四国八十八ヶ所 自転車遍路(第二弾)
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2004年10月07日(木) ~ 2004年10月11日(月)
二日目(2004/10/8)
目覚め
ガタンッ!ガタタッ!という窓を叩きつける風の音で目が覚めた。窓が割れそうになるほどのものすごい風だ。こうなることは昨日の天気予報で予測していたから、驚きはしなかったが、窓の外を見ると、外に出るのが嫌になるほどの暴風雨で、海は荒れに荒れ狂っていた。
さすがに室戸岬から見る太平洋は壮大であるだけに、荒れ狂う様も日本海とは比較にならないほどのスケールで、高さ20~30mはあろうかと思われる防波堤を波が楽に越えていた。これだけの大荒れの海を見たことが無かったので、しばらく、その凄まじい光景に見入っていた。
「こりゃあ、海に入ったら間違いなくあの世逝きだな。」と、大自然の力を怖れる反面、どんなに科学が進んで様々なものを手に入れても、この力の前では人間なんて無力に等しいと、ひたすらその力の凄さに感心していた。
9時間近く睡眠をとっただけあって、目覚めは良かった。昨日、あれだけ濡れまくったのに風邪もひいてなく、体調も非常に良い。おかげで、天気が悪いにも関わらず、やる気は十分にみなぎっていた。やはり、気持ちを左右するのは体調だ。
朝飯
午前7時に朝飯を予約していたので、1階の食堂に行った。既に私達以外の泊り客が先に食事をしていて、挨拶をしてから食卓についた。ごはんに味噌汁、鯵の干物に冷奴に卵と海苔という質素な朝食で、お櫃には、ごはんが山盛りにしてあった。
全く味の期待などせずに食べたのだが、その全ての美味いこと、美味いこと!ごはんは新米で、私の好きな堅めに炊いてあり、味噌汁はダシが良く効いていて、鯵の干物は塩加減、干し加減が共に絶妙であり、「これは美味い!」と、末と何度も声に出していた。おかげで、山盛りにしてあったお櫃のごはんは全て食べ尽くしてしまった。
今まで、いろいろな宿に泊まれど、これほど美味い朝食にはありついたことはなかった。この味、この量で500円は安いと思った。食べ終わった後、満腹感もあって、すごく幸福な気持ちになった。朝飯は、やはりごはんが良いとも改めて感じた。
さあ、行くか!
旅支度を整えて、午前8時半にお世話になった室戸荘を出発した。昨日は、暗くて外観がよくわからなかったのだが、明るいうちに見ると、晩に感じたのよりも更にひなびた感じに見える。
でも、ひなびているとか金を払っているからとかは関係なく、泊めていただいて、美味い朝食もいただけたことへの感謝の気持ちで一杯だった。
おそらく、二度と泊まることはなかろうこの宿が、自分の中に深く印象づいたことは間違いない。外は思ったとおりの、凄い雨で、すぐにビショ濡れになったが、気合いが入っているので、何ら問題はなかった。
今回初の!
