漢の旅路
- カテゴリ
- ANOTHER
- 開催日
- 2009年09月18日(金) ~ 2009年09月22日(火)
三日目(平成21年9月20日)
神の山、高千穂ヶ峰
竜馬が日本で初めての新婚旅行でお竜と一緒に登ったのが高千穂ヶ峰である。
頂上の岩山には、天空を突き刺そうとするかのような三叉の矛が突き立てられている。
高千穂ヶ峰は、霧島火山地帯に属する活火山である。そして、神々が集う神の山である。
当時、竜馬は草鞋を履いて登ったけど、私達は靴を履いて登る。竜馬は着物を着て登ったけど、私達はジャージにTシャツで登る。当時とは、履くものも着るものも考え方も違うが、やることは同じ。
そこに山があるから登る。当時の竜馬に思いを馳せながら、私達は一歩一歩と歩を進める。
ねぼけ眼
朝早いせいか二人とも寝ぼけた顔をしている。テルさんには目をつむったら3秒で深い眠りに落ちれるということが前日の晩に判明。そのことには心底驚かされる。誰にも真似出来ないスゴ技である。
客
私達はこの8合目にある高千穂河原の駐車場にクルマを停めて一夜を明かした。その時は、5~6台しかなかったクルマが目を覚ました時は20台以上に増えていた。ちなみに向こうに見えるは、高千穂ヶ峰の一部らしい。
出発
用意を済ませて高千穂河原を出発。まず初めの鳥居をくぐる。ここからは神域である。テルさんによると、頂上までは約2時間ぐらいとのこと。この時は寒かったし、大した行程でもないとタカをくくっていたので、汗などかかないと思っていたのだが。そうはいかなかったのである。
斎場跡
古宮址ともいわれる。1235年の御鉢の噴火によって社殿が消失したために、現在では鳥居と階段が残るのみとなっている。ここで、毎年11月10日の夕方に天孫降臨御神火祭が開催される。約800年も前に霧島神宮がここにあったとは。当時の霧島神宮がどのような容姿をしていたかを知る者は誰もいない。竜馬だって知らない。
崖
普通の山道をハイキング気分で歩いていると、いきなり目の前に人間がどうにか歩いてギリギリ登れるぐらいの傾斜のキツい崖が現れる。おまけに足元の赤土は崩れ易いわ、岩がゴロゴロして危ないわで、登りにくいことこの上なかった。
噴火口
30分ほどかけて崖の登りきると、今度は比較的緩やかな尾根が現れる。尾根を少し歩くと、すぐに辺りは真っ白な世界になった。どうやら雲の中に入ったらしかった。
尾根の道幅は5~6mあって比較的広いのだが、その両脇は転がり落ちたら這い上がれないというか、まず死ぬであろうほどの高さの深い谷となっている。転がり落ちるのが怖いから、端を歩かずに極力道の真ん中を歩くようにした。右手に見えるは、噴火口である。ここは霧島火山帯であるからして、ここも活火山なのであろう。
視界0
雲の中のため、視界が極度に悪い。10m以上先は殆ど見えない。
標識
ここからいよいよ高千穂ヶ峰である。高千穂河原が鹿児島県ということは、ここから宮崎県ということか。
祠
遥か向こうに見える、とはいってもそんなに離れてないのだが。白い世界の中にいきなり現れる鳥居と祠には、不気味さを通り越して峻厳ささえ感じる。
積み石
小高く積み上げられた小石。真っ白い世界が幻想的な雰囲気を増長させて、自分達があの世の賽の河原に来たような錯覚を起こす。
礼拝
尾根の終わりを告げる祠。どのような神様を祀った祠かは分からないが、おそらくここからは更に聖域であることを示すものであろう。浮付いた気持ちなどで礼拝することなど決して出来ず、“少しの間だけお邪魔させてください。”との気持ちを込めて礼拝した。
頂上へ
頂上へは、祠の横を通って登る。相変わらず白い世界が続いており、頂の様子を遠目でも望むことは出来ない。おそらく、ここまで来れば後少しだと思われたのだが。
黒土
尾根まで続いた崖の赤土とは違い、ここの崖は黒土である。土といっても砂に近く、非常にサラサラして崩れやすく、やはり登りにくい。土の色は違えど登り難さは同じである。
登り始めて10分、ようやく雲が薄くなって周りが明るくなった。
脱出
さらに5分後。ようやく雲の中の白い世界から脱出し、青い空の広がる頂上へ達した。ここまでは約1時間10分。思ったよりも早い到着となったが、結構ハードな道程に体は汗でビショビショ、膝はガクガクであった。私達は3番目の到着であった。
