トラック綱引き大会 2007
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- 開催日
- 2007年10月07日(日)
トラック引き競争の会場であるシーマートへ向かう車中でアホの末と話をしていた。「俺達、いろいろと幅広くやっているけど、全てが中途半端だな。」と。「漢塾の活動は広く、浅くと言えば聞こえは良いかもしれないが、結局はいつも大した結果を得られないで、言い訳ばかりしているな。」と。
それだけ言うと、お互いがそう思っているのか、二人ともしばらく黙りこんだ。突然、沈黙を切り裂いて「漢を磨くが目的なら、言い訳できないほどにとことん何でもやってみないか?」私がそう言うと、アホの末も「そうやの。」と言った。「じゃあ手始めに今日の綱引きを優勝しようや。」と、私が言うと、「そうやの、何でもいいから一番とってみたいからの。」と、アホの末。
一番をとったことのない私達は、そのことを口にすると、常々気にしていたことだからか、気持ちが高ぶった。 そのことと、今回の漢塾は過去最高の豪華メンツだということもあって、本当に優勝する気になっていた。少なくとも、会場に着くまでは。
サプライズ
会場は、タレントのお魚君が来ているということもあって、大勢の人でごったがえしていた。お魚君の特有な甲高いキーキー声を聞くと、本当に会場に来ているんだなと、実感する。だが、悪いがお魚君には全く興味がない。私達の頭にあるのはトラック引きのことだけだった。
私達が会場に着いた時間が早かったのか、私達以外には誰も参加チームが来場してないように見えた。今回のバトルの最大のライバルは、今回も出場するとすれば、下関の村岡君率いるチームであることは間違いない。当然、今大会も出場するだろうと思い、村岡君に電話した。アームレスリングの県大会以来、久々に話した村岡君は相変わらずハイパーな奴だった。私の思ったとおり、今大会も出場するとのことであった。
これは、村岡君のチームとの一騎打ちかと思いきや、村岡君から、すごく不安になることを聞いてしまった。どうやら、岩国基地の米軍の精鋭が今大会に出場するというのだ。しかも、選手の平均体重は130~140㎏はあるという。
そのことを聞いた時、「はぁ!?」と、唸ってしまった。平均体重が130~140㎏あるなんて、平均体重90㎏弱のうちのチームの1.5倍以上ある。しかも、米軍の精鋭だからパワーもすごいはずだ。そんなのが出場するなんて反則である。
しかし、何でこんな田舎町のお祭りに米軍が出場するのだろうか?あいつらが自ら祭りのことなんて知るはずがないから、おそらく主催者が競技を盛り上げるために招待したのかもしれない。確かに、米軍の大男が参加した方が、大会は盛り上がるかもしれないが、優勝を狙う私達にとってはいい迷惑だった。
「日本の祭りやから、日本人同士で勝負したほうがいいのに。」とか、「ハンデで日本チームには一人増やして欲しいのう。」とかボヤいてみたものの、米軍の出場が決まっている以上、それは無駄なボヤきだった。
米軍が出場するということで、私の優勝するという決意は大きくグラついた。実際、限りなく優勝は不可能に近くなったと言っても過言ではないだろう。ただ、いつもは諦めるところだが、今回だけはどうしても諦めるわけにはいかなかった。中途半端な自分との決別。それがあったから、絶望的な状況の中にあっても、必死に光明を探しだそうとしていた。
プラン
前大会では、お互いの持ち位置の順番を間違えて時間をロスしたので、持ち位置の順番だけは各自に徹底して覚えさせ、声の出し方、、綱の引き方、人と人との距離、トラックが動きだしたら途中で向きを変えるなど、細かいところまでやることをチェックした。そして実際にトラックについたロープを手にして実演指導するなど念の入ったものだった。
ただ、私達は綱引きに関しては素人だから、本当に自分達のやり方が正しいものか、効果的なものかは分からないのだが、とりあえずは、何も参考にするものがないので、自分達なりに考えたやり方でやることにした。
米軍にパワーで立ち向かっては絶対に勝ち目はない。かと言って、私達もぶっつけ本番で臨むのだから、まとまりで勝てるとも思わない。優勝したいという気持ちでも勝てているかどうかは分からない。私達に勝機があるとすれば、ミスなく自分達の力を出し切り、あとはアメリカ軍の誰かが転倒するといったミスをするという展開しかない。 いわば、神風が吹くことを期待するしかなかった。
