Road To 大分 第四弾

カテゴリ
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開催日
2007年12月01日()

プロローグ

変態小野を待っていた。萩市役所前庭に集合するべき5人のうち4人は集合時間の5分前に集合していた。本来ならば、移動距離が伸びた分、集合時間を早めなければならないところなのだが、寒いのと暗いのと朝早く起きるのが辛いからということで、逆に今回は集合時間を前回のランよりも遅くした。だのに何故?

集合時間リミットの午前6時に変態小野に電話。変態小野は電話に出なかった。”仕方ねぇ奴だな!”と、呆れてもう一度電話しようとした時に電話が鳴った。相手は変態小野であった。私は電話に出るなり、「壱万円有難うございます!」と、言ってやった。以前より、集合時間に1分でも遅れたら壱万円貰い受けるという約束を変態小野としていたからである。

前回、遅刻した時は、初犯ということで大目に見てやった。しかし、今回は二回目だ。情緒酌量の余地なしである。 受話器の向こうでグダグダと言い訳を並べていたが、”そんなの関係ねぇ!”である。私は、確実に絶対に変態小野から壱万円を貰い受けるつもりでいた。

「言い訳はええから、とにかく極力早くここへ来い!」そう言って、電話を切った。変態小野が集合場所へ来たのは、それから15分後のことであった。

説教

変態小野が来てから、私の説教が始まった。15分ぐらいの遅れは大したことではないかもしれないが、約束を破ったのは事実である。やむを得ない事情が無い限り、集合時間に遅れることは絶対に許されない。私は約束を破る奴が嫌いだ。仕事がら嘘つきと絡むことが多いからかもしれないが、それ以前にとにかく嘘つきが嫌いなのだ。

早く出発しなければならないので、そう長くは説教しなかったが、変態小野も一応は反省しているようなので、壱万円をどうするかはよく考えて決めることにした。

ただし、変態小野のことは、自分のこととしても捉えなければならないとは思っていた。前の日に飲み会があったり、なかなか寝付けなかったりすると、遅刻する可能性は私にだって十分にあるからだ。人の振り見て我が振り直せではないが、とにかく説教をする以上、今後自分がこういうことをしてはならないと、改めて感じた。

待ち合わせ場所へ

予定より20分近く遅れて二台のクルマで萩市役所を出発。途中、萩駅でアホの末を拾い、今回の運転手であるタクジと合流するために一路、待ち合わせ場所である明木のドライブインを目指した。

明木までは、有料道路を通って萩から10分余り。待ち合わせ時間に20分以上遅れているので、タクジは待ち疲れているかと思いきや、以外にも飄々としていた。

ここに乗ってきた二台のクルマを置き、タクジのワゴン車一台に乗り換えた。クルマ二台で行くと、ガソリン代が倍かかるし、運転手が一人しかいないというのが乗り換えた理由だ。ただし、タクジは前日は忘年会であったらしく、アルコールが残っているかもしれないということで、運転するのを控えたため、目的地までの行きの運転手は私が務めることになった。

前回到達地点である福岡県苅田町のナフコまでは、明木から120㎞余り。2時間半の時間がかかる。クルマでの移動もランの一部である。全て終えて萩へ戻って来るまでどれだけの時間がかかるか分からないが、これが長い長いランの始まりであった。

道中

車内では、皆は寝ているかと思いきや違った。私は運転していたので、後部席までは意識がいかなかったが、雰囲気からして殆どの者が起きていたのではないかと感じた。出雲ランの時とは大違いである。あの時は、運転手の私を除いた全ての者が眠りについていおり、一人眠たい思いをしたのを覚えている。

だが、車内は会話が途切れることがなかった。おかげで、退屈で眠たい思いをしなくて済んだ。これも聞き上手なタクジや、会話の点火役の姐御のおかげだろうか。とにもかくにも、会話を楽しませていただいたおかげで、目的地までの時間が予想よりも短く感じたのだった。

