Road To 大分 第三弾
- カテゴリ
- RUN
- 開催日
- 2007年11月03日(土)
プロローグ
いつの間にか秋が深まったと思う今日この頃。前回の大分ラン第2弾から4ヶ月。ようやく大分ラン第3弾が開催されることとなった。猛暑という過酷な状況の中で開催された前回とは違い、ちょっぴり肌寒くちょっぴりセンチメンタルな雰囲気の漂う中で開催される今回のランは、肉体にも精神にも絶好の環境であった。
今回のランの目玉は、人道を通るということであったが、嬉しいことにもう一つ目玉となることがあった。”純ちゃん”と姐御の参加である。”純ちゃん”には、かなり前からラブコールを送っており、今回ようやくそれが実現したわけである。 血液型超A型の几帳面な性格で、書道10段、所持する資格多数のマルチな才能を持つこの男の参加は、大分ランに新たな血を流しこんでくれることとなった。
そして、姐御だが、漢塾のイベントには3年前の角島ラン以来の参加である。今まで、多々行動を共にしてきた私にとって姉貴分の姐御の参加は嬉しくもあり、また大変感慨深いものがあった。
このスペシャルな2人を加えた大分ランが特別なものにならないはずはない。そう思い、今回の大分ランに臨むのであった。
集合
前回の中継地点に行くまで、更に40数㎞距離が伸びたので、今回は集合時間を繰上げて午前5時の集合とした。 他の者は当然として、前日遅くまで飲み会だった”ぢよん○○”及び、1分でも遅れたら壱萬円の罰金だと約束していた変態小野も遅れずに集合した。
今回は、ルートを変更。前回の到達地点から下関駅までの日本海側の20㎞の距離を別ルートから走ることにしたのだ。前回到達地点から下関駅までは、途中で道が交差して分かり難いのと、クルマを停める場所を探すのが困難であることが、ルートを変更した理由である。
そして、変更するところはもう一つあった。下関駅から人道入口までは、瀬戸内海側を5~6㎞戻らなければならなくなるので、それならば、またわざわざ人道入口まで移動する必要がないようにと、人道入口から20㎞ほど萩方向へ戻ったところをスタート地点とすることにした。要するに、山口県の最終地点は、下関駅ではなく、人道入口なのである。
このやり方だと、下関駅までの約110㎞を通して走ったことにはならないのだが、違うルートを走った分を足して同じ距離になれば、一応は到達したことになるので、これはさしたる問題ではなかった。
私達は、時間を無駄にすることなく、さっさとクルマに乗り込み、ほぼ予定時刻の午前5時5分に市役所を出発。まずは、運転手をつとめてくれる村上さんを迎えに山口市へと向かった。
村上さん
前回大分ランでは、なかなかの走りを見せてくれた村上さんだが、40㎞を越えるランでは足にすごく負担がかかり、大好きなランニングも思うように出来なくなることから、今回はやむなく走るのを断念した。その代わりに、運転手という裏方をつとめてくれることになった。
せっかくの休日をこの大分ランのために使わせて、申し訳なく思ったのだが、村上さんの好意を有難くいただくことにした。村上さんの存在は、もう大分ランには必要不可欠なものである。例え、ランに参加することができなくても、運転手でも他のどんな形でも良いから、今後も大分ランに関わっていただきたいと思っている。
市役所を出発してから1時間。暗闇の中で待つ村上さんを見つけた時は、嬉しさと頼もしさを感じた。言葉には出さないが、咄嗟に心の中で叫んでいた。「村上さん、今回も良い仕事してくださいよ!」と。
スタート地点探し
旧小郡町から国道2号線に乗り、一路下関市を目指す。下関市までは、クルマを走らせていれば、黙ってても着くのだが、問題はどこをスタート地点にするかということだった。走るルートを変えるとは言っても、人道入口から20㎞遡った場所がどこかは見当がつかない。どの辺りが、人道入口から20㎞ぐらい離れているかと、考えているうちに、どんどんクルマが進んでしまう。山陽小野田市に入った辺りから、さすがにそろそろヤバいかもと思い始めた時に、タイミングよくアホの末から電話が入った。
今走っている道沿いのドライブインである”みちしお”をスタート地点にしようとのことだった。確かに、”みちしお”なら、スタート地点にはもってこいの場所なのだが、問題は人道入口からどれだけ離れているかということだった。どう見積もっても、人道入口までは20㎞もありそうにない。しかし、スタート予定時刻である午前7時をとうに過ぎていたので、そんな細かいことは言ってられなかった。よって、アホの末の提案どおり、”みちしお”をスタート地点とすることにした。
みちしお
“みちしお”はアサリの貝汁で有名なドライブインである。私達が到着した時には、朝早いというのに多くの人が店内で食事をしていた。”みちしお”は、おそらく30年以上の歴史があり、コマーシャルもしているので、山口県人であれば知らない人はいないであろう有名ドライブインである。
