四国八十八ヶ所 自転車遍路(第一弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2004年05月02日() ~ 2004年05月06日()

四日目(2004/5/5)

目覚め

夜中から、半分起きているような、半分寝ているような、いわば浅い眠りが続いていた。携帯を見ると、午前4時半だったように思う。もう一眠りしようと思いきや、私の隣に寝ていた、富山県のおじさんが起きて、ゴソゴソしだした。起きて、挨拶をしようかとも思ったが、面倒臭いのでやめた。富山のおじさんは、ゴソゴソしだしてから10分もたたないうちに、出て行った。

それから30分もすると、皆が起きだした。私は、よく寝てないものだから、寝ぼけ眼で、頭がぼーっとしていたのだが、狭い部屋で、皆が起きてガヤガヤしているのに、寝ていられるはずもなく、やむなく起きた。

出発

準備が整うと、東京の女性、長崎のおじさんと順に出て行き、最後は坊さんと私達だけになった。坊さんは20番の手前まで行って、その辺に接待をしてくれるところがあるから、そこに泊まるという。それなら、私達もそこに泊まろうかということにした。

坊さんが先に出て行ったが、2階から下を見ると、栄タクシーに向かって、何やら一心にお経を唱えている。何のお経を唱えているかは、分からない。5分ぐらい唱えていただろうか。お経が終わると、礼をして去って行った。多分、感謝の気持ちをお経にこめて唱えていたのだろう。私達もお経は唱えれないにしろ、ここの社長には、大変感謝している。

040505_0700見ず知らずの人を、自分の家に泊めることなんてなかなかできることではない。ここには、私達だけではなく、毎日、いろいろなところからいろいろな人がくるのだ。家を掃除したり、維持したりするのも大変なはずだ。今までに、何人の人が泊まったのだろうか。部屋の中には、無数の写真や御札が、壁を埋め尽くすように貼ってある。皆、感謝の気持ちをこめて貼ったのだろう。私達も感謝の気持ちをこめて、御札を貼り、置いてあったノートに思いをしたためて、一言書いた。本当は、社長に会って、お礼を言いたかったのだが、まだ朝早いので、会社には来ておられず、仕方なくこのような形となった。しかし、それでも、思いは伝わるはずだ。

感謝の思いを残して、午前7時に栄タクシーを出発した。栄タクシーを去る時にふと、思った。ここの居心地が良かったのは、社長さんの皆を思いやる気持ちや、多くの接待を受けた人の感謝の思いというものが残っていたからではないのかと。

第十七番 井戸寺

040505_0730井戸寺までは、街中を3㎞ほど走っていくだけで、労せず、すぐに着いた。早速、記念撮影をしようと思ったら、坊さんと会ったので、3人で記念撮影をする。

ここには、弘法大師が掘ったといわれる「面影の井戸」という井戸があり、井戸を覗きこんで、自分の姿が映れば、無病息災で、自分の罪も滅びるらしい。

覗いてみようかなとも思ったが、もし、映らなかった場合は、3年以内に不幸が起こるというので、怖いからやめた。

040505_1616坊さんが、「ここの井戸水は加持祈祷がしてあるので、何かあった時にあなた方を守ってくれますよ。でも、蛇口からとる水は、井戸水ではなくて、ただの水道水と思うから、よろしかったら、私が加持祈祷しますが。」と言ってきた。せっかく、そう言われるのだから、水道水と思われる井戸水を購入して、坊さんに加持祈祷を頼んだ。加持祈祷というから、大袈裟なことをするのかと思いきや、容器の水に手を合わせて、目をつぶっただけで、ものの1~2秒で終わってしまった。

「あれで、終わり?お前、何したん?」と聞いたら、頭の中で、真言を唱えたとのことだった。早速、水を少し飲んでみる。加持祈祷してもらう前に、試しに飲んでみたのだが、加持祈祷する前とは、明らかに味が違うような気がした。どう違うかはわからないが、気のせいではないようだ。面白いことをするものだと思った。「この水は危機に陥った時に飲ませてもらうよ。」と言って坊さんにお礼を言い、御札を渡した。そう言えば、私も前夜に坊さんを接待した時に御札をもらったのだから、坊さんの僧名は知っている。

何時、何処でまた出会うとも分からない。坊さんの顔と名をよく覚えておこうと思った。坊さんは、第十八番 恩山寺に行く途中にある地蔵寺に寄るというので、先に出て行った。私達も納経と記帳を終えると、坊さんを追っかけた。