スタート地点

071201_0901前回到達地点である苅田町のナフコに到着したのは、午前9時ちょっと前だった。これまでは、必ず午前7時をスタート時刻としてきたが、今回はそれより遅れること2時間の午前9時。どえらいゆっくりしているように思えるが、それで良かった。今回は、最終行動予定時刻を午後18時に設定。午前9時から午後18時までの9時間で、できるだけ移動すれば良いという、お気楽なプランを立てていたからだ。

この日の天気は快晴であるものの、気温は低く、しかも少し風があった。だが、コンディションとしては悪くなかった。

今回のランでは、変態小野とマス岡田が、自分がどれだけ走れるかを確かめるために、他の者に合わせることなく、自分のペースで走りたいと言った。そして、40~50㎞走ったと思ったら電話するから迎えに来て欲しいと、私に申し入れてきた。

私は、自分の手を煩わせさえしなければ、それも良いと思い、変態小野達の申し入れを承諾した。よって、変態小野とマス岡田のことは放っておくことになった。この時は、携帯も持たせたし、道もとにかく10号線を行けばいいだけだから、何も心配はないであろうと安易に考えていた。だが、またもやこれが原因で後々面倒臭いことになるとは!10分ほどの休憩後、私の「さあ、行こうか!」の声を合図に、90%の希望と10%の不安を胸に塾生達は各々のペースでゾロゾロとナフコを後にして行った。

チェンジ

071201_0932約5㎞先のコンビニで塾生達が来るのを待った。最初に来たのは、予想通り変態小野とマス岡田の2人。一応は、「水はええか?」と、声を掛けたが、予想通り「要りません!」と言って走り去った。その次にアホの末、タクジ、”ぢよん○○”、姐御と続く。まだ最初の最初とあって、誰も汗を書いている者はいなかった。

ここで、私がタクジと走るのを替わることになった。今回の運転手はタクジであるからして、私も走らなければならないのである。走るのは好きではないけど、嫌いでもない。まあ普通ということになるのだが、あまり気持ちの準備が出来ていなかったので、今回のランに参加することに対してはあまり乗り気ではなかった。

だが、何時如何なる時に何があっても対応できるように日頃から体を作っている私としては、そんなヤワなことは言っていられない。”他の皆が頑張っているのだから俺だって”と思い、無理矢理気持ちを振るい立たせた。そして、一番最後にコンビニを発ち、皆を追った。

誘惑

私がコンビニを発った時は、後ろから姐御も”ぢよん○○”の姿も見えていたのだが、前の2人は走っているためか、10分もしないうちに見えなくなった。私は決めていた。何があっても走らないことを。

私の90㎏近い体重では、20㎞も走れば膝が痛くなる。一度、痛めてしまえば、幾ら休憩したところで治ることはない。それから走ることを止めて歩き続けたとしても、益々痛くなるだけなのだ。私は経験上、そのことを良く分かっていた。だから、何があっても走らないと決めていたのである。

ところが、前の2人が見えなくなると、追いたくなるのが人の習性というもの。”今、走れば追いつける””走って抜かせ!”と、悪魔の声が囁く。その声に何度耳を貸しそうになって、足を速めようとしたことか。しかし、その度に、”いや!いや!俺は、一度決めたことを曲げない!””後で痛い思いをしたくねぇ!”と、悪魔の囁きに反抗し、何とか走ることを踏みとどまった。

弱さ

誘惑に勝つと、今度は自分の中にある”甘え”や”弱さ”というものが表面に出てきた。苅田町の市街地を抜けると、ひたすら単調な郊外型の景色が続くためか、歩くのにも飽きてくる。そうなると、歩くのを止めたくなるのだ。 まだまだ十分に歩くことに入り込めてなかった、集中できてなかったからだと思うが、これはいつものことであった。

