい場所にある納経所で記帳を済ませた時は、時刻は午前11時になろうとしていた。昼飯には少し早いので、次の青竜寺に行く途中に飯屋があったら、そこで食うことにした。 さあ出発しようか!という時に末が興味深いことを言った。清滝寺から「さんずい」を取り除いたら、青竜寺になると。寺の名前の漢字をじっくり見ることが無かったから、末に言われて、そうだと気付いた。何か意味があるのだろうか?何か双方の寺は関係しているのだろうか?と疑問に思いつつも、アホの末もたまには良いところに目を付けるものだと、少し感心した。まあ、感心したとは言っても、犬や猫がお手やお座りをするのと同レベルのものではあるが。 次の青竜寺までは、約15q。遍路道があったら、優に2時間以上はかかる距離である。手持ちのカロリーメイトでエネルギー補給をし、寺を後にした。
下りを思いっきり下れなければ、何のために苦労して坂を上ったのかという気にもなった。5分ほどで下り終えて、わずかばかりのストレスの時間も終わったが、やはり下りの爽快感を味わえなかったのは不満だった。
変わったことをしているなと思ったが、何でこんなことをするのかは聞かなかった。お遍路さんを待ち伏せして接待する理由はどうあれ、接待していただけるということはとても有難いことなのだ。ましてや、昼飯がまだで、腹を減らしている私達にとっては、天からの助けのようにも思えたほどだった。「そちらの休憩所で待っていてください。すぐに持っていきますから。」と言っておばさんは車に戻って行った。 すぐ側にある休憩所で、「何を食わせてもらえるのかな。」とワクワクしながらおばさんが来るのを待った。少しして、おばさんがお盆の上に乗せて持って来たのは、お茶とバナナと漬物だった。それを見て、おばさんのセンスの良さに思わず唸った。お茶は、喉の渇きを潤し、バナナは腹持ちが良くて高カロリーであり、しかも胃にもたれない。漬物は、汗で失われた塩分を補給し、疲れをとる働きをする。考えに考え抜かれたメニューだと思った。ただし、私は漬物は嫌いであるから、これがイカの塩辛とかだったらもっと良かった。まあ、それは私の我がままであるが、それらのものを有難く頂くことにした。 また、それらのものと一緒に「道中、どこか見えるところにくくりつけといてください。」と言って、しおりもくれた。可愛いお遍路さんの絵と一緒に「念じて歩けば、花ひらく。」と一言書いてあるしおりだ。おそらく、私達の後に遍路道を通るお遍路さんへの道しるべだろうと思った。何て粋なことをするのだろう!と感心し、「わかりました。必ずくくっておきます。」と返事した。「食べ終わったら、そこに置いておいていただければ結構ですから。」と言っておばさんは、車に戻っていった。 さあ食べようと思って、ふとアホの末を見ると、既に漬物から食べ始めていた。末は漬物が好きなので、「これ食わんからやる。」と言って漬物を末にやった。私がバナナを好きなことをアホの末も知っているから、お返しにバナナをくれるかと思ったが、こいつは、バナナをくれないどころか、「有難う。」とお礼さえ言わなかった。 やはりこいつには、人間として必要な礼儀というものが欠如している。バナナをくれとは言わないが、せめて「サンキュー。」と、礼ぐらいしたらどうなのか。こいつにそんなものを期待してはなかったものの、人間としての成長が全く見られないのは、残念だった。だから、いつまでもアホの末と呼ばれるのだ。 頂いたものを、食べ終わってから、お盆をおばさんのところへ持って行き、「有難うございました。美味しかったです。」と、お礼を言って、御札を渡した。おばさんは、「高野山に納めておきますね。」と言って御札を受け取った。何で、高野山に私達が渡した御札を納めるのだろうか?と疑問に思ったが、見ず知らずの私達が渡した御札をわざわざ高野山に持って行っていただけるのは有難かった。お陰で、御札の方が、先に高野山に行くのだから、私達も何が何でも、高野山まで辿り着かなければならないと、更に強く思った。 おばさんの心遣いに感謝し、さよならを言っておばさんと別れた。このおばさんとは何を語るでもなく、必要最低限の会話しかしなかったのだが、おばさんの言葉や行動が先を急ぐことばかりで、焦燥していた私達の心を癒してくれたのだった。
