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アホの末はまだイビキをかいて眠っていたため、これ幸いとばかりに、朝飯を食いながら前日の記録をする。 記録を終えた頃にアホの末が起床。私は朝飯も食い終わって、時間に余裕があったので、辺りを散策することにした。
それにしても、温泉のアカメの絵といい、このアカメ館といい、アカメとは見えない糸で繋がっているような気がしてならなかった。やはり、間違いなくアカメは私に釣られる運命にあるのだろう。
2〜3q走って丁度体も暖まり、エンジンもかかってきた頃にアホの末が左手で「ここへ入ろう」と合図するので、こんなにすぐに走るのを止めたくはなかったが、仕方なくアホの末の指差す方へ入って行った。
野宿を基本とした遍路では、これらの機器の充電をできる時にやっておかないと、後々困ることになるのだ。そのことをこれまでの遍路で思い知らされていたから、充電はできる時にやっておくということを常々心がけていた。 デジカメを充電するには最低でも1時間半はかかるので、その間に人間の充電もしようと、地べたび寝転んだ。
今回の遍路を終えて思うのは、長距離の苛酷な移動に苦しみながらも、私は景色を見ることを、思いっきり体を動かせることをどの瞬間も楽しんでいたということだ。
これからしばらくは、海沿いを走るようになる。山の中を走るよりは、海を見ながら走るほうが気持ち良いに決まっている。この時は、マイナスイオンを多量に含んだ潮風を浴びながら、ルンルン気分で自転車をこいでいたのだが、もうじきアクシデントが起ころうとは知る由もなかった。
遍路道へ入ると、いきなりの急傾斜だったために、まずは自転車を降りて、自転車を押して歩いた。だが、思っていたほどの長さと険しさのある遍路道ではなく、遍路道は500〜600mほどで終わった。この遍路道は、少し寄り道をする程度のものだったのだ。険しいかも!と身構えていただけに、少し拍子抜けした。
どこかに、遍路道の看板か、抜ける道があるだろうと思い、探すが見つけられない。しばらく探しまわった結果、道を間違えたことを悟った。あのおばちゃんも道を間違えて、引き返して来ていたのだ。
林の中に入ったところ、林道があり、さきほどすれ違ったおばさんも、そこを通っていたことから、これが遍路道に間違いないことを確信した。この林は、長らく人手が入ってないらしく、様々な種類の大木が林立しており、原生林を思わせる景色は、我々の目を楽しませてくれた。 それにしても、誰かが外したか、強風で吹き飛んだかは分からないが、これだけ広い場所で遍路道の看板が無いということはとても不便なことだった。 海の遍路道である林道を抜け、元来たサニーロードへ合流。走り始めてから5分もしないうちに後輪に違和感を感じた。同じ力でペダルを踏んでも、スピードが出なくなっていたし、また、タイヤと路面が接触して擦れた時に出る音が明らかに大きくなっていたのだ。 音が大きくなっているということは、タイヤの空気が抜けた可能性が大きいと思い、前を走っていた末を大声で呼び止め、自転車を降りた。 すぐに後輪のタイヤを指で押さえてみると、少しづつではあるが、空気が抜けているのが分かった。どこでどうやってパンクしたかは分からなかったが、幸いにも替えのタイヤチューブはあるので、慌てることはなかった。