自転車にしろ、ランにしろ、長い距離を移動する時には、必ず最初にこうなるのだ。だが、これは、しばしの間、己と闘えば、すぐに解消されることである。”甘え”や”弱さ”というものを振り切って、一度集中してしまえば、もう心配することはない。

歩き始めてから一時間ほどして、どうにか自分の”弱さ”に打ち勝ち、ようやく私にとってのランがスタートしたわけであるが、そうなるまでにいつもより時間がかかったものだから、歩いている時間がどえらい長く感じた。

第ニ給水ポイント

071201_0937第二給水ポイントもコンビニ。前回給水ポイントであるコンビニから5㎞とちょっとの距離。自動車専用道である”椎田道路”に入らず、その道路のすぐ横にある行橋市の市街地を通る国道10号線を降りたすぐのところに、そのコンビニはあった。

私だけかなり遅れていたためか、姐御も”ぢよん○○”も既に給水ポイントを後にしていたが、何故かアホの末だけが残っていた。いつも大分市へ行く際には、近道である”椎田道路”を通るため、行橋市の市街地を通ることはない。よって、市街地を通る国道10号線を通るのは、6年前に大分へチャリンコで行った時以来であった。

これから通る市街地内の国道10号線では、道幅が狭いため、トラックに引っ掛けられそうになった記憶がある。あまり良い思い出ではないが、通る道はこの道しかないので、行くしかなかった。ここからは、走ることを一休みするというアホの末と一緒に行くことになった。

道中の会話

アホの末とは、久々に会うということと、会わない間に私が東京へ行って来たということもあり、話の内容は東京でのことに終始した。東京へは、アームレスリングの全国大会に出場する”チーム海聖”の応援に行ってきたわけであるが、私は、全国のレベルを見て感じたこと、驚いたことをアホの末に率直に話した。

その話の中でも、一番お互いが納得し合ったという会話の内容がこうだ。

俺「今の俺のレベルじゃ誰と闘っても勝てんと思ったけど、皆同じ人間だと思ったら、俺にだって強い人達のレベルに到達できるんじゃないかと思ったよ。まあ、そうなるには全てをアームに捧げんとならんけどな。」

アホの末「自分にも出来るかもしれんという気持ちになるのは大切よね。人間って、自分がどうしても勝てん奴とか、強い奴のことを必要以上に大きく見てしまっとるからな。まず、”自分にも出来る”という気持ちを持つことが必要と思うよ。」

というような内容だが、要は”俺にもできるかもしれない。”ということを、アホの末に一番伝えたかったのである。珍しくアホの末もそれをよく理解してくれたから私も嬉しかった。この時は、お互いのアームに対する気持ちは今までにないほど高まっていたと言っていい。ただし、私が東京へ行ってきたのはわずか一週間前のこと。

物事に熱し易く冷め易い私達としては、時間の経過と共に、その気持ちも尻すぼみになる可能性が高いのだが。

龍馬

071201_1157歩くこと一時間。コンビニで待っているタクジを発見した。最初は、ここより50m行ったところの飲食店にクルマを停めたらしいのだが、店の中から店員が出てきてジロジロ見られたので、このコンビニに移動したらしいのだ。私も、給水場所の選定には苦労してきたので、タクジの苦労は良く分かった。やむを得ない場所の移動は、私も何回か経験してきたことである。

運転手は体力を使うことはないが、”事故をしてはいけない”とか、”なるべく塾生達に休憩し易い場所を探さなければならない”とか、いろいろと気を使うのである。今回、タクジにも運転手を経験してもらったことで、タクジもそのことが良く分かったのではないかと思う。

このコンビニと同じ敷地には、”龍馬”という大きい飲食店があり、昼時ということもあって、多くの人で賑わっていた。外にも待っている人がいたほどだ。その光景を見ていると、”いくら昼時とはいえ、これだけ人が来るとは何を食わせる店なんだ?”と、気になる。

