四国八十八ヶ所 自転車遍路(第三弾)
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2005年04月29日(金) ~ 2005年05月04日(水)
六日目(2005/ 5/ 4)
朝日
何故か目が早く覚めた。時刻は午前5時半。最後の日だから時間的に余裕もあり、もっと寝ていることもできたのだが、目が冴えて再び布団に入ろうとは思わなかった。この日も快晴であった。遍路の第一弾、第二弾もだったが、遍路の最終日は、いつも天気に恵まれる。考えてみれば今回も間で大雨に見舞われたものの、こうやって最終日はこれまでにない良い天気なのだ。これは、これまで苛酷な日程をこなしてきたことへの神様からのご褒美なのか、それともただの偶然なのか?しかし、どう考えても、それは確かめようがないので、遍路の最終回である第四弾の最終日が、これまでと同じく快晴となったら後者の方だと思うことにした。
アホの末は、この時、まだいびきをかいて寝ていた。そして、アホの末のアホな寝顔を見ながらふと思った。いつも私の方が早く起きるということも、第一弾から変わらないということを。間違いなく、これも第四弾の最終日まで続くのだろう。同じことを繰り返しながら、私達はゴールへ向かって行く。おそらく、最終回の最終日もこの良き日と同じく、良き日になるに違いない。窓から薄っすら差し込む朝日を浴びながら、早くも最後の日のことに思いを巡らせた。
朝日浴
朝日の光の心地良さから、宿舎から外に出た。私が外に出た時は、丁度太陽が山の向こうから昇ってきている最中だった。朝日とはいえ、その光は結構強い。昼間の太陽ほどではないが、ずっと見つめていると目がチカチカしてくる。しかし、朝日を見ていると、体の中から力が湧きあがり、しかもポジティブな思いもどんどん湧き上がってくるような気がしたので、しばらく境内のベンチに腰掛けて、朝日を見つめていた。午前6時を過ぎると、早くも参拝者達がゾロゾロと来て、鬱陶しくなったので、通夜堂に戻った。
出発
私が通夜堂に戻ると、アホの末は既に起きていた。最後の日で、しかも楽な行程であるからして、その表情は明るかった。私も、この日は松山市内を散策するぐらいの気持ちでいたので、気分は今まででも一番明るかった。松山市内にはこの久坂寺と、前日に納経した浄瑠璃寺を含めて8寺あるのだが、この日は残りの6寺を納経するつもりであった。最後の寺まで行っても、トータルで25㎞ほどである。しかも、ずっと街中を通り、これまで通ってきたような山道をマウンテンバイクを押したり担いだりするような遍路道もないため、上手く行けば、午前中で今回のお遍路が打ち止めになることも考えられた。
しかし、楽な行程とはいえ、気は引き締めなければならない。何事も最後が肝心である。事故のないよう、今回のお遍路の締めくくりに相応しいような思い出深い一日になるようにと、思いを新たにした。
出仕度及び、お世話になった通夜堂の掃除をして、納経所にお礼を言ってから午前7時40分過ぎに久坂寺を後にした。
道中
次の寺である西林寺までは、約4.5㎞の距離。これまで幾多の難関を突破してきた私達にとっては、これぐらいの距離は屁の河童である。しかも、街中の舗装された平坦な道である。時間に追われず、気持ちが楽なことに、周りの景色ののどかさも手伝ってペダルを踏む足の力は緩みっぱなしだった。時には、並列して話をしながら走ったり、気にとめる景色があったら写真に撮ったりと、各々がやりたいようやっていた。これも、最終日で、時間に余裕があるからできること、こんなことを初日からやっていたのでは、とてもではないが、予定の半分も進むことはできなかったであろう。おかげで、わずか4.5㎞しかない西林寺に辿り着くまで、20分もの時間を要してしまった。
第48番 西林寺
西林寺は、街中にあるどこにでもある普通の寺といった感じの寺。これといった見どころはないが、境内はさすが88ヶ所の寺というだけあって、よく掃き清められていた。何でも、この寺には、親子竹という竹があって、この竹に祈ると家庭円満のご利益があるらしいということを聞いていたので、私の家庭は円満だけれども、これからも円満であるように祈っておこうかと思ったのだが、納経を終えると、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
