大型免許悪戦苦闘記

カテゴリ
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開催日
2004年05月26日() ~ 2005年08月18日()

(第1回目)平成15年5月26日

受付が8:30~9:45までと聞いていたので、7時ぐらいに家を出発する。交通センターに着くと、受付窓口には人の列が。順番を早く取りたいので並んでいるとのこと。(午前の部と午後の部があり、順番が遅いと、午後の部にまわされる。待ち時間が長くなる。)

受付を済ますと、視力検査があり、それを終えてから技能試験控室で10時まで待機するようになる。9:45分までは、コースを歩いても良いことになっている。10時を過ぎると、教官が来て、車に乗る順番で受験者の名前を連呼する。1号車、2号車と2台あり、この日は受験者が少ないこともあって1号車のみの1台での試験となった。

免許はないものの、大型車には何回か乗ったこともあり、運転テクニックにも自信がある。運転上の細かい規則は、殆ど忘れてしまったが、どうにかなるだろうと、教習所での練習もせずに受験することにした。試験を受ける前に、始めての試験ということで、試験官から受験上の注意を説明される。私の順番は、午前中の部で最後の4番目である。試験車は、日野自動車の日野レンジャーで、6t車である。10t車を運転したことのある私には小さく感じる。これなら楽勝と思いきや、試験が始まってもコースを覚えてないどころか、通常の道路でするような運転をしてしまったために、あっという間に減点超過。本来ならば、すぐにお帰りのところを今日が初めてということと、教官の情けで最後まで走らせてもらった。

合否の発表も午前の部と午後の部の2回あり、午前の部は大体11:45~11:50の間に行われる。自分は結果を確かめるべくもなかったが、電光掲示板で確かめた。もちろん不合格。

帰る前に、待合い室で知り合った人に教習所での走り方を教えてもらう。次回に生かすためである。

運転する技術さえあればいいと思っていたが、その考えは甘かった。とりあえず、試験を受ける手順だけでも分かったので、今回はこれで良しとしておこう。

(第2回目)平成15年6月27日

朝7時前ぐらいに出発して、交通センターに着いたのが8時過ぎ頃。既に人が並んでいて、こりゃあ午前中の部は無理かもと思ったが、運よく午前中の部に滑り込む。

前回から1ヶ月が経過しているが、その間に試験対策は何もしてない。どうせまだ無理やろうという考えが頭にある。有休とって、小郡まで来て、金も出して試験を受けるというのにこんな気の持ちようでいいのだろうか。

今日、知り合った宇部市の消防士の人とコースを40分ぐらいかけてまわる。まだ、よくコースを熟知してない。消防士の人は今日が9回目とのこと。自分より早く合格した同僚もいるが、決して運転がうまい訳ではないらしい。ここでのやり方に添った運転をしなければならないとのこと。自分の前の順番の奴が、クラッチをよく踏まないでギヤを入れようとするものだから、走行中にギィーころガァーころ鳴らせて、途中でお帰りになったため、自分の順番が繰り上がった。

2回目ということもあり、コースをスムーズにまわれはしたが、ミス多し、結果は確かめるべくもない。案の上、電光掲示板に自分の番号は出ず。消防士の人は見た感じは、出来が良いように思えたのだが、不合格であった。かなりがっくりしていたように見えた。まだ、自分は回数が少ないので、試験に対する緊迫感というものが足りない。もう少し、気合を入れなければ、回数をすぐに重ねてしまう。

(3回目)平成15年7月8日

大型免許を既に取得しており、それ関係の仕事をしている友人にアドバイスをしてもらうために同行してもらう。7時過ぎて家を出たので、着いた時は8時を過ぎており、残念ながら午後の部となった。

待合い室で、某アントニオ猪木似の市会議員の選挙秘書をしていたY氏と会う。選挙が終わり、職が無くなったので、今度はバスの運転士をするために、まずは大型一種免許を取って、その次の大型二種免許を取るとのこと。今回が4回目とのこと。今回もコースを歩く。友人から要所、要所で細かい指導を受ける。これまで知らなかったことばかりで、これなら合格間違いなしと、意気込んで受験したが、くだらないミスをしてしまい、敢無く不合格。Y氏もダメだったようだ。

折角、友人に休みを取ってまでついてきてもらったのに、申し訳ない。合格した暁には、パチンコに連れていってやろうと思う。

(4回目)平成15年7月29日

夏休み期間中だから毎週来れると思ったのに、珍しく仕事の都合で、今まで休みが取れなかった。早めに出発したのだが、雲雀峠を過ぎたあたりで、試験票を忘れたことに気付く。ここから自宅まで20分、往復して現在地点まで戻ってくるのに40分かかる。40分オーバーしたら、午前の部には入れない。葛藤した挙句、そのまま行って、再発行してもらうことにした。再発行には時間がかかるが、それでも、もしかしたら運良く午前中の部になれるかもしれない。実際、自分の判断は正しかった。ギリギリで午前中の部に入ることが出来た。

今日もY氏と出会う。大型一種は7回目で合格したという。今日が大型二種の7回目だとのこと。わずか3週間の間にそこまでいってたのかと、驚く。

今日も午前中の部。ここのコースでの走行もだいぶ慣れてきた頃、そろそろ勝負を賭けようという気になる。気合が入っていたからか、今までよりはスムーズにミスもなくコースをまわることが出来た。「手応えあり!」そう感じたので、ドキドキしながら掲示板を見ていたのだが、結果は、見事に撃沈。何で?とも思ったが、細かいところでミスがあったかもと思い、潔くあきらめる。ガックリしながらも確かな手応えを得た感触。

(5回目)平成15年8月6日

朝6時半に出発、今日も午前の部。Y氏は来てない、あれから1週間経っているので、もしかしたら既に合格しているのかもしれない。謙虚に考えてみたところ、自分の知らないことがたくさんあるのではと思い、周りの者に声をかけて勉強会を開き、情報交換をする。5~6人で情報交換をすると、自分の知らないことがわんさか出てくる。なるほど、あくまで自分の知っている範囲のことをいくらミスなく出来ても、足りてないことが多いので、これでは「出来た!」と思っても不合格のはずだ。前回、不合格だったことに納得する。待つ間に熱い討議を続けたおかげで、ここはこうしなければならないという大切な情報を仕入れることが出来た。

早速、コース内を歩いて、シミュレートする。聞いたことは、大体覚えた。後は、試験で覚えたことを実行するだけである。

いざ実行するとなると、頭の中で考えていたことが出来ない。無理もない、頭では分かってはいても、体で覚えてないからだ。運転の操作ミスは無かったのだが、目視等の安全確認が抜けた箇所が幾つかあった。

掲示板を見る時は、それでも、もしかしたらと思ったのだが、やはり不合格。自分でも、出来てない箇所が分かっていたので、納得。知り合いになったトラック会社を首になった運転手は、よほど自信があったらしく、顔が青ざめていた。