「う〜ん、どうしよう!」などと、一人でぶつくさ呟いている。「一体、どうしたんや!何がいけんのか教えてくれ!」と言うと、ようやくアホの末が重い口を開いた。「実は、お前の持って来たタイヤチューブは、このマウンテンバイクには合わんのや!」と。私は自転車のことは詳しくなく、携帯していたタイヤチューブで問題解決と思っていたので、この末の言葉を聞いて愕然とした。タイヤチューブの交換ができなければ、自転車に乗ることはできない。最寄りの自転車屋までは歩かなければならなくなってしまう。こんな場所では、しばらく進まないと自転車屋も見付けられないであろうため、「どうにかならんかや!気合いでどうにかせえや!」と、アホの末に言ったが、アホの末は「気合いでも、どうにもならんものはどうにもならん!」と、言い張るだけだった。 どうにもならないことを飲み込めた私は、「それなら、タイヤの空気が抜けきらんうちに、できるだけ走って距離を稼ごう!」と、アホの末をせかして、慌しくマウンテンバイクに乗ったのだった。 10分ほど走ったところに、ガソリンスタンドを発見。このガソリンスタンドで自転車屋の場所を聞いたところ、すぐ近くにあるとのことだったので、すぐにその自転車屋へ立ち寄った。これでパンクが直せる!と安心したのだが、それも一瞬のことだった。 何と!アホの末は、ここでパンク修理キットやタイヤチューブを売ってないことを知るや、それらのものを売っていそうな店の場所だけ聞いて、パンクを直すことなく、ここを去ろうと言ったのだ。せっかく、自転車屋へ来たのに、また、売っていそうな店の場所が分かっても、そこまでどれくらい距離があるか分からないのだから、ここで修理しようと言っても、「絶対に買って自分で修理したほうがええから!俺にまかせておけ!」と言って私の言うことを聞かない。こいつにまかせておいて良いようになった例がないことは、前回の遍路でも実証済みだが、もしこれで痛い目に遭っても、その時はまた肉でも食わせてもらえば良いと考え、不安ながらも、やむなくアホの末の行動に従うことにした。
「歩いて4〜5分ゆうたら400m〜500mぐらいやから、もう着いとらにゃならんのに、あのおやじは嘘ゆうたんやろうか?」などと言いながら歩いているうちに気がついた。あのおやじは、歩いてとは言わなかった。4〜5分とは、自動車での時間なのだろうと。 自動車で4〜5分といったら4〜5qぐらいである。それだけの距離を歩くとなると、1時間はかかってしまう。大した距離ではないが、自転車なら10分ぐらいで行けると思うと、大幅な時間のロスである。故に、あの時、パンクの修理をした上で、修理キットやタイヤチューブなどを買えば良かったのにと、またもやしでかしたアホの末の失敗を恨めしく思うのだった。 山を二つほど越えてやっと、賑やかな街に着いた。地図でこの場所を確認すると、ここは土佐清水市だった。道沿いにお目当ての大きいスーパーがあったので、そこで目的のものを探すが、見付けることはできなかった。 これだけ賑わっている街なら、近くに自転車屋の一つや二つはあるだろうということで、またもやガソリンスタンドで、自転車屋の場所を聞き、その自転車屋へ急いだ。
昼飯時だからか、店内には誰もおらず、大声で3回ぐらい呼んで、やっとこの自転車屋の息子であろう若い兄ちゃんが出てきた。私のマウンテンバイクのタイヤの規格であるフレンチバルブのタイヤチューブはあるかと聞いたが、案の定、ここには無いとのことだった。それなら仕方ないということで、パンクの修理をしてもらうことにした。パンクの修理を始めると、この兄ちゃんのよくしゃべること。話好きな性格なのだろう、修理する手を止めては、話に熱中することもしばしばで、なかなか修理が進まなかった。しかし、たくさん話をしたおかげで、食事の美味しい店と、フレンチバルブのタイヤチューブを売っているかもしれない自転車専門店を教えてもらうことができたのだった。 修理代は千円だった。4年前に博多へ行く時にパンクを修理した店と同じ値段だったため、予想より安くて、お得な気がした。自分で修理すれば、タイヤ用の絆創膏を貼るだけだから、絆創膏代の150円か200円ぐらいで済むのだが、人手を使ってこの値段は安いと思った。この店では、もしもに備えて、修理キットも購入しておいた。 自転車屋の兄ちゃんから聞いた森サイクルは、この自転車屋から400mほど行ったところにあった。森サイクルの外見は、見るからに専門店といった感じで、ここならフレンチバルブのタイヤチューブもあるかもしれないと思った。