天孫降臨
天孫、つまり天から神様が降りられた聖なる山というようなことが書いてある。なるほど!確かにそう書かれている通りの神々しい場所である。肌に突き刺さるかのような澄み切った冷たい空気に見渡す限りのウルトラブルーな空、天には下界で見るよりも更に燦燦と輝く太陽、そして雲の下には下界の景色。確かに神様が降りてこられるようなシチュエーションである。
天の逆矛
天孫降臨碑の後ろには、小石を積み上げた6~7mぐらいの高さの丘があり、そのてっぺんには天の逆矛が突き刺さっている。竜馬はここへ来た時にこれをひっこ抜いたらしい。現在のものは、レプリカで本物は他の場所にあるらしいが、いつの時代からここに突き立てられているかは不明である。かなり古い時代からあるのは間違いない。
アップ
天の逆矛のアップ。柄のところが人の顔に見えるのは私だけだろうか。ちなみにこれを引き抜くとよろしくない事が起こるとのこと。それを確かめに抜いてみる勇気は無かった。
湧き上がる
下から絶え間なく湧き上がってくる雲。湧き上がっては消え、湧き上がっては消えを繰り返している。その様子はまるで生きているようにも見える。
下界
薄くなった雲の下に下界を望む。壮大な景色。高いところから見おろしていると、まるで自分が神様か何か大きい存在になったかのような錯覚を起こす。
化身
雲の上である頂上では、頭上に常に太陽が燦燦と光輝く。遮るものが何もないからか、空気が薄いからか、下界にいる時よりも陽射しが強く感じる。古来より、人間は太陽を神の化身またか神そのものと崇めてきた。太陽が全てのものに恵みを与えることを考えると、それも当然のような気もする。日常と離れた自然の中では、やけに謙虚に素直になってそういうことも考えるようになる。
下山
景色や日常とは違う世界を十分に堪能した後、思いを残すことなく下山する。私はここが気に入ったので、また近い将来にここへ来ることになると思う。
雲の中
少し歩くとまた雲の中に。登るよりは下る方が楽だが、足元が滑るため、登る時よりは余計に気を使うようになる。
流転
雲の中は水蒸気が絶えず激しく流れている状態であり、それまで見えていたものがいきなり見えなくなったり、逆に見えなかったものがいきなり見えたりするようになる。写真は、それまで雲に遮られて見えなかった太陽が雲の薄くなった場所に見えるようになったものだ。ただ、これも一瞬のことで、すぐに雲の中に消えてしまった。
尾根
登る時に通った尾根を再度通る。この時は、比較的視界が開けていて、向こうから歩いてくる登山客が見えた。向こうに見える登山客が歩いている場所が道の幅が一番狭く、2mと少しぐらいしかない。他の登山客とすれ違う時は、細心の注意を払ってすれ違うか、どちらかが通り過ぎるまで待つしかない。
見おろす
尾根の始まりまで歩くと、再び急傾斜の崖に。左上に見えるのが高千穂河原の駐車場、写真真ん中左寄りの森と崖の境目辺りの人が点に見えるところが登山口である。見おろすと、自分達がかなり高いところまで登ってきたのだと実感させられる。登って来る人とすれ違う度に「ここが頂上ですか?」と尋ねられた。この崖はかなり労力を使う場所でもあり、殆どの人にハイライトとも思える場所であるので、登りきったところにある尾根を頂上と間違えるようだ。実際に私達も最初は尾根が頂上だと錯覚していた。「まだここから尾根をしばらく歩いて、それから急傾斜を登らなければなりませんよ!」と答えると、皆ガックリしていた。
参道
高千穂ヶ峰登頂を終えた私達は、その麓にある霧島神社へ参拝に行く。森の中にある長い参道を歩く。どこの大きい神社でもそうだが、境内の空気は清浄で清々しい。今回の漢の旅路第一弾を無事に迎えられたことを、テルさんと無事に再会出来たことを感謝しながら歩く。
御神木
どこの大きい神社にもある巨大な神木。スギの木で樹齢は800年以上であるという。確かに大きくて立派なスギの木であったが、四国八十八ヶ所を巡礼している時に樹齢1200年や1300年といった4桁の樹齢の更に巨大な御神木を目にしていたため、それほどインパクトは感じなかった。しかし、それでもこの木が鎌倉時代から生き続けているということはすごいことである。