番外 地蔵寺

井戸寺から第十八番 恩山寺までは、約18㎞の道程。その途中、井戸寺から2.5㎞行ったところに地蔵寺はある。

井戸寺を出発してすぐに、「プップッー!」という自動車のクラクションに呼びとめられた。誰だろうと、車の運転手を見ると、運転手は、栄タクシーの社長だった。会ってお礼を言っておきたかったから、ラッキー!と思い、昨日、泊めていただいたことへのお礼を言った。「かまへん!かまへん!気いつけて行きいやあ!何かあったら、また寄りいやあ!」と言ってくれた。いい人だ。栄タクシーに今後行くことがあるかどうかは、分からないが、この社長にはまた会いたくなるような気がする。最後に社長に会えたことは、嬉しかった。

坊さんから遅れること30分、途中で坊さんに出くわすかなとも思ったが、坊さんは地蔵寺に既に着いていた。地蔵寺は、池のほとりにひっそりと佇んでいる。地味ながらも趣きのある寺だ。「歩くのが速いねえ!」と言って、坊さんのふくらはぎを見ると、かなり良いふくらはぎをしている。これなら速くあるけるかもと思った。

私が、お地蔵様は、一番好きな仏様だと言うと、坊さんも好きだと言っていた。坊さんの祖父の寺の本尊が、どうやらお地蔵様らしい。坊さんは、お地蔵様にまつわる話をいろいろとしてくれた。興味深い話だった。若いのにいろいろとよく知っているなと感心した。ここには、恩山寺に行く途中に立ち寄っただけなので、長居はしなかった。

同行二人

末が坊さんに途中まで一緒に行こうといったので、自転車を押しながら、坊さんの後をついて行ったのだが、坊さんの歩くのが速いこと速いこと。すぐに自転車に乗らざるをえなかった。何やらごにょごにょ小声でつぶやきながら歩いているので、「何を言っているんだ?」と質問したところ、「南無大師遍照金剛」と言いながら歩いているとのことだった。そして、杖は4歩に1回、地面につくらしい。そうすることで、弘法大師が一緒に歩いてくれているのだそうだ。テンポよく杖の音がシャンシャン鳴るので、聞いていて心地良い。話かけたら、修行の邪魔になると思い、話かけないことにした。

040505_0800車道では、自転車に乗れていたから、坂道でもついて行けたのだが、遍路道に入ると、その険しさのために自転車を降りなければならず、坊さんの姿は、あっという間に見えなくなった。

岩がゴロゴロしている道を自転車を抱えて登って行く。すぐに汗だくになった。人の気配を感じて、後を振り返ると、70歳前後ぐらいの爺さんが、私達が進むのを待っている。遅いから悪いと思ったので、「お先にどうぞ。」と言ったのだが、「いいから、いいから」と言って、先に行かない。後からついて来られるだけでも、プレッシャーを受けるのに、後から話かけてくるので、なおのこと鬱陶しく感じる。こっちには話している余裕などないのに、どんどん話しかけてくる。何を言っているやらは、分からないが、この険しい遍路道を息もきらさずに歩きながら話すのだから、すごいと思った。

遍路道を抜けて、車道に合流すると、やっと話せる余裕ができたので、爺さんと話をした。この爺さんは、地元の人で、毎日、遍路道を散歩しているとのこと。それだから、歳をとっても足腰がしっかりしているのかと思った。昨日のおばちゃん達といい、この爺さんといい、大したものだ。人間は、歳をとると、足腰からダメになっていくから、日頃から歩いて鍛えることは、良いことだと思った。走るのは、心臓に負担がかかるから、歩くのなら歳をとってもできる。自分も筋トレをしなくなったら歩こうと思った。

爺さんに別れを言い、坂道を自転車で登る。頂上まで行き、あとは、下るだけかと思いきや、すぐに遍路道と書かれた看板が表れたので、そっちに行かざるをえなかった。遍路道も下りなのだが、道が悪すぎて自転車に乗ってなんかいられない。無理して乗ったら大クラッシュしてしまう。恐る恐る自転車を抱えながら遍路道をくだる。歩いてくだっても、こけそうになるほどの悪路だ。

しばらく行くと、道が良くなったので、自転車に乗るが、すぐにクラッシュしてしまったので、自転車を降りた。末は、器用にも自転車を乗りこなしている。大したものだと思ったが、そのスピードは、歩いている私と、そう変わらなかった。

別れ

短い遍路道ではあったが、予想だにしない悪路だったので、気持ち的に疲れてしまった。車道に乗ると、また下りなので、しばらく自転車に乗ることができた。

どのくらい走っただろうか?坊さんの姿が見えてきたので、自転車を降りて話しかけようとも思ったが、修行の邪魔になると思い、「先に行くぞ!」とだけ声をかけて抜き去った。遊びに来ているわけではないのだから、皆でわいわい楽しくやれば良いというものではない。自分を見つめながら歩くのだから、一人孤独にやった方が良いに決まっている。この時、だから、皆、出発時間をずらして、極力、一緒にならないようにするのかと悟った。

