漢塾RUN 長崎編 第二弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2009年05月30日(土) ~ 2009年05月31日(日)
泊まり
行き帰りに要する時間が長いため、今回より1泊2日の泊まりで漢塾ランを開催することにした。宿泊地は、変態小野の希望により前回到達地点から40㎞以上も手前になる北九州市の小倉である。
出発する日は小倉までの移動のみで、その日は前夜祭を行い、ランを行うのは翌日という今までにはない変則的なプランだ。本来であれば、先にランを行い、それが終ってから打ち上げを行うのが気持ち的には楽だ。
だが、この日は3人とも午前中に共通の用事があるため、このようなプランにせざるをえなかったのである。
午前中に用事を済ませた私達は、ほぼ予定どおりの午後2時過ぎに目的地である小倉に向けて出発した。
忘れる
下関まで行ったところで気付いた。ホテルまでの地図を忘れたことを。
ここまでは2時間近く走っているため、取りに戻るわけにもいかない。仕方がないから、現地に到着してから通行人にでも聞き込みをしようかとも考えた。
だが、私は小倉へは頻繁に行っており、現地の地理には比較的明るく、またホテルの近くの目印となる目標物だけは覚えていたため、それを頼りにしてみることにした。
そして、いざ小倉に入ると、思っていたとおりの場所に目印となる目標物があったのである。その目標物を右折して300Mほど行くと、私達の泊まるホテルを見付けることが出来た。
どうとでもなるとは思っていたのだが、ここまでスムーズにホテルが見付かると、自分の記憶力を褒めたくなる。地図や紙に印刷したものは携帯しないと用を成さないが、自分の記憶力というものは、常に自分と共にある。
やはり頼りになるのは自分の記憶力である。
怒号
ホテルに入って最初に私達の耳に入ってきたのは、「何じゃあ!このホテルはぁっ!ナメとるんかぁ!」という怒号であった。
その筋の人であろうことは間違いないのだが、フロント横の仕切りの向こうで怒鳴っているためにその姿は見えない。
その怒号を聞きながら、“人前でよくあんなに大きな声で怒鳴りまくれるものだ。俺にはとても出来ねぇ。”などと感心していた。
それは数十秒間続いた後にピタリと止んだ。普通、怒っている人は、怒りが収まれば徐々に声が小さくなっていくものだが、この時は不自然なくらいにピタリと止んだのである。
思うに多分、本気で怒ってないのだ。人間が本気で怒るなんて、そう滅多にあるものではないから、演技と思う方が合点がいく。
私には、演技であっても人前で怒鳴り散らすようなことは出来ないから、ある意味大したものだと思った。ただし、その演技力を他人を恐れさせるために使うのはいただけない。それよりかは、喜ばせたり笑わせたりする方に有効活用すれば良いのにと思うのだが。
前夜祭
部屋に荷物を置いた私達は、前夜祭を行うべく夜の街ならぬ夕方の街へ繰り出した。私達が泊まるホテルは、小倉駅より1㎞あまり離れているため、小倉の中心街である魚町に比べると店の数や種類はかなり劣る。
しかし、それでも萩の飲み屋街とは比べものにならないほどの数の店があり、店選びには手間を要した。とりあえず、飲み屋街を端から端まで往復して決めたのが、ホテルの真ん前にある24時間営業の居酒屋であった。
メニューが多く、値段がリーズナブルであること、そして外から中がバリバリに見える開放的な雰囲気であることなどが決め手となった。
午後5時すぎという早い時間帯もあり、店内は私達の他に2~3人の客しかいなかった。その客も店に入ってしばらくしたらいなくなり、それからは貸切状態であった。
翌日に50㎞を超える苛酷なランが控えているとはいえ、あまりそのことを気にすることはなく、私達は食いたいだけ食い、飲みたいだけ飲んだ。
おかげで、居酒屋を出る頃には酒豪の達ちゃんはすっかり出来上がっており、この後に入ったラーメン屋のことは全く覚えてなかったらしい。
さすがに翌日のことを考えて2次会へ行くということはしなかったが、それでも私達は十分に満足していた。
出発
朝飯付のホテルだったのだが、それは午前7時からのサービスということで、そのサービスに預かることなく、午前6時にホテルを出発した。
目的地は、前回到達地点である宗像市のナフコである。そこへ至るまでは、街中を走っていくようになるため、昼間の時間帯であれば1時間以上の時間を要する。
