漢塾無人島サバイバル
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- 開催日
- 2007年07月13日(金) ~ 2007年07月14日(土)
無人島サバイバル計画
約1年前から構想のあった無人島サバイバルをいよいよ決行することとし、2007年7月13日から15日の2泊3日を予定していた。しかし、この時期には珍しく台風が接近していた。行くべきか、中止を英断すべきかと悩んだが、予報円からは四国沖を通過することが予想されたので、過去の経験から「日本外側は大したことはないだろう。」と、決行することとした。
この無人島サバイバルの基本コンセプトは、「旅行で船舶により航行中何らかの理由で沈没。救助されるまでの数日間を生き延びる」である。だから、持っていけるものは「1-2泊程度の旅行で通常バックに忍ばせるであろう物」に限定した。ただし、水だけは一人当たり20リットルを用意する。
渡航を前に気になることは、やはり気象情報であった。台風4号は依然勢力を増しながら接近し、期間中はずっと雨である。13日(初日)にいたっては降水確率は100%である。だが、台風の再接近は14日なので、13日に無人島へ渡り14日を耐え、15日には本土へ戻れるだろう。
無人島へは手漕ぎボートで渡る。ステージとなる無人島は萩市沖の「羽島(はじま)」を予定していた。だが、羽島までは最も近い笠山の虎ヶ崎から1.5kmの距離がある。さすがに台風の接近する中を手漕ぎボートで1.5kmの渡航は心配だった。風で流され、遭難し、救助隊のお世話になった時のことを想像すると「何のために手漕ぎボートに乗っていたのか」を説明するのが恥ずかしい。そんなことから、渡航距離約200mととても近い三隅町の「幸島(こうじま)」をステージとすることにした。
いよいよ渡航日
朝から雨だ。天気予報どおりの雨である。台風も近づいて来ているのだろうか? 漢塾の無人島サバイバルは、もちろん漢らしくあるべきだ。食料は持っていかない。水中眼鏡や釣竿も持っていかない。テントも必要ない。当に自らの生命力を最大限に発揮して生き延びる。たとえ台風が来ようと関係ない。
だが、実際の渡航日に実際の雨という環境を実体験すると、島での生活を想像してしまい不安がこみ上げてきた。 梅雨前線加え台風、それに大潮の悪条件が重なっているので、雨、風、高波により食料の採取もままならず、濡れて冷えた体でひたすら帰る日を待ち続けるだけになってしまうのではないか?
そう思うと、やっぱりブルーシートぐらい持って行っとこうかなぁ。という考えが浮かんでくる。が、漢たるもの妥協してはならない。でもブルーシートぐらいならいいかな?テントじゃないし。風邪ひいて熱が出て高波で帰れないと大変なことになるし。と、いつの間にか一生懸命自分を正当化する理由をいっぱい考え始めていた。 結局ブルーシートとビニール紐を漢のサバイバルツールに加えた。
航海
いよいよ出航だ。大海原に航海へ出る。チャレンジャーは村上さんと大作、そして俺(sue)の三名だ。塾長から借りた小型手漕ぎボートは定員2名。ということは3人くらいなら大丈夫だと思われるが、水が計60リットルあるので2回に分けて渡航する。
まずは、俺と大作が乗り込み幸島を目指す。海は台風などまるで感じさせないほど凪いでいた。雨もほとんど降っていない。大作の漕ぐボートはスムーズに進む。さざ波がボートの底をちゃぷちゃぷと叩く音しか聞こえず、非常に心地よい。大作が「楽しいっすねぇ。」と言う。
そう、とても楽しかった。この時は。大作だけではなく、村上さんも俺も今から始まるアドヴェンチャーに心を躍らせていた。村上さんにいたっては小学生の遠足状態で寝不足らしい。
15分程で幸島に到着した。まずは大作が上陸し、先住民族や資源の調査を行う。俺は本土で待っている村上さんを迎えに戻る。そして村上さんが乗り込み再び島へ向かう。今度は村上さんがボートを漕ぐ。村上さんも楽しそうだ。
生物発見
村上さんの漕ぐボートで幸島に近づくと、島の上で鳶が回っていた。この島の哺乳類は鳥ぐらいなんだろうから、腹が減って肉が食いたくてしょうがなくなった時は鳥を捕まえるしかないなぁ。と思っていると、波打ち際に四本足の生き物が二匹いるのが見えた。タヌキだ。子供だろう。ボートが近づいていくと、タヌキは藪の中へと姿を消した。
村上さんと、こんな小さな島でも動物が生きていけるのか、何を食って生きているのだろう、と驚いた。生きることが最大の課題となることを想定して選定した幸島で普通に動物が生きていることに小さなショックを受けたのだった。
上陸
幸島に上陸した。とりあえず地形や採取できる食料等を見て歩く。
基本的に平地はほとんどない。島の南側突端(洲の鼻)に石の浜がありこの辺りが唯一の平地となる。あとは原生林の山である。村上さんと大作がその原生林の山の中腹にベースキャンプ地に適した平らな所を発見してきた。
