漢塾RUN 長崎編 第三弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2009年11月21日(土) ~ 2009年11月23日(月)
二日目(平成21年11月22日)
出発
本当のところ午前6時半にはホテルをチェックアウトしようと思っていたのだが、朝食が午前7時からということで、出発時刻を午前8時に変更。
無料の朝食をたらふく食った私達は、出発予定時刻より少し早くホテルをチェックアウトした。私達がとりあえず目指すは、前日の到着地点である大町町のスポーツセンターである。
エコ
私達が泊まったホテルは佐賀市内にある。大町町のスポーツセンターは、私達の泊まったホテルより更に25㎞以上もこれから行く方向である佐世保市寄りである。
何故、到達地点より戻った場所のホテルに泊まったのか?それは、佐賀市を過ぎると佐世保市内に入るまでは、宿泊料金が安くて朝食無料のビジネスホテルが無かったからである。よって、この近辺ではホテルの数が最も多い佐賀市内にしたわけであるが、最も多いとて、これまでに行った北九州市や大分市に比べれば、大した数ではなかった。
ただ、そのような選択肢の少ない状況下にありながら、宿泊料金が比較的安く、朝食も無料であるホテルに出会えたことはラッキーであった。
前日の到達地点まで、30分もかけて戻らなければならないという難点はあるものの、そんなのは私達にとっては些細なことであった。何故なら、このホテルのサービスは私達の財布にも胃袋にも優しく、その恩恵を受けたことで私達は十分に満足していたからである。
到着
前日のゴールである大町町スポーツセンターに到着したのは、午前8時過ぎ頃。当初は、ここからスタートするつもりだったのだが、国道より少し引っ込んだ位置にあり、そこまで行くのが面倒臭いということで、少しズルをしてスポーツセンターより200m目的地側に寄った国道沿いのスーパーマーケットをスタート地点とすることにした。
前日のランのように早起きをする必要がなく、朝飯もきちんと食えていたということで、塾生達の体調は良いように見えた。
しかし、前日に足をすこぶる痛めた達ちゃんの足の容態は改善されてなかった。いくら就寝の前に入念にマッサージや整体をしたとて、たった一日で足の容態が改善するはずもない。それは、ランを経験したことのある私も身を持って知っていることである。“全治1週間。”おそらくそれくらいのケガなのだ。
いつもなら、次のランまで最低でも1ヶ月以上は間が空くから、全く問題はない。だが、今回は、かつて経験したことのない3連チャンのランである。この日のランに影響があるのは、見え見えであった。だが、それでも達ちゃんは、やれるところまでやると言う。無理かもしれないと分かっていてもやると言う。
さすがは、これまでに幾多の困難なランを経験してきた達ちゃんである。私は、達ちゃんの、その頼もしい言葉に感動した。そして“もしかするともしかするかも!”という期待の気持ちを持って、いつまでも達ちゃんを待つことにした。
私が、スーパーの店内で買い物をしている間にスタートしてしまった二人。急いで店内から出て来た私が目にしたのは、左足をひこずる達ちゃんと前日に55㎞以上走ったことを感じさせない軽快な走りの変態小野との対照的な後姿であった。
待つ
二人と別れた後、私は国道34号線をひた走り、武雄市内の国道35号線との合流地点にクルマを停めるのに丁度良い空き地を見付けた。
ここは、スタートしてから約12㎞地点。本来であれば、このようなスタート地点から近い場所にクルマを停めて待つことはしない。しかし、達ちゃんの足の状態が悪かったので、迷わずクルマを停めて待つことにした。
クルマを停める前に降り出した雨は、時間が経つごとにますます勢いを増している。最初はかろうじて見えていた外の景色も、フロントガラスに叩きつける雨で、じきに見えなくなった。
