住吉神輿 2004
- カテゴリ
- ANOTHER
- 開催日
- 2004年08月03日(火)
今年も例年どおり、浜崎の神輿が行われた。参加するのは、殆どがいつもと同じ面々。我が漢塾の精鋭達もこれに参加した。塾長の私はカメラマンでの参加だ。日頃鍛えた肉体を披露できずに、カメラマンという立場での参加は、非常に不本意ではあるが、その代わりに客観的な視点で塾生達の奮闘ぶりを見守ることができた。
浜崎から北古萩、今古萩、東田町、吉田町と神輿を担いで練り歩く。寄るところがたくさんあるので、時間は結構サクサクと進む。最初のハイライトである東田町~吉田町では、多くの人目に触れるので、自然と皆の神輿を担ぐ肩にも力が入る。再び浜崎に戻ってくる頃には、誰もが疲労痕倍の様子。最後の燃料補給をして最後の儀式である「お上がり」に臨む。
「お上がり」とは、神輿をお堂の中に入れることで、男女の結合を意味する。それの意味することが何かは分からないが、お堂の中でただ暴れ回るだけではない、厳粛な儀式なのだ。やはり、ラストの「お上がり」は圧巻だった。やっている方が楽しいには違いないが、傍で見ていても迫力があって楽しめた。
「お上がり」「お納め」の約1時間の儀式を終えてお堂から出てくる塾生達の表情はやけにさっぱりしていた。神の乗り物である神輿を担いで、厳粛な儀式をしたために穢れが落ちたのだろうか。
神輿を終えて思うのは、塾生達はよく頑張ってはいたと思うものの、神輿の参加者の中では、まだまだ陰が薄いということだ。はっきり言って存在感が無い。目立つのは、どうしても一般の参加者だ。これは、自己主張するものがないことが原因だと感じた。人の目を惹きつけるほどの体を作り上げるとか、人より大きい声を出すとか、人の何倍も神輿を担ぐとか、雰囲気や存在自体で人の気を惹くようにするとか、自己主張する方法はいくらでもあるはずだ。誰でも何らかの方法で自己主張できるはず。漢は目立ってなんぼのもの。来年は、自分ならではのものに磨きをかけて、神輿では目立ちまくって欲しい。
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