汗汗フェスタ2006
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2006年08月06日(日)
3週間前にアホの末から、「汗汗フェスタに出ないか?」と、誘われた時は、「何をそんなクソえらいことを!」と思い、即断った。しかし、その時の私は、両腕の筋肉を傷めており、筋トレができない状態だったので、「腕が使えないのなら足を使うか!」と、考えを改め、すぐにアホの末に参加する旨の電話をした。
本番までには、マウンテンバイクで最低でも500㎞の走り込みをしてやろうと予定していたのだが、いろいろと忙しくてと言うか、面倒臭くてそれは叶わなかった。その間、私が行ったのは、いつも行っているつま先立ちスクワットだけ。脚の筋力には自信があるので、それだけで大丈夫だと思っていた。が、実際は・・・。
午前6時に萩を出発。レース開催地である千畳敷に着いた時は、既にたくさんの参加者が来ていた。県外ナンバーの車が多く、おそらく、その殆どが前日からここでキャンプを張っているものと思われた。
時刻は、この時まだ午前7時をまわったばかりだったが、既にプロのDJがアナウンスをしていた。テレビで見る赤坂なんたらやら、ラジオで聞くクリスなんたらみたいな重低音の利いたダンディな声で、大会の雰囲気をより一層洗練しているように思えた。
「すっげえ!」私は、汗汗フェスタをただの田舎のチャリンコレースとしか思っていなかったので、この洗練された雰囲気には驚かされた。今回の参加チームは258チームか259チーム。参加者は800人を越える、この近辺では大規模な部類に入るマウンテンバイクのレースだ。
チームの人数は5人までなら何人でもOK。3時間の制限時間内で、一周4㎞のクロスカントリーコースを何周回れるかを競う。交替は、何周で代わってもOKだ。私達のチームは、アホの末とアホの末の職場の先輩である宮本さんと私の3人である。
どうせなら、制限人数ギリギリの5人で参加した方が良かったのだが、どうやらアホの末が人数を集められなかったみたいである。人数が少なければ、走る回数が多くなり、休憩する時間が短くなるが、それはやむをえないこと。出来るなら上位を狙いたいところだが、走り込みも何も準備をしてない今回の大会では、上位を狙うことは難しい。よって、今回の大会は、参加することに意義を見出すことにした。
マウンテンバイクの整備をして、まずは走る順番を決める。ジャンケンの結果、一番負けの私が運悪く一番手のランナーになってしまった。一番手のランナーは、スタート前のポジション争いと、スタート時の競り合いで非常に緊張感を強いられるし、何といっても他のランナーよりも数多く走らなければならないのが嫌である。しかし、これもジャンケンで決めた以上、仕方がないことだった。
このレースに初参加の私は、コースがどのようになっているかを知らないため、アホの末と一緒に試走をしてみることにした。
最初、いつものように一番重たいギアにしていたのだが、アホの末に「軽いギアしか使うことがないから、ギアを落とせ!」と言われて軽めのギアに落とした。アホの末に言われたことが正しいと分かるのは、それからすぐのことだった。フィールドから山の中に入っていくと、いきなりの凸凹道で、そんな道をとてもではないが、重たいギアで走れるものではなかった。
200mばかり行くと、今度は急な下りが続く。私は、下りは苦手。下りを安全に、しかもスピーディーに下るには、かなりのテクニックが必要である。当然、私にはそんなものはない。下りが一番のタイムの稼ぎどころではあるのだが、ここが一番危なくてケガをしやすい。たかが遊びに命を懸けるわけにもいかないので、苦手な下りはゆっくり行くことに決めた。
長い長い下りを下りきると、コース内で唯一平坦な箇所である池の周りに出た。池の周りが大体、500mぐらい。これを回り終えると、今度は延々と続く上り坂になる。スタート地点である千畳敷の台地は、山の頂上である。最初、スタート地点から下ったのだから、スタート地点まで戻るには今度は上らなければならない。当たり前である。下ったのと同じ距離だけ上らなければならないから、これはかなりきつい。特に上りの前半部分の非舗装の凸凹道がきつかった。
ゆっくりと一周回り終えたタイムが20分ほど。ゆっくり走ったから、それほどのキツさではなかったが、これが本番となると別。力の限り走るであろうから、とんでもなくキツいものになるであろうことは容易に想像できた。