前日の晩に眠れなかったわけではない。また、何もすることがなくなったわけでもない。だが、外の景色が見えなくなると同時にどうしようもない睡魔が襲ってきたために、すぐに眠りに落ちてしまった。
目覚め
“コンッ!コンッ!”という運転席側のガラスを叩く音で目が覚めた。外を見ると、昆虫のナナフシのような細長い男がガラス越しに私を見つめていた。変態小野であった。
時刻は、午前9時半。変態小野達と別れてから1時間。クルマを停めてから40分の時間が経っていた。眠りに落ちる前にひどかった雨も、小降りになっていた。
“1時間で12㎞走ったとは、何たる速さ!”である。おそらく、これまでは達ちゃんに気を使ってセーブしていたのだろう。足を痛めている状態のため、達ちゃんが「遠慮せずに先に行ってくれ!」と、変態小野に言ったのかもしれない。それとも、自ら“思う存分走りたい!”と、思ったのかもしれない。しかし、いずれにせよ理由はどうでも良いこと。変態小野が走る気マンマンであること。その事実が大事であった。
変態小野は、「じゃあ行ってきます!」と、一言だけ言って、休憩することもなく走り去った。ストライドの大きな変態小野の走る後ろ姿は、後ろから見ていて頼もしく、また、力強く見えた。
待つ
変態小野が行ってしまったため、後は達ちゃんを待つだけになった。変態小野よりは、かなり遅れることが予想されたため、再びシートに横になる。だが、既に十分なだけの時間を眠ってしまったために、再度眠りに就くことは出来なかった。
こういう時は読書である。本を読むのは好きである。とは言っても、読む量は大したことない。一度に読む時間が短いのと、読むのが遅いために、1ヶ月に1~2冊程度のものである。それでも、何もすることがない時は必ず本を手にしている。
さっそく持参した2冊の本のうちの前日の読みかけのやつを手にした。読むのに集中すると、周りの音は何も入らなくなり、頭の中にある雑念も掻き消える。自分だけの世界、至福の時間。これらのために読書をするといっても過言ではない。
つい達ちゃんのことも忘れ、己の世界に没頭していた時である。“ジリリリリン!ジリリリリン!”と、携帯電話の着信音が静寂を切り裂いた。達ちゃんからの電話であった。3度目の着信音が鳴った時に電話に出た。
内容は、とうとう歩行不能になってしまったために迎えに来て欲しいということだった。それを聞いて、“よく頑張ったけど残念やったな!”と思うと同時に“それなら達ちゃんのことを考える必要がないので、変態小野を行けるところまで行かせよう!”と思ったのである。
大分編から長崎編の第3弾までの9回連続で完走を貫いてきた達ちゃんだけに、無念のリタイアであろう。私は、急いで飛び起き、そんな失意の達ちゃんを迎えにクルマを走らせた。
捕獲
武雄市内は、知らない街であるが故に道がよく分からない。道が分からないが故に迷った。達ちゃんが待っているというスーパーマーケットまでは大した距離はないのであるが、迷ったおかげで、電話を受けてからそこに到着するまでに20分近くの時間を要してしまった。
そのスーパーマーケットの自動販売機の前で達ちゃんを捕獲。スタート地点からここまでの約10㎞の距離で更に足をしこたま痛めたらしく、左足をひこずる姿は前日よりも痛々しくなっていた。
足を治すためには、足を休ませるしかない。足を使えば余計に痛めるだけ。なのに、痛めた足で10㎞も歩いたのだから、更に痛めて当然であった。
痛めた足では、この日完走出来るという可能性が限りなく薄いということは、本人が一番良く分かっていたはずである。また、この日どうにか完走したとしても、もう次はないということも分かっていたはずである。なのに痛い足をひきずってまでこの日のランを行ったのは何故か?
