繋がる
先週のことになるのだが。
いつものようにパソコンのメールをチェックしていた私は、見慣れないアドレスのメールが来ているのに気付いた。
“もしかしたら、迷惑メールかも。”と思った私は、すぐにそれを削除しようとした。が、内容を見て手が止まった。
そのメールの送り主の名前を見ると、今度は止まった手が震えた。
メールの送り主の名前は白さん。
私の小学生の時の仲良しの友人である。
白さんとは、スポ少の同じチームでサッカーをやっていたし、同じクラスだった時もあった。くだらない事で張り合ったり、行動を共にすることも多かったから、思い出は多い。
それが中学になると、パタリと会わなくなった。いつでも会えるという安心感があったのかもしれないし、お互いにその頃夢中になっていたことがあったからかもしれない。
とにかく会うことはなかった。
だが、そうしている時に人伝に白さんが下関の実家に帰ったということを聞いた。
それが中三の時。
その時は、”お別れが言えなかった!”と、しきりに後悔したものだ。
その後、大学生の時の春休みに白さんがわざわざ私の実家を訪ねて来てくれたこともあったが、その時は私がバイトで外出していたために会うことが出来なかった。
せっかく訪ねて来てくれたのに会えなかったことが悔しくて、白さんの親父さんの元職場に電話して転出先の住所や電話番号を聞きだそうともした。
でも、当然ながらダメだった。
結局、白さんとは連絡がとれないまま現在に至っていた。
私の中では、大学生の時のニアミスが一番の心残りだったから、今でもあの時のニアミスのことを思い出すと、悔しくて、何ともやり切れない気持ちになっていた。そして、そんな気持ちになる度に”なんとかもう一度会えんかや!”と、天に祈ったものだ。
そんな激烈に再会を望んでいた白さんからのメールである。
しかも、漢塾ホームページを通してのメールである。
“何で白さんが、漢塾ホームページから?”と思ったが、そんなのはどうでも良かった。
何はともあれ、白さんが私に連絡をくれたことで、私達は再び繋がったのだから。
昭和の時代以来、接触してなかった私達は、この年末に約24年ぶりに再会する。
再び会えるのは、私が強く思い望んでいたからだと、また白さんもそれを望んでいてくれたからだと、今までの私なら思うであろうが、今回は違う。
神様のおかげだ。
純粋にそう思う。
だって、今でもこのような再会の仕方をしたことを信じられないでいるから。
こんなことってあるんやな!
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