漢塾RUN 長崎編 第三弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2009年11月21日(土) ~ 2009年11月23日(月)
一日目(平成21年11月21日)
寝坊
午前3時半に変態小野の携帯にモーニングコールをするが、何度鳴らしても電話には出ない。
“電話に出んわ!”などと冗談を言っている場合ではなかった。ここから前回到達地点である佐賀県基山町までは、高速道路を走っても3時間以上の時間がかかる。午前8時からランを開始しようと考えたら最低でも午前4時にはこちらを出発しなければならない。時間の制約があるため、
よって、“こいつまだ寝とるな!”と思いながらも、予定通りに変態小野の家へ向かった。変態小野の家に着いてからもう一度電話をかけるが、やはり出ない。仕方なく玄関まで行きチャイムを鳴らすが、何の応答もない。二度目のチャイムもダメ。三度目を鳴らしてもダメ。
仕方なく近所迷惑だとは思いながらも玄関のドアを思い切って叩こうと思った瞬間、家の中に明かりが点いた。
どうやら変態小野が目覚めたようであった。
変態小野は、寝床から出てきたままの格好で姿を現した。当然ながら出仕度はしてない。
「すいません!すいません!昨日は、午前2時まで飲んでいたものですから。眠ったら起きれないと思い、そのまま朝まで起きていようと思ったんですが、つい寝てしまいました。」などと、言い訳をまくしたてる。
こいつが遅くまで飲んでいようと、そんなのは知ったこっちゃない。どんなことがあろうと、こいつは約束の時間までに出仕度が出来なかったのだ。
約束を破ったという事実。これはどんな理由をもってしても許されるものではない。
これでますます変態小野という人間の信用度は下がった。
ここでこいつを戒めてやろうかとも思ったがやめた。私には、この時点で何を優先すべきかが分かっていたからである。
「先に達ちゃんを迎えに行ってくるから、その間に仕度を整えておけよ!」とだけ言うと、すぐにその場を発った。
約15分後、予定通りに達ちゃんを確保して小野の家に戻ると、こいつはまだ仕度の途中であった。
変態小野が家から出て来たのは、その5分後のこと。
しきりに「すいません!」「すいません!」と連呼していたが、“すいません!”で全てのことが片付いたら楽なものである。
寝坊したおかげで皆に迷惑かけたことを、こいつはあまりにも軽く考えてないだろうか。
腹は立ちながらも、変態小野の寝坊という出来事を“既に過去のもの”として自分の中で処理した私は、ランナーの2人を無事に前回到達地点まで送り届けるべくクルマを発車させた。
出発時刻は予定していた時刻よりも30分以上過ぎていた。
到着
出発時刻が早朝だったためか、3連休中の高速道路の渋滞にハマることもなく無事に前回到達地点である佐賀県基山町に到着することが出来た。
到着時刻は午前7時55分。30分以上出発時刻が遅れたのに、到着予定時刻には幸運にもどうにか間に合った形となった。
到着までの間、達ちゃんは私と話していたが、変態小野は車内で熟睡していたため、二日酔いで不調だった体調は、ほぼ完全に回復しており、クルマから出てくる時にはスッキリした顔をしていた。
前回、この場所に到着したのは半年前のこと。あれからいろいろな用事が重なり、ここへ戻って来るまで時間を要したが、再び同じ地に立てるということは感慨深いものがあった。
スタート
ほぼ予定どおりの時刻に達ちゃんと変態小野の2人は、この日の決まってないゴールに向かって走り始めた。
進化した漢塾ランのゴールは、最低でも50㎞先。クルマを停めるのに相応しい場所が無ければ、走る距離はどんどん伸びる。55㎞や60㎞以上先になることも十分あり得る。
過酷さを増した現在の漢塾ランなのだが、今回は3日連続のランであるため極力、距離をプラスしないで済ませたいと考えていた。
丁度良い距離に丁度良い場所があるなんてことは、自分で決められることではないため、とにかく自分が望むようになるようにと祈りながら私も出発した。
選定作業
しばらくは国道3号線を走る。鳥栖市内に入ってから国道3号線に別れを告げ、今度は国道34号線に入る。