試走を終えてから、ゆっくりすることなく、少しでも良いポジションを取るためにスタート地点に急いだ。スタート地点は、既に何百人という人でごったがえしていた。最前列から何列目かまでは、招待選手やシード選手に与えられているため、そこまで前に出ることはできない。しかし、せめてその選手らの後ろにぐらいはと思い、最後尾から人ごみを掻き分けて、前へ前へと進んだ。人と人が密着して、マウンテンバイクを押して通るスペースが無いところは、マウンテンバイクを頭上に抱え上げて、無理矢理前へ進んだ。無理にでも前へ出るので、周りからは「何だこいつ!」というような目で見られたが、私にはそんなことはお構いなしだった。何故なら、私程度の実力では、最初のポジションでほぼ順位が決まってしまうからだ。
前へ前へ。どのくらい前へ出ただろうか?「スタート30秒前!」というアナウンスで、ようやく前進をやめた。おそらく全体の半分よりは少し前ぐらいにはきたのではなかろうか。最後尾から、ここまで来たことは上出来だった。
スタートのピストルの音を待つ。パーンッ!と、鳴った。全員が一斉にスタートした。私も全力で駆け出した。スタートから300~400mは、そこそこ幅がある道だから、前の奴を抜けると思っていたのだが、いざスタートしてみると勝手が違った。他の者も私と同じことを考えていて、前へ前へと群がるため、抜くスペースが無いのだ。そうしている間に、先頭グループの者とは、どんどん差がついてしまう。しかも、自分の前の集団について走っているうちに、非常に幅の狭い山道へ入ってしまい、余計に前の集団を抜けなくなってしまった。おまけに、ここからは私の苦手な下りである。よって、前の集団を抜くのは諦め、得意な上りが始まるまでは、それについて走ることにした。
私は、下りがどうもダメ!ブレーキをかけながらでないと下ることはできない。それでも結構なスピードがでていたとは思うが、そんなスピードでは全然通用しないことを思い知らされることになった。後ろから、何人もが「すいませ~ん!避けてくださ~い!」と言って、ノーブレーキでビュンビュン私を抜いて行くのだ。
その速さといったらすごかった。抜かれると、あっ!という間に見えなくなる。石がごろごろした凸凹道の下りでも、急カーブのある下りでもお構いなしなのだ。「一体、こいつらどういう神経しとるんや!転倒したり、崖の下に落ちたらただじゃ済まんぞ!」と、思いながらも、そんな彼らと競うつもりはないので、「どうぞ!どうぞ!」と、そういう人達を先に行かせた。時速にすれば20㎞ぐらいの差はあったので、この後、どんなに上りで頑張っても、抜かれた人達には追いつくことはできないと思った。上りよりも下りの方が圧倒的にスピードが速いため、下りでついた差を上りで埋めることは難しいのだ。
ゆっくりと無難に坂を下りきると、今度は池の周りのコース内で唯一の平坦な道に出た。坂で体力をセーブしていたので、ここぞとばかりに前を走っている奴を抜く。おそらく10人は抜いた。 わずかばかりの平坦な道が終わると、今度は山中の凸凹道の上りになった。道幅が狭く、所々に深い窪みがあるので、それを避けて上らなければならないため、結構キツい。転倒する奴や、マウンテンバイクを歩いて押して上る奴もちらほら見受けられた。
だが、キツいとは言っても、脚の筋力に自信のある私にはこれぐらいは大したことではない。大体、人の倍速ぐらいのスピードで前を走っている奴をどんどん抜いていった。抜いた数なんかいちいち数えてはいないが、おそらく20人以上は抜いたのではないかと思った。下りで抜かれた数よりも、抜いた数の方が上回っていたので、順位が上がったのは間違いなかった。
が、抜いたのは、おそらくスタート時に最初から私の前を走っていた遅い奴に違いなかった。いくら頑張っても、下りの何分の一かのスピードでは、例え上りで私の方が速かったとしても、上位陣に追いつくことはできない。やはり、上位を狙うなら、上る速さも大事だが、それよりも下る速さの方がもっと大事である。
凸凹道を終えると、今度は広い舗装道の上りにでた。上る傾斜角度は相変わらずキツいが、舗装されていて凸凹が無いだけ、こちらの方が断然走り易い。ここでも何人か抜いた。400~500m走り、少し傾斜角度が緩くなったところで、少し精神的に余裕がでたためか、今まで自分が上りで立ちこぎをしてないことに気付いた。立ちこぎをした方が、上るのも断然速いし、上るのも楽なのに、何故、立ちこぎをしなかったかは分からない。別に自ずから茨の道を進んだのではないけのだが。
