四国八十八ヶ所 自転車遍路(高野山)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2006年05月03日() ~ 2006年05月04日()

高野山 奥の院 一日目(2006/5/3)

目覚め

060503_0415携帯の目覚ましを午前4時にセットしていたのだが、いつものクセか20分ほど早く目が覚めてしまった。しかし、前日の17時間のドライブの疲れも感じさせないほどに体は軽かった。それもそのはず、この日は四国八十八ヶ所遍路を締めくくる高野山への御礼参りの日。しかも、根性屋のキャプテンであるテルさんも同行してのことだから、心が弾まない方がおかしい。

目覚ましが鳴ってから布団から出てリビングに行くと、テルさん夫婦は既に起きていた。テルさんは、楽しいことのある前夜はあまり眠れないらしく、かなり早くから起きていたようだ。「私と逆だな。」と思いながらも、軽く会話をしてから、自転車や荷物の置いてある駐車場に行った。

出仕度

060503_0450_00朝の4時ともなると、まだ陽は上っておらず、辺りは真っ暗でしかも寒い。いつもながらに、これからハードな体を動かすことをすると思うと気が重たくなる。が、そこは今までの遍路と同じで、朝飯を食ったら気持ちがオフからオンに切り替わって、「今からやるぞぉ~!」という前向きな気持ちになった。

ただし、気になったことがあった。テルさんに「朝飯を食っておいた方がいいですよ!」と、朝飯を勧めても、テルさんは、「いらない。」と言って食べなかったのだ。いつもの習慣とはいっても、これから山道も含めて60㎞以上もの長丁場を移動するのである。もしかしたら、この先の休憩ポイントで何か食べるつもりでいても、その先のことを考えると、朝飯を食っておかないことは自殺行為に等しい。いつもの私なら、どうにかして朝飯を勧めて、無理にでも食っていただいたところだが、テルさん達とご一緒できることでうかれていたこともあるのだろう、テルさんに「いらない。」と言われて、あっさり引き下がってしまった。おまけに、自分が朝飯を食ったことで満足して、携行する食糧を確保しておくことを頭の中から消し去ってしまっていた。

このいつもなら考えられない過ちが、後にこれまでにないほどの悲劇を生むようになるとは、この時は知る由もなかった。

出発

060503_0524私は一足先に近くの24時間営業のスーパーに自転車のパンクセットを探しに行き、後から遅れて来たテルさん達と合流して、スタート地点であるフェリー乗り場に向かった。時刻は、出発予定時刻である午前5時を大きくまわっていたが、誰もそのことを気にする者はいなかった。それもそのはず、東からうっすら射してきた朝日から、この日は快晴であることが分かったからだ。最後の船出には最高の天気であった。これもテルさんと私の日頃の行いの良さが原因であろうが、それにあやかった日頃の行いの悪いアホの末は、つくづく悪運の強い奴だと思った。

フェリー乗り場

060503_0530フェリー乗り場には、テルさん宅から10分ほどで到着。既にノブちゃんと、テルさんの妹さんであるトモちゃんが来ていた。妹さんのトモちゃんとは、この時が初対面であった。ちょっとテルさんに似てるかなと思ったが、時間がだいぶ過ぎているので、ゆっくり話をしている暇もなく、ここでは挨拶をしただけだった。しかし、後にこのトモちゃんに我々が驚かされようとは、これまた、この時は知る由もなかった。

スタート

060503_0542予定より40分遅れの午前5時40分に、フェリー乗り場を出発。本来ならば、徳島から和歌山港までフェリーで来ていたという設定で、テルさんがフェリー乗り場をスタート地点に選んでくれたのだが、このにくいまでの心遣いに私は結構、感動していた。テルさんは、こういうことのできる方なのである。さすがは個性の強い面々の根性屋をまとめるキャプテンだと思った。それはともかく、5月の少し肌寒くはあるが、爽やかな朝の空気の中を私達は高野山目指して駆け出した。

道中

060503_0546最初の30分はひたすら街中を進んだ。まだ朝早いということもあり、散歩の人ぐらいしか人は見当たらなかった。街中を過ぎると、のどかな田園地帯となり、その風景に相俟って気持ちもゆったりしたものになった。この時、のどかな風景以外に気になるものといえば、テルさんのガニ股で自転車をこぐ姿ぐらいだった。

「もっとサドルを高くした方がこぎやすくないですか?」と、話かけようとしたが、もしかしたら今のサドルの高さが丁度良いのかもしれないし、走っている最中に話かけるのも面倒臭いのでやめた。

休憩

060503_0627スタートしてから45分、13~14㎞進んだところにあるコンビニで、一回目の休憩をした。体力的にはまだまだ大丈夫だったし、ケツの痛みもこの時は殆どなかった。ただ、後悔すべきは、高野町石道の麓である慈尊院へ行くまでの道中で唯一の、このコンビニで食料調達をしなかったということである。四国をお遍路していた時とは違い、もう完全に観光ボケで、レクリエーションの気分でいたのが原因であった。

20㎞にも及ぶ遍路道である高野町石道がどんな苛酷な道かは、経験上分かっているはずなのに。これはもう大失態であった。おかげで、後にテルさんにまで迷惑をかけることになってしまった。