平戸市まで行くにはこの後武雄市で国道35号線に乗り換え、そして佐世保市で国道204号線に乗り換えなければならないのだが、この日は、佐賀市を過ぎて武雄市の手前までしか行かない予定であったので、乗り換えを考える必要はなかった。
ひたすら国道34号線を行くだけであるため、道を間違える恐れが少なく、その点では気が楽であった。
しかしである。給水ポイントにする場所を探そうと、進むも進むも道の両側にクルマを停めるのに適当な空地も大型ショッピングセンターなどの広い駐車場を持った施設も見付けることは出来なかったのである。
ようやく見付けたのは佐賀市を過ぎ、出発地点から50㎞近くも走ったところであった。
ほぼゴールに近い場所ではあるが、ゴールとするにはちと距離が足りない。ここで待つぐらいなら、もう数㎞行ったところに選定するであろうゴールで待った方が良いと思い、ここで待つのを止め、躊躇することなくゴールを探しにクルマを走らせた。
ゴール決定
少し走ると、ついに距離が50㎞を越えた。そこから更にクルマを走らせる。
2㎞行ったところには右手にコンビニがあったが、進行方向にないということで却下。更に1㎞行ったところには大町町役場があったが、これも右手なので却下。
そこから更に2㎞ほど行った左手にスポーツセンターという看板を見付け、すぐさまハンドルを左に切る。左折して100mほど行ったところにスポーツセンターがあり、そのスポーツセンターのすぐ後ろには、クルマを縦に2~3台ほど停められるぐらいの空地があった。
スポーツセンターの駐車場は狭く、何時間もクルマを停めておくと目立つため、その空地にクルマを停め、そこをゴールとすることにした。
そこは、出発地点から約55㎞の場所であった。通りから少し中に入っているため、一目で分かり難いという欠点はあるが、距離的にも、また周りが静かであるためクルマを置いて待つにもなかなかの場所であった。
暇つぶし
すぐに達ちゃんと変態小野の携帯に電話し、ゴールの場所を伝えると、暇つぶしにクルマで周りを散策しに出かけた。
変態小野達がここへ到着するまでには少なくとも5~6時間はかかるであろうと思ったための行動であったのだが、残念ながら周りには何も見るべきものが無く、飯を食う時間を合わせても1時間くらいで、ここへ戻って来てしまった。
佐賀出身の芸能人が、「佐賀には何もねえ!」と、テレビで叫んでいたが、確かにそのとおりだと思った。
佐賀出身の有名人で知っているといえば、江藤新平と大隈重信と“はなわ”ぐらいであろうか。知っている名所といえば、吉野ヶ里遺跡と嬉野温泉ぐらいか。
九州の他県と比べればあまりにも地味すぎる。
友人がいるか、このようなイベントでもしない限りは、通過するだけでまず滞在することはないであろう県。
そんなレアな場所に滞在出来ることに無理矢理喜びを感じながらも短い散策を終えた。
暇つぶし2
ここからの数時間をどう過ごすか。
持参した本を読み、読み疲れたら寝るということを繰り返すのだが、そのようなことをこれまでに何度となく繰り返してきたからか、全く苦にはならないのだ。
走ることなく、裏方に徹するだけで、“私は何か得るものがあるのだろうか?”と懐疑的になったこともあった。
だが、3回目の最後のシリーズが終ろうとしている今なら分かる。出雲、大分、長崎と続いてきた漢塾ランは、短気で落着きの無い私を“待つことの出来る男”に成長させたのだと。
おかげで、最初に変態小野が到着するまでの5時間近くを苦痛に感じることなく過ごせたのであった。
到着
今は11月も下旬である。日が暮れるのは、日に日に早まっており、午後5時を過ぎれば、辺りは真っ暗になってしまう。
変態小野が私の前に8時間ぶりに姿を現したのは、日が傾きかけた午後4時過ぎであった。
最初は達ちゃんと歩いていたそうだが、途中からペースが違うために別れたそうだ。所々しか走ることなく、半分くらいは歩いたとのことだった。
相変わらずというか、変態小野は飄々としていて疲れも足の痛みも全く感じさせなかった。この時の変態小野の状態を例えて言うならば、5~6㎞ぐらいウォーキングかジョギングをして戻ってきたような適度な運動をした状態であった。
