Road To 大分 第二弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2007年06月30日(土)
前日
前日は遅くまで飲んでいた。と言ってもよほど特別なことがない限りは、酒を飲まない私は飲んでいないのだが。問題はぢよん○○であった。浴びるほど飲み倒して、人格は既に崩壊していたのだ。本来であれば、ランの前日に飲み会などあり得ない。ただ、この時ばかりは仕方がなかった。とにかく帰り際に「明日は絶対に時間厳守ど!絶対に遅れるなよ!」と、ぢよん○○に痛いほど釘を刺して分かれた。
はっきり言って、時間までに来るか来ないかは分からなかった。もしかすると、寝過ごして参加できない可能性もあった。そして家に帰り、「今は、ぢよん○○のことを信用しよう!」そう思って床に就いた。
しかし、一次会で飲んだコーヒーが影響してか、なかなか寝付くことができなかった。「早く寝なければ!」と、布団の上で悶々としながらも、目を開けた時は既に朝であった。
集合
午前5時半に家を出発。実家に寄って、軽ワゴンに水や食料を積み込み、山ちゃんを迎えに行って市役所に着いた時は、午前5時50分であった。朝の早い男であるマス岡田さんは既に来ていた。以後、アホの末、村上さん、変態小野、カラムーチョ吉田と続く。参加予定者10人のうち9人は、集合時間である午前6時までに集合した。
さて、問題はぢよん○○であった。集合時刻をまわったので、電話しても電話にでないのだ。つい、「熟睡中で、電話に出られないのかも?」と、最悪の事態を想像してしまった。最悪、10分は待つつもりだった。それを過ぎたらぢよん○○を置いて出発するつもりだった。そして、もうダメかも!と、思い集合時間を5分過ぎてから再度電話をした。が、ダメだと思ってかけた電話に、すぐにぢよん○○が出た。
「今、すぐそこの交差点です!」と、元気の無い声でぢよん○○は言った。それを聞いて私は、ホッと胸を撫で下ろした。大分ランの主役の一人であり、最初から最後まで参加させたいと思っていたぢよん○○を置いて行かなくて済んだからだ。電話を切ってからほどなくしてぢよん○○が到着した。
時計を見ると、6分の遅れであった。本来であれば、厳重注意のところだが、ぢよん○○の前日の飲み様を知っていたので、あえて私は何も言わなかった。 来ただけましだし、6分遅れなら許容範囲内であった。「早くクルマに乗れ!」それだけ言って、お互いにクルマに乗った。
時刻は午前6時7分。前回到達地点である長門市のホテル楊貴館に向かって、私達は朝靄の中を出発した。
車中
前回の到達地点であった長門市のホテル楊貴館までは、クルマで約1時間の道程である。中途半端に早い時間に出発したものだから、誰も眠る者はいなかった。
1時間といえば、結構な時間である。その間、助手席に乗ったアホの末と、「根性」のことについて語っていた。「漢塾のホームページでは、自分達はいろいろなことをやっていかにも根性ありますよ的な書き方をしているけど、実際俺達って根性ないよな。」とか、「ランをやらせてみると分かるけど、皆根性あるよな。」とか、次から次へと根性について思うことが出てきた。
落ち着いた結論が、誰もが根性はあるということ。普段の生活ではそれを見せられない、もしくは見せる機会が少ないということ。やはりランは、そいつの根性を見るのに、または自分の根性を見せるのに最適なイベントであるということであった。 そして、会話が終わった頃に懐かしのホテル楊貴館が見えた。ホテル楊貴館が見えてからは、不思議と気持ちが切り替わった。
出発
今回のラン参加者は、伴走のマス岡田さんと私を含めて総勢10名。過去最多の参加者数であった。それは嬉しいことであったが、何よりも嬉しいのは漢塾ランの主役の一人であるカラムーチョ吉田が、半年ぶりの航海を終え、参加してくれたことであった。私がどれだけカラムーチョ吉田が陸に上がってくることを待ちわびたことか。本来であれば、4ヶ月で上陸できるところを2ヶ月も上陸が伸びたのだから、吉田にとっては迷惑なことだったろうが、それは私にとっても迷惑なことだったのだ。しかし、何はともあれ、お互いが無事で健康な状態で再会できたのが幸いだった。