迷う

坂をくだりきると、街中にでた。平坦な道で、非常に走りやすいのだが、途中、看板を見失ってしまい、迷ってしまう。畑の中に迷い出た時に、農家のおばさんに道を聞いて、ようやく恩山寺の方向に軌道修正することができた。

道を走っている時に、道路脇の方をよく見ると、「恩山寺→○○㎞」と書かれた小さい石碑が置いてあるのが分かった。看板で出ていた方が分かりやすいのだが、決まった間隔で、石碑が置かれているのが分かったから、もう迷うことはない。

再会

街中をしばらく行くと、長崎のおじさんが歩いているのが見えてきた。右足を引き摺りながら歩いている。かなり痛そうだ。声をかけようかと思ったが、やめた。どんな言葉をかけても慰みにもならない。「お先に!」とだけ言って、おじさんを抜き去った。

たまに後を振り返りながら、自転車をこぐ。おじさんの姿は、どんどん小さくなっていく。痛かろう、苦しかろう、でも続けるしかない。何故なら、自分のためにやるのだから。

ごみ袋

延々と長い、街中の道を走って行く。手持ちの資金が少なくなってきたので、どこかの銀行で、金をおろそうと思い、銀行を探すが、見つからない。何でこれだけ、いろいろな店が道路沿いに立ち並んでいるのに、銀行だけがないのだろうか。あるのは、サラ金のキャッシュコーナーばかりだ。

銀行を探しながら、トロトロ走っていると、ゴミ袋を持ったおばさんにぶつかりそうになった。危ねえ!危ねえ!と思いながら、おばさんの持っているゴミ袋を見た。燃えるゴミに混ざって、プラスチックや発泡スチロールなどの燃えないゴミが一緒に入っている。ここの市では、どうやらごみの分別収集をしてないようなのだ。末の住んでいる柳井市でも、大きい不燃ごみを除いては、分別収集をしてないという。どこの市でもやっているかと思ったから、驚きだった。

遍路道

040505_0916結局、銀行を見つけることなく、恩山寺の手前の遍路道に突入した。ここの遍路道は、大した急勾配もなく、長さも短いのだが、土質が粘土質で、昨日の雨で濡れたのが乾いていなかったのもあって、ずるずる滑って、非常に歩きにくかった。

それと、昨日から多々、目撃して思っていたのだが、徳島のミミズは非常にでかい。大きいものともなると、50cmくらいは裕にある。色も黒っぽいのから、赤っぽいのまで、様々だ。ミミズが、あそこまで大きくなるということは、土壌がよく肥えているのだろうか。思わず、土を食べてみようかという衝動にかられたが、やめた。

第十八番 恩山寺

040505_0940_00遍路道を抜けると、そこは恩山寺だった。午前9時過ぎに到着。入口付近で、富山のおじさんと再会する。この人は、私達より2時間早く出発しているから、2時間の差を2時間で詰めたことになる。やはり、自転車は速い。

しかし、ここまでの道程は思ったよりハードだった。前日の焼山寺や大日寺と比べれば、大したことないのだが、楽だと思ってなめていたのがハードと感じた原因かもしれない。

通りがかりのおじさんに写真撮影をお願いしたが、シャッターを押す瞬間に、おじさんがよろけて、レンズが上を向いたのを私は見逃さなかった。こりゃダメだと思い、念のために他の人にも撮影をお願いした。

納経を終え、納経所で記帳を済ませて、出発しようかという時に、初老の夫婦と出会い、「昨日は、焼山寺におっちゃったでしょう。」と言われた。自転車で寺まで来ていたから目立っていたのだと思うが、そう言われても、老夫婦には全く見覚えがなかった。

老夫婦に別れを言って、先を急ぐ。

第19番 立江寺

040505_1030立江寺までは、恩山寺から約4㎞の道程。街中を走って、10分ほどで到着した。遍路初日から思うのだが、どんなに由緒ある立派な寺でも、簡単に辿り着ける寺には、殆ど思い入れというものがない。苦労して辿り着いた寺にこそ思い入れを持つことができるのだ。

また、出会いというのも、思い入れを持つ重要な鍵となる。そういう意味でも、この寺は、街中の賑やかな場所にあるということ以外、何の印象もなかった。納経と、納経帳の記帳と記念撮影だけは、きちんとこなした。さあ、次は、六大難所の一つである鶴林寺だ。

ハンガーノック

時刻は、午前10時過ぎ。かなり腹が減っている。朝飯を食ったのが、午前6時頃だから腹が減るのも当然である。立江寺の近くに、私の好きな古びた定食屋があったので、入ろうかと思ったが、準備中であった。午前11時にならないと、開店しないらしいから、それまで待っているわけにもいかない。諦めて、途中、コンビニがあったら寄ることにした。

