四国八十八ヶ所 自転車遍路(第二弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2004年10月07日() ~ 2004年10月11日()

一日目 (2004/10/7)

出発

仕事を終えて、ピンポンダッシュで家に帰り、筋トレと出かける仕度を急いで済ませて、予定の午後9時にはどうにか家を出発した。 我が家には車が1台しかないので、親父から軽トラを借りたのだが、エンジンの音がうるさいだけで、スピードのでないこと、でないこと。おまけにCDもついてないし、話す相手もいないので、柳井までの距離がとてつもなく長く感じた。

末の寮~柳井港

041007_0028午前12時前に末の住んでいる寮に到着。末は既にいつでも出発できる状態で待っていた。今回は、前回よりも2時間早い便に乗るので、到着してゆっくりする間もなく、すぐに出発した。末の寮を出発してすぐに、私の自転車の後輪のギヤの調子が悪くなり、その修理に手まどってしまう。

041007_0055柳井までの孤独なドライブで、苛立っていたから、ぶっ壊してやろうかとも思ったが、それをすると、遍路ができなくなってしまうので、思いとどまった。油で手を真っ黒にしながらも気を鎮めて修理をしたおかげで、どうにか自転車は走れる状態にはなった。しかし、ギヤの調子が良くないことに違いはない。今はどうにか走れても、この先、また同じようにならないかと、すごく気になった。

出港15分前に柳井港に到着。前回は、ゴールデンウィーク真っ只中だったので、人も車も多かったのだが、今回は平日の夜中ということで、人も車も少なかった。

041007_0116フェリーに乗り込み、自転車を所定の位置に置いて、仮眠室の一番良い位置を陣取り、話もせずに寝っ転がった。前回の経験から、眠れる時には眠っておかなければ、次の日が辛いということを分かっていたからだ。柳井まで運転したから疲れていたのか、すぐに眠りに落ちたように思う。お馴染みの「南瀬戸内海~・・」という到着10分前に流れるアナウンスが、流れる1分前に目が覚めた。私は、自分が起きると決めた時間の最低1分前までには必ず起きることができるのだ。

ぐっすり眠れたのだが、2時間という睡眠時間は全然物足りない。しばらくは、目がショボショボ、頭がボーッという状態が続いた。その状態も、外に出ると、寒さで吹っ飛んだ。10月の夜中ともなると、寒い!船底の格納庫で、フェリーの扉が開くのを待つのだが、大型トラックと並んで待つので、非常に怖い。自分の真横に自分の背丈ぐらいの大型トラックのタイヤがあるので、運転手が自分達に気付いていないと、踏み潰されるのではないかと、すごく不安になる。

三津浜港に着いて、扉が開くと、船員が先に私達を誘導してフェリーから出させてくれたので、私の不安も杞憂に終わった。

三津浜港~松山駅

041007_0344三津浜港には午前3時40分頃に到着。5ヶ月ぶりの四国だ。まさか年内に再び四国に上陸できるとは思っていなかったので、喜びも一入だ。

だが、午前5時10分の特急に乗らなければならないので、感慨にふけるのもほどほどに、松山駅に向けて出発した。まだ、日が昇ってないので辺りは真っ暗だが、松山駅までの道中、やたら人に出会った。こんな時間に何故?と疑問に思ったが、祭りのハッピを着た者が多いことから、祭りがあったことを悟った。もう半日早く、ここに来ていれば、祭りを見れていたかと思うと、少し残念だった。

松山駅までは、前回の遍路で往復しているので、難なく着いた。前回、着いた時間よりも1時間半も早い到着だ。前回よりも時間が早いのと、日が昇るのが遅くなっていることで、辺りは真っ暗で何も見えない。それでも、朝一の特急がくるまで、時間がないので、急いで、自転車を解体して輪行バッグに詰めた。これも、前回にやっているので、手際良くできた。