私にとって、”みちしお”と言えば、貝汁よりも、10年前にこの近辺で超巨大な流れ星を見たことが強烈に印象にある。あの流れ星を見たおかげで、人生における一発逆転の奇跡が起きたと今でも信じこんでいるのだが、まあそんなことはここではどうでも良い。駐車場も広く、分かりやすい場所である”みちしお”はスタート地点に最適であった。人道入口までの距離の問題は、九州へ入ってから足らなかった分の距離を余分に走ればよいだけなので、大したことではなかった。
走るための準備を済ませてから、全員が揃ったのが午前7時半過ぎ。出発する前に何も特別な儀式をすることもなく、「さあ、行ってこい。」との私の掛け声で、全員が駆け出した。
天気は快晴。神々しい朝日の射す中を視界から次々と消えていく塾生達を見ていると、天も塾生達を祝福してくれているのではという気になった。
危惧
“みちしお”より、給水ポイントを設けるための駐車スペースを探しながら走っていると、気になることがあった。途中より、歩道が無くなって、車道だけになっているのである。車道は片側一車線で狭いし、その横には、わずか50㎝幅の人がギリギリ通れそうなスペースがあるだけだ。クルマが人を避けて走るとは思うのだが、対向車との離合時には、避けるスペースがなくなるので、クルマが人のギリギリ側を通るようになる。少しでも車道側によろけてはみ出そうものなら、クルマとの接触はさけられないし、大型トラックなどには下手すれば引っ掛けられる恐れもある。要するに非常に危険なのである。
のっけから、こんな危険な場所があるとは想像もしていなかったのだが、今さらどうしようもないし、もうルートを変更するなんて面倒臭いことはしたくないので、これはやむをえまいと思い、この状況には目をつむることにした。 これから先にも予想外の危険な、面倒臭い場所はあるかもしれない。そんなのいちいち心配していたらキリがない。”少々のことでも目をつむること”これが、私がこれまでの幾多のランをこなした経験から得たものである。
はぐれる
クルマを駐車できる適当な駐車スペースにクルマを停めてから待つこと40分余り、アホの末を筆頭に変態小野、”ぢよん○○”、”ちゅうげん”、”純ちゃん”と続く。
ん?姐御と”山ちゃん”は?と思い、走って来た方を見るが、その姿は見えない。姐御は”ぢよん○○”より先に走っていたのに何故?と疑問は深まるばかりだ。 私が??と、悩んでいる最中に、村上さんから「おった!おった!」と声が上がった。
「あれ!あれ!」と、村上さんの指す方向を見ると、私達の居る給水ポイントより遥か先を走っている”山ちゃん”を見つけることができた。私と村上さんは、目を凝らして皆が来るのを待っていた。よって、”山ちゃん”が走って来たのを見逃すことは考えられないし、分かり易いところにクルマを置いていたので、もしここを通っていたとしたら、私達が見逃したとしても”山ちゃん”の方が気付くことだろう。
では、”どこを通ったのだろう?”という疑問には姐御が答えてくれることになった。私達が”山ちゃん”の後姿を追っていると、姐御が車道の横から出てきたのである。車道の下に車道に沿った側道があることが、これで分かった。
通り過ぎた2人に対して、大声で「おお~いっ!」と、声を掛けるのだが、距離が離れているのと、クルマの騒音がうるさいのとで、私の声が2人に届くことはなかった。
初っ端からのアクシデント。しかし、こんなのは慣れっこである。こんなのいちいち気にしていたらキリがない。2人には先で会えるだろうと思い。2人のことはあきらめた。この時は、この事を気にはしたなかったが、今考えると、これがこの先起きる、もっと大きなことの予形であったのだ。
再会
第一給水ポイントを出発してから、すぐに姐御から電話が入った。どうやら私の走っているすぐ近くにいるらしかった。少し探すのに手間取ったが、無事に姐御と再会。そのすぐ後に”山ちゃん”とも再会できた。第一給水ポイントから2㎞も離れてない場所での再会だったし、涼しかったから、水を入れるのが少し伸びたことは何の影響もないみたいだった。姐御達と再会した場所は、車道が片側3車線で、歩道も広い。”人道入口はひたすら歩道をまっすぐ行けば良いだけだから、もうはぐれることはないはず。”そう思い、2人と別れた。
無常
給水ポイントとする場所は、既に決めていた。過去には大きいホテルがあったところだ。そこには、広い駐車場があることが分かっていたので、給水ポイントとすることにしたのだが、到着して驚いた。ホテルの建物は記憶のままに残ってはいるものの、広大な敷地内にはショッピングセンターやホームセンターなどが軒を連ねていたのである。 “俺が子供の頃には確かスケート場があったよな!”とか、”下関の旧水族館はここにあったよな!”とか記憶を遡ってみるのだが、その記憶に残っているものがどうしても現在の姿と繋がらない。
