おしくらごう 2008
- カテゴリ
- ANOTHER
- 開催日
- 2008年06月01日(日)
きっかけ
今年も職場の仲間で、和船競争である”おしくらごう”へ参加することが1ヶ月前ぐらいに決まった。その時、私の頭の中に浮かんだのが、”この男らしい競技に漢塾も参加させてやろう”という考えであった。
そう考えてから、すぐにアホの末に”メンバーを集めておくように”伝えた。メンバー集めには骨を折ったらしいが、申し込み期限ギリギリにメンバーが集まり、どうにか”おしくらごう”へ参加できる運びとなった。
不安
「水」チームの我々は、昨年に引き続き2回目の出場である。漁師町の出で、子供の頃から櫂を握っている者が2名いる。しかも、事前に練習を2回こなしたとあって、全員が櫂を漕ぐ感覚も思い出していた。よって、全員揃って要領よく漕ぐことには、まだまだ難点があるが、とりあえず勝負が出来る状態には仕上がっていた。
問題は漢塾であった。全員が初参加で、ズブの素人の集まりである。体力自慢が何人かはいるものの、櫂をどうやって漕ぐかさえ知らないのでは、競争どころではない。おまけに、アホの末を除く4人が全て市外に在住で、忙しい部署に勤務しているということもあり、なかなか練習に集まることが出来なかった。
私は不安に思い、何度もアホの末に電話して、「ええか?練習せんでも大丈夫なんか?」と口癖のように言っていたのだが、先述した理由のため、アホの末にもどうにもすることができなかった。私が思っていたことは、お世話になった担当者や”おしくらごう”実行委員会の会長さんも思っていたようで、「漢塾は大丈夫なんか?」「一回でも練習しとかんと、船を前に進めることができんぞ!」と、しきりに声をかけられたのだった。
人数集め
“このままではヤバい!”と思った私は、大会前々日の金曜日に再度アホの末に電話し、”練習に来られる者だけでも良いから、とにかく集めて一度練習をしようや!”と、要請した。だが、アホの末と宮本さんの2人以外はどうしても都合がつかないとのことだった。
いくら練習とはいえ、正規の人数である5人いなければ船をまともに進めることが出来ないし、指導してくれる漁業者の方々にも失礼である。助っ人の私を含めても3人しかいないのでは、話にならない。
そこでこの際、人数さえ揃えば誰でもいいやと思い、友人や知り合い、身内に声をかけたが、結局あと2人を集めることができなかった。
お願い
人数を集めることが出来なかった私達は、適当な言い訳して、謝り倒して、どうにか船に乗せてもらおうと思い、練習会場へ向かった。練習会場に到着すると、まずは責任者の方に会って、人数が足りないけど練習させてくれないかとお願いした。良い反応が帰ってこないだろうとの私の予想通り、やはり責任者の方は良い顔をしなかった。
周りの指導者の方の中には、「3人で練習になるかいや!人数揃えて、もう一度出直せ!」と怒っておられる方もいた。貴重な時間を割いて指導してくださるのだから、そう言われるのも当然であった。だが、競技当日のことを考えると、練習を経験したのが2人いるのといないのとでは、雲泥の違いがある。例え2人であろうと、その2人が残りの3人に櫂の漕ぎ方のイメージ的なことを伝えることができるし、練習を経験した2人が核となって船を動かせば、勝負にはならないとしても、ゴールするまで船を動かすことが出来るからだ。
そのことが頭にあったから、私はひたすら頭を低くして、「明日のためにも是非とも練習をしておきたいんです。練習は我々3人だけでも良いですし、それがダメなら、忙しいでしょうけど誰か指導者の方の助っ人を願えないでしょうか!」と、喰い下がった。
責任者の方は、理解のある方らしく、「あんたら、そこまで言うんなら、人を貸すからやってみんさい。」と言って、指導員の方2人を助っ人として貸してくださった。快い返事を頂けるまでは時間がかかったが、お願いの甲斐あって、ようやく私達は船に乗れることとなった。
練習
私は、何回か船に乗って櫂を漕いでいるから、上手ではないものの、こいつらよりは上手く漕ぐことが出来る。でも、私は漢塾チームのメンバーではないから、私の出来は関係ない。問題は、アホの末と宮本さんが、いかに櫂を漕ぐ技術を身につけるかということだった。この2人が、基本的な技術を身につけて、それを他の3人に上手く伝授することができれば、練習をしていなくとも、櫂を漕ぐうえで、幾らかは足しになるはずである。
