住吉神輿2006
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- 開催日
- 2006年08月03日(木)
古代イスラエルの移動式神殿の幕屋がその原型ではないかとも言われる日本の神社。そして、贖いの座と呼ばれ、神が臨む場所である契約の聖櫃アークがその原型ではないかとも言われる日本の神輿。古代イスラエルの二代目の王であるダビデが、奪回したアークを聖都エルサレムに運び入れる際、配下の者と力の限り、歌い踊ったという。
日本の神輿も、そのやり方に様々な形態や違いはあれど、とにかく賑やかなうちに運ばれる。そして、その終りには古代イスラエルの幕屋の至聖所に対応する神社の本殿に納められる。古代イスラエル、ヘブライ文化との共通点が多く指摘される日本の文化だが、その中でも最もその文化の影響が色濃いのが日本の神社らしい。神社は、かなり古い時代から創建されていたようだが、現存している神社の多くは、4世紀頃朝鮮半島を経由して渡来してきた秦氏の創建だという。
この秦氏、朝鮮半島の住民かと思いきやそうでないらしい。どうも、はるか西方からシルクロードを経由して渡来した民族との可能性が高いとのことだ。となると、この秦氏が古代イスラエルの文化を伝えたイスラエル人の末裔ではないかという可能性も浮上するが、現在は似ているところや共通点が多いという状況証拠だけで、物的証拠がないため、可能性が高いというだけで断定することはできないらしい。
しかし、あまりにも共通点が多いため、偶然と考えることの方が難しいのも事実。日本という国の成り立ちを考えるうえではロマンも膨らむ。現在の神輿が行われるようになったのは、一節によると聖武天皇の時代(奈良時代)に大分の宇佐八幡宮から、奈良の東大寺へ神輿を運んだのが起源という。そして、全国的に普及したのは平安時代のことらしい。そのことが本当であれば、実に1250年以上もの歴史を誇ることになる。萩の住吉神社は、江戸時代に創建されたものだから、そんなに古くはないが、それでも300年以上もの歴史を誇っている。
そんな歴史と様々な謂れのある神輿に今年も参加した。私は今年で11回目の参加。住吉神社の神輿の歴史の少なくとも30分の1は担ったことになる。これだけ神輿に関わってしまった以上、神輿の意義を知ろうと知るまいと、私にも、この神聖なる祭祀を絶やすことなく次の世代に伝えていく義務がある。そのために私が出来ることは、ただ毎年これに参加することである。 私にとって神輿は神道の祭祀ではない、漢塾の行事でもない。それを越えたもの、好きとか嫌いとかを越えたものである。神輿は既に、私の生活の一部である。
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