四国八十八ヶ所 自転車遍路(第四弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2005年09月17日() ~ 2005年09月22日()

五日目(2005/ 9/21)

目覚め

050921_0722上から流れてくる雨水に濡れないかということが気になって殆ど眠ることができなかったわけだが、前々日と前日に続いて十分な睡眠がとれないとなると、辛いものがある。

目はショボショボで、頭はボーっとするし、やる気はおきないし。この時、私は睡眠というものが、いかに大切なものかということを身をもって体験していた。だが、睡眠不足であろうと、私達は行かなければならない。リミットというものがある以上、私達は歩みを止めるわけにはいかないのだ。

それが分かっているから、目を覚ますために、少し長めの出仕度の時間を取り、午前8時過ぎには、この日の仕事をするために出発した。

位置確認

050921_0839出発はしたものの、前日の夜中に知らない街を動き回っていたものだから、自分達が今どこにいるかが分からなかった。無駄に動き回って体力を消耗するようなことはしたくなかったから、コンビニで朝食がてら、へんろ地図で位置確認をすることにした。

へんろ地図で調べたところ幸いにも私達が今から走ろうとしているコンビニ前の県道33号線は、次の寺まで直に続いていた。しかも、距離は4~5㎞ほど。街中を走っていけばいいだけの道程のため、気が楽になった私達は、朝の食事をゆっくりとったのだった。

第80番 国分寺

050921_0846讃岐之国の国分寺。各国に一寺づつある国分寺だから、これが四つめの国分寺となる。四国八十八ヶ所遍路では、最後の国分寺だ。残念ながら、ここへ来るまでの国分寺で、印象に強く残ったものはなかった。やはり、当時の国が管理していただけあり、造りが一様で個性がないのが要因であるのだが、この国分寺は違った。

山門は趣きがあるし、境内は整然として広く、特に本堂へと続く参道沿いにある松は見事であった。また、本堂も大きくて立派。讃岐之国は、弘法大師のお膝元であるからか、他の国の国分寺よりも力を入れて建築したのかもしれない。他の国分寺とはレベルが違うように思えた。

本堂での納経を終えた私達は、次の納経場所である大師堂を探す。しかし、なかなか大師堂を見つけることは出来ない。

050921_0908ところが、広い境内の中を探し回るのも面倒臭いから、先に納経所で記帳をしてから大師堂を探そうと思い、納経所へ行ったところ、大師堂を見つけることが出来たのである。

それは納経所の隣にあった。今までの寺と違うのは、納経所の中から大師様を拝むようになっているということ。大師堂と納経所とが、隙間がないくらいにくっついているため、外から大師堂へ行くことは出来ないことによりそうしているのだが、なかなかに面白い構造だと思った。

050921_0907さっそく納経しようと、大師堂の前に立ったところ、お札を入れる箱の前に、”詐欺師に注意!お金をやらないでください。”というような内容のことが書いた紙が貼ってあるのが目に入った。親切なことに、男の写真をコピーしたものまで貼ってある。

確か、これと同じものは、入口の戸にも貼ってあった。おそらく、この写真の男が、この寺の周りに出没するであろうから、張り紙をしているのであろうが、別に珍しくも思わなかった。ここへ来るまでに、それと同じようなことをしている奴を多数見かけていたし、やっている本人から話を聞いたこともあるからだ。

本人達に聞けば、”ただ接待を受けているだけ”と言う。だが、自ら接待を受けようとするこいつらのやっていることは詐欺である。この地には、”接待”という素晴らしい助け合いの文化がある以上、それを食い物にする輩が出てくるのは、当然のことなのかもしれないが、こういう奴らの存在は腹立たしいし、どうにかならないかとも思うのだ。

法で取締れない以上、本人の人間性に任せるしかないから、どうにもなりやしないのだが。ただ、美しいものだけでなく、こういう汚いものも見ることが出来るのは有難かった。そのおかげで、私達のこの旅で得る学びは多くなるからだ。

酸いも甘いも、美しいも汚いも、様々なことが経験できる四国八十八ヶ所遍路は、”人生の縮図である”と、改めて感じさせられた出来事。

私達は、様々なことを経験しながら旅をしている。

へんろころがし

第80番国分寺から第81番白峰寺までは、遍路道を通って約7㎞の距離。クルマの通れる舗装堂を通ると、これの倍ほどの距離を行くようになるから、かなりの近道である。ただし、近道であるということは、ショートカットをするということ、ショートカットをするということは、山を越えていくということ。

実際、へんろ地図には、道中にきっちりと”へんろころがし”という字が書かれてあった。”う~ん!お遍路も終盤になって、またもや転がされるのか・・・。”と、思うと、おっくうな気持ちになるが、結願まで全部遍路道を通ると決めた以上、先に進まなければならない以上、ここを避けることは出来ない。

私達は、おっくうになった気持ちを捨て、そして行く覚悟を決めた。

向かう

とりあえずは街中を進む。

どんどん街中から離れていくのが分かる。10分も走った頃だろうか、見通しの良い真っ直ぐな道に出た。真っ直ぐな道の真正面には、高くそびえる山が見える。どうやら、私達は、あれに登るらしかった。

山に向かって更に走ること10分。とうとう私達は山の麓に辿り着いた。残念ながら辿り着いてしまったと言った方が適当であろう。だが、覚悟は決めていたので、とにかく何も考えずに登り始めた。

