再会

“あれっ!この名前は?”

ここは、とある結婚披露宴会場。芳名帳に私の良く知る名前が書いてあったのだ。

“外国人ならよくある名前だし。もう日本にはいないはずだから。”と、その時は気にすることはなかった。

しかし、披露宴会場に入り、周りを見回した時に私の顔色は変わった。何と!既に日本にはいないと思っていたアニーがいたのだ。

一昨年に夫のブワリヤと共に知り合ってからは毎日のように会っていたので、その顔を忘れるはずもなかった。

アニーだと確認した私は、披露宴のイベントの合間の自由に動ける時を見計らって、アニーの席へ行った。アニーも私のことを確認していたらしく、私の席に来ようとしていたところらしかった。

1年4ヶ月ぶりの再会。

アニーは、新婦の友人という立場での列席。思わぬ形での再会に私達は喜び合った。

すぐに、”今どうしているのか?””ブワリヤはどうしたのか?”という話になったが、披露宴の最中に話込むこともできず、話の続きは時間を改めて私の実家でということになった。

アニーが「重い話だけどいい?」と言って話始めたのは、夫であるブワリヤのことだった。

長野での生活にストレスが溜まって体調が悪かったこと。

それに伴い、性格が変わって他人を寄せ付けなくなったこと。

昨年の4月に一人故郷のザンビアに帰ったこと。

ブワリヤのことについては大まかに言えば、このようなことである。

何故、私と連絡がとれないようになったのかも、話を聞いて分かった。

萩を離れてから1年4ヶ月の間、アニーは生活のことでも、ブワリヤのことでも苦しんだみたいだった。

しばらくは精神的にもかなり落ち込んだらしいが、今ではだいぶ持ち直したらしい。

アニーは、次のステップを踏むために6月に萩で個展を開いた後、日本での生活には見切りをつけ、インドネシアにいる妹のところへ行くと言った。

両親はザンビア、祖父母はカナダ、5人いる兄弟はインドネシア、イギリス、アメリカ、カナダと、家族は世界中に散らばっている。5歳の時より親と離れて暮らしてきたアニーには、帰る場所はない。

萩も長野も永住する場所にはならなかった。おそらくインドネシアも永住の場所にはならないだろう。

いつかは、永住する場所が見つかるとは思うが、しばらくはアニーの旅も続くのかもしれない。

別れ間際に、嫁さんが、「アニーは強いよ!」と言った。

それを聞いたアニーは、「神様が見守ってくれてるから。」と、言った。

「じゃあ、今日会えたのは神様のおかげかねえ。」と、私は言った。

ブワリヤに会えなかったことは残念だけど、私は彼らに再会することを強く願っていたから、アニーと再会できたことだけでも奇跡と思えた。

おかげで、彼らのその後を知ることもできた訳だし。

こういうことが続くと偶然とは思えなくなる。

本当に神様のおかげかも。

 


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