ブッチーとの再会~漢塾新年会

カテゴリ
 ANOTHER
開催日
2017年02月17日() ~ 2017年02月19日()

最後に会ったのは、おそらく10年前だった。最後に電話で話したのは、東日本大震災発災時だった。

年賀状は、毎年やりとりしていた。今年のブッチーの年賀状には、「今年は、行けるかも!!」と書いてあった。その時は、“本当に来るのかな?”ぐらいにしか思わなかったが、本当にその時が来た。

ブッチーの勤務する自治体が、「引きこもり対策」に関する先進地ということで、担当者であるブッチーが、講師として山口県に招かれて来県したのだ。それで、ついでに私のところにも寄ることになったという訳だ。ブッチーにとっては、3回目の来県であった。

久々に再会したブッチーは、10年前と殆ど変わってなかった。相変わらず色黒で、相変わらず長渕剛に似ている。たが、お互いの身の上は変わっていた。

当時、6歳と2歳だったブッチーの子供達は、高校1年生と小学校6年生になっていた。そして、子供のいなかった私にも2人の子供が出来ていた。そのため、ブッチーには初めて子供達を会わせることになった。

ブッチーとは、大学で同じ語学のクラスだった。私の目には、チャラチャラした奴に映ったので、「生意気な奴」ぐらいにしか思わなかった。故に最初の頃は、クラス内で言葉を交わしたことはなかった。

ブッチーと仲良くなったのは、大学近くの交差点での出来事がきっかけであった。大学に入学して、ブッチーのことを知ってからすぐのことである。

この時、私達は、道路を挟んで対面に向かい合って信号待ちをしていた。私は、対面にいるのがブッチーだと認識はしていた。ブッチーが、私のことを認識していたかどうかは分からない。それはともかく、信号が青に変わってからすれ違いざまに私から「お前、どこの者なんか?」と、声をかけたのだ。

何で声をかけたのかは、よく覚えてない。いや、当時でさえ何で声をかけたかが分かってないかもしれない。つい、自動的に口から言葉が発せられたと表現した方が適当かもしれない。本当に、声をかけるつもりなどなかったのだ。

いきなり、話をしたことのない強面な男から声をかけられたブッチーは、面食らっていたようにも見えた。それも無理のないことだったが、それから様々なことが私達の間でトントンと上手く回った。私達の付き合いは、“私が声をかけたこと”が始まりだった。

ブッチーとは、創造的なことや建設的なことを一切やったことがない。こいつとは、ギャンブル、コンパ、ナンパといった非創造的、非建設的なことばかりやっていた。ブッチーは、そのような何も生み出さないことばかりを一緒にやる、云わば“悪友”であった。

ブッチーとの数ある生産性の無い行いの中で、最も金と時間を無駄に費やしたのが、一緒に何百回と行ったパチンコである。

私は、不思議とこいつと行くとよく勝ったものだった。トータルでいえば何十万円かは勝っている。逆にブッチーは、私と行くと殆ど負けていた。負けが込んで金が無くなれば、親の口座からキャッシュカードで勝手に金を引き出していた。それでも足らなければ、私がパチンコ軍資金の中から貸していた。たまに勝つこともあったが、次回にはそれ以上の金をつっこんでいた。

負けたから悔しくて行く、次で勝ったらもっと取り戻してやろうと思い、行く。それで負けたらリベンジしてやろうと行く。行ったら負ける。たまに勝つ。欲が出てまた行く。ブッチーは、ギャンブルにおける負のスパイラル、負の底無し沼にどっぷりと嵌り込んでいた。

私は、傍目でその姿を見て、「こいつのようになりたくねえ!」と思いながらも、ブッチーをパチンコへ誘うことはやめなかった。

そんな仲良しだった私達だが、大学を卒業してからは、そんなに会ってない。おそらく今回を入れて5~6回ぐらいだと思う。このペースで行けば、どちらかが死ぬまでには、数えるぐらいしか会うことはないと思う。考えたくはないが、もしかすると今回の再会が最後になるということも無きにしも非ずだ。

今回のような、いきなり降って湧いた再会の機会は、天から“与えられたもの”である。私は、そのような捉え方をしている。何故なら、たまたまブッチーの自治体が、引きこもり対策の先進地で、たまたたまブッチーがその担当部署の担当者で、たまたま山口県がこの時期にブッチーを講師として招待したのだから。どれが抜けても今回のブッチーの来県には繋がらなかったはずだ。

“たまたま”という修飾語は、適切ではない。偶然というものは、この世に存在しないからだ。必然に必然が重なってブッチーは、ここへ来たのだ。

また、再会が与えられたものなら、始まりも“与えられたもの”である。私がブッチーに声をかけたのは、必然だったのだ。私が、“何で声をかけたのか”、その意味を分かってなかったというだけのことだ。こいつとは、“人生を共にする縁”があったのだ。だから、あの時、あの場所で出会わなくても、どこかで仲良しになるべく出会っていたに違いない。