ここの前の道路はこれまでに何十回も通っている。だが、いちいち意識して見てなかったので、そうなるのも無理はなかった。20年数年ぶりの再訪で感じたことは、当然のことながらいつまでも同じ状態であるものはない、つまり”無常”ということ。逆に言えば、”変わらないものはない”ということ。
“変わらないものはない”ということには寂しさも、儚さも感じはする。ただ、全てのことは”変わってゆく”のだから、それが良いとか悪いとかいう判断はできない。私達にできるのは、客観的に変わる様をみつめるだけである。変わる様を受け止めるだけである。妙に感傷的になる必要はないのだ。
この給水ポイントには、全員無事に集合した。この一本道を別の道にそれようものなら、罰金を課そうかとも冗談で考えていたが、それも杞憂に終わった。ここまでは、スタート地点から14㎞以上進んでいた。目の前には、関門橋が見える。人道入口は、関門橋のすぐ手前だ。ここからどれくらい距離があるのかは分からないが、近いということは間違いない。
人道入口が、とりあえずは山口県側のゴールと知ってか、それとも初めて通る人道に興奮してか、皆の表情は明るかった。私もお気に入りの関門橋が間近で見れるからか、内心ウキウキしていた。
関門峡
人道入口に一足早く到着した私は、皆が到着するまでには時間があるので、関門橋の間近まで行って写真を撮りまくった。関門橋だけでなく、ひっきりなしに船の行き交う関門峡の景色もお気に入りである。ずっと眺めていても飽きない。天気の良い日は、ここで一日中、この景色を見ながら麻雀をしていられたらと思うほどだ。
関門海峡のすぐ向こうは、九州。わずか1㎞先に九州があるということが、私を特別な気分にさせる。6年前は、アホの末と2人で、また自分だけでこの海峡を渡った。あの時の感動は、今でも忘れてない。形は違えど、また、ここへ戻ってこれたことを嬉しく思った。
人道入口
人道入口までは、先ほどの給水ポイントからは約4㎞。スタート地点の”みちしお”からは約19㎞の距離であった。もっと短い距離だと思っていたから、当初予定していた距離との1㎞という差は、嬉しい誤差であった。
全員の到着後、各自に私が作成した九州へ入ってからの地図を渡した。出雲ランの時のように、基本的に一本道であれば、こんなことをする必要はない。だが、北九州市から大分へ至るルートは、道が入り組んでいる。また、北九州及びその近辺は、クルマを要所要所に停めて、その都度進行ルートを指示するのが困難であろうことが予測されるため、地図を各自に渡して、間違いなく私の示したルートを進ませることにしたのである。
そして、ここでの肝心なことが九州側の人道を出てから、本ルートである国道3号線へ至るまでの行き方であった。私も末も、行き方を既に忘れていたので、人道の管理人さんにそのことを教えてもらったのだが、管理人さんの説明のしようが下手だったからか、言われることを完全に理解できなかった。
しかし、以前2回ほど人道を通った時は、難なく国道3号線に合流できた記憶があるので、”どうにかなるだろう”と、あまり深く考えたはなかった。皆に確認事項も伝えたし、九州へ入ってからの待ち合わせ場所であるセブンイレブンまでは、全員が集団で行動することにもした。これで、迷子を出すことはないだろうと思った。
突入
人道の通行料は歩行者は無料である。よって、片道約1㎞のトンネルはウォーキング愛好者にとっては絶好のコースとなっている。山口県と福岡県をまたにかけて散歩するなんて、何と贅沢なことだろうか。塾生達も、アホの末を除いては、今から人道を初めて通るということで、嬉しそうに見えた。
“これから先、今回のメンツでここを通ることはまずないだろうし、おそらく殆どの者はこれが最初で最後になるだろうから、今、貴重な経験をしているということをよく記憶に留めておけよ!”と心の中でつぶやく私。
時刻は、午前11時過ぎ。予定よりも早く、塾生達は人道に突入した。エレベーターに乗って、地下に降りるのを見届けてから、私と村上さんも関門トンネルへと向かった。人道を通ることが、皆の良い思い出になりますようにと祈りながら。
関門トンネル
人道入口から関門トンネルまでは、結構距離が離れている。おそらく10㎞近くあるのではなかろうか。しかも、来た道を途中まで戻るようになるため、目と鼻の先にある九州から一旦、離れる形となる。人道が、関門海峡の最短距離を通っているのに対し、関門トンネルは関門海峡からだいぶ離れたところからトンネルに入っていくために、かなりトンネルが長い。
人道が約1㎞、関門トンネルが約4㎞と、4倍も長さが違う。また、関門トンネルは、通行量が多いくせに片側一車線しかなく、もしトンネル内で事故があった場合、クルマを置いて逃げなければならなくなる。おかげで、私はトンネル内を通るたびに、クルマ同士の事故がないか落盤事故がないかと、いつも冷や冷やしている。
