汗汗フェスタ 2007
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2007年08月05日(日)
車中
「面倒臭ぇなあ!」汗汗フェスタの開催地である長門市の千畳敷に向かうまでの車中で、何度もそのことを口にしていた。 「何で、金を払ってまでえらい思いをせんにゃならんのかのう!」とか、「住吉神輿から1日あけただけのスケジュールでは辛いのう!」とかアホの末とボヤきまくる。車内の会話の殆どは、そのようなやる気を削ぐような内容に終始していた。
しかし、汗汗フェスタへの参加申し込みをしたということは、参加したくないという気持ちよりも参加したいという気持ちの方が勝っていたということで、結局は辛い思いをする前のいつものボヤきだった。
会場
午前8時30分頃に会場に到着、すぐにチーム漢塾のもう1人の参加者である宮本さんと合流した。会場の賑わいは、昨年と同じであったが、1つだけ変わっていたことがあった。
レース終了後にジャンケン大会や福引大会をするステージの縮小である。昨年は大型トレーラーの荷台だったのが、今年は造園屋の小型トラックの荷台になっていたのだ。これには少々幻滅した。が、それで浮いた分を賞品に還元してくれれば。それで良いと思った。
参加人数は、昨年と同じくらい。このレースで勝つために練習を積んできた者達もいれば、楽しむことを目的で、または冷やかし半分で参加している者達もいる。私達の位置といえば、楽しむことが目的である。順位なんかどうでも良かった。
特に私にいたっては、昨年の救急車が何台か出動した件が頭にあったため、あまり熱くならないよう自分に言い聞かせていた。上り坂以外では、力をセーブする気でもいた。
言い方は悪いかもしれないが、趣味や遊びでケガはしたくない。私達の活動は、広く浅くである。レースでケガをしたら他のことができなくなってしまう。それと、一番気にかかるのが、ケガをして仕事を休まなければならなくなって、職場の同僚に迷惑がかかることである。
過去に2回ほど、迷惑をかけている私は、ケガのことについては、臆病すぎるほどに慎重になっていた。
試走
レース30分前の午前9時30分までは、試走をしても良いということになっていたが、コースは多少変更があっただけで、昨年と殆ど変わらないということなので、試走はやめた。
いや、コースが大幅に変更があったとしても試走はしなかっただろう。面倒臭いという気持ちが強すぎて、体を動かすのが億劫になっていたからだ。
鉄人?
レース前に腹ごしらえする私達の前に男が現れた。見覚えのあるその顔。その男のことを思い出した時に、私は目を疑った。何故なら、ここにいるはずのない人が私の目の前にいたからだ。この男の名はメガネさん(仮名)。アホの末の知り合いである。
昨年の国東半島のレースで転倒して、脳内出血を起こし、生死を彷徨ったということをアホの末から聞いていた。その後も、後遺症で下半身マヒとなり、車イス生活を余儀なくされたということも聞いていた。
そのメガネさんが何故ここに?と思い、真っ先にそのことを聞いた。アホの末から聞いたとおり、確かに生死を彷徨い、しばらくは車イス生活を余儀なくされたという。仕事もクビになり、医者からも、もう自転車に乗ってはダメ!と言われたらしい。しかし、そこからリハビリに精を出して、歩けるまでに回復させたという。
当然ながら、今の容態でも、普通であればとてもではないが自転車に乗れるような容態ではないという。また、メガネさんは、もともと視野が極端に狭く、視力も極端に悪かったのが、ケガをした後は更に視野が悪くなったらしい。
もともとレースに出られるような視力ではなかったのが、更に視力が低下して、体を思うように動かせない状態で、レースに参加するとは普通であれば考えられないことである。私がメガネさんの立場であれば、レースに参加しないばかりか、自転車にも二度と乗らないであろう。
それでもレースに参加するとは、よほどの自転車好きか、それともよほどのバカか。今度、自転車でクラッシュしたら、もう自転車に乗れないどころか命の危険さえあるのに。いやはや、我々凡人には真似のできないことである。