041007_0416自転車の輪行バッグ詰めが早く出来たので、駅の構内ブラブラしていると、気になる看板が目についた。どうやら台風18号のおかげで、途中の区間が不通になっているらしいのだ。不通区間は、バスで代替運転をしているらしい。

これは、予定が狂ってしまった。順調に電車を乗り継げば、午前10時30分頃には、前回、遍路を打ち止めした日和佐駅に着く予定だったのだが、途中バスに乗り換えることで、かなり時間がロスすることが予想される。「こんなの聞いてないよぉ~」という気持ちになったが、文句を言っても、そうするしかないのだから、仕方あるまい。漢は、何があろうと動ぜず、自分に降りかかることは、黙って受け止めるのだ。そう気持ちを切り替えたら、バスに乗れることが嬉しくなった。だって災害とか、よほどのことが無い限り、こんなことはないのだから。

特急 松山駅~新居浜駅

041007_0557予定どおり、午前5時10分の特急に乗る。新居浜駅でバスに乗り換えるまで1時間10分。寝てしまったら、寝過ごしそうなので、起きていることにした。前回は普通電車だったので、座席は悪いし、各駅停車なので、遅くてストレスが溜まったが、今回は金をケチらないで特急にしたので、全ての面で快適である。

041007_0603乗ったばかりの時は、外を見てもまだ暗かったが、午前6時前ぐらいになると、日が昇ってきて明るくなった。雲が多いものの、朝焼けが非常に綺麗だ。朝焼けなんて、普段はまず見ることがないから、しばらくその美しさに見とれていた。

この綺麗な朝焼けが、我々の今回の運命を示してくれているとしたら、縁起が良いのだが。

バス 新居浜駅~川之江駅

041007_0625午前6時20分頃、新居浜駅に着き、人の群れに混ざってバス乗り場を目指す。駅から外に出て驚いた。20台以上の大型バスが駅前のロータリーにずらっと並んでいるのだ。10分おきぐらいに電車が来るし、今から通勤、通学の時間帯になるのでこれぐらい台数がないと間に合わないのだろう。

電車一便に対して、バスが3台~4台づつ運行しているから、大きさからいって当たり前のことだが、電車の人を運ぶ能力ってすごいなと思った。バスの中に入ると、高校生が多いように感じた。まだ午前6時半にもなってないのに、遠方の高校に通う学生は大変だ。

バスでの移動中、外の景色を見ながら、阪神大震災の時も神戸~福山間の新幹線が不通になって、この区間だけバスに乗ったことを思い出していた。まだ10年も経ってないのに、この時のバスの中のことは全然覚えてない。ただ、乗ったという記憶しかないのだ。今回のことは、忘れようもないだろうが、貴重な経験なので、よく覚えておこうと思った。

特急 川之江駅~高松駅

041007_0817バスでの移動は、高速道路を通ったので、40分ぐらいだった。川之駅で、かなり電車を待たなければならないと思いきや、殆ど待つこともなく、特急に乗ることができた。時刻も午前7時15分頃なので、これはもしや予定どおりに日和佐に到着できるのではという気になった。

気持ちに余裕ができたので、高松駅に着いたら、前回、立ち寄った、あの構内のうどん屋で朝飯を食うことにした。かなりハイレベルな味のうどんであったし、腹も減っていたから、高松駅に着くのが、かなり待ち遠しかった。しかし、高松駅に着いて、電車の乗り換え時間を確認すると、わずか7分しかない。それっぽっちの時間でうどんを食って、電車に駆け込むというのは無理がある。次の電車にしようかとも考えたが、そうすると、30分以上待たなければならないし、次の乗り換えにひびくと思ったので、断腸の思いで、うどんを食うのを諦めた。

高松駅~徳島駅~日和佐駅

041007_1043うどんを諦めたおかげで、電車に乗り遅れることもなく、良い席もGetできたのだが、なかなか諦めがつかない。それは、末も同じようで、2人で、「もっと美味い店があるやろう!」とお互いに言い聞かせて、納得しようとしていた。

