トラック綱引き大会 2008

カテゴリ
 ANOTHER
開催日
2008年10月12日()

面食らう

「○○君!今年はトラック引き競争に出んの?」そう担当者の方から聞いたのが、本番の1週間前のこと。

これまでにトラック引き競争は萩と下関で交互に開催されてきた。よって今年は萩での開催は無いと思っていた私は、その言葉に面食らった。「ええっ!今年も萩でやるの!出ます。出ますけど、メンツが揃うかな・・。」 自信の無い返事だった。

それもそのはず。本番当日まで日にちがないし、この時期は子供の運動会や行事が多くてメンツを集めるのが難しいと思ったからだ。だが、私達は過去に準優勝2回の強豪チームだ。萩のチームで優勝を狙えるのは私達しかいないと自負している。(昨年のように米軍が参加しなければのことだが。)それに商品券も欲しい。

“俺の人脈をフルに活用すればどうにかなる!”そう思い、競技に参加するという意思を固めた。しかし、やはりというか、事はそう簡単にはいかなかった。

メンツ探し

トラック引き競争に必要な人材は、まずヘビー級であること。最低でも80㎏以上でなければならない。そして体重が重いだけでもいけない。体重が重い上に、パワーもなければならない。誰でも良いというわけではないのだ。まず私とアホの末の二人は最初から確定。よって、残り3人の選定となった。

昨年も参加した体重100㎏を超え、パワーもある水津自転車店は本来であれば日曜日は仕事のはずなのだが、幸いにもタイミング良く土日が休日の会社に転職していたので、すんなりと今回の参加が決まった。問題は残りの2人であった。

ラグビーのプロップ経験者である吉田さんは子供の遠足で当日ダメ。同じく昨年の参加者である柔道経験者である貞光さんは仕事でダメ。身長180㎝、体重80kgを超える大型選手の2人の不参加は非常に痛いものだった。

この2人に匹敵する体格とパワーを持つ者を探すのは困難を極めた。おそらく6~7人ぐらいに電話したと思う。もしかしたら大丈夫かも?”と、期待感を抱かせる者もいたが、結局はダメだった。”仕方ないから、ヘビー級ではない奴でもええかな。”と、妥協しかけた時もあったが、参加する以上は優勝を狙いたいから、ヘビー級探しを諦めることをしたくなかった。

悩んだ。結構悩んだ。携帯の登録者の名前を何度も眺めた。私の携帯の登録者には、もうヘビー級は残っていなかった。・・・と、思いきや違った。おったのだ。私も忘れていたとっておきの奴が。

そいつの名前は黄金水。(過去の漢塾通信参照)

身長187cm、体重90㎏はある巨漢だ。早速、黄金水に電話を入れた。1日返事を待った結果、OKだった。これで4人は揃った。残りは、あと1人。だが、私の携帯の中のヘビー級は、本当に黄金水で最後だった。何度も何度も登録者の名前を眺めようとも、1人もヘビー級は残ってなかった。

待人来たる

悩んだ。マジで悩んだ。飯も喉を通らんほどではないが、背中が痒くなるぐらいに悩んだ。もう私の携帯の中にヘビー級はいないから、とにかく顔と名前を知っている奴に手当たり次第に声をかけるしか方法がなかった。

ところが、体が大きくて力が強い奴となると、なかなか思い浮かばない。悩み過ぎて、実家で散髪している時も寝込む始末。悩んで、悩んで、悩み抜く。”これ以上悩むのは面倒臭い”というところまで悩み抜いた。

そしてとうとう諦めて、軽量級のうえちんに電話しようとした時のこと。天は真剣に悩める者を放ってはおかないというが、ビビッときやがったのだ。天は、ギリギリのところでようやく私に思い出させやがった。おったのだ。私の実家の二軒隣に。そいつの名はタニ。

10年前に萩に帰ってきたらしいが、先日の同窓会で会った以外は会ったことがない。小 中と一緒だった、同級生である。思い出すやいなや、すぐにタニの家に行った。タニは、普段、まず来ることのない来訪者に驚いた表情をしたが、気持ち良くOKの返事をしてくれた。

付き合いのない奴がいきなり参加要請したのに、OKしてくれたことは有難かった。最後に身長180cm、体重95kgのタニがOKしてくれたことで、どうにかヘビー級を3人集めるという目的を果たすことは出来た。

嬉しかったし、ホッとしたのだが、悩み過ぎた私は疲れていた。

会場

私とアホの末、そしてタニが現地に到着した時、会場は人でごったがえしていた。萩のような田舎町は、賑わうのは、このような祭りの時だけだ。昨年に続き、今回もゲストの魚が”キャーキャー!”うるさい。魚のことは嫌いではないが、集中力を要する競技の場では、こいつの声はすごく耳障りである。

