15年

当時、私は卒業を前にした大学4年生だった。

私は、現地の大学へ行った友人の安否に右往左往していた。

奴のアパートは、三宮から近い、震災ど真ん中の地区にあったため、何らかの被害に遭っていることは間違いないと思われたためだ。

電話をしても当然のごとく電話には出やしない。

さすがの私もこの時は、いつものように「電話に出んわ!」などと冗談を言うことはしなかった。

もしかしたら奴から電話がかかってくるかもしれないと思ったが、それも無かった。

小学校、高校の時のクラスメイトで、常に行動を共にするくらい仲の良かった男だから、奴の安否はすごく気になった。

1日経っても連絡が取れないので、業を煮やした私は奴の実家に電話をした。

家族の方も連絡が取れないと嘆いていた。

事が動いたのは、2日経ってからだった。

再度、奴の実家に電話をすると、丁度今しがた奴より電話があったという。

奴は無事に怪我も無く生きているとのことだった。

私は、重い肩の荷をやっと降ろせた気分だった。快食、快眠、快便と、体調はいつもどおり万全ではあったが、この時ほど誰かのことを心配したことはなかったのだから。

何ヶ月か後に奴と会って当時のことを聞いた。

奴のアパートは、縦に細長い一軒屋を一階と二階の二世帯に分けたもので、奴は二階に住んでおり、私も何度か寄ったことがあった。

地震が起きている最中に奴は着のみ着のままで、屋外に脱出。奴が脱出した後にアパートの二階部分は、ポッキリと折れ、地面に落下。一階部分は潰れたという。その際、逃げ遅れた一階の住人は圧死したらしい。

そのまま奴は線路を伝って、震災の被害を受けてないバイト先のカレー屋まで歩いて行き、しばらくそこで厄介になったそうだ。

その他にもいろいろと震災のことを聞いたが、その内容の凄まじさにしきりに驚き、そして、そのような状況下にあって、無傷で生き残った奴の運の良さに感心したものだった。

あれから15年。

奴も現在は結婚して、一男一女のパパ。

生き残ったおかげで今がある。

 

 

 

 

 


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