漢の旅路
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- 開催日
- 2009年09月18日(金) ~ 2009年09月22日(火)
四日目(平成21年9月21日)
航空自衛隊新田原基地
テルさんは、元航空自衛隊の隊員だ。また、この私も高校受験の時に防衛大学校の下の学校(名前を忘れた)を受験したことがある。ちなみに私の嫁さんの妹の旦那は海上自衛隊、嫁さんの叔父さんは元自衛隊で、その娘の旦那も自衛隊である。
そんな自衛隊に縁もゆかりも深い私達が、今回訪問するは宮崎にある航空自衛隊の新田原基地である。日本でも有数の巨大な基地である新田原基地の見学は、テルさんの入隊時の同期の方を頼る。
あいにく見学の日はシルバーウィークの真っ只中であるため、基地内部のショップはお休みであり、格納庫内の戦闘機も見学出来ないとのことであるが、私達にとっては基地内に入れるだけでも十分なこと。私達はここで国防を担う自衛隊というものを考える。
アピール
今回、航空自衛隊新田原基地を案内していただくのはそこの職員のセンジュさんである。センジュさんは、休日中で忙しいにも関わらず、私達の案内を引き受けてくださった。見ず知らずの私達のために有難いことである。いや、見ず知らずではない。テルさんとセンジュさんは、所属先は違えど、同期の入隊であったらしいのだ。だが、センジュさんはテルさんのことを全く覚えていなかった。テルさんは同期入隊であり、全く見ず知らずの関係ではないことを証明するために二人で一緒に写った写真を見せてアピールしていたが、センジュさんは「本当だ!一緒に写ってる!」と、他人事のように言うものの、それでもテルさんのことを覚えていないとのことであった。後ろから見る二人のやりとりはコントを見ているようで面白かった。
敷地内
敷地内には、入口にある検問所で簡単な手続きをしてから入る。まずは、敷地内の果てしなく続く真っ直ぐな道路に驚かされる。目測でも1㎞以上はあるのではないかと思われる。
格納庫
平日は、戦闘機や輸送機などを間近で見られるらしいのだが、この日は休日ということもあり、それらのものは格納庫の中であった。残念だが仕方がない。しかし、格納庫の何と大きいことか!このような大きい格納庫が敷地内に幾つもある。
記念撮影
旧式の戦闘機の前で記念撮影。20年の時を経て再会出来たということは、当時の関係が薄かろうと、相手のことを覚えてなかろうと縁があるということである。あの頃とはお互いに立場もやっていることも変わったが、私はこうやってまた20年越しに二人が同じ写真に入るということを感慨深く思った。
施設
基地内の主な施設には格納庫や弾薬庫、監視塔、、司令塔、職員寮などがあり、とても整然としている。ムダな施設は何一つとして無い。休日であろうと、必要最低数の人員は基地内に待機しており、有事に備えている。
自衛隊は軍隊であるか軍隊でないかとの議論がされているが、最高で世界3位、現在でも世界6位の額の国防費を考えると、答えは決まっているような気がする。
ただ、自衛隊が軍隊であろうとなかろうと、その存在に賛否両論あろうと、これが国防を担っているということは紛れもない事実である。
外観
残念ながら施設内の土産物屋も閉まっているため、その代わりにセンジュさんからの大変有難い接待を受ける。それが何かを明かすことは出来ないが、私にとっては何よりも有難く、良い経験になることであった。
センジュさんによると、基地の周りは12㎞あるとのこと。と、いうことは敷地面積が9平方㎞
あることになる。ヘクタールに直すと900ha。大体、萩市の三角州と同じくらいの広さだ。とてつもない広さである。
新富町の名所「幸楽」
マウンテンさんが、「そこの料理は美味いし、量がハンパないっすよ!」と、しつこいくらいに何度も言うことと、店や店主の数々の武勇伝が気になったために行ってみることにした地元の中華の名店。
宣伝等は一切してないのだが、地元の人からこの店のことを聞いたサーファー達により、口込みで店の名前は爆発的に広まった。今や他市や他県からもリピーターが訪れるほど。
何時行っても客が店の外に行列を作るほど盛況で、風変わりな店ながらも多くの人から愛されている。
幸楽内部
午前11時の開店と同時に訪問しただけあって、店内には私達以外に誰もいなかった。飯を食ったばかりで腹の減ってなかった私達は、ここで食わずにテイクアウトにすることに。
しかし、この1時間後に注文していたテイクアウトのものを取りに行くと、店内は客で一杯であり、中に入りきれない客が外で行列を作って待っていた。
店内は壁にメニューがビッシりと貼られている。その数100以上。それだけのメニューがあっても、実際に注文が出るのは限られている。“それだけ全部注文したら、作れるのだろうか?”と考えたが、マウンテンさんによると店主は全部作れるらしい。ちなみに写真中央にあるウォーターサーバーは、コップ中に氷が入らないことで有名である。
テーブル&厨房
店内にある年期の入ったテーブル。マウンテンさんによると、すごく油ギッシュで、油が付くから絶対に肘をつけてはいけないらしい。確かにテカテカと油光りしているが、一応は表面の油は拭き取られており、マウンテンさんが言うほどの不潔さは感じなかった。しかし厨房の床や壁は油で真っ黒であり、床には床が見えなくなるほどに新聞紙がビッシりと敷かれていた。