柿の産地

060503_071315分の休憩後、出発。道は主に川に沿って、どんどん山間部に入っていくようになった。しばらく走って、結構開けた平地のようなところに出ると、辺り一面に見覚えのある木が植えてあるのが目についた。その見覚えのある木の名前を思い出すのには、そう時間はかからなかった。

辺り一面に植えてあるのは柿の木であった。柿の産地といえば、島根県や鳥取県など中国地方に有名な産地があるが、畑に何千本と植えられた柿の木の本数を見る限り、ここも有名な産地ではないかと思った。

テルさん曰く、次の休憩地点までは、わずかな距離らしいが、そろそろケツが痛くなったこともあって、道路沿いの柿畑ので、マウンテンバイクから降りて、ケツを癒した。

第二休憩地点

060503_0742第二休憩地点は、温泉入浴場の駐車場であった。ノブちゃん達が私達を待っていると、入浴場の人に開館を待っているものと勘違いされて、「営業はまだだよ。」みたいなことを言われたらしい。そう間違われるのも無理はないのだが、いろいろありながらも、私達が到着した時には笑顔で迎えてくれるノブちゃん達の存在は有難かった。おかげで、疲れも感じなかったし、この時ばかりはケツの痛みも忘れていた。

この第二休憩地点まで、28㎞ぐらい走っていたから、残りは14~15㎞といったところか。この時は、マウンテンバイクで走ることだけしか、慈尊院に到着することしか頭になかったから、あと少しと思って気が楽だった。本当は、慈尊院に到着してからが本番なのだが。

桃の産地

060503_082610分の休憩の後、出発。しばらく走ると、先頭を走っていたテルさんが振り返って、ここは桃の産地であることを教えてくれた。それなら、その名物である桃を食ってみたいと思ったが、あいにく桃のシーズンはまだまだ先ということで、桃を食うことは断念した。その代わりとうわけではないが、またケツが痛くなったこともあり、桃畑の横で軽めの休憩をした。

休憩をしている時にテルさんが、エースタケヤさんとの馴れ初めを語ってくれたのだが、それがなかなか面白かった。ある意味、衝撃的な出会いをしたお二人が、今こうして同じチームで活動されていることは、感慨深いものがある。人との縁とは不思議なものだと、改めて思い起こさせられる話だった。

到着

060503_0903最後に休憩した地点から20分ほど走ったところに慈尊院はあった。和歌山市内からここまで約43㎞の距離であった。そこそこの距離ではあったのだが、テルさんの適度なスピードでの先導と適切な場所での休憩も幸いして、大した疲れも感じることはなく、「もう、着いたの?」という感じだった。これが、テルさんの先導がなければ、闇雲に走って、休憩も殆どしなかったであろうから、かえって疲れていたに違いない。

とりあえず、駐車場に行っていろいろと準備していると、この慈尊院の坊さんが来て、自動車をこのまま置いておかれると困るというようなことを言ってきた。自動車は用事が済み次第、すぐに動かすと伝えると、安心して去って行ったのだが、この坊さんの顔はどこかで見たような気がしてならなかった。しかし、その私の疑問もすぐに解決されることになった。

慈尊院

060503_0906_00060503_0906高野山は女人禁制のため、高野山に行けない弘法大師の母を住まわせたという云われのある慈尊院。入口の門で記念撮影をした後に私が真っ先に向かったのは、本堂でも大塔でもなく、境内の隅っこに繋がれた白い犬のところだった。この犬は、見たところ紀州犬とレトリバーとの雑種のように見えた。おとなしくちょこんと座っていて、とても可愛かった。一瞬この犬が、向かって正面にあるゴンの碑と書かれた石像のモデルとなった犬かと思ったが、よく見ると石像の犬は耳が立っているのに対して、この犬は耳が垂れていたので、すぐに違うと分かった。

では、石像のゴンという犬は何者だろう?そんな疑問を持ったが、その疑問も先ほどの坊さんのことと一緒に解けることになった。

ど根性大根

060503_0930境内の中を大体見てまわって、納経所で記帳をする前にテルさんと休憩がてら便所に行った帰りのことである。便所は、境内の外にあった。用を済ませた私達は、再び境内の中に入ろうとした時にふと寺の壁際に何かがが生えているのを目にした。近寄ってよく見てみると、それは石垣の間から壁に沿うように生えていた。見たことのあるような植物。これは何かとテルさんに問うたところ、大根であるとのことだった。大根といえば、何かのテレビの特集で見たことがある。ど根性野菜シリーズのど根性大根ではないか。それを思い出すと、このど根性大根と、このどこかで見たことがある寺の壁と、このどこかで見たことのある寺の坊さんとが結びついて、頭の隅っこにあった記憶が鮮明に蘇った。

この寺の坊さんが、この壁の前で、このど根性大根について、テレビのインタビューを受けていたのを何ヶ月か前に見たのである。別に思い出したからといって、何てことはないのだが、胸につっかえていたものがとれたことで、気分は晴々していた。また、それを思い出すと、ミーハーな私は坊さんにいろいろと話を聞きたくなり、とりあえず納経所へ急いだ。