その他、初参加の村田に同級生のチュウゲン、寒中水泳でも御馴染みの村上さんなど、今回は人数だけでなく個性派が揃っていた。これは、面白いネタを提供してくれそうだと期待しつつ、出発予定時刻を少し過ぎた午前7時14分に目的地である下関駅に向かってランをスタートさせるべく一声を発した。
第一給水ポイント
ホテル楊貴館から約5㎞ほど行ったところに、駐車するのに良いスペースがあったので、そこを第一給水ポイントにした。右手に日本海を望むことができる非常に眺めの良い場所だ。
待つこと10分。早くもアホの末、村上さん、村田と、ぞくぞく給水ポイントへ入ってきた。初参加の村田の健闘が光る。チュウゲンも健闘はしているのだが、運動不足からか、顔を真っ赤にしていた。
ランも序盤の序盤。全員がまだまだ余裕を残しているように見えるのはあたり前だった。
最初にアホの末が到着してから15分ばかりすると、全員が給水ポイントを発ったので、私達も次の給水ポイントへ向かおうと思いきや、1人まだ到着してない奴がいることに気付いた。そいつはぢよん○○だった。
ぢよん○○は、最初から最後まで歩き通すと宣言していたから、到着が遅いのは分かっていたが、それにしても遅すぎた。それは、前日の酒が影響していることは間違いなかった。ただ、どんなに遅かろうとゴールしさえすれば良いので、マス岡田さんと「いくらでも待とうぜ!」と、話をしながら気長に待つことにした。
しかし、私達の予想に反して最後の者が出発してから5分と経たないうちにぢよん○○の姿が見えた。ぢよん○○は、私達の姿を見ても、急ぐとか慌てるといったこともなく淡々と歩いて給水ポイントへ入ってきた。自分が遅かろうが、全く意に介さないマイペースぶりはある意味見事だった。
ぢよん○○に「大丈夫か?」と聞くと、「大丈夫です。」と、一言だけ言って大して休憩することもなく歩き去って行った。 しばらくは、後姿を見守る私とマス岡田さん。口には出さないが、お互いが心中では、「こいつ、今回は大丈夫なのだろうか?」と思っていた。
第二給水ポイント
第二給水ポイントは、スタートしてから約10㎞ほど行った地点。ここでも、アホの末を筆頭に先ほどの給水ポイントと同じ順位で入ってきた。私ぐらいの体重の者であれば、だいたい10㎞ぐらいから足が痛くなり始めるのだが、私ほどの体重の者がいないことと、普段から走りこみをやっている者が多いせいか、全員がまだまだ大丈夫といった感じだった。
変態小野は、カラムーチョ吉田に合わせてか、スピードをかなりセーブしていた。こいつほどの実力の持ち主なら、最初からとばしても十分最後まで足もスタミナも持つのに勿体ないことである。しかし、最初ぐらいはカラムーチョ吉田と走ることを楽しみたかったのだろう。優しい性格の変態小野が考えそうなことであった。
しかし、こいつは絶対にもう少ししたら全力で走りだすに違いないと思った。力を持っているものが、最後まで力を出し惜しみすることなんてできやしない。力を出し尽くすからこそ、充実感も気持ちよさもあるのだ。それが分かっていたから、安心だった。
ここでも最後に到着したのはぢよん○○だった。歩くペースは最初よりかは、幾らか速くなったようだった。しかも、汗をかいて酒が抜けてきたからか、顔色もだいぶ良くなってきているようだった。それを見て、ぢよん○○に対して最初に抱いていた不安も少しは紛れたのだった。
第三給水ポイント
全員を送り出してから、マス岡田さんと給水ポイントを探しながらクルマを走らせた。だいたい5㎞おきに給水ポイントを設けるのが理想なので、5㎞地点にかかる前から、クルマを停めるのに丁度良いスペースがないか探し続けた。
