Road To 大分 第一弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2007年05月19日(土)
待ち人
炎の男吉田、カラムーチョ吉田、バナナマン吉田。呼び名はたくさんあるが、呼び名なんてどうでもいい。とにかく、吉田の帰りを待っていた。親友である小野の情報によると、吉田はこのゴールデンウィークには、陸に上がるとのことだった。それを聞いて、私は大分ランを5月3日に設定した。だが、吉田はゴールデンウィーク中には帰ってこなかったため、やむなく5月12日に開催を延期した。しかし、やはり12日を目前にしても「吉田帰った。」の一報を聞くことはできなかった。それならば、19日なら確実だろうと、再度開催を延期したのだが、開催日を前にしても小野の口から吉田のことを聞くことはできなかった。
大分ランを5月に開催するとしたら、19日しか空いている日がないため、また、他のメンバーの都合この日に無理矢理合わせていることから、もうこれ以上開催を延期することはできなかった。よって、吉田には6月のランに参加してもらおうと考え、苦渋の決断で予定どおり漢塾大分ランの第一弾を決行することにした。
不安
朝のお勤めを終えた時、私の表情は曇っていた。この日はどうもお腹が下り気味だったのだ。ふと、私の脳裏を一年前にテルさん達と高野山へ行った時の苦い経験がよぎった。あの時は、レディーの前で失態を犯してはならないと、脂汗タラタラの苦しい思いをしたのだが、もう同じ経験は二度としたくなかった。
よって、走っている最中にお腹が痛くなった時の対策として、携帯電話を持って走ることにした。何かを持って走ることは非常に邪魔臭いのだが、もしもの時のことを考えるとどうしても仕方がなかった。
今回、運転手である岡田には、常に携帯に出られる状態にしておくことと、もし電話があったらすぐに駆けつけることを、重々伝えておいた。
ベストコンデション
この日は、あいにくの曇り空。だが、その方が走りやすい。おまけに涼しく、風もなかったので、走るのには正しくベストコンデションだった。当初、参加を予定していた山ちゃんと村上さんが都合により参加が出来ないということで、運転手の岡田も含めて5人の参加者で行うことになった大分ラン。人数が減って、少し拍子抜けた気もしたが、何事も最初が肝心なので、全員が無事に完走できるように気合いを入れていくことにした。
スタート
定刻の午前7時を少し過ぎたくらいに、市役所内にある旧水道局裏から私を除いた3人がスタートした。で、私はというと、私の実家に荷物を取りに行かなければならないため、1㎞先からのスタートであった。
Reスタート
無事に荷物を回収した私は、午前7時15分に他の3人と合流し、遅ればせながら40何㎞に及ぶ長い道程のスタートをきった。
マイプラン
俵山ランの時も、出雲ランの時も40㎞を越える長丁場を完走した時は、足がボロボロだった。その過去の苦い経験を二度と繰り返すまいと、私が考えたのが、最初は歩いて足にダメージが蓄積しないようにし、25㎞を過ぎて足の痛みが大丈夫なようであれば、それから走るというプランだった。
果たして、この私がたてたプランどおりに事が運ぶかどうかは分からないが、試してみる価値があるということで、そのプランを実行することにした。尚、このプランのもう一つのどうでも良い目的が今回初参加である、ぢよん○○を後方から監視することであった。
尾行
スタートしてから、小野とアホの末の姿はすぐに見えなくなった。私は走りたい気持ちを押さえ、とにかくぢよん○○の後方60mをぴたっとつけて歩きだした。この60mという距離がミソであった。
これよりも近ければ、ぢよん○○に変なプレッシャーを与えてしまうし、これより離れてしまうとぢよん○○が安心しきって緊張感が希薄になりダレてしまう。緊張感も手ごろにあって、プレッシャーがかからない距離。それが60mなのである。
だが、その60mをキープするのははっきり言って大変だった。自分のペースで歩けばぢよん○○との距離が縮まるし、ぢよん○○が走れば、同じスピードで走らなければならない。他人のペースに合わせるということは疲れるのだ。