高野山の案内犬ゴン

納経所へ記帳に行くと、先ほど駐車場で見た坊さんが座って納経帳に筆を走らせていた。先客を待つ間、納経所の前に並べられた土産物を見ていると、「高野山の案内犬ゴン」という本が目についた。ゴン?さっきの石像の犬と同じ名前やないかと思い、すぐに本を手に取って開いた。

中身を見ると、やはり先ほどの石像の犬について書いてあった。ざっと説明すると、ゴンは昭和も終わろうとしていたある日にふらりと、この九度町にきて、誰に教わったでもなく、高野町石道を通って高野山へ行こうとする人を高野山まで道案内するようになったらしい。そのことを、ゴンにお世話になった人から聞いた慈尊院の和尚さんが、ゴンを弘法大師を高野山に道案内した狩場明神の犬である四郎と九郎の再来であると考え、寺で飼うようにしたとのことだ。

本当にあったことを本にしたみたいなので、犬の好きな私はこの本を買うことにした。そして、先客が終わって、納経帳に記帳してもらう時に、思い切って、ど根性大根のこととゴンのことを聞いてみた。

060503_0926ど根性大根のことは、やはり私の記憶に間違いはなく、テレビのインタビューには実際に出たらしい。しかも、テレビの取材にはちょこちょこ出ているらしく、別に珍しいことではないとのことだった。この坊さんは、一度話しだすと、話が止まらないし、だんだん自慢話になってくるので、ど根性大根のことは適当に話を切り上げて、本題であるゴンのことを聞いた。

ゴンは高野山へのガイド犬として、たくさんの人を道案内したが、フィラリアと老齢による体力の低下のため、平成4年いっぱいでガイド犬を引退したという。その後は、静かに余生を過ごし、平成14年6月5日に旅立ったとのことだ。ちょうどゴンの旅立った日は、弘法大師のお母さんが逝去した日であったらしい。

もともと成犬のノラ犬であったゴンの歳は、はっきりとは分からないが、和尚さんは、27才まで生きたと言い張っていた。27才とは、いささか信じがたい歳だが、おそらく和尚さんが飼い始めた時に1才か2才だったとして、旅立った時は17~18才だったのではないかと思った。まあ、それでも人間にすれば100才を越えているから十分に長生きである。

ちなみに、先ほどの可愛い犬は名前を「カイ」といい、平成12年に寺の前に捨てられていた犬で、ゴンの息子ではないとのことだった。カイという名前は、空海の海からとったものであるとのことである。

和尚さんから、そのような話を聞いて、私は咄嗟にゴンは四郎や九郎の再来ではなく、弘法大師のお母さんの生まれ代わりではないかと思った。息子のとこへ行きたくても行くことができなかった、お母さんが犬に姿を変えて、愛する息子のところへ行っているのではないかと。

勿論、科学的に見れば、生まれ変わりなんて実証されている訳でもないし、仮に生まれ変わりがあったとしても、人間から犬に生まれ変わるなんて考えられない。ただ、世の中には私達のちっぽけな知識では、計り知れないことが多くあるのも事実である。私がゴンを弘法大師のお母さんの生まれ変わりと思うのは、ゴンが弘法大師のお母さんのこの世に残した思いを引き継いでいるかもしれないという意味において思うのである。

思いというものは残る。それはモノに込められた形で残るものもあるし、形ではなく伝承や記憶で残るものもある。いずれにせよ、千二百年の時を越えて、弘法大師のお母さんの思いが、ゴンによって蘇ったことは何ともロマンチックなことではないか。

誰に教えられたでもなく、20㎞もの高野町石道を高野山まで道案内していた案内犬ゴン。慈尊院には、元気に道案内をしていた頃の在りし日のゴンのビデオテープがあるという。それを見てみたい気にもなったが、私には本の中のゴンの写真だけでいいと思った。在りし日の動く姿を見たら悲しくなってしまうからだ。ゴンの通った高野町石道を、今から私達が行く。どのようにゴンが先導していたかを想像しながら行く。それだけで十分である。

ゴンとの素晴らしい縁があったことを私は神に感謝した。高野町石道に一つのドラマが加わったのである。おかげで、私は更に高野町石道を行くのが楽しみになった。

高野町石道・石塔

060503_0937和尚さんと別れ、もう一度ど根性大根を脳裏にしっかり焼き付けるように見てから、慈尊院の横から高野山まで続いている高野町石道を上り始めた。

全長約20㎞の高野町石道には、約108mごとに180本ほど石塔が立てられており、まずは寺の真後ろにある1本目の石塔の前で記念撮影をした。石塔の高さは約2.5mほど。いつ立てられたものかは分からないが、結構古く、一目で何本目か分かるように「壱番・・・」と彫ってあった。

石塔は、ほぼ等間隔に並んでいるため、石塔に彫られた番数さえ見れば、自分達がどれだけ進んでいるのかが分かるのだが、あまり進んでないうちに見ると、気が遠くなるので、有難くも迷惑な代物である。