我々は、メガネさんの自転車にかける情熱に敬意を表して、彼のことを鉄人と呼ぶことにした。
じゃんけん
スタート15分前、私達3人が行ったことは順番を決めるジャンケンだった。汗汗フェスタは、1チーム最大で6人まで登録できるが、私達は3人。単純に6人のチームよりは、1人あたり倍の周を走らなければならない計算になる。
であるからして、できるだけ走る周回数を少なくしたいという思いから、誰もが最後の順番を狙うのである。昨年は、一番負けの私がトップランナーで、一番勝ちのアホの末がラストランナーであった。
今年は、俺が一番勝ちになるぞ!と、誰もが意気込んで臨んだジャンケン。で、結果はというと、トップランナーが宮本さん。二番手が私。ラストランナーは昨年と同じく悪運の強いアホの末だった。
やはりというか何というか。私と宮本さんの順番が入れ替わっただけの順番は面白くはなかったが、一番走る周回数が多くなる確立の高いトップランナーよりはマシであった。ちなみに昨年は、私と宮本さんが3周づつで、アホの末だけ1周少ない2周であった。
スタート
トップランナーの宮本さんは、10分前にスタート地点に向かった。スタート地点は、ソロの選手も含めると400人近くにもなるため、人でごったがえしていた。招待選手やソロの選手が前の方に陣取って、その後ろがチームの選手が陣取るようになる。ソロの選手のことは分からないが、チームの選手の順番は基本的に早い者順だったと思う。
宮本さんは、遅めにスタート地点に向かったため、スタート順は最後尾の方だった。実は、宮本さんがスタート地点に向かう前に、「無理せずにゆっくり行ってくださいね。」とか、「キツくなったらリタイヤしてもいいですよ。」と、言い含めていた。
自分がやる気が無いから、そのようなことを言ったのだが、宮本さんは私の言ったことを守っていたようで、スタートしてからも他人のペースにつられることもなく、スローなペースで走っていた。
これなら、早めにリタイヤして楽ができるかも!と、この時は思っていた。
俺の番
待てども待てども宮本さんは来ない。いつも宮本さんのペースなら20分くらいで帰ってくるはずなのだ。一瞬、これはもしや!という思いが頭をよぎったが、残念ながらスタートしてから27分ほどで宮本さんは戻ってきた。帰ってくるのが遅かったのは、私の忠告を守って、ペースダウンしていたからだった。
「仕方ねえ!行くか!」と、無理やり気持ちを奮い立たせ、宮本さんからタスキを受け取る。昨年なら猛ダッシュで飛び出したのだが、今年はケガをしたくないのと、気持ちのエンジンがかかってないことから、ゆっくりとスタートした。
平坦な道が終わると、500~600m続くアップダウンが現れる。何日か前の雨で道がぬかるんでいて、非常に滑りやすくなっていて、転倒する選手もいたが、ペースを抑えて冷静だった私には関係なかった。
危なげなく、最初のアップダウンを終えて次に現れたのが、入口に「危険!」と書かれた急な下り坂だった。最初の30mくらいが、地肌から石が剥き出しになって凸凹していて非常に危険なので、その部分には迂回路もあるのだが、意を決して、その危険な方を下った。
フルブレーキをかけながらの下りだったが、スピードはかなりでていた。凸凹道を下る振動と、汗で手が滑って、ブレーキから手が離れそうになるものの、どうにか転倒することなくコース一番の難所を下り終えることができた。
この下り坂を下り終えたすぐのところには、消防署員が3~4人待機している詰所があり、転倒した選手の救出にいつでも出動できるようにしている。それだけ、この下り坂が危険だということであろう。実際に、ここでケガをする選手は多いらしい。
転倒しなかったことにホッとしながら、マイペースで池の周りの平坦な道を走っていると、コースで2番目の難所が現れた。非舗装道の600~700mは続く上り坂である。ここでは、ギヤを普段より2段から3段ほど下げないと、とても上りきることはできない。
ただ、上りは私が得意とするとするところだ。それまでセーブしていた力をここでは思いっきり解放した。殆どの者が、ここでスピードダウンするので、多くの者を面白いように抜くことができた。その中には私よりだいぶ先にスタートした鉄人も入っていた。