米軍到着
受付時間を過ぎ、競技開始時間になっても米軍は来ない。私達にとっても、他のチームにとっても米軍は来ない方が良いに決まっている。「どこかで事故に巻き込まれて、不参加になればいのに。」とか、「間に合わないのなら、失格にしろ。」とか、仲間内でネガティブなことを話していたのだが、主催者はどうやらアメリカ軍が来るまで待つようで、競技開始時間をどんどん繰り下げていた。
招待したチームが参加できないのは、さすがにシャレになるまい。だが、私は他のチームとの公平をきたす上では、どう待っても30分が限度だと思っていたので、それを過ぎたら主催者に抗議するつもりでいた。ところが、それを知ってか知らずか、繰り下げ期限ギリギリにアメリカ軍は見事に到着した。
事前に大男の集団だという情報は仕入れていたものの、実際に間近で見るアメリカ軍は、大男を通り越した怪物だった。一番小さい奴は180㎝ちょっとで、100㎏ちょっとぐらいという大きさだったが、それ以外の4人は全員が190㎝以上、体重も全員が130㎏を裕に越えていると思われた。特に、プロレスラーのスコット・ノートンみたいな白人と、太った感じのボブ・サップみたいな黒人の2人は、身長が2m近くあり、体重もおそらく160㎏は越えているのではないかと思われた。
「こりゃあ!話にならんわ!」皆が口々にそう言った。体格の上では、正に大人と子供であるからして、皆がそう言うのも無理はなかった。しかも、彼らは、ここに参加するまでに2~3戦こなしているという。パワーと体重で遥かに劣っている上に、チームとしてのまとまりもあった。誰の目から見ても勝敗は明らか。もう本当に神風に頼るしかない絶望的な状況ではあったが、諦めることはしたくなかった。目の前の敵が大きいからといって、素直に諦めていては、今までの私達と変わらないからだ。
今大会では優勝することも大事だが、それよりもっと大事なのは、今までの中途半端な自分達からの脱却である。だから、大きい敵を目の当たりにして、怖気づきはしても、こいつらを倒して一皮むけたいという気持ちに変わりはなかった。
諦めたら終り、勝負に絶対は無いのだから。
クジ引き
今大会の参加チームは成人男子の部で9チーム。私の記憶が確かではないかもしれないが、萩での前大会よりチーム数が減ったような気がした。
トラックを引く順番はクジで決める。他のチームがどのようにしてトラックを引くかを見たかったから、とにかく一番だけは引きたくなかった。その私の思いが届いたのか、私達の順番は5番であった。順番がちょうど真ん中。前の4チームの試技が見れるし、待ち疲れることないので、ベストな順番だったと言っていい。天も私達に味方しているのかと思うと、ますます戦闘意欲が湧き上がった。
米軍の実力
先に成人女子の部があり、それが終わっていよいよ成人男子の出番となった。米軍の出番は3番目。私達の2つ前であった。他のチームの試技には目をくれることもなく、米軍の出番を待った。大体、1チームが2~3分もあれば全て終わるので、競技が始まってから5分ほどで米軍の出番となった。どれほどの実力か確かめてやろうと、見る方にも力が入る。
米軍はピストルの合図で勢い良く飛び出した。並外れた巨体を誇る米軍だが、なかなかの俊敏な動きで、すぐに各々自分の持ち場に辿り着いて、トラックに括りつけられたロープを引き出した。
トラック引きは、最初にトラックが動き出してスピードに乗るまでが大事。スピードにさえ乗ってしまえば、後は最初ほど力は要らないし、どこのチームもそんなにスピードは変わらない。要するに、動き出してからスピードに乗るまでのタイムで、ほぼ勝負が決まるのだ。
さて、米軍はといえば、トラックが動き出すのが、前の2チームと比べて圧倒的に速く、あっ!という間にスピードに乗ってしまった。米軍は、ロープを引っ張るというよりは、ロープを自分の方へ手繰り寄せるといった感じの引き方だった。体を使わずに殆ど腕だけの力で引いているだけなのだが、一人一人がおそらく常人の倍以上のパワーを持っているからか、スピードに乗ったトラックはスルスルと動いていた。
