約束不履行

今から13~14年前のことだ。

仕事を終えて家に帰ろうと、私はチャリンコで国道を走っていた。

国道に接する細い脇道を横切ろうとした時のことだ。脇道から国道へ出ようと結構なスピードを出して走ってきたクルマにはねられたのである。

時速30~40㎞はスピードが出ていたと思う。そのクルマは私をはねるまでブレーキをかけることはなかった。

私は5~6m吹っ飛ばされて車道に放り出されてしまったが、受身をとったことが幸いして無傷であった。丁度その時に車道をクルマが通ってなかったこともラッキーだった。

もし、クルマが車道を通っていたら、無傷では済まなかったであろう。

被害を被ったのは、チャリンコと擦り切れたズボンだけだった。

何が起こったか分からずに一瞬呆けていた私だが、自分がはねられたという事情を飲み込めると、ムラムラと怒りが込み上げた。

クルマは私をはねた位置に止まったままで、運転手はハンドルを握ったまま固まっていた。

私はすぐにクルマに詰め寄ってクルマの窓ガラスを叩いて、「何ちゅう運転しとるんや!早うクルマから出て謝るなり、救急車呼ぶなりせえや!」と、叫んだ。

それでも運転手はクルマから出てこなかった。

業を煮やした私は、自分でクルマのドアを開けた。

「俺の言うたことが聞こえんのか?」と、言おうとしたが止めた。

運転手はハンドルを持ったままガタガタ震えていたからである。

クルマで他人をはねたのだ。しかも、はねた相手は車道にまで吹っ飛んだ。

同じことをしたら私だって、このおっさんと同じように震えるだろう。

体のどこも痛くなかったので、”これは警察は呼ばずに自転車の修理代とズボン代だけで許してやろう。”と思った。

「おじさん!俺はどうもないから、そんなに震えとらんとクルマから出てきいや。」と言うと、相手はこっちを見た。

「あっ!」と、私は声を出した。

何と私をはねた相手は私が卒業した高校の体育教官だったのだ。

こいつは無骨で気性の荒い体育教官の中でもボス的な存在の体育教官だった。

横柄な物言いをし、生徒を平気で殴るような人物だ。

私は直接、その体育教官に習ったことはなかった。

だが、面識はあった。

こいつは、私の顔を見ることが出来ずに下を向いて震えたままだった。

「先生!僕ですよ。○○ですよ。僕はどうもないから、いい加減に顔を上げてください。」

そう言うと、やっと顔を上げて私の顔を見た。

顔面蒼白になっていた。

こいつは私のことを知っているために、私のことをすぐに思い出した。

「おっおおっ~。○○か。大丈夫やったか。」

声に力が無い。

「僕はどうもないですよ。ラグビーで鍛えられましたからね。それよりも先生、スピード出し過ぎですよ。僕やから良かったんですよ。今のは下手したら人殺してますよ。安全運転しなきゃあね。」

「いやあ、すまん!本当にすまん!」

謝るものの相変わらず声に力がない。

目の前にいる弱々しいおっさんが、高校では威張りくさって、やりたい放題やっていた人物とは思えなかった。

いくら他人をひいたと言っても相手がピンピンしていて、フレンドリーに話かけているのに、こいつはひたすら弱々しく「すまん!」としか言わなかった。

何を話しかけても「すまん!」としか言えないこいつがとても哀れで情けなく思えて、もう弁償してもらおうとかいう気も失せた。

「先生、もうええですから。警察も呼ばないし、僕は何も請求しませんから。」

私がそう言うと。

「すまん、本当にすまん。今度寿司でも奢るから。」

そう言って、そそくさと走り去ってしまった。

“逃げやがったな。”と思った。

あれから何年経ったかは、前述のとおり。

どうでもよいことだが、未だにこの先コーからは、寿司を奢ってもらってない。

 

 


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