展望台

060503_0958_00上り始めてしばらくは、眺めの良い開けた道を進む。いきなりの傾斜のきつい上り道に、体を慣らす間もなく、ただ心拍数だけがどんどん上昇していく。美しい景色に心を奪われる余裕など勿論ない。こんなことなら、筋トレだけでなく、走ったり、もっと持久系のことをしておけば良かったと思うも、後のまつり。四国八十八ヶ所遍路の時から同じことの繰り返し。全く性根が無いというしかない。

体が苛酷な運動に慣れるまでには2~3日を要する。今回の御礼参りは、2日で終わる。よって、体が慣れてきた頃に終わってしまう。しかし、ずっと辛いままで終わるというのも面白くない。それならばと、「きつい」ということを意識しないことにした。どんな苛酷な道でも必ず踏破することができるのは、今までの経験で実証済みである。

060503_1009そう考えると、幾らか体が楽になった。しかも、一息つきたい頃に、丁度、見晴らしの良い展望台の下まで来たので、休憩をした。休憩中に私は、テルさんとアームレスリングのことを話していたのだが、アホの末はわざわざ展望台に上って、高いところからの景色を楽しんでいた。まったくバカと何やらは高いところが好きというが、こいつはそれを絵に書いたような奴である。ここでの休憩を10分そこそこで終え、いよいよ開けた場所から、木々の茂る山中に入っていくことになった。

ハンガーノック

展望台から進むこと10分で、今まで何度も通った定番の非舗装道である山中の遍路道に入っていくこととなった。約半年ぶりの山中の遍路道であるが、懐かしさなど微塵も感じない。できることなら通りたくないといった感じである。

山中の遍路道は、石や落葉で滑りやすく歩きにくいので、舗装された道よりも遥かに気力も体力も消耗しやすい。しかも山中の遍路道への入口の木には「熊出没注意!」という札もかかっており、今から苛酷なことをしなければならないためにズーンと重たくなっていた気持ちが更に重たくなってしまった。それでも、前に進むしかなく、覚悟を決めて山中の遍路道に入った。

久々の山中の遍路道は、やはり今まで歩いてきた道よりもきついものがあった。が、しかし、体はもみくちゃにされながらも、心の方は鳥のさえずりや、新芽が芽吹いた木々の発散する匂いに癒されていた。汗を流しながら、マイナスイオンや癒し成分が満載の中を進むことは体にも心にも良い。こんなことを毎日やっていたら、病気にはならないのだろうなと思いながらも、しばし進んだ。

060503_104520分ほど進んだところで、先頭を行くアホの末の足がピタリと止まった。どうやら休憩のようだった。私は、まだ休憩には早いと思いながらも、アホの末に従い、休憩をした。アホの末とテルさんの顔を見ると、二人とも黙って下を向いて暗く沈んでいる。どうしたのかと聞くと、腹が減ってリキが入らないという。アホの末は、出掛けにおむすびを食っていたからまだましなのだが、何も口にしてなかったテルさんの方が深刻に見えた。これは、明らかに今までにも私達が何度か経験したハンガーノックの症状であった。

「ハンガーノック」いわゆるガス欠である。これになってしまうと、幾ら前に進むという気力があっても体が動かなくなり、終いにはその気力さえなくなってしまうという厄介な症状である。これを解消するには、何か食うしかないのであるが、私達は何も食料を携行してなかった。これまでの経験から、山に入る時は必ず飲み物と食料を携行しなければならないということは分かっていたのにだ。これは、もう、うかつというかそれを分かっていながら、観光気分で忘れ去ってしまっていた私とアホの末の責任である。いつものように気を引き締めていれば、食料や飲み物を携行していたはずだし、朝飯にしてもテルさんに無理をしてでも食べさせていたはずなのだ。

そのことを悔いたのだが、幾ら悔いたところで、もうどうにもなるものではない。幸い、飲み物と糖分を補給するためのアメはある。それで、お腹が満たされることもハンガーノックが解消されることもないが、体を動かすのには必要なものなので、それらのものがあることは非常に有難かった。さっそく前日にスーパーで買っておいたアメを3人で分けると、すぐにそれを食べた。

甘いだけの何てことのない普通のアメなのだが、一粒でも食べると気力も充実して動けるような気になるから不思議だ。一粒で何m動けるだけのカロリーがあるのかと、某メーカーのキャラメルの宣伝文句のようなことを思いながらも、あまり休憩が長くなると動けなくなるので、食ったらすぐに出発した。だが、アメを食ってもハンガーノックの症状は、やはり治まらず、その後15分~20分おきぐらいにちょこちょこ休憩することになった。

六本杉

060503_1134山中の遍路道に入ってから1時間20分あまりで、食事をする予定である矢立までのちょうど半分である六本杉まで来た。高野町石道を上り始めてから、2時間以上経過していたのだが、この地点でまだ6㎞ぐらいしか進んでないとは、かなりのスローペースだった。その原因がハンガーノックにあるのは分かっていたので、これはもうどうしようもないと諦めはついていた。また、全員が体力も気力も底をつきかけていたので、このままでは、これから先の6㎞がどういう道になるのかによって明暗が分かれると思った。

下りが多ければ非常に助かるし、これまで上ってきた道のように上りが多ければ悲惨なことになる。下手すれば、道行く人に食い物を乞うようなことにもなりかねない。それだけはしたくないので、矢立までは下りが多い道であるよう祈った。