ただ、しばらく尾行していて気付いたことが、悲しいことに私の早歩きとぢよん○○の走るスピードが殆ど同じだったということである。それに気付いてからは、ぢよん○○がたまに走り出しても、私は走ることをせずに歩くスピードを上げるだけにした。
鎖峠
最初の難関である鎖峠は、アップダウンの激しい峠である。ここで無理をするとすぐに足を痛めてしまうので、ここでも走りたい気持ちを押さえ、ぢよん○○の尾行に徹した。
鎖峠の前半はひたすら続く上り、後半は3~4㎞も続く下りである。ぢよん○○はそのことをよく知っていたのか、前半の上りはひたすら歩き、下りの後半はひたすら走っていた。こいつもこいつなりに己の足や体力のことをよく考えていつように見えた。
ぢよん○○や私といったヘビー級は、ちょっと変な走りをしたり、無理をしようものなら、すぐに足を痛めてしまう。ペース配分を考えるということは大切なことなのだ。その甲斐あってか、ぢよん○○は、足を痛めることなく鎖峠をクリアすることができた。
ストレート
旧三隅町から旧長門市内に続く10㎞以上も続く長いストレートは、第二の難関である。本当は真っ直ぐな道ではないのだが、平坦で周りに何もなくて見渡しが良く、遥か先まで続く道を行くのは精神的に疲れる。
先が見え過ぎるというのは良くない。歩いても歩いても遥か先の目標物が近づく気配はない。考え事をするだけの時間は腐るほどあるが、特に考えることなどないし、考えるのも疲れる。
それで、閃いたのが歩いた数を数えるということ。しばらくは飽きもせずに数えていたが、8千幾らかで飽きて数えるのをやめた。このストレートを抜けるまでには1万何千歩か数えなければならなかっただろうが、おかげで、給水ポイントであるセブンイレブンは目と鼻の先に見えたし、またストレートの終点が近いということも分かった。
変更
この時、私の足はまだ痛んでなかった。ここまでの距離は、およそ20㎞。前回の出雲ランの時は、15㎞付近で足が痛くなったので、この時点で足を痛めてないということは上出来であった。
よって、25㎞付近から走るという当初のプランを変更して、この給水ポイントから走ることにした。走りたくてうずうずしていたし、むさ苦しいぢよん○○の後姿を見ながら歩くのも飽きていたというのも、その理由にあった。
給水を終えて、勢いよく飛び出したわけだが、勿論早く走ることはしない。ジョギング程度の走りである。だが、しばらくは同じペースで走り続けることができたものの、元々歩くのが主であったものだから、途中で集中力が切れてしまい、ずっと走り続けることはできなかった。だから、走っては歩き、走っては歩きを繰り返した。
次の給水ポイントまでは大体、走るのが90%、歩くのが10%ぐらいだったであろうか。全部は走れなかったものの、殆ど走ったわけであるから、当然のことながら全部歩くよりは次の給水ポイントまでの到着時間が断然早かった。
嘘つき
給水ポイントであるスーパーマーケットの駐車場では、昼も近かったということもあり、しばらく休憩した。セブンイレブンからここまでの5㎞を多少無理して走ったので、この時点で私の足はかなり痛んでいた。
セブンイレブンでは、ふくらはぎが多少重いかなと思う程度のものだったが、わずか5㎞を走っただけでこの痛みようはどうしたものだろうか。それまでの20㎞は殆ど歩いたのだが、やはり痛みの元となる疲労が足に蓄積されていたとみえる。それが走ったおかげで痛みが表面化したのだ。いくらこの大分ランのための練習を全くしてこなかったとはいえ、情けないことである。
自分が足が痛くなったので、全員に足が痛いかどうかを聞いてみた。ぢよん○○は、聞くまでもなく既に足を痛めていた。アホの末は、多少筋肉痛になってきたものの、日頃の練習のおかげもあり、まだまだ大丈夫とのことだった。
しかし、問題は小野であった。ニコニコしながら、「結構、足が痛くなってきてますねぇ。」と言ったのだが、私はすぐに「嘘やろう!」と返した。足を痛めた奴がそんなにニコニコできるか!どこも痛そうではないじゃないか!