感動する

050921_0931まず私達は、舗装道の坂を上る。それを400mぐらい上ると、今度は非舗装道の坂を上る。

この頃になると、坂の傾斜が急になったため、二人ともすぐにマウンテンバイクを降りた。これからは、ひたすらマウンテンバイクを押して登るようになる。

“へんろころがし”と呼ばれるだけのことはある。なかなかの急傾斜。いつもなら、下を向きながらマウンテンバイクを押していくところ。だが、この時は違った。だって、景色がめっちゃ綺麗なのだ。

050921_0934_00山の奥へ奥へと続く、木洩れ日のさす木々の緑のトンネルが延々と続き、しかも、それが途切れた場所からは、下界の絶景が広がる。そして、私達の目前には、眩しい緑の山々が。これまでにも、絶景はたくさん目にしてきたが、ここの景色は何かが違った。具体的に何が違うのかは分からない。

しかし、確実に違う。それは、目に見えるものというよりも、雰囲気や土地の匂いといった、抽象的なものだった。敢えて、この感覚を表現するなら”明るさ”である。とにかく、ここの景色は明るかった。全てのものが、より光に照らされて、より鮮明にこの目に映るのだ。

見るもの全てに感動し、この素晴らしい景色の中にいられることに感謝する。おかげで、心拍数が上がりながらも、息が乱れながらも、それに心を捉われることはなかった。少なくとも、この”へんろころがし”で、最大の難所が現れるまでは。

いつものやつ

050921_1002坂の傾斜はどんどんキツくなる。そうなると、階段なしで上るのは、まず無理なため、そろそろ階段が出てくる頃だろうと思った。実際、そう予想してから5分と経たないうちに、私達の前に”いつものやつ”が、現われた。

今まで、これを何千段と上らされたことか。どれだけ、これに苦しまされたことか。

050921_1007しかし、遍路道には、特に”へんろころがし”と呼ばれる難所には、これが必要不可欠である。また、これが無いと、私達も物足りない。

お遍路も終盤に来ると、この”いつものやつ”に対して特別な思いを持つようになる。決して、こいつのことを好きになることはないのだが、弱い自分の尻を叩いて奮い立たせてくれるという意味では非常に有難い存在だと思うようになった。

こいつとの付き合いもあとわずか。

“なるべくなら上りたくねぇなぁ。”という気持ちを押し殺しながらも、”ここへ来るまで、私達を鍛えてくれて有難う。”という感謝の気持ちを込めて、こいつを上り始めた。

嘘つき

050921_1008段差は小さく、階段の幅も奥行きも広いために比較的上りやすい階段ではあるのだが、残念ながら、先が見えないぐらいに延々と続いてた。

こういう時は、前を見ずに下を向いて上がって行く。こうする方が、気が遠くならないで済むし、階段を上ることに集中できるから良いのだ。しかし、そのやり方で上っても、なかなか終点は見えなかった。

“ここの階段は、一体どれぐらいの段があるのだろう?”という問いには、階段を下りてきたおじさんが、「ここの階段は長いよ。200段ぐらいはあるよ!」と、答えてくれた。おじさんの言うことから判断すると、一段の幅が平均で2mほどあるから、400~500mほど上れば、終わる。

“それぐらいなら大したことないな。”と思い、少しは気が楽になった。だが、計算上は終点である500mぐらい上った地点でも、階段は終わることはなかった。階段は、それからも更に先へ続く始末。結局、階段が終わるのは、それから300mほど上ったところであった。

おそらく、どんなに少なく見積もっても300段以上は、上ったはず。息を切らせながら、私達が開口一番放った言葉は、「おじさんの嘘つきめ!」で、あった。

トトロの森

050921_1028階段を上り切った場所は、山の頂付近。今から行く白峯寺は、山の中腹にあるため、ここからは山を降りていくようになる。アホの末の後をついて山を下りること2~3分。私達の前に映画”となりのトトロ”で出てきたような、深くて大きい森が現れた。遍路道の看板は、森の中を指しているため、私達は看板に導かれるままに森の中へ入って行った。

私達は、様々な木々のトンネルの中を走って行く。森の中は、木が鬱蒼と茂っているため、昼なお暗い。そのためか、たまに木々の隙間から木洩れ日が入っているのを見ると、すごく神々しく感じる。ここへ来るまでに、幾多の森や林の中を通ってきたわけだが、ここの森もこれまでのと違った。

この森は、木々が密集しているから、全体的に暗く、雰囲気も暗い。だが、それは今までにもあったこと。これまでのと決定的に違ったのは、この森には、妖怪や山の精霊でも出そうな、何か不気味な空気が漂っており、常に身構えてなければならないような緊張感があったのだ。

050921_1049清浄な場所ではあるのだろうが、緊張した状態が長く続くと疲れるもの。少しでも早くこの森から抜けようと、とにかく先を急いだ。しかし、20分走っても30分走っても森を抜けることは出来ず、私達がどうにか辿り着いたのは、道標が設置された三叉路であった。

道標には、真っ直ぐに2.7㎞行くと、この時の私達の目的地である第81番白峯寺へ、左折して1.9㎞行くと次の目的地である第82番根香寺に着くと書かれてある。森を抜けるまで、まだ3㎞近くあるというのもであるが、次の寺へ行くには、またここまで戻って来なければならないということがもっとショックであった。”ただでさえ、同じ道を通るのは嫌なのに、また、この森に戻って来なければならないのかよ!”と、思うと、行くのがもっと嫌になった。