山の中には蚊がたくさんいるだろうから、できれば波打ち際の風通しのいい場所で寝たい。しかし、状況は強い台風が接近し大潮が重なっているので、海岸沿いの平地でのベースキャンプは危険である。仮に高波と突風に耐えられずに移動を余儀なくされた場合、強風の雨の中で移動しベースキャンプを張り直すのは非常に困難である。ということで、この山腹をベースキャンプ地と決定した。
食料採取
ベースキャンプ地を決定すると食料採取へ向かった。道具なしにすぐ取れる食料として考え付くのは貝である。とりあえずそれ以外には思いつかない。だから、海が荒れる前に確保しておかなければ空腹で苦しむことになってしまうので、ベースキャンプを整えるよりも優先して海へ向かった。
貝の類であればやはりサザエやアワビを食いたい。もちろんサザエやアワビを採るつもりなので、みんな「帰るころにはサザエやアワビはもう食いたくないねぇ」って言っているだろうと冗談を言っていた。
海岸の岩場に着くと、岩にはニナやムラサキガイ等がいっぱい付いていた。とりあえず目先のそれらの貝をビニール袋に放り込んでいった。
ある程度の量を確保したら、いよいよメインディッシュのサザエやアワビを採ろうと海へ飛び込んだ。が、見えない。思いのほか海が濁っていて裸眼ではまったく見えない。海底の岩に近づいても、そこにサザエがあるのないのかなんてとっても認識できないほど見えなかった。
だが、ここからが漢の見せ所である。この島にあるもので、どうすれば海中を見ることができるのかを考えなければならない。まず、流れ着いた透明なペットボトルを海中に浸け、飲み口から覗いてみた。ペットボトルのあまり歪んでいない部分から何とか海中を見ることができたが、海中に潜って使えるほどのものではなかった。きっと、ワンカップ大関のようにコップの形をした小さなものであればいいかもしれない。
ニナ
などと言っている間にだんだんとうねりが出て、膝のあたりまで海に入っているだけで波に体ごと持っていかれるようになってきたので、結局海中を見ることなく食料採取は終了した。採取した食料は、かろうじて発見した豆粒のようなサザエ2個と、あとはビニール袋いっぱいのニナなどの小さな貝類だけである。
この結果は想定内である。水中眼鏡がなければ当然想像できる結果だった。しかし、「今から3日間ニナだけ食い続けるのか?しかも、明日以降はほとんど採取自体ができないかもしれないのでは?」と思うと、やはりショックだった。
この飽食の時代にニナしか食うものがない状況は生まれて初めてのことだった。学生時代に食うものがなく困ったことはあったが、誰かの家に行けば何かを食うことはできたし、100円あれば棒ラーメンを買って食うこともできた。だのに、今はニナしかない...。
山の洗礼
ベースキャンプ地に戻ると、まずブルーシートをコの字に張り、風雨をしのげる屋根、壁、床を作る作業にとりかかった。
原生林の山の中は、湿気が多く、蚊もいる。雨も降り出したので、大作は地面においていたカッパを羽織った。すると大作が「なんかおる~。」とカッパの右腕を指しながら悲痛な声で叫んだ。「そりゃ虫ぐらいいるだろう。」と思いながら大作がカッパを脱ぐのを手伝った。
大作がカッパの腕の部分を裏返すと、みんな「う゛おぉ~~!」とビックリ!なんと立派なムカデだろう。「こ、怖えぇ~。」と思うと同時に、多分村上さんもと思うが、自分でなくてよかったと安心した。
このことで、今俺たちは自然の中で生きようとしているのだという実感が強く沸いた。そして、ニナしかないことで沈んでいた気持ちをより一層沈められたのだ。
火をおこす
ブルーシートのサイズは5m×5m。3人が風雨をしのぐためには十分なサイズだ。コの字を作り横方向に余ったシートを折り込んで壁を作った。台風の強風にも耐えれるようロープもたくさん張り、屋根、床と壁2面が出来上がった。
引き続き貝を茹でるために火をおこさなければならないが、回りを見渡しても、ここ数日降り続いている雨のおかげで原生林の地面はしっとりと湿っており、乾いた落ち葉や枯れ木が見当たらない。原生林の中を歩き回っていると、枯れ落ちて木に引っかかっている枝や立ったまま枯れている木があまり濡れていなかったので、これが使えた。
大作の並外れた薪の収集能力と火付け係の村上さんのコンビネーションにより、思っていたほど難はなく火がおきた。一同火を見て、ホッと安堵した。
予想外の障害
火もおきたところで、いよいよ調理を始める。拾ってきていた空き缶の上部をナイフで切り落とし、即席の小さな鍋を4個用意した。水で茹でるより、海水で茹でたほうが美味しいだろうということで、大作と山から降りて海で海水を汲むこととした。
