四国八十八ヶ所 自転車遍路(第四弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2005年09月17日() ~ 2005年09月22日()

四日目(2005/ 9/20)

避難

頬に冷たい感触を感じたことで、夢の中から現実に引き戻された。

目を開けて分かったこと。それは、雨が降っているということだった。

屋根付きの駐輪場に寝ているから安心かと思えば、そうはいかなかった。強風と共に激しく横殴りに降りつける雨は、横に何も遮るもののない私達に容赦なく襲いかかった。おまけに、私達の寝ている駐輪場はレストランよりも低い位置にあるため、レストランの方から水が流れてくるのだ。”これはヤバい!”と思った私達は、荷物と寝袋を持って、レストランの軒下まで避難した。

避難生活

050920_0502レストランの軒下は、2mぐらいの幅があったたことと、雨の叩きつける方向が違うということで、幸いにも雨に濡れるという事態からは逃れることができた。だが、問題は雨に叩き起こされたことで、完全に目が覚めてしまい、再び寝付くことが出来ないということだった。

時計を見ると、時刻は午前4時過ぎであった。まだ、夜明けまでには時間がある。飯を食うには早過ぎるし、話をしようにも話すことがないし、何かをするような気力も無い。よって、仕方なく横になることにした。仰向けになると、コンクリートの床がヒンヤリと、心地良い。その心地良さで、ついウトウトしかけるが、やはり眠りに落ちることは出来ない。”早く眠らなければ!”と、意識すればするほど余計に目が覚める。

結局、そのまま眠りに落ちることができずに夜明けを迎えることになった。

朝のお勤め

050920_0614周りが明るくなったのを確認してから起き上がった。リュックに手を伸ばし、中から出したのは旅の間、ずっと書いている日記帳。これを書き終わるまでには、どんなに早くとも30分は必要。前日にあったことを思い出しながら、適当に殴り書きする。

これは、お遍路を始めた時からの習慣である。後日、レポートを書く時の資料にするのだが、あまり役には立ってない。レポートを書くには私の記憶力と、撮った写真を見れば、99%事足りる。これのためにアホの末より30分早く起きることを余儀なくされるのに、役に立ってないということは悲しいことである。だが、これまでは役に立ってなくても、これから役に立つかもしれないから、最終日までは書くつもりでいる。これはもしかの時の保険のようなものである。

出発

日記を書き終え、朝の身仕度を終えても、まだ午前7時前。いつもの大体の出発時刻である午前8時までには1時間も余裕があった。これは、雨に叩き起こされたおかげだった。

別に何もやることが無かったので、1時間早く出発したら、その分長く活動できると思い、すぐに出発した。

散々な目に遭わされた夜明け前の雨であるが、私達は”早く出発できる”という恩恵を、それから享受していた。私は、物事には二面性があるということを改めて実感していた。

慣らし運転

050920_0746この日、最初の寺である第70番本山寺までは約5㎞の距離。街中の平坦な道を走るようになるため、寝起きで完全に目覚めてない体には優しい行程であった。体の慣らし運転と思い、私達は速く走ることもなく、かと言ってノロノロ走るわけでもなく、心拍数が平常より少し上がる程度の適度なスピードで走った。

今朝方の雨が上がったばかりとあって、空気の湿度は高く、かなり蒸し蒸ししており、すぐに玉のように汗が吹き出た。いつまでも、綺麗な体のままいたかったのだが、さすがにそうはさせてくれない。だが、汗をたらふくかいたことで、そのような甘い気持ちも汗と一緒に流されたようだった。

やはり、汗をかかないことには、心と体のエンジンもかからない。

第70番 本山寺

050920_0805途中で道を間違えたということもあり、第70番本山寺に到着するには50分もの時間を要した。

本山寺は弘法大師が一夜の内に建立したという伝説がある寺である。広い境内には、五重塔を始めとして、多くの重要文化財が立ち並び、我々の目を楽しませてくれた。それらの中で最も私の気を惹いたのが、本堂であった。

050920_0807外観は京風、内部は奈良風という鎌倉時代に確立された折衷様式の造りらしく、その造りの建物の中でも傑作とされ、国宝に指定されているらしいのだ。国宝とは読んで字の如く、国の宝である。重要文化財に指定されているものは数あれど、国宝に指定されているものは少ない。その国宝がデンと目の前に建っていることは喜ぶべきことであった。

もともと建物の造りなどには興味のない私ではあるが、ここへ来るまでに多くの素晴らしい、そして驚くべき造りの建物を見ていたので、自然と建物を見る目が養われていた。よって、細かいことまでは目がいかないものの、この本堂が国宝に相応しい建物であるかぐらいは分かった。当時のものがそのまま残っているわけではないが、欄干の彫刻や、柱の組み方など、素人目に見ても見事なものであった。

朝一番で、このような感動を与えてくれる寺で納経できたのは有難いこと。私達にとっては、幸先の良いスタートとなった。

弥谷寺へ

050920_0746第70番本山寺から第71番弥谷寺までは約12㎞の距離。遍路地図で、位置を確認したところ、ほぼ街中を通るようになっているので、私達は気楽に構えていた。

確かに実際に走ってみると、弥谷寺に至る道程の9割5分ぐらいが平坦な道。最後に弥谷寺の麓の駐車場へ至る道が坂道となっていただけであった。よって、麓の駐車場までは、労することなく辿り着けた私達であったが、問題はこれからであった。

