待ち人来る!

4日の午後5時に始まった妻の陣痛も、時間を重ねるごとに痛みを増し、始まってから20時間を経過する頃には言葉も発せないほどのものになった。

枕やシーツをかきむしり、痛みに転げまわる姿を見ていると、”すごく可哀想だ!””早く痛みから開放させてあげたい!”と思うのだが、”立場を代わってあげたい!”という気には、恐くて到底なれない。

男は、この痛みには耐えられないらしい。金玉を握り潰された痛みの何倍もの痛みだというからだ。

よって、私は側で時おり背中をさすったりして見守るしかなかった。

長く続く陣痛のおかげで、妻は眠れない。

疲れきって眠ろうとすると、約5分間隔で起きる激しい陣痛で叩き起こされる。

当然、私も眠れない。いや、眠るわけにはいかない。

潮が満ち始めるのは、6日の午前2時からだという。

人は潮が満ちる時に生まれ、引く時に死ぬと言われる。

何でかは分からないが、殆どがそうらしい。

午前12時を過ぎ、6日に入る。

ただひたすら5分間隔で激しい陣痛がつづく。

自然分娩で産むには、とにかく継続的な激しい陣痛が起こらなければならない。

陣痛が無ければ子宮口が開かない。

子宮口が開かなければ、その人は出て来れない。

陣痛は分娩に必要なものではあるが、痛みの感じ方もその長さも人それぞれらしい。

“何で、こいつがこんなに長い間、これに悩まされなければならないのだろう?”という憤りにも似た気持ちが湧き上がる。

だが、どう思おうと、この苦しみから開放されるのは、産んでしまう以外にない。

その人を体外に出すのに、必要な継続的な激しい陣痛を得られないまま、午前2時になった時のことだった。

破水したのである。

これには、もうしばらく陣痛が続くものと思い込んでいた私達も喜びで飛び上がった。

急いで、一緒に分娩室に入った。

初めての場所、初めての経験であるのに、緊張感は無かった。

それどころか、すごく客観的に、まるで他人事のように事の成り行きを見ていた。

全ての用意が整ってから分娩が始まった。

妻の苦しみようは、それまでより更に酷くなった。

“痛いんだな。””苦しいんだな”と思いながらも「ええど!ええど!」「その調子や!」と、エールを送った。

途中、”何がええのや?”と、疑問に思うもとにかくエールを送り続けた。

私は妻の頭の方に立たされているから、現在どのような状態になっているかが分からない。

「もうすぐよ!」「あと少しだから!」という医師や助産師の言葉で、もうすぐその人が出て来るんだということが分かるぐらいだった。

妻の声がますます大きくなる。

私が妻の立場だったら。

既に息絶えているだろう。

その大きな声に感動し、いろいろなことが頭を巡った。

誰に教えてもらったわけでもないのに産み方を知っていると言うことは驚くべきことであること。

命を産み出すには、命を削るかの如く莫大なエネルギーが必要であること。

この苦しみを乗り越えなければ、新たな命には出会えないという、分娩に対して何か儀式めいたものを感じたこと。

しかし、どんな思いが頭を巡ったとて、そんなものは理屈だ。

遥か昔より続けられてきた目の前の現実の前では、どんな言葉も意味を持たない。

考え過ぎて、自分が分娩に立ち会っていることを忘れ、”俺は分娩に立ち会っているんだった!”と思い出したとの時だ。

「出るよ~っ!」という声で、医師が妻の胎内からその人を引っ張り出した。

「おぎゃあっ~っ!」と大声をあげて泣くその人を見た時、我が胸に最初に去来したのは、”ふう~ん。こいつが妻のお腹の中におったんや!こいつがお腹の中でボコボコ動いとったんや!こんな顔しとったんやな。”という好奇心に似た思い。

次に去来したのが、”やっと妻が苦しみから開放される!”という安堵感であった。

そこには、感動も何もなかった。

時は、6日の午前3時44分。

結婚してから12年間の歳月を経て、約35時間に及んだ長丁場を経て、私達は、長く長く待ち望んだその人にやっと出会えた。

やっと出会えたのだ。

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です