九州へは頻繁に行く私だが、確立は低いながらも、このような事故の可能性があるので、なるべくなら通りたくないのが本音だ。土曜日の昼中という時間帯だけあって、関門トンネル料金所の1㎞手前ぐらいから渋滞。大幅に時間をロスし、トンネルを抜けて九州へ上陸したのは、人道トンネルを出発してから50分後のことであった。
全員集合
“もしかすると、集合する約束場所である門司のセブンイレブンには、既に全員が到着しているのでは?”と思ったが、それもいらぬ心配だった。門司のセブンイレブンへ行く途中で、姐御を始めとして何人か抜いたのだ。
門司のセブンイレブンに到着した時には、アホの末と変態小野だけが到着していた。こいつらも、私らが到着する少し前に到着したらしく、渋滞にはまって時間をロスしたことが、丁度良いタイミングで私達を再会させてくれることとなった。
その後も続々と塾生が到着し、結果誰も迷子になることなく全員無事に再会できたのだった。これも、集団行動の賜物だった。もし、これがバラバラで行動していたら、誰か迷子になる奴がいた可能性だってあった。
とにかく、私が予想していた最初の山場をクリアしてくれたことで、内心ホッとしていた。ここでは、昼休みも兼ねて少し長めに休憩。軽く腹ごしらえした塾生達は、腰を落ち着けることなく、足早に次の給水ポイントへと向けて発って行った。
寝る
門司のセブンイレブンから離れること6㎞とちょっと。左側にクルマを停めるのに丁度良いスペースがあったので、そこを給水ポイントとすることにした。門司のセブンイレブンから、かなり離れてしまったので、塾生達がここへ到着するまでにはかなり時間がかかるであろうと思われた。
最初は、村上さんと話ながら外で待っていたのだが、ずっと外で、塾生達が来るのを待つのは寒いし暇である。そこで考えついたのが、クルマの中で寝るということ。午前3時半に起きて、寝不足だった私は、そのことを村上さんに提案。村上さんも寝不足だったからか、”それいいね!”ということになり、早速、2人とも各々のクルマの中に入って横になった。
クルマの中は、暖かくて気持ち良く、寝不足と運転の疲れが重なったからか、すぐに意識がなくなったように思う。この時、私に眠りに落ちていくという意識はなかった。
私が現実に引き戻されたのが、「ガガッ!」というクルマの後ろのドアを開ける音だった。音がした驚きで飛び起きたのである。最初は、”何だ!何だ!”と、自分の置かれた状況をよく飲み込めなかったが、何秒かするとすぐに”自分は眠りに落ちてたんだ。”ということに気付いた。自分が横になってから、起きるまでの時間は30分余り。その間、私は気を失っていたのだ。それは村上さんも同じだった。お互いに、「寝てから30分も経ってたんやね。」と、驚いていた。
そうなるのも無理はなかった。気を失っていた30分が私達には数秒にしか感じられなかったのだから。それは良いとして、問題はドアを開けた変態小野であった。こいつがもう少し遅く走っていれば、もう少し眠っていられたのに、もう少し静かにドアを開ければ、もう少し気持ち良く起きれたのにと思うと、腹が立った。
あれほど普段から、他人への配慮や気遣いについては、うるさいくらいに指導しているのに、それが出来ていないのだ。やはり、こいつもまだまだというか、更に指導の必要ありと感じた。
蓄積
この給水ポイントにも、変態小野を筆頭に最後は”ぢよん○○”と、全員が無事集合した。九州へ入ってから、ここまでは10㎞以上進んでいた。人道を歩いた距離と、山口県を進んだ距離を加えると、30㎞ぐらい進んでいる計算になる。
変態小野を除いて、普段から長距離を走ることのない一般人では、大体15㎞から20㎞ぐらいで、足に疲労や痛みが蓄積してくる。その痛みときたら、経験者にしか分からないとは思うが、歩行が困難になるほどの耐え難いものなのである。
これは、そろそろ皆ヤバいかも?と思った私は、皆に足の痛みをリサーチ。やはりというか、変態小野を除いては、誰もが口々に足の痛みを訴えていた。その中でも特にヤバいと感じたのが、第1弾からレギュラー参加している”ぢよん○○”であった。通常痛くなる膝や足の裏ではなく、股関節が痛いらしく、しばらくは大の字に寝転んで痛みと闘っていた。
私は「大丈夫か?」とは聞いたものの、「頑張れよ!」とも、「ダメならリタイヤしてもいいぞ!」とも言わなかった。どうするか決めるのは本人のことだ。私が介入することではない。無理し過ぎて、ケガをしてしまってはいけないし、まだできるのにリタイヤして悔いを残してもいけない。完走をするということも大事だが、一番大切なのは、自分の限界や力量というものを見極められるようになることである。
それができれば、例え途中でリタイヤしたって燃え尽きたということだから、本人も満足するだろう。要は、自分が満足できれば良いのだ。でも、足を引き摺りながら、去って行く”ぢよん○○”の後姿を見ていると、”こいつは無理をするやろうな。ケガせんとええな。”と、とても不安になった。
大量離脱