店内には、私達と同じ歳くらいの兄ちゃんがおり、「フレンチバルブのタイヤチューブはありませんか?」と尋ねると、「あると思いますよ。ちょっと待ってくださいね!」と言って奥へ引っ込んで行った。 しばらくして、奥から出てきた兄ちゃんが持っていたのは、まぎれもないフレンチバルブのタイヤチューブだった。先ほどの自転車屋の兄ちゃんからこの森サイクルのことを聞いて、あればいいなぐらいで、そんなに期待はしてなかったのだが、ここに本当にお目当てのものがあると分かって、いたく感激したのだった。修理キットもあるので、タイヤチューブは一つあれば十分と思われたが、念には念を入れて2つ購入した。これでパンクすることがあっても大丈夫である。 ここの兄ちゃんには、金剛福寺へ行く道と、食事の美味しい店を聞いた。ここの兄ちゃんから聞いた店は、何と!先ほどの兄ちゃんから聞いた店と同じ店だった。この近辺で、一番の繁盛している店らしい。森サイクルから近かったため、寄っていくことにした。その店の名前は足摺食堂である。期待に胸は高鳴った。
普通、かつおのタタキが主役とすれば、薬味なんて脇役でしかないが、ここの薬味は準主役ぐらいと呼べそうなものであった。それも助演男優賞か助演女優賞ぐらいあげたいぐらいの。また、かつおのタタキだけでなく、ごはんも味噌汁もすべてがグッドだった。私が料理評論家だったら70点ぐらいあげてもいいと思った。それぐらいに私もアホの末もその味には十分に満足したのだった。 さすが、地元のテレビや雑誌で度々紹介されるだけの店ではあった。
足摺食堂から1qほど走ると、右手にホームセンターが見えたので、買い物をするためにそこで5分ばかり休憩。休憩を終えて道路に戻り、50mほど走ると、道路が二手に分かれていた。一つは足摺スカイラインといって山を越えていく道、もう一つは、ここまで走ってきた道で、海岸沿いを通る国道27号線であった。 足摺スカイラインを通ると、山を越えるのが辛いが、距離は4〜5qも短くなる。国道27号線を通ると、比較的緩やかな道が多いが、距離は長くなる。走る辛さを考えると、どっちもどっちなので、選択するのにかなり迷ったが、少しぐらい距離が長くなっても、上りが楽な方が良いということで、国道27号線を通ることにした。
これではいけない!ということで、30分ほど歩いたところで、休憩し、側を流れていた山水で顔を洗った。冷たい山水で顔を洗うと、心身共にリフレッシュされたようで、先ほどまで患っていた変な焦りも、なくなり、気が楽になった。「金剛福寺はすぐそこ、焦る必要はない。」と、自分に言い聞かせ、すぐに前進。どうにか、休憩した場所から10分ほどで、山の中の遍路道から抜け出ることができたのだった。 遍路道を抜けるて、少し走ると、ホテルやみやげ物屋の並ぶ賑やかな通りに出た。金剛福寺周辺は観光地になっていることから、金剛福寺は近いものと思われた。それにしても、ゴールデンウィークとはいえ、何と車の多いことか!警察官まで出動して交通整理していたほどだ。 金剛福寺と書かれた看板を過ぎ、ちょっと急な坂を上りきったところに金剛福寺はあった。萩を出発してフェリーと電車を乗り継ぎ、ここまでマウンテンバイクで歩きを交えて走ること33時間。ようやく今回の遍路の最初の納経をする寺である金剛福寺に辿り着くことができた。あまりにも時間がかかり過ぎたため、私もアホの末も既に遍路を終えたような達成感で心が満たされていた。