でも、まあ魚祭りには、あれ以上のゲストはいないと思うし、トラック引きも祭りの一部だから仕方のないことであった。また、幸いな事にすぐにあのうるさい声にも耳が慣れた。

会場では、すぐに水津自転車店と黄金水と合流。誰一人欠けることなく、競技に参加できることとなった。

再会

081012_1159全員が揃ったので、さっそく受付所に受付をしに行った。

気になるのは、米軍の参加である。こいつらが参加したら、優勝は狙えない。完全に準優勝狙いになってしまうから面白くない。

まだ受付が始まってから時間が経ってないから、確実なことは分からないのだが、この時点では米軍のチームの名前は受付簿には載ってなかった。だが、安心は出来ない。

昨年のように、受付が終わり、競技開始直前になってから参加してくる恐れがあるからだ。そんな米軍のことが気にかかる私の前に現れたのは、村岡君率いる下関のチームだった。

村岡君のチームとはこれまで2回対戦している。昨年は、村岡君達のチームは誰かが転倒して失敗したから戦績には関係ない。その前は私達が負けている。よって、戦績は私達の1敗である。

毎回のように、競技会場で再会する村岡君達のチームには親近感を感じているし、私達の力を引き出してくれるライバルだと思っているので、彼らの存在は有難い。実力は彼らの方が上だが、私達にも勝てる可能性はある。

1年ぶりに再会を果たし、俄然やる気になった私にここで村岡君から嬉しい情報がもたらされる。何と!今回は米軍は不参加とのことなのだ。突然の吉報に”マジ!ラッキー!”と、私達は喜んだ。

私達のチームの他にも、何チームかは参加していたみたいだが、そんなのは眼中になかった。これで、下手さえ打たなければ、準優勝以上は確定。優勝争いは、私達と村岡君達とのチームで争われることとなった。

プラン

参加するチームの全部も同じなのだろうけど、私達は練習をしたことがない。よって、いかに効率よく力を綱に伝えられるか、いかに全員の力を合わせられるかといった綱引きのノウハウを知らない。全チームがそれを知らないから、平等といえば平等である。

他のチームには体重とパワーだけでも勝てるが、村岡君達のチームにはそうはいかない。体重もパワーも見たところほぼ互角であるから、彼らに勝つためにはプラスαが必要だ。そこで、私は並ぶ順番を決めると共に、綱の両側に交互に人を配置することを提案した。

前回は、綱の片側に全員が張り付いたから、今度は交互に並んでみようと、単に気分で変えてみることにしたのだ。そして、もう1つ変えたのが、掛け声の間隔。これは、とにかく引いて引いて引きまくれということで、短い間隔で掛け声をかけて気合を入れようと考えてのことだ。

練習も何もしない、即席のプラン。これが良いのか悪いのかは分からない。ただ、何も策を練ってないよりは遥かにマシ。だって、3年前の私達は綱につく順番さえ決めないで本番に臨んだために、私ともう一人の奴がお見合いをしてしまい、時間を何秒かロスしてしまったのだから。

研究

081012_1237私達の順番は3番目である。本当は、もっと後の順番が良かったのだが、一番手でないことだけでも良しとした。3番目だったら、前の2チームのやり方を見て研究が出来るのに対して、一番手だったら、それさえ出来ないのだから。

私は、メンバーの4人に他のチームがやるのをよく見て、自分がやる時のことをイメージしておくよう言った。実際、他の4人は、私の言いつけをよく守って、真剣に他のチームの競技を観戦していた。

だが、いかんせん他のチームも素人の集まりであり、ショボい引き方をしていたため、全く参考にはならなかった。”せめて、私達のチームの前に村岡君達がやってくれれば、すごく参考になったのにな。”とは思ったところで、どうにもならない。私達は、イメージも不十分なままに本番に臨むこととなった。

ざわめき

昨年は、米軍の参加で半ば諦めモードでもあったから、緊張はしなかったのだが、今回は違う。”うまくいけば勝てる!”と、優勝を狙っていたから、バリバリに緊張していた。それは、他の者も同じだった。全員が真剣な面持ちだった。こんなことはこれまでになかった。

私達は、最後にもう一度打合せをしてスタートラインについた。私達のスタートラインへの並び方に、会場はざわめいた。普通、スタートラインに沿って横一列に並ぶところを、自分の綱を持つ順番に縦に交互に並んだのである。この並び方のほうが、迷うことなく自分の持ち場に移動できると考えてのことだった。