塾生達全員を見送った私達は、そこから更に5㎞ほど行ったところに空きスペースを見つけてクルマを停めた。先ほどの給水ポイントからは、ひたすら真っ直ぐ来ればいいだけなので、全員無事にここに辿り着けるだろうと思い、また寝ることにした。
だが、この時は熟睡することができずに10分ほどで、起きてクルマから出た。一応は念には念を入れて、塾生達から見え易いところで待とうと思い、見え易い場所まで出て塾生達を待った。
待つこと15分。最初に現れたのはアホの末だった。”ん?ん?おかしいぞ!”とすぐに気付いた。アホの末より遥か前を変態小野が走っていたはず。それは、クルマでこいつらを抜いた時に確認していた。
“何で?”と思い、そのことをすぐにアホの末に問い質した。「ここまで道は真っ直ぐやったのに、変態小野は何処行ったんや!」との私の問いに、アホの末は、「途中の某中学校の辺りで、車道の横にある側道が、他の道と交差していて、どっちへ進めば良いか分かりにくかったから、おそらく小野は俺と違う道へ入ったんかもしれん。」と答えた。
アホの末の言う側道は、地図上には表示されていない。地図を過信し、車道を通ってくると思い込んでいた私の過失であった。変態小野が違う道に入ってしまったとして、その道がどこに繋がっているか分からないし、またそこから更に違う道に入っていることも考えられるから、探しにいくわけにもいかなかった。それに変態小野が道を間違えたということは、後続の者達も同じことをする恐れがある。
これは、とりあえず、後続の者達が皆きちんとここへ到着することができるかを確認してからアクションを起こした方が良いと思い、後続の者達が到着するのを待った。迷子は、変態小野だけで済ませてくれと願う私の気持ちを裏切ってか、順当に到着した”山ちゃん”の次に到着したのは”ちゅうげん”であった。
こいつは、”純ちゃん”と姐御のかなり後ろを歩いていたはず。”これはおかしい!”ということになり、更に待っていたら、次に到着したのは、ダントツで最後尾を歩いていた”ぢよん○○”だったものだから、この時点で”純ちゃん”と姐御の迷子が確定してしまった。
変態小野だけならず、姐御と”純ちゃん”まで迷子になるとは、最悪のハプニングであった。変態小野と姐御は携帯を持っていないと思い込んでいたので、まずは”純ちゃん”に連絡したのだが、走っている最中なのか電話に出ることはなかった。
ただ、救いは”純ちゃん”は携帯を持っているし、姐御も変態小野も私と村上さんの携帯番号を私が渡した地図 のコピーに控えていたので、遅かれ早かれ、いずれは連絡があるはずと思っていた。しかし、ただ待つだけという消極的なことはしたくないので、私がこの場所で連絡があるのを待ち、村上さんには、正規のルートを何㎞か先までクルマで走りながら行方不明者を探してもらうことにした。
変態小野は、以前から私に「九州で迷子になったら置いて帰ってください。」と言っていたので、どうしても見つけられなければ、そうするつもりであったが、他の2人は何があっても見つけだすつもりでいた。
ファーストコンタクト
行方不明の3人を除く4人が去った後も、私は給水ポイントを動くことなく連絡を待っていた。どれくらいの時間が経ったであろうか。”そろそろ来るな!”との私の予感どおりに、携帯が鳴った。通知先は”公衆電話”となっていた。これは、姐御か変態小野だ!と思い電話に出た。相手の発した第一声が、”あっ、あのう・・・。”という弱々しい声だったので、変態小野であることがすぐに分かった。
「お前どこにおるんや!詳しく言うてみい!」という私の問いに、「僕、迷っちゃったみたいで、今どこに居るかわからないんですぅ!」と、蚊の鳴くようなか細い声で答える変態小野。「分からないんですぅ!じゃ、迎えに行きようがなかろうが!目印になるような建物があれば言え!」との私の問いに「したそね駅が近くにあるんで、そこに居ますから迎えにきてください。」と、泣きそうな声で答える変態小野。
「したそね駅?そんな駅ねえぞ!しもぞね駅のことじゃないのか?」と私。「あっ!そうかもしれません。待っているんでお願いします。」と、小野。「じゃあ今から行くから、そこを動くんじゃないぞ!」と言い放つと、すぐにクルマに乗り込み、給水ポイントを離れた。
下曽根駅の場所はおおよそ分かっていた。”えらい遠くまで行ったものだな。”と思いつつも、変態小野を置いて帰らないで済むことにホッと胸を撫でおろしていた。
セカンドコンタクト
セカンドコンタクトは”純ちゃん”であった。クルマの運転中に電話がかかったのだ。「お前、給水はまだぁ!」との問いに、「お前と変態小野と姐御は、俺達とはぐれたんやて!」と私。「やっぱりぃ!何ぼ進んでも、お前らがおる気配がないから、そうじゃないかと思うとったんよ!」と”純ちゃん”。「何か目印になるような建物はないか?」と私。「俺、どこにおるか分からんし、周りに目立つような建物はないぞ!」と”純ちゃん”。「目立つ建物がないと、探しようがないぞ!目立つ建物を見つけてから、もう一度連絡をくれ!」そう言って電話を切った。本人の所在地がつかめないのが、やや不安ではあったが、これでどうにかなると思った。