幸せな一時

060503_1112_00幸いにも、六本杉からは多少のアップダウンはあったものの、そこそこ下りがあったので助かった。20分も進むと、これまでの薄暗い山中から開けた明るいところに出たので、休憩をすることに。

この開けた場所には休憩所として東屋があり、ちょうど昼飯時ということもあって、多くの登山客の人達が弁当を食べていた。その真横で、何も食べる物がなく、美味しそうに食べる様をただ見つめているだけの私達。そのあまりものギャップには思わず笑いさえ込み上げてくる。しかし、私達には大声を張り上げて笑うだけの元気もカロリーもなかった。

060503_1210腰を下ろしたところに生えていたアスパラガスにも似た植物を手にとって、「これ食えるかなあ?」と言ったり、「小指をくわえていたら、誰か食い物を恵んでくれるかなあ?」と言ったりして、お互いに「うふふふふっ」と、小声で笑っているだけの私達。決して冗談で言っているのではなく、本気で言い合っているのだが、私達に悲壮感はなかった。

それは現状を素直に受け止め、もうなるようにしかならないと思っているからであった。激烈に腹が減って、ひもじくはあっても、皆で同じ気持ちを共有できていることが、妙に素直になっていることが嬉しかった。春のポカポカ陽気の中、鳥居の下で元気なさげに微笑んでいる私達を見た人達は皆、私達が何かを悟ったかのように見えたことだろう。実際、私達は己の愚かさをはじめとして、いろいろなことを悟っていた。実際、ラリっていただけなのかもしれないが、「なるようにしかならない。」と、天に身を委ねた状態での休憩は、とても幸せな一時だった。

天の助け

060503_123220分の休憩の後、矢立に向けて出発。これまた幸いにも、比較的アップダウンが緩やかで、マウンテンバイクにまたがっていることが多かった。しかし、マウンテンバイクにまたがっていることが多いとはいっても、完全な下りは少なく、体力の消耗度は、歩くよりは少しましなぐらいである。マウンテンバイクから降りて、マウンテンバイクを抱えて上るような階段がある場所では、体力が消耗している分、前にも増してペースダウンするのだった。おまけに、先頭を行くアホの末が、体が動かないからか、歩いている最中に立ち止まることが多く、なかなか前に進まなかった。

060503_1239前に進み続けるのも、この時の体力では15分ぐらいが限界である。アホの末が立ち止まった時に、誰もがしばらく動き出さなかったので、自動的に休憩となった。さすがに、誰もが疲労痕倍といった感じだったが、アホの末は特に顕著に疲労していることが分かった。こいつは過度に疲労すると、下を向いて座り込んで何も話さなくなる。実に分かり易い奴である。 アホの末がすることといえば、黙って黙々と大きい石に向けて小石を投げることぐらい。しかし、下手クソだからか近くにある大きい的になかなか当たらない。下手クソながらも、黙々と石を投げる様は、傍で見ていてすごくけなげに見えてしまう。思わず、俺が代わりに投げて当ててやろうかとも思ったが、手を貸してはこいつの助けにならないと思い、やめた。そして、投げ始めて、どれくらいの時間が経ったであろうか。ようやく的である大きい石に小石を当てることができたので、それを見計らって休憩を切り上げ、出発した。

アホの末がこんな調子では、この先大丈夫か?という不安も脳裏をよぎったが、何はどうあれ進むしかない。残り4㎞弱が全部下りでありますよう天に祈った。

出発してしばらくは、緩やかな上りが続いたが、10分ぐらい進んだところから下りになり、それが延々と続いた。先ほどの休憩が終わってから先頭はテルさんに代わったのだが、そのテルさんがおそらく初めてであろう遍路道の下りをとばす!とばす!何ともアグレッシブなライディングである。

下りでは、転倒しないようにいつもより気を使うのだが、マウンテンバイクにまたがっているだけなので、体力は消耗せずに済むためとても楽である。この時の体力の消耗度から考えると、このまま下りが続いて欲しかった。遅いところで時速4~5㎞、速いところで時速20㎞ぐらいはスピードが出ていたであろうか?結果、下りが終わらなければよいがという私の心配をよそに何と!殆ど残り全部を下りきってしまったのである。これも、皆の願いのおかげか、それともテルさんと私の日頃の行いの良さのおかげかは分からないが、願いどおりに残り全部を下らせてくれたことを天に感謝せずにはおれなかった。

矢立

060503_1317遍路道を下り終えると、舗装道に合流。高野山へ向かう自動車やバイクの多さと、人の多さに何となく安心する。舗装道を横切ったところにある空地では、既にノブちゃんとトモちゃんが待っており、笑顔で私達を迎えてくれた。この時、時刻は午後13時過ぎ。慈尊院を出発してから4時間近くが経っていた。

その間、ノブちゃんとトモちゃんは、高野山の大門まで行ったり、車を磨いたりして待っていたという。私達のために、待っていてくれて、しかもこうやって笑顔で迎えてくれて・・・。私には彼女達が天使に見えた。おかげで、疲れも吹っ飛んだ!とまではいかないが、精神的にはめちゃくちゃ癒された。

ノブちゃん達は、腹の減った私達を気遣って、すぐに弁当を私達に振舞ってくれた。腹が激烈に減っていたこともあり、振舞われた弁当を味わう間もなく、すぐに平らげた。私とアホの末は8時間ぶりぐらいの食事、テルさんは前日の晩以来だから、15~16時間ぶりぐらいの食事である。私とアホの末の2倍もの時間、何も口にしないで、ここまでの苛酷な行程をこなし、しかも弱音も何も言わなかったテルさんの頑張りには正直驚いた。さすがは、根性屋のキャプテンである。その根性は並大抵のものではない!