到着

050920_0950弥谷寺の麓の駐車場に到着した私達は、さっそく山門へと至る階段を登った。わずかばかりの階段を登り終えると、左手に茶店が現れた。甘酒やらあめ湯やらを振舞う店らしい。甘いもの大好きの私であるから、思わず食指が動いたが、納経するより先にこの店で休憩したら、気持ちが途切れてしまうと思い我慢した。

そして、私達が向かったのは、参拝者を迎え入れる山門であった。少し小ぶりながらも、迫力ある対の仁王像が私達を出迎えてくれる。その前で一礼し、中へ入ると、延々と上へ続いて行く階段が。どうやら本堂は、その階段の先の更にまた先にあるようだった。

山一つがまるごと境内の中に納まった珍しい寺である。体力を消耗した一日の終わりなら、怯みそうな膨大な量の階段なのだが、まだ体力を消耗してない一日の始まりとあって、そうはならなかった。

どんな困難が待ち受けていようとも、進まない限りは、目的の場所に到着することが、目的を果たすことができない。”行くしかない。””やるしかない。”これは、これまでの旅で私達が得た半ばヤケクソにも似た心境であった。

だが、ヤケクソと違うのは、これは非常にポジティブな心境であるということ。私達は、困難の向こうにあるものに会いに、また、それを掴みにいくのだから。 私達は、怯むことなく、最初の一歩を踏み出した。

観音様

050920_0955とりあえず、最初の階段を登りきったところに身の丈5~6mはあろうかという大きな観音様の像が立っていた。そんなに古いものではない。戦前か戦後すぐくらいに立てられた新しいものである。

信心深くない私は、こういうものを見ても有難いとは思わない。”造るのに、どれくらいの金がかかっただろう?”と、思うだけだ。 山一つがまるごと境内になった十分に魅力的な寺なのだから、”こんなシンボリックなものは要らないのに”と、思いつつも、その像の前を通る時に思わず礼をしてしまった。

やはり、人間はこういう偶像的なシンボリックなものに弱いのだろうか?

527段

050920_0956観音様の像を過ぎ、再び我々の前に現れたのは、赤い階段だった。階段横の石には”527段”と彫られたプレートが貼り付けられてある。どうやら、ここから527段ほど階段があるらしかった。

ここへ来るまでも、それの半分くらいは階段を登ってきたのだから大した段数ではないと思ったのだが、いざ登ってみると勝手が違った。とてつもなく、傾斜が急なのである。しかも、1段の幅が著しく狭いため、足を踏み込んだ時に、足の大きい私達では、どうしても踵が段の外に出てしまうため、安定が悪いのだ。

少しでも後ろにグラつこうものなら、転げ落ちてしまい、大ケガ以上は確定である。また、先の様子を見ようとすると、階段の傾斜が急過ぎて、首と体を大きく後ろに傾けて上を見上げなければならないため、どうしても後ろにグラついてしまう。よって、私達は上を見ながらではなく、目の前に垂直な壁のように聳える階段を見ながら登って行くことを余儀なくされた。

鉄の階段ばかり見ながら登り続けることは非常に退屈であり、苦痛なことでもあったが、階段を転げ落ちるよりはマシと思い、私達は黙々と登り続けた。

小休止

050920_0958どうにか200mほど真っ直ぐ続く階段を登り終えると、急な階段の段差でガクガクした膝を休めよとばかりに、階段の踊り場のような感じの広いスペースが現れた。

ここには、四国八十八ヵ寺には必ずと言って良いほど設置されている弘法大師の像が立っていた。観音様の像よりは大きさでもインパクトの面でも劣るものの、前を通る時には、やはり反射的に一礼をしてしまった。どうやら礼をすることが既に体に染み付いてしまっているようだった。

ここにはあ、ベンチもあったので、一休みしようかとも思ったが、気持ちが途切れそうになるので、やめた。私達は、次の階段目指し歩き続けた。

また階段

050920_0959次に現れたのは、石の階段であった。最初に登ってきた鉄の階段よりは、傾斜はずっと緩やかで、先を見る余裕もあるのだが、何せ階段の長さが長いのである。これには、まだ2寺目で、体力を十分に余している私達も参った。

1段1段と階段を登るたびに、膝に腿にダメージが蓄積されていくのである。私は、普段からつま先立ちスクワットを何百回とやっているが、それでも結構足にくるのだ。スクワットをやる習慣のないアホの末は、私よりも足にきたみたいで、後ろから見ていると足をプルプル震わせながら登っているのが分かった。

“これは、途中で休むことになるかも。”と思ったが、意外にもアホの末は、ペースが落ちようと、階段を登ることを止めようとはしなかった。

いくらキツいとはいえ、この日の行程もまだまだ序盤。いちいちこんなことで休んでいたら、気持ちがダレて後に響くと思ったのだろう。それは、私も同じ気持ちだった。よって、私達は膝や腿が悲鳴を上げているのが分かりつつも、階段を登り続けた。

気付く

050920_1000どれくらい登り続けたであろうか。ある程度登ったところで気付いた。この弥谷寺の境内は、山をグルグル回りながら登っていくのではなく、ほぼ垂直に近い形で切立った山の側面をジグザグしながら登っていくのだと。

階段が、山の側面にジグザクに貼り付けられた形になっているので、どうりで階段の傾斜がキツくなるはずだと思った。そして、私は、これと同じような形の寺があったことを思い出していた。それは、四国八十八ヵ所遍路第二弾で納経した第35番清滝寺であった。階段と坂道の違いはあるものの、清滝寺も山の側面にジグザグに坂道が貼り付けられていたのだ。あの時も私達は確かに急な坂道に苦しめられていた。