まあ確かにこいつにとっては、50~60㎞が5~6㎞ぐらいにしか感じられないのだろう。
人並み外れた体力と常人とズレた感覚の持ち主。これが変態小野が変態と呼ばれる所以である。
待つ
私達は、達ちゃんが来るのを待った。
私は大体、変態小野より1時間ぐらい遅れるものと予想していたのだが、1時間を過ぎても達ちゃんは来ない。
心配して携帯に電話するも電話に出ない。
変態小野に「達ちゃんは電話に出んわ!」と言ってもウケない。いや、そればかりか逆にシラ~ッとした気まずい空気が流れる。
おまけに寒いわ腹も減るわで、落着きを無くした私はクルマから出てスポーツセンターや通りの方まで出て達ちゃんの姿を探す。
そして寒いものだから、またクルマの中に入る。そんなことを1時間も繰り返しただろうか。その繰り返しに飽きた頃に突然、携帯電話が鳴ったのだ。
発信主は達ちゃんであった。スポーツセンターに着いたと言うのだ。
辺りは真っ暗になっていて私達のいる場所は分かり難いと思い、すぐにスポーツセンターまで行ったのだが、達ちゃんはいない。
“おかしいな?”と思い空地のクルマに戻るも、そこにも達ちゃんはいない。またスポーツセンターに戻るも達ちゃんはいない。
“??”と思っていた時にまた携帯電話が鳴った。
「どこにいるんですか?」と、達ちゃんは言う。
「今はスポーツセンターの空地におるけど、何度もスポーツセンターまでは行ったんやけどな。」と、答えると、「スポーツセンターにしばらくいたんですけど、誰もいないので、周りを探し回っていました。」と、達ちゃん。
“はは~ん!お互いがお互いを探して行き違いになったんやな!”と思い、達ちゃんに「すぐに行くからスポーツセンターで待っとるんやぞ!」と伝えてから、すぐにスポーツセンターに向かった。
最後の電話を切ってから30秒後、私達はスポーツセンターの体育館前で約10時間ぶりに再会した。
時刻は午後6時半になろうかとしていた。
容態
無事に55㎞という長丁場を完走したのは良かったが、達ちゃんの様子がいつもと違っていた。
左足をひきずっているのである。
聞くと、半分くらい走った頃から左足の脹脛に痛みを感じるようになったらしい。それからは、歩く度に痛みはますます酷くなり、この状態になったとのことだ。
変態小野と違い、達ちゃんは常人である。50㎞以上も走れば、多少なりとも脚は痛める。達ちゃんが、どんなに鍛えていようとも無傷では済まない。
だが、今回の達ちゃんの脚の状態は、これまでのランで見せたどの状態よりも痛々しいものだった。
連日の残業で体の調子が悪かったのかもしれないし、久々のランということで体がなまっていたのかもしれない。
いずれにせよ、達ちゃんは、まともに歩ける状態ではなくなってしまった。
いつもなら、ここで終わりだから少々脚を痛めても何の問題もないのだが、今回は3日連続のランである。ここで脚を痛めてしまっては、翌日以降のランに大きく影響してしまう。
この状態の達ちゃんの脚では、3日目どころか翌日のランも行えるかどうか疑わしいものであった。
ただ、翌日のことを心配する私と違い、当の本人は飄々としていた。
達ちゃんは、「とにかく脚が動かなくなるまで頑張ります!」と、私に力強く言った。
その言葉を聞いて、“なんて頼もしい奴なんだ!”と思ったが、残念ながらそれでも私の不安が消えることはなかった。
1日目を終えて
初日を終えてみれば、既に翌日のことを考えているというのが本当のところだ。
3日間の予定を組んだからには、何が何でも今回の最終目的地である平戸市まで行ってもらわなければシャレにならない。
もし、2人とも途中でリタイヤするようなことになれば、漢塾ラン長崎編は途中で終ってしまうことになるし、残りは、ただの観光旅行になってしまう。
それだけは避けたいと思っていたから、達ちゃんのケガというアクシデントがあったものの、まずは初日をクリア出来たということを素直に喜びたいと思う。
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