窓から外を見ると、懐かしい風景が広がっている。おそらく、前回、下車した板野駅周辺であろうことは容易に察しがつく。「前回はここから始めたんだよなあ。」と、当時のことを思い出していた。懐かしくて、思わず、途中下車したい衝動にも駆られてしまった。しかし、下車はできない。同じところに留まるわけにはいかない、自分達は先へ進んでいるのだから。

1時間ほどで、徳島駅に着くと、今度こそは、電車を待たなければならないのではと覚悟を決めたが、ラッキーなことに殆ど待つことなく、しかも日和佐に停車する数少ない特急に乗ることができた。おかげで、途中でバスに乗るという予定外のことがあって、乗り換えが増えたにも関わらず、予定通りの時間に日和佐に着くことができた。

本当にラッキーだ。これも自分の日頃の行いが良いからだろうか。

日和佐駅~セルフうどん

041007_1105駅を出ると、さっそく自転車の組み立て開始。10分ほどで、組み立て終えると、すぐにセルフうどん目指して出発した。激烈に腹がへっていたからだ。

セルフうどんは、駅から500mほど離れたところにあり、すぐに着いたのだが、店がまだ開いてなかった。どうやら開店時間は午前11時らしく、そんなに待つこともないので、店が開くまで待つことにした。店の外で座って待っていると、店の人がそれに気付いたらしく、早めに店を開けてくれた。またしてもラッキーだ。

具のトッピングをどれにしようか迷ったが、結局、以前この店で食べたのと同じ具のトッピングにした。私には、気にいったら、そればかり食べるという変な習性があるらしい。

腹がへっていたので、殆ど噛むこともなく、一気に胃の中にかき込んだのだが、以前食べた時ほどの感動がない。腹がへっているのに大して美味くない。以前は、あれほど味に感動していたのに、一体どうしたことだろう?これなら、地元の「○○どん」という店のうどんの方が全然美味いと思った。その原因が、舌が肥えたのか、食べたのが2回目だからかは分からないが、期待していただけに残念だった。

遍路開始

041007_1135期待はずれだったとはいえ、腹は満たされた。寝不足ではあるが、走る気も満々だ。空に真っ黒な雲が立ち込めて、今にも雨が降り出しそうなのが気になるが、この日は、室戸岬までの84㎞を走りきる予定でいたので、店を出るや、すぐに遍路を開始した。

しかし、遍路を開始して気持ちよく走っていたのも束の間、すぐに雨が降ってきたので、自転車を降りてリュックにレインカバーをかけた。かなり降っているので、雨のやむ気配はない。「いきなり濡れんといかんのかよ!」とぶつくさ言いながらも、時間を無駄にするわけにはいかないので、すぐに走行再開した。

雨は良くない。目の中に雨が入って痛いので、下を向いて走るようになるため、周りの景色を楽しむ余裕もないし、何よりも気力を萎えさせるのがいけない。雨のおかげで、気持ちが切れて途中で、何度も自転車を降りてやろうかとも思ったが、いちいち降りていたら晩までに室戸岬に着くのは不可能なので、我慢して走り続けた。

30分も走ったころだろうか、更に雨は前が見えなくなるほどに強くなったので、通りかかった休憩所で、やむなく雨宿りをすることにした。国交省が道路脇に設置した休憩所らしく、国交省のネーム入りタオルやら、救急箱などが置いてあった。丁度、タオルを持ってくるのを忘れて、どうしようかと思っていたので、有難く2枚ほどいただくことにした。

走っていると、こういう休憩所はところどころに目につくのだが、いざ休憩しようかという時には非常に役にたつ。そういうとこは、お遍路さんのことをよく考えているなと感心させられた。

またどしゃぶりに!