階段を上り始めてから5分もすると、目の前に倒木が現れた。今回の遍路は、台風が四国を直撃した直後とあって、倒木が道を塞いでいる場面が多々見られた。倒木が現れる度に、それを越えたり、くぐったりしなければならないから至極面倒くさいのだ。 ハアハアと息をきらせながらも、黙々と目の前の階段と格闘すること30分。ついに階段も終り、自転車に乗ることのできる道に出た。しかし、自転車に乗れるとはいえ、舗装のされてない凸凹道であるから、途中で何度も自転車から降りなければならない場面があった。 歩き遍路では、そういうことはないだろう。人によって歩く速度に多少の差はあれ、歩く速度というものはゆっくりしたものだから、目に映るものを味わいながら進むことが出来るが、自動車よりはましとはいえ、自転車で目に映るものを堪能しようと思えば、その速度は速すぎるのである。 時間の都合上、自転車で遍路するというのも仕方ないことではあるが、歩き遍路に比べると、目に映る貴重な風景を10分の1も堪能していないのではないかと思うと、こういう時こそ堪能しようと考えを改めたのだ。急いでばかりいると、大切なことを見落としがちになる。この遍路道が終わるまでのわずかな間ではあるが、自転車から降りて、景色を楽しんだ。
しばらく進むと、丁度祭りの行列と出くわしたので、それを横切ろうとすると「こら〜っ!」と怒られてしまった。非常に遅く進む行列なので、それが過ぎ去るまで待っているわけにもいかず、責任者らしき人に「横を通らせてください。」と言って、行列を横切ることはせずにその横を通らせてもらった。その時に「あっちに行ったらいいから。」と言われたので、言われたとおりの方向に行くと、すぐに迷路のような路地を脱出することが出来た。
右手に緑の山、左手に真っ青な海という今までにもあったシチュエーションではあったが、ここの景色は今までの同じような景色とは何かが違った。何が違うの?と聞かれても具体的に答えることは出来ないが、ここの道は海の匂いが強いというか、雰囲気が今までのものよりも厳粛だというか、「海」や色の「青」というものを強く感じさせるのである。 これも、この土地の持つ力だろうか。海と山以外には何もなかったが、十分に魅力的な景色に感じた。10分も走ると、海の遍路道も終り、右折して山の方に入って行くようになった。青竜寺までは700mぐらいの距離なのだが、寺は山の中にあるらしく、この時点では目にすることは出来なかった。 しかし、狭い山道をひっきりなしに自動車が往来していることから、寺は近いということを実感するのだった。実際、山道に入ってから5分ぐらいで、青竜寺の山門に辿り着くことが出来た。
階段を上りきった時に私達を出迎えてくれたのは、本堂の前に立つ小柄な波切不動明王だった。痛い脚に鞭打って、ようやくここまで上ってきたのに、ムッとした顔で出迎えられては、気持ち良いものではなかった。しかし、このお不動さんは、この小高い山から海を見下ろして、海の安全を守っている有難い仏様である。この恐い顔は生まれつきであり、本当は心良く私達を出迎えてくれているのだと思い、「只今、着きました。」と、心の中で言って、手を合わせた。 本堂で納経する時に、ふと辺りを見回した。やはり、先ほどの海の遍路道を走った時に感じたものと雰囲気がダブる。海から少し陸に入った山中の寺なのではあるが、やはり先ほど感じた「海」や色の「青」というものを強烈に感じたのである。色の「青」というのは、「海」の象徴であるから、結局は「海」というものを強烈に感じるということになるのだが、海の遍路道と雰囲気がダブるのではなく、この寺を中心とするこの辺り一帯に、そういう「海」というものを強烈に感じさせるものがあるのだと、この時悟った。 私は海が好きなので、山にあって海の雰囲気やイメージを漂わせる、この寺を気に入ってしまった。今までに納経した寺の中では、小さい部類に入る寺で、見どころも少ないのだが、この寺が今までの中では好感度が一番だった。しばらくゆっくりしたいところではあったが、先のことを考えるとそうもいかず、目的である納経を済ませて寺を後にすることにした。 