ただ、そうは思っても、そんなことが出来るはずもなく、私達は一刻も早く森を抜けるよう走りまくった。そう、まるで、何かに追われるように。

私達が無事に森を抜けることが出来たのは、森に入ってから1時間後、三叉路に到着してから40分後のことであった。

第81番 白峯寺

050921_1121五色台の一角である白峰という場所にある寺だから、白峯寺。何という簡単な名前の付け方だろうか。その単純さには閉口したが、寺の方はなかなかのもの。

山門、境内の緑、本堂へ至る石段、本堂の造り、全体の雰囲気等、私が好む山寺に必要なものは殆ど揃っていた。特に気にいったのは、境内の雰囲気。それは、静かでありながら、寂しくも侘しくもなく、長い寺の歴史を感じさせてくれるような、奥深いもの。一言でいえば、”気持ちの良いもの”だ。

050921_1127故に、時間さえあれば、いくらでもここで佇んでいられるような、そんな気がした。

惜しむらくは、大師堂が工事中であったということ。タイミングが悪いといえば悪いのだが、これがあったおかげで、気持ち良さは半減した。

納経を終えると、すぐ次に行こうとしたが、ここで”待てよ!”と、止まった。 お遍路もいよいよ最後に近づいており、どんなに時間をかけたとしても、翌日には終わるであろうことは、おおよそ分かっている。よって、”ここは、急ぐことをやめて、これからの道中を味わいながら進もう!”と、考えたのである。

私達は、少しの間、適当な場所に腰を下ろして、寺のいろいろなものを堪能した。こんなことは、これまでで初めてのことであった。

戻る

050921_1244_00白峯寺を出発した私達は、次なる寺である第82番根香寺を目指す。

行く道は、ここまで来た道だ。同じ道を通るということは、景色が同じということや、同じ辛さを味わうということもあり、嫌である。出来れば、同じ道は通りたくない。

だが、次の寺へ行く道は、これしかないため、行かざるを得ない。私達は、嫌がる自分に鞭打って、歩を進めた。すると、やはりというか、この道を通ってから時間が経ってないということもあり、すぐに飽きがきた。

飽きがくるということは、集中出来てないということ。そうなると、足の痛みや腹の減り具合など、ネガティブなことばかりに意識がいくようになる。 おまけに、ここは陰鬱な雰囲気のトトロの森の中である。”早く抜けたい!”という焦燥感も手伝って、来る時の倍ぐらい私達は疲れてしまった。これは、気のせいではなく、マジに本当であった。

変わる

050921_125340分以上かけて、ようやく三叉路まで戻り、とりあえず私達は一息ついた。かなり疲れてはいたのだが、この三叉路を右折したら、この苦しみから逃れられると思うと、不思議と元気が出た。

次の第82番根香寺までは、約2㎞の距離。例えどんな険しい道程であっても、この短い距離ならば、また、例え雰囲気がこのトトロの森の延長であっても、これから行く道は、来た道と違う道であるから、まだましだと思った。しかし、三叉路を右折してしばらく行くと、自分が予想していたことと全てが違うことに驚いた。

根香寺は、白峯寺よりも高い場所にあるため、山を登っていくようになるのだが、上りは比較的緩やかだし、木々の植生も変わり、密度も少なく、木洩れ日が十分に注いでいるために雰囲気が明るかったのだ。これには、私達は救われた。おかげで、難なく根香寺に辿り着くことが出来たのだった。

第82番 根香寺

050921_1312手持ちの資料によると、この寺の名は、本尊を削り出した原木の根が永く芳香を放ったことに由来するらしい。本当かどうか定かではない寺の名の由来に、「ふぅ~ん。」と、心なく頷くだけの私達であった。

寺へ向かう道を100mほども行くと、根香寺の山門に対面する。 ここの山門は素晴らしかった。山門の両側に何故か大きな草鞋が吊るされており、大きさも風格も申し分のないものだった。山門をくぐってからのこの寺の境内の造りにも驚いた。一旦、階段を下りて、50mほど平坦な道を歩いてから、また階段を上るのである。これにはまるで、池か湖の底を歩いているかのような錯覚に陥ってしまうのだ。

050921_1313_00また、参道脇の紅葉をはじめとした木々の緑の彩りや、万体観音堂の3万体ともいわれる観音像、五大明王堂にある五大明王の木像など、この寺には見所がたくさんあった。インパクトの強さでは、これまで行った寺でも間違いなく10本の指に入るであろう。おかげで、楽しく納経できたわけだが、私達の目を一番楽しませてくれたものは、実は境内の外にあった。

050921_1338それは、山門のすぐ側にある牛鬼の石像である。”400年前に人々を困らせた怪獣・・・倒してその角を根香寺に奉納した。”と、看板には書かれてあった。まあ、その存在の真偽はともかく、妖怪というよりはエイリアンチックなその姿には、私達の気を惹くのに十分なインパクトが備わっていた。

しばらくは、激烈に腹がへっていることも忘れ、私達は、面白がってその石像を様々な角度から眺めていた。

下り

050921_1341寺を後にした時の時刻は、午後1時40分。ここまで何も食わずに動き回っていたために、腹が激烈にへっていることをこの時ようやく気付いた。熱量にすれば、何千kcalも消費しているのだ。このことにこれまで気付かなかったことが不思議である。それだけ、目の前のことに精一杯で、それに気付く余裕が無かったのであろう。それが、一仕事終えて気が緩んだがために、このことを気付いたに違いなかった。