ここから、鶴林寺までは、地図を見ると、約14㎞と書いてあるが、看板を見ると、「鶴林寺21㎞」と書かれてある。一体、どちらが正しいのだろうか?腹が減って、あまり動きたくないので、短い方を信じることにした。

立江寺から鶴林寺までは、山道というほどではないが、結構な田舎道を走る。あると思っていたコンビニがない。コンビニがないなら、飯屋なら何でもと思い、探すが、全然見当たらない。民家はところどころにあるものの、肝心のコンビニと飯屋がない。街中に出そうな気配もなく、これはやばい!ということになった。勘の鋭いはずの私の勘がどうやらはずれたようだ。今までは、どこかにコンビニがあると思うから気が楽であったものの、無いと分かった途端に崖から突き落とされたような深い絶望感に襲われた。どうしよう?腹が減り過ぎて、このままの状態で六大難所の一つである鶴林寺まで辿り着くことができるのだろうか?

辿り着く体力は、充分に余しているとは思うが、腹が減ると気力が萎える。同じことをするのでも、非常に辛く感じるのだ。このままではいけない!と思い、自転車を降りて、リュックの中の食い物を探した。キャラメルの箱はあったものの、中身は前日に食い尽くして空だった。リュックの中身を全部引っ張り出して、探したが、やはり何も無い。諦めようとしたところ、もしや!と思い、まだ見てなかったリュックの下部にある、携帯電話を入れる袋の中を見たら、中から飴が出てきた。初日に高松駅で買った飴を入れておいたのを忘れていたのだ。面白い名前の飴だと思い、買っておいたのが、今になって役に立つとは。飴をなめて、お茶をたくさん飲んだら、空腹も少しは癒された気がした。

寿司屋発見!

気力も戻ったところで、走行再開。また、ガス欠になる前に早く、コンビニか飯屋を見つけることにした。

だが、幸いにも、山を登る前に、婆ちゃんがやっている持ち帰り寿司の店を見付けることができた。道路沿いにある3~4坪くらいの小さな店だ。あじ寿司とヤマメ寿司が主力商品らしい。魚を三枚におろした、お頭付きのものをご飯の上に乗せた豪快なもので、普通の寿司屋の寿司とは違う。しかも、一つ一つの寿司が大きい。普通の人なら2つも食べれば、腹が満たされるのではなかろうか。食べてみようかとも思ったが、魚丸ごと一匹寿司は、今の自分にはヘビー過ぎる。ここは、大事をとって、オーソドックスに、いなり寿司にすることにした。酢の効き具合といい、甘さ加減といい、かなりグッドである。今までに食べたいなり寿司の中でも、5番目くらいに美味しい。

美味い!美味い!と言って、道端で食べていると、店の婆ちゃんが、お茶を接待してくれようとしたのだが、末が「お茶はあるからいいです。」と言って接待を断ってしまった。接待は断ってはならないのだ。せっかく接待しようとした人の気持ちを無為にすることになるからだ。こいつも分かってないなあと思いながらも、口を挟むのはやめた。自分も遍路初日では、失敗しているし、もう断ってしまったのだから、今更、どうしようもない。お互いに、もっと修行の必要ありと感じた。

食い終わってから、婆ちゃんに鶴林寺への遍路道には、どう行ったら良いのか聞いた。丁度、店の横に車道から外れて、山に入って行く道があるので、そこの道を行ったら良いとのことだった。車だったら、この車道を走って行けば良いとのこと。その代わり、かなり遠回りになるらしい。それを聞いて、地図上の距離と、看板の距離が違う意味が分かった。地図上の距離は、遍路道を通った時の距離で、看板の距離は、車道を通った時の距離だったのだ。遍路道は、ほぼ山を真っ直ぐ登っていくので、距離が短くなるが、その分、傾斜が急になるので、かなりきつい。車道では、山を回りながら登っていくので、傾斜は緩やかだが、距離が長くなる。車道の方が楽そうだが、最初から、全ての遍路道を通ると決めていたので、迷うことなく遍路道を行くことにした。

登頂開始

寿司を食ったばかりだったので、30分ぐらい昼寝がしたかった。しかし、店の近くには、寝転がるような場所がない。仕方なしに、鶴林寺に行きながら、寝る場所を探すことにした。

1㎞ほど緩やかな坂が続いたが、いきなりドーンと坂が急になったので、自転車を降りた。のどかなミカン畑の中を自転車を押しながら進んでいく。それにしても急な坂だ。急過ぎる!足の力を少しでも緩めようものなら、後にズリ落ちそうになる。殆ど真っ直ぐな一本道なので、後を振り返ると、登ってきた高さで目がくらむ。千畳敷という場所の坂もすごいと思ったが、ここの坂は、それを上回る。今までに見たことも経験したこともない、姉御に見せたら、すごく喜びそうな坂だ。