10分ほどすると、雨も幾分かはおさまってきたので、ここぞとばかりに出発した。しかし、出発して1分もしないうちに、またどしゃ降りに。そんなに度々休憩するわけにもいかないので、嫌々ながらも自転車をこいだ。

行けども、行けども山の中。おまけにどしゃぶりの雨だし、はっきり言って楽しくない。まだ走りだしてから16㎞~17㎞ほどしか進んでないのに、気持ちが切れまくって、走ることに集中することができない。

これではいけないと思い、通りかかったスーパーで、食料補給とデジカメの充電のために2回目の休憩をすることにした。デジカメを充電している間に、燃料補給したり、馬鹿なことを言い合ったりして、気持ちを立て直すことに努めた。おかげで、充電が終わる頃には、厚く垂れ込めた雲の隙間から、太陽も顔をのぞかせたこともあり、大分気持ちは立て直せた。

でたあ!

041007_1259気持ちが立て直せたところで出発。一時的には止んでいた雨が、「待ってました!」とばかりに降ってきた。気持ちが前向きになっていたので、「こんなの構っていられるか!」という感じで、黙々と自転車をこぐことに専念出来た。

しばらく走ると、懐かしの遍路道の看板が現れた。この看板を見た以上、遍路道に突入しなければならない。覚悟を決めて、遍路道に突入した。毎度のことながら、遍路道というものは、道が険しい。また、雨で道がぬかるんでいることもあり、非常に歩きにくく、おまけに、以前の台風での倒木がたくさんあり、それを乗り越えたり、くぐったりして進むのは、とても面倒臭かった。

041007_13151㎞ほど歩くと、眺めの良い開けた場所に出たので、ここで少し休憩をしてから、一気に遍路道の出口近くまで進んだ。出口の付近は、道幅が70~80cmしかなく、しかも道の横は山肌が剥きだしになった絶壁だった。「こりゃあ、踏み外したら、多分あの世行きは確実だな。」と、冷や冷やしながら、慎重に慎重に歩を進めた。

慎重に歩を進めたおかげで、互いに事なきをえたのだが、途中で何度も、「前を歩いている末を押したらどうなるだろう、押してみようかな。」という衝動にかられた。私には、どうもそういう、つまらない衝動にかられる時が、時々ある。衝動にかられるだけで、まだ実行したことはないのだが、実行したら間違いなく刑務所行きなので、衝動にかられるだけにとどめておかなければならない。

今回初の遍路道は30分ほどで終わった。まだ軽めのやつだし、始まったばかりで体力も十分に残っているから、どうってことないが、この先もたくさんあるのだろうと思うと、少し気が重たくなった。

041007_1319遍路道を終え、やっと舗装された道に出たと思ったら、100mも走らないうちに、もう次の遍路道の看板が!何があろうと、遍路道を通ると決めているので、渋々遍路道に入った。

この遍路道は、先ほどの遍路道より道の状態が悪い上に、藪が多いので、更に歩きにくい。おまけに蚊の野郎どもが、「待ってました!」とばかりに群がってくるので、めっちゃ鬱陶しい。しかも、ここの蚊はすごい一回吸い付いたら、少々振り払っても、吸い付いたままなのだ。普段、なかなかご馳走にありつくことができないからなのか、ここの蚊はすごく逞しいように感じた。

この逞しい蚊のおかげで、遍路道を抜ける頃には、かなりやられてしまって、あちこちが痒かった。しかし、こっちもやられっ放しではない。おそらく20~30匹はつぶしたはず。手に残る無数の蚊の死骸が、その激戦を物語っていた。

その蚊の死骸を見て思い出した。前回お世話になった栄タクシーで、私が手にとまった蚊をつぶしたら、一緒に泊まっていた女性から「殺生はいけないよ!」と諭されたことを。その時は、「殺生はいけないのは分かるけど、蚊は普通、つぶすやろう。」と、くってかかった。むやみに殺生するのは確かに良くない。でも、やたらその言葉を振りかざすのもどうかと思った。確かに自分は他の動植物の命を頂いて生きている以上、殺生していることになるだろう。だから自分に食べられる動植物に対しては、「ゴメンね!有難くあなたの命いただかせていただきます。」と、いつも感謝の気持ちでいる。