最後に私は皆に言った。”勝手に自分でゴールしたと思い込んで、綱を持つ手を緩めるな!ゴールの合図のピストルが鳴るまでは、全力で引ききれ!”と。皆、10万円分の商品券が欲しいからか、いや優勝の名誉が欲しいからか、とにかく、勝ちたいがために私の言葉に素直に耳を傾けていた。

本番

081012_1247_02スタートの合図であるピストルが鳴るのを待つ。ピストルが鳴った。全力で、自分の持ち場まで掛けていく。

誰もお見合いをしたり、自分の持ち場を間違えたりした奴はいない。予定通りだ。

皆が持ち場についたところを見計らって、「引けぇ!」と、大声を出す。全員が目一杯の力を込めて引き出す。トラックはスルスルと動き出す。予定通りだ。

ある程度、スピードに乗ったところで、私の「向きを変えろ!」の声を合図に、全員がトラックの方から前方に向きを変える。予定通りだ。

081012_1247_05後は、そのままゴールまで目一杯、トラックをゴールまで引っ張るのみだ。向きを前方に変えてから、ゴールするまで15mあまり。トラックがスピードに乗るまでの15mよりも、向きを変えてからの15mのほうが体力的にはキツい。後半の部分は、あまりもの苦しさに、綱を握る手も緩みがちになりそうになるのだが、そうさせないために「行けぇ!行けぇ!行けぇ!」と、とにかくあらん限りの声を出す。

苦しみの最中には、時間の経過は分からないもので、果たして自分達のチームは速いのか遅いのかが皆目見当がつかない。不安を払拭するには、引くしかない。ゴールには、10万円分の商品券が、いや優勝チームという名誉がぶら下がっている。

もう少し、もう少し頑張ればあの商品券、いや名誉に手が届くと思い、引き続けた。

かつて、F1のスーパースターだった故アイルトン・セナは、ゴールする時に神を見たという。だが、私達が”パーンッ!”というピストルの音でゴールした時に見たのは、アスファルトの地面だった。誰一人としてミスをおかさず、誰もが私の助言どおりに最後まで力を緩めることなく引ききった。

トラック協会の会長さんからは、「お前ら、揃っとらんよ。下手やのぉ!」と、言われたが、下手クソながらも全力を出し尽くせたので、誰もがその出来には満足していた。

ライバルの出番

081012_1255_00私達の間に何チームかを挟んで、村岡君達のチームの出番となった。今回は、村岡君の兄の一人さんと、漢塾アームレスリング大会の新人戦の右腕部門で優勝した○○さんも一緒である。もともと強いのに、この怪力の2人を加えたらどれぐらい強くなるのか。その強さは、想像すら出来なかった。

ただ、いくら強いとはいえ、彼らには昨年のような失敗はして欲しくなかった。彼らが失敗して私達が優勝したとしても、それは真の優勝ではないし、彼らに勝ったことにはならないからだ。

私達はベストを尽くした。だから、彼らにもベストを尽くしてもらい、それで勝敗を決めたいとマジで思っていた。

ライバルの本番

081012_1256_02私達が見守る中、ピストルの音で村岡君達のチームがスタートした。誰も転倒する者はおらず、昨年のように綱を引っ張る時に足がもつれて転倒する者もいない。全員が一丸となって綱を引っ張っている。なかなか気合が入っており、その気合いも空回りしてない。

村岡君達のチームで特に印象に残ったのは、兄の一人さん。鬼のような形相で綱を引っ張る様は、確実に1人分以上の働きをしてチームに貢献していると感じた。彼らも自分達の力を余すことなく、ベストを尽くせていたように思う。それが証拠に、ゴールした時は、誰もが肩で息をしていた。

ライバルの両チームともベストは尽くした。あとは、結果を待つだけであった。

結果発表

081012_1303_00表彰式の前に、主催者から結果を聞いていたので、私達の順番は分かっていた。残念ながら昨年に続き、準優勝であった。村岡君のチームとは、0.7秒差。距離にすれば70㎝ほどの差。僅差といえば、僅差の負けなのだが、負けには違いない。

これで、3回目の準優勝である。ただ、準優勝とはいっても、5万円分の商品券は貰える。悪い気はしなかった。 それにベストは尽くせたから、敗因は実力差以外の何ものでもないと、納得も出来た。

終わりに

昨年も同じことを言ったと記憶しているのだが、私達はなかなか一番になれない。二番以下というのが、いつもの私達の定位置である。

アホの末と、「優勝出来んのが、俺達らしいといえば俺達らしいな!」と、言い合うくらいだから、こんなのは慣れっこである。

いつかは、何かの間違いで優勝できることがあるかもしれないと思っているから、悔しいのは商品券の額が減ったことぐらいである。今回のトラック引き競争で良かったのは、お互いがベストが尽くせたということ。