慈尊院から矢立までは、約13㎞ほどの距離。やっと高野町石道の3分の2ほど進んだことになる。残りは約7㎞。距離的にはこれまでの半分だが、ここからはまず上りばかりで、これまでよりも過酷な行程になると考えられるため、あと少しと思って余裕をかましてなんかいられない。更に気持ちを引き締める必要がある。

なのにだ・・・。

かねてより、私達と一緒に高野町石道を行くと言っていたトモちゃんが、どうしても一緒に行くと言う。普段は殆ど運動をしないトモちゃんには、とても無理だと思い、アホの末と一緒に必死に「止めておいた方がいい。」とか、「どうしても行くのなら自転車は置いて行った方がいい。」と説得したのだが、確固たる自分の信念を持ったトモちゃんは、信念を曲げることはなかった。

トモちゃんの堅い意志を確認した私達は、説得を諦めトモちゃんの頑張りを見守ることにした。トモちゃんの意志の強さは、兄のテルさん譲りか。トモちゃんの体力的なことには不安を感じながらも、その意志の強さに頼もしさを感じたのだった。

いざ大門へ!

060503_1404食事後に30分の昼寝をしてから、矢立を出発。新たに加わったトモちゃんは、どちらかというと普段着に近い服装に、手にするは折りたたみ自転車という変わったいでたちである。むさ苦しく汗臭い野郎どもの中では、荒野に咲く華麗な花一輪といったところか。その雰囲気も存在も、私達の中では際立っていた。

高野町石道の上り始めは、相変わらずトモちゃんのことを心配していたのだが、500mぐらい進んだところから、もうそれどころではなくなっていた。突然、腹が痛くなったのである。腹が痛くなっても我慢できるレベルならどうってことないが、この時の腹の痛さのレベルはそんなものではなかった。少しでも油断したりリキもうものなら、ヤバいところまできていたのだ。

私は迷った。これが、野郎だけなら、野グソという手もあるのだが、今回は花一輪のトモちゃんも一緒なのだ。いくら結婚されているとはいえ、レディを前に野グソというのは極力避けたい。でも、このまま行けば最悪の事態は避けられないかもしれない。それなら、私の体力なら走れば追いつけるはずだから、皆には先に行ってもらって後から追いかけようか。と。このまま行くか、引き返すか、脂汗をかきながら考えたが、引き返すとトモちゃんの勇姿をこの目に焼き付けることができなくなるので、最悪の事態になった場合は谷底に駆け下りて用を済ませる覚悟を決めて、行くことにした。

そう覚悟を決めてから、しばらくは、いつ爆発してもおかしくないような便意と闘っていたが、喉が渇いても水分を採らないようにしていたことと、「南無大師遍照金剛、なくなれ便意!」と何度も名度も願いを込めて頭の中で唱えていたことが功を奏してか、次第に強烈な便意は沈静化していった。そして、2㎞とちょっと進んで、舗装道と交わったところに来た時には、すっかり便意が消え失せていた。

仕切り直し

舗装道から、再度、遍路道に入っていくようになるのだが、遍路道に入る前に気持ちを切り替えた。ここまでは、便意と闘っていたため、周りの景色のことも皆のことも全く眼中になかったからである。これで、進むことに集中できると思うと、気が楽になった。

グレイト!

060503_1430先頭はテルさん、2番手はアホの末、3番手はトモちゃん、最後尾は私という順番で上って行く。上りの傾斜も矢立まで来た道よりも急で、しかも上りにくい。鍛えられた男でもへこたれそうなこの道をトモちゃんは、遅れずについて行く。しかも、キツそうな素振りを見せることなんて微塵もない。

普段、運動をしていないのにこの体力は何なんだ?いや!もしかすると、体力的にはキツいのかもしれないがそれをテルさん譲りの根性でカバーしているのだろうか?とも勘ぐってしまったが、どちらにしろグレイトなことである。おまけに、トモちゃんの動作にしろ振る舞いにしろ、全てが可憐で汗臭さなど全く感じさせることはなかった。

汗臭さと泥臭さのある私達とは正反対の存在であるトモちゃんは、休憩をする時も異彩を放っていた。トモちゃんの周りだけが、爽やかな風が吹くのである。おかげで、今、自分達は遍路道を歩んでいる最中だということを忘れてしまったほどである。