寺を後にしてから、そのことに気付いたが、わざわざ寺に戻って祈るのも面倒くさいので、戻ることはしなかった。やはり、必要に迫られないとそういうものにすがろうとは思わないのかもしれない。
白バイ
次の浄土寺までは約3㎞ほどの距離。これも目をつむっていても行けそうな距離である。やはり、気合いが入らないためか、走るペースが上がることはなかった。途中、アホの末が喉の渇きを訴えたため、道路脇の自動販売機でお茶を買って休んでいる最中に事は起きた。交差点を信号無視した原チャリを白バイがすごいスピードで追って捕まえたのである。原チャリが信号無視をしてから、白バイに捕まるまでが早かったので、驚いた。おそらく、信号無視をする奴がいないか、交差点付近を巡回して網を張っていたのだろう。原チャリの奴は、その網に見事かかったということだ。
普通なら捕まらなかったかもしれないが、今回は原チャリの奴も運が悪かったというしかない。信号無視は、確か2点減点で、罰金が9,000円ぐらいだったと記憶している。(今は違うかもしれないが。)減点も罰金も結構大きいので、捕まると痛いのだ。「あいつアホやのう!」と、同じアホのアホの末が言っていたが、他人事ではない。自分だって同じことをして捕まる可能性があるから、他人のことは言えないのである。警察に捕まるのも、事故するのも嫌なので、交通違反はしないに限るのだ。
第49番 浄土寺
浄土寺は、私達が道草を食っていた場所から500mぐらい行ったところにあった。住宅街の中にひっそりと佇む浄土寺。八十八ヶ所の寺の中では、前の西林寺と同じく印象に残らない寺である。おそらく、時間が経ってしまうと、名前だけ聞いても思い出せない寺であることは間違いない。
納経を済ませ、納経所で記帳した後、アホの末が早くも「腹減ったのう~」と言ったので、つい「せいかのぅ~」と、萩でジジイやババアが使う方言を口走った。これは、「そうか。」という意味で、最近私の口癖になっている言葉である。相手の問いかけに答えるのが面倒くさい時によく使っている。
それを聞くと、アホの末が、「心がこもってないのう~」と言う。それを聞いて、私は、「せぇなことないいやぁ~、俺はグレイト、俺は素晴らしい、だから俺は偉大と言われる。」と、切り返す。それを聞いてアホの末が、「誰がそんなこと言うんかいやぁ~。」と言う。私は、更に「いろいろな人!」と、切り返す。アホの末は、「お前のことを知的障害者としか言う奴はおらんぞ!」という。それを聞いて、「いや!いや!俺はグレイト、俺は偉大、俺は・・・。」と、同じことを繰り返す。
時間とカロリーを消費するだけの意味のない虚しい会話。こんな虚しいことをかれこれここ何ヶ月かは、何かをきっかけにして、度々始めてしまうのだ。トータルすれば、この会話に半日分ぐらいの時間を使っているのではないかと思う。こんなことするのも、お互いの精神レベルの低さが原因である。
時刻を見ると、記帳を終えてから5分以上も経っていたので、スパッ!と、話を切り上げて何事もなかったかのように寺を後にした。話が、いきなり始まって、いきなり切り上げるというところは、お互い実に心得ているというか慣れているといったところだ。しかし、こんな意味のない虚しいことはしないにこしたことはないのだが。
路地裏
次の寺までは、1.6㎞余り。マジで鼻クソみたいな距離である。次の寺である繁多寺までは、ひたすら路地裏を進む。これでもれっきとした遍路道なのだが、遍路道を通っているという実感が湧かない。遍路道とは、昔の道である。それが現在でも昔のまま残っているところもあるし、形を変えてそうでないところもある。山の中もあれば、海沿いもあるし、街中もあれば、路地裏もある。行く先々で、様々な顔を見せてくれる。そのどれもが、趣きあるもの。春のポカポカ陽気の中、のらりくらりと、生活感溢れた道を行くのも気持ちの良いものだった。
第50番 繁多寺