宿は本当に室戸岬の最先端にあり、岬を反対側にぐるっと回ると、すぐに24番 最御崎寺への遍路道の看板が現れた。いきなりのすごい坂だ!うわぁ!と少し怖気づきながらも、目の前にある坂は、登るしかなく、「やるしかねえ!」と覚悟を決めて登り始めた。大腿筋に力をこめてペダルを踏む度に心拍数がどんどん上がるのが分かる。息使いもどんどん荒くなってくる。最初は、末の後を走っていたのだが、これはとても力をセーブして登れる坂ではないので、末を抜かして先に行くことにした。
道路上の看板には山上の寺まで2.2㎞と書いてある。「うえぇ~あと2㎞も登らないといかんのかよぉ。」と心の中で叫びながら、必死こいてペダルをこぐ。ギヤを一番軽いのに落としても、なかなか前に進まない。少しでも力を緩めようものなら、首根っこひっ捕まえられて、後に引きずり落とされそうになる錯覚さえ覚える。
この急な坂は、山をぐるりと回りながら登っていくのではなく、山の片側の側面だけに、道が貼り付けてあり、つきあたりまで行ったら、方向を変えて、またつきあたりまで登っていくというようにジグザグになっている。短い距離で、高度をかせぐため、勾配が急になってしまうのだ。
心臓破りの坂ではあるが、その代わりに眺めは抜群!常に海に面した側を上っていくので、海が良く見える。最初は私の後を登ってくる末が良く見えたのだが、それもそのうち見えなくなった。
途中、何度自転車から降りようと思ったことか。あと100m、もう100mと自分を叱咤して登り続けた。太腿が悲鳴をあげて、もうダメかと思った時に寺の入口が見えると、不思議とどこからかパワーが出て、どうにか登りきることができた。この時、人間って限界だと思っても余力を残しているものだと悟った。肉体より精神の方が先に根をあげるのが普通なのかもしれないが、まだまだ自分は精神の鍛えようが足りないとも感じた。
ようやく寺に辿り着けた喜びよりも、登ることを諦めかけた自分が情けなくなっていた。
24番 最御崎寺
10分ほどすると末が、やっとこさ登ってきた。あきらめずに登ってきたのは大したものだ。末の息が整うまで待ってから、いよいよ今回初の寺の階段を登り始めた。
階段の途中には小さいお地蔵さんの小物がたくさん置いてあり、まるで何かの願掛けをしているようだった。200mほどの石の階段を登りきると、目前に広々とした寺の境内が現れた。
前回、何度もやっていることだから、ここへ来て、まず何をしなければならないかは分かっていた。本堂と大師堂で使用する2人分の蝋燭4本と、線香12本を私が用意する。これらを用意する仕事は、最初はどちらか手が空いた方がやっていたのだが、途中からは、私の仕事になっていた。
何故なら、私は目をつむっていても線香の箱の中から、12本だけを取り出すことが出来るからだ。何度やっても12本間違うことなく取り出すことが出来ることは、まさに奇跡としか言いようがないが、アホの末は「お前、数えて取り出しとるんやろうが。」と言って信じない。こいつは昔からこうだった。本当はすごいと思っているのに、悔しいから私のやることにケチをつけるのだ。
まあアホの末に信じてもらえなくても何の支障もないし、12本間違うことなく取り出せるのは、紛れも無い事実なので、この目で確かめたいという人にはいくらでも披露するつもりだ。
今回も間違うことなく線香を12本取り出して、納経を始めた。納経を終えた後に仏様にお祈りをするのだが、普段は神仏に祈りはすれど、願いごとなどはしない私が今回限りということで、一つだけ願わせていただいた。願いなんて、結局、自分でどうにかするしかないのだが、「もう全て神様仏様にお任せいたします。」というような開き直りにも似た感じで、願わせていただいた。お願いをしたおかげで、「お任せしたのだから、自分は目の前のことにベストを尽くしさえすればいいや」という具合に、気が楽になった。