階段と坂道。どちらも登ることにおいては同じだが、全く違うものである。よって、どちらがハードであるかは比べることは出来ない。だが、どんな時も、現在やっている事の方をハードに思うもの。

何度も、”やっぱ坂道より階段の方が足に来るよなぁ。”と、アホの末と言い合いながら登っていた。

またまた階段

050920_1000_01石の階段を登り終えると、また階段の踊り場のような少し開けた場所に出た。ここには、お堂があり、ベンチもあったのだが、当然ながら通り過ぎる。そして、20mほど行くと、また階段が。今度の階段も石段ではあるが、横幅が狭く、傾斜が少し急になっていた。”まだ階段が続くのか!”と思いつつ、上を見上げると、本堂の姿が見えた。どうやら頂上は近いようだった。

050920_1002_01この階段の右横には、垂直に切立った、岩の壁があり、そこには仏像が彫り込まれていた。かなり昔に彫り込まれたらしく、風化して、その姿はどうにか仏像と判別できる程度のもの。”よくこんなところに彫ったな。”と感心はしても、目や心を惹かれるものではなかった。

この岩の壁は、本堂の後ろまで続いており、その岩壁の高さは更に高いものになっている。大岩をバックにした寺ということで、今度は、第45番岩屋寺を思い出してしまった。清滝寺に岩屋寺の特徴を兼ね備えた弥谷寺。面白い寺である。いやがおうにも、期待は高まった。

第71番 弥谷寺~大師堂

050920_1006弥谷寺へと続く最後の階段を登り終えると、まず最初に現れたのは大師堂であった。この時、私達の膝はガクガクで腿はパンパンになっており、かなり痛んでいたのだが、到着したとたんにそれらの痛みが和らぐのだから不思議だ。

とりあえず、私達は自分達がどれだけ登ってきたのかを確認するために、大師堂から下界を望んだ。

050920_1003標高は380mぐらいで、大した高さではないのだが、苦労して登ってきただけあって、その景色は格別であり、何となく達成感に近いものを感じていた。だって、これまでにこれより高い山はたくさん登ったけど、380mもの高さを全部階段だけで登ったことなど、無かったのだから。

私達は、呼吸が落ち着くのを待つことなく、すぐに納経を始め、それを終えると大師堂より更に高い場所にある本堂へと向かった。

本堂

050920_1015本堂へ行くには、また階段を登るようになる。

本堂に到着して、中へ入るにはまた更に階段が。この寺は、やたらと階段を登らせたがる。

050920_1017_00本堂の中に入ると、最小限の明かりしかなかったので、昼なお暗かった。本尊の前には、一人の若い男がいた。髪が長く、体も細い今風の男。その男の存在を気にかけながらも、私達は納経をした。

私達が納経し終えた頃に、その男も納経し終えたので、声をかけた。その男の歳は25歳。会社を辞めて、これから何をすべきか考えるためにお遍路をしていると言う。最近の若者に良くあるパターンだ。現在の若者にとっては、四国八十八ヵ所遍路も”自分探しの旅”の一つになっているのかもしれない。

若者との話で驚いたのは、8月15日からお遍路を始めたということだった。お遍路も終盤のここまで35日で来たことになる。ペースの速い人で、39~40日ほどで全部まわるというが、若者は、そのペースより早く歩いている。

無職で時間に余裕があるのだから、”もっとゆっくり行けばいいのに”と思うのだが。まあ、期間が長くなれば、それだけ金も要るから急ぐのも分かるような気がした。

本殿の中にある納経所で記帳を終えると、私達は若者と話ながら一緒に麓までの階段を降りた。登るのはキツいが、降りるのは楽なもの。思わず、人生というものを感じさせられてしまう。

こういう体力的にキツい寺は、いつも必ず何かを感じさせてくれる。

050920_1044若者と別れ、私達は来た道とは別の遍路道へ入って行った。

どうにかマウンテンバイクで走れるぐらいの体に優しい遍路道で、弥谷寺の階段で体力を消耗していた私達としては助かったのだが、気になることがあった。あまり雰囲気がよろしくないのだ。

人気がなく、日中でも薄暗いというのが関係しているのかもしれないが、とにかく私は早く通り抜けてしまいたかった。特に、途中通りかかった池は、水も緑色に濁っており、河童でも潜んでいそうな感じだった。

こんな場所は、日中でも通りたくない。これが、夜となれば尚更である。臆病者の私は、前を走るアホの末を”もっと早う走れ!と、急かした。

以前、某公園の池の中の出島で恐い目に遭い、夜中の大移動をしたのだが、状況は違えど、あの時のシチュエーションに似ていると思った。こういう気持ちの良くない場所は早く去るに限る。

第73番 出釈迦寺

050920_1102_00遍路道を抜けると、少しだけ舗装道を登るようになる。登りきったら、あとは下るだけ。

第73番出釈迦寺は、下り始めてからすぐのところあった。”先ほどの弥谷寺は、第71番なのに、何で次が第73番なんや?と思ったが、あまり深いことを考えてはいけない。とにかく、目の前に現れた寺から納経して行くに限るのだ。

050920_1100寺の入口に至る参道には、地元の農家の人が設置したと思われる無人販売所があり、販売コーナーには、何故か”いじわるはしないで”と書かれた張り紙が貼ってあった。田舎に行けば、何所にでもある無人所販売所なのだが、何故こんな張り紙を?金を入れないで、品物だけ取って逃げる奴がいるのだろうか? 張り紙の作者の真意はともかく、なかなかインパクトのある張り紙であった。

