Road To 出雲 第五弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2006年11月25日(土)
プロローグ
ここまでくるのが何と長かったことか!昨年の6月に始めた出雲ランも今回で最終回を迎えるわけだが、始めてから1年半、前回から約1年もの時間が経とうとは!さすがにこのことは私も予想外であった。
当初は、4月か5月を予定していたのだが、主役の吉田のスケジュールがどうしても合わず、この時は、泣く泣く開催を延期した。吉田は、4~5ヶ月に一度しか船から降りられないので、開催時期が9月を過ぎるであろうことは予想していたのだが、9月を過ぎても10月を過ぎても吉田が上陸したという一報を聞くことができなかった。11月に入って、ようやく小野から吉田が上陸したということを聞くことができたのだ。だが、吉田の予定は11月の第4週の土日しか空いてないという。
あいにくこの日は、私も大事な用事があった。しかし、1ヶ月という短い休暇で、家族と出来るだけ多くの時間を過ごそうという吉田にとっては、その2日でも何ものにも代え難い時間のはず。そのことは、同じく家族を愛する私も塾生達も重々分かっていた。だから、とにかく吉田のスケジュールを尊重するということで、また、今年中に出雲ランを終わらせるということで、私達に唯一与えられたその日に決行することにしたのである。
出発
当初は、午前4時に萩市役所前から出発することにしていた。しかし、前回到達地点の道の駅きらら多岐から、ゴールである出雲大社までは予定していた30㎞もないことが発覚。どんなにゆっくり走っても、5~6時間もあれば到着できるだろうということで、2時間遅らせて午前6時の出発にしたのだ。
今回は、アホの末も第一回以来の久々の参加であった。自動車で伴走してくれる者を見つけることができなかったため、アホの末と私でどちらが自動車で伴走して、どちらが走るかを前日まで決めかねていたのだが、アホの末は最終回に至るまで一回も走ったことがないということで、結局私が自動車で伴走することになった。
最終回は是非とも走りたいところだったのだが、私は第一回を走っているので、最終回をアホの末に譲ることは当然のことであった。
今回は、前回のように小野も出発時間に遅れることはなかった。午前6時過ぎには、予定通りに萩市役所前を出発した。出発した頃は辺りが真っ暗だったのが、40分も走ると東の空が明るくなってきて、周りの景色が見え始める。何十回となく通った出雲大社へ至る山陰道。人口密度の非常に低いところを通っているので、建物らしい建物は殆どなく、海と山が見えるだけの田舎道なのだが、四季折々の自然の顔が楽しめるので、私は好きだ。冬は殺風景ではあるのだが、荒々しい日本海と、荒涼とした田園風景が男らしくて良いのだ。
道の駅きらら多岐へ着くまでは、景色を楽しみながら助手席のアホの末と話をしていたので、3時間半の道中は短く感じた。
準備
道の駅きららには午前9時40分頃に到着。私と話していたアホの末以外の3人は、後部座席で眠っていたので、早起きしたとはいえ、睡眠は十分のようだった。
スタート時間を30分後の午前10時半に設定。それまでの時間は、各自腹ごしらえするなり便所へ行くなり、走るための準備をする時間にした。道の駅きらら多岐から出雲大社までは、当初30㎞と見込んでいたのだが、前日に地図で確認したところ、22~23㎞ぐらいではないかと大幅に下方修正することになった。そうなると、ゴールするのが早過ぎるため、時間が余ってしまう。
いくら最終回とはいえ、塾生達に楽をさせたくはないので、時間調整のために全員がゴールした時に時間次第で、もう何㎞かを追加することにした。一応、そのことは塾生達には伝えたのだが、誰も喜ぶ奴はいなかった。楽をさせては、こいつらのためにはならないという親心から、そうしようと決めたのだが、それを分からないようではまだまだである。
スタート
全員の準備が整ったところで、予定どおりの午前10時10分に道の駅きらら多岐を出発。最終目的地である出雲大社へ向かって走りだした。小野を先頭にして、各自なかなかのハイペースで走っているようだった。どの辺りで、補給させてやろうかと思ったのだが、この時は晩秋というか初冬だったので、夏のように3~4㎞ごとに補給させる必要はないため、一気に9~10㎞先まで行って塾生達を待つことにした。
第一給水地点
どこか車を停めて待つのに適当な場所はないかと、探した挙げ句にようやく見つけたのが、某工場の敷地である。しばらくは、敷地内に車を停めて待っていたのだが、「こいつは何処の者だろうか?」的な事務員や作業員の目が気になったので、車を工場の敷地外の道路脇に移動。改めて、ここで塾生達を待った。
待つこと10分、まず最初に来たのが小野であった。「今回は、距離が短いので最後まで全力で走り抜きますよ!」との事前の言葉通り、かなりのハイペースであった。さすがにスタートしてから30分では、まだ補給する必要がなかったのか、私の「水は要らんか~!」の声を笑顔で無視して走り去った。
その1分後に来たのがアホの末であった。毎日、昼休みに先輩の村上さんと2~3㎞走っているらしく、なかなかの走りであった。おそらく、今までのこいつならこんな軽快な走りはできなかったに違いない。この走りができたことで、こいつの少ない知能でも、毎日続けることの大切さが分かったことだと思う。そのきっかけを与えてくれた村上さんには感謝すべきである.