覚えたことを体に叩きこもうと、帰りに公道で練習してみる。目視に気をとらわれて、危うく前の車にぶつかりそうになる。危ない!危ない!練習する時は、前後に車や人がないことを確認してやらなければ。

次回は6回目である。当初は、試験票1枚で終えることを目標としていた。(1枚で7回受験できる)

残るは、あと2回である。もう勝負をかけなければならない。少しやる気になったので、寝る前に今日、仕入れた情報を忘れぬよう、紙に書いて、もう一度復習した。

(6回目)平成15年8月13日

交通センターは盆でもやっている。盆だから人が多いかもと思い、いつもより20分早い6時20分に出発する。現地には7時40分ぐらいに着いたのだが、既に受付には人が一杯である。もう少し早く出発すれば良かったと後悔したが、どうにか午前中の部になることが出来た。

「塾長さん!」と、声をかけられたので、振り向くと知人だった。免許の更新で来たとのこと。交通センターぐらいなら、知人と出会うことも有り得る。試験に集中したいので、話すまいと思ったのだが、話したそうにしていたので、やむなく相手をする。おかげで、かれこれ1時間が無駄になってしまった。

気をとりなおし、知り合いになった山口市の消防士と、トラック会社を首になったおっさんとで、コースを歩く。いつもながらの実況検分で自分が実際にトラックに乗って走っている姿をイメージする。コースを走り終えた姿を完全にイメージ出来たので、「今日はバッチリだ!」と思い、試験に臨む。

そして、いざ試験である。今日は初めての2号車である。クラッチの遊びが、1号車とは全然違う。戸惑いを感じながらも、最初はイメージ通りに出来たのだが、クラッチの遊びの違いが坂道発進で凶と出てしまった。クラッチの上げようが足りないで、発進する時に車が下がってしまったのである。「やってまった!」と、後悔するのも遅く、横で教官がチェックしている。これで、かなり減点されたと思いながらも、気をとりなおし、残りを慎重にこなす。

試験を終えて、ガックリうなだれる。あのミスはかなり大きい。いくら他で減点がなくても、合格は限りなく難しいだろう。電光掲示板を見る気にもなれない。結果は案の定、不合格。

朝早く起きて、昨日も遅くまで復習して、休み使って、金も使って、その全てがあのミスでパーになってしまった。結果には充分、納得しているのだが、ショックが拭い切れないので、帰りに長門峡に寄り、山の緑の中で、川のせせらぎの音を聞きながらしばらくボーっとしていた。いつの間にか寝込んでしまったらしく、夕方も近いのか烏が鳴いている。烏が鳴いたから帰ろうと、起き上がったら、外で寝たから蚊にかぶられまくっている。痒い!痒い!と体中を掻きながらも、気分はすっきりしていた。どうやら自然の中で寝て、癒されたようだ。自然の力と睡眠のすごさを感じた。

ダメだったことは仕方ない!明日頑張ればいい。明日も早起きだ。

(7回目)平成15年8月14日

昨日は、6時20分でも人が多かったので、6時前に出発する。7時頃に着いたので、今日は1番のりだと思いきや、昨日、知り合いになった小野田市の人が先に来ていたので、残念ながら2番手だった。しかし、午前中の部なのは間違いない。今日は、昨日のことを反省し、悪いだろうと思われる箇所をチェックしてきたので、少しは自信がある。

受付を済ませ、コーヒーでも飲みながら皆と試験対策でもしようと思ってコーヒーを買いに行こうと思ったら、「塾長!」と呼ぶ声が。振り返ると、萩クラブ(ラグビー)の知人だった。違反で点数が無くなったから講習を受けにきたらしい。こいつのこと嫌いではないが、話しこむと絶対に長くなるのが分かっている。試験に集中したいので、話すまいと思ったのだが、話したそうにしていたので、やむなく相手をした。 また1時間が無駄になってしまった。

私を含めて、他の者もかなり回数を重ねているので、皆かなりナーバスになっている。暗い雰囲気が辺りを支配し始めたので、いつもどおりコースを歩いて実況検分しようぜ!と呼びかけ、コースに出た。

ここはこうする、あそこはこうすると、自分が身振り手振りを交えて指導することを皆、熱心に聞いている。我ながらこれなら自動車学校の教官ぐらい出来るかもと思ったりもしたが、未だに不合格の自分がああだこうだ言うのもどうかと思った。

私の順番は、2号車の2番目である。そしていよいよ自分の番、同じ轍は踏むまいと、坂道発進も念入りにやり、S字、クランク、安全確認等も出来た。自分の思った限り、目立ったミスはなかったはずだ。これは期待出来る!と思い、電光掲示板の発表を楽しみに待った。

最初は、皆でしゃべりながら待っていたのだが、発表の5分前ともなると空気がズーンと重たくなり、会話も途絶えた。「もう、俺はここへ来たくない。お願いだから、この集団から一抜けさせてくれ。」と心の中で叫んだ。多分、他の奴も同じことを思っているはずだ。

そして結果発表、結果は・・・・。無意識のうちに、足は秋吉台に向かっていた。天気は悪いとはいえ、盆なので、人はそこそこ多い。台地の草木は緑なのに、赤とんぼが飛んでいる。赤とんぼは5月から目撃している。地球の温暖化、異常気象、「今年の米は高いのだろうか?また、あのまずいタイ米を食わなければならないのだろうか?」と考えているうちに寝てしまった。起きたら、どうでもよくなっていた。またも自然の力で癒された。近くの宝石屋に寄って、ブレスレットを購入しようかとも考えたが、やめた。今の自分には必要ない。

なんだか、落とされ慣れた感がある。このままでは、いけないと思い、思い切って、あの人に電話してみることにした。

(再会)平成15年8月17日

氏には、前日にコース概要を教えて頂きたいとお願いし、アポはとってある。氏とは18日ぶりの再会となる。実家が浜崎とは聞いていたが、電話番号交換をして良かったと思った。氏とは、Y氏である。Y氏の家でやろうかとも思ったが、人に聞かれるとマズイので、喫茶店に場所を移してやることにした。Y氏にコース概要を教えて頂きたいと、お願いしたのは、実際合格した人に教えてもらった方が良いと判断したからである。

Y氏は教習所に行かないで、大型一種を7回、二種を10回で合格したとのこと。7月31日に全て終了させたので、交通センターに行っても会えないはずだ。自分が一種で手間取っている間に二種まで取ってしまったのかと思うと、そのすごさに感心する。

確かに運転は上手だと思った、でも上手なだけでは合格出来ない。安全確認、コースの走り方、要所要所での必要動作など、知っておかなければ出来ないことがたくさんある。Y氏は、周りの人から聞いたと言われた。1時間以上もY氏に熱弁をふるってもらった結果、何ヶ所か自分の知らなかったことがあることが判明した。話していて頭の良い、要領のいい人だということは分かった。これなら早く合格するのも頷ける。

合格した人から聞いたのだ。合格してない人から聞いたよりは全然、信憑性がある。失った自信も復活してきた。これで、次回はバッチリだ。

現在、無職で暇とはいえ、たいした関係でもない私に付き合ってくれて、しかも懇切丁寧に細かいところまで教えてくれたY氏には、いくら感謝してもし足りないぐらいだ。早く合格して、もう一度御礼が言いたい。

(8回目)平成15年8月20日

前日に念入りにコースと、やらなければならない項目をチェックした。緊張のあまり寝付けないかと思いきや、よく寝れた。私の場合、緊張と睡眠は関係ないようだ。

6時45分頃に現地に着いたから、今日は1番乗りと思いきや、小野田市の人もほぼ自分と同時に着いていた。今日も午前中の部は確定。しかも、受験番号は1番だった。1番とは縁起が良い。今日は決めたる!