ところが、この日は午前6時という早い時間での出発であったため、クルマが少なく信号にも殆どつかまることがなかった。おかげで、50分ほどで現地には到着することが出来たのであった。
プラン
達ちゃんと変態小野の二人には、予め「これからは、福岡市及びその周辺のベッドタウンを走るようになるから、次に会うのはゴールやぞ!」と伝えておいた。
非情なように思われるかもしれない。前回でも途中で2回ほど給水ポイントを設けられたわけだから、「せめて1回くらいは給水ポイントを設けろよ!」と言われても当然かもしれない。
しかし、私達が進むのは大都会(田舎者の私達からすれば)福岡市とその周辺である。今までに何度となく通ったことがあるが故に、クルマを長時間停めるような場所がないのは分かっている。また、大都会のクルマの交通量が多いところでキョロキョロと停める場所を探しながら運転するのが危ないというのも分かっている。
よって、途中に給水ポイントを設けることなく、最初で最後の給水ポイントをゴールとしたのは、やむを得ない苦渋の決断であったのだ。
幸いにも素直な二人は、このことをよく理解してくれていた。
見本
午前7時過ぎに出発した二人を見送った後、私もゴールへ向けて出発した。ゴール予定地は、福岡市を越えた適当な場所である。
20㎞ほど走って福岡市内に入った時に肝心なことを忘れていたことに気付く。長崎方面へ行くルートを調べてなかったのである。
私は、塾生達には「とにかく3号線を行け!」としか言ってなかったので、もしかするとこのままでは違う方向へ行ってしまうことも考えられる。不安になった私は、福岡市近辺の大学に行っていた末弟に電話をした。
4年間もこの辺りに居たのだから、長崎方面へはどのルートを通れば良いのかを分かっているものと思ったのだが、違った。
「よく分からない。」との返事である。
まったく、こいつは大学の4年間何をしていたのだろうか?学生らしく遊びまくっていたんじゃないのか?それならこの辺りの地理には詳しくても良いはずなのに。
使えない奴だ。
そして、次に電話をしたのがアホの末。「よう分からんけど多分、3号線で行けるんやないやろうか。」と、適当な返事。自分には関係ないといった感じ。
こいつは目の前で他人が困っていても平気で見過ごすことの出来る人間である。おおよそこのような返事が返ってくるであろうことは予想していたが、いざその通りの返事が返ってくると、とても腹立たしい。
使えない奴というか、それよりも人間としてどうかと思える奴だ。
“これで駄目だったら、通行人に聞き込みをしよう。”と思って最後のつもりで電話したのが、職場の先輩の吉田さんである。
吉田さんは、日曜日の早朝であるにも関わらず、懇切丁寧に教えてくださったばかりか、電話を切った後も、わざわざ地図で調べて電話までしてくださった。
この行為には感動した。やはりこの方は、先の使えない二人とは違う!
人間とはかくあるべきものという見本みたいな方だと思った。
伝える
吉田さんのおかげで長崎方面へのルートが分かった私は、すぐにその事を伝えようと二人に電話をしたのだが、二人ともランに没頭中ということもあり、電話には出なかった。
“どうしよう。電話に出んわ!”などと一人でくだらない冗談を行ってみてもどうなるものでもない。
二人に正しいルートを伝えないと、ゴールで誰とも会えないという事態にもなり得る。だが、焦ってどうなるものでもない。焦るだけ時間の無駄というもの。
二人の携帯には私の携帯からの着信履歴が残っているであろうから、早いうちに二人から電話がかかってくるのを待つことにした。
決定
吉田さんに教えていただいた情報によると、とにかく佐賀県の鳥栖市を目指して行けば良いとのことなので、道路上の表示板を頼りにクルマを走らせる。
博多区を過ぎようとしたところで、国道3号線は左に折れ、そのまま直進すると県道112号線に切り替わるようになるが、表示板は鳥栖方面を示しており、こちらの方が真っ直ぐなだけ近道であり、またどこかで国道3号線に交わるものと思い、そのまま直進した。
県道112号線は大野城市内を縦断しており、ひたすら市内を走り続けるようになる。2~30分も走って市の郊外に行き着くと、そのまま真っ直ぐ行くと県道77号線、右折すると国道3号線になるため、右折して国道3号線に合流した。
国道3号線に合流してから4~5㎞ほど行くと左側に山田電気及びスーパーなどの大型店舗が何軒か見えたので、“ヤマダ電気をゴールにしよう!”と思い、左折して進入路に入り、山田電気の駐車場にクルマを停めようとした。