アホの末が休憩を終えて走り去ってから4分後に何と!炎の男である吉田が到着した。アホの末の次は山ちゃんとばかり思っていたから、嬉しい驚きだった。吉田は前回のランより更に進化していた。後に本人から聞いた話だが、船の階段を何往復も走って登り降りしたり、甲板を走ったりして、この日に備えていたとのことだった。
このことを聞いて感心するとともに、更に吉田という男を好きになった。普段は、寡黙で殆ど自分の意志や闘志といったものを表に出さない男なのだが、やはりその内には熱いものを秘めているのだ。吉田も、休憩をすることなく私に向かって一礼をすると、そのまま何も言うこともなく走り去っていった。しばらくは、吉田の後姿を眺めていたのだが、その無骨で不恰好ながらも、ひたむきな熱い走りは、いかにも海の男といった感じだった。
その吉田から遅れること2分。ようやく山ちゃんが到着した。山ちゃんの走るのが、遅いわけではない。他の者が速いのだ。山ちゃんは、最近子供が誕生してパパになった。そんな子育てで忙しい中、出雲ランのためによく時間を作ってくれたものだと感謝している。もともと落ち着きがあったのが、パパになって更に落ち着きがでたようだ。
こいつを見ていたら、俺もそろそろ子供が欲しいなと思えてしまうのだが、まあ、そんなことはここではどうでもいい。漢塾唯一のジャニーズ系は、サラサラヘアをなびかせて、休憩をすることなく朝の爽やかな空気の中を走り抜けていった。
予定変更
山ちゃんが通過してから、すぐに先頭の小野を追った。第一休憩地点から、出雲大社方面に左折する交差点まではすぐだった。交差点を曲がり終えてから、私の頭の中に「まずい、出雲大社まではすぐに到着してしまうぞ!」という不安がよぎった。どう長く見積もっても、交差点から出雲大社までは8㎞ぐらいしかないと思ったからだ。
実際に現地に来てみるまでは分からなかったが、こうやって現地に来ると、何十回もきた場所であるから、大体の距離が分かってしまうのだ。
8㎞といったら、1時間もかからない距離である。先頭の小野のペースなら、トータルで2時間もかからないで走れてしまう。いくら最後は今までよりは距離が短くて楽だとはいえ、これでは楽すぎる。これでは、漢塾ランのもう一つの目的である漢を磨くことができない。ということで、やはりというか、ゴールしてから更に番外編として、日御崎までの12㎞をプラスすることにした。
第二休憩地点
交差点を曲がってから小野を追い越し、しばらく行ったところにあった郵便局の駐車場に車を停めて、まずは小野を待った。待つこと7~8分。先ほどとペースが殆ど変わることなく小野がやって来た。かなりハイペースなので、結構疲れているように見えたが、「休憩していかんかぁ~!」という私の声を無視して、またもや笑顔のまま走り去った。
第二休憩地点である郵便局から出雲大社までは、5㎞ぐらいの距離。小野のペースなら25分もあれば余裕で到着できる距離である。他の者が全員通過するまで待たなければならないから、他の者との距離の差を考えると、小野のゴールする場面は写真に収めることはできないと思った。小野には悪いが、伴走車が一台なので、やむをえないことであった。
小野から遅れること12分。アホの末が到着した。スタートしてから、この地点までが13㎞ほど。距離的には大したことがないのだが、もう足が痛くなったと言っていた。普段から走っているとはいえ、長距離を走ってないので、そうなるのも仕方のないことだった。多分、私が走っても同じことになったと思う。私達の経験上、体重が重い者にとっては、10㎞が足が痛くなる境目だと思う。
アホの末に続いて山ちゃんが到着。吉田と順番が入れ替わっていた。山ちゃんもエンジンがかかってきたようだった。山ちゃんは、ジャージの上着を脱いでいたのだが、その下に着ている漢塾のTシャツがやけに格好よく見えた。
着る奴が良いと、こんなにも格好良く見えるものなのだろうか!もともと漢塾のTシャツのデザインは良いと自負していたが、山ちゃんが着ることで、改めてそのデザインの良さを実感することができた。山ちゃん!着てきてくれて有難う!
