死力を尽くす
5月の末の土曜日のことだ。変態小野とちゅうげんと3人で新山口駅から広島市に向けて約140㎞のランに挑んだ。
結果、広島市までは時間の都合で辿り着けなかったのだが、制限時間の15時間で岩国市までの110㎞を走破することが出来た。
これは、平戸市まで行った時に走破した90㎞を20㎞も超える距離であり、余裕で漢塾記録の更新となった。
変態小野はよく頑張った。
「これまでのランで一番キツかったです。」と言うだけあって、15時間走り切った時には、今までにないくらい疲弊していた。
結果だけ見れば、こいつは褒められるだけのことはしたと言える。
しかしだ。目的地は広島市である。
広島市までは、あと30数㎞足りない。
いくら記録を更新したとはいえ、目的は達成してないのだ。
ランを終えた時、私には変態小野が、今までにないくらい疲弊していたといっても、まだまだ余力を残しているように見えた。
実際に、本人に聞いたところ、 “走ることに飽きる”という精神面が疲弊しただけで、肉体面、体力面は大して疲弊してなかったようである。
ということはだ。
本人は本気のつもりで走ったのかもしれないが、そのようなことから判断するに、私には、”追い込みようが足りない!”と思えてしまうのだ。
事前に私は変態小野に「死力を尽くせ!」と言った。
変態小野は「はい!死力を尽くして走ります!」と言った。
確かに言った。
死力を尽くすとは、文字通り死ぬほどまでに自分を追い込むということだ。
死ぬほどまでに自分を追い込んだら、死んでしまう。
死力を尽くしきる=死ぬことなのである。
たかが遊びで、そこまでやる必要はないかもしれない。だが、「死力を尽くします!」と言った以上は、そこまで追い込む覚悟がなければならない。
こいつは、今までにないくらい頑張ったかもしれないが、死力は尽くしてない。
おかげで今でも生きている。
それなら百歩譲って、死力に近いところまで尽くしたのかどうか?
いや、それさえやってない。
死力に近いところまで尽くしたら、集中治療室行きである。
翌々日、こいつは元気な姿で職場に現れた。脚を引き摺ってさえなかった。走る前と変わったとこといえば、陽に焼けて鼻の皮が剥けたぐらいだった。
死力を尽くすと言ったくせに、尽くすどころか、それに近いところまでさえも尽くすことが出来なかったのである。
言ったことが出来ないのは嘘つきである。
そんな嘘つきを褒めることは出来ない。
そして、そんな嘘つきの変態小野が、「限界に挑戦するのは、もうこれで最後です!引退します!」と言った。
「フザけるな!」である。
「最後です!」とか、「引退します!」という言葉は、何かをやりきった者が言う言葉である。
こいつはまだ何もやりきってないどころか、何も褒められることをしてない。
そんなこいつに、そのような言葉を言う資格は無いのだ。
変態小野よ!もう一度チャンスを与えてやる。
今度こそ死力を尽くせ!
もし、死力が尽くせない、目的が達成出来ないその時は腹を切れ!
棺桶は、用意しておいてやる。
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