腕
マウンテンさんが幼い頃、恐くてまともに見ることが出来なかったという店主が描いた絵。店主のお袋さんがモデルらしい。確かにこの絵を見ても下手で不気味なこと以外には、何も感じることはなかった。しかし、絵の腕は四流であろうと、中華料理の腕は超一流である。家でテイクアウトの料理を食った私達は、その味に驚いた。県内外からもわざわざ客が食いに来るということにも素直に頷けた。
ビッグバーガー
これもマウンテンさんから聞いたのだが、新富町はチキン南蛮の発祥の地らしい。
各家庭には自家製ソースがあるらしく、その味付けは多種多様とのこと。また、マウンテンさんとターザンさんの母上の自家製ソースは絶品らしい。
ここも、マウンテンさんがしつこいくらいに「ここのチキン南蛮バーガーは美味いッス!」と連発するために行ってみることにした。
驚いたことに、ここはチェーン店ではなく、私の好きな個人経営の店だとのこと。やはり、地元の人には愛されているらしく、何時も店の中は客で賑わっている。時には、外で待たなければならないこともあるらしい。
ここも幸楽と同じく、地元の名店である。
店内
店内の雰囲気はポップで明るい。大人だけでなく、学生でも気軽に立ち寄れる感じである。私達が行ったばかりの時は客が多かったが、外で20分ほど待って行ってみると客が減っていたので、名物のチキン南蛮バーガーを注文する。やはりここもテイクアウトで、時間が経ってから食ったのだが、確かにマウンテンさんの言うように味は絶品のバーガーであった。
今度はマウンテンさんのお袋さんのチキン南蛮を食ってみたいな!
漢達とのふれあい
修理工場
ターザンさんとマウンテンさんの親父さんであり、テルさんにとっては義理の叔父さんになる方の修理工場へ寄る。お兄さんと一緒に経営されているらしく、何故か弟の叔父さんが社長とのことであった。この時は叔父さんが留守であり、もう一度出直すことに。
工場の周りは一面畑であり、ほのぼのとした雰囲気を漂わせていた。
叔父さん
用事を済ませてから再度、工場を訪問すると叔父さんは帰って来ていた。身長182cmと、年配の方にしてはかなり大柄であり、強面の方なのだが、話してみるとその容貌からは想像出来ないほどにめっちゃフレンドリーな方であった。ちなみにこの叔父さんは、高千穂ヶ峰をこよなく愛していて、これまでに何十回と登ったとのこと。
竜馬
竜馬という食堂があったので、迷わずその店の前のベンチに座って写真撮影。確か、これとは別に“竜馬”という飲み屋も見た覚えがある。この辺りは竜馬と何の関係も無いように思うのだが。単に店の主人の好みで名付けたのだろうか。
説明
他の職業に興味のある私は、叔父さんに積極的に板金や塗装のことを聞く。叔父さんによると、日本のクルマは修理し易いように作ってあるので、どんな壊れ方をしても費用のことさえ言わなければ、絶対に修理出来るとのこと。日本のクルマの中でもトヨタ、ニッサンのクルマは修理がし易いらしい。また、焼付け塗装などする工場など今は無く、この塗装室の中で乾燥器を使えば15分で塗装面は乾くらしい。
また、塗装する上での苦労だが、現在のクルマの色は何種類もの色が混ぜて作られており、車種ごとの色のマニュアルを見て色を調合しても何故かその通りの色にならないという。それにはボディーの色が日焼けによって変色していることなども考えられるが、様々な要素が絡んでくるため、一概には言えないという。きちんと色を調合出来るようになるまでには最低でも3年を要するという。塗り重ねること5~6回、多い時で7~8回。仕上げに艶出しを吹き付けてようやく完成となるらしい。
叔父さんは、根掘り葉掘り聞く私に対して面倒臭がらずに丁寧に回答してくださった。知らない世界を知りたがる私にとって、叔父さんの話は、とてもためになる話であった。
腕相撲
最後に根性屋宮崎支部のケイ君の家に寄り、ケイ君と腕相撲をする。根性屋のホームページで見たことのあるケイ君は写真から感じたとおりの熱い人であった。たかが、私との腕相撲ごときに全力でぶつかってくるケイ君。ケイ君の気持ちの熱さに、思わずジーン!としてしまった。
ケイ君は頑張り屋で、純情で気持ちの熱い男だ。彼からは学ぶべきことがあくさんある。彼とはお互いに成長した姿で、また会いたいと思った。
皆で
最後に皆で記念撮影。ケイ君のお母さんは、私にやたらと料理を勧めてくれたのだが、その手作りの料理は絶品のものばかりであった。私のすぐ横はケイ君の親父さんで、そのすぐ横は、近くに住んでいる親父さんの叔父さんである。二人とも親しみ易い方で、余所者の私にとても親切にしてくださった。宮崎に来て感じたのが、地元の人々が他所から来た者に対してとても開けっ広げで温かいということ。おかげで、私は何も気兼ねすることなく、どこへ行っても自分の家のように伸び伸びと過ごせたのであった。
人々の親切。これは、テルさんとの友情、非日常的な経験と共に今回の旅で私が得た貴重なものである。
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