それは、自分が自分に対して課したことは成し遂げるという強い責任感に他ならない。達ちゃんは、責任感の強い男だ。それは、達ちゃんの仕事に対する姿勢や普段の立ち振る舞いからも良く分かる。だからこそ、“何が何でも3日間とも完走してやる!”と思ったのであろう。
その達ちゃんの自分を甘やかさない姿勢には、再度感動したのであった。
託す
達ちゃんは、完走出来ない悔しさと、迎えに来てもらった申し訳なさの入り混じった複雑な表情をしていた。私には開口一番、「すいません!」と言った。私に謝る必要などないのに。まあ、こういう他人に気を遣うところが達ちゃんらしいのだが。
私は達ちゃんに「達ちゃんがリタイヤした今、時間の制約がなくなったから、こうなったら変態小野に全てを託して走れるところまで走ってもらおうやないか!」と言った。この“走れるところまで”というのは、今回の最終到達地点である平戸市である。達ちゃんは、「平戸までかなり距離があるけど、大丈夫ですかねえ。」と答えたが、私は変態小野の能力なら十分に可能だと思っていた。
ただ、問題は、変態小野が私の思惑通りに動いてくれるかだった。何故なら、変態小野には事前に“2日目は佐世保までの55㎞走ればええからの!”と伝えていたからである。
いくら知能の低い変態小野とはいえ、佐世保に着いたら分かるし、平戸をゴールの佐世保だと偽っても、平戸までの約90㎞という距離は経験上、“おかしい!長すぎる!”と判断するであろう。
ともあれ、無念のリタイアをした達ちゃんの分を変態小野に託すという私の考えは変わらず、どうやって変態小野を平戸まで走らせるかを考えながら、とりあえず当初のゴール予定地であった佐世保に向かった。
途中経過
雨はますます激しさを増していた。
時速60㎞という法定速度でクルマを走らせるが、行けども行けども変態小野の姿を目にすることはなかった。激しい雨だった。どこかで雨宿りしていることも十分に考えられた。
ただ、変態小野がどこかで雨宿りしていようと、それは私達にとっては関係のないこと。昼飯時もせまっていることもあり、私達は先を急いだ。
達ちゃんとの車内での会話も盛り上がり、変態小野のことを忘れそうになった時のことだ。おったのである。驚いたことに、コンビニかどこかで買ったビニール傘をさして走っていたのである。ただでさえナナフシのようにヒョロ長い姿で目立つ男が、傘をさして、しかも腰に上着を巻きつけて走る姿は、怪しい以外の何ものでもなかった。
変態小野と遭遇した場所は、達ちゃんを捕獲した場所から30㎞近くも佐世保に寄ったところであった。しっかりと歩を進めている変態小野に安心しながらも、私達は変態小野を抜き去った。
佐世保市
小野を抜き去ってから30分ほどで私達は佐世保市内に入った。私も達ちゃんも佐世保に来るのは初めてのこと。想像以上に大きい街であることに驚いた。
佐世保といえば、佐世保バーガー、米軍・自衛隊の佐世保基地があることで有名である。本来であれば、変態小野が来るまでの間に名物の佐世保バーガーを食って、市内観光でもしたいところである。
だが、ここは当初予定していた、この日のゴールに過ぎない。通過点となってしまったこの時点では、そのようなことをする訳にもいかなかった。よって、市内ではさっさと吉野屋で昼食を済ませただけで、素通りすることになってしまった。
街並み
佐世保の街中を走りながら思ったこと。それは、佐世保には平地が少ないということ。平地は、山から海に至る僅かなスペースのみだ。それなりに人口の多い街であるため、その僅かなスペースで街の形成をまかなえるはずもなく、住宅や商店で見える範囲の山の斜面はビッチりと埋め尽くされている。
佐世保の中心街から外れた付近の街並みには、何となく門司の街並みと似たような雰囲気を感じたのだが、それは達ちゃんも同じで、しきりに「門司の街並みと似てますね!」と連呼していた。見慣れた門司の街並みと似ているとあって、愛着を覚えた佐世保の街並み。観光したいのに出来ないという、未練に後ろ髪引かれながら通り過ぎて行く私達。
最終日に佐世保観光が出来るかどうかは、この日、変態小野が平戸まで到着出来るかどうかにかかっていた。
選定