だから私は、2人の邪魔をしないように控え目に櫂を漕ぎながら、終始2人を見守った。
まずは、宮本さん。覚えが悪いわ体力が無いわで、翌日が思いやられそうだったが、宮本さんの長所である”諦めの良さ”を出さずに頑張ったおかげで、最後には、どうにか櫂を漕ぐ技術を身につけていた。
そして、アホの末である。体力は常人よりもあるが、知能はチンパンジー以下のため、覚えが悪いかと思いきや違った。櫂を漕ぎ出して、わずか10分ほどで基本的な技術を自分のものにしていたのだ。しかも、その後、船尾の”トモ”と呼ばれる舵取りの役にポジションチェンジし、難しいと言われるトモの技術の半分くらいをものにしていた。 舵取りさえ出来れば、船は真っ直ぐ進むから、グルグル同じ場所を回っていつまでもゴールできないことはない。下手すれば、補助員の手を借りてゴールしなければならないと思っていたから、アホの末がある程度トモの技術を習得したことは漢塾にとって、一筋の光明だった。
これで、恥をかかずに自力でゴールできるのではないかと思った。
当日
前日に宮本さんは、「櫂を漕ぎ過ぎて体が痛いし、疲れが取れそうにないから行かないかもしれない!」と、洒落にならないことをほざいていた。「絶対に来て下さいよ!」と、しつこいくらいに宮本さんに念を押したが、諦めの良い宮本さんのこと、果たして本当に来るかどうかは当日になってみなければ分からなかった。
そして、当日。半分くらい、”もしかするともしかするかも”と思っていたが、現地で宮本さんを含めた漢塾の5人と会うことができた。やはり、前日のほざきは冗談だったようだ。
ただ、普通の人なら冗談にしか聞こえないことも、宮本さんが言うと本気に思えてしまうから恐ろしい。これも、これまでの宮本さんの数々の武勇伝を知っているから、そう思えてしまうのだろうか。しかし、何はともあれ、5人揃ったことで、漢塾チームが競技を棄権することは避けられた。
抽選会
私達が参加するのは”一般の部”で、参加チーム数は10チーム。船は4隻あるので、予選は4チームづつでの対戦が1組と3チームづつでの対戦が2組で行われる。決勝は、4チームの組から上位2チームと、3チームの組から1位の計4チームが出場して行われる。4チームの組に入った方が決勝には出場し易いに違いないが、なかなかそう思うようにはいかないもの。我が「水」チームは、予選第2組で、漢塾と昨年の優勝チームと対戦することになってしまった。
へっぽこの漢塾は、眼中にないからどうでも良かったが、悲願の決勝進出、そしてあわよくば優勝を狙う「水」チームにとっては、昨年の優勝チームの存在は非常に目障りだった。
イメージトレーニング
「練習に来んかった3人に技術指導して、櫂を漕ぐイメージをさせておけよ!」との私の言葉どおり、アホの末と、宮本さんは他の3人に熱心に指導していた。技術を身につけるうえでは、実際に櫂を漕ぐ方が遥かに効率的なのだが、技術を知っているものから手取り足取り教えてもらうだけでもかなり違う。それに加えて、実際に自分が櫂を漕いでいるようなイメージを頭に思い浮かべ、それを反復させることで、その効果は倍増する。
いくら丁寧に教えてもらっても、いくら繰り返しイメージトレーニングをしても、実践を伴わない以上、決して技術を習得することはできない。だが、それらのものがあるのと無いのでは、実際にやってみた時の上達の度合が遥かに違うのである。
漢塾の5人に残された道は、それらのことをみっちりやって、実戦の中で少しでも上達していくことしかなかった。そうすれば、勝負には勝てなくとも、自力でゴールすることが出来るであろうから。
それが分かっていたからか、教える方も教えられる方も非常に熱が入っていた。
本番前
待つこと1時間。予選第1組が終わり、ようやく我々の出番がきた。舟に乗るのは、メンバー5人と、声を掛ける者、競技開始前と終了後に舟を先導する船頭の7人である。
まずは、舟に乗り込み、舟に取り付けたロープをモーターボートに繋いで引っ張ってもらい、川の真ん中に設置してあるブイのところまで連れて行ってもらう。その距離、岸から300mほど。ブイに到着したら、ブイにモーターボートを固定する。