いつもの現場検証を終え、皆でミーティングした。10回ぐらい回数がいけば、比較的合格させてもらえ易くなること、合否は教官の気分によって決まることなど、いろいろな噂話が出た。本当かよ!と思ったが、さすがに回数を重ねると信じたくもなる。自分が今までに蓄積した知識をレジュメにしたものと、自分で作ったコース図を皆に配る。かなり有難がられた。

もしかしたら10回越えたぐらいには合格し易くなるかもしれないが、自分は今日、合格したい。もうここには来たくないのだ。だからY氏にも教えを請うた、昨夜も繰り返し復習した、車輌感覚も問題ない。自信はある。

始まってしまえば、そんなに緊張はしないのだが、本番前はいつも緊張する。今回は、いつもの緊張に輪をかけて緊張している。勝負を賭けているのだから無理もない。

仲間がたくさん出来たのは、良いことだが、勝負を賭ける時は、極力一人になりたい。周りに人がいて話かけられると気が散る。

そして、いよいよ自分の番。本番が始まってしまうと、気が楽になる。気持ちが落ち着いていたため、最初から最後までスムーズに、自分の思うように出来た。大きなミスもない。Y氏に教わったこともきちんと出来た。パーフェクトとまではいかないけど、自分でなら90点はつけてもいい。教官から見たら、70点ぐらいで、ギリギリ合格か!と内心ウキウキしていた。

発表5分前、仲良しグループ内は、いつものようにズーンと空気が重たくなり、誰も話さなくなる。試験が始まる前も、終わってからも緊張する。8回目ともなると、その緊張感を楽しむようになってきたようにも思える。でも、緊張するのは、もう嫌だ。今日で、終わりにしたい。

そして発表。自分の番号はない。自信を持っていただけに、かなりショックではあったが、落とされ慣れているせいか、「やはり!」というのが本当の気持ちであった。仲良しグループの他の人達も全員不合格であった。皆、ある程度自身を持っていたため、この結果を受け入れられないでいるようだった。

特にトラック会社を首になったおっさんは、死にそうになっていた。「しっかり!しっかり!」と声をかけて背中をバンバン叩いたら蘇生したが、人の事を心配している場合ではない。自分もマイク・タイソンに思いっきりぶん殴られたぐらいのダメージは受けている。

本来ならば、危篤状態なのだが、何回も落とされて打たれ強くなったようだ。これで自分も10回以上コースか!嫌、嫌、嫌、もうここには来たくねえ。次で決めたる。落ち込んでいる暇などない。

帰りの車中、小野田市の人から聞いた、中部自動車教習所という教習所へ行ってみようと、決心を固めた。費用はかさむが、やれることは全てやってみよう。

(中部自動車教習所)平成15年8月23日

前日に教習所には電話して、料金のことやら営業日、営業時間のことは聞いてある。1回が30分で6,800円、日祝日を除く日は営業しているということで、土曜日しか行く日がないから、この日にした。教習所とは、自動車学校と違い、ここで免許を取ることは出来ない。交通センターで免許を取るための練習なり、指導なりをしてくれるとこである。

ここで、10回ぐらい乗ったら免許はバッチリ取れると言われているが、車輌感覚も技術的には問題はないし、ある程度のことは分かっているので、教えてもらうではなく、コースをまわり、自分では分からない問題点を指摘してもらうことにした。

中部自動車教習所は山口市の嘉川にある。交通センターの手前にあるバイパスを下関方面に走って行き、丁度、中央分離帯が終わったところの右側の山の上にある。山に登る坂がかなりきつい、セカンドでは登らないため、すぐにローにシフトチェンジした。坂を登りきると、いきなりコースの中に出た。教習所の建物があるかと思いきや、何もない。何処に行けばいいんだ!と思っていたら、小さい看板が目についた。「コース内を他の教習車の邪魔にならないように気をつけてこちらにお進みください。」と書いてある。

恐る恐る、コース内を進むと、終戦直後のバラックのような小さい建物が見えた。かなり年季がいった建物である。もしやあれが受付?私の危惧は当たった。中から70代ぐらいの婆ちゃんが出てきて、迎えてくれたのだ。 バラックの中に通されると、中には婆ちゃんと、自動車修理工みたいな青いツナギを着た兄ちゃんしか居なかった。どうやら、この兄ちゃんが教習官らしい。自分の前に先約のおっさんが居たので、30分ほど待たされることになった。

それにしても味のある建物だ。本当に古い、いつ倒れてもおかしくない。当然、冷房なんかあるはずもなく、窓を全開放して、扇風機を回している。その扇風機もかなり古い。金を払う時に見たレジも、壁に架かっている大きなのっぽの古時計もかなり古い。骨董屋で売っていそうなものばかりだ。戦前にタイムトリップしたかのような感覚に陥る。よほど金がないのか、物を大切にするのか、どちらかであろう。コースは草ぼうぼうで、クランク等に設置してあるポールも錆びている。教習車も古い。普通の人が行ったら「ええっ!」となるところであろうが、この古臭さと、それを気にしないところが妙に味があって気に入った。

待つ間に、パトカーのサイレンがうるさいので、窓から下の道路を見下ろしたら、パトカーに車が捕まっていた。スピード違反の取締をしているらしい。上から見ていると、パトカーの隠れているのがよく見える。違反車を見付けるや、猛スピードで追っかけて捕まえる。まるでライオンやチーターのような肉食獣が獲物を捕まえるようで見ていて面白い。自分が見ているわずか20分ぐらいの間に3台捕まっていた。たまたま多い時に見ていたのかもしれないが、1日に何台捕まるのだろうかと気になった。

40分ぐらい待ってようやく自分の番になった。コースをまわる前に自分の技術的なことを見てもらった。全く問題はなかった。いざ、コースをまわってみると、交差点での目視の仕方に問題ありということを指摘された。無駄な目視も多かったようだ。最初のうちにここへ来ておけば良かったとも思ったのだが、大いに勉強になった。来て良かったとも思った。

それにしても、ここの教習官の兄ちゃんは懇切丁寧に教えてくれる。物腰が柔らかく非常に好感が持てる。ダメだったら、また来ようかという気にもなったが、もうここにも、交通センターにも来るわけにはいかない。とりあえず、足りないところは補ったはず。自信もついた。この次は絶対に決める。