途中、一旦止んだと思われた雨も、再度降り出した。その激しさは、ワイパーの速度を最大にしなければならないほど。激しい雨で周りの景色は、アっ!という間に見えなくなった。このような激しい雨の中でも、走り続けなければならないということは、変態小野にとってはとても酷なことであろう。
だが、何があっても天候の良し悪しは、平戸まで走るという目的には全く関係のないこと。漢塾ランは、どのようなコンディション下であっても何ものにも影響されることなく行われるということを、これまでのランで変態小野は嫌というほど分かっているはず。そのことが分かっていたから私は、何も心配はしてなかった。
これまでにリザーブランも含めた全18回の漢塾ランに全部参加して全部完走した唯一の男である変態小野。他のことでは全く信頼のおけない男だが、こと漢塾ランにおいては信頼度300%の男である変態小野。長距離を走りきることにおいて、この男の右に出る者を私は知らない。
そんな安定感バツグンの変態小野のために、仮のゴールとして選んだのは、この日のスタート地点より60㎞行ったところにあるドラッグストアの駐車場であった。
繁盛
ドラッグストアの駐車場に到着したのは、午後1時過ぎのこと。そこから3時間近くを達ちゃんとクルマの中で待つことになった。これまでは、どんな時も待つのは1人だった。だが、今回は初めて誰かと一緒である。このことは私にとっては嬉しいことだった。
私は、生来の寂しがり屋である。1人で過ごすのも好きだが、どちらかというと誰かと一緒に過ごすことを好む傾向にある。そんなわけで、変態小野が到着するまでずっと話し続けたのである。
そして、話が途切れた時にふと気になったのがドラッグストアの客の多さである。とにかくひっきりなしにクルマが出入りするのだ。故に、駐車場は常に8~9割はクルマで埋まっていた。
ドラッグストアは、佐世保市の隣町の周りに何もない場所にあり、他に競合する店がないために繁盛しているのかもしれないし、安さでは有名な店であるために繁盛しているのかもしれない。いずれにせよ、絶えることのない客の多さに私達は驚いたのだった。
到着
変態小野を待つ間は、達ちゃんとの会話で、暇することはなかった。会話に熱中するあまり、変態小野のことを忘れそうになった時のことだ。
ドラッグストアの前を走り去って行く変態小野を偶然に目にしたので、急いでクルマから出て変態小野を呼び止めた。時刻は午後4時過ぎ。スタートしてから7時間半が経過していた。
説得
7時間半ぶりに再会した変態小野に疲れは全く見られなかった。スタート地点からこのドラッグストアまで60㎞の距離。達ちゃんなら可能かもしれないが、私には走れない、歩けない距離である。そんな距離を走って、何の疲れも感じさせない変態小野は、さすが変態と言われるだけのことはあった。
変態小野も疲れはそれほどではないと言う。“走れ!”といわれれば、まだまだ走れるらしいが、何せ60㎞も1人で走ってきたとあって、走ることにはええ加減に飽きたと言う。その気持ちは分からないでもなかった。
しかし、どうにかこの日に変態小野を平戸まで行かせ、最終日をフリーにしたいと考えていた私は、「あと10㎞走れ!そうすれば明日は残り20㎞走ればええだけやないか!今、少しでも頑張っておけば、明日が楽なんや!」と、変態小野を説得した。
変態小野は、「ううっ!」と言って、うつむき少し沈黙した後、「分かりました。でも、これが最後ですよ!本当に最後ですからね!」と、私に念を押しながらもプラス10㎞を走ることを了承した。
私は、「そうか!そうか!走ってくれるか!」と、変態小野がランを続行することに喜びはしたが、変態小野の念押しに「分かった!」と、頷くことはしなかった。それは、10㎞先で再度説得する時に、「あの時、“分かった!”と言ったじゃないですか!」と、責められるを避けたかったからである。
ともあれ、変態小野の気が変わらないうちに、「10㎞先で会おう!」と言って、変態小野を行かせた。7時間以上も走って、たった15分だけの休憩。傘をさしてトボトボ走る変態小野の後姿を見ると、少し可哀想な気もしたが、これも漢塾では前人未踏である90㎞走破という野望のためには仕方のないことであった。