性格の優しい小野のことだから、私を気遣って話を合わせてくれたのだと思うが、どう見てもこいつは絶対に足を痛めてなかった。
普段、殆ど走りこみをしてないようなのに何でやろう?体重が軽いということがアドバンテージになるのかもしれないが、それだけではないだろう。仮に私が小野と同じ体重だったとしても、ここまで走りどおしだったなら、もう少し早い段階で足を痛めていただろう。
そう、小野はここまで一度も歩くことなく全て走り通しているのである。普段は、何を考えているのか分からん男だが、このことは高く評価できる。これで、練習をしたらかなり速いタイムでフルマラソンを完走できるのではないだろうか。小野という奴は、それだけのポテンシャルを持った男である。
再尾行
ぢよん○○のペースが落ちていることが気になり、再びぢよん○○の後方60mを尾行することにした。さすがにぢよん○○も足を著しく痛めているらしく、ペースは最初の3分の2に落ちていた。
ぢよん○○には、足がヤバかったら、遠慮しないで何時でも棄権して良いからと言い含めていたが、どんなに足を痛めながらも棄権する素振りは少したりとも見せなかった。こいつも普段は何を考えているか分からない、見た目のかなり怪しい男なのだが、なかなか根性はある。
漢塾に入塾した理由が女性にモテたいからという不純な動機かららしい。漢塾は、真の漢を目指すことを目的としており、女性にモテることを目的にはしてない。どうしても女性にモテたいなら、通販の怪しいグッズを買うか、そういうことを目的としたサークルにでも入るしかない。
しかし、こいつの頑張りを見て、これだけの根性があるなら、こいつのことを一人前の男として見てくれている女性が、もしかしたら一億人に一人ぐらいはいるのではないかという気になった。女性にモテることよりもまずは、真の漢になることが先決だが、良い奴なので良縁があることを望んでいる。
想定内
スタートからちょうど30㎞付近の給水ポイントに到着した時は、さすがのアホの末も道路に大の字になっていた。普段走っているとはいえ、走り慣れない長距離を走ることはさすがに応えたのだろう。ここまではなかなかの頑張りだった。また、小野は相変わらず飄々とした感じで、疲れも痛みも全く感じさせなかった。
ランも終盤、あまり休んでいると足の筋と筋肉が硬直するので、私達は適度に休憩しただけで出発した。足は相変わらずに痛かったのだが、ぢよん○○のスピードに合わせて歩いたので、痛みが更に悪化することはなかった。
足の痛みも気になるには気になった。しかし、それよりももっと気になったのが、腹の具合であった。給水ポイントをスタートしてから間もなくして、わずかながらの便意を催したのである。最初は、一過性のものだろうと思い、そんなに気にしなかった。
ところが、便意はどんどん強くなってくる。我慢しながらも、一時間以上歩き続けたのだが、ある地点でどうしても耐えられなくなった。これはやばい!と思い、便所やコンビニ、飲食店などを探すが、山の中であったため近くにそのようなものを見つけることはできなかった。
野○○をしようにもテッシュは持参してないし、これは岡田に連絡するしかないと思い、すぐに携帯で電話した。岡田には、携帯には何時でも出られるようにしておけと言っておいたのだが、なかなか電話が繋がらない。
8回目の呼び出しでようやく岡田が出た時は、ホッと胸を撫で下ろした。だが、安心してばかりもいられない。岡田はすぐに来てくれるとのことだったが、どれくらい岡田と私との距離が離れているか分からない。とにかく事を急ぐのだ。私に残された時間は少なかった。
「頼む!岡田、早く来てくれ!」この時ばかりは天に祈った。その祈りが通じたのか、岡田は電話を切ってから1分もしないうちに私のところへ来た。どうやら、私が電話した場所から次の給水ポイントまで300mぐらいしか離れてなかったらしい。
これはラッキーと思ったが、まだ問題はあった。いかに早く便所を見つけるかということであった。「とにかく、早く行ってくれ!コンビニか食い物屋を探してくれ!」と、岡田に指示して走ること1分。給水ポイントから1.5㎞ぐらい先へ行ったところに運よくコンビニがあったのだ。
コンビニに着くやいなや、すぐにコンビニの便所に駆け込んだ。幸いにも、先客はいなかった。
事を成し終えるのにそう時間はかからなかった。コンビニを出る時の私はおそらく至福の表情をしていたに違いない。また、岡田も私が無事にお勤めを終えたことを確認してホッとしたに違いない。
私がクルマに乗り込むやいなや、「いい仕事されましたか?」と言ってきた。「いやいや何をおっしゃりますか。いい仕事をされたのは、あなたの方ですよ。」と私はそれに答えた。車内は、お互いが良い仕事をした充実感からか、爽やかな空気が流れていた。何故か二人とも満ち足りていた。
家を出る前からの想定内の出来事だったとはいえ、本当にこうなるとは思ってもいなかったものだから、こうなった時のための準備をしておいて良かったと思った。そして、これほどまでに岡田が頼もしい奴に思えたことはこれまでになかった。この時は、心底岡田に感謝していた。
再スタート
先ほどクルマでひろってもらうまで進んだ場所まで戻り、再スタートをきった。300mほど進んだところの給水ポイントでは、まだ他の3人が待っていた。