腹がへっていることに気付くと、力が抜けて、力が入らないような気になる。実際は、そんなことはなく、いくらか余力を残しているわけだが、人間とは弱い生き物であるがために、そう錯覚するのだ。”このような力の入らない状態では、もう苛酷な遍路道は通りたくねぇよ!”と思った。

幸いなことに、そんな弱気な私の要望に応えるが如く、寺から300mも走ると、私達の前にはおそらく麓まで延々と続くと思われる下りが現われた。下りでは、殆どcalを使わずに済む。エネルギー残量の少ない私達にとっては有難いことであった。

下る

麓まで続く長い長い下りを下る。頂上付近から一気に山を駆け下りる形になるため、しかも舗装道で傾斜も急であるため、ブレーキを握っていてもとてつもなくスピードが出る。下り好きのアホの末は、カーブであろうと関係なくビュンビュンとばす。後ろから見ていて、”こいつ転倒せんにゃあええがのぅ。”と、心配にもなる。もし、転倒でもしようものなら、大ケガ以上は確定だ。

私は、それが怖いから、常にブレーキを強く握りしめたままで下った。しかし、それでも時速50㎞近くはスピードが出ていたのではないかと思う。転倒のことを考えると怖いし、おまけにスピードが出ているから寒いしで、”やはり俺は下りは嫌いだ。”と、思ったのだが、下りながら見る下界の景色は絶景であり、それにみとれるあまり、ハンドル捌きを誤りそうになることもしばしばあった。

050921_1342“この絶景を堪能することなく、下りきってしまっては勿体無い。”と、思い、見晴らしの良い場所で止まろうとしたところ、アホの末も同じことを考えていたらしく、先に止まって私を待っていた。眼下に広がる瀬戸内海とそこに浮かぶ島々の絵に書いたような景色の美しさに私達は見惚れた。この絶景は、キツい思いをして山を登ったことに対するご褒美だと思った。

いくらでも眺めていられる気がしたし、心が癒されてもいたのだが、どんなに美しいものを見ても腹を満たすことは出来ない。腹を満たすのは、食い物だけである。私達は、脂ギッシュで高カロリーな食い物を求めて、その場を後にした。

探す

050921_1351立ち止まった場所から下ること10分。ようやく麓に辿り着くことが出来た。上から見下ろしていた時から分かっていたのだが、麓は住宅街であり、コンビニや飲食店のような類の店は無かった。行けども行けども閑散とした住宅街と田園風景が広がるだけ。10分走っても20分走っても、店らしき店は現われない。

私達は、山の中を走っていたわけではなく、一応は郊外の市街地を走っていたわけであるが、この状況には不安になった。”自分達は、山の中を走っているのでは?”と、錯覚させられるに十分な状況であったといっても過言ではない。そうなるほど不思議なくらいに何もなかったのである。

激烈な空腹感で意識が朦朧としながらも、先へ進まないとどうにもならないため、私達は走り続けた。力が出ないため、時速にすれば10㎞も出てないノロノロ運転だったと思う。それでも、走りさえすれば、いずれは目的地に辿り着くもの。ようやくコンビニを見つけて、そこへ飛び込んだのは、麓に下りてから40分後のことであった。

喰らう

050921_1441コンビニへ入った私達は、とにかく脂っこくてカロリーの高いものをと思い、フライドチキンやら焼肉弁当やら、味の濃いものばかりを購入した。私達の購入したものは、おそらく普段、自分達が昼飯で摂取する3倍くらいのカロリー量になったのではないかと思う。それだけの量のものを普段は食い尽くすことは無理なのだが、この時は、何の問題もなくペロリと食い尽くすことが出来た。それどころか、少し物足りなさを感じて、食後のアイスまで喰らう様だった。

これも、ここまで何千kcalも消費してきたため、失われたエネルギーを補充しようと、体が欲するのであろうから当然といえば当然のことである。

このような有様は、これまでに何度もあった。激烈に腹をへらした分、その時に食った物は、いつもの何倍も美味しく感じられた。そしていつも感じたのが、”食べることの出来る有難さ”である。この時もこれまでと同じく、それらのことを感じていた。

【四国八十八ヶ所遍路は、いつも当然に思っていることが実は当然でないことを実感し、それらのことに、また、様々なことに”感謝する心を養う”旅である。】

これは遍路の終盤である、ここへ至るまでに、様々な経験の中から得た私なりの考えである。

夢見心地

050921_1443第82番根香寺から第83番一宮寺は約17㎞の距離。しかし、根香寺を出発してからかなり走った場所であるコンビニからの出発だったので、残りは半分もないものと思われた。腹が満たされ、エネルギーもチャージされたとはいえ、私達は急ぐことはなくゆっくり走った。私達をそうさせたのは、残る寺もあと6寺で、気持ちの余裕があるというのもあるのだが、それよりも先ほども思った”残りの遍路を味わいたい”という気持ちであった。

また、”遍路を終わらせてしまったら、再びこの地を踏むことは何時のことになるやら分からない。”と、思うと、更にスピードはゆっくりになった。

青空は澄み渡り、そよ風はそよぎ、暑くも寒くもないという天候のコンディションの良さに加えて、腹は満たされ、時間にも縛られないが故に焦りもないという、最高に心身のコンディションの良い状態で、心拍数が変わらないスピードで走るということは何ともいえぬ気持ちの良さであった。