金剛福寺は、足摺岬の先端にある。室戸岬の最御崎寺とは対をなすような存在の寺だ。金剛福寺といい、最御崎寺といい、前の寺からはとんでもなく距離が離れている。この二つの寺を制覇したことで、八十八ヶ寺の最も移動距離の長い二つの寺を制覇したことになる。これから苛酷な行程の寺はあるにしろ、これ以上の長さを移動することはないと思うと、大分気が楽になった。 金剛福寺は観光地の中にある寺、いや、金剛福寺のまわりが観光地化されたといった方が良いだろう。周りには何軒ものみやげ物屋があり、人で賑わっていた。しばらくは、到着した喜びに浸っていたかったが、次のことを考えると、そうもいかず、境内に至る門の前で、今回初の記念撮影をしてもらい、境内に入った。境内の中もやはり、お遍路さんや観光客で賑わっていた。 山奥にひっそりとたたずむ山寺も好きだが、人が多いと何となく浮かれた気分になるから、こういう賑やかな寺も悪くないと思った。何でも、この寺は境内の広さが12万uもあるらしく、たくさんのお堂や多宝塔など、見所は十分で、じっくり見て回りたいところだったが、ここでも時間の無さが邪魔をして、それは諦めざるをえなかった。私達は観光でここへ来ているわけではないから、それも仕方がないことなのだ。 諦めがつくと、ここでの目的である納経をしに本堂に向かった。そして、いざ納経をする時にアホの末のを見ると、お経帳を見なくてもお経を唱えていることに驚いた。おそらく、家で練習したのだろう、出来は私から見ればまだまだだったが、それなりに格好にはなっていた。とりあえず、暗読できるくらいに、お経を練習したことは褒めてやっても良いだろう。
33時間かけて、ここまで来たのに、この寺に滞在したのはわずか20分余りだった。これで、すぐ次へ行ってしまうのは、時間がないとはいえ、あまりにも味気ない。と、いうことで、この時は暑かったということもあり、アイスを食ってから出発することにした。
選択の余地なく買ったアイスだったが、太陽の陽射しと苛酷な運動で火照った体は、冷たいものを欲していたようで、自分の好みでない味ながらも美味しくいただけた。 アイスを食い終わると、すぐに出発した。次の39番延光寺までは、前日通った渡川大橋のふもとまで同じ道を通って戻って、それから国道56号線を約17qほど走らなければらなければならない。その距離約57q。来た道を戻らなければならないのは、今回が初めてだったし、同じ道を40qも戻らなければならないことは苦痛以外の何ものでもなかった。 しかし、戻らなければ、どうにもならないので、渋々戻ることにした。その際、せめてもの気晴らしということで、サニーロードまでは、少し遠回りになるが、足摺岬の反対側の海岸を通って帰ることにした。 金剛福寺を発ってから10分ぐらいした頃、前方にツーリング用の自転車で、サドルに座ったまま坂を上っている女性を発見した。立ちこぎをしないで、結構な坂を上るのも大したものだと思ったが、若い女性一人で旅をしているような感じに見えたから更に驚いた。 若い女性なら、自動車で買い物やドライブに行ったり、旅行に行ったりとするのが普通というのが先入観として頭にあるから、驚いたのだが、普通の人と違うことをするということが、格好良く思えた。GパンにTシャツという普段着でツーリングしていることに違和感はあったものの、その走りは本物だった。走るスピードといい、サドルに座ったまま坂をスイスイ上ることといい、並の男よりは断然すごいと思った。何だか、彼女の走る姿を見ていると、姐御とその姿がダブって見えたが、実力は姐御の方が上だということは、私達がどんどん彼女に追い付いていることからも、窺い知ることができた。何故なら、坂道では姐御に追い付くことなんてできやしないからである。 とりあえず、目の前の同業者は、抜き去らないと気が済まないので、本気を出して、どうにか抜き去った。本気で走っているので、後ろの彼女の姿はどんどん遠くなっていく。200mぐらい離れたところで、もうこれで追い付かれることはあるまいと余裕をこいていたのだが・・・。