だが、店のウインドゥには、”唐揚げ”やら”串焼き”とやら書いた紙が貼ってあるだけなので、具体的に何の専門店かは分からない。店の中に入るのも面倒臭いので、結局は分からず終いだったのだが、もし、いつかここを通ることがあって、丁度その時に腹が減っていたならば、寄ってみようかとも思った。

店の構え自体は忘れてしまいそうなものの、”龍馬”というインパクトのある名前は決して忘れることはないだろう。 ここでは、まだまだ走り足りないであろうタクジと、再び役割をチェンジした。

選定

071201_1235_00タクジと交替し、次の給水ポイントを探す。コンビニから1㎞ちょっと離れたところで、姐御と”ぢよん○○”を抜き去った。せいぜい500~600mぐらいしか離れていないと思っていたものだから、この2人の歩く早さには驚いた。

姐御達を抜き去った後には、店らしい店も無く、ひたすら殺風景な景色が続く。クルマのメーターは、もうすぐ一回の移動距離である”5㎞”になろうかとしていたが、クルマを停めるのに適当な場所がなければ、1㎞先でも2㎞でも距離を延ばそうかと、私は企んでいた。

そう企んだもう一つの理由には、次の給水ポイントからゴールまでは私が走らなければならないので、少しでも私の移動距離を短くしようという下心も入っていた。

だが、神様が私の邪な企みを知ってか知らずか、残念なことに、のどかな田園風景のド真ん中にクルマを停めるのにすっごく最適なスペースを発見することができてしまった。そこは、前回給水ポイントから5.2㎞の距離。その誤差わずか200mであった。悪い企みはできないものである。

全員集合

前回給水ポイントを一番最後に出発したアホの末が何故か一番最初に到着し、その後に”ぢよん○○”タクジ、姐御と続いた。先に行った変態小野とマス岡田の2人を除いた全員が集合するのは、最初の給水ポイント以来である。”やはり、皆が揃うのがいいよなぁ!”と、思わず感じてしまった。

先ほど抜き去る時には、分からなかったのだが、姐御はグランドコートを着ていた。その姿は、”今はもう冬なんですよ!”ということを無言で語っているように思えた。姐御は季節を感じさせる人である。それに比べて私は、季節感のない男である。

ただ、姐御が無言で語ってくれたように、確かにこの日は日が照っているのに寒かった。しばらく動かなかったら、体が寒さで硬くなってしまいそうだったので、せっかく皆と再会できたのに、大して団欒することなく、出発することにした。ここからは、私の出番。再びアホの末というウォーキングパートナーを伴っての出発だった。

思い出の道の駅

アホの末は、毎日のように昼休みは走っている。おそらく、もうそれを1年以上は続けているのではなかろうか。日に2~3㎞ぐらいの短距離ではあるが、継続的に続けているので、体力的にはかなりレベルアップしていることは間違いない。足のトレーニングといえば、毎日スクワットしかしないで、走ることは面倒臭いからやらない私よりは、断然スピードもあるし、長い距離を走ることもできるはず。

だのに、この日のこいつは、体調が悪いのか、それとも走ることに集中できないのかは分からないが、本気で走ろうとしなかった。私なんかと歩いていないで、自分のペースでどんどん先に行けばいいのにと思うこと度々であったが、私としては話相手がいたおかげで、退屈をすることはなかった。

前回給水ポイントを出発してから40分ほどしてタクジから電話がかかった。次の給水ポイントは”豊前の道の駅”にするというのだ。”豊前の道の駅”は別名”サルのこしかけ駅”とも言う。大分市への往来でここを通る際は、必ずといっていいほど立ち寄るし、何年か前に姉御達とも寄ったことのある、思い入れのある道の駅だった。

071201_1337タクジ曰く、そこが丁度、前回給水ポイントから5㎞ほどの距離の場所だったらしい。何たる偶然!5㎞より距離が短くても、長くてもここへは寄ることが出来なかったことを思うと、運命的なものを感じるのだった。まあ、そんなものに運命的なものを感じても仕方がないのかもしれないが、休憩をするには絶好の場所であった。