本殿
霧島神宮の本殿。朱塗りの立派な本殿だ 。創建は聖徳太子の祖父である欽明天皇の時代で、6世紀半ばのことであるから1400年以上の歴史を持っている。1400年以上といえば、かなり古いが、有名な神社の中では比較的新しい部類に入るものである。最初は、高千穂ヶ峰の山の中、その次に高千穂河原、最終的に15世紀に現在の地に落ち着いた。現在の社殿は、火山の噴火で何度も消失を重ねて18世紀初頭に再建されたものである。
建物が立派であろうと、ここでは高千穂ヶ峰の頂上で感じたような神々しいものを感じることはなかった。
根性屋宮崎支部
根性屋宮崎支部の面々は、テルさんの従兄弟であるターザンさん、マウンテンさん、近所の幼馴染であるマサ兄ちゃん、ショーゾーさん、ケイ君の非常に個性的な面々から成る。
私は、根性屋のホームページでしか見たことのない宮崎支部の面々に私は格別の思いを持っている。それは、テルさんから聞いていた宮崎支部の面々の人となりもあるが、それよりも予め根性屋のホームページに載った面々の写真を見ていたことの方が大きい。
失礼ながら、“ああ、こいつらも俺達と同じアホや!”と思ったこと。これが宮崎支部の面々に対して格別な思いを持った理由である。けなしている訳ではない。彼らには、大いに共感と親近感を持っているのだ。
彼らには、私達の掲げる“おもしろくなき世をおもしろく”するだけの人間としての大きな器があると思われる。根性屋、漢塾と蜜に連携して活動していけば、どんどん“おもしろくなき世をおもしろく”することが出来るであろう。
同じ心根を持つ私達に初対面での緊張は無用のもの。会った時から、久しぶりの友と再会したかのような懐かしい気持ちになるは必定。
私達の漢の付き合いは、ここから始まる。
寄り道
根性屋宮崎支部であるテルさんの婆ちゃんの家に行く前にちょっと寄り道。綾というところの有名な吊り橋に寄る。少し前までは、九州で一番の高さを誇る吊り橋だったらしいが、九重の新しく出来た吊り橋に負けて現在は九州で二番とのこと。それでも、一番高いところで下の川面から142mもあるという高さは、高所恐怖症の私をビビらせるには十分過ぎるものであった。
覗き窓
吊り橋の床には所々にグレーチングの覗き窓が付けられており、恐怖感を高めることに一役買っている。私はとてもこれをじっくりと覗き見ることは出来なかったので、テルさんにお願いして下の景色を撮影してもらう。写真では高さが分からないのが残念だ。それにしても、この高さを恐れることなく飄々と吊り橋を歩いているテルさんは大したものである。
臆病者
写真からは分からないかもしれないが、堂々と歩いているように見えて実は内心ビクビクしながら歩いている。その証拠に幅1.5mしかない吊り橋のど真ん中を歩いており、人とすれ違う時も横向きになるだけで、決して端に寄ってすれ違うことはなかった。端に寄ると、下の景色が見たくなくても良く見えるし、高さ1.2mばかりのフェンスでは“下手すればフェンスに当った時にひっくり返って落ちるんじゃないか!”と、心配だったからだ。前の端に寄って景色を眺めているおばちゃんや、フェンスに寄りかかっている若造など、私からすれば信じられない行為である。恐怖感ばかりがつのった吊り橋の往復であったが、良い経験にはなった。次は九州で一番の吊り橋も歩いてみたい。
歓迎会
テルさんの婆ちゃんやターザンさんのお袋さんに挨拶をした後、私達は旅の疲れを癒すために風呂に入りに行く。帰ってきた時には宴の用意がされていた。左からマウンテンさんの奥さんのサトミさん、真ん中がマウンテンさん、右がターザンさん。全員初対面の方々だが、マウンテンさんとターザンさんは根性屋のホームページで顔を知っていたので、初めて会った気がしなかった。2人ともバリバリの体育会系とだけあって礼儀正しく、紳士な方々であるとの印象を受けた。“ホームページのあのアホ面(失礼!)の彼らはどこに?あれは演技だったの?“と思ったが後に宴で彼らの本性を知ることとなる。
サトミさんは、私より一回りも若いにも関わらず、細かいところにも気がよくつく気配りの出来る女性である。