写真を2〜3枚撮るのなんて30秒もかからないから、そんなに差はついてなかったことになる。おそらく、私達に抜かれて必死に走ったものと思われた。彼女もその実力を出し切ってなかったのだ。私達を追い抜かしたことに敬意を払いつつも、抜かれたら、やはり悔しいもので、彼女に追い付くために、私達が抜かれた地点から始まる下り坂を全力で駆け降りたのだった。 坂を駆け降りてから3分もしないうちに彼女の後姿を捉えることができた。彼女は、比較的ゆっくり下っていた。私達は、彼女の後姿を捉えたら、一刻も早く抜き去るために、ペダルを踏む足に更に力を込めた。ブレーキは勿論、ノーブレーキである。いくら、彼女を抜き去るためとはいえ、スピードの出し過ぎには、少し恐くなった。しかし、ガンガンにとばしまくったおかげで、彼女の後姿を捉えてから、大した時間もかけずに抜き去ることができた。 彼女を抜き去ってから、もう二度と追い付かれたくなかったため、ひたすら全力で走った。疲れているのも、ケツが痛いのも忘れるほどに走った。13〜14qはぶっ続けで走っただろうか。途中、何度も後ろを見て、彼女が追い付いてこないかを確認したりもした。 そのうち、アホの末が、緩やかな坂の手前で突然マウンテンバイクを降りた。「お前、何でこんなところで降りるん?」と、アホの末に詰め寄った。アホの末の顔色が悪い。どうやら、風邪をひいて体調が悪いようなのだ。それなら仕方がないと思い、2人でマウンテンバイクを押して歩いた。歩くのに徹していれば良いのだが、歩き始めてすぐに、私はどうしても後ろが気になり、振り返った。なんと、私達の後方400mぐらいのところに彼女が来ているではないか!これは、歩いている場合ではないと思い、アホの末を無理やりマウンテンバイクに乗らせて、すぐに走りを再開した。 追われる恐怖!確か以前にもこんな気持ちを味あわせられた記憶がある。そう、あれは焼山寺に至る遍路道で、新潟の気弱君に追いかけられた時のことだった。あの時も、逃げても逃げてもついて来られて、結局抜き去られたのだが、すごく恐い思いをしたことは今でも鮮明に覚えている。今回も同じめに会いたくない!逃げなければ!そう思うと、疲れきった体にどこからか力が湧いてくるような気がした。持てる限りの力で走った。それでも常に300mぐらいの間隔をキープして彼女はついてくるのだ。いくら、私達のマウンテンバイクよりも速いツーリング用の自転車とはいえ、全力の私達にピッタリついてくるのだから、彼女の脚力もスタミナも大したものだと思った。 それにしても、ずっと私達の後ろについてくるということは、行き先が同じ可能性もあるので、このままずっと彼女から逃げ続けなければならないと考えると、すごく不安になった。ずっと逃げ続けるのは嫌だ!走るのは自分達のペースで走りたい!おまけにアホの末が、そろそろ限界にきていたので、目前に見えた道の駅に寄って彼女をやり過ごすことにした。休憩と言ったら聞こえは良いが、これは事実上の敗北を意味するため、情けないやら、虚しいやらで、どんよりと気持ちが落ち込んだ。ともあれ、これでこの追いかけられる恐怖から解放されたと思うと、気が楽になった。
この時、彼女の顔を初めて見たのだが、その顔を見てまたまた驚いた。彼女は殆ど汗をかいておらず、涼しげな顔をしていたのだ。彼女は、私達と歳が同じか、少し下ぐらいだろうか。思ったよりは若くないし、体型もゴツくもない普通の女性だった。でも、女性でしかもその歳で私達を追い詰める走りをするのだから大したものだと思った。 女性はすれ違う時に会釈をして通り過ぎた。何かもの言いたげそうだったが、声をかけることはしなかった。恐い思いをさせられたから声をかけなかった訳ではない。本当は、何かスポーツをされているのか、何処へ行かれるのかなど、聞いてみたかったのだが、話をすると長くなりそうなのでやめたのだ。 私達が先にここを発つと、また先ほどと同じことになりそうなので、やむをえず、彼女が先に出発するのを待つことにした。待つこと5分、どうやら彼女が先に出発したので、1分ほど遅れて私達も道の駅を出発した。 彼女より遅れて出発したから、これでもう大丈夫と思って走ったら、これが大間違いだった。何と、彼女は私達と同じ方向に進んでいるのだ。今度は、彼女の200m後ろを私達が追いかけるようになった。