継続宣言

一般家庭にクルマが普及し始めた40年前と今とを比べても違うし、戦前と今とを比べるともっと違う。幕末の頃と比べると、更に違う。

何が違うかというと、歩く距離である。

クルマが普及する前の時代を知る親父に話を聞くと、少し離れたところでも歩くか自転車で行ったという。戦前を知る祖父に話を聞くと、日に10㎞以上歩くことは日常的なことだったという。

これが、幕末のこととなると、凄まじい。

村田清風は、毎日片道13㎞以上もの距離を歩いて明倫館まで通ったというし、吉田松蔭は九州各地や江戸、東北地方まで歩いて行っている。かの坂本龍馬だって、土佐藩を脱藩して四国を抜け、京都~江戸へと歩いて行っている。

伊勢神宮を参拝する、お伊勢参りでも全国各地から人が集まるのだが、これも歩きだ。

この頃は、交通機関が無かったから、何処かへ行こうとすると歩くしかなかったのだ。今では考えられないことである。

長い距離を歩くということは、単に足腰が鍛えられるだけではない。歩くことに集中することによって集中力が養われることは勿論、思考の深まりや、物事に対する粘り強さが得られる。

そしてこれは医学的な見地からなのだが、”歩く”という反復運動を繰り返すことによって、脳内物質のセロトニンなどが活性化され、精神の安定がはかれるそうだ。

禅の修業の中にも”歩く”ということがあるぐらいだから、その効果は確かであろう。

そんな人間の心身にとって重要な長距離を”歩く”という作業を私達は捨ててしまった。

クルマという便利なものがあるからそうなるのも当然なのかもしれないけど。

今さらあの時代に戻ることなんてできやしないし、戻りたくもないけど。

だが、日常生活の中で長く歩くのは無理でも、たまになら出来る。何か目的を持たせれば楽しく行うことが出来る。

それが今、私達が行っている漢塾ランだ。

今回は、大分市の兄貴に会いに行くという目的であるが、それが終ったら目的を変える。次の目的が終ったら更に次の目的に変えるというように、どんどん目的を替えていく。そして、最終的に一つ一つの目的が大きな目的に繋がるようにするつもりである。

どこまで出来るかは分からないが、例え一人になっても、とにかく続けられるところまでやりたいと思う。

だって、先述したことだけではなく、長く歩く(走る)ことで得られることは他にもたくさんあるから。また、分かることもたくさんあるから。


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