しかし、ここの坂は、いかなる強者も自転車で登ることは、できないだろう。できる人がいたら、1万円あげてもいい。当然、こんな坂に寝転ぶような平らな場所などあるはずもない。無理してでも寝転がったら、下まで転がり落ちてしまいそうだ。

ミカン畑を過ぎると、坂は、更に急になった。普通に歩いて登っていては、後ろにズリ落ちそうになるので、少し勢いをつけて、小走り気味に登って行く。この急勾配は、そんなに長くは続かなかったが、おかげで、ふくらはぎと太腿がパンパンになってしまった。

階段

040505_1251急な坂が終わると、階段が現れた。今度は、開けていたところから、山林の中に入っていくようになる。登り口の看板を見ると、「鶴林寺4.2㎞」と書いてある。ここから延々と4㎞も階段を登らなければならないのだ。山林の中だから、当然、昼寝をする場所もない。寿司店の横にでも無理してでも昼寝しておけば良かったと後悔するのだが、今更悔やんでも遅い。目の前に階段があるのだから登っていくしかない。

昼寝を諦めて、階段を登り始めたものの、末も疲労が溜まってか、階段を登るペースが落ちてきたので、先に行ってどこかで待っておこうと思い、一人でどんどん登っていく。自分のペースで登っていくと、もっと速く、もっと速くと、欲がでて、休憩するのも面倒臭くなった。だから、末を待つのも忘れて、登るスピードをどんどん加速させていく。周りの景色は、全く目に入らない。目に入るのは、目の前の階段だけだ。「一体俺は誰と競争しているのだろう?」そんなことを、ふと思いながらも、どんどん登り続ける。心臓がすごくバクバクして、呼吸も荒い。心拍数は既に190に近いぐらいは、行っているだろう。昔、市民体育館で、エアロバイクを重さがMAXの300wで5分間、300wをキープしたままこぎ続けるというトレーニングをやっていたが、あれと同じようなハードさだ。何回も、そろそろ休憩しようかという気になりかかるのだが、今やめたら遅くなると、自分に言い聞かせて登っていく。

階段が終わったと思っても、またすぐに次の階段が現われる。まさに階段地獄だ。階段を登り初めてから既に30分以上は経っている。しかし、階段は、まだ終わらない。目の前に車道が見えた時は、「着いたか!」と思ったのだが、車道を横切ったところに、すぐに階段が見えた時はガックリした。看板には、「鶴林寺1.4㎞」と書いてある。まだあと1.4㎞もあると思うと、気持ちも沈む。とりあえず階段を登る前に、ここで末を待とうかとも考えたが、やめた。ここで、待ったら時間のロスになる。何のために、ここまでとばして来たのかということになる。末には、悪いが、鶴林寺に着いて待つことにした。

再び階段

040505_1400水分補給だけして、再び階段を登り始めた。たまに後を振り返りながら、「300mは進んだな、今は500mぐらい進んだかな。」と、距離の確認をする。階段は急だが、殆ど走るような感じで登って行く。疲れてスピードが落ちる気配は全くない。自分の体力には恐れ入る。これも普段から行っているスクワットと腹筋のおかげだろうか。

ただ、汗をかき過ぎて、汗が目に入るので、目が沁みて、非常に前が見辛い。手で拭こうとすると、余計に沁みて、痛くなる。それだけは、どうにもならないので我慢するしかなかった。

15分ぐらい登ると、目の前にほぼまっすぐ頂上まで続く階段が現われた。なんという長い階段だ。まっすぐなだけに実際の距離より長く感じる。はるか先の頂上付近には、駐車場が見える。おそらく、これが最後の階段と思い、最後の力を振り絞って、更に登るスピードを上げる。速く登るということは、足にかかる負担も大きく、何度もふくらはぎと太腿が悲鳴をあげそうになるが、何事もなくどうにか登りきった。

かなりハードな道程であった。遍路道の長さでは、焼山寺には及ばないものの、単に登るという行為だけを比べたら、鶴林寺の方が勝る。もう、こんな急な坂や長い階段は登りたくねえ!と、休憩しながらしみじみ思うのだった。

着いてしまうと、末のことが気になったが、こいつも根性があるから問題ないだろうと思い、気楽に待った。案の定、10分ぐらいして、末も到着した。

第二十番 鶴林寺

040505_1400_00鶴林寺は、駐車場から少し離れている。鶴林寺は、地蔵菩薩を本尊とし、そんなに大きくはないが、いかにも山寺といった、質素な感じのする寺だ。汗が引くのを待って納経をし、納経所へ行こうかという時に腹が鳴った。昼飯を食ってからそんなに経ってないのに、もう腹が減ったのだ。ここへ来るまでにそうとう体力を使っているからそれも当然のことかもしれない。