だがしかしだ。まだ開店時間ではないために敷地内には車止めに鎖が張られて入れなかったのである。“仕方がねぇ、開店するまで待つか。”と思った私の目に入ってきたのは、ヤマダ電機より200mほど奥にあるショッピングタウンであった。
ショッピングタウンであれば、便所ばかりか昼飯を食う飯屋や暇つぶしをするための本屋だってある。“ラッキー!”と思い、すぐにゴールをそのショッピングタウンに変えた。
ここはスタート地点からクルマのメーターで55㎞の地点。これまでのランで最長の距離である。最低条件である50㎞を越えており、また目立つということで、ゴールには申し分ない場所であった。
連絡
クルマを停めてから、未だ電話のかかってこない二人に再度電話をしたのだが、さすがに走行中とあって、二人ともすぐに電話には出なかった。
だが、電話をかけてから30分以内には二人から連絡があり、ゴールへ至るまでのルートを事細かく説明した。
以前も新門司~苅田町の辺りで私が詳しい地図を渡しているにも関わらず何人かが迷子になったことがあったが、今回のゴールへ至るまでのルートは、あれに比べると遥かに単純である。
“これで迷ったらアホや!”と思いつつも、二人とも迷子になることなく無事に私の居るゴールまで辿り着くことを祈った。
だって、ナビも地図も持ってなくて、この辺りの地理に疎い私には二人が迷子になってしまったら探しようがないのだから。
闘い
二人と連絡を終えたのが午前9時前頃。この時、二人ともスタートしてから15㎞ぐらいのところを走っているとのことだったから、ゴールまでは40㎞を残していることがおおよそ分かっていた。
40㎞というと変態小野で5~6時間、達ちゃんで7~8時間ぐらいで走る距離である。
ということはだ。最低5~6時間は一人で過ごさなければならない訳である。
クルマを停めたのは日陰も何もないただっ広い駐車場である。この日の天気は良く、これから昼過ぎにかけてますます暑くなることが予想されるために、クルマの中で寝たり読書したりすることは出来ない。
これからどうやって暇を潰そうかと考えた。
クルマの中で過ごせない以上、外で過ごすしかない。丁度午前9時になったおりに本屋が開店したので、とりあえずは本屋に入って立ち読みをした。
しばらくはここで暇が潰せると思った。だが、私は生まれつき気が短くて同じ場所にジッとしていられない性分である。1時間もすると立ち読みにも飽き、すぐに店を出た。
その後、ヤマダ電機やスポーツ店に入ったり、スーパーで食い物を買ったりしたが、それでも2時間ぐらいしか時間を潰すことが出来なかった。
変態小野が到着するまではまだ3時間以上も時間を残している。しかし、さすがにもうこのショッピングタウンで暇つぶしをすることは不可能であったため、再度本屋に入って本を購入し、店の外に設置されているベンチに座って読書をすることにした。
気は短いながらも本を読むことは好きであるため、それに没頭すると時間は瞬く間に過ぎていった。
食い違い
気付くと時刻は午後2時になろうとしていた。そろそろ変態小野が到着する頃だと思った私は、変態小野に電話をかけた。
この時変態小野はすぐに電話に出た。今、【ゆめタウン】というショッピングセンターを通り過ぎたとこだと言う。私はゆめタウンを通り過ぎた覚えはないから、すぐにそこは国道3号線なのかと問いただした。
変態小野は国道3号線に間違いないと言う。おまけに先ほど大宰府市役所を過ぎたとも言う。
大野城市役所の前は通ったけど、太宰府市役所の前を通った記憶の無い私は、再度そこは国道3号線に間違いないのかと問いただした。
やはり変態小野は国道3号線に間違いないと言い張る。もしかしたら、私がそれらのものを見落としたのかと思い、変態小野の言うことを信じて待つことにした。
電話を切る前に、県道112号線から国道3号線に乗り換えて、ここまでは4~5㎞の距離であることは、変態小野に伝えておいた。
“その乗り換えた最初の辺りに変態小野がいると仮定しても、こいつの足なら30分もあれば余裕でゴールに到着出来るはず。”と思っていたのだが、そうはならなかったのである。
間違い
ゴール予定時間の30分を過ぎても変態小野はゴールしないので、待ちくたびれた私は再度変態小野に電話した。
私「お前、さっき俺はゴールまであと4~5㎞と言ったよな。何でまだ着かんの?」
変態小野「おかしいんですよ。僕は塾長と電話で話してから、もう10㎞ぐらいは走っているはずなのに、塾長が言われた目印が見えて来ないんですよ!」
