言いたいこと

悪友のハマピーが、子供二人を連れて帰省した。

何号か前に漢塾通信で書いた阪神大震災の奇跡的な生き残りはこいつである。

ハマピーとは小学生の頃からの友人だ。高校は3年間を通してクラスが一緒であった。

高校では入部している部活は違ったが、不思議と気があったため、よくつるんでいた。特に高校3年の時は、お互いに推薦で進学する大学が決まっていたためによくつるんでいたと記憶している。

小学校の時に一緒にスポ少でサッカーをやっていたこと、高校の時によくつるんでいたこと、大学の時にちょくちょくこいつのアパートに寄って神戸観光をしていたことなど、こいつとの思い出は腐るほどあり、そのどれもが私にとって大切なものとなっている。

久々に会って思い出したのが、こいつが結婚する前に、”都会で今の生活を続けていくべきなのか?”と悩んでいたことだ。

当然、私は萩に帰ることを勧めた。

若い者の働く職場の少ない萩ではあるが、「都会より給料は少なくなっても、実家で生活するから金は貯まるし、通勤時間も短くなってええぞ!」とか、「友人や知り合いも多いし、何よりも自然が豊かやからええぞ!」と、あの手この手でこいつを口説いたものである。

仲の良いこいつが帰ってくれば、”また一緒につるめて楽しくなるぞ!”との思いからの行為であるが、こいつも私の口説き文句で大分気持ちが”帰る”方に傾いていたように見えた。

しかし、それも一度別れた彼女と劇的な再会を果たしたことで完全に消えた。

向こうで結婚して新居を構えることになったからである。

その時の私の気持ちは、祝福する気持ちと残念がる気持ちの半分半分であった。

ただ、祝福する気持ちも、残念がる気持ちも結婚式のスピーチで素直に伝えたために、残念がる気持ちはすぐに消えた。

これも今となっては良き思い出だ。

現在、ハマピーは向こうにしっかりと根を下ろしている。

もう、こっちで暮らした日々よりも、向こうで暮らした日々の方が長くなっている。

私は、「帰って来い!」なんて、二度と言わないし、そうなって欲しくもない。

言いたいのは、今回のように4年ぶりなんてオリンピックのようにならずに、”もっと帰省しろ!”ということ。

いろいろと忙しいのも分かるんやけど。

帰れる時は、極力帰って来てもらいたい。

俺はいつでも待っとるぞ!

 

 

 

 

 

 

 


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