しかし、5㎞地点にかかろうとしてもそれらしきスペースは見つからない。そのうち、5㎞地点を過ぎてしまったので、道路脇にクルマが2台ほど停められるスペースを見つけて、そのスペースに無理矢理クルマをねじこんだ。
クルマの1m右側はすぐに道路だし、幅も狭い道路なので、何かの拍子に道路にはみ出ようものならクルマに轢かれる恐れのある良くない場所であった。が、これ以上進んでも近場には、最適な停車スペースがあるとも限らないので、これはやむを得ない選択だった。
ここで待つことしばし。まずは、村田、小野、村上さん、山ちゃんと続いて到着した。ん?先ほどまでトップを走っていたアホの末がいない!と、気付くのにそう時間はかからなかった。
しばらく待って吉田が到着したあとに、ようやくアホの末が到着した。便意を催して途中で朝のお勤めをしたり、体調不良で貧血気味になったことが失速の原因だったらしい。お遍路の時もそうだったが、肝心な時にこいつは体調不良に陥ることが多い。というか、年中何かの原因不明の体調不良に陥っているような気がする。
その原因が何かを考えてみると、幾ら体を鍛えはしても、一番大事な心を養ってないことが原因ではないかと思った。少しは人の役に立つことをしたらどうだ!少しは人に優しくしたらどうだ!これらのいつも私が口を酸っぱくして言っていることができていないのだ。自分さえ良ければいい。自分が一番正しい。などと思っているようであれば、人間的成長がないばかりか、負のものを引き寄せてしまう。そうなると、様々な悪影響が自分にもたらされることを早く気付くべきである。
とは言っても、30何年間も現在のような状態で生きてきたのだから、修正は難しいと思う。今、私にできることは、こいつがそのことに気付いてくれるよう祈るしかない。こいつには、完走することよりも何よりも、それが一番大事なのだ。
はあっ??
第四給水ポイントは、土井ヶ浜の入口にした。第三給水ポイントとは違って、広々とした見晴らしの良い場所であった。ここで最初に姿を見せたのは村田であった。初めてのランなのに、なかなかの走りを見せてくれるのだが、その走りの秘訣はバスケットボールであった。村田は地元でバスケットボールチームに入っているらしく、定期的に練習をしているとのことだった。
何十分もコートの中をところ狭しと動き回る、激しい運動であるバスケットボールを定期的にやっているのなら、体力的があるのも、また足の耐久力があるのも頷けた。漢塾ランは速さを競うものではないが、村田のような走れる奴がいるのも面白いものだ。漢塾ランに良い逸材が加わったものだと思った。村田には、これからのランもレギュラーメンバーとして、私達と一緒にやっていってもらいたいと思った。
村田の後ろには、変態小野、村上さんと続いた。私の予想どおり、変態小野は徐々にペースを上げてきたようだった。村上さんも、日頃から昼休みに走っているらしく、走りは軽快だった。その笑顔からは、まだまだ余力があることがうかがえた。
その後に、カラムーチョ吉田、しばらく経って山ちゃんと続いた。
ん?カラムーチョ吉田が山ちゃんより前?一体どうしたことか?しかも軽快に走っていた。「お前、船の上で何かやっとったん?」と、カラムーチョ吉田に問いただすと、甲板の上を走ったり、船の階段を何往復も上り下りしていたと言った。 カラムーチョ吉田の乗っている船は3000tを越える。長さも100mを優に超える。甲板の上といっても小さい運動場くらいの広さはある。そこでみっちり鍛えていたものだから、これだけの走りが出来たのであった。
しかも、20㎞地点で、これだけの余裕ある走りができることは立派である。私なら、もう既に歩いていたであろうから。 それから3分遅れてチュウゲンが、更に3分遅れてアホの末が到着した。チュウゲンは、更に顔を真っ赤にしていた。そして、アホの末はというと、苦しそうに顔を歪ませて「俺もうリタイアする。何か調子が悪い。」と、言い放った。