当然、大師堂でも同じことをお願いして、20分余りの納経を終えた。
マツケンサンバ
予定が押しているので、すぐに納経所に急いだ。この納経所では、90歳は優に超えているであろうと思われる爺さんが一人で筆を走らせている。手が震えて、ちゃんと書けるんかいなと、爺さんの腕に疑いを持ったが、いざ筆を持つと、その筆使いは確かなものであった。かなりの達人であるようにも思えた。
この納経所には、ちょっとした土産物が置いてあるので、記帳してもらった後に、見てまわった。よく見てみると、先ほど階段の途中に大量に並べてあった、可愛い地蔵が置いてあるではないか。あそこに置いてあったお地蔵さんは、ここで購入されたものだったのかと、この時分かった。
誰かに土産として買って帰ろうかとも思ったが、よく考えたら、こんなの貰っても喜ぶ奴いないと思って、買うのをやめた。 他に魅力的なものは置いてなかったので、「さあ用も済ませたし、次行くか!」と言って、納経所を出かけたところ、どこからかノリの良い曲が流れてきたのを耳がキャッチした。これは誰の曲だ?と、曲の流れてくるところに目をやると、それは納経所に設置してあるテレビから流れていた。誰が唄っているのだろうと、テレビに近づいて見てみると、何と唄っているのは松平健ではないか。この人ってこんなこともするんだ!と驚きつつ、そのノリの良いキャッチーな曲を唄いながら、コミカルに踊る松平健に魅入られていた。
松平健は、お堅い人で、こんなことやるようなキャラではないと思いこんでいたから、なおさら新鮮で、面白く思えた。お笑い芸人のように、やって当然の人がやっても大して面白くないだろう。
そのうち、見ているだけでは、飽き足らなくなって、サビのところを「塾長」に代えて、「塾長サンバ~ァ!」と唄っていると、テレビのスイッチを切られてしまった。納経所には、私達2人しか居なかったから、明らかに私が唄っているのがウザかったのだろう。「いきなり切らんでもええのに。」と思う私と、「うるさいから早く帰れ。」と思っているだろう爺さんのと間に嫌な空気が流れた。腹がたったから嫌がらせで、しばらく居座ってやろうかとも考えたが、予定が押していて時間がないので、仕方なく納経所を出た。納経所を出てからも、マツケンサンバのメロディーが頭から離れない。それほど素晴らしい曲なのだろう。そして、どうにか漢塾のテーマ曲に、このマツケンサンバのようなノリの良い曲が欲しいと思った。
思ったことはすぐに実践するのが、漢だ。すぐ、参謀のに末に「塾長サンバを作ろう!歌詞は俺が書くから、お前は曲を作ってくれ。」と命令した。こいつはアホなくせに一応ギターが弾けて、センスがないなりにも、一応曲を作ることが出来るからだ。
しかし、塾長命令にも関わらず、「絶対に嫌だ。」と言って、命令を聞かない。「何でや!」と聞くと、「お前は、自分のことを褒め称える歌詞ばかり書くやろう。」と言う。「塾長サンバやから当然や!その代わりにギターソロタイムを5秒間やるから、やってくれ。」と言っても、頑として「うん。」とは言わない。「ジュースおごってやるから。」「お前の秘密は誰にも話さんから。」「もう、アホの末とは呼ばないから。」等等、かなりの好条件を並べても末は「うん。」とは言わない。本当に強情な奴だ。昔からこいつはこうだった。私も諦めが悪い性質なので、しばらくは「作れ!」「嫌だ。」という掛け合いが続いた。
時間の都合上、この会話は途中で途切れさせざるを得なかったのだが、塾長サンバ製作の話は、この後も諦めの悪い私の口から幾度となく発せられることとなった。
ライディング
次の津照寺へ向かうために、雨に濡れて滑りやすくなった階段をソロリソロリと慎重に下りる。階段を下り終えると、振り返ることもなく、今回、最初に納経したということと、マツケンサンバに出会えたということで、格別の思いのある最御崎寺を後にした。