この気持ち良さに身を委ねるほどに、まるで自分が現実ではなく、夢の中にいるような錯覚さえ覚える。それは、私の前を走っていて顔の見えないアホの末もおそらく同じだった。

いや、錯覚などではなく、私達は、マジに夢の中を走っていたのだ。だから、この心地良い夢から覚めたくないと思った。

第83番 一宮寺

050921_1525私達の夢見心地も約40分ほどで終わることになった。第83番一宮寺に到着したのである。

一宮寺は、街中の寺らしく多くのお遍路さんで賑わっていた。境内は狭く、建物が密集しているのだが、周りが田園地帯というのも関係あるのかもしれない、どこか牧歌的でほのぼのとした雰囲気を漂わせていた。

先を急ぐ必要のない私達は、最後が近いと分かっている私達は、ここへ来て初めて丁寧に納経をした。先を急ぐ必要のない私達は、記帳を終えてから、ここでしばらくくつろごうと思うも、次から次へと沸いてくる団体のお遍路さんに鬱陶しさを覚え、いつもと同じく足早に寺を後にしたのだった。

予定変更

この時、時刻は午後3時40分過ぎ。次の第84番屋島寺までは、14㎞近くあるから、一宮寺で、この日の納経は打ち止めと思っていた。

050921_1619よって、最初はゆっくりと走っていたのだが、進むにつれてどんどん街中に入っていくようになり、周りの喧騒に気がせかされるためか、意識せずとも自然と走るスピードが速くなった。のどかな田園風景の中なら、ゆっくりと走ることも出来ても、騒々しい街中は嫌であり、少しでも早くこの騒がしさから逃れようと思うため、こうなるのも無理はなかった。スピードが速くなると、”もしかすると次の寺も納経できるのではないか?”という欲が出る。

そこで、次の屋島寺も納経することに予定を変更し、途中、タイヤの空気入れを購入するためにホームセンターへ寄ってから以後は、更にスピードを上げた。

飛ばしに飛ばして、屋島の山の麓に到着したのが午後4時半過ぎのこと。屋島寺は、山の頂上にあるらしく、私達のいる場所からの距離は約2㎞であった。私達の目の前の坂は、かなりの急勾配で、納経所が閉まる午後5時まで30分もないのに、この坂をマウンテンバイクを押して2㎞も登り続けなければならないことを考えると、時間に間に合わせるのは、まず不可能に思われた。

アホの末もそれを分かってか、「今日は、ここまでにして、山の麓で野宿しようや。」と、言ってきた。最初、私もその申し出を受け入れて、ここで野宿しようかとも思った。だが、ここで野宿をするのと、屋島寺で納経を済ませて、次の寺の近くで野宿するのでは、翌日の行動に使える時間が3時間近くも違うようになるため、”まてよ!”と、すぐに考えを変えた。

イチかバチかで、やってみることにしたのだ。それが出来るという根拠も自信もないのだが、翌日の行動を楽にするために、”何が何でも成し遂げてやる”という強い決意だけはあったからである。ただし、それはアホの末と一緒に行うわけではない。体力に勝る私が、アホの末の納経帳を預かり、先に行って、納経所で記帳を行うという方法であった。それを伝えると、アホの末も、私の考えに同意し、後から私を追って山を登ることになった。

そうと決まれば、ゆっくりなんてしてられない。アホの末の納経帳を預かると、猛ダッシュで、目の前の坂を駆け上がった。

死闘

坂の傾斜は15°以上はあるのではないだろうか。勢い良く飛び出したものの、あまりの傾斜のキツさに、足がすぐに止まった。登るのが精一杯で、とても駆け上がることなんて出来ないのである。しかし、ただ普通に歩いていては、とてもではないが、タイムリミットの午後5時までに屋島寺の納経所に到着することは出来ない。

そのため、重力に引っ張られ過ぎて悲鳴をあげる膝と太腿に鞭打って、再び走り出した。走り出して、しばらくすると、膝はガクガクで太腿は攣りそうになり、心拍数が上がりすぎて呼吸もかなり乱れてしまう。それでも、”何が何でも間に合わせてやる!”という強い気持ちで走り続けた。

時速10㎞以上は出ていたと思う。予想以上のスピードで走り続けたため、気付いた時には山の中腹を過ぎていた。無理をし過ぎていたため、足も心臓もオーバーヒート寸前であったが、ゴールが近いと思うと、不思議と走り続けることが出来た。奴が現われるまでは。

覚悟

好調に走り続ける私の前に奴が現われたのは、坂を登り出してから15分後のことであった。道路の舗装がアスファルト舗装からコンクリート舗装に変わったところで、傾斜がこれまでよりも更に更に急になったのである。おそらく2~3°は急になったに違いない。

さすがに、これまでのペースで走り続けるのは無理、いや、それどころか早歩きをするのも無理そうな急傾斜であった。もうほぼ全力を出し尽くしているものと思われたため、これ以上どうにも出来ないと思い、急傾斜を前に呆然と立ち尽くした。

“もうダメや・・。”そんな諦めの気持ちが表に出そうになった時であった。”何が何でも絶対にどうにかしたらぁ!”というこれまでよりも更に強い気持ちが、再び湧き上がり、弱い気持ちを打ち消してしまったのである。強大な敵を前にして、逆に燃え上がったというのもあったし、アホの末に”どうにかする!”と、タンカをきった手前もあった。

