Road To 出雲 第三弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2005年10月01日(土)
前回遅刻した小野は、信用ならないので、午前4時に携帯に電話して叩き起こした。受話器の向こうの声が、死にそうなくらい弱々しかったので、理由を問うと、つい1時間前まで同級生達と飲んでいたと言う。その弱々しい声は、「そういうことで、今日は勘弁してください。」と言わんばかりのように聞こえた。しかし、だから何だというのだ。漢は決めたことは何があってもやらなければならない。いかなる言い訳も通らないのだ。ましてや飲んでいたなんて自分の都合である。出雲ランには全く関係がない。「時間に遅れるなよ。」とだけ言って電話をきった。
今回は、前回ランを終えた三隅町の道の駅まで行かなければならない。午前7時にランをスタートするには、その2時間前には集合しなければならないため、集合時間が午前5時となった。幸い、小野も何とかギリギリに集合場所に来たので、誰も遅れることなく三隅町に向けて出発することができた。
おっと!エテのことを忘れてはならない。運良く出雲ランの前日にアメリカから帰国したエテが急遽、参加することになったのだ。日頃、激務のため殆ど運動することのないエテだが、急な私の参加要請にも快く応じてくれた。これも、何時なにがあっても大丈夫というラグビーで培った強靭な精神力を持っているからであろう。エテなら、どうにかしてでも完走してくれるだろうと思った。が、この出雲ランがどれほど苛酷なランかをエテには伝えてなかった。
前回、ランを終えた三隅町の道の駅には、予定より早く午前6時半過ぎに到着。スタートする時間までは、時間があるので、各自、朝飯を食ったり準備体操をしたりして、スタートに備える。私の助手席に座り、移動中も私と話をしていたエテ以外の3人は、その間寝ていたのだが、やはり睡眠不足からか、眠たそうに見える。特に殆どといっていいほど寝てない小野からは、全くといっていいほど生気が感じられなかった。それでも、刻一刻とスタートの時間は近づいてくる。皆の表情からは、「やりたくねえなあ。」という気持ちが伝わってくる。こんな早朝から40㎞以上も走るのだから、その気持ちは、経験者である私にも痛いほど良く分かる。しかし、甘えてはいられない。スタートする前から闘いは始まっているのだ。
そう、この出雲ランは自分との闘いである。40㎞以上という長丁場を己と闘いながら走り、又は歩き、己を見つめていくのである。全て終えた後には何かが待っているのだ。
そういう訳で、塾生達の気持ちなどお構いなしに、ほぼ定刻どおりに三隅町の道の駅をスタートした。最初は、皆、体が暖まってないのか、それとも気持ちにエンジンがかからないのか、いきなり走りだす者は一人もおらず、4人がかたまって歩いていた。このまま、しばらくは歩き続けるのかと思いきや、200~300mほど進んだところで、誰かが走りだしたのを機に全員が走りだした。それを見届けてから、私も給水車に乗り込み、塾生達を抜き去り、給水ポイントに急いだ。
スタートしてから4㎞の地点で、まずは最初の給水。岡田を筆頭に山ちゃん以外の3人が先に到着。山ちゃんも1分遅れぐらいで到着。朝の涼しさもあって皆、まだまだ余裕の様子だった。ここでは、水を入れるだけのわずか3分ばかりの休憩で、皆、次に向けて出発した。
塾生達が走り去るのを見届けてから私も車に乗り込む。次も4~5㎞の地点に停まって給水を行おうと考えていたが、どんどん街中へ入って行くようになり、車を停めるような場所が見つからない。おまけに朝の通勤ラッシュで、車の通行量が多くなったために、あまりキョロキョロしながら運転していると事故をしそうで怖い。そうやってキョロキョロしながら走っているうちに、車を停めるのに適した場所を発見したが、その場所は、前の給水ポイントから7㎞も離れていた。