もう彼女に追いかけられたくないので、彼女に追い付くわけにもいかず、同じ距離をキープしたまま、走るのは苦痛だった。 そのうち、国道27号線からサニーロードへ切り替わる信号機のある交差点で、彼女が信号待ちしているところに追い付きそうになった。信号待ちしている彼女が、こっちを見たので、私の前を走っていたアホの末は、見られたら気まずいと思い、慌てて身を隠そうと、道路脇の路地に入ろうとした。その時に、アホの末が慌てるあまり、マウンテンバイクから転げ落ちてしまったのだ。私は、その滑稽な姿を見て大爆笑してしまった。 その光景は、私達の横に停まっていたバスの乗客も見ていたようで、一同大爆笑していた。また、結局、彼女に転げ落ちた姿を見られてしまったのだから、アホの末の行動は意味のないものどころか、痛い思いをしただけ、かえってやらなかった方が良かったように思えた。いくら彼女の目に触れたくないとはいえ、漢ならいかなる時も冷静でいなければならない。私達の目を楽しませてくれたことには感謝するが、やはりこいつはまだまだである。漢どころか、人間にも遠く及ばない。 信号が青になると、彼女は走って行った。私達と同じ方向のため、まず、信号待ちをもう一度することにし、信号が青になって交差点を渡っても、そこで更に10分ほど時間をつぶすことにした。これまた、情けない行為だが、もう彼女と関わりたくないので、念には念を入れてこうするしかなかったのである。通り過ぎる人々は、信号機の前で延々とたたずむ2人のいかつい男を見てどう思ったことだろう。 どうにか10分ほど時間をつぶして走りを再開。幾ら思いっきり走っても、もう彼女の後姿を目にすることはなかった。マジで、彼女のストロングな走りには驚かされた。大の男でもできないことをやる彼女は、どんなきつい道でも髪をなびかせて、涼しげにスマートに走る彼女は正直、格好良かった。言葉を交えることもなく、ただ、十何qか一緒に走ったような形になった私達だったが、これも良き縁だと思った。私は彼女のことを一生忘れないだろう。彼女こそ四国の姐御だ!
12畳ほどの思ったよりも広い店内には、小さいおばちゃんが一人いるだけだった。どうやらこのおばちゃんが一人でやっているらしかった。私達が店内に入ると、「いらっしゃいませ〜、来てくれて有難うね!」と、満面の笑みで迎えてくれたのだった。私達がテーブルにつくと、「何処から来たの?」と聞かれたので、「山口から自転車で遍路をしに来ました。」と、答えた。おばちゃんは、それを聞くと「へえ〜!遠いところから来たんやねえ。それじゃあサービスさせてもらうからね!」と、言ってくれた。すごく感じの良いおばちゃんだと思った。 おばちゃんは、たこ焼きを焼いている間、私達によく話しかけてきた。私達も、おばちゃんが明るくて感じの良い人だから、楽しんで話し相手になっていた。話が途切れた時は、美空ひばりや石原裕次郎の歌など唄ったりしていたのだが、そのどれもをかなり上手に歌っていた。 たこ焼きを注文してから待つこと15分、やっと目の前にたこ焼きが並んだ。私はすぐにパクついたのだが、アホの末はパクつかずに、たこ焼きの数を数えていた。どうしてそんなことするのかと疑問に思ったので、そのことをアホの末に問うた。アホの末は、たこ焼きを何個サービスしてくれたのかを確かめていたのだと答えた。それを聞いて私は唖然とした。壁に貼られたお品書きには、たこ焼き10ヶ300円と書かれているから、何個サービスされたのかが分かる。数えればすぐに分かるとしても、そんなのを数えるなよと思った。サービスしてくれると言うのだから、サービスしてくれているのは間違いないはずで、何個サービスしてくれるのかはどうでも良いことである。そのサービスしてくれるという気持ちだけ頂くべきなのだ。
私達はおばさんのたこ焼きで腹が満たされ、おばちゃんの存在で、心が癒された。本当に心から感謝していた。このたこ焼き屋に寄って良かったと思った。たまたま入ったたこ焼き屋ではあるが、これも良き縁だった。もう二度とおばちゃんに会うこともないだろうが、話好きで、唄うのが好きで、太陽のように明るいおばちゃんのことを私は一生忘れないだろう。