とにかく、この時、目的達成のためには”死んでもいい!”とまでは思わないながらも、”体はどうなってもいい!”ぐらいの覚悟は決めたのである。

追い込み

奴を登る前に「おっしゃあ!!」と、大声を出してから駆け上がる。が、やはりというかすぐに足は止まる。ここまでかなり無理をしてきただけに、もう体はボロボロで無理が出来る状態ではなかったが、更に無理をしなければどうにもならない状況であったので、走るのがダメなら早歩きをした。

しかし、それもすぐにダメになったので、少しでも普通に歩くよりは速くなるように意識的に速く足を前に前に出すようにした。それだけでも、普通に歩くのとは違うはず。おかげで、最初はテンポ良く登り続けることが出来た。

だが、それも登り始めてから3分頃まで。その頃になると、無理に無理を重ねているのが祟って、心拍数が上がり過ぎて過呼吸に陥ってしまったのだ。そうなると、苦しいどころではない。酸素が足りなくて過呼吸になるわけだから、体は重いし、目まいがして脂汗は出るしで、いつ倒れてもおかしくない状態であった。ただ、どんなに苦しくとも、”どうなってもいい!”と、覚悟だけは決めていたので、途中でスピードを落とそうとか、登るのを止めようとかは思わなかった。

死線

限界を超えるとはいえないまでも、これまでに経験したことのない自分に対する追い込みであったため、私の意識は、周りの景色や状況にはいかず、前に踏み出す足の一歩一歩にいっていた。たまに周りの状況を確認するために前を向く以外は、常に下を向いて登り続ける私に、山を下りて来た人が、「頑張ってね!」と、声を掛けてくれたりするのだが、その声が聞こえてはいても、応答する余裕はなかった。

それどころか、何かを考える余裕さえなかった。この時の私にあるのは、目的達成のために、とにかくこ奴が終わるまで登り続けるということだけ。様々な苦しみを抱えながらも、私は完全に登ることに集中しきっていた。

終わり

どんなに長いトンネルも進み続ければ、必ず出口は見えるもの。覚悟を決めて、こ奴を登り始めてから10分ほどで、屋島寺の第一の山門が見え、この急傾斜ともお別れとなった。私は、登ることに集中しきっていたために、この10分間は短くも長くも感じなかった。敢えて言うならば、”体がどうにもならなくて良かったぁ~。”であった。

第一の山門をくぐり、平坦な境内に入ってから、乱れに乱れた呼吸を整えたかったのだが、屋島寺の境内はバカ広く、納経所どころか、何の建物も見えなかったので、マウンテンバイクにまたがり、納経所を目指したのだった。

この時、タイムリミットの午後5時まで、あと3分であった。

達成

マウンテンバイクで走れるだけ走り、乗れないところは、マウンテンバイクを降りて走り、それを繰り返して、ようやく私は納経所や本堂に至る第二の山門前に辿り着いた。この時、時刻は午後5時を2分ほど過ぎてしまっていた。だが、2分ほどの遅れなら、納経所はまだ開いているかもと思い、第二の山門をくぐり、納経所へ急いだ。

納経所は、第二の山門をくぐってから右へ行ってすぐのところにあった。幸いにも、納経所は、営業を終えて、片付けをしている最中であった。”間に合った!!”と、思った私は、最後の力を振り絞り、「すいませんっ!!納経所を閉めるの待ってくださいっ!!」と、大声を出して、納経所に駆け込んだ。

大きく息を乱して駆け込んで来た私に、納経所の人は驚いたに違いない。しばらく、下を向いて膝に手をついた状態で、息が乱れて声を出すことの出来ない私に納経所の人は、「焦らなくても大丈夫ですよ。記帳はいたしますから、ゆっくりお休みになってください。」と、優しく声をかけてくれた。

必死に息を整えながらも、私はその優しさに感動し、見事目的を達成出来たことを喜んだ。

ここまで自分を追い込んだことは、これまでの人生の中ではなかった。これで、間違いなく自分の限界の上限が上がったわけだが、これも、自分の全てをぶつけられる強大な敵の存在と”何が何でも成し遂げる”という強い意志のおかげであった。

待つ

無事に2人分の記帳を終えた私は、御礼を言って、納経所を出た。 そして、境内に設置されたベンチに腰掛け、私の後を追って来るはずのアホの末を待った。

納経所の人は、記帳を終えると、すぐに帰ってしまったため、境内には私しかいなかった。夕暮れ時の境内は、シーンと静まり返って、まるで時間が止まったかのよう。体を動かすのにも疲れ、何かを考えるのにも疲れた私は、静寂に身を委ねて、ただただボーッとしていた。大仕事を成し遂げた後だから、達成感や幸福感といったもので心が満たされ、その余韻に浸れるかと思いきや違った。

そんなものはどこにも無かった。あるのは、”成し遂げた”という事実だけ。既に過去のことになってしまったので、もうどうでも良いことだった。ボーッとすること50分。私が来た時よりも、だいぶ暗くなった境内に、ようやくアホの末が現われた。

第84番 屋島寺

050921_1715_00第84番屋島寺は、屋島という台地状の山の頂上に建っている寺である。広く整然とした境内には、大陸様式の建物が立ち並ぶ。そして、我に返って気付いたのが、境内には土が露出している箇所が全くないということ。全て石畳か砂利で埋め尽くされているのである。これには驚いたが、雨の時などは、その方が靴が汚れないから良いとも思った。