“サルのこしかけ駅”は、国道10号線からは道沿いにあるから分かり易いが、我々の歩いている国道10号線に沿った道は”サルのこしかけ駅”の裏側になるため、その所在が分かり難い。注意して見ればわかるものの、下手すれば見過ごして通り過ぎてしまう可能性もある。

それが分かっていたから、タクジとの電話を終えてすぐに、後続の姐御と”ぢよん○○”に電話し、次の休憩場所は”サルのこしかけ駅”だと伝えた。通り過ぎないよう、道の駅のある右側をよく見て歩くようにとも伝えたので、これで通り過ぎることはないと思った。

“サルのこしかけ駅”に行くのは3年ぶりのこと。行ったところで、何をするでもないが、久々なので到着するのをそれなりに楽しみにしていた。

思い出に浸る

071201_1342タクジは、道の駅の敷地に入ってから分かり易いところへクルマを停めていた。土曜日で天気が良いこともあって、道の駅は人でごったがえしていた。道の駅の様子は以前と変わらなかった。アホの末と自転車で大分遠征した時は、ここで休憩し、チャリンコで日本一周をしていた人と出会った。姐御達と職場旅行で寄った時は、ここで昼食をとった。その他にもここへ寄ること数知れない、思い出の地なのである。

だが、この時はランの最中である。目の前のことで精一杯であった。ここで昼飯を食おうとか、どんな店が出ているか見に行ってみようかとか思う余裕はとてもなかった。思い出に浸るのは全てを終えてから。そう思ったところへ、到着したばかりの姐御の「ここの地鶏が食べたいねえ!」の一言。

「はあ?」であった。無邪気というか、精神的に余裕があるというか。そんなこと思いもしなかった私は一瞬呆気にとられたが、姐御が当時と変わってないことに嬉しさをおぼえた。そして、「やはり、この人は物事を楽しむという感覚が普通の人よりは長けている。」とも改めて感じたのだった。

私達は、あまり長居することなく、やることを済ませて道の駅を発った。今度、ここへ来るのはおそらく全てを終えた帰りである。その時にどんなメンツで来るようになるかは分からないが、できるだけこれまでのランに参加してくれたメンツは連れて来たいと思った。その時こそ、姐御の希望である地鶏が食えることだろう。

走る

私は、途切れ途切れではあるが、ここまで16㎞ほど走っていた。幸いにもずっと意志を曲げることなく歩き続けていたおかげで、足の痛みは殆どなかった。さすがにアホの末もそろそろ走りたいように見えたので、ここからは走ることにした。走るといっても、ジョギング程度の速さなのだが、ヘビー級の私にとって、これは思いきりの要ることであった。

いくら足を殆ど痛めてないとはいっても、ある程度の疲労は膝や足首等に蓄積されているはず。これが原因で、すぐに足が痛くなる可能性だってある。しかし、この時は”走りたい”という衝動を抑えることは出来ず、ついに自らに課した禁を破ることとなった。

根性なし誕生

071201_1440_00道の駅を出てから、姐御達に一時の別れを告げ、アホの末と2人で走りだした。大したスピードでは走っていないため、心肺には負担がかからないが、走ると、ジャンプする分だけ膝には負担がかかる。おまけに2人とも歩き慣れたせいか、走るということに集中することができないでいた。私は、走り始めてからずっと、”早く歩きたい!”とばかり考えていたのだが、おそらくアホの末も同じことを考えていたはずのように思えた。

それが証拠に、走り始めてから30分経ったぐらいで、幸か不幸か信号待ちに捕まってしまった。走ることにのめり込んでいれば、信号無視をしてでも走り続けるのに、この時は2人とも素直に信号待ちをするために走ることを止めた。そして、信号が青に替わっても、2人とも再び走り出すことはなかったのである。その時の会話はこうである。