はあっ?私は耳を疑った。もしかしたら聞き間違いかもしれないと思ったので、アホの末に「もう1回言って?」と言った。「もう体が動かんからやめる。俺って潔いやろう。」と、アホの末。「お願いだから、もっとゆっくり言ってくれ。」「プリーズ・モア・スロウリー!」と、私。「や・め・る!何度も言わすな!」と、アホの末。それを聞いて、ようやく私は事態が飲み込めた。アホの末がリタイアするというのである。
「お前、根性だせや!ぢよん○○だって体調が悪いのに頑張っとるやろうが!走れんのなら歩けばええやろう。どねえかせいや!」と、アホの末に檄を飛ばすのだが、アホの末は「根性無しとでも何とでも書いてくれてええから、俺はもうリタイアすると決めた。」と言って頑として首を縦に振らなかった。
誰しも体調の悪いときはあるから、リタイアするのは仕方がないとしても、まだこいつには余力があるような気がしてならなかった。だが、そこは私も幾らか成長したもの。こいつも私生活や仕事のことなどでいろいろとあって疲れているのだろうと思い、無理矢理納得することにした。
漢塾ランの初めての脱落者が、漢塾参謀であるアホの末とは情けないことである。そして、この負の連鎖は続くことになる。
絶景
第五給水ポイントは、すぐ側に響灘を望むことのできる絶景の場所であった。待つことしばし。まずは変態小野が到着した。小野は更にペースを上げたようだった。その後に30秒ぐらい遅れて村田が到着した。
第五給水ポイントは、25㎞を越えた付近なのに、まだ歩くこともなく走り続けている村田は大したものだった。しかも速いのである。こいつは走る練習をすれば、変態小野とまではいかないながらも、かなりのレベルまで行けるのではないかと思った。
この辺りから、変態小野と村田を除いた全員に疲れが見えてきたようで、前述の2人と他の者との差が開いてきたように感じた。この2人の10分後に村上さん、その更に10分後に山ちゃん、カラムーチョ吉田、チュウゲンと続いた。チュウゲンは、肉体的にも精神的にも疲れがピークらしく、リタイアすると言い張ったが。さすがに2人も脱落者をだしたくなかったので、あの手この手を使ってなだめ、どうにかリタイアさせないことに成功した。
しかし、チュウゲンはかなりリタイアする方に気が傾いていたので、これはもしかすると次ぐらいでやばいかもと思った。そして、記念すべき初脱落者のアホの末だが、エンジンがかかったままの冷房の効いたクルマの中でハードロックを聞きながら気持ち良さそうに寝ていた。どうやら体調が悪いのは本当だったようだ。この場だけは、ええ気持ちで寝させておこうと思いながらも、次の給水ポイントではガソリンが勿体ないのでエンジンを切ることにした。こいつだけを特別扱いするわけにはいかないのだ。
ぢよん○○が到着したのは、最後のチュウゲンが到着してから13分後のことだった。かなり足にきているのか、体が左右にふらついていた。飲み物と一緒に食い物も勧めるのだが、体力を消耗するあまりに食がすすまないのか、飲み物しか飲まなかった。
こいつの痛々しい姿を見ていると、どうしても今回は無理かもという思いが頭をよぎってしまう。だが、必死に頑張っている者に対して、手を差し伸べるのは余計なことである。「まだ大丈夫やろ?」とだけ言って、ぢよん○○を送り出した。
変態小野を除いた他の者全員がキツい思いをしているのは間違いないのだが、ことぢよん○○に至っては、その体重の重さと普段の運動不足から、一番キツい思いをしているのではないかと感じた。ただ、ぢよん○○は、キツさを表情にあまり出さないばかりか、弱音も吐かない。オタッキーで怪しい風貌によらず、なかなかの根性の持ち主なのである。 どんどん小さくなっていくぢよん○○の後姿を見ながら、あれだけ頑張っているのだから、完走して欲しいなと、切に思うのだった。
二人目