繁多寺は、街中ながらも、小高い山の中腹に位置しており、松山市内を少しではあるが見渡せる。山の中腹だけあって、緑も多いし、池もあって四季折々の眺望が楽しめそうなところではある。先ほどまでの寺と違い、境内の中に緑が多いと、気分も何となく落ち着くもので、やはり自分的には境内に緑が多くないとダメだと改めて思うのだった。本堂の前の階段横にはツツジの花が咲き、これまた、私達の目を楽しませてくれた。ここでの納経を終えると、とうとう私達は50番まで終えたことになった。とりあえず、半分は過ぎた。ここまで来るのがやけに長かったなあと、アホの末としみじみ語りながらも、まだ残り3寺があるので長々と語ることはしなかった。
そよぐ風に・・・
次の石手寺までは2.5㎞と、またまた鼻クソのような距離。青い空とそよぐ風の気持ちの良さにどうしても走るスピードはゆっくりになる。とても気持ちの良い天気なのだが、そよそよとそよぐ風のおかげか、今まで気にならなかったことが気になった。アホの末の後ろを走っていると、とても臭いのだ。これまでは、こんなにゆっくり走ることはなかったし、苛酷な遍路道を走っている時は、そんなことを気にする余裕がなかったからかもしれないが、ここにきて精神的余裕ができたことと、ソフトにそよぐそよ風のせいで、アホの末の汗臭さが異常に鼻につくのである。
アホの末は不潔な奴であるから臭うというのもあるのだが、おそらくそれは私も同じだった。大量に汗をかいたのが乾いたから、臭うのだ。この男臭い臭いを好みそうな奴は、探せば幾らでもいるとは思うが、私にはそういう趣味はないので、できるだけこの悪臭を避けようと思い、最低10mぐらいはアホの末から離れて走っていた。
第51番 石手寺
石手寺には先ほどの寺から10分ほどで到着。寺の周りを見て驚いた。人がやたら多いのだ。お遍路さんもだが、それ以外の格好をした人がやけに目についた。境内の参道には商店街のアーケードのように建物の屋根で覆われた区間が50mくらいあり、その区間の参道の両側には土産物屋が軒を並べているのである。まるで、浅草か縁日を思わせる光景である。
勿論、お店は、このアーケードの中だけではない。アーケードの外にも食堂やら仏具店など、たくさんの店があって、我々の目を楽しませてくれた。また、境内の奥には、本堂や大師堂以外にも、護摩堂や国宝の三重の塔もあるらしく、見どころがたくさんあるから、お遍路さん以外の観光客も多いのかと、妙に納得するのだった。
アーケードの中の店は、数珠や煎餅、飴といったものを扱った店ばかりで、そういうものに興味の無い私達は、さっさとアーケード内をスルーして仁王門の前まで行った。街中の寺には珍しく立派な仁王門であるのだが、今さらながら、何故殆どの寺には仁王門があるのだろう?何故、仁王門の前にはいつも巨大なわらじが一対置いてあるのだろうか?と、疑問に思うのだった。この謎が分かる人は、是非とも教えて欲しいものだ。
仁王門をくぐると、そこは更に観光客で溢れていた。お遍路さんもいるのはいるのだが、観光客の方が遥かに多かった。こうなると、八十八ヶ所の寺というよりも、単なる観光スポットとさえ思えてくる。
第一回のお遍路の時から思っていたことだが、これまで納経した八十八ヶ所の寺は、全部が全部素晴らしい寺ではないとはいえ、そのうちの4分の1くらいはその佇まいの素晴らしさや建物の立派さに感動したように思う。
しかし、どんなに立派な寺でも、商業主義に走っているような寺ではその感動も薄れてしまった。寺の維持管理には莫大なお金がかかることは分かっている。が、それが分かっているとはいえ、やり過ぎは感心しないのである。それなら、そういう寺には行かなければいいと言われるかもしれないが、とりあえずは八十八ヶ所の寺を全部まわらなければならないので、仕方がないことなのだ。ただし、いつかは臨むであろう、歩きのお遍路では、遍路道は全部通っても、無理に八十八ヶ所全部の寺で納経をする必要はないと思っている。その時の感情で、行きたくない寺があったら、その寺には行かないつもりだ。何故なら、寺で納経することも大事だが、それよりも大事なのは、己を見つめながら歩くこと、様々なことに感謝しながら歩くことが大事なのではないかと、自分なりに考えるようになったからだ。だが、八十八ヶ所の寺として疑問に思うことはあっても、観光地として割切れば、この寺は楽しめる。納経と記帳をさっさと済ませると、境内の中を観光してまわった。