050921_1716_00まあ、そんなことはどうでも良いとして、私は到着したアホの末に無事に記帳を終えたことを報告した。こいつは、私の苦労を知らないためか、「おおっ!そうか!そりゃあ良かったのう!」の一言だけだった。まるで他人事。

“自分も同じ坂をキツい思いをして登ってきたから、少しは私の苦労も分かろうものなのに。もう少しマシな言葉を吐いたらいいのに。”と、一瞬思ったのだが。 ただ、人間としての資質が著しく欠損しているこいつに対して多くを要求するのは酷というもの。動物を相手にするようなものなので、”こいつはこれで良いのだ”と納得した。

お互いに疲れきっていたから、しばらくはベンチに座ったままであったが、夕暮れも進み、暗闇が迫ってきていたので、仕方なく重い腰を上げて納経を始めた。石畳や砂利などの硬いもので埋め尽くされた境内は、まるで音楽ホールのよう。蝉の声と一緒に誰もいない境内に私達の読経する声が良く響き渡る。

そして、蝉の声と私達の声とが絶妙にハモる。境内という音楽ホールでの蝉と私達の合唱という、思いもよらないコラボレーション。このことを意識してから、思わず”面白いシチュエーションだ!”と、感動した。珍しい出来事に、またもや、”これも頑張ったことに対するご褒美かな”と思った。

展望台

050921_1815屋島寺を後にした私達は、寺を下ってからすぐのところにある展望台に立ち寄った。この展望台の周りには、土産物屋やら食い物屋やらが、たくさん軒を連ねていたが、さすがに午後6時を過ぎているとあって、どこの店も閉まっていた。

屋島の標高は300mか400mぐらいあるから、私の故郷の萩市にある田床山と同じぐらいの標高である。その高さから臨む下界の景色は絶景であった。周りの色が、紫から濃い紫、そしてダークブルーへとグラデーションを描きながら変化していく中で、私達はその絶景に見入っていた。

一日の終わりに相応しい、癒される眺め。ただ、下界の街並みにどんどん灯りが増えていくことで、周りが暗くなっていることに気付き、見入るのもほどほどに展望台を後にした。次なる私達の仕事は、食い物屋探しであった。

叱られる

私達が登ったのは、屋島の西側の遍路道であり、下る時は東側の屋島ドライブウェイを通ることにした。このドライブウェイは、カーブが少なく、傾斜が急であり、下る時に非常にスピードが出る。おまけに登って来るクルマもなかったために、更にスピードを出すことが出来た。当然のことながら、下り好きのアホの末は、すぐに私の視界から消えてしまったのだが、それを追いかける私も、いつもよりスピードを出していた。おそらく時速60㎞近くは出ていたのではないかと思う。これだけスピードを出すと、いつもなら恐れてブレーキをかけてしまうところ。

しかし、この時は、とにかくスピードを出せることが気持ち良くて、そんな気持ちには全くならなかった。おかげで、30分かけて登った距離をわずか4分ほどで下れたわけだが、このまま気持ち良いままでは終われなかった。下りきったところには、料金所があり、そこのおじさんに「ここは、自動車専用道だよ。自転車や歩行者は通ってはいけないんだよ。」と、叱られたのである。

「逆側から登ったので、知らなかったんですよ。すいませんね。もうしませんから。」と、謝って、何とかその場を逃れた私達。本当に自動車専用道とは知らなかったのだが、事故がなかったのが何より。叱られるのは、気持ちよさの代償と思えば安いものだった。

晩飯

050921_1903麓に下りた私達は、晩飯を食う店を探した。幸いにも屋島の周辺は高松市近郊ということもあり、飯を食う店はたくさんあった。問題は、何を食うかということ。

前日は不味いお好み焼き、前々日はうどん定食であった。さすがに同じものは食いたくないので、この日はトンカツか中華にすることにした。そう思った矢先、チェーン店の中華料理屋が現われたので、迷わずそこに入った。私はここではチャーハンの大盛りと餃子をチョイス。味は大したことないながらも、量は多いので、それなりに満足した。一日の仕事の全てを終えた私達は、飯を食った後も、しばらくは、まったりとくつろいでいたのだが、もう一つ大仕事が残っていることに気付き、急いで店を出た。

その最後の大仕事とは、野宿場所探しであった。

ハプニング

近くのスーパーで買い物をし、スーパーの外で公園を探すために地図を広げて見ていると、いきなりおばさんが現われて、「どこを探しとるんか?言うてみい!」と言ってきた。予想だにしなかったハプニングに驚きつつも、「野宿が出来るような公園を探しとるんよ!」と、答えると、 おばさんは、「公園なら、ここからやったら、2~3㎞山の方へ行ったところにあるで。」と、言った。詳しい場所までは、おばさんの説明では分からなかったが、公園のある大体の方向が分かったことは有難かった。

おばさんに礼を言うと私達は、教えてもらった方向に向かった。

温泉

050921_2027公園を探すことが何よりも優先されるので、この日の入浴は諦めていたのだが、山を上がっていく途中で、ラッキーなことに公衆浴場を発見した。しかも、それが温泉とあって、すぐに飛び込んだ。