ラストコンタクト
ラストコンタクトは姐御であった。姐御は携帯を持って歩いていたようで、これなら、最初から電話していれば、もっと早くコンタクトできたのと悔やんだのだが、結果的にはコンタクトできたのだから良しとすることにした。姐御も自分の位置が分からないとのことなので、変態小野や純ちゃんと同様に、目印となる建物があったら教えてくれと言って電話を切った。
だが、幸いなことにも、電話を切ってからすぐに歩道を歩いている姐御を発見することができた。すぐにクルマを停めて、姐御にどういう道を通ってこの正規のルートに合流したのかと聞いた。
姐御曰く、少し手前の脇道からこのルートに合流してきたのだという。その脇道がどういう道なのかは分からないが、とにかく正規のルートに合流できたことは幸いであった。正規のルートはまっすぐなのに対して、脇道は違う方向へ行ってまた戻ってくる形になるため、幾らかは遠回りしたことになったのでは?とも思った。
と、ここで”純ちゃん”から電話が入った。”福岡銀行の前で待っているから!”とのことだった。 福岡銀行の前で待っているといっても、福岡銀行がどこかは分からない。”こりゃあ、探し回らないかんのかな?”と思った時に、姐御から「西村君なら、私の少し前を歩きよったよ!」と、渡りに船のようなことを聞いたのだ。
ラッキーであった。同じルート上に”純ちゃん”がいるのなら、探し回る必要もないし、迎えに行く必要もない。ただ、待っていてもらえば良いのだ。姐御のついでに、後続のアホの末と”山ちゃん”にも水分を補給させてから、寂しがっている”純ちゃん2のもとに向かった。
再会
“純ちゃん”は、確かに福岡銀行の手前のバスの停留所のベンチに座っていた。1時間半ぶりに再会する”純ちゃん”は、水分を補給していないからか、それともはぐれた寂しさからか、ゲッソリして元気が無いように見えた。
“純ちゃん”は開口一番、「俺、リタイヤする。」と言った。どうやら、自分が現在違うルートにいるものと勘違いしているようなのだ。確かに違うルートにいるとしたら、正規のルートへ戻るまでには、余分に時間も体力もロスしてしまうし、それよりも何よりも気持ちが途切れてしまうことが、”純ちゃん”がリタイヤすると言った最大の原因であろう。
それが分かっていたから、すぐに「ここは正規のルートやぞ!」と言ってやったら、「あっ!そう?!なら俺やる!」と、”純ちゃん”はあっさりと前言撤回した。何という変わり身の早さ!でも、再びやる気になってくれて嬉しかった。
「もう、残り7㎞ぐらいやからの!」と、ボソッと呟いたの私の言葉が”純ちゃん”の耳に入っているのか、入っていないのかは分からない。だが、残りは僅かであると察したからか、”純ちゃん”は水分補給をするとサッサと歩き出した。 足をかばうような歩き方は、後ろから見ていて痛々しかった。”純ちゃん”も、この時は己と闘っていた。
不審者
“純ちゃん”と別れてから、一路変態小野のもとへ。下曽根駅までは、この場所から5㎞あるかないかの距離。どんなに遅くとも10分もあれば到着することができる。だが、下曽根駅まで半分の距離を進んだところで姐御から電話が入った。途中棄権するから迎えに来て欲しいとの電話だった。
変態小野なんか放っておいて、すぐにでも姐御のところへかけつけたかったが、変態小野を既に1時間近く待たせているので、申し訳ないが姐御には少し待ってもらい、先に変態小野の身柄を確保することにした。姐御に電話をもらってから3分ほどで下曽根駅に到着。細身で長身の変態小野は、遠くからでもすぐに確認することができた。
しかし、肌寒い中、季節外れの短パンに長袖Tシャツという格好でウロチョロしている変態小野の姿は十分に怪しかった。周りの人の目に、変態小野の姿は”不審者”として映っていたであろうことは想像できる。
これは、警察に不審者と間違われ身柄を確保される前に、こっちが身柄を確保しないとヤバい”と思い、急いで不審者の身柄を押さえた。私が警察に代わって職務質問してやろうかと思ったが、そんなくだらない事をしている暇もないので、すぐにクルマに不審者を乗せて駅を後にする。
不審者は、「もっと早く来てくださいよ!」とか、「いくら行っても○○さんの姿が見えないので、これはヤバいと思い電話しました。」など、とかくよく喋る。よほど、1人でいたのが寂しかったのだろう。しかし、3人の行方不明者の所在に気を揉んで、気疲れした私には、不審者のそんな戯言に耳を傾ける余裕もなかった。
「ええか!見つからんかったら置いて帰ろうと思っとったんやから、見つけてやった俺に感謝せえよ!」と言ったら、「ご迷惑おかけしました。有難うございました!すごく感謝してます!」と、不審者は答えた。 “やはりこいつはアホや!”と思いながらも、一番確保が困難と思われた不審者の身柄を警察より先に確保できたことに安堵していた。