苦労して登ってきただけあって、下りのライディングは楽しい。思わず、ブレーキ全開で、スピードを出しすぎそうになるが、雨で濡れた路面は滑りやすく危険なので、スピードを抑えて下る。
登りの時は、景色を楽しむ余裕もなかったのだが、下りの時は存分に景色を楽しむことが出来る。右手に左手に現れる太平洋の雄大な景色は素晴らしい。またもや、これが晴れた時ならばと思うのだった。文句を言っても仕方ないので、とりあえず下る、下る。麓までの、わずかばかりの楽しい時間はすぐに終わった。時間にすると、登った時間の10分の1ほど。あれほど苦労して登ったのにたったこれだけでは、報われないなあと思った。
麓まで下りると、すぐにコンビニに寄り、甘い物やら飲み物の補給をして、冷たい雨で冷え切って沈滞気味だった気持ちと体にエンジンをかけた。
次の寺までは、近いということもあり、結構長く休憩をとっていたように思う。
25番 津照寺
津照寺までの道中は、街中を通るだけのものなので、労せずして着いた。津照寺は、港町にある小さな寺で、第一印象は、地味ということ以外、何も感じることはなかった。
そんな地味で小さな寺にも、私達に登ってくださいとばかりに立派で長い階段が据え付けられていた。「またかよ~!」とぶつくさ文句を言いながらも階段を登る。階段を登りながらも、頭の中に浮かぶのは、マツケンサンバのメロディーばかり。この寺へ来るまでもそうだった。自転車をこいでいる最中も、マツケンサンバのメロディーが頭から離れなかった。どうやら完全にマツケンサンバに身も心も毒されてしまったようだ。自分を見つめにきた、この遍路で、そんなことで良いものかと、自問自答したが、頭に浮かぶのをやめようと思ってもやめられるものではないので、なるがままに任せることにした。マツケンサンバとの出会いも一つの出会いには違いない。その瞬間、瞬間、自分の心に強く印象づけられるものが、頭に浮かぶのだ。そう考えて、自分を正当化すると、なおも増して、マツケンサンバのことばかりが頭に浮かぶようになった。
息をきらせて、階段を登りきると、そこには、猫の額ほどの狭い敷地にちょこんと小さな本堂があるだけだった。本堂に入ると、小さいお地蔵さんが壁三面にびっしりと並べられていた。数を数えることの好きな私でも、そのお地蔵さんを数えるのは諦めたが、おそらく万という単位であろうことは容易に想像出来た。
本堂の奥には、四天王と思われる荘厳で立派な仏像も安置されており、自分達が遊びではなく、霊場めぐりをしているということを改めて思い出させられ、浮ついた気持ちもグッと引き締まる。
しばらく、仏像やお地蔵さんを見た後に、手短に納経を済ませた。本堂まで登っていく階段の途中にあった大師堂に行っても思ったのだが、よく考えたらこの寺には境内というものがない。門をくぐると、いきなり階段だし、本堂も大師堂も山の斜面のわずかなスペースに建てられているのだ。門から頂上の本堂までの山の斜面一体が、立体的な境内とも言えるので、境内がないというのは、語弊があるかもしれないが、何だか妙な気がした。
大師堂でも納経を済ませた後、納経所で、記帳してさっさと次に行こうかと思っていたら、納経所のおじさんに「ちょっと待って!」と、呼び止められた。何か話したいことがあるらしい。何のことだろうと、おじさんが他のお遍路さんの記帳を済ませて、話かけてくるのを待った。
1~2分ほど待って、ようやくおじさんが話かけてきた。私達を呼び止めた理由は、八十八ヵ所の某寺のことをよく知って欲しかったかららしい。この寺の商売のやり方については、私も疑問に思っていた。人の足元を見た商売は、「それが寺のやることか!」と言いたくなるほどのムカつきを覚える。やはり、私もそう感じるだけあって、評判は、かなり悪いらという。このおじさんは、こと細かにこの寺も含めた他の八十八ヵ所の寺の裏話もしてくれた。ここで、その内容を説明する訳にはいかないが、自分達の知らない興味深いことばかりだった。