山門をくぐりぬけると、狭くて地味ながらも、掃除や手入れが行き届いて整然とした境内が私達の目の前に広がる。

納経をしようと、本堂の前に立つと、まず我々の目に鮮やかな錦の御札が目に入った。10枚づつ額に入ったもので、錦の札の下には、住所と名前が書いてあり、それを納めた人が分かるようになっている。それが10ケースほどあった。

050920_1109そして、そのケース群の中にあって、特に私達の目を惹いたのが、中央に置かれた”大先達”と、書かれた夫婦の写真だった。この夫婦は何と!200回もの遍路を実施しているらしい。四国八十八ヵ所遍路は早く回って40日。途中で途切れさせることなく回り続けたとして、年に9回ほど回れるから、200回達成するには最短でも23年は必用である。でも、これはお遍路だけしかしなかった場合の計算で、多少は他のこともするかもしれないから、おそらくこの年数プラス10年ぐらいかかったのではないかと思われた。錦の札が100回だから、実にその2倍も回ったのだ。この夫婦、恐るべしである。

ただ、私のような信仰心の無い罰当たりな者からすれば、四国八十八ヵ所遍路は順打ち(1~88番の順に回る。)と、逆打ち(88~1番と、逆に回る)の2回やれば十分だと思っている。だいたい、100回も200回もやる暇はないし、もしやる暇があったら、他のことをやる。私にとっては、100回も200回もただの数字でしかない。だから、この夫婦のことで一番気になったのは、”仕事はしてないだろうから、接待だけでここまで食いつないできたのだろうか?”という現実的な疑問であった。

050920_1108しかし、一つ羨ましいというか、すごいと思ったのが、何十年も夫婦で同じことをやってきたということ。お遍路の道程の如く、夫婦仲も山あり谷ありだったのだろうけど、ここまでやってきたのだから。その夫婦仲は見習うべきことだと思った。

納経を終えた私達は、納経所で思いもかけない接待を受けることになる。納経所の人が接待として、払った料金の半分である150円を返してくれたのだ。150円あれば、ペットボトルが1本買える。これは大変有難いことであった。

ここで、またあの夫婦のことを思い出し、「あの大先達の夫婦の写真を見たから、御利益があったのかな?」と、冗談交じりにアホの末と話した。

結局、この寺ではインパクトが大き過ぎて、全てがあの夫婦のことに終始したように思う。 一生を遍路に捧げる人は数多くおれど、それを夫婦でやる人は他にいないのでは?こんな夫婦がいることが分かったことは驚きであった。

第72番 曼荼羅寺

050920_1137第72番曼荼羅寺は、第73番出釈迦寺から約400mほど下ったところにあった。下るだけなで、消費カロリーはゼロ。次の寺へ行く行程では、これまでで、一番楽なものだった。

ここでは、先ほどの第71番弥谷寺で会った若者と出会った。どうやら、私達と違うルートを通ったらしく、当たり前に順番通り、曼荼羅寺から納経していた。

それはともかく、ここまで歩いて来る速さには驚いた。いくら、私達が、前の寺で大先達の夫婦に足止めを食ってゆっくりしていたとはいえである。”もしかしたら、こいつ走っとるんじゃないのか?”と、疑うほどの速さ。こいつも驚異的であった。

第一弾の時に出会った若者といい、山道で後ろから私達を追い越した老人といい、遍路では常識外れの者に良く出会う。

ここで、納経をした後、私達はしばしの間、会話をして別れた。若者はこれから第73番の寺へ行き、私達は約2㎞離れた第74番の寺へ行く。若者が第73番で納経を終えて、第74番に来る頃には、既に私達は立ち去っているから、もうこれで会うことはないと思っていたのだが。

第74番 甲山寺

050920_1203第72番曼荼羅寺から第74番甲山寺までは、約2㎞ほどの距離。そこへ至るまでの行程は、終始ひたすら平坦な田んぼ道であった。

甲山寺は、どこの町中にもあるような普通の寺。その佇まいは私達が今、四国八十八ヵ所遍路をしているということを忘れさせてくれる、日常生活に戻ったのだと錯覚させてくれるものだ。

050920_1204何も見るべきところが無い寺と思い、納経を済ませて早々に立ち去ろうと思っていた私の目にとまったのは、”ビンズル尊者”と、台座に書かれた坊さんの坐像だった。

どこの誰の坐像かは分からないが、ここを訪れる人がツルツルの頭を触っていくのだろう。ピカピカに磨かれた坐像の部分でも、頭の部分がやけに光沢を放っていた。”尊者”と、書かれているからには、人々から尊敬を受けるべき人格者に違いない。私も、他に習い、ビンズル尊者の頭を撫でた。触ったからとて、何かあるというわけでもないのだけど、やはり触ってみたくなる頭ではあった。しっかりと、私の手垢がついたビンズル尊者の頭は、更に輝きを増すことだろう。

昼飯

050920_1247_00次の納経する寺である第75番善通寺までは、1.6㎞ほどの距離とあって、すぐに到着した。だが、激烈に腹の減った私達は、すぐに寺の山門をくぐることはぜずに、近くにあるうどん屋ののれんをくぐった。

かなり大きいうどん屋ではあるが、昼飯時とあって、店内は人でごったがえしていた。

満席のため、少し待って席に通されたのだが、テーブルの上はまだ前の人の食い終わったものが置かれたままであった。しばらく経って注文したものを持ってきた店員は忙しいからか、それらのものを下げずに他のテーブルに行ってしまった。

普段なら、店員を呼びつけて文句を言うところ。だが、私達は今、お大師さんと同行二人でお遍路中である。それに先を急ぐということもあり、注文したものが早く出てきただけでも良しとして、言うのは止めた。ただ、私の怒気を察知したのか、それとも下げ忘れたのを気付いたのか、しばらくして「どうもすいませ~ん。」と言って先ほどの店員がテーブルの上のものを片付けて行った。

腹が満たされた私にとっては、もうそんなことどうでも良いことではあったが、謝られて悪い気はしなかった。

で、肝心のここの店の味はというと、かなり美味かった。やはり、四国のうどんはレベルが高い!