水車小屋から100mほど行ったところに延光寺と書かれた看板を発見。道がサニーロードから左に分かれていた。延光寺と書かれた方の道に行くか、それとも来た道を戻るか迷ったが、これからすぐに暗くなって走りにくくなることが予想されたので、知らない道よりは、来た道の方が無難ということで、来た道を戻ることにした。 それから走ること30分。やっとこの日のスタート地点である、アカメ館のある公園まで戻った。ここまで何と長かったことか!既に11時間以上の時間が経過していた。アホの末の体調の悪化と同じくして、私のケツの痛みも深刻なものになっていて、その痛み故に走りになかなか集中できなかった。ここまでケツが痛くなるということは今までだったら考えられないことである。肛門の周りの皮膚が火傷をしたように痛い。その痛みは、もしかすると擦り切れているのではないかと思うほどであった。 その原因は間違いなく、サドルの軟らかさにあるであろうことは容易に察することができた。今まで堅いサドルにしか乗ったことがなかったから、軟らかいサドルは私には合わないのだろう。この痛みは、乗り心地の良さと引き換えのものだったのだ。しかし、原因が分かったところで、今さらサドルを替えるわけにもいかず、もう何日かは我慢して乗るほかなかった。 それから走ること20分で、ようやくのこと国道56号線に合流できた。ここまでは、一昨日来ていたので、ここからが延光寺への真のスタートとなる。遍路地図で見ると、ここから延光寺近くのアサヒ健康ランドまでは17qあまり、それぐらいの距離なら、どんなに遅くとも1時間半ぐらいで行けると思ったので、とりあえずそこまで行って、そこで風呂に入ってから、これからどうするかを考えることにした。 国道56号線に合流した時は既に空は暗くなっていた。おまけにアホの末は体調不良、私はケツの痛みと闘いながら走ることを余儀なくされたため、走るペースはかなり遅くなっていた。それでも、休憩すると、気持ちが途切れそうなので、走ることは止めなかった。この状態で、険しい山の中に入って行かなければならなくなったらどうしよう!と、考えたりもしたが、幸いにも多少のアップダウンはあれど、そうなることはなかった。おかげで、1時間でアサヒ健康ランドの4q手前まで進むことができ、丁度通りかかったうどん屋で遅い晩飯にすることにしたのだった。
待つこと10分、注文したものが出てきた。腹が激烈に減っていた私は、すぐにそれを頬張った。しかし、頬張った瞬間、期待は落胆に変わった。不味かったのである。麺のコシのなさといい、つけ汁の薄さといい、今まで食ったうどんの中では、3本の指に入る不味さだった。唯一の救いは、安かったということだが、私の本音としては、高い金をだしても美味いうどんを食いたかったところだ。 行き当たりばったりで店に入るのだから、当たり外れがあるのは仕方がないとしても、外れの店に入った時の気持ちの落胆は大きいものがある。でも、さっきのたこ焼き屋が当たりだったから、これでチャラだと自分に言い聞かせて、一応は完食した。店主のおっさんの元気のなさといい、うどんの不味さといい、この店も反対の意味で、私の記憶の中に残ることだろう。 うどん屋から出て、走りを再開。もうそんなに距離はないので、気持ちにゆとりがあった。しかし、15分ほど走って、もうそろそろかなと思いきや、なかなか健康ランドが見つからない。遍路地図は大雑把なので、正確に自分達が今どの地点にいるのかを把握しづらいため、目標物を見つけにくいのだ。通り過ぎたのか、それとも、もう少し先なのか判断に困ったが、健康ランドのような大きな建物を見逃すわけがないということで、健康ランドが見つかるまで走ることにした。 戸惑ってから走ること5分、左手に煌々と明かりを放つ健康ランドを見つけることができた。 