海水を汲んでいると海から声がした。顔を上げると漁船から漁師が大声をだして叫んでいる。大作と「誰に向かって何を言っているのだろう。」と話していたが、どうも我々に向かって言っているようだ。しかし、船まで距離があり、波の音もあって何を言っているのか聞こえない。「ここは禁猟区で、我々は怒られているのかな?」などと思いながら、漁師の声に聞き耳を立てると、「台風が来るぞー!分かっているのかー!」と言っているではないか。
明らかに我々に向かって言っている。心配されているのだ。漁船に向かって「分かってまーす!」と両腕で丸を作りながら大声で応えた。そして、何度もジェスチャーと大声で「大丈夫だ」ということを伝えた。
すると今度は、船の上で漁師が二人で相談をしている。「あいつ等アホだ。つれて帰った方がいいんじゃないか?」と言っていたかどうかは定かではないが、しばらくすると「気をつけろよー!」と言い残し去っていった。
我々は心配してくれたことに敬意を表し、礼をしながら見送った。そして思う。たしかに、台風が接近しているのに無人島に人がいるのを見れば、誰だって「取り残されて帰れないのでは?」と心配になるだろう。今回は漁船で意志の疎通ができたからこれで済んだが、本土から見た人は無条件に警察へ通報するかもしれない。
これはヤバイぞ。台風が通過するまでは人目につく所をウロつけない。ということは、山から出られないし、もちろん海で食料採取もできない。うそだろー!
食事
空き缶の鍋に貝と海水を入れ焚き火で茹でる。茹で上がった貝をちまちまと食べた。イボのある巻貝は苦く、ヨメノサラもとくには美味くない。ニナとムラサキガイはまあまあイケた。帰ってから村上さんが調べたところによると、我々の食べた貝はクボガイ、イボニシ、マツバガイ、ムラサキインコ等だったようである。
小さな貝をいくら食べても満腹にはならない。蚊も攻撃を仕掛けてくる。台風、不十分な食料、救助が来てしまわないかという不安に空腹感が相乗効果をかけ、もう既に楽しくなかった。村上さんは「これが我々の望んだサバイバルなんですよ。」と、自分たちが望んでここへやってきたことを思い出させてくれた。そんな話をしていると、最後には「今多数決を採ると満場一致で明日帰ることになってしまうから、多数決は採れないね。」という結論に至った。
しりとり
貝に飽きたころ、ブルーシートの家で一休みした。 する事がないので、テーマを決めて「しりとり」をした。テーマは「食い物」。ジューシーなこってり料理が次々と出てくる。その度に空腹感が増してきて「腹減ったよー!」「食いてーよー!」と悶絶する。
しりとりをしていると海から船のエンジン音が聞こえる。その音が島の近くで止まると「捜索に来たのか?」と不安になる。山の木陰から偵察すると船の影はなく「気のせいか。」と安心する。
二度目の食事
この時点で採取した食料は1/3ぐらいを食べ、2/3ぐらいが余っている。今現在、腹は減っているが明日以降のことを考えて残しておいたほうがいいのだろうか?でも、どっちみち台風の中で火をおこすこと自体が無理なのでは?ということで、再び食事をとることとした。
しりとりは2時間くらいしていたのだろうか?時間の感覚はあまりない。小雨が降り続いたが、焚き火のおきが残っていたので火はすぐにおきた。
明日以降まともに食にありつけない可能性があると思うと、ニナが貴重に思え尻尾の部分までくるくると取り出し無駄なく食べてしまうのだが、一つ一つは小さく、三つ食べてやっとカッパえびせん一本分の体積程度なので幾ら食べても空腹は満たされない。
空腹は人の気持ちを寂しくし、不安にさせる。もし、明日腹いっぱい食えることが約束されていれば今の空腹は耐えられると思う。しかし、今の空腹に加え、もしかしたら明日も明後日も耐え忍ばなければならない。世捨て人ともなれば別だろうが、今の時代にこのような状況は普通発生しない。初体験だった。それゆえ寂しさや不安感も大きかった。
この頃になると、口数は少なくなり、みんなの気持ちは沈みきっていた。少ない会話の内容は「ボートを漕いでいる時は楽しかった」「これが望んでいたサバイバルなんだ」「美味い飯が食いたい」「帰りたい」と、そんなことばかりだった。
一日の終わり
食事が終わるとブルーシートの家に寝転がった。今日することはもうない。
仕方なく再びしりとりを始めた。時間がたっぷりある状況でしりとりをすると知識がものを言う。大作は植物や食べ物の知識が豊富で、獣医という職業柄から特に動物に関する知識はすばらしかった。「動物」をテーマにしたしりとりでは、よくそんなのが出てくるなぁというような名前が飛び出してくる。しかし、こちらが知らないことをいいことに適当な動物の名前を言っていたかもしれない。一方、村上さんも獣医である。が、「いぬ」「ゾウ」「キリン」等の一般的な動物しか言わない。この人は本当に獣医なのだろうか?