しかし、蚊やゴキブリには何の世話にもなってない。この世に一切無駄なものは無く、こいつらにも、もしかしたら、何らかの存在意義があるのかもしれないが、今のところそれは分からない。だから、今後も蚊やゴキブリを見つけたら、遠慮なくつぶす。

でも、あの女性の言うことも分かるから、自分に危害を加える場合と、自分の家で見つけた時だけに限定するつもりだ。

雨宿り

041007_1327遍路道から舗装道に出る頃には、また雨がひどくなった。リュックにはレインカバーをかけているから大丈夫だとは思ったが、ポケットに入れた財布や携帯電話が濡れてないか気になったので、少し走ったところにあった高架の下で休憩をした。

すぐにポケットから財布と携帯電話を取り出したところ、両方ともグショ濡れであった。携帯電話は、壊れてなかったから良かったものの、財布の中のお札はビショビショに濡れてくっついていた。これは、いかんということで、ビニール袋の中に財布と携帯電話をいれて、しっかり防水対策をした上でポケットの中に入れた。

高架下からは海が良く見える。これが、晴れのときだったら、天気が良ければ、すごく良い眺めなんだろうなと、2人で話した。

高架下なら、雨もしのげるから、今日はここで野宿しようかともいう話になったが、まだ30㎞も進んでないのに、それは早すぎるだろうということになり、その話は却下された。

10分ほど休憩して、再びいつまでも、やみそうにもない雨の中に再び突入していった。

海の遍路道

041007_1353_005㎞も走ると、また遍路道の看板が。先頭を走っている末は、遍路道の、あの小さい看板を上手に見つける。少しくらい見逃してもいいのにと思うが、決して見逃すことはない。

さすがは、私の右腕である漢塾の参謀だ。おかげで、一つも漏らすことなく遍路道を通るようになるので、嬉し悲しだが、非常に良い仕事をしてくれているように思えた。今度の遍路道は、今までのと違った。山を登っていくのではなく、いきなり海に向かって下っていくのだ。その下る斜面の急なこと急なこと!何度も滑っては転ぶを繰り返した。

急な斜面を下りきると、目の前に砂浜が開けた。どうやらこの砂浜を海に沿って歩いていかなければならないようだ。砂浜では、おじさん2人が釣りをしていたが、いきなり山から自転車を抱えて私達が現れたので、驚いていた。驚くおじさん達を尻目に砂浜をサクサクと歩く。しばらく歩くと、岩場が現れて、行き止まりかのように見えた。ここで、行き止まりかと思ったのだが、この岩場を越える以外、他に進めるような道は見当たらない。周りに遍路道の看板もないし、おそらくこの岩場を進むのだろうと決め付けて、先に進むことにした。

歩きでも困難な岩場を自転車を抱えて歩くわけだから、岩場を越えることは困難を極めた。ましてや岩場には波が打ちつけて、滑りやすくなっているので、少しでも滑ろうものなら左下の海にドッボーン!である。

先ほどの絶壁のあった遍路道と同様にドキドキしながら慎重に慎重に進んだおかげで、どうにか無事、岩場を越えることができた。

この時、またしても、「末を押したらどうなるだろう。」というつまらない衝動にかられた。しかも、今度は、海に落ちても濡れるだけで、怪我をしても軽症で済むから、本当に押してみようかと、末の背中に右手が伸びかけた。しかし、結局は押さなかった。やはり、自分の中の良心が勝ったのだ。この時ばかりは、後ろから押したいという衝動に打ち勝った自分を褒めてあげたかった。

岩場を越えると、再び砂浜が開けた。行けども、行けども砂浜が続く。さすがに遍路道の出口は何処だろうと不安になった。遍路道の看板もないし、どう考えても先に出口が無さそうなので、丁度見つけることが出来た階段から上の国道に出ることにした。