選定
一路、10㎞先を目指してクルマを走らせる。助手席には達ちゃんも一緒だ。達ちゃんといろいろと話ながらも、私の頭の中は、どこにクルマを停めるかで一杯であった。もしかしたら、次で変態小野が「もう絶対に走りません!」と、ダダをこねるかもしれない。そうなると、そこがこの日のゴールになってしまうから、そのまま平戸まで行ってやろうかとも考えた。
しかし、そうなると、これまでの漢塾ランで体に距離感覚が完璧といえるほどに染み付いた変態は、途中で“明らかにこれは距離が長すぎる!”と、疑問に思い、腹を立ててしまうだろう。
まあ、こいつが腹を立てようと、そんなこと知ったことではないのだが、さすがにそれは可哀想に思い、やむをえず当初予定していた距離に5㎞プラスした適当な場所にクルマを停めた。
そこは、ドラッグストアから15㎞。スタート地点から75㎞、平戸まで残り18㎞の場所。クルマを停めてから私は、“今度は何と言って変態小野を説得しようか。”とばかり考えていた。
到着
この場所に変態小野が到着したのは、午後6時前。ドラッグストアを出発してから1時間半の時間が経っていた。
変態小野は、走るのに飽きたため、途中から半分くらいは歩いたと言う。しかし、それでも15㎞を1時間半で来ている。70㎞以上走った、この時でさえスピードは全く衰えてなかいのである。これは、驚くべきことだった。しかも、ドラッグストアに到着した時と同じく、全く疲れを見せてなかったのだ。
“こいつは人間じゃねえな!”と思った。変態でも一応は人間だが、この時のこいつは変態を凌駕して、人間離れしていたのだ。長距離を速く走るだけなら、こいつより速い者は腐るほどいる。しかし、長距離を足を全く痛めることなく走ることにおいて、こいつの右に出る者はそうはいない。
背の高さ以外に何も取り柄の無い男であるが、長距離を走ってもビクともしないこの強靭な脚は、他に誇れるべきもの、こいつの唯一の長所と言えるべきものだ。“この脚は、変態小野が天から与えられたもの!”本気でそう思った。
難航
変態小野は、これで終わる気マンマンであった。だが、これで終わらせるわけにもいかないので、すぐに話を切り出した。変態小野も私がこれで終わらせるわけはないと思っていたようで、私の出方を身構えていた。
「お前、ここまで来ればあと18㎞や!あと18㎞やぞ!あと10㎞ほどどうにか走れや!」
「いや、でももう走るのに飽きたんです。それに辺りが暗くもなったから危ないし。」
「18㎞だけ残しといても仕方ないやろ。明日のために走っとこうや!今日やっとけば、明日は全部観光に使えるぞ!」
「いや、でも本当に飽きたんですよ。本当にもうダメなんです。」
「でも、お前!脚は全然大丈夫そうやないか。まだ走れるのに止めてしまうんか!走れんようになって止めるんならまだしも、まだまだ十分に走れる状態で止めてしまうのは、漢としてどうかと思うぞ!」
「いや、でも本当に本当にもう走りたくないんですよ!出来るとか出来ないとかいう問題じゃないんですよ。お願いします。もうここで終わらせてください!」
「よし、分かった!そこまで言うなら、俺とお前の考えの折衷案として、もう5㎞だけ走ろうや!18㎞が5㎞やぞ!4分の1になったやないか!これは、すごいサービスやぞ!お前なら歩いても30分あれば終わる距離や。どうや!」
「本当に、本当に、本当にこれで最後ですよ!これ以上は僕は何を言われても走りませんよ!本当に本当にお願いしますね!」
と、変態小野は何度も何度も私に念を押して渋々、ランを続行することを了承した。
これも、何を言われても断固として引き下がらない私の態度に変態小野も屈したためだが、私はこの時も「わかった!」とは言わなかった。
そして、変態小野がランの続行を了承したことで、平戸まで行かせられることを確信した。変態小野は、「必ず5㎞先で待っててくださいよ!お願いしますよ!」と、不安満々で走り始めた。私は、闇に消えて行く変態小野の後姿を見ながら、「次会うのは平戸でな。」と呟いた。勿論、変態小野には聞こえてなかったろうが。
夜道
