引き際

どんな一流選手でもいつかは必ず引退しなければならない。加齢による衰えというものがあるから、こればかりは仕方がない。

ゴルフを除いて、野球やサッカー、ラグビーのような体を酷使するようなプロスポーツなら頑張っても、普通ならせいぜい30代半ばくらい迄が関の山。勿論、野球の工藤や桑田、清原、サッカーのカズのように、それに当てはまらない例外の選手もいるにはいるが、そのような選手は全体から見れば、ごくごく少数。

殆どの選手の場合、引退は「戦力外通告」という形で、一方的に決められる。一流選手にしたって、自分から引退しない限り、いつかは絶対に「戦力外通告」される。50代、60代までプロの世界に生き残るなんて考えられない。そんなのは、「あぶさん」こと景浦 安武くらいのもの。プロの選手である以上、引退からは逃げられない。

そして、その引き際が選択できる一流選手達だが、野球の新庄やサッカーの中田のように「まだできるのに!」と言われながら、キャリアの頂点で引退する者もいれば、前者のように戦力外通告を受けながらも、できる限り現役を続けたいという理由で現役続行する者もいる。

キャリアの頂点で引退するのは潔くて格好良いと思うし、また、ボロボロになりながらも現役を続けるというのも、泥臭くて格好良いと思う。結局、どちらも格好良いと思うのだが、どちらかというと、後者の方が、個人的には共感を覚える。

歳をとって現役を続けるということは、それだけの自己管理能力と実力、そして情熱がなければできない。また、これらの選手達に共通しているのが、年俸が下がろうと周りから何を言われようと、そんなの関係なく、「好きだから、自分が納得するまでとことんプレイしたい。」という純粋な気持ちである。そのことに対しては、心を揺さぶられるし、すごいなとも思う。

私は、プロの選手ではないから引退というものはない。あっても退職くらいなもの。しかし、それらの選手達が見せてくれる引き際の美学や生き様といったものは、漢を磨くための良い教材になっている。


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