「どこかええ場所はないかのぉ!」と、独り言を言いながらクルマを停めるのに最適な場所を探す。幸いなことに、丁度5㎞付近にクルマを停めて休むのに最適な場所をみつけた。そこは、小学校への入口であった。
私達は、校門の前の日陰にクルマを置き、塾生達を待った。まず始めにきたのは、変態小野、村田の韋駄天コンビであった。ここまで来たら、この2人には何も言うことはあるまい。最後まで歩くことなく走り抜いて欲しいと思った。
さすがにこの韋駄天コンビも足がいくらか痛くなったのか、到着して水分を補給するなりすぐに校内に入り、洗い場で、水をかけて足を冷やしていた。水の冷たさがよほど気持ち良かったのだろう。そこでたたずむ2人の至福の表情がとても印象的だった。
その後に村上さん、山ちゃんと続いた。さすがの村上さんも、「さすがに足にくるねえ。こんなんだとは思わなかった!」と、言っていたが、それは弱音ではなかった。単なる実感だったのだろう。何せ村上さんは、あの誰もが嫌がる寒中水泳を笑顔で遂行するほどの方なのだから。
そして、山ちゃんだが、到着するなり、「リタイアしてもいいですか?」と言ってきた。静かなる闘志を持つ男である山ちゃんに限って何で?と思い、すぐさま問質した。どうやら、息子の風邪をもらって体調が悪かったようだ。とりあえず、限界ギリギリできるところまでやろうということにし、一応リタイアはしないことになった。この時私は、主役の離脱を免れてホッとしていた。
更に10分ほど遅れてカラムーチョ吉田が到着し、残すはチュウゲンだけとなった。だが、この時、給水ポイントまで至る1㎞以上はあろうかという長い長いストレートを目を凝らして見ても、チュウゲンの姿を捉えることはできなかった。
ずっと遠くを見据えて3分ぐらいしてから、600~700m先に豆粒のようなものが見えた。どうやら、それがチュウゲンらしかった。給水ポイントに400mほど近づくと、はっきりとチュウゲンであることが判明した。この距離なら、どんなに遅くとも4~5分もすれば到着すると思いきや違った。突然座りこんで動かなくなったのだ。
どうしたのだろう?と、それを観察することしばし。全く動く気配が無いので、業を煮やした私は、チュウゲンのところまで行こうとした。
しかし、私の動きを察知したのか、やっとのことでこちらに向かって動き出した。動き出してからは、到着するのにそう時間はかからなかった。チュウゲンが到着するやいなや、先ほどの原因不明の行動を問質した。どうやら、あまりもの足の痛さと疲労で座りこんだとのことだった。その際、「何で俺は貴重な休日を使ってまでこんな辛いことをしているのだろう?」と思ったら、虚しさで余計に体が動かなくなったらしい。
困ったことに、チュウゲンは心が折れたらしかった。肉体がどんなに傷ついても、心が折れなければどうにかなる。だが、心が折れてしまっては、肉体に余力があったとしても、肉体を動かすことはできない。そのことは自分の経験上、また、何人ものそういう姿を見てきて分かっていた。が、分かってはいても、2人目の脱落者を出したくなかたので、ダメもとでチュウゲンを説得したものの、やはりチュウゲンは首を縦に振らなかった。
ただ、私もそう簡単にやすやすと引き下がる男ではない。粘って粘って説得した結果、チュウゲンが参加者全員に晩飯をおごるという条件で、リタイアをしぶしぶ認めた。これで、タダでは転ばずには済んだのだが、脱落者が2人で、しかも2人とも私の同級生だという、とても情けないことになってしまった。
この2人には、足が痛かろうと、体調が悪かろうと必死に頑張っている他の者の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思った。夕飯をおごってもらえるのは嬉しいけど、私は内心、納得してなかった。
決断
車中で私は、ゴールの下関駅まで行くか行くまいかと悩んでいた。下関駅までは、まだ30数㎞を残していた。トータルで65㎞にも及ぶ道程だ。当初、私が予想していた53㎞~54㎞の距離とは、10㎞以上の誤差があった。私には、根性なしの2人を除いた他の者を全員完走させてやりたいという思いがあった。