俺「お前走らんの?」

アホの末「うん。走らん。」

俺「ふぅん~。」

会話はこれで終わった。お互いにそれ以上何も言うことはなかった。小学生の時からの長い付き合い故の阿吽の呼吸。以心伝心とでも言うのであろうか。アホの末、”ちゅうげん”に続く、私という新たな”根性なし”の誕生であった。

グッデイ

071201_1450歩きだしてから10分ほどで、給水ポイントに到着。そこは”GooDay”というホームセンターだった。ここも、前回給水ポイントである”サルのこしかけ駅”から5㎞ほどの距離。先ほどといい、この場所といい、タクジという男は給水場所を選定するセンスがあると感じた。

多少の誤差は当然として、今までの給水ポイントは全部ほぼ5㎞の間隔であったし、どの給水ポイントでも用を足したり、何か食いたいものがあれば買うことが可能であった。ワゴン車を借りることができなかったため、普段は子供のことで忙しいと分かっているタクジに無理を言って、今回のランに同行してもらったのだが、タクジの働きは私の予想を上回るものであった。

確かに、こいつは昨年の88同窓会の時も男女の間をとりもって細めによく動いていた。「こんな面倒臭いことやってられるか!」と、途中で放り投げた私よりは人間として断然大人である。こいつは、自分本位の私と違って、人への配慮といったものができるのだ。アームレスリングや自転車をやるには、非力だが、こいつの存在は漢塾に必要不可欠であると、改めて感じた。

私達が到着した15分後に姐御と”ぢよん○○”が到着。”サルのこしかけ駅”から気になっていたのだが、ここに来て”ぢよん○○”の足の痛みが更に悪化した。

私や”ぢよん○○”といった太めの人は、大体20㎞を過ぎた辺りから、自分の体重が凶器となって膝や足首、足の裏といったところを痛めてしまう。 残念ながら、それは何回もランをやったところで、無くなることもそれに慣れることもないのだ。普段から継続的に10㎞以上走っていれば、それも無いかもしれない。しかし、このランのためにそこまでする必要はない。よって、ランに参加する以上、痛みと闘いながらも、それと上手に付き合うしかないのである。

この男は、それを百も承知である。今までの、こいつの奮闘ぶりを知っていたこともあり、敢えて苦しんでいる姿を見て見ぬふりをし、声もかけなかった。

姐御の方はというと、この地点で31㎞を越えたと伝えると、「あと10㎞ちょっとやねぇ!」と言って喜んでいた。姐御のこの明るさは、ランも終盤で大分疲れてきていた皆の気持ちを和ませた。自分も足が痛いだろうに、何時どのような状態でもこの人は明るい。前回でも感じたが、姐御はムードメーカーの役割を確実に果たしていた。本人は何も意識はしていないのだろうけど、実際そうなっている。全く不思議な、いや私達にとっては大変有難い人である。

漢塾ランは、この個性豊かなメンバー達が作っている。それはこれまでのランも同じだったが、この日は個々の役割分担が明瞭に分かったので、尚更そのように感じた。良き天気、良き仲間、良き思い出、私にとってこの日は、店の名前と同じく “Gooday”であった。

悪企み

タクジと運転を替わった私は、一路最終給水ポイントを目指す。 おそらくあと13~14㎞は進まなければならないし、最後はまた自分の出番であるから、思い切って7~8㎞ぐらい進んだところに給水ポイントを設けてやろうかと思った。そうすれば、最後に自分の歩く距離が短くなるからだ。

しかし、悪いことは企めないもの。”Gooday”を出発してから丁度5㎞の場所にコンビニがあったのである。「そんなの見過ごせよ!しらばっくれてそのまま通り過ぎてしまおうぜ!」という悪い心と、「いやいや、ここを通り過ぎてしまうと、しばらく何も無さそうだし、既に5㎞来たのだから、ここで待とうよ!」という良い心の狭間で、私の気持ちは揺れ動いた。