いつの間にか夜の帳が下りた暗闇をクルマを走らせる。平戸へ至る海岸沿いの道と山道が入り組んだ道は街頭もなく真っ暗で、しかも歩道が無いため、すぐ側をクルマがビュンビュン走るため、とても危ない。こんな道を変態小野は懐中電灯も持たないまま走らなければならないのだ。
達ちゃんと一緒に「変態小野は大変だね。」と、他人事のように言い合う。
暗くて、寒くて、危なくて、そして1人寂しく走る変態小野に比べて、私達は暖かい場所で2人で談笑している。対照的な私達と変態小野の立場に可笑しくなりながらも、変態小野の無事を祈った。
これまでに幾多のランを完走した変態小野ならば、少々の困難なことはクリアするだろうとの期待を込めて。
道の駅たびら
丁度、5㎞の場所にクルマを停めるなどという気持ちは最初から毛頭無い。かと言って、いきなりゴール予定地である平戸大橋の麓まで行っては可哀想な気もする。よって、先ほどの場所より10㎞行った場所である“道の駅たびら”にクルマを停めた。ここから平戸大橋までは約8㎞の距離であるため、この短い距離ならば変態小野を説得しやすいと思ったためだ。
“道の駅たびら”の入口にある柱には、巨大なカブトムシが留まっており、柱には“昆虫の里たびら”と書いてある。カブトムシやクワガタなどの昆虫を売りにした道の駅なのだろうか?興味はあったが、敷地内の建物は既に閉館していたため、それを確かめる術は無かった。
ここで、私達は1時間近く変態小野を待った。いつもの変態小野なら、もう到着していても良い時間である。だが、変態小野は来なかった。変態小野は走るのに飽きたことにより歩いていると思われたため、それも当然のことであった。
私達は、山奥の周りに何もない寂しい場所で待つのにも飽きたため、また暇でもあったため、ゴール予定地の平戸大橋の麓まで、ゴールの視察という目的で行ってみることにした。
予定変更
平戸大橋の麓までは、道の駅より8㎞ほどの距離。平戸大橋は通行料が要る橋であるため、私達はそのすぐ手前にあるパーキングにクルマを停めた。
パーキングには、2階建ての展望台があった。1階部分はレストランであり、まだ営業をしていた。この時、私達は晩飯をまだ食ってなかったので、もし変態小野が到着した時にこのレストランが営業していたら、ここで食おうと思った。好奇心から私達は、2階の展望台に上り、景色を眺めた。
平戸大橋の夜景と平戸島の夜景が美しかった。灯りに照らされている海面を見ると、流れが速く渦を巻いているのが分かった。“こういう場所に住み着いた魚は、脂の乗りが良く、身が締まって美味いんだろうな!”などと思いも馳せた。
飽きない景色ではあったが、いかんせん寒いため、5分もしないうちに私達はクルマに戻った。そして、美しい景色で心が洗われたためか、それとも道の駅まで戻るのが面倒臭くなったためか、気が変わった私は、ここで変態小野を待つことに決めた。
電話
ここで待つと決めたからには、もう動くつもりはなかった。“変態小野も既に約束であった5㎞以上は走っているはず。ここまで来たら、変態小野も私が途中で待っているとは思わないだろう。”と思い、私達の待っている場所を伝えるために変態小野に電話した。
変態小野は、なかなか電話に出ない。達ちゃんに「変態小野は電話に出んわ!」と言った時のことである。変態小野が電話に出たのである。
変態小野は、丁度、道の駅の前にいると言う。道の駅の前にあるたこ焼き屋でたこ焼きを食ったばかりでもあると言う。“もう、そこまで言っているのか!”と思った私は、“しめた!”とも思い、すぐに切り出した。
「俺らは、ゴールである平戸大橋の麓のパーキングで待っとるんやけどな。そこからやったら2㎞(本当は5㎞)ぐらいやから、もう最後まで走ってしまえや!」と。
それを聞いた変態小野は、「もうそんなに僕は来ているんですか。あと2㎞でゴールなんですね。分かりました。じゃあ、もう少し時間はかかるかもしれないけど、そこで待っててください。」
あっけない返事だった。少しはだだをこねるかと思ったのに。だだをこねたら、“残りはわずかなんど!”と言い張って変態小野の主張を突っぱねようと思っていたのにだ。でも、変態小野が素直にゴールまで走ることを了承してくれたことは予想外とはいえ有り難かった。説得するのに余計なカロリーを消費しなくて済んだのだから。