全ての納経を終えた時は、既に午後1時を過ぎていた。朝飯を食ってからかなり時間が経っていたので、腹がグウグウだった。寺の周りには、飯を食うところがなく、やむをえず37番岩本寺へ行く途中で適当にどうにかすることにした。 山門の入口付近にある納経所で、記帳をした後に、鴨の湯でもらった無料宿泊所一欄表を広げて、この日の宿を探した。幸いにも次の岩本寺の中に無料の通夜堂があると書いてあったので、早速、電話で予約することにした。電話をすると、おばちゃんが出た。2人なら泊まれるという。午後19時ぐらいには、そちらに到着できるだろうと伝えて、通夜堂に泊まる予約をした。 前日に引き続き、この日も屋根の下で寝られることは、とてもラッキーだった。 しかし、次の岩本寺までは、ここから56qもあるので、午後19時までに到着するのは、かなりハードなことであった。それだけの距離を前にして少しおっくうになりながらも、今回最後の納経する寺である岩本寺を目指して、青竜寺を後にした。
1時間ほど寂しい海岸沿いの道を走ると、今度は山に入っていくようになった。まわりを見回しても木以外には何もない。これは困った!と思ったが、とにかく走るしかなかった。
幸いにもテーマパークの入口付近にジュースの自販機があったので、何か購入して喉の渇きを潤すことにした。滅多に車さえ通らない場所であるから、自販機の中身はかなり古くなっているのではと心配したが、そんなこと言っている場合ではないので、カロリーを稼ぐために普段は飲みもしないファンタオレンジを購入した。何年かぶりのファンタオレンジはとても美味かったが、甘過ぎて後味が悪かった。
しかし、他の売っているものは同じだったので、先のことも考えてしこたま買い込んだ。買い込んだものを、店の外で食ったら、空腹も治まり、走る気力も復活した。しかし、丁度ここを出発しようかという頃に雨が激しく降ってきたので、ゲンナリと気持ちが萎えてしまった。やはり、雨はよくない。
海岸沿いの道を4〜5q走ると、かなり急勾配な坂が現れた。何も疑うことなく、激烈な勾配の坂を体全体を使って上っていく。これまた、今まででもベスト3に入るほどの激烈な勾配の坂で、しかも距離が長いのだ。いくら上っても上っても先が見えない。やっとのことで、坂を上り終えたと思っても、すぐに次の坂が現れてしまう。20分ほど上ったところで、後ろを振り返ると、やはりアホの末の姿はなかった。 山の頂上か、それを下りきったところで待っておこうと思い、アホの末を気にすることなく先に進んだ。もう気力も脚の筋肉もダメだというところで、どうにかこの長い激烈な勾配の坂を上りきると、目の前の視界が開けて、右手に雄大な太平洋が見えた。しばらくは、高い場所から望む太平洋の美しさに惚れ惚れしていた。 しかし、ふと疑問に思った。何で、西に進んでいるのに太平洋が右手に見えるのかと。「ん?」「ん?」「ん?」「ん?」と考えあげた挙句、答えが分かった。これはどうやら道を間違えたのに違いないと。逆の方角に戻っているのだと。それが分かったので、急いでリュックの中から遍路地図を取り出して見た。やはり間違いなかった。青竜寺のある半島の付け根から再び半島に入ってしまっていたのだ。この半島は、海に突き出ているような半島ではなく、陸に並行して細長く横たわる半島である。青竜寺に行く時には、宇佐大橋を渡って半島の頭から入ったのだが、今度は、半島の付け根から再度半島に入ってしまったのだ。また、末が左手に見えると言った海は太平洋ではなく、陸と半島の間にある浦ノ内湾という湾だったのだ。 ここまで半島の付け根から30分ぐらい走っているから、少なくとも10qは走っていることになる。ということは、往復で20qのロス、時間にすると1時間のロスである。しかも、ここに来るまでは激烈な坂を上ったということもあり、筋肉は疲労し、カロリーも猛烈に消費しているのだ。「アホの末め、俺の失われたカロリーを返せ!」と、思わず心の中で叫んだ。 10分も待つと、アホの末がゼェゼェと息を切らしながら上ってきた。私に会うやいなや、「良かったぁ〜、お前が坂を下っとたらどうしようかと思ったぞ。」と安心した感じで言った。ここでは、携帯電話が使えないから、私が行ったところまで追いかけなければならないと思ったらしいのだ。坂を下りきってしまうと、また上らなければならないから、それはさすがにゴメンだと思ったのだろう。そんなのは、私だってゴメンだ。