少し戻って給水しようかとも考えたが、面倒臭いし、まあどうにかなるやろうと思い、戻るのをやめた。給水ポイントで待つこと40分。ようやく岡田と小野の2人が到着した。それから少し遅れて、エテ、山ちゃんの順に到着。スタート地点から11㎞走っているのだが、まだまだ誰からも疲れた様子は見られない。また、運動不足のエテがここまで岡田や小野について走ってきたというのが驚きだった。80kg近くまでウェイトを増量しているというのに大したものである。
ここでは、先ほどの給水ポイントよりも気温が高くなってきていることもあり、先ほどよりも長めに休憩をとった。全員が走り去ってから、私も次の給水ポイントを探しに出発したのだが、やはり街中が続くとあって、適度な距離のところに車を停められそうな場所がみつからない。今回は、前回や前々回とは異なり、給水ポイントを探すのに苦労する。5㎞を過ぎ、7㎞を過ぎ、10㎞を過ぎても車を停める場所が見つからない。11㎞を過ぎたあたりで、ようやく車を停める場所を見つけたのだが、さすがに11㎞では離れ過ぎである。こんどは何とかなるやろでは済まない。やむを得ず、戻りたくないという自分の尻に鞭打って戻ることにした。
嫌々そうしたところ、2.5㎞戻った地点に郵便局の駐車場を発見。土曜日は郵便局は休みなので、そこに車を停めて皆を待つことにした。しかし、2.5㎞戻ったとはいえ、前の給水ポイントから8.5㎞も離れている。また、気温もますます高くなってきていることもあって、喉が渇いてひもじい思いをしないか少し心配になった。だが、これ以上戻るのも車を停める場所を探すのも面倒臭いので、もう動く気にはなれなかった。
待つこと30分。クーラーの効いた私の好きなハードロックがガンガン流れる車内でウトウトしかけた時に、岡田と小野の2人が到着した。うかつだった。最低でも塾生達が到着する1~2分前には車内から出てお迎えをするというのが私の流儀だったのに、それができなかったのだ。完璧主義の私にとってこの事は非常にショックなことであった。しかし、一度でもそれができなかったということは、完璧ではなくなったことである。よって次からはやってもやらないでもいいことにした。
岡田と小野は、朝のお勤めをしたいらしく、水を入れると、1㎞先のコンビニに向けて猛ダッシュで走り去った。スタート地点から20㎞近く走ったこの給水ポイントでは、ぼちぼち差がつき始めたようで、岡田と小野の次に来た山ちゃんもその次に来たエテもそれぞれ3~4分づつ遅れていた。エテはそろそろ足が痛くなってきたらしく、しきりに足をマッサージしていた。これまで2回のランをこなしてきている山ちゃんは回を重ねる度にレベルアップしているから問題ないものの、長距離ランが初めてのエテには、20㎞を超えるこれからが正念場であった。最後のエテが出発してから、私も出発。
1㎞先のコンビニでは、岡田と小野の両名が朝のお勤めを頑張っていた。「お勤めごくろうさまです!」とだけエールを送って私は先を急ぐ。今度は、丁度5㎞ぐらい行ったところに駐車場の広いローソンがあったので、そこを給水ポイントにすることにした。何か懐かしい感じのするローソンだなと思ったら、ここは自転車で出雲へ行った時に立ち寄ったローソンだった。あれから3年とちょっと経った。時間が経つのは早い。つい、当時のことをいろいろと思い出してしまった。当時と移動手段は違えど、今また同じようなことをしているのを面白いとも思った。
ここで待つこと30分。岡田達はどうせまだ来ないだろうと、車の中で雑誌を読んでいて、ふと窓の外を見ると岡田と小野が走り過ぎようとしているではないか。急いで外に出て、岡田達を呼び止めた。先ほどまでのペースを予測していたので、まさかここまでペースが速いとは思わなかったのだ。これだけペースが上がったのも、朝のお勤めをしたからかもしれない。