境内に飯屋がないか探したが、ここには無かった。仕方なく、太龍寺に行く途中にコンビニか飯屋があれば寄ることにした。ただ、太龍寺も高い山頂にあるので、それらのものがある望みは薄い。また、ハンガーノックを喰らうようになるかもしれないと考えると、気が重くなった。

納経所では、記帳してくれた坊さんに太龍寺までの行き方を聞いた。自転車で太龍寺まで行くと言ったら、驚いていた。ここから太龍寺までは、約7㎞。次も六大難所の一つだ。

下り

040505_1408鶴林寺を出ると、楽しい下りが始まった。焼山寺の時と同じく、ブレーキが焦げ付くほどの急な坂である。しばらくは、下る、下る。かなりスピードが出ているので、急カーブでは、カーブを突っ切って崖の下に落ちそうになる。崖の下に落ちても、転倒しても大けが以上は確定だ。それでも、ブレーキを強めることはしない。出来るだけ速くと思い、ブレーキをなるべく緩めるのだ。

私もかなりスピードを出しているのだが、末はもっと出していた。多分、時速で5~6㎞ぐらいは違ったのではなかろうか。後から末の姿を見ていても、転倒しなければいいがと、ヒヤヒヤしていた。

下り初めてから2㎞ぐらいのところで、楽しい下りも終わり、また再び遍路道に戻った。遍路道も下りなのだが、階段があったり、険し過ぎたりして、自転車に乗れるところは、少ない。膝をガクガクさせながら、自転車を抱えて遍路道を下っていく。上りの遍路道とは違い、体力は殆ど消耗しないものの、滑らないように、転倒しないように気を使うので、精神的にはきつい。

040505_1415遍路道を下り終えるて、少し走ると、川にでた。川に架かっている橋から下の川原を覗いたのだが、めちゃくちゃ高い!高すぎて頭がくらくらしそうになるほどの高さだ。多分、60~70mくらいはあるのではなかろうか。橋の欄干は、腰ぐらいの高さまでしかなく、あまり覗き込むと、上半身が欄干から外に出るので、落ちそうになる錯覚さえ覚える。だから2回目に覗き込む時は、1歩下がって、欄干から首だけを出して覗き込んだ。「ここから飛び降りたらどうなるんだろう?痛いだろうな。」と思いながら、横を見たら、末が興味深そうに覗きこんでいる。思わず、こいつを後から押したらどうなるのだろうと、押してみたい衝動にかられた。私は、そんなつまらない衝動にかられることがたまにあるのだ。

末も変な気を察知したらしく、私と目が合ったとたんに欄干から離れた。さすがにこいつも私と付き合いが長いだけあって、私のことを見抜いていたようだ。

ボディブロー

橋を渡り終えると、なだらかな遍路道が続く。遍路道とは言っても、舗装がしてあって、道幅もあり、一応、軽自動車ぐらいなら通れるようにはなっているので、走りやすい。

川沿いの木洩れ日のさす道を、走っていく。景色が非常に良く、疲れた心身も癒される。しかし、気持ちいいなあと思っていたのも束の間、再び上りが始まる。緩やかな上りなのだが、それが延々と続くので、じわじわと効いてくる。かなり体力を奪われる。

そんな緩やかな上りが2㎞ぐらい続いたであろうか。遍路道のつきあたりまで行くと、また階段が現れた。私達にどうぞ登ってくださいといわんばかりだ。「もう、お前は見たくねえんだよ。」と、心の中で叫んだが、ここを通らなければ太龍寺まで行けない以上、行くしかない。看板には「太龍寺1.6㎞」と書いてある。1.6㎞なら30分~40分ぐらいで到着できるはずだ。末と覚悟を決めて階段を登り始めた。

再び階段

徳島に来てから、一体、何千段の階段を登ったであろうか。いい加減に飽き飽きしている。遍路道の階段は、おそらく、近年作ったものであろう。昔はなかったものと思われる。鬱陶しい階段だが、これが無いと、すべったり、傾斜が急過ぎたりして登りにくい。そう思うと、階段の存在を有難く感じるようになり、階段に対する嫌悪感も薄れた。鶴林寺の時のようにとばして行こうという気は、全く起こらず、末の後について省エネモードで登ることにした。

登っている最中に、お経を唱えているような、人の声が聞こえるのだが、末にそのことを言っても、末は聞こえないという。それは、前日からのことなのだが、耳に聞こえるというよりは、直接頭の中に響いてくるといった方が適切かもしれない。寺での他人の読経が頭に残っているのだろうと、そんなに気にはしなかったものの、それはしばらく続いた。