下を見ると、先は行き止まりになっているようなので、出口は、この階段で良かったのだと確信した。

ハンガーノック

041007_1526海の遍路道を終えると、しばらくは、国道をひたすら走った。山あり谷ありの起伏のある道だが、自転車を抱えて、押して歩く遍路道よりは楽だし、移動するスピードも断然速い。走り出してから30分ぐらいは集中できて、良いペースで走れていたのだが、それを過ぎたくらいから、先頭を走る末のペースが落ちてきたのが目に見えて分かった。

どうしたのだろう?と休憩している時に聞いたら、どうも調子が良くないと言う。どういう具合に調子が良くないのかと尋ねると、力が出ないのだと言う。それは、間違いなく腹が減っているのだろうということで、途中でコンビニか食い物屋があったら寄ることにした。

幸いにも、休憩場所から、そう遠くないところにコンビニがあったので、迷わずに店内に入ってラーメンや肉まんなどの食料を調達した。私も腹が減っているには減っていたのだが、末のそれは私を上回るらしく、ものすごい勢いで、調達したものをガッついていた。私より先に食い終えてもなお、私が食うのを羨ましそうに見つめていたので、気の毒に思って、2つある肉まんのうちの1つを恵んでやった。「本当にもらっていいのか?」と何度も聞くので、「ええから、ええから」と言ってやると、すごく美味そうに与えた肉まんをペロリと平らげた。それを見たら何だか、すごく良いことをした気分になった。また何か恵んでやろうという気にもなった。しかし、人のしてくれたことへの有難みの分からない奴なので、有難みを分からせるためにも、ものを与える時にはタイミングをよく考えないといけない。

お互いに暖かいものを腹一杯食べたので、体も温まり、またやる気になったようだったので、気持ちと体の熱が冷めないうちに走りを再開した。

高知県突入!

041007_155015分くらい走ってトンネルを抜けると、「高知県」の看板が見えたので、記念撮影をした。やっと高知県に入ったと思って喜んでいたが、喜んでばかりもいられない。まだ半分しか来てないのだ。室戸岬までは、あと40㎞以上残っている。この時、時刻は、午後16時前。10月ともなると、日が暮れるのが早い。なるべく日が暮れるまでに目的地に着きたいので、走るスピードを上げた。

道路横には1~2㎞おきに室戸岬まであと~㎞という具合に標識が立っているので、どのくらい近づいているのかという良い目安になる。あと40㎞という看板を見たところで、山の中の道から海沿いの道に突入した。手持ちの資料を見ると、ここから26㎞ほどは、民家も民宿もコンビニもないという。

確かに走っていても、左手には海、右手には山しかない。たまにポツンとガソリンスタンドや工場があるだけだ。雨をしげるような休憩所もない。これは、何が何でもここは早々に抜けなければならないという切羽詰った気持ちになったので、途中で休憩することもなく、全速力で自転車をこいだ。

しかし、さすがに26㎞も続く不毛の区間といわれるだけあって、行けども行けども、同じ景色だ。海沿いの道で、見通しが良く、遥か先まで道が続いているのが見えるため、自転車をこぐこのが嫌になった。走りながら、ここも晴れていたら、天気が良ければ、かなり景色が良いところではないかと思った。このまま何もない、ずっと同じ景色が続くのかと思いきや、1時間も走ると、小さい集落と漁港が見えてきたので、とりあえず、漁港で休憩することにした。

どうする?

041007_1708漁港に着くと雨はますます強くなった。午後17時を過ぎて、辺りが暗くなっていることもあり、気持ちが沈んでしまい、思わず、ため息をついてうなだれてしまった。

この濡れた体をどうする?どこかに雨風をしのげる所はあるのか?飯はどうする?という問題があり、とてもではないが、野宿なんて不可能だ。これは、宿に泊まるしかないということになり、宿を探すことにした。

といってもこの近辺での宿ではない。室戸岬の近辺での宿だ。室戸岬までは、ここからまだ20㎞以上ある。この近辺で宿を探したいと、渋る末を説得した。私だって早く休みたい。でも、自分の性格上、きりの良いとこまで行かないと気が済まないのだ。

凄すぎる!