勇退
変態小野を村上さんと予め決めていた最終給水ポイントであるホームセンターの”ナフコ”前に降ろし、姐御を迎えに行った。”ナフコ”から殆ど離れていない、ファミリーレストランの”ジョイフル”の前の道路を挟んだところで姐御は待っていた。見たところ、そんなに消耗しているようには見えなかったが、足にかなりダメージが蓄積しているとのことだった。
残り5㎞ほどだから、無理をすれば完走できるかもしれないが、明日以降の生活に支障をきたすので、止めておくとのことだった。姐御は、確かに序盤から中盤にかけて、かなりペースを飛ばしていた。これも、自分を追い込むためだと言っていたから、余計な口出しはしなかったが、もし、最初から自分を追い込むようなことをしないで、本来の自分のペースで走っていれば、ここまで足が痛むことはなかったかもしれない。
私はしっかりと姐御の頑張りを、自分への追い込みを見ていた。姐御は十分に自分の掲げた目標を達成することができたのではないだろうか・・・。私は、仕事や様々な活動を通して姐御の凄さを知っている。塾生達も知っている。 姐御の存在は、大分ランに対するスパイスのようなものだった。皆に刺激を与えてくれた。そして、姐御と一緒したことは忘れ得ぬ良い思い出となった。
最終給水ポイント
姐御を乗せて、最終給水ポイントであるホームセンター”ナフコ”へ。そこでは、”ぢよん○○”を除く6人が待っていた。当初、ここから10号線に合流するつもりだったが、ルートを変えてそのまま25号線を走ることにした。その方が進むのが簡単に思えたからあった。
と、なるとである。変態小野はこれから通る25号線を遥か先まで進んで下曽根駅まで行っていたわけであるから、また何㎞か余分に走らなければならなくなる。常人であれば、また同じところまで走るのが嫌だし、そんな体力的な余裕もないから、”下曽根駅から走らせてくれ!”と言うのだろうが、さすが変態だけあって変態小野は違った。
「お前、また同じところを走らないかんけど、大丈夫か?」の私の問いに、「何の問題もないです。幾らでも走りますよ。」と答えた変態小野。やはり、こいつは常人ではない=非常人=変態であった。最終給水ポイントにはサプライズが用意されていた。それまでクルマで伴走をしていた村上さんが、姐御の代わってラスト5㎞を走るのである。
走ることが大好きな村上さんだから、皆の走るのを見ているだけではつまらなかったことだろうと思う。少し美味しいところ取りな気もしなくはないが、せっかくだから、これまでの走れない鬱憤を思う存分に晴らして欲しかった。
満身創痍の”ぢよん○○”が到着してからほどなくして、悲願のゴールへと向かって7人は旅立った。村上さんと変態小野を除いた5人は、私から”ラスト5㎞”と聞いた以上、それまでしか気力ももたないと思ったが、私はクルマを停めるのに適度な場所を見つけられない限り、1㎞でも2㎞でもゴールを先延ばしするつもりであった。
ここまでくれば、1㎞や2㎞ぐらい大した距離ではないし、そのぐらいの距離なら黙っておけば分かりゃしない。 まあ、約1名文句を言いそうな奴がいたが、ここまで来れば、”そんなの関係ねえ!”
中継地点
一応、”ナフコ”から3㎞地点に給水ポイントを設けたのだが、殆どの者はここに寄りはするものの、水分を補給することなく立ち去った。寄らずにそのまま去る者もいた。ただの中継地点としてなら、正直言って、設ける必要はなかったかもしれない。しかし、私はまだ最後を迎えたくないからか、とにかくここに居たかった。
黄昏時の秋風に吹かれて、少し感傷的になっていたのかもしれない。感傷的になった心を元に戻すには、しばしの時間が必要であった。
選定作業
中継地点を出発した私に待っていたのは、ゴールの選定作業であった。最終給水ポイントの”ナフコ”から5㎞を越えはしても、絶対にそれ以下になることはなく、しかも塾生達のことを考えて誤差を極力少なくしなければならないので、選定作業はなかなか面倒臭い。しばらく行って10号線と交わると、交通量が多くなり、しかも道沿いに各種店舗が軒を連ねるようになった。この時既にクルマのメーターはリミットの5㎞を越えていた。
結構、込み入った市街地であるから、空き地やクルマを停めるのにほど良いスペースなんてあるはずがなかった。そこで、私が目をつけたのが、大型ショッピングセンターや、先ほどの”ナフコ”のようなホームセンター。そこなら、駐車場が広いし、次回スタートする時に目印として分かり易い。だが、行けども行けども、大型店舗が目に入ることはなかった。 “こんな市街地では、郊外型の大型店舗を見つけるのは難しいかも!”と、諦めて更に走ろうとした瞬間に私の目に飛び込んできたのは、”オートバックス”というカー用品を売る大型店舗だった。