前が見えないくらい煙がでて煙たい、護摩堂の前の線香をくべる大きな線香鉢も、国宝の三重の塔も興味深いものだったが、それよりもっと興味深かったのは、本堂の後ろにある小さなお堂の中にあるネイティブアメリカンが作ったような奇妙な木像であった。日本の寺に何でこんなものが?と思い、その由来を書いたものが側にないか探し回ったが、それらしきものを見付けることはできなかった。仁王門と同じく抱く疑問。この謎が分かる人は、教えて欲しいものである。 境内にはこの他にも、金を払ってから入場する洞窟(ほら穴?)など、遊園地にも負けないほどのアトラクションがあり、私達は十分に観光を楽しんだ。
この寺は、八十八ヶ所の寺を外れたとしても、十分にやっていけるのでは?と、そんな考えさえ持った。最初は、この寺のやり方に疑問を持った私だったが、観光を終えると、楽しい気分になっていた。やはり、最終日にこの寺に来たことが良かったのだ。これが、他の日であったならば、観光気分で気が緩んで、その後の行程を狂わせていたことだろう。
道後温泉
次の寺までは約11㎞。鼻クソとまではいかないまでも、大したことのない距離である。街中を通るのも、路地裏を通るのも自動車や人に気をつけなければならないから、気をつかうのだが、慣れてくればこういう賑やかなのも結構楽しいものだった。
少し走ると、目の前に見慣れた感じのする昔ながらの古い建物が見えてきた。私はこれを見たことがある。テレビのCMでもよく目にするこの建物のことを思い出すのにそう時間はかからなかった。そう、これは道後温泉の看板にもなっている公衆浴場であった。私がここに来たのは、9年前の職場旅行でのこと。当たり前ながら、あの時と佇まいが全く変わってないことに感動した。9年ぶりに温泉に入っていこうかとも思ったが、時間的には余裕があるものの、また汗をかくようになるのが嫌なので、入るのはやめた。しかし、このまま通り過ぎるのは忍びないので、写真撮影だけしておいた。
ポンジュース
道後温泉を後にし、更に進むと、右手に「ポンジュース」と書かれた看板を掲げた工場が見えた。「これがあの有名な愛媛のポンジュース工場か!」と、感動しつつ、アホの末に「おい!ポンジュースの工場があるぞ!この工場を前に誰かに写真を撮ってもらおうや!」と言ったが、アホの末は全く興味がないようだった。おまけに人通りも全くない通りだったので、記念撮影はあきらめて、工場の写真だけ撮って走り去った。
アホの末の興味無さげな態度に、「無感動な奴やのお~!」とガックリきた私だったが、時間が経ったら、「ポンジュースの工場があったからといってそれが何なの?」と気が変わってしまった。ポンジュースの工場を見たぐらいではしゃいだ私はどうかしていた。
迷う
ポンジュース工場を過ぎてから、自分達がどこを進んでいるかが分からなくなり、信号で立ち止まってから遍路地図を広げた。複雑でもなんでもない単純な道なのに、どうして迷うのだろう?と疑問に思ったが、こうやって実際に迷っている。地図上には載ってない道を進んでいたので、地図を見ても自分達の現在位置が分からない。やむを得ず、通りかかりのおじさんに聞くことにした。
おじさんによると、私達の現在位置は、52番太山寺に行くよりは、53番円明寺に行く方がかなり近いとのことであった。先に53番円明寺へ行くと、順番が狂ってしまうのだが、わざわざ戻って52番太山寺へ行くのは面倒くさいので、ここから近い53番円明寺へ行くことにした。こうすると、帰りに52番太山寺に行けるから楽でもあるのだ。これまでの遍路を通して初めての妥協だった。
第53番 円明寺
おじさんに聞いた場所から10分ほど走ると、円明寺に着いた。円明寺は境内の中に中国風の門がある小さい寺だ。中国風の門がある以外は、これといって特徴のない寺なのだが、境内の中の建物や緑の配置がセンスが良くて雰囲気の良い寺だった。
正午に近いせいか、やけに太陽がまぶしい。静かな境内ではやけに時間がゆっくり流れる気にさえなる。納経所の横には、次の寺への歩きに備えて休憩しているお遍路さんも何人かいた。次の第54番延命寺までは、約37㎞の距離。歩けば丸一日、マウンテンバイクで半日かかる距離である。だが、私達は戻ってもう一つ寺に行かなければならないため、予定通りここで打ち止めということにした。これより先に行くことは今回はないのだ。次は4ヶ月後である。これで、とりあえずは遍路を終えて家に帰れるのは嬉しいのだが、これ以上先に進めないことに寂しさも覚えたので、休憩を終え、出発するお遍路さん達に、つい、自分達の4ヶ月後の姿を重ねてしまった。次回の遍路はここから始まる。4ヶ月後、間違いなく私達はこの地に立っていることだろう。
