また逢う日まで

伊東さんと再会したのは今年の1月だった。

いきなり私のアパートを訪ねてきたのだ。

こいつのことなど、記憶の彼方に葬り去っていたので、最初は誰だか分らなかった。

思い出すまでには時間を要した。

記憶が繋がったのは、「エスパー伊東に似た○○です。」というこいつの言葉だった。

エスパー伊東という言葉で、記憶の彼方からこいつの存在が蘇ったのだ。

実は、“伊東さん”という呼び名は、本名ではない。

ここでは明かさないが、こいつには別の・・というか本名がある。

本名ではなく、呼び名の方を覚えているとは皮肉なものだ。

こいつとは何年ぶりに再会したかとか、どういう思い出があるかとか、そんなことはどうでも良いことだし、面倒臭いので、ここでは書かない。

こいつのことは元漢塾塾生だったということで事足りる。

私の元へ来た理由は、久々に漢塾のホームページを見て再び漢を鍛えたいという理由からだった。

漢塾は来るも自由ならば去るも自由、去って再び来るのも自由だ。

漢塾の扉は常に開かれている。

とりあえずは、肉体と精神を鍛えるということで私とパートナーであるムラポンに交じってアームレスリングを始めた。

久々にこいつの手を握って驚いたのは、以前よりも力がついているということだった。

実家がそこそこ大きい農家をやっていて、その手伝いを毎日やって自然に鍛えられたらしい。

外部と殆ど接触せず、家にひきこもる生活ながらも、無駄に時間を過ごしてはいなかったということだ。

天は人を見捨てない。

助けを求める者には何かを与える。

それから週に2~3回、1回が1時間~1時間半程度の練習をこなした。

理屈っぽいのは相変わらずだったが、愚痴を言うことはなかった

半年間、片道20㎞の道程をこいつは文句も言わずに通い、私達と汗を流した。

力もついてきていたので、今度の漢塾アームレスリング大会は、“もしかすると1勝できるかもしれない”とまで思っていた。

そんな順調にいっていた矢先のことだ。

こいつから電話がかかってきて、「家のことが忙しくなったので、もうそちらへは行けません。」というのだ。

“またか!”と思いながらも、「まあ、元気で頑張れよ!」と、言って電話を切った。

やはり、こいつの病気は治っていなかったようだ。

私達の中では、日に日にこいつは存在感を増してきていただけにこいつの離脱は残念であった。

今度、こいつと再会できるのは、10年後か20年後か、もしくはあの世でか。

出来ることなら生きているうちに再会したいものだ。


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