非舗装道のラストは、「うつむきの坂」と、看板も立っているように、30mに及ぶ急勾配である。確かに、うつむきたくなるような急勾配ではあったが、ペダルを踏む足に更に力を込めたため、うつむくことなくクリアすることができた。
非舗装道が終わったかと思いきや、次に現れたのは、コース最後の難所である舗装道の上り坂であった。長さは400~500mしかなく、勾配も大したことのない上り坂なのだが、非舗装道を上り終えて体力が消耗している時に続けて現れる上り坂だから結構キツいのだ。
実際、ここでは歩いている者が多く見受けられた。しかし、体力を幾らか消耗したとはいえ、これしきのキツさは、私にはどうってことなかった。ここでは、更にスピードアップし、多くの者を抜いた。
舗装道を上りきると、千畳敷の頂上部分の台地に出る。ここからピットまでは、もう大した距離ではない。急な上りも下りもないので、思いっきり走っても良かったが、それでも油断は禁物。転倒する可能性があるということで、ピットまではセーブして走り、無事アホの末にタスキを渡した。
考える
アホの末が、走っている間に考えた。昨年は3人で8周走った。私が3周、宮本さんが3周、アホの末が2周である。全員がセーブして走っているとはいえ、多分昨年と同じ周回数は走るはず。と、いうことは少なくとも2番手の私までは3周走らなければならないわけで、あと2周走る計算になる。
それならば、続けて走ろうかとも思ったが、続けて走るのは体力的にキツい。しかし、その方が走り終えた時に、次は自分の番はないと思うから気分的に楽である。このまま1周づつ走るか、それとも2周続けて走るか迷うものの結論は出ず、次に自分の番がきた時に、走ってみてから決めることにした。
決定
宮本さんから2回目のバトンをもらい、再び走り出しても、まだどうするか迷っていた。相変わらずながら何度走ってもキツいものはキツい。上り坂を上っている最中なんて、2周続けて走ろうなんてとても思えない。
だが、上り坂を上り終えて、楽な頂上部分の台地に出ると、もう1周走ってもいいかなと思うから不思議だ。結局、台地に出たところで私の結論は出ていた。ピットの横を通る私に気付かないアホの末達を尻目に、2周目に突入した。
ミスチョイス
大した体力の消耗もなかったので、2周目の走りも問題なかった。いや、逆に体が暖まっていたので、かえって1周目よりは走りやすかった。「これなら、ゆっくり行けば、今年の俺の走りは終りだな!」とばかり思っていた。
だが、それは大きな間違いであるということは、台地の上に辿り着いた時に流れていたアナウンスを聞いて分かった。「レース終了まであと1時間です!」ん?あと1時間?えっ!あと40分と思っていたのだが、どうやらそれは勘違いだった。宮本さんとアホの末を足して40分ぐらいかかるとしても、それならば絶対に俺まで出番がまわってくるではないか。
2周続けて走ったのだから、もう走りたくねえと思い、わざと超スローに走ったのだが、そんなことをしても何分かのロスになるだけで、とても20~30分もロスできるものではなかった。このペースであれば、計算すれば1人あたま3周で、計9周走れるということが分かるのに、昨年と同じ8周しか走れないという仮定で計算をしていたので、計算が狂ってしまったのだ。残念なことに、スローペースで走ったつもりが、昨年よりペースが速くなっていたのである。
いくら続けて走っても、順番はそのままなので、このままいけば私が最後にもう一度走らなければならないのは確実。そうなると、宮本さんが3周、私が4周、アホの末が2周ということになる。結局はアホの末の分の1周を私が走るようになるということで、実に面白くないのだが、自分で良かれと思ってしたことだから仕方がなかった。
ピットに近づくまでは、このまま走るか、それともタスキを渡すか迷ったが、ラストランナーにだけはなりたくないので、そのままピットを素通りして3周目に突入した。アホの末達は、ようやく私が続けて走っていることに気付いたようだった。
飽きる
1周でも、そこそこキツいのに、まさかの3周目。2周でも続けて走るかどうか悩んでいたのに、まさかの3周目。もうどうにでもなれ!と半ばヤケクソな気持ちになっていた。
