住吉神輿 2005
- カテゴリ
- ANOTHER
- 開催日
- 2005年08月03日(水)
2年ぶりに神輿を担ぐことになった。今年は漢塾の新塾生として、タクジとうえチンが初参加しての神輿だ。
タクジは、足を複雑骨折しつつも、懸命のリハビリで、半年ほどでラグビーに復帰し、引退試合では、その足で独走トライをとった不屈の精神を持つ男である。うえチンは、趣味は女と筋トレで、おそらく脂肪率は10%以下であろう鋼の筋肉を持つ、稀にみるドスケベである。この2人が入塾することによって、塾生の平均年齢は上がったものの、精神的、肉体的レベルは格段に跳ね上がった。
初めて、神輿に参加するから一緒に行かないと要領が分からないと思い、うえチンやタクジの仕事が終わるのを待ったので、神輿に合流するのは、午後20時近くになってからのことだった。それからは、5時間ぐらいしか担ぐことがなかったので、ラストのお上がりまでが、やけに短く感じた。それでも、目立つところはきっちり抑えて担いでいたので、十分目立ったと思うし、やったという充実感もあった。
だが、神輿を終えて残念に思ったことが3つほどある。1つは、今年は、例年に比べて明らかに参加者が少なかったということだ。これは、最近の若者の中には、神輿を「面倒臭い!、疲れる!、知らない人達とやるのは嫌だ!」としか思ってない者が多いためであろう。実に寂しく、残念なことであるが、そう思うのも無理はない。この私でさえ、神輿に参加してしまえば、楽しいものの、参加する前日などは「面倒臭ぇなあ。」なんて思ってしまうぐらいだからだ。
しかし、人数が少なくなると、神輿の存続に影響を及ぼす。この何百年にも渡り、受け継がれてきた貴重な文化財を次の世代に残すためにも、これからは、地元関係者の繋がりの者にだけ、協力の要請をするのではなく、例えば、広告やインターネットなどで、たくさんの人達への協力の要請が必要になると感じた。
もう1つは、例年よりもスポンサーとなる家や店に寄って神主さんが祝詞をあげることが減ったので、休憩時間が減り、その分、担ぐ時間が増えて、担ぎ手の体力的負担が増えたということである。体力的負担が増えるだけなら、さしたる問題ではないが、スポンサーが減るということの方が問題なのだ。不況の煽りか、それとも、神主に祝詞をあげてもらって、商売繁盛、家内安全を祈願するということが、どうでも良くなったのか。それについて、どうのこうの言えるものではないが、ここでも、変わりゆくことに寂しさを感じずにはいられなかった。
そして、最後のもっとも残念に思ったのが、これまで、お上がりに臨む前に飯を食ったり、休憩したりしていた休憩所がなくなったということだった。何でも、そこの家の人が、居なくなったことが理由らしいのだが、いつもの思いで深い休憩所がなくなったということは、やはり寂しかった。
こんなことばかり並べると、楽しくなかったかのように思われるかもしれないが、そんなことはなく、祭りでは、ロブをはじめとする友人、知人達に出会えたし、マッチョマンをナンパして腕相撲をしたりと、楽しかった。 ただ、いろいろなことが、例年と変わったということに寂しさを感じていただけなのだ。
そんな私も、今までとは違い、最後のお上がりまで、特に熱くなるでもなく、淡々と神輿を担いでいた。何で淡々としていたのかは、分からないが、2年前とは自分の何かが違っていたことが原因であるのは間違いない。
周りが変わろうと、自分が変わろうと、神輿を愛する気持ちに変わりはないが、変わるということがやけに印象に残った、今年の神輿であった。
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