“ラッキー!”そう思いそこへ飛び込んだのだが、店員が駐車場で何かの催しをやっていたので、”ここでたむろっていては怪しまれるかも?”と思い、すぐにクルマの向きを変えて退散した。普通なら、またしばらく走らなければならなくなるところだが、私の普段の行いが幸いしてか、100mほど行ったところに、先ほどと同じ”ナフコ”を発見し、今度こそそこをゴールに決めた。
予定より距離をオーバーすること約1.5㎞。最終給水ポイントに引き続き今度も”ナフコ”。正に”ナフコ”様様であった。
ラストラン
一番最初に現れたのは村上さんであった。もし、最初から通して走っていたとしたら、とてもありえないペースでゴールしてきた。そのすぐ後に変態小野がゴールした。村上さんは、ラスト6.5㎞だけだから、ハイペースで走れるのも分かるのだが、最初から通しで、しかも余分に走っておいて、村上さんと同じペースで走れる変態小野はやはり常人ではなかった。
村上さん曰く、「小野君は、僕を抜かさないように、ずっと僕の後ろを3mという間隔を保って走っていた。最後、抜こうと思えば抜けたのに僕を立ててくれてわざと抜かなかった。昼休みのランニングの最後にいつも僕を抜いて行くセコい末ちゃんとは違うねぇ!」と、変態小野を褒めていた。
変態小野が褒められるのは、私にとってはどうでも良いことだが、村上さんが言うようにアホの末がセコい奴であることには、高校の部活の時に同じ目に遭った私も同感であった。
村上さん達から15分後にアホの末、その更に15分後に”純ちゃん”と”ちゅうげん”と”山ちゃん”が到着した。”山ちゃん”は完走して当然。”純ちゃん”も、本人が何だかんだと言いながらも完走すると思っていたから驚きはしなかったが、驚きは”ちゅうげん”であった。
前回は30㎞付近でリタイヤ。今回も飽きたらすぐにリタイヤすると言っていたのにだ。何が”ちゅうげん”をここまでさせたのかは分かってはいたが、そんなことはどうでも良かった。とにかく完走できたことは喜ばしいことであった。完走できたことで、完全燃焼できたことで、”ちゅうげん”に次回は無くなった。前回のランと今回のランで得た、一見くだらないと思えるこの経験を”ちゅうげん”には何かに活かして欲しいし、そうすれば私も誘った甲斐があるというものだ。
そして、それから更に13分ほどして”ぢよん○○”が到着した。いつも”ケガするんじゃねえか!とか、どっかで倒れるんじゃないか!”と思わせる危なっかしいこの男も。完走はこれで3回目。”山ちゃん”や変態小野のような安定感は全くないが、これまで滑り込みセーフでどうにか完走していることに対しては褒めてやってもいいかもしれない。ただ、本当に足がヤバいと思った時は大事に至る前に棄権する勇気も必要だ。
これまでのこいつの走りを見て、自分を追い込めるだけの根性があるのは分かっている。だから、今後もし、そのようなレベルの状態になったのなら、無理はしてもらいたくない。無理をして、今後のランに支障がでては困るのだ。何故なら、変態小野やマス岡田、”山ちゃん”と並んで、こいつは漢塾ランの主役なのだから。
午後17時40分。全員がゴールしたところで、12時間におよぶ長いランも幕を閉じた。いろいろとあったが、参加者全員が無事でいられたことが何よりのことであった。
ランを終えて
殆どまっすぐ行けば良いだけの出雲ランと違って、今回の大分ランは、開催する前からかなり気を揉めていた。山口県側は問題ないとして、関門海峡を越えて九州側に入ると、道が交差して迷いやすくなるであろうことが分かっていたからだ。
そのため、事前に地図でルートを把握したり、要所要所を書き込んだマイマップを塾生達に渡して予習させたりしたのだが、それでも迷子を出してしまった。結果的にはすぐに合流できて事なきを得たのだが、肝を冷やしたのは事実である。
そして、それと共にもう一つ懸念していたのが、これまでの田舎道や郊外の道と違って、市街地を走るようになるため、給水ポイントを設けるためにクルマを置く場所が確保できるかどうかということだった。これも結果的には、運良くどうにかなったので、天に感謝しているところだ。
私の記憶では、おそらく今回のゴール地点から50~60㎞は市街地が続く。もう、迷うような道の交差は少ないと思うが、交通量が多いところを走るようになるので、事故をしないよう細心の注意が必要だ。これまでのランのように、走ることだけを考えれば良いというわけにはいかないだろう。
今回は、ハプニングに恵まれ、しかも姐御と”純ちゃん”という豪華なスペシャルゲストにも参加していただき、私にとっても塾生にとっても大変思い出深いものとなった。また、人道を通るという一大イベントも終えたおかげで、本当のゴールを迎えたかのような錯覚を起こしてしまった。
もしかしたら、今回のランが全行程でのハイライトになる可能性だってある。しかし、大分ランはまだやっと半分のところまで来たばかり。これからが正念場だ。本当に気を抜くのは、思い出に浸るのは、全てを終えた時である。
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