060503_1515_00そんな可憐なトモちゃんではあるが、自転車に乗れるところは少々の上りや悪路でもアグレッシブにとばし、階段があるところでは、自転車を力強く抱えて階段を上っていた。可憐さと力強という相反するものを兼ね備えたのがトモちゃんの魅力といったところであろうか。トモちゃんの頑張る姿を見ると、何年か前までには、よく一緒にサイクリングをしていた姐御のことを思い出してしまった。姿かたちも性格も似ていないが、体力と根性と確固たる信念を持っているところは似ているかなと。

世の中には、すごい人間がたくさんいるが、またここでもすごい人間と出会えて、しかも高野町石道を一緒できたことは光栄なことだった。トモちゃんのおかげで、辛さを感じることなく高野山大門までは2時間ほどで着いてしまった。おそらく、一生で一度のトモちゃんと私達の小さい旅。たった2時間のことではあったが、私にはこの2時間がその何十倍にも感じられた密度の濃い時間だった。一番後ろから眺めていたトモちゃんの頑張りも、可憐な振る舞いも私は決して忘れることはないだろう。

最後の最後にテルさんと共に私達を高野山大門まで導いてくれたトモちゃんは、狩場明神の御使いである白い犬の四郎に違いないと思った。誰が何と言おうと、私はそう信じている。

山上大門

060503_1636_00高野町石道を抜け、私達の目の前に現れたのは、高さが25.2mもある山上大門だった。何という大きさ!これまで見てきたどんな立派で大きな山門よりも遥かに大きく、立派である。この山上大門と比肩しうる山門など日本にはないのではなかろうか。その大きさは、しばらくは口をあんぐりと開けて見上げるほどのものだった。

この大門をくぐるために私達はここへ来たのだと思うと、これまでの四国をまわった思い出が一気に胸に押し寄せてきて、感動のあまり言葉を失った。あいにく大門の後側が工事中で、大門をくぐることは叶わなかったが、記念撮影したり、心ゆくまで細部を見てまわったりして、大門を堪能することはできた。しかし、千二百年も前にこんな巨大な山門を築いたなんて、これこそまさしくグレイト!である。

高野山

テルさんが言うには、高野山は、境内の中に街がすっぽり入っているという。こんな標高900mもあろうかという高いところに街?本当?と思ったが、なるほど、大門の横をくぐって境内の中に入ると、いきなり街になっていた。山上大門から奥の院の入口までが2㎞以上もあるというから、いかに広いかがよく分かる。スケールも四国の八十八ヶ寺とはケタ違いである。

この時、時刻はもう午後5時になろうかとしていたので、境内の散策は、翌日ということにし、この日の宿泊先である宿坊の普賢院へ急いだ。普賢院へ行くまでの道中は、やはり寺関係の建物が目立ったが、それを除けば普通の街と変わらなかった。 それにしても、人が住んでいたり、自動車が走っていたりするここが境内の中だと思うと変な気がするものである。

お別れ

060503_1709_00宿坊である普賢院に着いたところで、下山するノブちゃんとトモちゃんとは、ここでお別れとなった。矢立からここまで一緒に来たトモちゃんもだが、最後まで伴走してくれたノブちゃんには大変お世話になった。ノブちゃんは、矢立で皆と別れてから、一人で大門まで渋滞する道を来てくれたのだ。その間、イラだつこともあったかもしれないし、寂しさを感じることもあったかもしれない。それでも、私達を迎える時はいつも笑顔でいてくれた。まったく、ノブちゃんには頭が下がる思いであった。

そういえば、私はノブちゃんの笑顔以外は見たことがない。まだ、お会いしてから間がないというのもあるが、ノブちゃんは、いつもニコニコしているのだ。おかげで、私達はノブちゃんの側にいると、常に幸せな気分になれる。ノブちゃんの笑顔は人を幸せにするのだ。これもノブちゃんの人柄と人格によるものであることは間違いない。

トモちゃんと同じく、ノブちゃんも神の御使いである四郎の再来である。人を幸せにするノブちゃんが、神の御使いでないはずがない。これも勝手に私が思い込んでいることだが、誰がなんと言おうと私はそう信じている。

普賢院

060503_1702普賢院は、その名前のとおり、寺である。宿坊とは、寺が営む宿である。宿坊に泊まるのは、第37番岩本寺に泊まった時以来のことであった。宿坊については否定するつもりはないが、こいつらちゃんと修行しとるのか?とか、坊さんだからといって応対が悪かったら許さんぞ!と、どうしても厳しい目で見てしまう。

それもそのはず、私は坊さんだけではなく、宗教家が営利目的で商売することを快く思っていない。宗教家というものは、衆生救済のためにひたすら働けばいいというのが私の考えだ。ただ、寺も坊さんの給料や寺の維持管理費が要るから、やむを得ずにこういうことをしているのかもしれないから、あまり厳しい目で見るのも気の毒かもしれない。要は、きちんとやることをやっていただければいいわけで、受付での坊さんの応対及び、廊下ですれ違った時の坊さんの応対は、とりあえず私の求めるレベルを満たしていた。及第点といったところだろうか。でも、お金を貰うのだから、これぐらいやって当然ではある。

散策

060503_1835部屋に荷物を置いてから、ゆっくりするでもなく、夕飯を食いに街に出かけた。寺の夕飯は精進料理である。精進料理では腹が一杯にならないし、値段も高い。よって、外食をした方が良いというテルさんのアドバイスに従い、外食をすることにしたのである。