加持水登場

040505_143020分も登り続けると、今までの疲労と、空腹も手伝って、足取りも重くなったために、長めの休憩をとることにした。お互いに顔が死んでいる。腹が減るということは、疲労感を大きくする。食べ物といっても、飴ぐらいしか持ってない。わずかばかりの飴を2人で分けて食べたが、それでも空腹感はおさまらない。

そこで、先ほど坊さんに加持してもらった加持水の登場となった。何かあった時に飲もうと思っていたのだが、それが今だと思い、飲むことにした。「いただきます。」と合掌して、一気に飲み干した。何だか、口の中の飴の甘さと混じって、甘いような気もするが、加持してもらったばかりの時に飲んだのほど、味の違いが分からない。ただ、坊さんが私達を思って加持してくれた水ということで、気の持ちようかもしれないが、「まだまだ行けるぞ。」という気になった。

到着

040505_1534加持水のおかげかどうかは、分からないが、どうにか寺の山門に到着した。しかし、この寺の山門から更にしばらくは歩かなければならない。自転車を押しながら、人が登れるのがやっとほどの急な坂道を登っていく。足腰の弱い人なら絶対に登れないほどの急な坂道だ。道の両側に聳え立つ杉の大木が見事で、思わず、足を止めて見とれてしまう。こういう生命力の強い大木には心を魅かれる。

500mほど歩くと、太龍寺に到着した。

第二十一番 太龍寺

040505_1540_02この寺も鶴林寺と同じく、高い山上に立っている。しかし、山寺といった雰囲気の鶴林寺と違い、すごく格式の高い寺のように思えた。境内もかなり広く、本堂、大師堂ともに大きくて立派である。

見所が多いので、自然とシャッターを押す回数も増える。あとで、人に聞いたのだが、そのスケールの大きさと、荘厳さから「西の高野」と呼ばれるほどの寺らしい。それを聞いて私もなるほどと、納得した。

040505_1600_01納経を終えて、境内を見て回ったが、多宝塔や求聞持堂、護摩堂など、みな素晴らしいものばかりだった。中でも特に、持仏堂の天井に描かれた龍は見事なもので、今にも動き出しそうな迫力があった。

また、持仏堂の祭壇に祭られている虹色に輝く水晶も見事なもので、思わず持って帰りたくなった。

この太龍寺に来て初めて、寺をよく鑑賞するということをした。それだけの、興味をひかれる寺だったということなのだろう。ここの寺だけは、いつかまた来たいという気になった。

納経所で、記帳を終え、休んでいると、人がゾロゾロ階段の方から来だした。私達は階段の方から来なかったのだが、階段の下をよく覗いてみると、ロープウェイ乗り場がある。この人達はロープウェイでここまで来た人達だったのだ。太龍寺までは、車なら途中までしか来れないので、途中から歩いて登るか、ロープウェイで登るかになるのだ。

そんな険しい場所にある太龍寺に最初から自転車を抱えたり、押したりして、苦労して登って来たので、何だか誇らしい気分になった。苦労して来ただけに、この寺に対する思い入れも、また格別なものがある。もう少しここに留まりたいとも思ったが、本日の寝る場所に決めている、鷲敷の道の駅まで行かなければならないので、思いを残して太龍寺をあとにした。

温泉

040505_1635鷲敷の道の駅までは、麓まで下らなければならない。下るだけなので、カロリーも消費せず、非常に楽だ。下る最中にチャリンコでツーリングをしている集団に出くわし、挨拶をしてすれ違う。

麓に近いとこで、温泉を見つけ、温泉に入ろうと思ったものの、旅館のおばちゃんに聞いたところ、本日は休館ということで、温泉に入ることは叶わなかった。

道の駅わじき

40~50分も下ると、麓の道の駅わじきに着いた。最近できたばかりで、新しい道の駅だ。先ほどから腹が減っていたので、ここで何か食うことにした。幸いにも食堂が、まだやっていたので、私はここでうどん定食を注文する。道の駅の食堂だから、味は期待していなかったのだが、期待に反して味はなかなか良かった。初日から思うのだが、四国のうどんのレベルは高い。

夜食を買おうと、スーパーの場所を店員のおばさんに聞く。道の駅の周りは、田舎のために何もなく、ここから7㎞ほど行かないとスーパーは無いらしい。そのスーパーから更に5㎞ほど行ったところに、わじき温泉という温泉があるらしい。普段なら、疲れきっている時に、そんな遠くまで自転車で行かないのだが、この日ばかりは、どうしても温泉に入って、たらふく美味いものを食いたいと思っていたので、行くことにした。

田園風景

飯を食ってすぐに出発した。のどかな田園風景の中を進む。時刻は午後6時くらいだろうか。丁度、この時期は、田植えの季節ということで、田んぼに水が張ってある。水は、人の心を和ませる。天気の良さと、夕暮れ時のゆったりとした時間の流れも手伝って、非常に心地良い。いつもと同じく、幸せだという気持ちになる。