私達の行った数々の悪行が、今では、私にとって闇夜に輝く数多の星のような燦然たる輝きを持った思い出となった。これらのたくさんの思い出は、私を生かす、前を向かせる原動力の一部となっている。

当時を思い出せば、それは、明日への励みになる。お互いの家族の成長と幸福を願えるなんて、ああ何て素敵なことだろう。こんな人間関係を持てるなんて、短い人生の中で、そうあるものではない。

「ブッチーと出会えて良かった」心からそう思う。

再会させていただいたことに対しては、心から感謝する。

また、再会したいと心から願う。

ブッチーと漢塾の面々

 

 
(のぶちゃんと)

たい焼き のぶちゃんで、のぶちゃんと記念撮影。

ここのたい焼きは美味いので、食わせてやろうと思ったら、昨日の我が家での豚丼の食い過ぎが原因で胃もたれを起こして食えなかった。

のぶちゃんのたい焼きを食わせることは、次回へ持ち越しとなった。

 
(漢塾プチラン)

ブッチーの歓迎会と併せて、漢塾ランと漢塾新年会を開催。

湯本温泉から俵山温泉までの約12㎞を走る。

走るのは、漢塾ランの主役であるマッシーと変態小野の2人。

 
(観光)

2人が走っている間に時間を有効に活用。ということで、近くにある大寧寺を観光。

桜の咲く季節には、大勢の人でごった返すが、この時は寒さもあり、閑散としていた。

 
(腐っても鯛)

スタートしてから5㎞地点で、マッシーを捕獲。

私達が観光している間に5㎞も走っているとは、驚きであった。

マッシーは、仕事が激務であることから、全く走る練習をしてないとのことだが、これだけ走れるとは大したものだ。しかもかなりの斜度の坂道なのにである。

腐っても鯛とは、こいつのためにある言葉である。

 
(更なる進化)
変態小野を待つ間に、しばし談笑。

変態小野は、マッシーよりも更に3㎞近く先を走っていた。

距離が短いとあって、ペースが速いのか、それとも更なる進化を遂げたのか。

変態小野というハンドルネームから卒業するのは、間近か?

 
(最後の仕上げ)

最後の1㎞を漢塾ラン仕上げのためにブッチーが走る。

これもここでの良い経験のため?否、夜の宴会に備えて胃腸の調子を整えるためである。

 
(完走)

見事、残りの1㎞を完走し、充実の表情のブッチー。否、山口県へ来てからの疲れと胃腸の不具合から目が死んでいる。

これが、ここへ来てからの疲れや不調だったらともかく、長年の疲れなどではなければ良いのだが。

 
(ゴール)

変態小野は、私達が気付く前にゴールしており、一人で勝手に温泉に入っていた。

私達が俵山温泉に到着した頃に丁度、マッシーもゴールした。

約12㎞という距離は物足りなかったであろう。次回は、100㎞ぐらい走らせてやりたい。

 
(談笑)

風呂上り後にブッチーと変態小野とで談笑。

2人とも人見知りしない親しみやすい性格のため、すぐに打ち解けていた。

 

(聖地にて)
マウンテンバイカーの聖地である千畳敷にて。
標高333mから望む日本海は、いつ見ても素晴らしい。絶景である。
この日は、やたら風が強かった。
(漢塾新年会)

ブッチーを囲んでの漢塾新年会。

いつもの漢塾の面々。

ブッチーは、残念ながら新年会場に辿り着くまでに胃腸の回復が叶わず、折角の美味い焼き鳥を食うことが出来なかった。

ここでは、お茶漬けしか食えなかった。ここの焼き鳥を食わせることも次回へ持ち越しとなった。

(家族と)

私の家族との記念撮影。

私がブッチーの家に行った時も、このように記念撮影を行いたいものだ。

娘と息子の2人とも、ブッチーにはよく懐いていたのだが、特に息子は良く懐いていた。

息子は、ブッチーと別れて自宅に帰ってから寂しさのあまり泣いていた。

(笠山にて)

笠山にて息子と。

笠山には、ブッチーが学生の頃、萩へ来た際に連れて来ており、ブッチーもそのことを良く覚えていた。

次回は、ブッチーの奥さんや子供達もここへ連れて来たいものだ。

(新山口駅にて)

新山口駅にて子供達と記念撮影。

子供達は、新幹線を見るのは初めてのことであり、駅の構内に入ってからは驚きと新鮮さから落着きなくキョロキョロ辺りを見回していた。

(再会を祈念)

再会を祈念して記念撮影。

今度会えるのは、何時の日か。

再会は、そう遠くない日であるような気がする。

何故か?私がそれを望むからだ。

(別れ)

ブッチーが、こちらへ来ると分かった時は、楽しみな反面、「その時が来なければいいのに」と思ったものだった。

何故か?来たら、すぐに終わってしまう。会えば、すぐにお別れになるからだ。楽しみに待っているぐらいが良いのだ。

でも、別れたおかげで、また次に再会する楽しみが出来た。

私達は、どちらかが死ぬまで、この感情を繰り返すのだろう。

 

 

 

 


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