浴場も湯船も小さいながらも、私達にとっては湯船に浸かれる、汗や汚れを洗い流せるというだけで十分であった。この後に、仕事が控えているので、短かめの入浴となったのは仕方がないこと。それでも、私達は入浴出来たということだけで満足だった。

ただ、一ついただけなかったことは、この後に公園探しという仕事で汗をかくであろうため、着替えるのをやめて、これまで着ていた汗と泥で汚れた仕事着をまた着るようにしたということだった。せっかく風呂に入って綺麗な体にしたのに、また汚れなければならないとは・・・。

夜景

温泉を後にした私達は、どんどん山を登って行った。”前日も風呂へ入るために山を登ったな。”などと考えながら登る。登りだして2~3分もすると、風呂で綺麗に洗った体は、汗まみれになる。おまけに着ている服の汗臭さが、体に移って、石鹸の匂いを消してしまうわで、結局、風呂に入る前の状態に戻ったのだった。

“あ~あっ、風呂に入った意味がねぇ!”と、落胆したのだが、しばらく登ると、そんな沈んだ気持ちを打ち消す光景が目の前に広がった。それは、高松市内の夜景である。この日の疲れを癒してくれるかの、その夜景の美しさに、思わずマウンテンバイクを降りて見入った。それを見たおかげで、沈んだ気持ちも再び浮揚したのだった。

聞き込み

山登りを再開して、いくら登れども公園らしきものは見えてこない。そこで、民家が何軒か散在している場所で、道を歩いていたおばちゃんに聞いてみることにした。

おばちゃんに後ろから声をかけたところ、こんな時間にこのような場所で自転車に乗っている男に声をかけられるとは思ってもいなかったのか、飛び上がるほどに驚いていた。そのリアクションは面白かったのだが、おかげで、おばちゃんが、まともに話が出来る状態まで復旧するには時間を要した。

そのおばちゃんが言うには、私達が登っている山の頂上付近に公園ではないが、みやげ物屋と公衆便所はあるとのこと。”なんだ公園じゃねぇのかよ。スーパーのおばちゃんの言うことは違うじゃねぇかよ!”と、思うも、便所さえあれば問題ないので、このまま行くことにした。

発見

ひたすら山を登り続ける。”これだけ山を登るんなら、難所へ行くのと何ら変わりないな。最後の最後に、こんな大仕事をせなあかんとは・・・”と、愚痴も出る。

だが、ここまで登った以上、引き返すわけにもいかない。頂上付近にあるのは間違いないのだから、とにかく登り続けた。こうして、約30分登り続けてようやく、みやげ物屋の駐車場らしきところに到着できたのであるが、ここに公衆便所はあるものの、蚊帳を張るような駐輪場も東屋らしき建物もなかった。

そこで、何かそれらしきものはないかと、そこを通り過ごして頂上まで行ったところ、運良く東屋を見つけることができたのである。そこから、みやげ物屋の駐車場までは、階段で下りられるようになっており、距離にして200mほどだった。そのくらいの距離なら、近いから問題ないと思い、その東屋を、この日の野宿場所に決めた。

これまでと同じく、探すのには苦労したのだが、最終的に見付けることができたことはラッキーなことであり、そのことに私達は感謝していた。

洗濯

東屋の近くに水のみ場があったので、そこで汗をかいた体を拭き、着ていた仕事着を洗った。洗ったとはいっても水洗いだけ。前日のように洗剤で洗うようなことはしない。よって、洗って落ちるのは表面的な汚れと汗の塩分のみ。本質的な汚れは残ったままなのだが、翌日もどうせ汚れるので全然構わなかった。

寝る

050921_2229東屋に蚊帳を張り終えた私達は、その中に寝袋を置いて横になった。私達のお遍路もいよいよクライマックスが近づいてきたとあって、お互いがこれまでのことを思い出して感慨に拭けっていた。お互いが、この日のことやこれまでのことを語り合う中で、アホの末が「もし、明日、結願することが出来たら、そのまま徳島まで走って、そこからフェリーに乗って和歌山へ行こうやぁ。」と、言ってきた。

確かに、翌日に結願できれば、私達の休日は、もう3日を残すことになるから、可能なことではある。しかし、そうなると、日程がギュウギュウ詰めになり、最終目的地である高野山でゆっくり出来なくなる。また、元々、高野山へのお礼参りは、翌年の春に開催されるはずであったもの。私としては、今回で済ませてしまうより、楽しみは後に取っておきたいという気持ちがあったので、「そうしようぜ!」と、即答は出来なかった。

その場は、「明日、結願できたら、その時考えようや。」と、答えを濁した。完全に「ノー!!」と、言わなかったのは、少なからず、”今回ついでに済ませてしまった方がいいかもしれない”という考えも持っていたからなのだが、悩むところであった。

だが、私がアホの末に言ったように、結願する前にあれこれ考えても無駄な労力だ。今は、とにかく結願することだけを考えるべきなのだと、考えを切り替えた。

私達が会話を打ち切って、眠りに就く準備をしたのが、午後11時頃。前日と前々日、更にその前の日の雨や気持ちの昂りで眠れなかった日と違い、この日だけは目をつむると同時にすぐに眠りに落ちることが出来た。

それは、ハードなスケジュールをこなし、夜中に雨が降らなかったということもあるが、翌日でほぼ結願出来るであろうという安心感があること、そして、苦労したが故に、たくさんのご褒美をもらって、心が喜びで満たされていることが大きかった。


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