体は温まっていたから、続けて走るのは問題ではないのだが、いい加減もう走るのに飽きていた。それは、単にコースが単調ということよりも、私の飽きの早い性格が関係していた。
ソロでタイムトライアルしている選手達やチームでも上位を狙っている選手達なら、飽きるとかそんなこと言ってられないのだろうが、楽しむことを目的に参加している私にとって、飽きることは最大の敵だった。だって、飽きたら楽しくないのだから。
落とし穴
走るのに飽きたおかげで、すかっり集中力は切れていた。この周で、自分のノルマは終りなのだから、とにかく無難にこなそうという気持ちで走っていた。頭にあるのは、早く役目を終えて休みたいということばかり。
そんなダレた私を待っていたのが、転倒という落とし穴だった。2周目までは無事に通過できたコース最大の難所である「危険」と書かれた下り坂。ここを下る時にことは起きた。下っている最中にタイヤが大きい石を踏んでバウンドし、その瞬間、ブレーキを握っていた左右の手が汗で滑ってブレーキから離れたのだ。
急いでブレーキを握ろうとしたが、車体が激しく揺さぶられて、とても無理だった。ブレーキから解放されてスピードにのったマウンテンバイクは制御不能となり、先ほどより更に大きい石を踏んだ時に、前輪から前につんのめるような形になって私は宙に放りだされた。「や・っ・て・ま・っ・た・・・!」
空中に放り出された時間は、時間にして3~4秒。いや、実際の時間はもっと短いかもしれない。しかし、宙を舞っている時は、何十秒も宙を舞っているような、時間が止まっているような、そんな気がした。宙を舞っている時は、爽快な気分だった。鳥が空を飛ぶのはこのような気持ちなんだな!とか、ずっとこのままでいられたらいいのに!とか、あの短い時間で結構いろいろと考えていた。幸せな時間だった!
だが、その幸せな時間にも終りがきた。「ドチャ!」という鈍い音と共に地面に叩きつけられたのだ。始めは、自分の身に何が起こったのか分からなかった。5~6秒は放心状態だったと思う。私をその放心状態から覚めさせてくれたのは、右腕からしたたり落ちるおびただしい量の血だった。右手が真っ赤に染まってどこから血が流れているのかは分からなかったが、不思議と痛みはなかった。
マウンテンバイクが転倒しているところから距離にして10mちょっと、落差は5~6mぐらいはあるだろうか。この高さを落ちて、右手以外をケガしなかったのは奇跡だった。頭から落ちたら頭蓋骨か首の骨の骨折の可能性もあった。多分、私は右手から肘を地面に突くような形で落ちたのだと思うが、それでも骨折をしてないのも奇跡だった。
その私が落下する様子は、坂を下りきったところの消防署員が見ていたので、すぐに「大丈夫ですか!」と寄ってきた。その時、私は大量の出血と、落下して競技が途切れたことで、気持ちはすっかりリタイヤモードになっていた。
ところが、他人が見ていると思うと、こういう時にも見栄というか、自分を格好良く見せようという気持ちが働くものである。消防署員から声をかけられた瞬間、リタイヤモードから爆走モードに切り替わった。
「これしきのキズ大丈夫ですよ!心配かけてすいませんね!」そう、爽やかに言い放つと、消防署員の前から疾風のように走り去った。
しかし、消防署員の姿が見えなくなったところで、急に胸が苦しくなったので、減速。どうやら胸もしこたま打撲したらしかった。やはり、あの時リタイヤしておけば良かったと後悔。自分の最大の欠点は、ドジなところよりも、見栄っぱりなところだということを痛感したのだった。
再トラブル
その後は、再び転倒することなく無事にピットに帰還。やっとアホの末にタスキを渡そうとした時にまたトラブルが!何と、首にかけていたつもりのタスキが無かったのである。検問所で、タスキに付いたカードに周回数を証明する穴をあけてもらったのをはっきりと覚えていたから、検問所を過ぎてから落としたに違いなかった。
タスキが無くても走れるのは走れるが、これがないと、ここまでの周回数で順位がついてしまう。それでも構わないといえば構わないけど、やはりあるにこしたことはなかった。