前回は、村岡君達のチームが、前々回は私達のチームがミスを犯したために、これまでまともに勝敗がついたことはなかった。それが、今回はお互いのチームがミスなくベストを尽くせたために完全決着をつけることができた。3年越しの決着をつけることができたことは有難かった。

策を練り、皆で力を合わせて勝利のために突き進む。これは、個人競技では味わえない。団体競技ならではの醍醐味である。この醍醐味を今回は味わえたと思う。

それは、我がチームに参加してくれたメンバーのおかげであり、そして私達の闘争心を高めてくれた村岡君達のおかげでもあった。

タニは言った。「ぶち面白かったよ!ああ!参加して良かった!」と。自営業で、普段あまり友人と接触する機会の無いタニが言うのだから本当であろう。 私も同じ気持ちだからタニに言い返してやった。「お前が参加してくれたから、今回は特に良かったで!」と。 そして、心の中でも叫んだ”来年も一緒に出来ればいいなと。”

開催状況
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集合

現地で全員集合してくつろぐ漢塾の面々。ちなみに真ん中の色の黒い男が黄金水、右端の男がタニである。黄金水と会うのは2年ぶりだが、相変わらずのマイペースであった。だが、家庭を持ったからか、幾分大人になっていたように感じた。タニの本名は守田。なのにタニとはどういうことかと詮索しないように。タニというあだ名のルーツを探るには、小学生まで戻らなければならない。

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開会式

アホの末と水津自転車店が緊張の面持ちなのに対して、タニと黄金水の表情が違うのが面白い。しかし、黄金水は他所向いて何考えているのやら。

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フォーメーション

スタートラインに対して、縦に立体的なフォーメーションを組む漢塾。これが功を奏すしたかどうかは分からないが、他と違っていたので、注目は浴びていた。

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引っ張る

あらん限りの力を込めて、トラックを引っ張る。引っ張ることに集中し過ぎて、周りの音も聞こえないし、自分達のスピードも分からなかった。私達は、力を出し尽くした。

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エール

ライバルの村岡君達のチームにエールを送る。私達はライバルでありながらも、お互いを刺激し合い、応援し合う良い関係を築いている。

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村岡兄弟

アーム界では、村田三兄弟に続くかと言われる村岡兄弟。左が兄の一人さんで、右が弟の哲也君だ。両方とも柔道の経験者で、パワーは十分過ぎるほど。怪力の一人さんとは、トラック引きで会うのは初めて。実際に、その怪力をいかんなくなく発揮して、チームに多大な貢献をしていた。

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スタート前

オーソドックスに横一列に並ぶ。並ぶ姿は全員がなかなか様になっているが、やはりというか、真ん中の哲也君は一番目立っているように感じた。スター性があるなこいつ!

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ダッシュ

ダーッシュ!ダーッシュ!ダッシュ!う~ん、並ぶ姿は様になっていたが、走る姿は不細工だ。普段、走ってないのだろうか。まあ、それはともかく、なかなか良いスタートをきっていた。

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バンザイ

勝利のバンザイ。優勝した村岡君達が手にしたのは、10万円の商品券。当然ながら、私達が手にした商品券の倍の厚さがあった。羨ましい!

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漢塾の面々

今回までの4回とも出場したのは、私のみ。流動的なメンツなので、練習してパワーアップするためにも、そろそろメンツを固定したいものだ。ちなみに、私のプランでは、来年の8月ぐらいから集まって毎週1回ほど練習し、中国大会での優勝を狙うことになっている。でも、多分やらんやろうな。

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萩・下関友好

萩と下関は高杉晋作ゆかりの地であるからかもしれないし、私の嫁さんが下関に住んでいたこともあるからかもしれない。下関の村岡君達のチームには、ただならぬ親近感を感じる。私達は、またもし萩で開催されることになれば、必ず再会することになるであろう。

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タニファミリー

私の実家の二軒隣のタニの家の駐車場にて、その家族と。奥さんは、何と14歳も年下らしい。このことを皆に言ったら、皆から「この犯罪者!」と罵声を浴びせられていた。すっかり50代くらいの貫禄がついたタニだが、感心なことに、こいつは家業を継いで、しっかりと家族を守っている。こいつの爪の垢を煎じて、36にもなって遊んでばかりいる二軒隣の散髪屋の息子に飲ませてやりたいぐらいだ。息子達は、親父に似ず可愛い。幸いにも奥さんに似たか。


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