(9回目)平成15年8月26日

いつになく気合が入っている。小野田市の人とほぼ同時に現地に着いた。この人とは、いつも1、2番を争っている。初めてこの人と出会った時は、若そうに見えるから年下かと思って、横柄な態度をとっていたが、1つ年上とわかるや自分は、コロッと態度を変えた。私の態度の豹変ぶりに「今までどおりでいいですから。」と、困惑していたようだった。そうは言われても、年上と分かった以上、態度は改めなければならない。この人はいい人だ。彼が初めて、受験しに来てからずっと試験の手ほどきをしている。受験しに来たのは、自分よりずっと後だが、殆ど毎日来ているので、今回は自分と同じ回数になっていた。実家が自動車の修理販売の仕事をしており、肩書は一応、専務である。何かにつけて、いろいろと頼ってくるので、それに応えているうちにいつの間にか仲良くなっていた。

今回は合格するつもりで来たので、この人ともお別れと思うと寂しさも感じた。1週間ほど自分が来ない間に仲良しグループの2人が合格したようだった。2人とも10回での合格だった。いつも落とされる度に死にそうな顔をするトラック会社をリストラされたおっさんが、とうとう居なくなったのかと、感慨に耽った。このおっさんのことでは、教官に「もっとメリハリをつけた運転をしなさい!」と言われて、何を勘違いしたのかコース内をスピード出しまくって即失格になったのが印象に残っている。あれは、2階から見てて笑えた。笑い過ぎて腹が痛くなったほどだ。ここでは、伝説の走りになっているのではないかと思う。

いつもどおりの儀式を終え、10時過ぎから試験が始まった。1番は小野田市の人で、自分は2番である。始まってすぐに小野田市の人が、縦列駐車で脱輪した。前の順番の人が失敗すると、嫌な気がして、変に緊張するものだが、今回は違う。多少は緊張しながらも、非常に落ち着いている。

15分待って、いよいよ自分の番が来た。コースは完璧に頭に入っている。クランク、S字カーブと難なくこなし、いよいよ小野田の人が失敗した縦列駐車である。落ち着いていたため、芸術とも思えるほどの精度で、沿石に沿ってピタッと駐車することが出来た。教官も「こいつはやるな!」と心の中で思ったはずだ。ここまでで、8割方終わっているが、最後まで気を抜くことなく演技を終えた。

少なくとも、自分の中ではパーフェクトである。もう1回、今日と同じことをやれと言われても出来ない程の出来である。今日という今日はしてやったり!である。

待合室に帰ってきてからも、皆に「いい出来だったよ!」、「今日は合格間違いなしですね!」とか言われて鼻高々になったが、ここは謙遜して「まだまだですよ、結果が出るまで分かりませんよ。」と応えていた。しかし、心の中では、既に合格した気でいた。

今回ほど、合格発表が気楽な時はない。缶コーヒーを飲んでくつろぎながら電光掲示板の前でふんぞり返って座って発表を待っていた。まわりから見れば、かなり余裕をかましているように見えたことだろう。仲良くなった小野田の人ともこれでお別れと思い、電話番号の交換をし、会社の名刺も貰った。むこうも、本当に今日でお別れと思ったらしく、何度も「こちらに来ることがあったらいつでも寄ってください。」と言ってくれた。他の者とも握手をして、別れの挨拶は済ました。

そしていよいよ運命の発表。2人ほど合格者がでたが、自分の番号はなかった。嘘だろう!と思い何度も電光掲示板を見たが、やはり自分の番号はない。この時自分は立っていたのだが、思わず、コーヒーを落として、片膝をガクッと床につきそうになった。しばらく放心状態にあった。合格したと思い込んでいたから、そのショックはいつもの何倍も大きかった。

例えていうならば、K-1やボクシングで、あと1発パンチを当てればKO出来るまで追い込んでおいて、カウンターの1発で自分がKOされるようなものだ。それも普通のKOではない。失神KOである。ボクシングではKOされると90日間は試合が出来ない。脳のダメージは最低それぐらいの期間を置かないと回復しないのである。自分のダメージはそれぐらいの期間では回復出来そうにないように思えた。

受付で、「不合格」とスタンプされた受験票を返してもらって、ようやく現実を受け止めることが出来た。「あれでダメならどないせえっちゅうねん。」とぶつくさ言っていたら、小野田の人が「次は合格しますよ。今日は運が悪かったんですよ。」と慰めてくれた。帰り際に喉が渇くだろうからと、カルピスウォーターも奢ってくれた。本当にいい人だ。

よく考えたら、自分だけでなく、この人も不合格だったのだ。程度の差こそあれ、同じショックを受けている身には違いない。かなりショックだったろうに、自分のことを気遣ってくれて、それなのに自分ときたら、自分のことしか考えず、不合格だった他の人を労うこともしなくて、この人には本当に頭が下がる思いである。

ゆっくり話をしていたいところだが、午前中しか休みをとってなかったため、昼から仕事に出なければならない。「もうここで会うことがありませんように。」(次に自分が来るまでに合格しててくれとの意。)と言って別れた。

帰りの車中、あれでダメならどうしようもないと考えたりもした。はっきりいって自信喪失である。もう、受験したくなくなった。仕事をする気にもならないが、一応、職場に戻って仕事をした。家に帰って怒りの筋トレもした。いつもより重たいバーベルを挙げることが出来た。一人で晩飯を食いに出た。美味かった。家に帰って本を読んだ。面白かった。久々に大学時代の友人から電話がかかってきた。懐かしかった。寝る頃には、心の傷が癒えていた。また受験しようという気になった。

ショックを受けて、考え方が変わった。次回は記念すべき10回目。10回目でダメなら居直って気楽にやろうと心に決めた。

(10回目)平成15年8月29日

今回は、記念すべき10回目。一桁合格を狙っていた自分としては不本意ではあるが、ここまできてしまった以上は仕方がない。とうとう合格平均回数までいってしまった。ここまできたら、回数にこだわる必要もない。なるべく早く合格するよう努めるだけだ。

朝一に着いたのだが、小野田の人も、いつものメンツも居ない。30分ぐらい遅れて来た顔見知りのおっさんに聞いたところ、我が教え子のうちの1人は、おとといに、小野田の人は昨日合格したとのこと。良かったと思いながらも、まわりの者がどんどん巣立って行き、自分1人が残されていると思うと、一抹の寂しさを感じた。 初めて来た時も1人、ここを巣立つ時も1人、死ぬ時も1人じゃないかと考えると、寂しさも幾ばくか解消された。

今日は、1人で現場検証かと思いきや、顔見知りのおっさんがついてきた。2人でまわっていると、若い奴が「僕にも教えてください。」と言ってついてきた。なかなか1人になれないと思いながらも、一緒にまわって教えてやることにした。