このローソンは、スタートしてから約25㎞の地点。岡田の方は、まだまだ余裕があるように見受けられたが、小野の方は少々グロッキー気味であった。昨日、遅くまで呑んで寝てないのが原因ではあるが、自分がしたことだから仕方がない。それでも、岡田のハイペースについて良く頑張っていると思った。小野には、「残り何㎞かは分からないけど頑張れよ!」とだけエールを送った。
岡田達から遅れること15分、エテと山ちゃんが次々とローソンに入ってきた。エテはますます足が痛くなってきているようだったが、まだそれほど深刻な事態ではないように見えた。驚きは山ちゃんだった。ペースは岡田達に比べると、遅いものの、この地点では足の痛みは殆どないとのことであった。山ちゃんも回を重ねる度に進化している。それは他の者も同じだが、もともとある程度のレベルに達していた岡田や小野と違い、常人レベルだった山ちゃんを見ると、尚更そう感じるのだ。山ちゃんの成長を嬉しく思うと同時に、ここ2回ほど伴走車を運転して走ってない私としては、山ちゃんだけ上のレベルに行って、置いてけぼりにされるような気がして寂しくなった。私も普段から暇をみつけて走ることをしなければ!
ここでは、岡田達が来てから35分もの長き時間を過ごした。塾生達の疲労の度合を考えると、これからは休憩時間が長くなることが考えられた。浜田市街を抜け、水族館のアクオスを過ぎたあたりに広い駐車場を発見。迷わずそこに入った。駐車場に立てられた案内看板を見る限り、ここはもう江津市であった。広い駐車場に綺麗な公衆便所に、屋根付きの休憩所。思わず、野宿するのにうってつけの場所だと思った。お遍路の時には、毎日このような寝る場所を探して彷徨っていたので、そのクセが抜けてないようだ。公衆便所の向こうは、すぐ海水浴場になっていた。季節外れの海には一人だけサーファーがいるだけで、他には誰もいない。蒼い空に青い海。まだ夏を引きずっているいるような強烈な陽射しがキツかったが、湿気の抜けた心地よい潮風に吹かれながら、塾生達が来るのを待った。
待つこと25分、もう岡田達が来た。相変わらず速いペースだ。しかし、ここはスタートしてから30㎞ほど進んだ場所。さすがに岡田も顔に疲れが出ていた。小野なんか、座り込むといつでも眠りに入りそうなぐらい疲れきっていた。疲れをねぎらうため、両者にお茶を差し出すと、岡田は飲んだものの、小野は冷たいものを自販機で買うから要らないと言う。先ほどから、他の者もこのような調子で用意しておいたお茶が一向に減らない。これではいけないと思い、「ええから飲め。冷たいものは体に良くない。緑茶に含まれるカフェインは、眠気と疲れをとるんだ。」と、もっともらしいことを言って半ば無理やりにお茶を飲ませた。その後、岡田達から遅れること10分で山ちゃんが、更に遅れること10分でエテが到着した。10月とは思えない強烈な陽射しで、2人ともかなりまいっている様子だった。
時刻は午前11時を過ぎていたため、陽は更に高くなっていたのだから、陽射しが強いのも無理はない。ここへ来る途中に路上の温度計を見たら32℃を指していた。いやはや真夏並みの気温である。これも地球温暖化が原因か?10月で涼しいから前回より楽と思ってタカを括っていたのに、とんだ計算違いである。おかげで塾生達は著しく体力を消耗してしまったため、ここでは、皆の体力の回復を考えて、先ほどの休憩よりも更に長く40分の休憩をとった。休憩を終えると、塾生達は渋々立ち去った。それを見届けて私も出発。
目標地点は一応、温泉津町にしているので、先はまだ長い。最初の頃のように、停車場所がないからといって、給水間隔を長くすると塾生達にはキツいので、神経を尖らせて車を停められるわずかなスペースでもないかと探す。探すこと5分。丁度、4㎞ほど走ったところの道路脇に空き地でも駐車場でもない、車が一台ほどすっぽり入れるスペースを見つけたので、そこに車を停めた。我ながら、普通に走っていたら見過ごしそうな場所を見つけたことに感心した。