迷っている間にもコンビニはどんどん近づいてくる。「どうする?」「どうする?」の心の声が問いかける。何度、心の声に問いかけられただろうか。コンビニが50m目前に迫ったところで、ようやく私の心は決まった。ハンドルを右に切ってコンビニに入ったのである。

別に私は、性悪説も性善説も唱えるつもりはない。完全に悪い人もいなければ、完全に良い人もいない。悪い自分が出る時もあれば、良い自分が出る時もある。両方あるのが人間だと思っている。 “悪い自分に打ち勝った”この時の私は、良い人だなと思った。ん?でも、良い人なら最初から悪企みはしないか!ん?でも、それを実行しなかったのだから、やはり良い人なのでは? ん?ん?ん?考えれば考えるほど分からなくなるが、この良心と悪心との闘いは、少しでも楽をしたいという私のズルさが引き起こしたこと。タクジなら、こんなつまらないことで、悩みはしなかっただろう。ランとは全く関係のない、本当に愚かでどうでも良いことだった。

不審者との再会

コンビニで姐御に頼まれたものの買い物を済ませ、クルマの中で寝て待っていると、パトカーが駐車場に入ってきた。何をするのだろうと見ていると、道路のすぐ側にパトカーを停めて、行き交うクルマを監視しているようだった。違反をしたクルマをすぐに追いかけられるようにスタンバっているのだろう。

私は、家系に警察官が多く、実際に私も警察に就職しようとしたこともあるのだが、過去にたくさんお世話になっていることもあり、警察は好きではない。「また、やらしいことしよるな!」と思いながらも再び横になった。横になってしばらくしてから、アホの末、タクジと続いて到着した。そして、私が少し目を離した隙に到着したのは変態小野だった。

071201_1555ん?「お前、どっから現れたの?俺は、ここへ来るまでにお前を見かけんかったど!」との私の問いに、変態小野は、「宇佐市に少し入ったところまで走ったんで、もう行き過ぎたかな?と思い戻って来たんです。」と答えた。

事情は分かったが、相棒のマス岡田の姿が見えなかった。

私 ん?「お前、マス岡田はどうしたん?」

変態小野 「途中で、岡田君が、”もう限界”だと言ったから、午前中ぐらいに別れました。」

私 「へ?お前ら別れたの?それは仕方がねえけど、岡田は携帯と金を持っとるんやろうな?」

変態小野 「お金は、昼飯代に僕が千円貸しましたけど、携帯は持っていません。」

私 「へ?携帯持ってないんか!じゃあ連絡とりようがないやないか!どねえしよう!岡田は、ここへ来るまで見かけんかったど!もしかしたら迷うとるかもしれんな!」

変態小野 「だいぶ前に別れたんで、どこを走っているかは分かりませんけど、ここより先に行っている可能性は低いと思います。」

私 「じゃあ、ここからゴールまでの間をアホの末と道の両側から探しながら走ってくれ!俺は、どうするか考えながら歩く。」

変態小野 「分かりました。そうします。」

“面倒くさいことになった”会話を終えてからそう思った。岡田を除いた今回のメンバー達は前回も参加していた。その時に私は、「迷った時のために、ある程度の金と携帯は持って行けよ!」と指示していた。また、「大分市までは、ずっと国道10号線を行くんど!」とも教えていた。だが、マス岡田は前回は参加していなかったのである。そのことを忘れていた私は、大事なことは前回に耳にタコができるくらいしつこく言ったからいいやと思い、今回はそのことを皆に言わなかった。よって、マス岡田は大事なことを聞いていないのである。

これは、監督者である私の責任でもあった。 この時は、下手に動くわけにもいかないので、とにかく先にゴールするしかなかった。今私達にできることといえば、ゴールを目指しながらマス岡田を”探す”ということと、マス岡田からの”連絡を待つ”という2つのことしかなかった。