休憩
喉が渇いていたので、境内を出たところにある自販機でジュースを買って休憩した。地べたに座りこんで話す話題は、2週間ちょっと前にやった第4回漢塾アームレスリング大会の話ばかりであった。それだけ、中身の濃い大会ではあったのだが、お互いに自分の力の無さを痛感したため、どうやったらもっとパワーアップができるのか、スキルアップできるのかを熱く語り合っていた。そして、当然といえば当然だが、筋トレしまくって猛練習するしかないという結論に達した。
時間に余裕があるとはいえ、結構話こんでしまったため、休憩を終え出発する頃は正午を過ぎ、私達の腹の虫も鳴っていた。
いざ、最後の寺へ
太山寺は、私達がフェリーに乗る三津浜港へ行く途中にある。今回は、松山でお遍路の打ち止めということで、帰りの電車での移動がなく、マウンテンバイクで直に三津浜港まで行けてしまうのである。これまでは、帰りは松山駅までは電車で移動だったので、電車代もかかったし、何時間も乗っていなければならなかった。また、電車に乗る時は、マウンテンバイクを解体して輪行バックに詰めなければならなかったし、降りる時は、輪行バックから出して組み立てなければならなかったので、非常に面倒臭かった。ところが、今回はこの全ての煩わしさから開放されるのである。そういうこともあって私達の気持ちは、この日の雲一つ無い、澄み切った空のように晴れ晴れとしていた。
夢の中
円明寺から太山寺へは、まっすぐ行くだけである。直線の道をまっすぐ行った突当たりに太山寺はある。距離にすれば2㎞ほど。平坦な道のため、どんなにゆっくり走っても10分もかからずに到着してしまう。時間に余裕があることと、これが最後のランということで、速く走るつもりはさらさらなかった。
車とすれ違うことも殆どなく、自分の呼吸する音ぐらいしか聞こえないぐらいの静寂の中をただひたすらに進む。まっすぐに、まっすぐに前だけを見て進む。500m手前ぐらいから、太山寺の山門が見えてくる。山門はどんどん近づいてくる。山門が見えてから2分ほどで、ついにこの日の打ち止めである太山寺に到着した。
この間、春の陽気と凛とした静けさに身を任せていたため、私は何も考えてなかった。到着した時は、「えっ!もう到着したの?俺は今まで何してたの?」という感じだった。あまりにも気持ちの良い情景から、その情景に酔ってしまったために我を忘れたのかもしれないが、でも、それはまるで夢から覚めた感じだった。
第52番 太山寺
太山寺の境内は広い。山門をくぐってから、本堂まではかなり歩かなければならない。しかも、本堂までは坂道を上っていかなければならないのだ。どうやら小高い丘全体が太山寺の境内のようなのである。いつもなら、長い距離を歩かなければならないとなると面倒臭ぇ~と思うところなのだが、この時は違った。丁度良い散歩になるぐらいにしか思わなかったのである。
なかなか手入れの行き届いた緑の多い参道を10分ほど歩くと、目の前にまたもや段数の多い階段が現れた。どうも、八十八ヶ所の寺は階段を上らせたがるが、先ほどと同じく、これも苦にならなかった。
階段を上りきって、2回目の山門をくぐると、ようやく本堂が見えた。本堂は中国風の建物で、その風格のある建物は、バックの青空によく映えた。本堂と大師堂のある境内の敷地は、かなり広い割には建物が少なく、ガランとしていたが、雰囲気は良かった。
この本堂のある広い境内には、私達以外に4人しか人がおらず、先ほどの円明寺と同様に賑わいがなかったが、私達には、かえってその方が良かった。周りが騒がしいと、足早に寺を立ち去ろうとするため、どうしても寺を堪能することができないからである。おかげで、納経してからも、そう大した時間ではないが、寺を堪能することができた。