時刻は既に午前11時をまわっていたので、昼飯を食おうかとも思ったが、次の寺も近いので、次の寺で納経してから食うことにした。
遍路道
25番金剛頂寺までは、約5㎞ほど。最初から中盤にかかるまでは、平坦な道だったので、頭の中でマツケンサンバのサビを唄いながら、楽勝で自転車をこいでいたのだが、終盤にさしかかる頃には、やはりお約束の遍路道が現れたため楽勝とはいかなくなった。
心の準備が出来ていたため、ただ黙々と、定番の階段や、葉っぱや石ころがゴロゴロした雨で滑りやすい道を登っていく。ハァハァと息をきらせながら登っていくこの時だけは、心にマツケンサンバの入り込む隙はなく、限りなく心はピュアな状態に近かった。だから、登りきって寺を目にした時は、ただただ爽快な気分だった。
26番 金剛頂寺
山門には巨大なわらじが置いてあり、これを履く者は、どのくらいの大きさになるのだろうと、想像をかきたてられる。その昔、この山に天狗が住んでいて、悪さばかりしていたのを弘法大師が退治したというから、その天狗が履いていたのかもしれない。
それにしても弘法大師にまつわる伝説の多さには驚く。焼山寺では、火を吐く大蛇を退治したというし、井戸寺では水不足に苦しむ人達のために井戸を掘ったりと、どの寺にも大抵は弘法大師の伝説が残っている。一説によると、全国には3000を越える弘法大師の伝説があるという。その伝説内容の多くは信じることは出来ないが、それだけ超常的な力や人徳を備えていたであろう人物だということは、伝説の多さから窺い知ることが出来る。
この寺では、先ほどの25番 津照寺の納経所で会った、岩国から来たおじさんと再会した。おじさんは自動車でまわっているらしいが、私達が自転車で自分に追いついたことを驚いていた。おじさんは遍路は3回目で、今回は高知市の寺までまわってから帰るという。面白いおじさんで、「次の寺でも会えるかねえ。」と言ったが、次の寺までは約33㎞もあるので、さすがにそれは無理だと言った。
おじさんとの話もそこそこに、本堂、大師堂で納経を済ませ、納経所で記帳を忘れずにしてから、寺を後にする。 腹が減ったので、とりあえず飯だ。
さすがはアホの・・
腹が減ったので、急いで遍路道を下る。雨で滑りやすくなった遍路道は、登りよりも下りの方がきつく感じる。滑らないように細心の注意を払わなければならないからだ。小刻みに膝を動かすので、すぐに膝が痛くなった。
15分ほどで、どうにか遍路道の下りを終え、タイルで舗装された路地に出た時のことだ。先を進んでいた末が、タイルで舗装された路地を見て、しめたと思ったのか、それまで押していた自転車に乗り始めた。そのまま麓まで一気に下ろうと思ったらしいが、思惑が外れてしまう。
雨で濡れたタイルの上にタイヤが乗った途端に、すぐに滑ってクラッシュしてしまった。立ち上がって、自転車を起こそうとするも、あまりにもタイルの上の滑りが良いからか、立ったまま、あたふたと慌てもがきながら、そのまま10mぐらい滑って下って行ってしまったのだ。どうにか立ったままの姿勢で、こけることもなく止まることが出来たが、その末の慌てふためく姿を後ろから見ていて爆笑してしまった。まるで、踊っているようにも見える、滑稽な場面だった。このコミカルな画をビデオカメラでも持っていたら、是非とも撮っておきたかったところだ。
アホの末と同じ失敗を繰り返さないように、慎重に慎重にタイルの上を足を擦らすように歩いたので、私は滑ることもなく麓まで下ることが出来た。
それにしても、濡れたうえに、苔が生えて滑りやすくなっているだろうということが、容易に予想出来るタイルの上を自転車で走ろうなんてことは全く愚かな行為だと思う。小学生でもそんなことはしない。30歳を過ぎてそんなことも分からないようだから、いつまで経ってもアホの末と呼ばれるのだ。
やっと飯!