7㎞ほど行くと、教えられたスーパーを発見した。スーパーは、温泉に入った帰りに寄ることにした。温泉の場所が分からないので、スーパーに買い物に来ていたおじさんに温泉の場所を聞いた。おじさんに聞いたものの、土地勘がないため、温泉の場所をよくつかめないので、少しばかり行った場所にある交番で、温泉の場所を聞いた。

派出所で場所を聞いて良かったと思った。温泉は結構分かりにくい場所にあるからだ。ちょっとクセのある警官だが、分かりやすく教えてくれたのは、さすがだと思った。

わじき温泉

派出所から15分ぐらいはしったところに、わじき温泉はあった。旅館が、一般客にも温泉を開放しているところらしい。入浴料は、330円と、思ったよりも安かった。浴場に入ると、私達以外には、若い兄ちゃんが1人しかいなかった。旅館は、川の側の切り立った崖の上に建っているので、浴場からは、外の景色を一望できる。向こう岸には道路が見えるので、向こう岸から見えますようにと、いろいろなポージングをとっていた。多分、誰も見てはいないと思うが。

風呂の湯は熱かったものの、疲れをとるために、結構、長風呂をしていたように思う。風呂からでると、また腹が減ってきたので、温泉の食堂で何か食べることにした。

私は、うな丼を食べたのだが、値段に相応しく不味かった。その時に食堂で合い席していた、老夫婦がおり、その老夫婦に話しかけられた。老夫婦は、兵庫県の出身らしく、毎週、車で遍路するために四国に来ているという。本日は、ここで引き上げて、また来週来るらしい。私達が自転車で遍路していると言うと、「自転車を抱えて、山を登るのかね。」と、驚いていた。この老夫婦とは、話が合うこともあって、しばらく話し込んでいた。

帰り道

午後8時過ぎに、わじき温泉を出発。帰りは、せっかく温泉に入ったのだからと、汗をかかないようにするためにトロトロとゆっくり走る。辺りは、既に暗くなっている。私の自転車にはライトが付いてないので、末の後を慎重に走る。田んぼに水が張ってあるので、いたるところで、蛙が鳴いている。これをうるさいと言う人もいるが、私には心地良い。

蛙の鳴く声は、涼しさと、もうじき夏がくるのだという季節感を演出する。最近、蛙の鳴き声を聞いてなかったので、懐かしい感じがした。

スーパーに着く頃は、午後9時になろうとしていたので、閉店時間にぎりぎりセーフであった。ここで、夜食やら、明日の朝食やらを買い込む。今回、ここのスーパー以外にも、たくさんのスーパーにも寄ったのだが、さすがに金ちゃんラーメンの本社がある徳島だけあって、どこのスーパーに行っても、ここの会社の製品がたくさん、それも一番目立つ場所に置いてある。私も金ちゃんラーメンを久々に食べてみようかと、手を伸ばしかけたが、よく考えたら湯がないのでやめた。

ステーキ屋発見

スーパーを出て少し行くと、道の左側にステーキ屋を発見した。温泉に行く時は、急いでいたので気付かなかったのだが、「しまったあ!」という気になった。あの旅館で、不味いうな丼を食うぐらいならば、こっちで肉を食っておけば良かったと思ったからだ。ついてない。

到着~寝仕度

040505_2100途中、側溝に落ちそうになる危険を乗り越え、最少限度のスピードで走ったために、汗をかくこともなく、道の駅に到着した。汗をかかなかった代わりに、ゆっくり走ったため、着いた時間は午後10時前だった。

どこが、寝るのに一番適した場所かを探した結果、便所の前の広場に寝ることにした。

夜食を食べて、寝仕度をする。ここは、山の中なので、5月とはいえ、夜になると寒い。Tシャツの上にパーカーを着て寝袋に入った。仰向けになって空を見上げると、星がすごく綺麗だ。暗くて空気が澄んでいるために星がよく見える。あれはオリオン座、あれはもしかすると、北斗の死兆星かと思っているうちに深い眠りに落ちていった。多分、時刻は午前12時前。

目覚め

夜中にあまりにもの寒さで目が覚めた。寝る時も寒かったが、夜中の方がもっと寒い。あまりの寒さで、起きた時は、ガタガタ震えていた。この寒さの原因は、どうやら道の駅の側にある谷川らしい。谷川から冷気が上がってくるのだ。谷川の方に顔を向けて寝ていると、そよそよと冷たい風が顔に当たって寒い!

これでは、寝ることができないと思い、靴下を履いて、パーカーの上にもう一枚着こんで、体をイモ虫のように丸くしてから、もう一度寝入った。

星空は、相変わらず綺麗だ。翌日は、快晴だなと思った。


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