「ええか!絶対に肉をくわせてもらうからな!」と言って、とりあえず怒りを治めた。そして、折角ここまで上ってきたのだからと思い、目の前に広がる絶景を楽しんだ。私は切り替えが早いのだ。 半島の付け根に向かって来た道を戻るのは、下りだから楽だったが、同じ道を通るのは気合いが入らなかった。道を間違えなければ今頃は、随分先まで進んでいたのではないかと思うと、再び怒りが込み上げてくるのだが、そういう時は、明日何を食わせてもらおうかと考えると怒りが鎮まるのだった。この時は、焼肉を食わせてもらう気でいた。
30分も走ると街中に入ったので、こんな状態で走っていては、能率が悪いと思い、気持ちを入れ替えるために通りかかったファミレスに入ることにした。
アホの末は食欲がないという。おまけに残したものを私にくれるという。アホでドケチなこいつがこんなことするなんて普段なら絶対にありえないことだが、くれるというなら拒否する理由はないので、仕方なくもらってやった。 しかし、それだけなら良かったのだが、支払いまで任せておけというので、これは怪しいと思った。もしかして、これで先ほどの大ポカの借りを済ませようとしているのではないかと。こんな500円にも満たないようなピザ一枚で、先ほどの大ポカを水に流させようとするのは、虫の良すぎる話である。私の食いたいのは肉である。ファミレスやチェーン店ではなくて、焼肉やステーキの専門店で食う肉なのである。 アホの末の野望を阻止するために、「ここは俺が出すから、お前は明日、俺に何を食わすか考えとってくれ!」と言って支払伝票を取り、支払いを済ませた。アホの末は、「チッ!」と言って、残念そうな表情をしていた。
この時はもう午後17時になろうとしていたから、暗くなり始めていたのだが、それでも遍路道の小さい看板が目についてしまったのだ。これを発見したからには、遍路道に入らなければならない。この遍路道は、遍路地図にも載ってない遍路道であるから、かなり遠回りになることが予想された。ただ、この時は、そんな些細なことをグダグダ考えたくなかったから、何も考えずにとっとと遍路道に突入した。 この遍路道、半島をグルッと1周する形の遍路道で、青竜寺に行く時に通った海の遍路道と同じような景色の遍路道ではあるが、雰囲気は全然違った。景色は似ていてもこっちの方が雰囲気が寂しいのだ。青竜寺に続く遍路道のような煌くような明るさがないようにも感じた。ただ、そうは思っても、普段は滅多に見られないような絶景であることには違いなく、水平線に沈もうとする夕日を堪能しながら走ったのだった。しかし、この遍路道、思ったよりも長く、しかも道路脇の高さ60〜70cmのガードレールのすぐ下は、海面まで50〜60mはあろうかという絶壁であった。とてもではないが、ガードレールのすぐ側は、恐ろしくて走る気にもならないので、自動車が殆ど通らないのをいいことに、道路の真ん中を走っていた。 おそらく半島の先端まで行ったであろう時に事は起きた。地元の若造が運転する自動車が私達を後ろから煽ってきたのである。特に先頭を走っているアホの末を執拗に煽り、あと30pも近づけばあわや接触事故となったかもしれないほどに自転車に近づいたのである。 何事もなく自動車が走り去った後、アホの末は怒りで打ち震えていた。しかし、それよりももっと怒りに打ち震えていたのは私だった。「接触事故すれば良かったのに!」と、思っていたからだ。 日頃から体を鍛えているアホの末はあのぐらいの接触では怪我なんかしないだろうし、接触して自動車が傷ついた方が若造共には良いお灸になる。また、こいつらを自動車から引きずり出したいからそう思っていたのだが、残念なことにそうはならなかった。 冷や冷やさせられただけ、やられ損ではあった。多分、シンナーでもやっていたのだと思う。ああいう馬鹿とは関わりたくないが、アホの末だけに波長があってしまったのだろう。こいつと一緒にいると、善良な私までとばっちりをくってしまう。でも、私の日頃の行いが良いから、一緒にいるこいつもその恩恵を受けて、様々な難を逃れられるのだ。 またしても私のおかげだなと末に言ってやろうかと思ったが、エンドレスな虚しい言い合いになることが分かっているので、言うことをやめた。 このような危ないめに遭ったものの、それ以外は何もなく夕日が沈むのとほぼ同時に、この10qはあろうかという長丁場の海の遍路道を無事走り終えた。