ぢよん○○はギリギリのところで頑張っているし、山ちゃんも精神力だけで立っているような状態だ。カラムーチョ吉田にしても、既に足を引きずり始めている。この状態で、30㎞以上進むのは、変態小野と村田以外には到底無理だと感じた。 そこで、最初に決めたことを覆すのは本意ではないが、下関駅まで行くのをあきらめ、フルマラソンの距離である43㎞を越えた辺りをゴールとすることにした。
根性なしの2人の脱落に始まって、妥協続きの今回のランだが、これもやむを得ない決断だった。
オーバーラン
旧油谷町のホテル楊貴館を出発してから、既に30㎞を越え、私達はとうとう下関市に突入していた。下関市とはいっても、市町村合併する前は豊浦町という自治体であったところで、旧下関市内までにはまだほど遠かった。
ただ、だんだんと旧下関市内へ近づいているとあって、街中を通ることが多くなった。そのために、4~5㎞付近でクルマを停めるのに適当な場所を見つけることが難しくなった。やっと、適当な場所を見つけた時は、前回の給水ポイントから8㎞近くも離れてしまった。「もう少し近くに戻ってやった方がいいんじゃない?」というチュウゲンの言葉を聞いて、戻ろうかとも思ったが、ガソリン代が勿体ないし、面倒臭いのでやめた。
カミングアウト
前回の給水ポイントからは、通常の約2倍もの距離があるものだから、誰かが到着するのを待つのも2倍かかった。変態小野、村田と到着し、ラストのぢよん○○が到着するまでには、最初の変態小野が到着してから何と1時間近くもの時間がかかっていた。
距離が長くなるから、それだけ差も大きくなるわけで、それは当然のことであった。全員が揃ったところで、私はプラン変更のことをカミングアウトした。皆のことを思って下した決断だったが、それを口にするのは切なく苦しいことだった。
やはり、皆のことを思っての決断でも、妥協するということに変わりはないのだから、そうなるのも無理はなかった。
しかし、予想通り塾生達は、距離が短くなったことに喜んでいた。苦しみから早く解放されるのだからそれも当然といえば当然。私が彼らの立場であってもそうなったとは思うが、ただ喜んでばかりいる塾生達の態度に何か釈然としないものを感じていた。
いくら、下関駅まで到着するのが無理なコンディションとはいえ、妥協するのに変わりはないのだから、喜びの反面、悔しさも感じなければならない。それがないとは、まだまだというか何というか・・・。でも、全員が頑張っているのを分かっていたからあえて何も言わなかった。
最終給水ポイント
最終給水ポイントは、前回の反省から、3㎞と少しぐらいしか離れてないスーパーの駐車場にした。ここまでの距離は既に40㎞を越えていた。正午前ぐらいから雲も退いて、太陽がジリジリと照りつけるようになったため、塾生達の体力の消耗は激しかったに違いない。
足の痛みに体力の消耗。苦しみがダブルパンチで襲ってくる中、塾生達は己とよく闘っていた。自分から弱音を吐く者なんて誰もいなかった。それだけは大したものだった。
先頭の変態小野が到着してから30分ほどで、全員が無事に最終給水ポイントに到着した。あと残りわずかと思うからか、全員の表情も明るかった。前回給水ポイントまでは、暗く沈んだ表情をしていた山ちゃんも息を吹き返して、活き活きとした表情をしていた。山ちゃんは、覇気のある声で、「最後まで行けます。」と、私に言った。ぢよん○○もどうにか大丈夫そうだった。村上さんも問題はなさそうだった。
これならば、根性なしの2人を除いた全員の完走は間違いないと思った。塾生達は、十分に休憩をとった後、ゴールに向けて出発して行った。不思議なことに誰も辛そうに走って(歩いて)いる奴はいなかった。むしろ、これまでよりも軽快なぐらいだった。あと少しで終りという気持ちがそうさせたのだろうか?