041007_1725覚悟を決めて、漁港を出ると、待ってました!とばかりに更に更に雨が強くなった。今度の雨は、今までのどしゃ降りとはレベルが全然違う!1時間に100㎜ぐらいは降っているのではなかろうかと思われる、超どしゃ降りで、道路はあっという間に池のようになってしまった。さすがに池のようになった道路では自転車をこぐことができないので、道路より50㎝ほど高い歩道を走ることにした。さすがに歩道の上までは水が上がってこなかったが、強すぎる雨で前がよく見えないし、末の2mぐらい後を走っているので、末の自転車の後輪が跳ね上げる水しぶきが顔にかかって、鬱陶しいったらない。

その猛烈過ぎる雨が弱くなるまで、30分ぐらい要した。しかし、その間も走るペースは落とせど、走ることはやめなかった。

雨が弱くなって、少し放心状態になったが、それでも走り続けた。なるべく宿に早く着いてくつろぎたいからだ。午後18時を過ぎて、辺りは既に真っ暗になっている。人間って、暗いところに居ると明かりを求めるようになる。それは誰でも当然そうなのだが、この辛い状況下では尚更そうだった。明るい方へ、明るい方へ、ただ室戸岬の宿を目指して走り続けた。どこに泊まるというあてはないし、室戸岬の近辺に宿があるという保障もない。あるのは、「行けばなんとかなるさ!」という気持ちだけ。

いつも「なんとかなるさ!」という気持ちでやってきた。実際、経験上良くも悪くも何とかなってきた。さすがに目の前にトラがいて逃げられない状態ならば、「なんとかなるさ!」なんて思えないだろうが、大抵のことは、やるだけのことをやって、後は「なんとかなるさ!」と天に任せておけばどうにでもなるのではないだろうか。

この時、室戸岬に着いて、近辺に宿がなかったら!というネガティブなことは全く考えてなかった。

ここだ!

ノンストップで走り続けたおかげで、午後18時20分頃には室戸市に突入した。室戸岬まではどれくらいの距離があるだろうと、ガソリンスタンドで遍路地図を広げると、何と室戸岬の最先端の24番 最御崎寺に最も近い宿として、室戸荘という民宿が載っていたのだ。ここの民宿からだと、24番 最御崎寺まで2.5㎞ぐらいらしい。ここだ!と思い、室戸荘までの5㎞の道程を急いだ。

自分の思うような宿は見つけた。あとは、客が満員でないことを祈るばかりだ。

ついに到着!室戸荘

041007_195215分ほど走ると、ようやく目当ての室戸荘に到着した。思っていたとおりの古くてひなびた民宿だ。宿の明かりが、暗がりを走ってきた自分達には嬉しい。駐車場に車が1台しか止まっていないことから、これは余裕で泊まれる!と思った。

宿の中に入って、「ごめんください!」と言うと、若い番頭さんが出てきた。私達を見ると一瞬、ギョッとしていた。ゴツいビショ濡れの男が2人もいきなり来たのだから、それも当然かもしれないが、すぐに笑顔で出迎えてくれた。

この日は、私達以外に1人の泊り客しかおらず、余裕で宿泊することができた。1泊素泊まりで、4000円、朝食が500円だという。このボロい民宿で、素泊まりで4000円は少し高いようにも思えたが、泊まれるだけでも有難いので、仕方あるまい。一応、翌日の朝食もお願いした。有難いことに自転車は玄関に入れさせてもらうことができた。

部屋は、10畳ぐらいの広さで、2人で寝るには、広すぎるくらい。とりあえず、荷物を降ろして、腰を下ろした。建物が古いので、窓の隙間から隙間風が入って、おまけに畳もミシミシするが、そんなことは大した問題ではない。この時は、雨風をしのげて、暖かい布団で寝られるということで、この上ない幸せを感じていた。

食う!