蚊
しかし蚊が多い。いくら叩いても湧いて出てくる。こんな状況の中で眠れるのだろうかと心配になる。それに明日はこのブルーシートの家で一日中台風が通過するのを待ち続けることになるだろうが、その間中、蚊と戦い続けなければならない。明日は空腹と蚊による拷問である。
不安増大
そんな中でもやはり台風情報が気になり、大作が携帯電話で情報を確認した。すると、台風は予定より北側の進路をとっていて、しかも速度が遅くなっている。明日の朝強風域に入りその夜から翌日の朝にかけ暴風域に入る見込みとなっている。
ということは、明日一日このブルーシートの家で台風が去るのをひたすら耐えて待ち続け、状況次第ではその翌日も同じような状況になってしまい、予定の15日に帰られない可能性もある。蚊へ対するイライラと不安感はどんどんと大きくなってくる。
総意
しりとりと蚊との戦いは続いている。何時間しりとりを続けているのか分からないが、静かな原生林は闇に包まれ始めた。たまたまバッグに入っていたマグライトで辺りを照らしながらしりとりを続けた。
「もう帰ろうか。」その問いかけに、誰も反対しない。
もうみんな満足していた。あらゆる不安感と蚊で精神的に疲れきっていた。総意を言葉で表現しただけだったので、特に多数決を採るまでもなく決定してしまった。心境は最初の意気込みとは180℃変化しており、漢らしさなどどうでもよかった。
ここからはみんな精気を取り戻し「もう満足した。」「もう十分だ。」「もう満喫した。」と口々に無人島サバイバルを締めくくり、生還計画を立て始めた。
生還計画は「明日の朝、空が白み始めたら即座に行動を開始する。」だ。明日の朝から強風域に入るが、過去の経験から強風域の端っこはほとんど風はない。しかし、誰も海の状況には詳しくないので「波が静かであれば」という条件を付け加えた。幸島は大きな湾の中に位置するのできっと大丈夫だろうと希望を胸に朝を待った。
長い夜
しりとりをしながら、ひたすら蚊を叩き殺す。霧が立ち込めるしっとりとした原生林から「キャンキャン」と泣き声がする。大作によるとタヌキがけんかをしているらしい。
蚊は際限なくブルーシートの家に入ってくるので、マグライトの明かりで照らしながら被害にあう前に叩く。空中を飛ぶ蚊に気を取られていると、足に止まって血を吸っているのでそいつも殺す。いったいこの島には何匹の蚊がいるのだろう。バルサンで島中の蚊を全滅させてやりたかった。
村上さんも大作も長袖、長ズボン、足にはビニール袋、頭にはタオルを巻いたりして防御し眠りに入るが、僅かな防御の隙間や服の上からも攻撃を受けるので熟睡はできず、眠りに落ちては怒りとともに目が覚めることを繰り返していた。俺は防御する暑さに耐え切れなかったために、眠ることを諦め蚊と闘い続けた。
朝5時頃には明るくなり始めるだろうということから「あと○時間」と、みんなでカウントダウンをしながらひたすら朝を待ち続けた。
撤収
待ちに待ち続けた朝5時がやってきて、予想通り東の空が白み始めた。これまでに叩き殺した蚊は三人で400は超えただろう。しかし、この蚊の苦しみや空腹や様々な不安からもおさらばだ。
朝まずめの薄暗い原生林の中、まず、大作が海の状況の確認に向かった。大作の報告は「行ける!」だった。早速荷物をまとめブルーシートの家を撤収し山を降りる。約12時間ぶりに原生林から出てると、なんと清々しいことだろうか。大作の報告どおり波も風も全く無いし雨も降っていない。台風の前の静けさなのだろうか?
ボートを用意し、村上さんは残っていたニナ達を家族の元へ戻してやり、出航の準備は整った。
帰還
60リットルの水がないので三名でボートに乗り込む。「さらば!幸島!」
これで全てから解放される。長かった。実質18時間の滞在だったが心底不快で耐え難い時間だったので3日間ぐらい過ごしたような感覚だ。
考えてみると、妥協だらけで漢としては不合格だったかもしれないが、社会と断絶される生活の恐ろしさは身をもって体験することができた。
みんなで「俺たちは現代っ子だ。サバイバルなんて無理!もし、次に行くことがあればサバイバルじゃなくてフル装備のキャンプにしよう。」と話し合い、ジューシーでヘヴィな食い物を求めて早朝のコンビニへ向かった。
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