第75番 善通寺

050920_1305_00第75番善通寺は、和歌山県の高野山と京都府の東寺と共に三大霊場に数えられており、弘法大師の生誕の地(本当か?)らしい。

真言宗善通寺派の総本山であるこの寺は、とにかく広い。私が購入した資料には、「善通寺の境内は東院と西院に分かれ、併せて45万㎡にもなる。」と、書いてある。東京ドーム約14個分の広さである。確かに、山門をくぐった我々の前に現れたのは、その数字に相応しい広さの境内であった。

本堂、大師堂、五重塔、その他いろいろの建物群、何百体と置かれた石像群など見所は多い。だが、見所は多かれど先を急ぐ私達には、この広大な境内の中を隅々まで見て回る時間はない。

050920_1311でも、納経するだけで通り過ぎてしまっては勿体ない。そこで、とにかく先に早く納経して、その浮いた時間で見て回れる範囲だけを見ることにした。それだと、本堂、大師堂の周りだけになるのだが、それでも通り過ぎるだけよりはマシだった。

いつもの倍の早さで納経を終えた私達は、早速、境内を見て回った。で、思ったのが、弘法大師が建立しただけあって、本堂より大師堂の方が大きくて立派だということ。これまでに納経してきた寺は、本堂の方が立派だったから、これは逆のことであった。

10分ぐらい見て回って、十分満足した私達に話題としてあがったのは、先ほどの若者のこと。「あいつの歩く速さなら、俺達がうどんを食っている間にここに来ていてもおかしくないな。」と、アホの末と話してすぐのことだ。

050920_1334いやがったのだ!

しかも寺に到着したばかりではなく、既に私達より先に納経を終えて、納経所で記帳をしていやがったのだ。

私達がうどんを食っているわずかばかりの間に、ここへ到着していただけでも驚きなのに、納経まで終えていたとは!こいつは一体、どれほどの速さで歩くのであろうか? 早歩きの速度の時速6~7㎞で、これだけのことが出来るわけはない。やはり、”走っているのかも?”という疑惑が脳裏に再び浮かび上がった。

しかし、仮に走っているとしてもすごいことである。重いリュックを背負って何㎞も走るなんて、とても私達には真似できない。しかも、それを1ヶ月以上も続けているのだから、とんでもない精神力と体力である。更にしかも、この若者は少し控え目な感はあるが、今時の若者には珍しいぐらいの謙虚さを持っている。

信じられないことをする若者を、つい第11番焼山寺へ行く途中で会った若者と重ね合わせてしまった。先ほどは、思わなかったが、3回目ともなれば、これは確実に何かの縁である。そう思った私は、若者に「一緒に写真を撮ろう!」と言った。若者は快く承諾。私達は一緒の写真に納まった。

若者は、近くで食事をすると言った。次の寺までの距離を考えると、これが本当のお別れになると思ったので、握手をして別れた。

これまでの彼は少しのことで、クジけて仕事を辞めるような根性なしだったのかもしれない。ところが、今の彼は違う。だって、私達を驚かせるだけのものを持っているのだから。そのことは、しきりに「すげえな!すげえな!」と、言った私の言葉で彼に伝わったのではないだろうか。それが証拠に、彼は下を向いて照れながらも、すごく喜んでいるように見えた。

そして、思った。何かを求めて真剣に何かに打ち込んでいる者は、必ず何かを与えられるのだと。若者よ!もっともっと自分の良さに気付けよ!

第76番 金倉寺

050920_1400_01善通寺を後にし、地元の商店街を抜け、住宅街の路地裏を抜けて到着したのは第76番金倉寺。

ここの山門でも阿吽の一対の仁王像が私達を向かえてくれる。ちなみに、向かって左の口を開いているのが阿の仁王像。向かって右の口を閉じているのが吽の仁王像である。阿は最初の文字である”あ”に対応し、吽は最後の文字である”ん”に対応する。同じようなもので、アルファベットのA~Z、ギリシャ語のα~Ωがこれにあたる。 この世の始まりと終わりを表現していると言われているのだが。

ちなみに、狛犬も一対であり、必ずと言っていいほど阿吽の口をしている。片方がユニコーン、もう片方が獅子との説もある。(実際に片方に角がある場合が多々ある。)

まあ、それはここではどうでも良いとして、山門をくぐった私達は本堂を目指した。そして、本堂、大師堂で納経を終えた私達の目についたのが、石の大黒様だった。この大黒様に境内で販売されている金箔を貼り付けると金運がアップ?するかどうかは分からないけど、何か御利益があるらしい。それがあるからか、大黒様には結構な数の金箔が貼り付けられていた。

050920_1402ミーハーな私達は、100円か200円だかを払って3cm四方くらいの小さい金箔を購入し、さっそく金箔貼りにトライした。

しかしながら、これがなかなか難しい。欲のために手が震えてか、なかなか皺を作らずに綺麗に貼ることができないのである。しばらくの間は、綺麗に貼ろうと頑張ったのだが、気の短い私は途中で飽きて、「こんなのやってられるか!」と言って、力任せにこすりつけてしまった。

