去るものあれば

自宅でホウ君の誕生パーティーを行った時のことである。

ウチには子供が乗ることが出来るほどの大きいショベルカーのおもちゃがあった。これは、私のものではない。息子のものであった。

私も嫁もこの置き場に困るショベルカーの存在を鬱陶しく思っていた。だが、息子のものである以上、勝手に捨てるわけにもいかない。そこで、誕生会に来ていた息子よりも年下の従兄弟であるイッ君にショベルカーをあげるようホウ君に呼びかけるという手を思いついた。

「ホウ君、このショベルカーイをイッ君にあげようやあ!」

「あげない。」

「そうかあ。」

それからイッ君と遊んでいるホウ君に何回か私は同じことを言い続けた。私の言葉を聞くたびにイッ君はショベルカーが貰えるものと思い、その都度喜んでいた。

だが、ホウ君の「あげない。」という言葉を聞くたびに落胆するのだった。ホウ君はイッ君のことが大好きである。さすがに子供ながらにも可哀相だと思ったのだろう。ついにホウ君は、イッ君の帰り際に「あげるよ。」と言ったのである。

それを聞いたイッ君がホウ君の気が変わらないうちにと思ったのか、電光石火のごとくショベルカーを玄関まで持って出たのは可笑しかったが、それよりもホウ君のその時の表情がとても印象的で忘れられない。

少し微笑みながらも自分の感情を押し殺したような表情だったのだ。苦笑いしているようにも見えた。イッ君のことが大好きだから、本当はあげたくないのに「あげるよ。」と言ったのだろう。無理して言ったに違いない。だが、さすがは私の息子である。「本当にあげてもいいの?」と念を入れて聞きなおしても、「いいよ。」としか言わなかったのである。

幼い子供にありがちな前言撤回がないのがすばらしかった。

ホウ君に無理にショベルカーをイッ君にあげさせて悪いことをしたなと反省しながらも、私はホウ君のイッ君を気遣った行為に感動することしきりだった。

本能の赴くままに行動する4歳になったばかりのガキんちょだと思っていたが、これからは、ホウ君に対する認識を改めなければなるまい。

去るものあれば来るものあり。

このクリスマスには、ショベルカーの代わりにスピノサウルスが我が家に来るようになっている。

 


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