米軍がゴールした時は、誰もがもう優勝は決まったと思ったはずだ。それほどまでに米軍は速かった。記録は、1分24秒。村岡君によれば、2年前に優勝した村岡君達のチームのタイムよりも2秒速かったみたいだ。2秒といったら大した差ではないと思われるかもしれないが、スピードに乗ったら1秒で2mぐらい動くことを考えると、結構な差なのである。これが、腕の力だけでなく、腰を入れた体全体を使った引き方をしていたら、もっとタイムが縮まったのではなかろうか。全く、恐るべし米軍であった。
出番
米軍から1つ順番を空けて、いよいよ私達の出番となった。出番がくるまでにチームの皆には、しつこいほどに自分の持ち場とプランを言い聞かせていたので、考えていることは間違いなく実行できると思っていた。勝つには、ミスをしないことだ。
スタートのピストルが鳴るのを待つ。適度な緊張。ピストルが鳴った!全員、一目散に自分の持ち場に走る。予定通りに自分の持ち場に着く。「せぇのっ!」の掛け声で、後ろに体重をかけトラックを引く。初めは、動き出すのが予想していたよりも遅いと思ったが、動き出してからスピードに乗るまでは速かった。
完全にスピードに乗りきったところで、私が「前を向けぇ!」の声を出し、全員が一斉に前を向いた。ここで、更にスピードが増すかと思いきや違った。殆どスピードが増すことなく、動き出した時と同じスピードなのである。
前を向くと、私達みたいな素人では、ロープを持つ前の手の力が死ぬようになり、ロープを持つ後ろの手だけの力だけ、いわば片手でロープを引くような形になる。おまけに後ろ向きでロープを引くのと違って体重もかけられない。ロープを引きながら、「この方法は失敗だったかな?」と考えもしたが、今さら引き方を変えられもしない。とにかく、もうここまできたらゴールまで全力で引っ張るのみと思い、下を向いてひたすらにトラックを引き続けた。
ゴールが5m前に見えたところでは、もう力が入っているかどうかわからないほどに、手足が消耗していた。最後は、トラックをゴールに引き込んだというよりも、惰性でどうにかゴールに辿り着いたと表現したほうがいいだろう。
ゴールした時は、自分達のタイムがどうかを考える余裕などなく、息を整えるのに必死だった。30秒ぐらい経って、落ち着いたところで村岡君にタイムを聞くと、私達のタイムは1分29秒であったとのことだった。米軍との差は5秒。10m近く離されている計算になる。私達は、多分、全員の息は合っていなかった。
とはいえ、ミスすることなく全力を出し切ったのだから、このタイムの差は完敗であった。仮にまとまりがあったとしても2~3秒タイムが縮まるぐらいだろうから、現時点ではどうあがいても勝てないことは間違いない。私達は自分達なりのベストを尽くせたことで、米軍に負けはしたが、悔しくはなかった。逆に清々しかったと言ってもいい。だが、これで私達の悲願の1等賞は無くなった。
打倒米軍
優勝は無くなったので、あとは私達の順位がどこかということであった。村岡君達のチーム以外には負けるはずがないので、3位以内は確実だった。優勝を逃し、入賞が確実ということであれば、2位か3位なんてどちらでも良かった。賞品の商品券の値段からいえば2位の方が良いが、そんなことは小さいことであった。村岡君達には私達日本人の代表として、是非とも米軍を倒して欲しかった。
一昨年の大会では私達のチームを抑えて優勝し、1分26秒というベストタイムを持っている村岡君達なら、米軍を倒すことも十分に可能であったはずだ。だが、先頭の人が転倒するという痛恨のミスを犯したために、かなり時間をロスし、残念ながら打倒米軍は叶わなかった。
反省
結局、私達は優勝はできなかったものの2位に入賞。普通ならば喜べる順位なのかもしれないが、優勝する気で臨んだのだから、嬉しくはなかった。しかし、私達は人間としての器が小さいのか、一人につき壱万円の商品券をもらったことについては、素直に喜んでいた。要するにトータルでは、嬉しいのやら嬉しくないのやら微妙だったわけだ。
今回の私達は、優勝することで、中途半端な自分からの脱却を試みたわけだが、それは叶わなかった。またもし、仮に優勝していたとしても、それぐらいで脱却できるほど簡単なものではないだろう。しばらくは、いや、もしかしたら死ぬまで私達は中途半端な人間なのかもしれない。でも、一つ一つのことに言い訳できないほどにベストを尽くしていけば、少しづつではあるが中途半端さから脱却していけるのではないだろうか。
そのことを期待しつつ、私達は中途半端ながらも前へ前へ進んで行く。
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