店を探すのも、腹が減り過ぎて面倒臭いので、金剛頂寺を下ったところにあった、道の駅キラメッセ室戸で、昼食をとることにした。
おそらく出来たばかりの新しい道の駅で、名物は鯨の肉を使った料理とのことだった。しかし、2人とも鯨料理には目もくれず、私は鳥のから揚げ定食、末はから揚げステーキ定食を注文した。味は大したことないが、腹が激減りだったので、美味しく食べることができた。
暖かい店内で、腹も満たされると、疲れもあって眠たくなり、店から外に出たくなくなったが、次の寺までは33㎞も移動しなければならなく、時間の余裕がないので、仕方なしに重い腰を上げることにした。
焦り
道の駅を出発したのは、午後13時30分。飯を食ったばかりで、胃が重いが、遍路道を交えながらの30㎞以上の移動はどのくらい時間がかかるかも予想出来ないので、かなりのスピードで走る。この日は、次の寺までは必ず行って納経所で記帳すると決めていたのだ。納経所が閉まる午後17時まで、あと3時間半、到着出来るかは微妙な時間なので、少し焦っていた。
防波堤
雨も上がり、遍路道でペースを崩されながらも、良いペースで進んでいた。途中、小さい港町を通ったのだが、そこは、20~30mはあろうかという何重もの高い防波堤で護られていた。太平洋には島がないため、台風の時は波が港を直撃するために、それだけの護りをしているのだろうか。日本海側では、見慣れない風景だけに、驚きを感じた。
ちなみに、この港町自体も高い場所にあって、船のある港までは階段を使って15mぐらい降りなければならない。不便だと感じながらも、波対策でそうするしかないのだということは理解できた。
真っ縦
その後、大した遍路道もなく、良いペースで進めたため、午後15時過ぎには、神峯寺まであと4㎞という看板があるところまで辿り着くことが出来た。この看板を過ぎてから右折してから山の方へ入っていくようになるのだが、500mほど進むと、坂が急になったので、自転車を降りた。
神峯寺へ行く途中には、「真っ縦」と呼ばれる急勾配があるらしい。自転車を押しながら歩いて、あと1㎞ちょっとという所まで来た時に、はるか向こうの山頂にポツンと小さく寺があるのが見えた。
もしや、あの寺だろうか?いや、あと1㎞ちょっとだから、あんなに遠くに見えるはずはないはずだ。と、最初は疑ったのが、周りを見回しても、それらしき寺は見つからないし、その山の方にどんどん道が進むようになっているので、あれに間違いないと確信した。ということは、蛇行した道では、とても1㎞ちょっとでは辿り着くことができないから、ここからは真っ直ぐ進んでいかなければならないのではと、嫌な予感がした。
嫌な予感のとおり、山の下まで行くと、遍路道の看板があり、山頂までほぼ真っ直ぐに登らなければならないような急勾配の遍路道が待っていた。「真っ縦」と呼ばれる所以はこれにあるのかと納得し、蛇行する車道を横切りながらも、真っ直ぐ山を登って行く。蛇行しないで、真っ直ぐ進むので距離は短くなるのだが、登る勾配は急になるため、肉体的にかなりきつい。途中、出会ったお遍路さんは、「真っ縦」を通らないで、車道を歩いていた。「真っ縦」を通っているのは自分達だけなので、優越感に浸ることも出来たが、その代償は大きかった。山頂に着いた時は、太腿の筋肉もパンパンで膝がガクガクだったからだ。
神峯寺には、午後16時過ぎに着くことが出来たのだが、安堵感と疲労から、しばらくは2人とも寺の門の前に座り込んでいた。
27番 神峯寺
体の疲れを癒して、境内に入ると、いきなり「うすさま明王」が私達を出迎えてくれた。すべての悪を清め、特に厠の守護をしてくれる有難い仏だ。この時、末も、うすさま明王に清めてもらえば、もう少しましな人間になれるのではないかと思ったりもした。
このうすさま明王像の近くに、すべての病を治すと言われる岩清水が湧き出ている水飲み場があり、それならば病気は持ってないけど、頭が良くなりますようにと、水をいただいた。疲れているせいもあるのか、岩清水は、冷たくて、とてもおいしかった。
境内を少し歩いていくと、段差の大きい階段が現れた。「真っ縦」で酷使して疲労痕倍な足には、この階段を登るのが結構辛い。段差が大きいので、太腿を高く上げなければならず、太腿を上げる度に太腿が攣りそうになる。
それでも何とか、階段を登りきって本堂で、足をプルプル震わせながら納経をした。本堂から大師堂に移動する時に真っ赤な不動明王像があり、その迫力に思わず足を止めて記念撮影をした。明王像は、人間の怒りの感情を表現しているから、迫力があるが、やはり私は、人間の慈悲心を表現した観音菩薩や地蔵菩薩の方が好きだ。どちらも人間を表現したものであるから、好きも嫌いもないのだが、ただ、怒った顔より、優しい顔の方が良いというだけのことだ。
大師堂では、早く納経を済ませようと、ハイスピードでお経を唱えた。末は、あまりもの速さに全くついてこれなかったので、ここでもどうだ!とばかりに優越感に浸ることが出来た。しかし、納経を終えてすぐに、速く唱えられても心がこもってなかったら意味ないじゃん!という気持ちになり、自分のしたことを後悔した。アホの末と同様、私も全く成長がない。
接待
やることを終えて、納経所で記帳し、納経所の外で帰り支度をしていると、納経所のおばさんが出てきて、「お腹すいてるやろう?食べなさい。」と言って餡餅をくれた。今回、初の接待である。
腹が減っていたので、すぐに食べた。おばさんから貰った餡餅は美味かった。人から貰った物は美味いというが、それは、くれた人の気持ちがこもっているからだろうか。気持ちには、気持ちで応えなければならない。自分達に出来るお返しは、感謝の気持ちを述べることだけだと思い、「有難うございました。美味しかったです。」と、大きい声でお礼を言った。
「これぐらいのことで、そんなに有難がらんでもええのに。」と言われたが、物を貰うことなんてどうでもいい、お腹がすいているだろうということを気遣ってくれた、その気持ちが有難かったのだ。もう一度、お礼を言って、良い気持ちのまま寺を後にした。
どうする?