おかげで、金箔はボロボロになり、大黒様にはその破れた一部がこびりついているだけだった。これでは、御利益も何もあったものではない。”こんなの金を払ってまでやるもんじゃなかった!”と、後悔しても後の祭りであった。

寺を去る前に休憩しようと思い、休憩所に行った時に一人の若者と出会い、話した。ミニバイクでお遍路をしている、その若者は大阪出身の大学生。札幌の大学に通っているという。お遍路は、彼女にフラれた傷心を癒すためにやっているらしい。たかが彼女にフラれたぐらいで、よくお遍路なんてやるものだ。私からすれば、お遍路やるほどのことではないと思うのだが、まあ彼にとっては一大事なのだろう。

要らぬ世話と知りながら、私は彼に言ってやった。「確かに四国を回るのは、良い経験になると思うけど、俺やったら、こんなことするよりも次の彼女を探すぞ!」と。それを聞いた彼は、「よく別れて、すぐに次を探せますね!」と、驚いていた。彼のように彼女にフラれてお遍路をするのも良し。私達のように遊びでやるのも良し。お遍路をする理由は人それぞれである。

道中

050920_1437金倉寺を後にした私達は、再び田んぼの中の道を、住宅街を、畑の中の道を抜けて行く。走りながら考えたのは、第71番弥谷寺を過ぎてからは2~5㎞間隔で、次の寺に至るようになっているということ。このようにサクサク進むのは、阿波之国以来だ。讃岐之国は伊予之国や土佐之国と違い、国自体が短いから、こうなるのも分かる。 これまでに様々な強敵に苦しめられてきた私達にとっては、有難いことであった。

この時、時刻は午後3時前。納経所が閉まる午後5時までには、2時間以上もあるから、次の寺を含めて、もう3つか4つくらいは納経してやろうと企んでいた。

第77番 道隆寺

050920_1452金倉寺から走ることこと10分。私達は第77番道隆寺へ到着した。

77番というゾロ目の寺。これで、8分の7の寺をまわったと思うと、少しだけ感慨深かったが、まあ、それだけのことだった。

050920_1452_00境内には、二重塔があり、また観音様の石像も多く安置されていた。その観音像は、全国の霊場の数と同じ255体ほどあるとのこと。数が多いのは大したものだが、どの像も形や表情が同じものばかりだったので、私の心に訴えかけるものはなかった。

納経を終えて、私達が去ろうかとした時に、先ほどの寺で会った学生が境内に入ってきた。ミニバイクだから、私達よりもスピードではかなり劣るが故の遅い到着であった。私達は、少しだけ話をして分かれた。次の寺までは7㎞以上あり、更にお互いの差が開くことを考えると、こいつと会うのもこれが最後だと思った。

休憩

050920_1550時間の無い私達は、寺を出てからひたすら走った。今度は、ここへ来るまでとは違い、ひたすら街中を走るようになった。しかも、結構込み入った市街地だったので、クルマの往来や信号機が多く、安全のためにどうしてもペースを落とさざるをえなかった。事故でもしようものなら、ここまで苦労してやってきたことが水泡に帰すため、そうするのは当然のことであった。

だが、ペースは落ちても目的地に向かって黙々とペダルを踏み続けたおかげで、道隆寺から35分あまりで、次の寺のすぐ手前のコンビニまで到着することが出来たのである。このコンビニでアイスを食うなり、冷たいものを飲むなりして、ずっと動かし続けて火照った体を冷ました。

先へ先へと急ぐ私達にとっては、休憩する時間も惜しいぐらいだったが、あともう少し踏ん張るには、この休憩は必要なものであった。

第78番 郷照寺

050920_1557第78番郷照寺は、コンビニから1分もかからないところにあった。

どこの街中にもある小ぢんまりした寺なのだが、境内の掃除は良く行き届いており、清々しい雰囲気を漂わせていた。

050920_1558本堂、大師堂でさっさと納経を済ませた私達は、ここでまた先ほどの学生と再会する。私達のスピードと学生のスピードを考えた場合、私達に追い付くことは、まずありえないのだが、どうやら私達がコンビニで休憩している間に差を詰めたようであった。

一度ならず、二度までも再会するとなると、何かの縁を感じてしまうもの。記念にと思い、この学生と写真を撮った。学生は、私達と一緒に行きたいようであったが、私達と一緒に行くとなると、未舗装の遍路道も走らなければならなくなるので、学生のミニバイクでは無理であった。

学生という新たなメンツと一緒に行けたら、確かに私達の旅はまた違ったものになったかもしれない。そう思うと残念であった。今度こそ、本当にお別れと思い、学生に「最後まで、あと少しやから頑張れよ!また会えたらいいな!」と、言って学生と別れた。

善通寺で別れた兄ちゃんといい、この学生といい、この日は得難い出会いが続いた。実に、有難いことであった。

寄り道

050920_1643_00時刻は午後4時20分になろうとしていた。次の寺が、この日最後の納経する寺であった。郷照寺から次の天皇寺までは、約6㎞強の距離。速く走っても、20分はかかってしまう。”間に合わせなければ!”と思い、そこそこに速く走った。その甲斐もあってか、ほぼ予定どおりの時間で天皇寺まで到着することが出来た。