山ちゃんが走り去ってから間もなくして吉田が到着。先ほどよりペースは落ちてはいたが、途中で歩くこともなく、黙々と走り続けていた。吉田も足が痛くなったようで、足を引き摺っていた。いくら、船の上で走っているとはいえ、長距離を走っているわけではないので、やむをえないことであった。吉田は、ここで大好きなバナナを2本ほど食し、座って休むでもなく、すぐに走り去った。
ゴール
郵便局から出雲大社までは、車で5分。5日後が出雲大社最大の祭である神迎祭とあって、駐車場は車を停めるスペースがないほどに車でごったがえしていた。おかげで、空きスペースを見つけて車を停めるまでに15分ぐらいかかってしまった。車を停めてから、小野が待っているだろうなと思い、急いで表門まで急いだ。
案の定、小野は表門の下の階段に座って待っていた。午前11時40分ぐらいには、既に到着していたという。18㎞を1時間30分だから、なかなかのタイムである。小野は「寒いですぅ~!」と、しきりに言っていた。私と合流するまでの30分間を長袖のシャツ一枚と、半パンで待っていたのだから、それも当然であった。しかし、駐車場までは遠いので、「全員がゴールするまでは我慢せえ!」と言って我慢させた。
小野と待つこと10分。アホの末と山ちゃんがほぼ同時にゴールした。アホの末は、今回限りだから特別な感情というものは湧き上がらなかったみたいだが、唯一小野と最初から最後まで走り通した山ちゃんは、特別な感情が湧き上がってきたらしく、しばし物思いに耽っているようだった。
萩市役所から出雲大社に至るまでの200㎞以上を走破したのだから、そうなるのも当然であろう。ここへ来るまでの道程は本当に厳しかった。だが、その厳しさにも負けずに完走した精神力の強さについては、小野ともども心より褒め称えたいと思う。
アホの末と山ちゃんがゴールしてから15分後にとうとう炎の男である吉田がゴールした。第一回出雲ランに参加してから、今回に至るまで、3回のランを経験した吉田。最初は、こんな運動もしたことがないような奴が40~50㎞の過酷な道程を完走することができるのかと思っていたが、私の予想を裏切り、痛々しい姿を見せながらも見事完走した吉田。
その、物事は最後まであきらめずにやり抜くという吉田のひたむきな姿勢は、私の心を動かすには十分だった。それから、吉田は小野や山ちゃんと並んで、出雲ランの主役になった。だから、最終回は必ず吉田の帰りを待ってやると決めていた。最後は、主役達全員に有終の美を飾らせたいと思っていたからである。
おかげで、最終回の開催が伸び伸びになってしまったが、今回もまた吉田のひたむきさと、内に秘めた熱くたぎるものを見ることができたため、長かったけど待ってて良かったと思った次第である。
出雲ランを終えて
出雲大社に走って行こうと思ったのは、昨年の4月だった。丁度、春の陽気にうかれて、「3年前のこの時期は、自転車で出雲大社に行ったなあ!」と思い出していた時である。無性に自転車に乗って一人でも出雲大社に行きたくなったのである。しかし、同じことをするのは面白くないし、どうせ漢塾でやるなら今度は皆で走って行こうかと思い、ランをすることにしたのだ。
自転車なら一日でも行けるのだが、我々素人ではランだと一日に40~50㎞走るのが限界である。よって、行程を5回に分けた。当初は、私も最後まで走る気でいた。自分で走って行くことを思いついたのだから当然である。しかし、車で伴走してくれる良きパートナーを見つけることができなかったため、やむなく初回以外は、車で伴走するという裏方を余儀なくされた。
車で伴走するということは、体力は使わないが、待つのが暇だし、ランを終えても何の充実感もないので、はっきり言ってやりたくはなかった。だが、伴走車での水や食料の補給がないと、とてもではないが長い距離を走ることはできないし、また、到着地点から萩まで連れて帰ることもできないので、これも大切な仕事だと思い、割り切ってやった。
ところが、こうやってレポートを書く上では、伴走車の運転手という立場の方が皆の走りや、様子をつぶさに事細かく観察できるので、非常に助かったというのは事実である。これが、最初から最後まで私が走っていたら、皆の様子は分からなかっただろうし、レポートには殆ど自分のことしか書けなかったと考えると、結果的にはこれで良かったのではないかと思う。
出雲大社は、私にとって特別な場所である。良き人とのたくさんの縁をいただいたこともそうだし、中学生の時に親と初めて旅行に来たのがここでもあった。また、先に述べたとおり、友人と萩から15時間かけて自転車できたこともあった。そして、今回は4人の仲間達とである。こうやってここまで無事これたことも有難いが、それよりも何よりも、この素晴らしい仲間達との縁があったことを心から出雲大社の神様に感謝した。仲の良い仲間達と、楽しく同じ時間を共有することがどれだけ有難く素晴らしいことか。
そのことを深く確認できたことが、私にとって出雲ランの最大の収穫であった。塾生達も、どんなことがあっても諦めずにひたむきに頑張り続けることが大切だということが、出雲ランを通してだいぶ分かってきたことだと思う。
だが、まだまだこれからである。出雲ランは終わっても、私達の人生のランは死ぬまで終わることはないのだ。これからの塾生達の人生の局面で、この出雲ランの経験が活かせられれば、行った甲斐もあるというものだし、そうなることを私は願っている。晩秋の出雲大社は、もうすぐ神迎祭を迎える。また、何らかの形でまたここへ来たい。
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