雨で濡れたり、苔で滑りやすくなった道をスピードを抑えて下り、麓の休憩所で、休憩した。時刻は既に午後17時をまわっている。次の寺へ行っても、納経所は閉まっているので、今日はどうするか?という話になった。自分としては、次の寺の近くまで行って宿を探したいと思っていたので、それを末に言うと、どうやら末も同じことを思っていたらしく、そうすることにした。
次の寺までは約38㎞。地図を見ると、途中で山へ入っていくような遍路道もない。うまいこと行けば、2時間ぐらいでその近くまではいけるはず。ただ、問題は、既に日が落ちて暗い道中をスピードを出して走るということが、非常に危ないということだ。
しかし、この時は、早く晩飯にありついて、どこかの宿でくつろぎたかったので、そんなことはお構いなしに出来るだけ速く走ることにした。
制限速度オーバー
私の自転車にはライトが付いてないので、末の2~3m後ろを走る。末には、「出来るだけ速く走ろう。」と言っておいたからか、末は全速力とはいかないまでも、9割ぐらいの力で走っていたはずで、平均時速で30㎞以上は優に出していた。その後ろを私も必死について行った。
このスピードでクラッシュしたら、ただでは済まないだろうが、クラッシュする可能性が高いのは、前を走っている末だと思い込み、何かあっても末のとばっちりをくわないように車間距離だけには気をつけて走った。
ケツの痛み
休憩することなく走ったおかげで、1時間で26㎞も進むことが出来た。残すところ、あと12㎞ほどで、30分もあれば余裕で着くのだが、前日から長く自転車に乗っているからか、すごく尻が痛くなり、走ることに集中することが出来ない。尻を浮かせたり、サドルに尻をずらせて座ったりして、痛みをまぎらす工夫をした。それも、次の寺まで残すところ5㎞の地点で、限界になり、自転車を降りて休憩することにした。
何年か前に、よく自転車で遠出していた頃はそんなことなかったのに。やっていたことをやらなくなると、すぐに衰えてしまう。衰えてしまったことを、失くしてしまったことを、寂しく感じた。
晩飯
丁度、自転車を降りた近くにラーメン屋があったので、迷うことなくそこに入った。この近辺に何軒かあるチェーン店のようで、味など期待するはずもなく、ただ腹が満たされれば良いと思った。ラーメン定食を頼んだが、出てきたものを食した感想は、思ったとおりの味だった。それでも、暖かいものを食べられるだけでも有難い。
飯を食い終わろうかという時に、酔っ払いのおっさんがからんできた。あまりにしつこく話しかけてくるので、睨んだら自分の席に戻った。どこにでも、ああいう酔っ払いはいるが、酔っ払って人にからむ奴は嫌いだ。思わず試してみたくなってしまう。
飯を食い終えてから、ラーメン屋の奥さんにこの近くにどこか宿がないか聞いた。この日の夜中から朝方にかけて、台風が四国に上陸するであろうから、どこかの宿に泊まろうと考えていたからだ。
いにも、このラーメン屋のある道沿いから2㎞ほど、進んだところに旅館があるということが聞けたので、そこへ行くことにした。問題は、いきなり訪ねて行って、泊めてもらえるかどうかである。
旅館かとり
2㎞ほど走ると、聞いたとおり旅館があった。名を「かとり」という。思ったよりも新しくて大きい旅館だ。時刻は既に午後8時になろうとしている。玄関に入ると、幾つか宴会が重なっていて、忙しいようで、フロントには誰もいなかった。