過去9回も受験していると、さすがにコースの至るところまで熟知している。ええ加減、コースをまわるのも飽きている。そんなに緊張はしてないが、試験よ早く始まれというのが正直な気持ちである。教え子が合格したのだから、自分も今回で合格だろうという気持ちがあった。正直、気が緩んでいたのだと思う。その気持ちが後で、大変なことを引き起こすことになった。

試験が始まり、コースの半分までは、順調に進んでいた。運転しながらも、今回はいけるかもという感触をつかみ始めていた。そして、問題の縦列駐車である。縦列駐車は、自分のもっとも得意とするところで、殆どの者はここで失敗しているが、自分は過去3回いずれも一発でピタッと駐車している。縦列の魔術師と言われたほどだ。

ふと、停車場の方に目をやると、たくさんのギャラリーが、自分の芸術的な縦列駐車を見ようと、注目している。ふだんなら、ギャラリーになど目もくれないのに、意識したのがいけなかった。それだけ、集中力が落ちていたのだと思う。

左ミラーを見ながらバックし、左後輪がポールの角にきたところで、左にハンドルをきり、角度が良い角度になったところでハンドルを戻し、十分にバックしたところで、右にハンドルをきって、車体を縦列スペースに入れる訳だが、最後の右ハンドルをきるところで、事は起きた。後ろにばかり気をとられて、右ハンドルをきって頭を振るところで、左ミラーをポールの角にほんの少しかすってしまったのだ。横の教官は見てないかと思いきや、ちゃんと見ていた。規定では、ポールに接触したら接触事故ということで、即失格である。心持ちかすったとはいえ、接触したことには間違いない。

ここは、素直に「試験中止します。」と言った。すぐに、停車場まで戻らなければならないと思い、戻ろうとした時に教官が言った。「違うだろう。ここでは、どう言うんだ?」「えっ!どう言うって?かすったんだから失格でしょう。だから止めます。」「違うだろうが。何て言うんだ?」「当ててすいません。」「違う!違う!」「違うって言われても、当てたら失格なんでしょうが。だから止めるといっとるんやないですか!」「分からん奴だな。こういう時はやり直しますというんだろうが。」

教官の言おうとしていることが分からずに、あまりにもしつこく言われるものだから、とうとう食ってかかってしまった。やり直しが出来ると聞いた時は、驚いた。接触は普通なら、事故ということで、失格だ。何でやり直しをさせてもらえるんだろう?と思いながらも、もうけたと思い、残りのコースを走ることにした。もう、今回は合格はないだろうと思ってはいたが、これも練習と考え、懸命にやることにした。

全然緊張せずに、やったので残りの部分はパーフェクトに出来た。全てを終え、停車場に戻った時に教官に言われた。「私が止めろと言うまでは勝手に止めてはダメだよ。失格と不合格は違うんだよ。失格になったら、次も合格は難しいよ」と。この時悟った、本当は失格だったのに、見逃してくれたことを。おかげで今回は、まず合格は無理だとしても次に繋がる。

次回のことを考えて、良いように取り計らってくれた教官に感謝したが、教官の裁量で、不合格にしてもらったことが何故か面白くない。脱輪して合格したという話は聞いたことがあるが、接触して合格したという話は聞いたことがない。結果は見るまでもなく不合格であった。結局、10回目までで、合格するということは成し遂げられなかった。

とうとう、合格平均回数の10回をクリアしてしまった。ここまで、どうにか夏が終わるまでに合格してやろうと、遮二無二頑張ってきたが、その願望も達成出来ず、何だか力が抜けてしまった。夏休み期間ということで、毎週通うことが出来たが、今後は1ヶ月に1回か、多くても2回ぐらいしか通うことが出来そうにない。モチベーションを維持するのが難しい。微妙な運転の感覚も忘れてしまいそうだ。

目の前にぶら下がっていた合格が、遠ざかってしまったような気がする。残暑と同じく、闘いはまだ続く。

(11回目)平成15年9月12日

2週間ぶりの受験、6時50分頃には現地に着いていたが、自分以外に誰もいない。盆の頃と勝手が違うようだ。7時40分過ぎぐらいからゾロゾロと人が来始める。それでもいつもより人が少ない。もう、以前の仲間達は誰も居ない。「とうとう俺だけか。」と感傷に浸っていると、通勤してきた顔馴染みの教官が声をかけてきた。「頑張りいよ!皆、もうおらんようになったよ。」と。「下手クソですから。早く合格させてくださいよ!」と返事した。気をつかってかけてくれた言葉だと思うが、いらぬ世話である。俺も早く合格しなければとは思うが、焦りはない。自分の知識には自信があり、失敗さえしなければ、合格する自信はあるからだ。ただ、試験に落ち慣れているせいで、モチベーションが下がってきていることもある。どうせ、今回も落されるんじゃないかというネガティブな考えがどうしても払拭出来ない。

そのような気持ちのまま今回も受験することにした。もちろん合格したいという気持ちは強くあるし、この輪廻から一刻も早く抜け出したいという気持ちは常々持っている。だが、足りない、やはり合格するぞという気持ちがまだ足りない。合格して喜んでいる自分の姿が想像出来ない。

今回は、萩の消防の若いのと出会った。今回が4回目だそうである。恒例の現場検証でいろいろと教えてやることにした。消防署では、先にここで技能試験を受けて免許を取ったものから申し送りを受けて受験するらしく、基本的なことは大体、知っていると言っていた。しかし、自分が身振り手振りを交えて細かい箇所や車体の特性まで説明してやると、「塾長さんて深いところまで知ってるんですね。教官になれますよ!」と驚嘆していた。

「それほどでも!」と、謙遜したが、俺はまだ合格していない。いくら深い知識があっても、合格しなければ意味がない。

10時になって本日の教官が来た。本日の教官は、何と、先ほど自分に声をかけてくれた教官ではないか!「ラッキー!」おもわずそう思った。この教官なら普通にミスなくやれば合格出来るのではないだろうか。教官は日替りで、ランダムに変わるので、いつがどの教官かというのは分からない。今回を逃すと、この教官になることはないかもしれない。このチャンスを活かさねばと、少し前向きになった。自分の順番は1番である。最初にやるのは好きではないが、午前中に終わらせるつもりなら、順番など選んでられないので、仕方がない。

殆ど緊張しないまま試験が始まった。方向転換で一度切り替えしをして、教官のペンが動いた以外は、ミスというミスもなかった。これはいけた!と思い、試験が終わってから教官に歩みよると、「導流体を踏んでいたよ!」と厳しい口調で言われた。(※導流体とは、交差点の真ん中にある星印みたいなマークや、三叉路にある三角形マークのこと。その印より内側を右左折しなければならない。踏んではダメ。)

猪木の延髄蹴りを思いっきり食らったかのような衝撃を受けた。しまったぁ!全然意識しとらんかった!