待つこと20分。また速いペースで岡田達が到着した。この炎天下の中、30㎞以上も走って疲れているだろうから、もう少しペースを落としてもよかろうものなのに、意地になっているのだろうか。しかし、その妥協を許さない姿勢は大したものである。岡田達が、水を入れて車の後ろでうずくまっていると、私達の後ろに一台の軽自動車が停まった。中にはおばさんが乗っていて、私に何かを話しかけている。周りが車の往来が多くてうるさいため、おばさんの言っていることが良く聞こえるよう軽自動車に近づくと、おばさんの言っていることが分かった。「何かあったんですか?助けましょうか?」と言っていたのだ。どうやら、うずくまっている岡田と小野を見て気分が悪いかケガをして困っているものと勘違いしたらしいのだ。すぐに、「何ともありませんから。休んでいるだけですから。心配していただいてどうもすいません。」とだけ言っておばさんにおひきとり願った。世の中には、わざわざ車を停めて、困っているように見える私達を助けようとしてくれる親切な人もいるものだ。困っているように見えたということは笑えたが、おばさんの親切な行為は嬉しかった。
岡田達が到着してから18分後に山ちゃんが到着したが、給水をして休憩するものかと思いきや、そのまま走り去った。少しでも距離を稼いでおこうというところだろうか。山ちゃんから遅れること13分、今度はエテが到着した。エテも途中で、ペットボトルの清涼飲料水を購入したらしく、給水することはなく少しだけ休憩してから、岡田達と3人で出発した。
これからは、江津市街に入るため、車を停める場所がないことが予想される。そこで、できる限りスピードを抑えて注意深く、周りを見渡しながら走るのだが、なかなか適当な場所を見つけることができない。5㎞を過ぎ、7㎞を過ぎ、気がつくと9㎞近く走っていた。さすがにこれはいけないと思い、4㎞ほど戻ったところにあるホームセンターの駐車場に車を停めた。そうして待つこと25分。もっと遅く到着するかと思いきや、またも私の予想を裏切り、予想より早く岡田達が到着した。今度は、山ちゃんも一緒だ。その13分後にエテが到着。エテは、足がかなり痛むらしく、「俺はもうこの辺りでええぞ。最後までは無理かもしれんぞ。」と、らしくない弱音をはいていた。確かに、足が痛いのは分かる。体力を消耗しているのも分かる。しかし、こいつが途中で物事を投げ出すような奴でないことは、この私が一番分かっている。「足が痛うても死ぬわけじゃないから大丈夫や、とにかく最後までやるぞ。」と、他人事のようなセリフをはいて、エテの言うことはきかなかった。
ここでも、皆の体力の回復をはかるため、30分以上の長めの休憩をとった。この地点で、既に40㎞近く走っていた。温泉津まで、残り20㎞弱と、皆に伝えると、「まだあと20㎞もあるの!」というような絶望的な表情をしていた。その気持ちは分かるが、やるしかないのだ。「頑張れよ!」他人事のように言って、今度は先に私が走り去った。江津市街を抜け、ようやく交通量の少ない郊外にでた。これなら、車を停めるところは幾らでもあるかと思いきや、これがなかなかない。探しながら走っていると、適当な場所を見つけることができたが、7㎞近く離れてしまった。今度は、戻っても車を停める場所などないので、悪いなとは思いながらも、そのまま待つことにした。