私達が健康ランドに着いたのは、午後9時頃。ここから延光寺までは1qほどということなので、ここで風呂に入ってから、この近場で野宿をすることにした。しかし、この時に雨が激しく降り始めたため、野宿をしたくなくなってしまった。まずは、風呂で汗を流そうということで、健康ランドの中に入り、受付に行った。ここでアホの末が受付のおっさんに、泊まったらいくらになるのか聞いていた。風呂のみは700円で、泊まったら2,000円とのことだった。あれほど野宿にこだわるこいつが、泊まる気でいたとは、よほど体調が悪かったのだと思った。 外は雨だし、風呂に入ってから野宿場所を探すためにまた濡れるのも嫌なので、ここは野宿をやめて、泊まろうということにし、金も2,000円払った。しかし浴場に入って体を洗っている時に、アホの末が「お前、ここに泊まってええんか?根性ないのお。」と言うものだから、私もムキになって、それなら金を返してもらって、これから野宿する場所を探そうやないかと言い返した。
私は、嫌々ながらも本気で、泊まりをキャンセルして野宿するつもりだったから拍子抜けてしまった。それなら私がムキになるようなことを言わないで、このことには触れずにお互いの暗黙の了解にしとけよと、思ったが、私もその方が都合が良かったので、それ以上は何も言わないことにした。全く素直でない奴である。 ここでは、2階のフロアが全て宿泊フロアになっている。連休中ということもあり、泊まり客は多かった。寝る場所も、30人ぐらいが寝られる布団が敷かれた部屋が男女別に一つづつあり、それとは別に、背もたれをフラットにできて、その上で寝られる椅子が50〜60脚ほど置かれている広い部屋があった。フラット椅子で寝る人の方が多かったが、いくらフラットにできるとはいえ、椅子では寝心地が悪そうなので、布団部屋の方で寝ることにした。 寝る前にまずは夜食で腹ごしらえということで、隣のコンビニに行った。ところが、コンビニと思っていたのは間違いで、そこは釣具屋だった。山奥の中の釣具屋ということで、かなり違和感を感じた。おそらく、以前はコンビニだった建物を改装して釣具屋にしたものだと思われるため、コンビニと勘違いしたのだ。中には釣具の他は、釣り客用の菓子パンが2個とポテトチップス、カップヌードル類ぐらいしか置いてなく、今から他所に買いに行く気にもならなかったので、仕方なく、そこにあった菓子パンを全て買ったのだった。 健康ランドに戻ると、アホの末は体調不良を我慢して走って疲れたからか、既に布団の部屋で寝ていた。布団部屋は、30人くらい寝られるスペースがあるのに、アホの末以外は4〜5人しか寝てなかった。こっちの方が消灯もされていて、テレビもないから寝易いのに何故なのだろう?と、疑問に思いながらも、すぐには寝る気になれなかったので、フラット椅子の置かれた部屋で、夜食の菓子パンを食いながらテレビを見ることにした。 ここの部屋の私以外の殆どの者は、既に眠っていた。こんな、明かりが全開に点いていて、大型画面のテレビの音がうるさいところで、よく眠れるなと思った。私も夜食を食って30分もテレビを見ていると、さすがに大移動の疲れから眠たくなったので、歯を磨いて寝ることにした。思いっきり大の字になって床に就くと、やっとここまで来たのだという安堵感と満足感で、胸が満たされた。この2日間、妥協しないで、やることはやったから反省することも、これ以上望むこともなかった。まあ、唯一の望みと言えば、アホの末の体調が少しでも回復して、私の足をひっぱらないようにすることだろうか。 隣で、いつもならガーガーにかくイビキを全くかかずにエビのように背を丸めてうずくまってウ〜ッウ〜ッうなされながら眠っているアホの末を見ると、その望みが叶えられることは難しいと感じた。アホの末にとっては、しばらく試練が続きそうだ。
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