不審物
電話を切った時が午後7時半頃。道の駅からこのパーキングまでは8㎞の距離だから、全部歩いたとしても変態小野の脚なら1時間もあれば辿り着けるものと思われた。だが、もう1時間も待つのは、苦痛であった。いくら2人とはいえ、8時間以上もクルマの中で話しているだけでは飽きてくるのだ。
そんな時、私達の目に飛び込んで来たのは、真っ暗な海面を非常にゆっくりなスピードで動く小さな光であった。そのゆっくりなスピードは、意識して見ないと分からないほどのスピードであったが、動いているのは間違いなかった。
小さな光は、私達の目の前を通り過ぎると、平戸大橋の下を一旦くぐってから時間をかけて戻って来た。そして、私達の目の前を再度通り過ぎると、遥か先まで動いて行き、そのうち見えなくなった。また光が戻って来るかと期待して海面を見ていたが、光が戻って来ることはなかった。
「あれは何やろうな。船にしては小さすぎるから絶対にそれはないな。浮きならあれだけの広い範囲を動くことはないし、ラジコンの船なら、もっと速く動くし、あれだけの長い距離を遠隔操作は出来んよな!」との私の言葉に達ちゃんは、「そうですよね。分からないですね。あれは何なんですかね。」と返した。
何かが海面を動いているのは間違いのない事実。それは、2人で見ているのだから錯覚や妄想ではない。なら、あの光は何なのか?その疑問に対しての答えは結局出なかった。
しかし、有り難いことにそのおかげで時間が潰せたのであった。
到着
暗闇を男が走ってくる。その男は、猛スピードでクルマの前に来て止まった。
謎の光に気を取られていた私は、最初その男が変態小野とは分からなかった。だが、街灯の灯りに照らされた男のナナフシのような細長い姿を見て、ようやくそれが変態小野だと気付いたのであった。
ここまで90㎞以上走ったというのに、相変わらずというか変態小野には疲れも悲壮感も何も感じられなかった。ただ、本人が言うには、もう限界に近いくらいに走ることや歩くことには飽きたそうだから、もうこれ以上は何も出来ないとのことであった。
ちなみに、ここまでの真っ暗で歩道も無い悪路をクルマに轢かれないように右往左往しながら、ここまで走ったと言う。また、変態小野はドラッグストアで私が追加の走りを要求した時から、“これはどう断っても、この人は最後まで走らせるんだろうな!”と、覚悟を決めていたとも言う。だから、私が約束の距離をオーバーした時も、文句を言うことはなかったし、“ゴールで待っているから来い!”と言った時も素直に了承したわけだ。
こいつは、付き合いが長いだけあって、私の性格を良く分かっている。しかし、それなら最初から“平戸まで走ります。”と言えば良いのにだ。要らぬことで頭を使わせやがってと、少し腹も立つ。ただ、そんなことは些細なこと。変態小野が無事に平戸まで走れたということが何よりのことであった。
平戸までの約93㎞を12時間かけて1人孤独に走り抜いたこと。私の周りの誰も真似出来やしない偉業を成し遂げたこと。そして最終のランに襷を繋げたこと。
変態小野は、己に課せられた仕事を実に見事に成し遂げた。普段は頼りなく、褒めるところが1つもない男であるが、この時ばかりは誰よりも頼もしく見えたのだった。
ランを終えて
不慮のアクシデントで、無念の途中リタイアとなった達ちゃんからの魂の襷を受け継ぎ、見事93㎞というこれまで塾生の誰も経験したことのない長丁場を走り抜いた変態小野。結果だけ見れば、変態小野1人の功績とも見れるが、そうではない。達ちゃんの魂を襷として担いだからこそ、90㎞という長丁場を脚を痛めることもなく事故に遭うこともなく無事に走れたのである。最終ランである長崎市まで襷を繋げることが出来たのは、達ちゃんの魂と変態小野の超人的な走りの共同作業の賜物なのだ。
私は、この2人の見事な仕事ぶりにド根性っぷりに感心する。そして、最後の長崎市まで行かせてくれることを心より感謝する。
全ては、この2人のおかげ。さあ、次はいよいよ漢塾ラン長崎編のラストだ!
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