婆ちゃん
今年米寿を迎えられたテルさんやマウンテンさん達の婆ちゃん。落ち着きのある佇まいをしておられるが、若い頃は数々の武勇伝を作られた豪傑であったらしい。ショーゾーさんとマウンテンさん曰く、隣家のショーゾーさんの婆ちゃんとは親友であり、たくさんの逸話を残されたとのこと。宴は、主に二人の婆ちゃん話と中華料理屋の幸楽の話で盛り上がった。
佳境
時間も経ち、宴も佳境に。途中よりテルさん達の幼馴染であるアンちゃんとターザンさんの彼女が参加。宴は更に盛り上がる。アンちゃんは御歳50歳。一回り以上も年下の彼女と近々結婚されるらしい。
私は最初、アンちゃんの写真を見た時、ターザンさんとマウンテンさんの親父さんかと勘違いしていた。実は単なる幼馴染とのことで、“このような歳の離れた幼馴染もあるんだな!”と感心したものだ。アンちゃんは、物腰の柔らかい方で、確かにこれなら女性にモテそうだと感じた。
しかし、それにしてもマウンテンさんとショーゾーさんは良く喋った。特にマウンテンさんは同じことを何度も繰り返して喋る。歳は26歳と若いのに、その喋りは50~60代のオヤジのようである。それとは、逆にショーゾーさんは酔っ払ってアホなことを言いながらも同じことを繰り返すことはなかった。熱くなりながらも意外に冷静である。この二人、似た者同志ながらタイプは異なっている。
今回、クルマを運転されてきたということで、ターザンさんは酒を一口も口にされなかった。一晩でビールを大ジョッキで30杯飲んだことのある酒豪らしいが、大好きな酒を目の前にしてもビクとも心が揺らがないとは立派だ。しかも、この時はホスト役に徹して、会話に参加しながらも皆に気を配っていた。さすがは柔道をかなりのレベルまでやられた方である。次にお会いする時は、酒を飲んでアホになったターザンさんを見てみたいものだ。ターザンさんだけでなくマウンテンさんといい、ショーゾーさんといい、飲まれたらかなりアホになられてかなり面白いのだが、基本は真面目で礼儀正しい好青年である。
全員が根性屋宮崎支部に相応しい人格を備えた方々であった。
記念撮影
またの再会を約束しての記念撮影。根性屋宮崎支部は現在、活動らしい活動を行っていないらしいのだが、これだけ個性豊かで実力がある面々が揃っているのだから、何でもよいから何か活動されたらと思う。
例えば、アームレスリングならターザンさんやマウンテンさんなら相当なレベルでやり込めば、3年~4年ぐらいでチャンプになることも可能であろう。また、ショーゾーさんやアンちゃんなら地元の祭りの中などで、何か面白いイベントを開催することも出来るであろう。いずれにせよ、根性屋宮崎支部には大いなる可能性がある。老婆心ながら、いつか何かやっていただきいと思っている。
全景
テルさんの婆ちゃんの家全景。木造平家建であり、結構な広さがある。畑や山ののどかな景色の中にあり、田舎者の私には居心地の良い場所であった。ちなみに「ここは住み良いところですね。」と、ターザンさんやマウンテンさんのお袋さんに言うと、「休日はね。」という意味深な言葉が返ってきた。どうやらここは自衛隊の新田原基地の近くであり、土日祝日意外は、午前9時から午後5時くらいまで戦闘機がビュンビュン飛んで、しこたまうるさいらしいのだ。その騒音は、窓を閉め切っても、テレビの音や会話の音が聞こえないほどのものらしい。人間も気候も暖かいし、のどかで住み良いように見えるところなのに。一度、平日に来てその騒音を経験してみたいと思った。
名物商店
ところどころに田んぼもあるが、その殆どは畑である。唐芋やら玉葱やらお茶やら様々なものを栽培している。どこまでも続く畑は、私をまるで北海道に来たかのような気持ちにさせる。真っ直ぐ伸びる道路の標識を過ぎたところの右側にあるは、○○商店。置かれている商品は、賞味期限が切れているものが多く、地元の人がここで買うことはないらしい。また、この商店は豆腐製造業もやっており、店のご主人と奥さんの作る豆腐は味が違うらしい。豆腐の方の味だけはなかなかのものだとのこと。
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