Road To 出雲 第一弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2005年06月11日(土)
塾生達は、私からのイベント中止の連絡を待っていたに違いない。だが、漢塾のイベントは何があっても行われる。事前に塾生達の都合で、開催日が変更されることはあっても、最終決定された開催日が変わることはないのである。
この日は、朝からあいにくの雨。雨は良くない、やる気を殺いでしまう。実際、集合場所に集まった塾生達の眼は、死んだ鯖の眼で、覇気が全く感じられず、「なるべくならやりたくねえ!」という気持ちが見てとれた。それは私も同じだった。が、しかし、決めたことは何があろうと決行し、それを成し遂げるのが漢だ。そして、それを様々なイベントの中で実践していくのが漢塾なのである。過去の幾多の漢塾のイベントで心身共に鍛えられた塾生達は、そのことを分かっていた。だから、走る直前には、すっかり「やるしかねえ!」モードになっていた。
準備体操をし、午前7時20分頃に萩市役所の前庭駐車場から出発。ここから長いランが始まった。最初の給水ポイントである越ヶ浜小中学校前では、まだまだ全員元気な様子。続く、大井の入口付近の給水ポイントでも誰も遅れる者はおらず、問題はないものと思われたが、次の給水ポイントである奈古の道の駅では、私と吉田が足の痛みを訴え、他の3人から遅れることとなった。
私は、奈古の道の駅を出発し、1㎞ほど行ったところにある上り坂の手前で、膝の痛みから走ることを早めに断念した。萩を出発してから16㎞ほどで走りを断念することは情けなかったが、これまでの俵山ランや角島ランと違い、事前に走りこみを全くやっていなかったから当然の結果だった。
ここから早歩きに変え、皆をおいかけた。私が歩きに変えてから、岡田や小野といった強者はすぐに視界から消えた。ここから田万川の道の駅までは26㎞ほどあるため、到着時間は2~3時間は違うものと予想できた。
歩いていて思ったのは、阿武町は何と長い町であるかということである。奈古から須佐との境の惣郷までは20㎞はあるだろう。そのあまりにも長い海岸線を歩いて、うんざりすると同時に「まだ阿武町か終わらんのか!」と腹を立ててばかりいたのだった。
小刈トンネルに至る上り坂の手前で、給水した時にアホの末から10分か15分前に山ちゃんが、ここを出発して行ったということを聞いた。山ちゃんも、足の痛みから既に歩いているとのことだった。10分か15分ぐらいの遅れならば、1㎞ぐらいしか離れてないから、もしかすると、追い付けるかもしれないと思った。しかし、歩いているとはいえ、最初の走りで痛めた膝がますます痛くなってきていることもあり、それは無理かもと思ったが、追い付くことを励みに頑張ってみることにした。
小刈トンネルを抜け、大刈トンネルに突入した時には膝を庇って変な歩き方をしたあまりに、太腿や足の裏や腰までが痛くなってしまった。大刈トンネルは1469mも長さがあり、車の廃棄ガスと騒音で、とても居心地が悪く、早く脱出したいと思ったが、最悪にもトンネルの真ん中辺りで、足のつま先が攣ってしまった。こんな環境の悪いところに留まりたくもないので、無理やりに足をひきずって進んだ。5分もすると、つま先の攣りも解消されたので、もとの歩き方に戻した。
痛みを少しでも和らげるには、どういう歩き方をしたら良いかと、いろいろと試しながら歩いた結果、背筋をピンと伸ばして、なるべく膝を上げないで地面に擦らすようにして歩いたら良いということを発見し、以後この歩き方で歩くようになった。その結果、大幅にスピードアップし、大刈トンネルを抜け、須佐トンネルを抜けたところで、前方300mのところに山ちゃんを発見、坂を下りきったところで、見事山ちゃんに追い付いたのだった。
須佐駅の手前の給水ポイントには、岡田と小野も来ていた。何と、この2人は既にゴールしていたのだった。岡田は、12時50分頃、一番のりでゴールしたというから、ここからゴールまで8㎞ぐらいあることを考えると、私達より3時間近く早くゴールしたことになる。さすがである。両者とも、苦しみから早く解放されたことが羨ましかった。私達はもう2時間苦しまなければならないと思うと、ブルーになってしまった。
山ちゃんに追い付けたので、ここからは山ちゃんと話ながら歩いた。話す方に気がいくと、足の痛みも幾分か和らぐような気もした。ふと、山ちゃんの歩き方を見ると、片足を引き摺るようにして歩いているではないか。足が痛いながらも、普通の歩き方ができる私よりは、山ちゃんの方が重症だと思った。
田万川に入る直前の給水ポイントでは、私達よりも遅れている吉田の近況を聞く。私達より遅れること30分で、頑張って歩いているとのことだった。そして、驚いたのが、アホの末の車に小野が乗っていなかったことである。「どうしたのか?」と聞いたところ、吉田に付き合って一緒に歩いているとのことだった。それを聞いて驚いた。まだ歩けるだけの余力があるということもすごいが、その思いやりのある行為の方がもっとすごいと感じたのである。さすがである。
それから1時間ほど歩き、田万川に入り、ゴールの3㎞手前で最後の休憩をする。既に足は、どこが痛いか分からないほどに痛んでいた。足を動かすのも辛いぐらいだった。 座ってゆっくり休んでいたいところだったが、あまり長く休むと歩けなくなる気がしたので、すぐに出発した。
田万川温泉まで1.5㎞という看板が見え、それから少し歩いて道の駅まで1.3㎞という看板が見えた時は、もうすぐだ!という気になったが、歩く速度が極度に遅くなっていたため、看板から道の駅までのわずか1㎞ちょっとの距離がとてつもなく長く感じた。それでも、進みさえすれば、いずれはゴールするもので、出発から8時間ほど経った午後15時25分にゴールできたのであった。
この時は、8時間ぶっ通しで体を動かし続けた肉体的疲労感よりも、足の痛みに耐え続けた精神的疲労感の方が勝っていた。故に、42㎞を完走した喜びや達成感よりも、苦痛から解放された解放感の方が実感として強く残った。
最後まで走りぬいた岡田も小野も見事ならば、初めての挑戦で完走した吉田も、足を引き摺りながら完走した山ちゃんも見事だった。それに比べて、完走はしたものの、最後まで走りぬけなかった私は不甲斐なかった。もう、痛い思いはしたくないから、次回までに十分な走りこみをしておくことが必須である。
萩から田万川までは、出雲までの5分の1。先はまだまだ長い。
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