「さあっ!漕げよ!」の船頭の掛け声で、全力で漕ぎ出す。 モーターボートに舟のロープが結びつけられているので、それで前に進むことはない。何故、そのようなことをするのかというと、何秒か後のスタートの銅鑼の音で、船員が一斉に結びつけられたロープを放すため、既に漕ぎ始めている分、勢いがついているためロケットスタートがきれるからだ。
ドーンッ!と銅鑼の音が鳴った。
私達は、勢い良く飛び出した。と思いきや、そうではなかった。出だしは、漢塾とほぼ同じ、前回優勝チームは、いきなり我々より舟一艘分ほど前に出ていた。
本番
「いっち・に!いっち・に!」の掛け声に合わせて櫓を漕いでいく。私だけが、どうしてもリズムに合わせて漕ぐことができないものの、他の皆はさすがに何度も練習したとあって、慣れた手つきでリズム良く櫓を漕いでいた。
しかし、昨年の優勝チームとはどんどん距離が開いて行く。私達が体全体を使ってダイナミックに漕いでいるのに対し、昨年の優勝チームはリズム良く小さい動きで漕いでいるのにだ。その割に、進むスピードは速いのだ。
昨年の優勝チームは、平均年齢が60歳を超える地元の猟師の方々である。子供の頃から和船を漕いでいるとあって、この方々はいかに少ないエネルギーで効率良く和船を前に進めるかということを熟知しているから、やはり素人の我々とはレベルが違った。
スタートからゴールまでは直線距離で300m。半分も進まないうちに30mぐらい差がついてしまったこともあり、個人的には勝負を諦めてしまっていた。
で、問題は漢塾である。イメージトレーニングの成果があったのか、途中まではなかなかの健闘を見せて、私達と横に並んでいた。だが、その後進路がねじれて私達の方に突っ込んできて、衝突しそうになってからは失速。
私達との距離はどんどん離れていった。 離れていく漢塾を見ながら”せめて自力でゴールせえよ!”と心の中でエールを送る私。私達がゴールする頃には、前年の優勝チームと50mほどの大差がついていたが、漢塾には勝ったので、全員が一様に満足した様子だった。
しかしながら、これでレースが終ったわけではなかった。
どんでん返し
私達がゴールしてから2分後くらいに漢塾がどうにか自力でゴール。それを見届けてから、”さあ戻ろうか”という時にアナウンスが流れた。
「1位は○○チーム、2位は漢塾、水チームはゴールしてないことにより失格・・・。」
「えっ!失格!」チーム内がどよめいた。
漢塾より遥か先にゴールしていたから、当然に2位だと思っていたからだ。アナウンスによれば、理由はこうだ。私達がゴールしたと思った場所はゴールではなかった。ゴールは、もう10mくらい先だったのである。
これは私達のミスではなかった。船頭の「櫂を置け!」の言葉で、ゴールしたものと思い、櫂を置いたのだから、ゴールを見誤った船頭の責任であった。だが、船頭ばかりを責めるわけにもいかない。自分達でゴールの位置をよく確認しないで、船頭の言葉を鵜呑みにしてしまった私達にも責任はあった。
だけど、まあこれは真剣勝負ながらも遊びだから、こういうハプニングもあっても面白いと思った。これが賞金のかかった決勝でのことならば、そうは思わないだろうが。
へっぽこの漢塾は、自力で完走できた喜びと、突然転がり込んできた勝利に、子供のようにはしゃいでいた。
括り
参加費無料のうえ、弁当とお茶までもらえて、3位入賞までのチームには賞金もある。ギャラリーだってたくさんいる。”おしくらごう”は、漢塾にとって美味しいイベントである。しかも、このイベントには参加者全員で一つのことに打ち込み、喜びも無念さも共有することができるという利点がある。
このようなイベントは漢塾にはトラック綱引き競争と漢塾ランぐらいしかなかったから、これはもう漢塾のレギュラーメニューに追加決定である。今後は、私も漢塾に加わる。すぐに上達するのは無理なので、練習と本番を繰り返すことで、年々徐々にレベルアップしていければと思っている。
目指すは5年後の優勝。私は本気でそう考えている。
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