この忙しそうな様子からすると、泊り客も多いかもしれないので、泊まるのは無理かも、という思いが頭をよぎたが、聞いてみなければ分からないので、とりあえず人を呼んだ。
やはり忙しかったからか、しばらく経ってから女中さんが出てきた。「いきなりですけど、素泊まりでお願いできますか。」と聞くと、「部屋は空いてますから、こちらまでどうぞ。」と言って部屋まで案内してくれた。
この旅館は1泊朝食付きで、4,800円。室戸荘より300円高いが、こっちの方が部屋も広いし、新しくて綺麗である。しかし、この時は、値段や部屋のことはどうでも良くて、寝場所が確保できたことがとにかく有難かった。泊めてもらえなかったら、しばらくは、宿を求めて彷徨わなければならなかっただろう。
夜食~風呂
疲れていたので、そのまま寝転びたかったが、汗と雨と土にまみれて汚れていたので、そうするわけにもいかない。やることをやってからにしよう、ということで、近くのスーパーに夜食を買いに行った。
普段の生活では、夜食を食うことなんか、まずありえないが、遍路をしている間は、莫大なエネルギーを消費するため、食える時に食ってエネルギーを蓄えておく必要があるのだ。
バナナやら甘いものやらたんまり買い込んで旅館に戻り、それらのものを食ってから風呂に入った。ここの風呂は、室戸荘の風呂よりもでかくて、綺麗だ。おまけに私達以外に誰もいない、貸切り状態である。前日と同じく、芯から冷え切った体を温めるために、やはり長風呂になってしまった。
面倒臭ぇ!
風呂から上がって、洗濯をする間に、休憩室で当日の記録をつける。これが結構面倒臭い。これがなくても私の記憶だけで原稿は書けるのだが、ちょっとした細かいことを忘れた時にはこれが非常に役立つのだ。ちょっとした保険のようなものだといえる。でも、それが分かってはいても、書くのはやはり面倒くさい。すごくシンプルに書いているのだが、一日にあった出来事を思い出しながら書くと、やはり優に1時間はかかってしまう。疲れた体と頭には酷だ。
私が一生懸命書いている横で、アホの末はビールを飲みながらテレビを見ている。後ろから延髄切りを思いっきりブチかましてやりたい光景だ。だが、こいつも遍路が終わると、ホームページの編集やホームページのリニューアルの作業に追われて忙しくなるはず。今は思いっきりくつろいでおくが良かろうと思った。
テレビを見ると、台風は高知県にかなり接近するようで、しかも920hPaという途方もない強さのため、翌日は遍路が出来るかどうか心配になった。少々の雨や風では、遍路を行うのだが、この超強力な台風を前にしてはどうなることやら。昼からは、曇りになるとのことだったが。
本当は俺のこと・・
記録が終わった頃に洗濯も終わったので、部屋に戻ってわずかばかりの時間を寝転がってテレビを見たり、話をしたりしてくつろいで過ごした。全てのことから解放される至福の時間だ。だが、その至福の時間も長くは続かず、睡魔に襲われて眠ることになった。
眠る前にふと、気になることがあった。超大型台風が直撃しようとしているのに、嫁さんからは何の連絡もない。心配してないのだろうか?それとも、連絡するのが面倒臭いのだろうか?どうでもいいことだが、頻繁に嫁さんと連絡をとりあう末を見ていたから、少し気になった。
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