ほぼ、上りも終りかけていたので、こうなったら立ちこぎを封印して、遅くて苦しくはあるが、このまま行くことに決めた。そうすると、更に上位は狙えなくなるが、そんなことは、大事なことではない。自分が決めたことを貫けるかどうかという、そう!これは自分との闘いである。
上りが終わると、スタート地点がある千畳敷の台地に出た。台地上のグネグネしたコースを走るのだが、前半部分は、道が細く、他の道とも交わったりしているので、よく道標を見て走らないと、コースとは違う道に入ってしまいそうになる。おまけに、凸凹道で走りにくいし、近くのように見えたチェックポイントまでは思ったよりも距離が長かった。
タスキに付いたカードに、チェックポイントで周回数分の穴をパッチンしてもらい、チェックポイントを出てから、アホの末達の待つピットまで急いだ。そこまでは、直線で200mぐらい。ラストスパートをかけて最後に4~5人ほど抜いて、宮本さんにタスキを渡した。
タスキを渡した後に倒れはしなかったものの、あまりもの苦しさから、座り込んでしまった。やはり、本番は練習とは違う。段違いのキツさであった。特に、上りで無理をしたものだから、太腿の筋肉がパンパンで今にも攣りそうな状態だった。普通のスクワットなら、最高で3000回やったことがあるし、いつもはつま先立ちスクワットを何百回とやっているのだが、それでもこうなるとは!汗汗フェスタ恐るべしである。
しかしながら、スクワットをやっておいたことが、幾らかでも役にたったことは間違いなかった。これが何もやってなかったとなれば、更に悲惨な状態になっていたことだろう。
この時の私のタイムが16分台ぐらい。本来であれば、もっと速く走れるはずだが、前半部分の集団の混雑から抜け出せなかったのが響いたようだ。宮本さんは、おそらく20分ぐらい。アホの末は15~16分ぐらいでくるであろうから、35分ぐらいは休憩をとれることになる。しかし、体力の消耗が激しかったため、こんな調子で2回目のランは大丈夫だろうか?と、不安になった。
寝転がったり、座りこんだりすると、動けなくなりそうな気がしたので、立ったままで私の出番が来るのを待った。走っている間は、長く感じるものの、待っている間はやけに短く感じる。宮本さんは、予定どおりのタイムでアホの末にタスキを渡し、アホの末も大体、私の予想どりの時間に戻ってきて、いよいよ私の出番となった。
思ったよりは体力が回復してないが、そんなことも言ってられない。アホの末からタスキを受け取ると、七分ぐらいのスピードで駆け出した。全速力ではなく、七分ぐらいというのがミソだ。先ほどは、周りにつられて全速力で駆け出したは良かったが、結局、集団のペースに乱されて自分のペースが保てず、余計な体力を消耗した。それを教訓として、力をセーブしたのだ。
この時は、かなり集団がばらけて、人もまばらになっていたので、自分のペースを保つにはうってつけの状態だった。前半の下りは力をセーブし、後半の上りで追い込みをかけた。2周目ともなると、コースを覚えてしまうので、1周目よりも力の配分が上手くいったように思えた。
最後の千畳敷の台地上で、コースから外れて違う道に入るというアクシデントはあったものの、先ほどよりは1分以上タイムを縮めてタスキをつなぐことができた。これも、自分のペースを崩さなかったおかげ。おかげで、先ほどとは比べものにならないくらい体力の消耗が少なかった。
3周目も、自分のぺースで走ったために、明らかに体力は落ちてきてはいるものの、そんなにキツくは感じなかった。それどころか、途中で転倒したものの、この時がタイムが一番速いような気がした。それは、私がタスキを渡そうとピットに入った時には、2人ともまだピットに入ってなかったことからも明らかだった。
残念ながらタイムは分からなかったものの、会心の走りには満足していた。3周目を走り終えた時点で、残り時間は54~55分ぐらいだった。宮本さんとアホの末で40分近くかかるとしても、確実に私まで順番がまわってくる計算だ。宮本さんが、走っている時にアホの末に聞いた話によると、制限時間内にチェックポイントでカードをチェックしさえすれば、タスキをもらったランナーは、例えタスキをもらった時が制限時間を過ぎていても、最後に1周走らなければならないらしい。
それを聞いて、自分だけ4周走るのは癪だから、どうにかしてでも私の次のランナーである宮本さんにギリギリでもいいから、タスキを渡してやろうと思った。私の前のランナーであるアホの末が、たくさん時間を残して帰ってきてくれれば、それは十分可能なことである。