朝早くから起きて、車を運転して気をつかっていたのが疲れたのか、横になると睡魔が襲ってきてそのままウトウトしてしまった。が、すぐに私の車の横に車が停まった音で意識が戻った。誰が車を停めたのかと思い、窓の外を見ると、停まったのはパトカーであった。警官がパトカーから出て、私の方に来たので、「どうしたんすか?」と聞いた。「いや、この辺では事故が多いものだから、見回りをしているんですよ。ここで何をされてたんですか?」と、訊かれたので、「いや、人を待っている間に眠くなってウトウトしてたんですよ。」と答えると、「すいませんが免許証を見せてください。」というので免許証を見せた。その後も、職業やら、どこから来たとか、これからどこへ行くのかいろいろと聞かれた。どうやら不審者と思われたらしいのだ。俺なんてどこからどう見ても不審者になんて見えないのに、この警官は一体何を考えているのだろうか。人をよう見てものを言えよと思った。質問は5分ぐらいで済んだが、せっかくの眠りを妨げられたことと、疑われたことで腹が立った。
そうこうしているうちに岡田達が到着。さすがの岡田達も、もうあまり余力はない様子。とてもではないが、エテ達のことも考えたとして、このペースで行くと、温泉津まで行くと日が暮れてしまう。ここは英断をくだして、温泉津まで行くのはやめることにした。その代わり、あと7㎞ほど走って、丁度50㎞ほど走ったところをゴールにすることにした。岡田達は、10分ほどで休憩を終え、ゴールに向けて出発した。そのすぐ後に山ちゃんが到着。お茶だけ飲んで、すぐに岡田達を追いかけた。
さて、肝心のエテだが、いくら待ってもなかなか来ない。10分が経ち、15分が経ち、さすがに心配になって様子を見に行こうかと思った時にようやくエテが到着した。もう、歩くのも辛いぐらいに足が痛んでいたようだが、次が最後とだけ伝えると、無言のまま座り込んで足のマッサージだけして、すぐに行ってしまった。これが最後と思うと、力が湧き出たのかもしれない。やはり、この男は物事を中途半端で終える奴ではない。皆が去った後に私も最後のゴールを見つけるために、車をとばす。まずは、5㎞ほど走ったところにあった空き地で岡田達を待つ。ここは予定より2㎞ほど短い48㎞地点だが、ここを過ぎると、ゴールするのに適当な場所がないと思い、妥協して距離を短くすることにしたのだ。そして待つこと20分、岡田達が来たが、岡田達はどうしてもきりのいい50㎞までは走りたいと言う。その心意気や良しと思い、岡田達の意思を汲んで、もう2㎞行くことにした。
しかし、問題は2㎞先に丁度ゴールするのに適した場所があるかどうかということだった。50㎞の手前でやめるわけにはいかないので、適した場所がなければ距離が伸びてしまう。それも、どれくらい伸びるかは検討がつかない。場所がなければ、道路脇に無理やり車を停めて、無理やりゴールさせようかとも考えたが、それでは味気ないし、目標物がないので、次回のスタートする場所がわかりにくくなってしまう。よって、距離は伸びても、きりのいい場所をゴールに選ぶことにした。そう考えて進むこと2㎞ちょっと。ゴール場所としては地味、次にスタートするにしても目立たない場所ではあったが、車を停めるのも、皆が休むにも十分な広さで、しかも丁度50㎞進んだ地点に、空き地を見つけることができたので、そこをゴールにすることにした。
丁度50㎞地点に空き地を見つけることができるとは、何たる幸運!これも私の普段の行いが良いからであろうか。そして待つこと30分。岡田と小野が走り始めから全く離れることなく、最後も2人揃って仲良くゴールした。漢塾でも1・2位を争う体力の持ち主である2人だが、この暑さと今までにない長い距離でかなりへばっているようだった。岡田も小野も完走して当たりまえの力量を持った奴だが、特に小野は、寝てないにも関わらず、最後まで岡田についてよく完走したものだと思った。その根性は褒めてやってもいい。
岡田達から遅れること5分。山ちゃんが到着した。この悪条件下で完走するのも大したものだが、岡田達とタイムが5分しか離れてなかったというのはすごい。山ちゃんは回を重ねる度に進化していると思った。これも褒めてやっていいだろう。