導流体を踏んではいけないのは知っていた。今までに踏んだこともない。あんなものは意識さえしとけば、絶対に踏むことはない。やり易い教官だと思って気が緩んでしまったのか、なめてかかったのか?いずれにせよ、やってしまったことだから悔やんでも遅い。

この教官は何事もなく試験を終えさえすれば、合格させてくれたはずだ。それが証拠に自分が犯したミスについて説明する時は、すごく残念そうに切々と心を込めて説明してくれたからだ。自分のことをそんなに思ってくれるのかと思うと、ジーンときてしまったと同時に自分が今日も不合格であることを悟った。

結果発表を待つ間、もしかすると、あの教官だから温情で合格させてくれるかなと考えたりもしたが、結果は思ったとおり不合格!予想していたことなので、結果は容易に受け止めることが出来た。何でかここ2回ほどつまらんミスが多い。原因は分かっている。前述したようなことが原因だ。心に隙が出来ている。やれることは全てやった。登山でいえば、9合目まできている。あと少しだが、その少しが遠く感じる。

諦めはしない、だが、次に行く時まで間を空けて、しばらく試験のことを忘れようという気になった。

(12回目)平成15年10月2日

3週間も間があくと、久々に来たという気になる。いつもどおり1番のりできたので、どうやって時間をつぶそうかと考えていると、キィー、ドカッ!とでかい音がしたので、外に出てみると車同士で事故をしていた。車は両方とも大破していたが、幸いにも中に乗っている人は両方とも怪我もなかったようだ。事故した場所が丁度、交通センターの真ん前だったので、職員がすぐに外に出て対応していた。いいとこで事故したなと思った。不幸中の幸いである。事故した両人が交通センターの中で事情聴取を受けていた。その一部始終を眺めていたら、時間がつぶれた。

受付の前え待っていると、「塾長さんですか?」と見知らぬ若い兄ちゃんから声をかけられた。「そうやけど、おたくは誰?」と返答すると、末弟の職場の同期ということであった。職場オルグで消防署に行って説明した時に自分を見て、覚えていたらしい。今回が3回目という。

一緒にコースをまわって教えてやることにした。いつもながら、感心される。これで、こいつも自分を追い越していくのかと思うと寂しいような気もするが、知り合いが、少しでも早く合格できれば、それでいい。なんて、綺麗事を思ってはみても、本音ではとにかく自分が早く合格することしか考えていない。誰でもそうだろう。

今日の教官は誰だろうと、ドキドキ、ワクワクしながら待っていたら、来たのは猿だった。猿といっても本物の猿ではない。猿に似た教官のことだ。この猿はうるさい、高崎山の猿みたいにギャアギャアよく吠える。自分はこの猿は2回目、前回は、けなされまくった。この猿にあたって、合格した奴を知らない。多分、一番怖れられ、嫌がられている教官ではないだろうか。

やべえ!と思った。3週間ぶりの試験が、この猿が教官では合格への確立も限りなく低くなる。しかもよりによって、いつもどおりのトップバッターである。自分的には、2番か3番目ぐらいがベストである。しかし、1番は狙ってとれても、2番や3番という順番は狙ってとれるものではない。仕方ねえ、当たってくだけろ!と意気込んで試験に臨んだ。試験を始めて思ったのだが、車輌感覚が鈍っていて、運転していて何だがぎこちない。頭では、分かってはいるのだが、その分かっていることを機敏に動作に移すことが出来ない。

コースを間違えた以外は、(コースを間違えても減点にはならないが、元のコースに戻るまでの動作は、採点対象になる。)おそらくノーミスだったつもりだが、試験を終えてからの猿の評価は厳しかった。運転の荒さ、安全確認のし過ぎ等、それらの事についてはかなり手厳しく言われた。あまりも、うるさく言うので、ムッとしていると「すまん、言い過ぎた。」と言われた。

謝られて、我に返ったが、確かに大したミスはなかったにしろ、自分でも今回の運転はぎこちないと感じていたので、猿の言うことも頷けた。また、教官がうるさい猿ということで、確かに慎重になり過ぎたかもしれない。この車輌感覚の喪失だけは、休暇の取得の問題があり、どうしても試験と試験の間隔があいてしまうので仕方がない。夏休み期間中のように続けざまに休みが取れていた時はこんな問題もなかったのだが。

それを承知で受験しているのだから、早く合格出来なかったのだから、この問題とも真摯に向かい合わなければならない。合格発表なんて見るまでもないが、一応確認してから交通センターを後にした。悔しさとか腹立たしさというものはない。ため息だけである。

次回は、あまり合否のことを考えずに吹っ切れてアグレッシブな走りをしてみようか。何だか、やろうとすることが空回りしているようだから。

平成15年10月13日

自動車学校の教官をしている知人と会う機会があったので、自分の安全確認のやり方が正しいかチェックしてもらった。やり方に全く問題はなく、寧ろ、やり過ぎているぐらいとのことだった。

確認不足はいけないが、やり過ぎは全然構わないそうだ。ただ、やり過ぎると次の動作が遅れる可能性があるので、安全確認は必要最低限にシンプルにした方が良いとの助言をいただいた。プロの助言どおり、次は言われたとおりにしてみよう。

平成15年10月14日

夢を見た。シーンは交通センターで合格発表を待っているシーンから始まる。掲示板が点灯、「あっ、落ちた!またか。」場面切り変わって、落ち込んで帰るシーン。駐車場に向かって歩いていると、教官が呼びに来る。「すまん!間違えて、不合格にしてしもうた。君は合格!」「えっ!マジ?これで、もうここへ来なくて済む。」思わず泣いてしまい、ここで夢が終わる。

これが予知夢だったらいいのだけど、単に自分の願望が夢に現れただけなら、あてにならない。夢にまで試験のことを見るとは、悲しくなる。誰でもある程度、回数こなせば合格出来る試験なのに、自分は人以上にてこずっている。夢にまで見るとは、自分にとってそこまで真剣に思い悩んでいるということなのだろうか?

頑張ろう!合格は目の前にぶら下がっている。

(13回目)平成15年10月31日

何だかんだあって、前回から1ヶ月経ってしまった。1ヶ月が経つのは早い。あれから自分は何もやってない。当然、何か進歩しているはずもない。今まで覚えたことを忘れずにミスさえしなければ合格できると思っているのは、傲慢な考え方だろうか?