最初は、こんな緩やかな上りなんか大したことないと思っていたが、七子峠に突入してから10分も経たないうちに前を走っていたアホの末のペダルをこぐ脚が止まった。しかも、ペダルをこぐ脚が止まったばかりではなく、「脚が痛くなった。」と言って自転車を降りたのである。 さすがに、アホの末だけ置いて自分だけ先に行くわけにもいかないので、私もやむなく自転車を降りた。何時もなら、これぐらいのことで自転車を降りはしないが、この時は、気力も体力も消耗しきっていたので、仕方がないと思うのだった。 うす暗闇の中、自転車を押し歩きながら前を見ると、山を幾つも越えたずっと先までこの坂が上って行っているのが分かった。これは、2qや3qの坂ではない。おそらく10qぐらいはあるであろう坂であることは容易に予想が出来た。急な坂であれば、峠の長さは短くなるが、七子峠は緩やかな坂が続くために距離が長くなるのだ。それにしても10qクラスの上り坂なんて今まで経験したことがなく、体力がバリバリに余っていても自転車を降りることなく峠を越えることは無理だと思った。 「ハァ〜!」と、ため息をつきながらも、このとんでもない長さの峠を越えるために下を向きながら自転車を押し続けた。一度、自転車を降りてしまうと、気持ちが切れてしまうので、なかなか再び自転車にまたがろうという気にはならなかった。それでも、自転車に乗った方が、自転車を押して歩くよりもわずかばかり早いので、坂が緩やかになった箇所や気のむいた時には、極力乗るようにしていた。乗っては降り、降りては乗りを何回も繰り返しながら坂を上っていくのだが、坂の終りはなかなか見えなかった。 この七子峠、山道ではあるが、交通量がとても多い。特にトラックが多くて、私達の数十p横を猛スピードで走り去っていくものだから、すごく恐かった。おまけに路側帯を通っている私達のすぐ左手にあるガードレールは、これまた先ほどの海の遍路道のと同じくとても低くて、優に100m以上はあろうかという谷底がその下にあるためにとてもガードレールに寄って進むつもりにはなれなかった。 ますます暗くなる中、ガードレールと自動車の間のわずか1mほどの幅を「谷底に落ちないように。」「自動車に轢かれないように。」と、神経を尖らせて進むのは、とても疲れた。途中、何度か休憩しながらも、坂を上り続けた。自転車を降りてから1時間がたった頃には、肉体的にも精神的にも疲労痕倍で、もう自転車に乗ることはせずに歩くだけだった。腹は激烈にへるわ、脚の筋肉はパンパンで痛いわ、暗くて周りがよく見えずに恐いわで、思わず愚痴が出そうになった。そういう時は、「俺だけではなく、アホの末も同じく辛いはず。」と、自分に言い聞かせて我慢するのだった。 そんな不安な気持ちになったのも損だったと思うぐらい、いきなり終りはやってきた。5分もすると、峠の坂を上りきって、目の前にパーキングが現れたのである。 幸いなことにここのパーキングには飯屋もあるし、ジュースの自販機もあった。とりあえず、自販機の前に座ってコーヒーを飲み、一息ついた。お互いに消耗しきっていた。あとは下りだけなので、普段なら消耗していたとしても、すぐに出発するところだが、この時はしばらく動く気にはなれなかった。気力や体力だけでなく、心までへし折られていたのだ。2人とも、かなりの間、頭を垂れて黙り込んでいたが、その沈黙を破ったのは腹の鳴る音だった。パーキングの飯屋で食うことも考えたが、客が全く入っていない野暮ったい雰囲気の店なので入るのはやめて、どこかでコンビニを見つけて何か買って食うことにした。 とてつもなく長いように思えても、わずか1時間半ばかりの短時間ではあったが、体力や精神力というよりは、心を完膚なきまでに叩きのめされたのだった。坂を下る時に後ろを振り返りながら、「塾長の心をへし折る七子坂」(字余り)と、思わず一句詠んでしまった。