とりあえずアホの末を行かせ、「どうしようなぁ!」と、宮本さんと考えていると、すぐに「チーム漢塾のカードが落ちていましたので、漢塾の方は本部まで取りに来てください。」というアナウンスがあった。それを聞いたので、急いで宮本さんに本部まで取りに行ってもらった。そして、そのまま最後の上り坂の頂上付近で待っててもらい、坂を上ってくるアホの末に渡すことにした。これも不幸中の幸いというか何というか。私の普段の行いの良さのおかげ?だった。
仕返し
予想に反してアホの末が、幾分早く帰ったきたので、時間は残すところ20分であった。この20分という時間は、私やアホの末なら確実にピットまで帰還できる時間なのだが、宮本さんにとっては微妙な時間だった。今までのペースなら、まず時間内に帰還することはない。だが、私に昨年の仕返しを考えているなら、多少の無理はするはず。 そうなると、僅かながらではあるが、時間内に帰還の可能性があった。
汗汗フェスタでは、残り時間が1分以内であろうと、時間内に検問所でタスキのカードをチェックしてもらえば、もう1周走ることができる。要するに、もう1周走れということ。終りがすぐそこに見えているのに、もう1周走るということは、とても面倒臭いのだ。
昨年は、私がどうにか時間内に帰還し、ラスト1分で、自分の番は終わったつもりで、くつろぎモードになっている宮本さんにタスキを渡したため、宮本さんは予定外の1周を走らなければならなくなった。今年は、私と宮本さんの順番が逆になっているため、宮本さんには絶好のリベンジの機会となった。
私は、できることなら、もうこのまま終わりたかったが、リベンジされるのなら受けて立ってやるというような堂々とした気持ちだった。皆よりたくさん走ったのだから、もう1周走るくらい大したことなかった。
それでも、一応はドキドキした気持ちで宮本さんの帰還を待った。「終了1分前!」「終了30秒前!」のアナウンスが聞こえても、宮本さんの姿は見えない。遠くに目を凝らしても宮本さんは見えない。
「終了!」のアナウンスが聞こえても、検問所に宮本さんの姿は無かった。これで、今年の汗汗は終わった!
汗汗が終わってから3分後くらいに宮本さんがゆっくりと帰ってきた。リベンジのことを考えていたかどうかを、本人に確認することはしなかったが、この時は宮本さんの頼り無さが逆に頼もしく思えた。
今年の汗汗
レースが終了してしばらくすると、アドレナリンが切れたのか、右腕のいろいろな箇所が痛くなった。中指と薬指を激しく突き指したためか、曲げることができないし、右肘は骨が見えるほど深く裂傷していた。そして、何といっても極めつけは、右肩の痛みだった。右肘を最初について落下したため、右肩に全体重がかかったからか、思いっきり痛めてしまって、右肩を回すことも上げることもできないのだ。ちょっと動かすだけで激痛が走ってしまう。
完治するのにどれだけ時間がかかるかは分からない。これで、しばらくの間、アームレスリングどころか筋トレさえすることができない状態になった。
ケガをしたのは自業自得とはいえ、あれほどケガをすまいと気をつけていたのにケガをしたことは、はっきり言って腹立たしい。あれだけの激しい転倒をして、これしきのケガで済んだということは不幸中の幸いであったが、恥ずかしながら、「何でまた俺ばかりがケガをするんや!」というひねくれた気持ちに一瞬でもなったことは事実である。
楽しむつもりがケガをしたら楽しくも何ともなくなる。それまで楽しくても、最後の最後にケガをしたら、それまでのことは全部パーだ。私達は、競技者ではない。参加することに意義を見出している。結果は二の次で、楽しければ、それで良いという考えだ。だから、ケガをしないように来年は「危険」と書かれた下りは、迂回路を通ることにする。それでも転倒するようなら、再来年はマウンテンバイクを降りて、歩いて下る。それでも転倒するようなら、もう参加しない。どんどん制約が多くなって面白くないが、ケガだけは、もうこりごりなのだ! 現在、筋トレはできずに静養中。傷口が乾かないため、シーツが汚れるから布団で寝られず、堅いフローリングの上に直に寝ている。
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