交通センターに来るたびに、顔ぶれは変わっている。毎日通えば、1ヶ月もあれば余裕で合格してしまうのだから当然だろう。

今までは、受験する奴らから情報収集をしようと思って、積極的に話かけていたのだが、今となっては、その必要もないので、人と関わるのがうざい。しかし、1人になって試験に集中しようと心がけても、コースをまわっていたら、「教えてください!」と声をかけられて人が寄ってくるし、消防署の知人に会ったりして、1人で試験に集中することが出来ない。

教えてやったり、自分で作ったコース表を与えたりしていると、また今日も、いい人で終わってしまうのかと考えてしまう。

今日の教官は、またもや猿である。願ったりだ。こいつになっても良いように、自分の中にはアグレッシヴな走りをする準備が出来ている。合格しなければならないのもあるが、それは二の次だ。こいつをギャフンと言わさなければならないのが、今日の目的だ。

今日も順番は1番である。順番もどうでもいい。準備は万全である。猿が「出発してもいいよ!」と言ったのを聞いて、出発した。

全く緊張してない。13回目ともなると、場の空気に慣れてしまっている。居直っているのも、緊張しない理由かもしれない。広い道ではともかく、狭い道、短い距離でも積極的にシフトアップしてアクセルをどんどん踏んでいく。スピードが速いので、他の試験車を危うく抜きそうになる。終始、アグレッシブに走ったので、いつもより5分早く試験が終わってしまった。

「どうだ猿!何か言えるもんなら言ってみいや。」と、心の中でガッツポーズをした。肝腎の猿の評価はというと、走りや安全確認は問題ないが、他の試験車を抜きそうになったことと、一ヶ所だけ、キープレフトを守れなかったことだけ言われた。他に言われることはなかった。

してやったりである。待合い室に戻ってからも、皆に「良かったですよ。」と言われた。以前の自分なら鼻高々になるところだが、今日は違う。全く合格する可能性はないと思っている。何故なら、アグレッシブな走りをすることに集中し、細かいことを気にしなかったからだ。

結果は思ったとおり。だが、満足感は残った。試合で負けてケンカで勝ったというところだろうか。

何となく、失った自信が戻ってきた。合格したいという気持ちも、復活しつつある。やはり、物事に臨むには、意気込みなり、熱意なりといった気持ちが大事だ。自分がここまできてしまったのも気持ちの持ちようが大きいのではないか。

あとちょっとのことだ。次回は気持ちを高揚させて試験に臨みたい。しかし、帰りに「俺は今日、何をしにここへ来たのだろうか。」という気になってすごく虚しかった。

平成15年11月2日

職場旅行で別府へ来て、自分だけ別府に残った。友人が迎えに来るまで暇なので、パチンコに行き、千円ほど勝った。その金で「必勝!大型免許」という本を買った。こういう本は最初に買わなければならないのに、今頃買うとは、何かにすがりたい気持ちの表れだろうか?内容は知っていることばかりだった。

(14回目)平成16年7月28日

再びこの地に降り立った。昨年の10月以来、ここへは来てなかった。仕事やプライベートで忙しかったとはいえ、全く来れなかったわけではない。不合格にされ続けてのモチベーションの低下と、自信喪失が、試験場から足が遠ざかった原因だ。再び受験をしようと思ったのは、姐御の一言だった。物事をやりかけのまま放っておくのは、良くない。もう一度チャレンジしようと思った。

今回は、職場の先輩も誘っての挑戦となった。久々の試験場は、懐かしかった。昨年の今頃は、毎週のようにここへ来ていたなあと思い出に浸る。教官達も私の顔を覚えていたみたいで、「こいつ諦めんでやるんだな。」と思っているのが、顔色から見てとれる。「頑張れよ!」と言ってくれた人もいた。

受付を済ませてから、先輩とコースをまわる。9ヶ月間、ここへ来てなかったとはいえ、さすが13回も受験していただけあって、コースの隅々まで良く覚えていた。

私の順番は1番だった。教官は、以前、一緒に乗ったことがある人だ。どの程度、車両感覚が残っているか不安だったが、いざ乗ってみると、以前と同じようにスイスイと運転することができた。車両感覚は、殆ど残っているみたいだ。

ただし、運転することに気をとられていたために、安全確認などの細かいことが、疎かになっているのが、自分でも分かっているため、今日の運転は、合格レベルではないと思った。案の定、不合格だったが、車両感覚が残っていたということが大きな収穫だった。次はいける!そんな気持ちになった。

試験場からの帰りに、先輩が練習をしたいと言うので、中部自動車教習所に寄ることにした。ここも1年ぶりで懐かしい。教官の兄ちゃんも私のことを覚えておいてくれたようである。

私は、先輩が練習するのを見ているだけにしようと思ったのだが、丁度、金を持っていたし、復習の意味でも練習してみようかという気になったので、30分だけ乗ることにした。技術的なことは、全然余裕でできたので、金をもったいないことしたと思った。

先輩は、1時間ほど乗って、少しは自信をつけたようだ。

(15回目)平成16年8月3日

今日は、浜崎の神輿がある日。朝早く起きて、夜遅くまで動き続けなければならないので、受験するかどうか迷ったが、神輿がある日ということで、縁起を担いで、受験することにした。今日は、前回よりも自信はあった。前回の試験で、思ったよりもそこそこできた。教習所で練習もした。イメージトレーニングもばっちりやった。足りないと言えば、今日、絶対に合格するという気迫だけだ。合格するという気は強く持っているのだが、心のどこかに、復活してから2回目の受験だから、まだ無理かもという弱い気持ちがあるのが分かる。一緒にきた先輩の方が、気迫が強いように思える。

その弱い気持ちが、やはり運転にも出た。大きなミスはしないものの、小さいミスの連続で、自分でもこりゃダメだと思った。ぎこちない運転だと思った。そのことは、教官にも言われた。「今日の運転はぎこちなかったから、次は思いきってやれ!」と。思い切ってやれとは、どういうことだろう?合格発表が出るまでずっと悩んでいた。

合格発表が出ても、受験票を渡される時に、「次は思い切ってやれ!」と言われた。思い切ってやったら合格させてくれるのか?帰りの車中も、思い切ってやるとは、どういうことだろう?と悩んでいた。う~ん。

(16回目)平成16年8月10日

思い切ってやれ!ということに自分なりの答えをだした。読んで字の如く、思い切ってやることにした。思い切ってやるといっても、がむしゃらの思い切ってやるではない。合格するための慎重な思いっ切りである。俺の出した答えを見てくれ!と思ったが、今回の教官は、前回の教官ではなかった。でも、教官は違えど、思いっ切りやることに変わりはない。

今回は、珍しく、順番は3番目だ。自分の順番が来るのを待った。40分ほど待って、自分の番がきた。エンジンをかけて出発。積極的にアクセルを踏んで、ギヤを上げていく。テクニックには自信があるので、与えられた課題を難なくこなしていく。途中、コースを間違えそうになったことと、安全確認が1つ抜けた以外は、まあまあの出来だった。

しかし、教官からは意外なことを言われた。「もう少し、落ち着いてやりなさい。もっと慎重にね。」と。思い切ってやれ言うたり、慎重にやれ言うたり、一体どうすりゃあええねんと思った。

合格発表の時、あれでも、もしやと思ったが、やはりダメだった。次回は、18日に受験しに来ると、姐御と以前から決めている。出来れば、姐御と行くまでに、合格しておきたかったが、それも無理だった。姐御に無様な姿は見せたくない。でも、どうやったら、合格できるのだろうか。技術的なことも、基本的なことも分かっているだけに悩むところだ。