普賢院から出て、街を散策する。宿の近くに飲食店は何軒かあるが、どうも魅力的な店がない。やむをえず、奥の院の方まで足を伸ばす。目につくのは、寺ばかりで、なかなかお目当ての店が見つからない。幾ら散策とはいっても、かなり疲れている身なので、探すのも面倒臭くなってくる。とうとう、次に食う店が見つかったら、どんな店でもいいから入ろうかということになった。

060503_1828そうして見つけたのが、どこの観光地にでもあるような地味な店だった。普段なら入りたくないような店だが、この時は腹に入れられさえすれば何でも良かったので、こんな店でも全然構わなかった。店の中に入ると、客は私達だけだった。私達の疲れた体は肉を欲していたので、それぞれカツ系統のものを注文した。

3人とも、ここまでのハードワークの疲れからか、待っている間は殆ど口を開かず、注文したものが出てきたら、これまた殆ど口をきくこともなく一気に胃の中にかきこんだ。味は大したことなかったと思うが、とりあえず胃の中に詰め込むことができたので、食後は満腹感と幸福感に満たされていた。

怪しい店

060503_1839_00宿に帰る途中に見つけたのが、店の入口に店の中が見えなくなるほどの御札チックな張り紙を張った、すごく異様な店だった。その御札に書いてあることはというと、「不動明王秘密祈祷法」やら「どんな病気でも治る秘霊符」やら「妖怪学」やら「神様の戸籍由来」etcなど、とても怪しいものばかりであった。

そういうものに興味のある私としては、思わず店の中はどんなだろうと思い、入ってみようかとも思ったのだが、やめた。やはり、そのあまりもの店の雰囲気の異様さには、入ったら出られなくなるような気がして、どうしても入れなかったのである。

この店は、一体どういう人がやっているんだ?その筋のことを極めた人か?それとも変人か?屈強な3人の男が入るのをためらったほどの店である。普通の人なら、まず入れないのではないだろうか?この店は、奥の院へ通じる道沿いにある。勇気ある人は是非、試しに入ってみてもらいたい。

060503_2005宿坊に戻って風呂に入ると、この日の全てを終えた安堵感からドッと疲れがでた。アホの末もテルさんも疲れ過ぎてか、起きていながらも目がつぶれそうになっていた。特にアホの末は、何も声をかけないと、そのまま寝てしまいそうな感じだった。朝早くから起きて、慈尊院までの43㎞のツーリングと、20㎞もの遍路道である高野町石道を一日で踏破したのだから、それも無理はなかった。

寝る前に、宿に戻る時に買った酒とつまみで催したささやかな宴。テルさんとは、お互いが目が潰れそうにも関わらず、根性屋と漢塾の今後について熱いトークをかわした。そのトークの中で、気付いたことが一つあった。それは、お互いが、チームを末永く続くものにしていくことに関しては、意見が全く同じだったものの、メンバーに対する思い入れの強さが全く違うということであった。

テルさんが、根性屋のメンバーの一人一人に対して、真剣に人間としての向上を願う。つまりはチーム全体の人間としての向上を目指しているのに対して、私はといえば塾生の人間としての向上を願わないことはないものの、どちらかというと自分重視、とにかく、何にもかくにも自分が強くなりたい、自分が向上したいという考えなのだ。やはり、そこが人間的にもキャプテンにふさわしいテルさんと、名ばかりの塾長である私との器の違いである。私の代わりに塾長は誰がやってもいいが、テルさんの代わりにキャプテンをつとめる者なんていやしない。それは、誰もがそう思うところだろう。

思えば、テルさんには、前日に和歌山へ着いてから、高野山へ来るまでにこれ以上ないというほどの施しをしていただいた。おかげで、私達は道に迷うことなく、楽しく、無事に高野山まで辿り着くことができた。これほどまでのことができるのも、人のことを細かいことまで気遣うことのできるテルさんの、いわば「優しさ」のおかげである。

人に優しくなれるには、まず自分のことが自分でしっかりできる強い人間でなければならない。自分のことさえおぼつかないで、何が人に優しく出来る?心の強さと精神的余裕がなければ、人に優しくなんかできやしない!それができるテルさんは、本当に尊敬に値する人物である。

テルさんは、一緒に過ごす時間が長くなるほど、どんどん、そのグレイトさが分かってくる。それに対して、私達は一緒に過ごす時間が長くなるほど、どんどんボロがでる。この差は一体何?と思いたくなるが、グレイトさもバカも隠しようがないから、そうなるのは仕方がない。

熱いトークを終え、布団に入ったのが、午後22時過ぎ。瞼を閉じて、一日のことを思い出しながら思った。テルさんは狩場明神の御使いの九郎に違いないと。テルさんが色が黒いからというのもあるが、人物、人格共に神の御使いと呼ぶに相応しいから、そう思うのだ。「テルさん!高野山へ案内するのが、弘法大師のようなすごい人ではなくて、私達みたいなレベルの低い人間でゴメンなさい!」と、私は眠りに落ちていきながらも必死に頭の中で叫んでいた。


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