私「お前の現在地が分かるようなものが無いか?」
変態小野「鳥栖市10㎞と書かれた看板があります。」
私「そんなものあったかいのぉ。」
この後、何分か会話を重ねたが、何一つ内容が噛み合うことはなかった。
私は国道3号線に入ってからここまでは、クルマであるが故に自動車専用道を通ってきたが、歩行者の通れる側道を通ってたとしても10㎞もあるはずがない。どんなに長くとも1~2㎞長くなるぐらいだ。
“もしやここを通り過ぎたのでは?”と思った私は、「もしかしたら通り過ぎたかもしれんから、来た道を戻ってみい!」と伝えて電話を切った。
そして私は、自分の見落としがないかを確かめるために国道3号線の側道を歩いて戻ってみることにした。
そしたら600mほど戻った所に先ほど変態小野が言った【鳥栖市10㎞】と書かれた看板があったのである。
ということはだ。変態小野は、ゴールを通り過ぎてなかったことになる。それが分かった私は、急いで変態小野に電話した。
幸いにも変態小野はすぐに電話に出た。途中でやはり自分は間違ってないと思ったために、戻ることをやめたらしく、再びこっちへ向かっているとのことだった。
ゴールでこいつを待とうとも思ったが、面倒臭いのでそのままその場所で待つことにした。
国道3号線の側道を通ったとはいえ、何でこうもお互いの言うことが食い違うのかと疑問に思ったが、これまたあれこれ詮索するのが面倒臭いのでその事には触れなかった。
とにかく無事にゴールしてしまえば、細かい事はどうでもいいのだから。
しかし、後で思わぬことからこの疑問が解消されることになるのである。
変更
変態小野と歩いてゴールへ向かう際に、視力の良い私はこのショッピングタウンから300mほど佐賀県側へ行ったところに【佐賀県基山町】と書かれた道路標識を発見した。
この筑紫野市が福岡の端であることは分かっていたが、わずか300m先が佐賀県と知らなかった私は“どうせ300mしか違わないのなら、佐賀県に入った場所をゴールにした方がいいや。”と思い、急遽ゴールを300m先の道路標識の側にある【筑紫野温泉】にすることにした。
変態小野も“その方が良い”とのことで、変態小野を一足先に県境の筑紫野温泉に向かわせ、私はクルマを取りにショッピングセンターへ戻った。
待つ
私がクルマで筑紫野温泉の駐車場に着くと、既に到着していた変態小野が待っていた。ここで達ちゃんにゴールを変更したことを連絡したのだが、やはりというか走行中の達ちゃんは電話に出ない。
それはある程度予測していたので、じきに電話がかかってくるものと思い、変態小野と歓談しながら、それを待った。
待つ事20分、ようやくそれは来た。
まず、達ちゃんの現在位置を確認した。
私「今どの辺りなんか?」
達ちゃん「まだ国道3号線が見えないんですが。ヤマダ電機の場所も通行人に聞いたんですが、この辺には無いとのことなんですよ。もう国道3号線を過ぎてしまったんですかねぇ。」
私「今、県道112号線を行きよるんやろ!とにかく真っ直ぐ進めば、県道112号線がそのまま県道77号線になって、右折したら国道3号線になるところに出るはずやから。すぐ手前にそれが書かれた大きな道路標識が道路の上にかかっとるから、見落とすことはないはずやぞ!多分、まだその道路標識のところまで行ってないんや。」
達ちゃん「分かりました。そのまま進んでみます。また電話します。」
そう言って電話を切ってから10分後、再度達ちゃんから電話がかかってきた。
私の言った道路標識があったらしく、無事に国道3号線に入ったとのことだった。
国道3号線の自動車専用道では、ここまで4~5㎞であったが、側道ではここまでの距離が長
くなる。変態小野の言葉を信じるならば、10㎞以上はあることになる。
こいつが私の伝えた正規のルートを通ってきたかは疑わしいとは思いつつ、変態小野の言葉を
信じて達ちゃんには「あと10㎞ぐらいやからの。」と伝えて電話を切った。
10㎞といえば、終盤にかかった達ちゃんの足なら2時間ぐらいで進める距離である。
この時、時刻は午後3時前。よって午後5時頃には達ちゃんが到着するものと思い、私達は気
長に待つことにした。
だが、またもや変態小野の時と同じように私の思惑は外れたのである。
疑問
筑紫野温泉の駐車場でずっと待つのも暇なので、再度私達はショッピングタウンへ移動した。
ここでアイスを食うなりジュースを飲むなりしてくつろぎ、晩の祝杯のための酒を買いにスーパ