(予知夢)平成16年8月13日

変な夢を見た。羽田空港で、東京バナナを買っているところに、先輩がやって来て、「合格したぞ。」と言うのだ。「えっ!嘘ぉ!」と言ったところで、夢から覚めるのだが、妙にリアリティがあって、本当かもしれないと思った。でも、先輩もまだ4回目だから、ただの夢だろうと思って、また眠りに就いた。

(やはり!)平成16年8月17日

職場で先輩と久々に会って、先輩が「実は、この前の試験で、合格したんやけど。」と、切り出してきた。「先日って、13日ですよね。」と聞いたところ、やはり、そうだった。やはり、先日のあの夢は予知夢だったのだ。これで、俺もサイキッカーの仲間入りかと、嬉しくなったが、今はそれどころではない。先輩が合格したことは、喜ばしいことだが、またもや置いて行かれたのである。寂しくなると同時に、すごく焦った。

こりゃあいかんと思い、仕事で現場に出ている時に、悩みに悩み抜いて、昼から休みをとって、中部自動車教習所へ行くことに決めた。今更、教えてもらうことなんて無いが、練習をして、少しでも自信をつけて翌日の試験に臨みたかったからである。

先輩のおかげで、くすぶっていた気持ちに再び火が付いた。「絶対に次で決めてやる。もうこれで終わりだ。」そんな気持ちになった。

(17回目)平成16年8月18日

今回は、姐御という頼もしいお方にも同伴してもらっての挑戦となった。姉御に同伴してもらうことは、1ヶ月ぐらい前から約束していた。同伴してもらって自分の実力が変わるわけもないが、精神的には、大変心強い。早朝の6時に出発するという強行軍にも付き合ってもらえたため、午前7時には、交通センターに着くことができ、順番も1番をゲットすることができた。

全て予定通りにいっているように思えたが、本日のコースがCコースではなく、Bコースであることが、昨日、受験した人の言葉で発覚した。本日は、Cコースと思い込み、コース順路を完璧に頭の中に叩き込み、運転操作のイメージまで入念にやっていた自分としては、少し驚いた。しかし、私はそんなことでは慌てない。16回も不合格になったのはダテじゃない。どのコースも4回以上はやっているのだ。AコースもBコースも完璧に覚えている。すぐに、運転操作のイメージをBコース用に変更した。

受付を終えてから、姐御と試験コースを歩いてまわる。「ここで、こうやって。」とか言葉にだして言っていると、姐御から「スピード出し過ぎいね、もう一速落として走った方がいいよ。」と言われた。今までの自分なら、素人が何をか言わんやという感じで、聞く耳を持たなかったのだが、この時は、藁にもすがりたい気持ちだったので、素直に姐御の言うことに従うことにした。

姐御とコースをまわり終えてから試験が始まるまでの30分は短かった。多少、緊張はしているものの、心は以外と落ち着いていた。横でデーンと堂々たる威容で座っている姐御のおかげだろうか。

試験開始の午前10時になって階段を上がって来たのは、いつも待っている時に声をかけてくれていた教官だった。この教官とは、これまでに2回ぐらい一緒に乗っている。11回目の受験の時に、私の出来が悪かったことを非常に残念そうな口調で言ってくれた人だ。相性は悪くない。

深呼吸をして、トラックが停車してあるホームに降りた。トラックの周りの安全確認をしてトラックに乗る。ドアロック、座席とルームミラーの調整をしてから、ギアをニュートラルに入れて、エンジンをかける。ウィンカーをだして、周りの安全確認をしてから発車する。ここまでは非常に落ち着いて出来た。最初良ければ~という言葉があるとおり、その後の進路変更、坂道発進、方向転換、クランク、S字カーブ、障害物の追い越しなどで、ミスすることはなかった。教官をたまに横目で見るのだが、ミスをチェックしている様子はない。

全体の9割を終えた時点で、ノーミスだったので、「これはいけるかも」という気になった。最後の進路変更を終えて、ホームにトラックをピタリと横付けにし、ギヤをバックに入れてエンジンを切った時に「やったぜ!」という気持ちになった。姉御に言われたとおりにギヤを落としてゆっくり走ったら、すごく落ち着いて走れたのである。車を降りて、教官にアドバイスを受ける時に「塾長さんが初めてここに来た時も僕が一緒に乗ったよね。すごく巧くなったよ。・・・・・。」と、言われた。初めてここへ来た時のことを言うということは、今日が最後という意味にもとれる、もしかしたらという気になった。

しかし、それよりも、私の眼を見ながら、感慨深そうに話す教官の顔が印象に残った。最初に一緒に乗ったのは、1年以上も前のことなのに覚えておいてくれるとは驚きだ。教官の言葉の端々に自分のことを気にかけていてくれたようなところを察したので、思わずグッときてしまった。最後に1、2点の注意をされて、教官の話は終わった。「ありがとうございました!」と大きい声で言って、深々と頭を下げた。天命は尽くした。後は人事を待つだけだ。

階段を上がって、待合室に戻ると、姐御に教官から注意されたことと全く同じことを言われた。上から見ていて気付いたらしい。私は今まで、教え子達にもそんなことは言われたことはないのに、どういう観察眼をしているんだと驚いた。さすがに私が姐御と慕うだけの人ではある。合格発表までは時間があるので、コーヒーを飲んで時間を潰した。発表の5分前に電光掲示板の前に座って待つ。私の受験番号は1201番だ。合格していれば、左上の角のところに番号が表示されるはずだ。

ドキドキしながら結果を待つ。ドキドキしながら待つのは、これが17回目。「技能試験の結果を発表します。」とアナウンスされる。「出ろ!出ろ!頼むから出てくれ!」と念力を送り続ける。念力を送り続けるが、私の番号どころか、他の人の番号も出てこない。もしかしたら今日もダメだったのかと、落胆していると、「合格者の人は、今から言いますから、こちらへ来てください。」と言われた。「1201番、1211番、・・・」私の番号が呼ばれている。思わず、ガッツポーズをしてしまった。嬉しい、マジで嬉しい、こんなに嬉しいのは、何時以来のことだろうか。

しかし、落とされ続けたために、合格したという事実を受け入れるまでには時間がかかった。「合格」と赤字で押印された受験票を見て、ようやく合格したのだと実感した。ガッツポーズをするのをどれだけ待ったことか。あまりにも長い時間がかかり過ぎてしまった。自分が、もう少し謙虚ならば、もっと早く姐御に付き添ってもらったならば、もう少し早く合格できていたのではないかと悔やまれるが、過ぎてしまったことは仕方がない。全ては自分が悪い。

でも、今はひたすら嬉しい。そして、休みをとってまで付き添ってくれた姐御にもひたすら感謝である。

それにしても、機械が壊れていたとはいえ、電光掲示板に、自分の番号が点いたのを見ることができなかったのは、非常に残念だった。最初で最後の機会だったのに・・・。

かかった金

  • 受験料4,400円×17=74,800円
  • 教習代6,800(30分)×4=27,200円
  • 免許更新料1,750円計103,750円

使った休み

  • 夏休み8日、有休7日

受けた精神的苦痛

  • 多大

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