天皇寺の境内に入ろうとして、目に入ったのが、寺の隣にある”清水屋”という、ところてんの店であった。

050920_1645天皇寺の近辺から湧き出る清水を使って作られた、ところてんを食わせてくれる店であり、江戸時代から続く老舗ということであった。その素朴で涼しげな店の雰囲気は、非常に興味をそそられるものであり、時間が無いのも忘れ、つい引き寄せられるように店に入ってしまった。

ところてんは”黒みつ””黒みつきな粉””酢醤油”の3種類の味があり、喉の乾いていた私達は”酢醤油”を選んだ。 さっぱり味で、チュルチュルした食感のところてんは食べるというよりは飲み込んだという感じ。冷たいところてんのおかげで、喉の乾きは潤せたのだが、老舗というわりに味は普通であった。

第79番 天皇寺

050920_1659私達が清水屋で寄り道をくったのは、わずか3分程度。そのわずかな時間で学生が私達に追い付くことはなく、黄昏時の天皇寺には私達しかいなかった。

天皇寺は、崇徳上皇ゆかりの寺ということで、天皇という名を冠している。境内への入り口には、鳥居があり、また、境内は石造りの垣根で囲まれている。おまけに本堂の前には、一対の狛犬が配置されている。

これも明治以前は、仏様と神様が同じ境内に鎮座していたという神仏習合のなごり。私には天皇寺は、寺よりも神社の割合の方が大きく、天皇神社といった方が適切なように思えた。

この時、納経所が閉まる午後5時までには、2分しかないということで、納経する前に先に記帳するという裏技を使い、何とかこの日最後の仕事を終えることができたのだった。

その後、10分ほどで納経を終えた私達の次なる仕事は、次の寺の近くへ移動しながら、寝場所と飯屋と温泉を探すことであった。

修理

050920_1831天皇寺を後にし、私達が最初に立ち寄ったのは、コンビニであった。 ここで、まずアホの末のマウンテンバイクのタイヤのパンクを修理することになった。天皇寺を後にしてから、すぐにパンクしたらしく、早く修理したいと気になっていたらしい。

パンク修理には、破損箇所にタイヤチューブにカットバンのような物を貼って、空気の漏れを防ぐやり方と、チューブを取替えるやり方があるが、破損箇所を特定出来なかったために、アホの末は後者のやり方を選択した。

タイヤチューブを取替えるのは、何ら難しいことではない。実際に取替えるのは、5分ほどで済んだ。

050920_1842だが、問題はこれからであった。アホの末の持参した空気入れでは、圧力不足からタイヤチューブに空気が入らなかったのである。いくらやってもダメ。アホの末から私に代わってもダメだった。これは、自転車屋かバイク屋を探して、空気入れを借りるしかないと思った時である。

いきなり、アホの末が言ったのである。「隣のガソリンスタンドで空気を入れてもらおうや。」と。”えっ!ガソリンスタンド?”と疑問に思ったが、アホの末曰く、私達のマウンテンバイクならガソリンスタンドの空気入れで入れることが出来ると言うのである。

さっそく、コンビニの隣のガソリンスタンドへ行き、店員にお願いし、タイヤに空気を入れてもらうことに。

半信半疑の私が見守る中、私達の苦労が嘘のように、タイヤはすぐに膨らんだ。これは、自動車のタイヤのチューブの口もマウンテンバイクのチューブの口も同じ規格だから可能なことらしかった。

おかげで、マウンテンバイクに乗って動けるようになったわけだが、この時、私は”こいつにしては珍しく役に立つことを知っているものだ。”と、感心していた。

休館

050920_1902ガソリンスタンドの店員に公園の場所を聞くが、知らないと言う。その代わりに、温泉は知っていると言うので、その場所を教えてもらった。

050920_1858その温泉は”城山温泉”といい、ガソリンスタンドの裏手にある山を1㎞ほど登ったところにあった。だが、しかしである。せっかく汗をかいて息を切らせて山を登ったにも関わらず、私達の苦労が報われることはなかったのだ。700m手前の入口にある看板に明かりが点いているにも関わらず、温泉施設は休館であったのである。

一日の汗と汚れを流せて、疲れも癒せるものと思い込んでいた私達はガックリした。”休館なら、入口の看板に明かりを点けるなよ!”と、言いたくもなる。

でも、いくら文句を並べても、どうにもならないこと。風呂がダメなら、次は飯とばかりに、腹の減った私達は猛スピードで来た道を下った。

お好み焼き屋

050920_1928ラーメンか定食ものをガッつり食いたいと思っていたものの、いくら探してもそれらしき店はなかった。探し回るのも面倒臭いし、無駄なカロリーも使いたくないので、結局、山から下りたすぐのところにあった、お好み焼き屋に入った。

おそらくチェーン店であろう、その店舗の中には多くの人が入っていた。これまでの私の経験からすると、人が多い店は味が良かった。だから、この店の味には期待した。

だが、しかしである。出来上がったものを食った時に、私の期待は失望に変わった。不味かったのである。それはソースが普段私達が使っている”おたふく”でなかったことが一番の原因だった。甘酸っぱさのない、ただ塩辛いだけのソースは著しく食い気を減退させる。残そうかとも思ったが、金を払う以上、そんな勿体無いことは出来ない。出された食い物は、残さずに全部食べるという私のポリシーもある。よって、仕方なく無理やり胃袋に押し込んだのだった。これだから、チェーン店は嫌だ。この日のような、やむを得ない状況の時以外は、なるべく使いたくないのである。

