その後
「あのう、間違えてたら申し訳ないんですけど、タカシ君ってお孫さんおられますか?」
いきなりの私の質問に婆ちゃんは面食らったようだった。
少し間を置いてから、「ああっ!あんたタカシの友達かねぇ。」と答えた。
「高校のラグビー部で一緒でした。風の噂でタカシ君は自衛隊に入隊したと聞いたんですけど、今、どこにいるんですか?」
との私の問いに婆ちゃんは堰を切ったようにいろいろと私に話始めた。
自衛隊は2年ほどで辞めて、現在は広島でタクシーの運転手をしていること。
勝手に自衛隊を辞めた件で、親からは勘当されたこと。
その両親も2年前の母親を最後に共に他界したこと。
萩には、法事の時ぐらいしか帰らないこと。
自分が一人暮らしだから、萩に帰って来て欲しいこと。
無事を確認しようと携帯に連絡しても、絶対に繋がらないので、こちらからは連絡の取りようがないことなど。
話さなくていいことまで、私に話したのだ。
こいつのことは、萩には殆ど無い名字であるこの家を仕事で訪ねるまでは、その存在さえ忘れていた。
こいつと仲が良かったわけではない。こいつに対しては今でも、”練習のキツさからラグビー部を途中で退部した根性なし。”の印象しか持ってない。こいつの今については、知らなければ知らないで良かった。
でも、いろいろと婆ちゃんと話したおかげで、私のこいつに対する情報は17年ぶりに更新されたのだった。
いろいろとあって大変だろうし、もしかすると自分が生きることで精一杯のかもしれない。
だけど、いらぬ世話と知りながらも、”最後の肉親である婆ちゃんをもう少し大事にしろよ!”と、本人に言いたくなった。
だって、90歳近い婆ちゃんと一緒に過ごせる時間なんて限られているのだから。
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