しかし、早く来てくださいと言われれば、早く行くべきだろうと思い、電話を切ると、すぐに走りを再開した。
それでも、これが今回最後の走りだと思って味わいながら走ろうと思ったのだが、気力、体力のあまりもの消耗から、そうは思えなかった。少しでも早く着きたい、少しでも早く楽になりたとしか思えなかったのだ。 コンビニで調達した食料を片手に、恐る恐る真っ暗な山道を走った。20分も走ると、山道を抜け、小さな街に突入した。岩本寺はその街の商店街の路地裏にあった。予定よりも随分遅れて到着したため、急いで境内に入って明かりの点いた建物の中に入って人を呼んだのだった。
アホの末もそう思ったらしく、お互いに顔を見合わせて、これがどういうことなのかを悟った。どうやら私達は無料の通夜堂に泊まるのではなく、この寺の宿坊に泊まることになっているということを。先ほど電話した時に「急いでください。」とせかされたのも食事のことがあったからなのだ。 昼間に青竜寺で電話した時は、きちんと無料の通夜堂に泊まらせてくれと言っているのに、一体これはどうしたことなのだろうか?電話を受けた人が、私の言ったことを聞き間違えたのか、それともわざとこのようにしたのだろうか、いずれにしてもこの時はこうなった経緯を確かめようがなかった。 目の前にいるおばちゃんも、昼間に電話した人と同じ人かは分からなかったし、私達のために部屋までとってくれているというので、「仕方ないよな。」と、お互いに言い合って、この宿坊に泊まらせていただくことにした。ただし、食事はコンビニで購入した食料があるので、お断りして素泊まりということにさせてもらった。
食事をしながら、この度の遍路は、宿泊施設に泊まってばかりで、野宿が出来なかったことをしきりと反省するのだった。台風や今回のようなやむをえない事情にも遭遇したので、仕方がないといえば仕方ないが、それでも何かしっくりこなかった。これは、今回の遍路での最大の反省点である。 食事を終え、風呂に入ってからも、この日が最後の晩ということで、もう一度今回の遍路の反省をした。宿泊以外のことで、気にかかっていたのが、短い時間で長距離を移動するために納経した寺をじっくり見てまわったり、景色をたしなむ余裕が殆どなかったということである。これも時間がないということが原因なので、仕方がないといえるのだが、やはり何かしっくりこないものがあった。次回の遍路も、短い時間で長距離を移動するようになるため、今回と同じようになることが考えられるので、次回の遍路では同じ過ちは繰り返すまい、短い時間で最大限のことをしようとアホの末と確認し合うのだった。 この日は、118qも走ったので、疲労は極致に達していた。瞼を閉じればいつでも眠りにおちいられる状態ではあったが、最後の夜ということで布団の上に寝転がってテレビを見たり、たわいもない話をしたりして、やっと得られたくつろげる時間を謳歌した。消耗しきっていたので、この普段なら何でもない時間がすごく幸せな時間に感じた。また、ここは岩本寺内の宿坊であるため、翌日は移動する必要がなく、この寺で納経して帰るだけなので、気持ちも楽だった。 寝る前に、愛妻のぽん太郎さんのことを考えていた。結局、一度もぽん太郎さんから電話もメールもなかった。私も連絡をしていない。だからといってお互いのことを気にかけてないわけではない。ぽん太郎さんからの連絡がないことを寂しく思ったこともあったが、「俺達はこれでええのやろう。」と妙に納得していた。明日会えるからという安心感もあったのだと思う。たった5日間会わないだけで、また会いたくなるというのは、まだまだ夫婦熱が冷めてないのかもしれない。これで、俺が何年も刑務所に入ったら、どのくらい寂しいのやろう。まあ、刑務所に入ったら縁切られるやろうなあと思いを巡らせながらもいつの間にか瞼を閉じていた。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||