徘徊

お好み焼き屋の店員に公園の場所を聞いても知らないということだったので、お好み焼き屋を出てからは、ひたすら公園を探す作業を強いられることとなった。

街中、住宅街など、次の寺から離れない範囲でくまなく探す。だが、いくら探せど、私達の目の前にそれらのものが現れることはなかった。

見付からないことにシビれを切らせた私達は、最後の手段として、山を登ったところにある住宅街へ向かった。だが、莫大なカロリーを使って山を登り、住宅街に到着しても、その中にお目当てのものを見付けることは出来なかったのである。

さすがに2時間近くも見付からないとなると、不安になるもの。前向きな考え方をする私も、諦めることはしないながらも、”このまま見付からなかったらどうしよう?”と、弱気になった。

発想の転換

“寝る場所だけは、どうにか確保したい。”と、とにかく思いを巡らせる。公園が無いのであれば、せめて便所があって屋根があるような場所が無いかを考えた。便所があるような公衆施設といえば、陸上競技場やスポーツ施設がある。目標物を公園からそれらのものに切り替え、山から下りてそれらのものを探しまくった。

大概の街には、大なり小なり、何らかのスポーツ施設はある。私の住んでいるような田舎町にもあるのだから、この街にも必ずあるものと、考えていた。

ただ、私達の場合は闇雲に探しているだけあって、すぐに見付かる保障はどこにもなかったのであるが。

しかし、”早く休みたい!”という切実なる思いが天に届いたのか、山を下ってすぐのところに野球場を見付けることが出来たのである。幸いなことに、ここには公衆便所もシャワー室もあった。私の発想の転換が功を奏した形になったわけだが、もう少し早く発想の転換をしておけば、山を登らずに、またもっと早く体を休めることが出来たのにと思うと、手放しに喜んでもいられなかった。

発想の転換が遅かったばかりに、私達はここに到着するまで、実に10㎞以上の距離を走り、2時間以上の時間を費やしてしまった。こういうことは、早くしなければならない。

心を洗う

050920_2204寝場所を野球場の中の駐輪場に定めた私達は、シャワー室で体を洗うことにした。先に行くはアホの末。20分後、アホの末はニコニコした顔で戻って来た。この笑顔の理由はシャワーを浴びれたことだけではないことは何となく分かっていた。だが、敢えて、その理由を聞くことはしなかった。

次に私が行く。水のシャワーを浴び、石鹸で頭だけを洗う。シャワーを終えて終えてから、いよいよお楽しみの作業へ。洗面受けに栓をして水を貯め、その中に1回使い切りの洗剤を入れる。この洗剤は、ここへ至るまで、衣服を水洗いはしても洗剤で洗うことをしてなかったため、きちんとした洗濯をしようと最後に寄ったコンビニで購入していたものである。

両手を使ってジャブジャブすると、水はすぐに黒く染まる。揉めば揉むほど黒くなる。3分もそのような作業を続けていたら、水は真っ黒になってしまった。水洗いで脂汚れや泥汚れが落ちるはずもなく、これはここへ来るまでの4日間で溜まりに溜まった汚れであったから、真っ黒になるのも当然であった。

真っ黒になった水を綺麗な水に入れ替えてジャブジャブやっても、水は変わらず黒く染まる。結局、水が黒く染まらないまで洗うのに5~6回の水の入れ替えを要したのだが、不思議とこの作業は苦にならなかった。というか、楽しかった。洗濯物が綺麗になるに従い、心も洗われるような気がしたからである。

いや、”気がした”ではなく、実際に私は心も洗っていた。だって、洗濯が終わった頃には、すごく晴れ晴れした気持ちになっていたのだから。アホの末がニコニコした顔になっていたのは、やはりこれが理由だった。心が洗われて、スッキリした私は、この時、アホの末の気持ちが痛いほど良く分かったのであった。

来訪者

050920_2203シャワー室から寝床である駐輪場に戻ると、アホの末は既に駐輪場に蚊帳を張っていた。アホの末も疲れていたから早く寝たかったのだろう。普段は役立たずなのに、この時はなかなか良く気が利いていた。私も疲れていたので、”これですぐに寝られる。”と思い、アホの末と会話を交わすこともなく、寝袋の中に潜り込んだ。

そして、目をつむって思った。”残りはいよいよ10寺をきったな。これなら、どんなにゆっくり進んだとしても、あと2日あれば最後の寺へ到着出来るな。”と。最後が見えたことで、”休みの期間中に何が何でも終わらせなければならない。”というプレッシャーから解き放たれたから、私はだいぶ気が楽になっていた。

疲れとプレッシャーからの解放。これらのことが重なったために、私はいつにない気持ち良さで眠りに落ちていったのだが。しかしである。このまま朝まで眠れることはなかった。

午前1時過ぎに、いきなり勢い良く降り始めた雨のため、叩き起こされたのである。私達の寝場所である駐輪場には屋根があるため、上からの雨は問題なかった。問題は、駐輪場が低い場所にあるため、高い場所から水が流れてきて、寝袋や荷物が濡れてしまうのだ。 そのため、一時的に避難を余儀なくされた。

だが、待てども待てども雨が止む気配はなかった。いつまでも雨が止むのを待つわけにもいかないため、駐輪場に戻り、アホの末が携帯していた保温シートにくるまって眠ることにした。 こうすると、確かに水の浸入を防ぐことは出来るのだが、一度パッチリ目が覚めてしまったために、再度眠りに就くことは難しく、結局、アホの末共々、朝まで満足に眠ることはできなかったのである。

前日未明に引き続いての悲しい突然のハプニングであった。


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