ここまでの距離は約35㎞。もう終りが見える距離であったが、変態小野を除く私を含めた3人はかなり足を痛めていた。残る距離は9㎞弱。ゆっくり歩きさえすれば必ず踏破できる距離だ。
しかし、ゆっくり歩けばそれだけ長い時間を苦痛に耐えなければならない。それよりも、更に足を痛めたとしても、出来るだけ走って、苦痛に耐える時間を短くした方が良い。そう考えた私は、休憩を終えてスタートするやいなや、痛みをこらえて走り出した。
最初はかなり長い間走り続けていたのだが、さすがに痛めた足では、そう長く走ることはできない。痛みに耐えられなくなると、自然に歩くようになった。
歩く方が走るのよりも断然楽なので、歩くのが長くなると、走り出すことがなかなか困難になる。このままでは、ずっと歩き通してしまうと思ったので、途中から100歩歩いては200歩走るという繰り返しを己に課して、それを実行した。
確かにこの方法は進むペースを速めたし、数を数えるのに気をとらわれるあまり痛みのことも多少は忘れた。だが、このペースはこの時の私にはオーバーワークであったらしい。最後の給水ポイントに到着した時には、膝の屈伸をすることも困難なほどに足を痛めていたのだ。
足の腫れ
右足の脛の腫れはひどかった。丁度、足首から10cmほど上のところの脛が腫れあがっていたのだ。筋肉を痛めたというよりは、打撲のような症状だった。何年か前にローキックをカットし損なった時の症状に似ていた。
脛を打撲した覚えはないのに何故?と思ったが、原因は分からなかった。おそらく、私の体重が重いのと、走り方が悪いのが原因かもしれなかった。
右足を前に踏み出して体重をかける度に襲ってくる激痛。もはや走るどころか、歩くのさえ困難な状態だった。
残すところ、もう4㎞ぐらいだから、どうあがいても絶対にゴールまでは辿り着けるはずなのだが、足のこともあって気が重たかった。だが、歩くのさえ困難な状態になっているとはいえ、歩けないわけではない。歩けるのに、痛いから歩かないのはズルだ。足が痛いことを理由に逃げ腰になっている自分を反省。長く休んでいると、動けなくなりそうなので、最後の給水ポイントでは茶だけ飲んで、すぐさま出発した。
錯綜
自分に喝を入れて、最初はできるだけ走った。先ほど決めた100歩歩いて、200歩走るを繰り返した。おそらくそれで2㎞ぐらいは行ったと思う。だが、それが限界だった。厳密に言えば、限界ではなく挫けてしまったと言った方がいいだろう。
要するに痛みに耐えられなくなったわけだ。よって、ペースは大幅にダウン。右足をひきずる形で歩くようになったので、通常歩行速度の半分くらいのスピードになってしまった。
苦しみから早く逃れたいために、無理して走ったおかげで、最後の最後に思いっきり苦しみを味わう状態になってしまうとは。それでも、あと少しと思い歩き続けた。
いつもながらに思うのだが、苦しんでいる最中というのは、「あと少し」がとてつもなく長く感じるもの。「何で、俺こんな企画したんやろう。」とか、「岡田の奴、あと4㎞と言ってたのに、もっと距離があるんじゃないか。」「きちんと走り込みをしておけば良かった。」とか、頭の中で愚痴をこぼしながら歩いていた。
しかし、歩み続ければ、終りは絶対におとずれるもの。見覚えのある坂を上りきった際に、ホテル楊貴館の白い建物が見えた時は、それまで張り詰めていたものが切れそうになった。
何故か、ゴールが見えると力が振り絞れるもの。足の痛みをこらえて最後は走ってゴールした。が、私はこれが本当のゴールではなかった。
もう1㎞
実は、私は市役所からでなく実家からスタートしていたために1㎞ほど、皆よりも走る距離が短かった。そこで帳尻を合わせるためにもう1㎞ほど走る必要があったのだ。
「市役所からスタートしておけば良かった!」と、悔やんでも遅い。もう1㎞走らなければ、完走したことにはならない。そこで、一応はゴールする格好だけして、そのままゴールを通過して走り去った。「本当なら、もうゴールしてたのに!」と、心の中でぶつくさ呟きながら、とりあえずは500m先を目指した。
おおよそ500mで良いのだが、実距離よりも短いと文句を言われそうなので、目測で多少長めに走って折り返し、そして再度ゴールした。
ゴール
本来ならば、走る必要もないおまけの1㎞を走ったばかりに、ゴールした時の感動は薄れていた。いや、完走できるのは、もともと分かっていたから、おまけを走らなくても感動などなかったはずだ。 苦しみから逃れられることの喜び。ゴールした感想は、これに尽きる。そして、もう二度と走りたくないというのが、小野を除いた3人の本音だろう。
しばらくして、私の後にゴールしたぢよん○○も、よほど痛い目に遭ったからか、「次も参加しろよ!」の私の問いかけに、言葉を濁していた。うかつに「分かりました!」など言おうものなら、絶対に参加しなければならなくなることが分かっているからだ。
今回走った距離は、約44㎞。大分までは、まだ200㎞以上残している。一回に同じ距離を走ったとしても、あと5回は走らなければならない。また痛い思いを、しかも、あと5回も同じ思いをするのは嫌である。
普段から走っておけば、こんな痛い思いをすることはないのだが、分かってはいても走らないと思う。私は性根が無いから。また、同じことを繰り返すのは目に見えている。
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