最後に山ちゃんから遅れること34分。ついにエテが到着した。途中で、弱音を吐いたものの、普段全く運動をしないエテが、いきなり出雲ランに挑んで過去でも最高の50㎞を完走したのはすごく立派。体力はないものの、見事に根性だけでのりきった。さすがに、高校、大学とラグビーをやっていただけのことはある。これまた褒めてやっていいだろう。
塾生達は、肉体的にも精神的にも疲れきっていたのだろう、しばらくは座ったまま動こうとしなかった。私は傍らで何も言わず、それを見守っているだけだった。今回のランも、塾生達が無事に完走できたことも嬉しかったが、それよりも、私が思っている以上に塾生達に根性があるということが分かったのが嬉しかった。塾生達は回を重ねる度に進化している。そして、塾生同士の絆も深くなっている。そして、これからも肉体的、精神的進化と、絆の深化はどんどん進められることだろう。出雲ランの目的はそれだけではないが、目的はいろいろな側面で達成されつつある。出雲に着いた時は一体どうなっているのか?それが今から楽しみである。
参加者の感想
山ちゃん
第3弾の今回は過去最長の50km進んだ。1日でこんな距離を自分の足で移動したのは生まれて初めてだ。そして出雲まであと65kmぐらいのところまできた。今回は本当に疲れたけど、今は次の第4弾が待ち遠しい。
エテ(漢塾 アメリカ支部長)
アメリカよりわざわざ帰国してマラソンはないだろうと思ったが、強引な塾長に押し切られた 形となりイベントに参加することとなった。何せ昨年の2月以来のマラソン(Virginia Beach:5K)である。5K でも疲れたのに今回は40Kという。まあ、走れなくなればリタイアすればいいと思って参加 したのが間違いだった。(塾長がリタイヤさせる訳がなかったのだ。しばらく会っていなかったので塾長の性格を忘れ ていた。)
最初は40Kといっていたが、塾長の温泉の入りたさに切の良い温泉津まで行くという。ざっと地図上で距離を計算して46Kだと言う。これが後々に問題となる。脳みそも筋肉で出来ている体力だけの塾長がざっと正確に計算できるわけがなかったのだ。
最終的に温泉津までの距離は60K近くあったのである。 さすがに塾長も悪いと思ったらしく、50K地点の温泉津の手前にて今回のランは終了した。50Kである。フルマラソンより長い距離である。
もちろん初めての経験である。20Kまではペースよく何とかジョギングらしく出来た(2時間弱)ものの、それ以降は徒歩で歩き ながら50K迄到達した。達成感とかそんな大業な感動的なものではなく、アメリカより帰国して何をしているのかということと足の痛みしか残らなかった。
塾長が帰りの車の中で「みんなに自慢ができるのう」と言った。みんながこんな話を聞いたところで常識的に「アホか?」と言われるのが筋である。
ああ、足が痛え! うんこするのが辛え!(実家は様式便所でない・・・。)
岡田、小野、乙丸、次回も頑張って走ってくれ。そして出雲まで行ってくれ。海の向こうからお前 等を応援するぞ! それと足が痛くなって時間がかかった俺を待っていてくれてありがとう。俺はもう参加できねえし、しねえ!しかしながら、来年のRock’n Roll Half Marathon in Virginia Beach:20Kは出場してみようと思う。
小野
早朝から走るのはすがすがしい気持ちで、ペースも悪くなかったのですが、昼からは暑さでダウンしてしまいました。今回のゴールを温泉津にしようとのことで、看板を探すのですがなかなかないまま50km地点まで行き今回のRUNは終わりました。今回はとにかく暑くて疲れました。
岡田
予想以上に高低差が前回と変わらずあり、さらに距離が今までで最長の50kmもあったので今回が一番辛かったです。お陰で、今回は歩かないという目標も叶いませんでした。
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