041007_1848晩飯は付いてないし、食いに出かけるところもないので、昼にスーパーで購入した菓子やらパンやらを食った。こういう疲れて、体が冷え切っている時は、温かい鍋物なり、熱いラーメンやうどんでも食いたいところだが、ないものねだりはできない。昼にスーパーで購入してなかったら、食うことさえできなかったのだ。そのことを念頭において、あるものを有難くいただいた。

食いながら、さっそく翌日の天気予報をチェックしたのだが、降水確率を見ると、ため息が出た。

広げる!

041007_1851レインカバーを外すして、リュックな中身を広げると、リュックの中にまで雨が浸透していたらしく、濡れているものが結構あった。それをハンガーに架けて干したり、床に広げたりして乾かすことにした。

レインカバーをしてもリュックの中にまで雨が浸透するとは、すごい雨だったのだと、今さらながら驚く。これは、雨対策をしなければと思い、衣類や書類をコンビニのビニール袋に入れてからリュックの中に入れることにした。

風呂!

041007_1955_00やることをやってから、待望の風呂に入る。風呂は普通の家にある風呂と同じサイズで、あまり大きくない。しかし、贅沢は言ってられない。風呂に入って温まることができるだけで十分だ。雨に濡れ続けて、体の芯から冷え切っていたので、普段、長風呂はしないのだが、結構長く湯に浸かっていたように思えた。

長く湯に浸かっていたおかげで、体は温まったのだが、寝不足で80㎞以上移動した疲れがドッと出てしまった。

記録~坐禅!

041007_2004風呂から上がって、まずは、この日の出来事を忘れないうちに記録した。こういうことは、まめにキチンとやっておかないと、何処で何があったかを忘れていまうからだ。

記録が終わると、心身の調和の乱れを整えるために坐禅をした。といっても、半跏趺坐ができるようになったのを末に見せびらかしたかっただけで、しばらくして足が痛くなると、すぐにやめた。坐禅の型はどうにか出来るようにはなったが、まだまだ坐禅そのもを出来るようにはなってないのだ。

そのまま寝てしまいたかったが、まだ寝るには早いので、テレビを見たり、話をしたりして、やっと得ることが出来たくつろぎの時間を謳歌した。

日頃の行い

寝る前に、「今日ここまで無事辿り着くことが出来て、しかも24番 最御崎寺に近い絶好の場所にある室戸荘にとまれたのも、俺の日頃の行いが良いからやなあ。感謝せえよ!」と末に言った。

末はうんうんと頷いて、「俺は、今日の天気が悪くなったのが、お前のお陰で、ここまで無事に来れたのが、お大師様のお陰と思うぞ。」と言った。「いいや!無事に来れたのは、俺のお陰や!」と言っても、「いいや!お大師様のお陰や!」と言って聞かない。こいつは、昔から強情だった。

今までどれだけ、日頃の行いの悪いこいつが、私の行いの良さに助けられたことか。私に対していくら感謝しても、し足りるものではないだろう。本当は私に対して感謝しているのかもしれないが、もっと私に対して素直になって欲しいものだ。

この時、「俺のお陰だ~いいやお大師様のお陰だ」という漫才のような掛け合いは、遍路の間中続くことを容易に察することが出来た。私の性格上、気に入った文句は何度もしつこいくらいに言うし、アホの末も、それによく応えるからだ。

昔からお互いこうだった。32歳になってもお互いに全く成長がない。だから、私はともかくアホの末はいつまでも周りからアホと言われるのだ。

回想~眠り

消灯して目をつむってから色々とこの日の出来事を回想した。今日はやたら、たら~ればという言葉が多かったな、それだけ晴れていたら景色が素晴らしかったんだろうし、その素晴らしい景色を見たかったんだろうな。歩き遍路さんは、あの道程は大変だな、何処で寝るのかな。などと、最初はまともなことを回想していたのだが、そのうち内容が、腹が減ったな。末は相変わらずアホだなとかどうでも良いことになっていった。そのアホの末は、横で大いびきをかいて寝ていた。

私もそれにつられて、10分も回想しないうちに寝入ってしまったと思う。時刻はおそらく9時過ぎ。


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