この寺で、私達の第三回目のお遍路は終わった。今回もいろいろとあったが、最終日がこんな素晴らしい天気に恵まれて、しかも、そのおかげからか、穏やかな気持ちでお遍路を打ち止めできたことを幸せに思った。最初にも述べたように、アホの末と二人でここまで頑張ってきたことに対する神様からのご褒美なのか?という気持ちは、この時は、ご褒美に違いない!という確信に変わっていた。
穏やかな心でいると、目に見えない存在や、さまざまなことにただひたすら感謝できるようになる。そのため、普段は傲慢な私達が、この時だけは少しは謙虚になれたみたいで、アホの末と、「無事終われて良かったな!」とか、「いろいろと有難かったな!」などと、感謝の気持ちを述べ合っていた。そこには、いつもの虚しい会話や馬鹿な会話の入る隙は全くなかった。感謝の気持ちを述べ終わると、お互いに何も言うことなく、静かに寺を立ち去った。
三津浜港
太山寺から三津浜港までは、4㎞もないぐらいの距離。10分ほどで到着した。時刻は午後13時23分。寺で納経するのを優先したため、私達は昼飯を食っていなかった。フェリーは、午後13時45分には出港するという。そこで、先に切符を買い、近くの土産物屋の食堂で、急いでうどんを食って、ついでに土産も買ってからフェリーに乗り込んだ。私達が、フェリーに乗り込んだのは、出港の3分前。このフェリーに乗れなかったら、もう一時間以上待たなければならなかった。待つことなく乗れた私達は、実に運が良かった。
船上
ゴールデンウィークも終盤とあって、船内は、帰省客で満員であった。仕方なく、船外の椅子に座って景色を見ながら話をしていたのだが、船外は風が強くて上着を着ていても寒かった。だからといって、船内には私達が入るスペースはなかったので、屋上に上がった。屋上へ行けば、太陽が照っているから暖かいだろうという私の予想は見事に当たったのだが、直射日光が照りつけ過ぎて、甲板の鉄が熱くなっており、今度は逆に暑いくらいだった。でも、寒いよりはましと思い、リュックを枕にして大の字になって寝転がった。
寝転がって見るのは、四国の地。四国の地は、どんどん、どんどん遠くなる。20分ぐらい眺めていたら完全に見えなくなったので、ようやくお遍路を終えて家に帰るのだという実感が込み上げてきた。もう、この時は四国の地に未練はなく、一刻も早く家に帰りたいという気持ちだけだった。
柳井港
柳井港には、午後16時6分に到着。前回よりも2時間30分も早い到着だったため、周りはまだ明るかった。明るいうちに到着するのは初めてのこと。だが、いくら時間があるからといってゆっくりしている気はなかった。とにかく早く帰りたかったので、フェリーを出ると、すぐにアホの末の車が停めてある市内某所に向かった。
某駐車場
いつもの柳井の街並みを走り抜け、それから2㎞ほど走ると、アホの末の車の置いてある某駐車場に到着し、マウンテンバイクや荷物を積み込むと、すぐに萩に向けて出発した。車内では、一週間もハードロック、ヘヴィメタルから遠ざかっていたので、ハロウィーンやオジー・オズボーン、スキッド・ロウといったバンドの曲を大音量でかけていた。やはり、ハードロック、ヘヴィメタルフリークの私達からすると、一週間もこの音を聴かないと、すごくこの音が欲しくなるみたいで、二人でしきりに「このギターリフええのう!このギターソロが素晴らしい!」と言って惚れ惚れしながら聴いていた。
車内では、音楽鑑賞が主だったが、間に遍路で起こったいろいろなことや、これからのことを話していたため、2時間半のドライブはあっという間に終わってしまった。
到着
萩には午後19時過ぎに到着。とりあえず、これで私達の今回の旅は終わった。家に足を踏み入れた瞬間から元の生活に戻るのだ。この時は、また、遍路の生活に戻りたいなんて思わなかったが、元の生活に戻ることに少し抵抗もあった。現実に引き戻されることに寂しさを感じていたからである。でも、とにかく無事帰れたことが嬉しかった。
今回で、53番まで納経したので、残りは35寺。足掛け2年に渡る私達の長い旅もいよいよ次回でクライマックスを迎える。88番で結願した時に私達は何を感じるのか?それを確かめるために私達は、また四国の地を踏む。次回は秋である。
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