ーへ行き、クルマへ戻って来た時のことである。
変態小野が、「達ちゃんから、筑紫野温泉に到着したとの連絡がありました。今、ショッピング
タウンに居るということを伝えたら、こっちへ来るとのことです。」
それを聞いて“ん?”と思った。それは達ちゃんの電話を切ってから、まだ1時間余りしか時
間が経っていないからだった。いくら私の予想よりも達ちゃんの進むスピードが速いとはいえ、予想よりも1時間速いとは、ちょっと考えられないのだ。
道を間違えたなら、到着時刻が早くなるなんてことはなく逆に遅くなるはず。
“これは一体、どういうこと?”と思うも、幾ら考えても本人に聞いてみなければ分かるはずもない。
そのことを問いただそうと、とにかく達ちゃんが来るのを待った。
解消
筑紫野温泉までは300mしか離れてないこともあり、達ちゃんはすぐに私達の目の前に現れ
た。
「お疲れ!」と、労いの言葉をかけるや、すぐさまどのようなルートを通ってここまで来たの
かを聞いた。
県道112号線から国道3号線に入ったのは、私と電話で話した通り。その後、歩行者の通れ
る側道は自動者専用道と離れ、街中を通るようになったが、ここまでは10㎞もなかったとのこ
と。せいぜい5~6㎞ぐらいなものと言っていた。
それを聞いて、やはり間違っているべきは変態小野だと思った。国道3号線を通って来たには
違いないが、途中どこかで間違えて私の指示した通りのルートを通ってないのである。
そして、それは帰り際に証明されることになった。
帰りは、県道112号線を通るのはやめて、ずっと国道3号線を通って大宰府インターまで行
ったのだが、問題の県道112号線との切替地点を過ぎても、「ここを通りました。この建物は見
覚えがあります。」と言うのである。
「お前、県道112号線を通って来たのなら、切替わる前の国道3号線の景色や建物など知る
はずもなかろうが。」と言うと、「そう言われればそうですね。」と変態小野。
これで謎が解けた。要するにこいつは、国道3号線→県道112号線→国道3号線という私の
指示したルートを通ることなく、ずっと国道3号線を通ってきたのである。
私が最初電話した時に県道112号線から国道3号線に入ってから少し経った頃と思い込んで
いたのが、実は変態小野は、その遥か手前の国道3号線を走っていたわけである。
だから、こいつの到着前に電話で話しても話が噛み合わなかったのだ。
ゴールは国道3号線沿いの筑紫野温泉であるから、ずっと国道3号線を通って来たということ
に問題はない。だが、大野城市を通らず、大野城市の東に位置する太宰府市を通って大野城市の真南に位置する筑紫野市に入ったということは、迂回する形になり遠回りとなる。
正規のルートを通ってゴールした達ちゃんが、クルマのメータープラス1~2㎞走っているならば、変態小野はプラス6~7㎞は走っているかもしれない。
“いくら体力が有り余っているとはいえ、何でいつも人よりも余分に走りたがる?”と思いながらも、それまで抱いていた疑問が解消されたことで気持ちはスッキリしていた。
ランを終えて
前回の長崎編第一弾から50㎞を越えるノルマを課したわけだが、今回もよく走った。
達ちゃんで57~58㎞、変態小野にいたっては60㎞以上走っている。
おかげで今回の目標であった大都会福岡市を無事に横断し、しかも県境ではありながらも佐賀県まで入ることが出来た。
また、今回初めて給水ポイントを設けなかったこともあり、二人の走っている様子や途中の状態など全く分からず、始めと終わりしか実況出来なくなってしまったが、何でも有りの漢塾では、こういうのも有りだろう。
今回のランを終えて思うのが、“泊まりでランに臨むのは楽だし観光気分になれていいなあ。”ということである。朝早く出発する必要もないし、飲みに行く楽しみもあるし。時間の余裕があるから、ご当地メニューを味わったり名所観光したりということも出来るし。
50㎞以上走るという苛酷なことをする訳だから、これぐらいの楽しみはあって然るべきだと
思う。
次は、佐賀県内の横断にかかる。横断しきって長崎県に入るのは無理であろうが、佐賀県のど
の辺りまで行けるかで、それ以後の行程が決まるから出来る限り距離を稼ぐつもりでいる。
そして、苛酷なことをするだけにそれを補うだけのことをするつもりでもいる。
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