それを見て思った。「やはり下関駅まで走らせれば良かった!」と。
後悔の念
クルマを走らせながら私は、妥協しなければ良かったと悔やんでいた。最終給水ポイントを飛び出した時の走り(歩き)を見たら、下関駅まで行けそうだと思ったからだ。
前言撤回ということで、下関駅まで行かせようかとも考えたが、それをすると、泣き叫んだり発狂する奴がでるかもしれないので、さすがにこれだけはできそうになかった。それならば、3~4㎞走ったところにある適当な場所をゴールにすることをやめて、10㎞先まで行ってそこをゴールにしてやろうかとも考えたが、助手席のチュウゲンの「可哀相やから言ったとおりにしようや。」との一言で、それもやめることにした。
結局、予定通りに最終給水ポイントから4㎞ほどのところにあった空き地を今回のゴールとした。
ゴール
ゴールに決めた空き地とは、釣具屋の隣であった。はっきり言って、次に来る時は見逃して行き過ぎてしまいそうな場所だった。この場所までは、ホテル楊貴館から約44㎞の距離であった。最低でもフルマラソン以上の距離は走るという目標を一応は満たしていた。
10分ほど待つと、まず変態小野が見えた。ガッツポーズをしながらのゴール。今回も全部を走り通した。まだまだ余裕があるようで、こいつなら下関駅まで行けそうな気がした。次に入ってきたのは、初参加の村田。途中で少しは歩いたらしいが、その殆どを走り抜いた。初参加でこの走りは見事だった。頼もしい仲間の誕生である。
更に続けて入ってきたのは、これまた初参加の村上さん。村上さんも全部を走り抜いた。足を痛めながらも弱音を吐かない精神力の強さはさすがだった。
少しおいて村上さんの次に入ってきたのは山ちゃん。体調不良ながらも強靭な精神力で完走したのは見事だった。やはり、今回も主役らしさを見せてくれた。根性なしの2人は、山ちゃんを見習うべきである。
それから10分後に入ってきたのは、カラムーチョ吉田。参加する度に、進化した姿を見せてくれる。その走りは、もう安心して見ていられる。頼もしい存在に成長したものだ。
そして最後に入ってきたのが、ぢよん○○。ゴールするなり、足の痛さにしばらくうずくまってしまった。それほどまでに痛みをこらえていたのかと思うと、さしもの私の氷のハートにも熱いものがこみあげてきた。この姿を見たら、もしかしたら1億人に1人ぐらいの女性は彼に惚れるのではないだろうか。老婆心ながら、ぢよん○○にはいつか、彼のことをよく理解してくれる女性を紹介してあげたいとも思った。
ゴールしてからは、苦しみという呪縛から解き放たれてか、全員が安堵の表情を浮かべていた。その苦しみは、私も経験しているから良く分かっていた。だから彼らを晩飯をおごるという行為で労ってやろうと思った。 勿論、おごりとは根性なしのチュウゲンのおごりではあるが。
今回のランを振り返って
冒頭にも書いたが、日頃だすことのできない、出す機会の少ない根性を試す絶好の場。それが漢塾ランである。傍で見ていると一番良く分かるが、これほど根性を試すことのできる場はないと思う。そういう意味でも、塾生達は今回も各人それぞれの根性を見せてくれたと思う。パッと見には、村上さんを除いては、どう見ても喧嘩の弱そうで根性のなさそうな奴ばかり。だが、結果が示すとおり実際はどいつも根性のある奴ばかりである。
当初の目的地であった下関駅まで行くのを断念したのは、妥協を許さない漢塾にあっては未だに悔いの残ることではあるが、根性なし2人を除く6人の頑張りがそれを補って余りあるので、どうにか自分を無理矢理でも納得させられそうではある。
いよいよ次回は、関門トンネル(人道)を渡る。そして、トンネルの先は九州である。関門トンネルを渡ることは大分ランの中にあって、最も特別なイベントである。私としては、今回参加したカラムーチョ吉田以外の(彼は、航海で不在のため)全員に関門トンネルを渡らせたいと思っている。だから、次回は極力全員のスケジュールを調整して臨むつもりである。
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