問題は宮本さんだ。さすがに、そのことを見越して、ゆっくり走るということはしないとは思うが、年寄りなので体力的にもキツそうなため、タイムが遅くなるのではないかと心配だった。しかし、私の予想を裏切り、宮本さんは今までと同じようなタイムで帰ってきた。そして、宮本さんからタスキを受けたアホの末も、なかなかの頑張りを見せて、何と!17分も時間を残して帰ってきてくれた。
いくら疲れているとは言っても、17分以内なら十分に走れるタイムである。どうにかしてでも、宮本さんに最後のランをさせるために、この時ばかりは、最初と同じように全速力で駆け出した。下りは、それまでよりも速く下ったが、さすがに体力を消耗していたため、上りはそれまでよりは、かなりペースが落ちた。それでも、宮本さんにタスキを渡すために、どんなに苦しくても力を抜くことはなかった。
コース最後の千畳敷の台地上では、あやうく転倒しそうになるハプニングはあったものの、どうにか持ち直し、チェックポイントへ急いだ。あとは、チェックポイントでカードをチェックしてもらいさえすれば、私の願いは叶うのだ。そして、頑張った甲斐あって、「あと、2分!」というアナウンスが聞こえた時に、どうにかチェックポイントへ入ることができた。私の願いは叶った。制限時間内にチェックしさえすれば、あとはどんなにゆっくりピットへ帰っても大丈夫である。
私が余裕こいてピットへ帰った時、宮本さんはタメ息をついていた。が、私からタスキをもらうと、今までにないスピードで駆けて行った。諦めたのか、それともヤケクソになったのか?私は既にレースを終えた身。宮本さんのことは他人事なので、そんなことはどうでも良かった。
宮本さんを待っている時に、アホの末から聞いた話が面白かった。宮本さんは、私が走っている間に何回も、「田島君、遅く走ってくれればいいねぇ!」と、呟いていたらしいのだ。それを聞いてアホの末は、「あいつがそんなことするはずがないですよ!自分だけキツい思いをするのが嫌だから、どうにかしてでも宮本さんを道連れにするはずですよ!」と、言ったらしい。アホの末が、私の性格をよく見抜いていると思ったし、弱気な宮本さんも、いつもの宮本さんらしくて良かった。その話を聞いて、余計に「してやったり!」という気になった。最後の走りが私にとって、この日一番の大仕事だった。
結局、私達のチームの順位は、258~259チーム中で90番ぐらいだったか?よくは覚えてはいないが、そんなものだったと、記憶している。優勝チームと、4周も差がついたのは驚きだったが、もっと驚きだったのは、個人の部の優勝者が優勝チームと同じ周回数だったということである。1人で、4~5人と同じ周回数を走るとは、一体どれほどの体力があるのだろうか?1周を10分35秒という大会最速ラップを叩きだした、プロのゲストもいたが、それよりもインパクトの面では上だった。
宮本さんの話によると、下りを走っている時に4人に抜かれたという。その中の1人が、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに、そのまま突っ切って、崖の下に落ちたとのことだった。死にはしないだろうが、大ケガ以上は確定だろうとのことだった。その話を聞いて、何でそこまでする必要があるのかと思った。上位を狙う人達にとっては、真剣勝負の場だから、1分、1秒のタイムを競うため、ギリギリのことをしなければならないのかもしれない。だが、私のような参加することに意義がある、楽しくやれればいいと考えている者にとっては、タイムを縮めるために命の危険を侵すということは理解できないことである。
よって、楽しかったから来年も出場するつもりだが、危ないことはしないし、これのために特別鍛えることもしない。私にとっては、安全に楽しくが一番である。
宮本さん
諦めのいい宮本さん。でも、今回は諦めることなく、頑張った。 |
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炎天下の上り坂
コースの後半にあるアスファルトの上り坂。テクニックは何も必要ないが、根性が必要である。 |
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大会を終えて
三時間に及ぶ耐久レースに、練習なしで参加するのはさすがに疲れる 。 |
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抽選会
大会終了後にゼッケン番号で抽選会がある。自転車関係パーツや海産物等目白押し。 |
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