この時は既に午後16時を過ぎていた。これからどんどん暗くなる。暗がりの中では、探すのがますます困難になるため、なるべく早く探しに行こうと、姐御と”ぢよん○○”が到着してからすぐに出発した。

先発隊は、アホの末と変態小野の走り組が道路の両側から、後発隊は、姐御と私の歩き組が道路の片側だけを捜索しながら行くことにした。

忘れる

アホの末達は、アっ!という間に見えなくなった。午後16時を過ぎていたから、夕闇のグラデーションがどんどん濃くなるのが分かる。歩き出して20分もすると、周りの景色も鈍い色のトーン一色になってしまった。どうにか周りに何があるかは判別はできる程度の明るさだったが、それも更に20分すると明かり無しには、完全に判別できないほどの暗さになった。

街灯があるから、完全な闇ではないものの、陽は完全に落ちていた。幸いにも姐御と話ながら歩いていたから寂しい思いをすることはなかったが、話に夢中になる余り、マス岡田のことを忘れてしまっていた。

我に戻ってマス岡田のことを思い出した時には、もうこいつのことを気にするのが面倒くさくなっていた。完全に陽が落ちたとなれば、クルマで探すのは運転の安全性の面や、目につきにくいという面で無理である。走りながら歩きながらの捜索もゴールまでの何㎞かの距離だけだから、見つかる可能性は薄い。よって、マス岡田を見つけるのは、限りなく難しいことが分かったため、”待つ”しかない。という結論に落ち着いた。

“待つ”しかないとなれば、私達にできることは簡単である。”待っていればいい”のである。そして、しばらく待って、連絡が無ければマス岡田を置いて帰ろうかとも考えていた。こいつもええ歳した大人である。戦場や砂漠のど真ん中に置いてけぼりにするわけではないから、自分のことぐらい自分でどうにかできるはずだ。

“諦め”とも、”居直り”ともいえる心境に落ち着いた私達は、ひたすら歩き続けた。私と姐御の頭の中にあるのは、マス岡田のことではなく、ゴールすることだけだった。

待ち人来る

マス岡田のことを諦めてから、どれくらい時間が経ったであろう。おそらく、午後5時を過ぎていたように思う。突然、暗闇を切り裂くように私の携帯の呼出音が鳴った。発信先は、見知らぬ電話番号であった。私は基本的には、自分の携帯に登録のない電話番号からの電話には出ない。それが何回も続くのなら、私に用事があるものと考えて渋々電話に出るのだが、この時はそんなことは言ってられなかった。

“もしや!”と思って出た電話は、やはりマス岡田からの電話だった。

私 「お前どこにおるん?これどこの電話?」

マス岡田 「今、ガソリンスタンドの電話を借りて電話しているんですよ!早く迎えに来てもらえませんか?」

私 「今はゴールを目指しとるから無理じゃ。後で迎えに行くから、どこか分かり易い場所におれや!どこか分かり易い場所はないんか?」

マス岡田 「今、どこにおるか分かりません。どこがええですかねえ!」

私 「お前、今どこにおるかが分からんのか!一番最後に通り過ぎた大きい建物なり、目に付き易い場所なりを言ってみろよ!」

マス岡田 「う~ん!道の駅がありましたねぇ!」

私 「ん?道の駅?あの大きい道の駅か?(サルのこしかけ駅)じゃあ、必ず後で行くから、そこで待っとれ!動いたら分からんようになるから、動くんじゃねえぞ!」

と言って電話を切った。

マス岡田から電話があったのは幸いだった。だが、どうやって私の携帯番号を調べたかが気になった。私が 推測したのはこうである。まず、”ダイヤル104″で私の実家の電話番号を調べ、それから私の実家に電話して携帯番号を聞きだした のではないのかと。その方法しか他に思いあたらないのだが、その方法だとしても、よくあの疑い深い私の両親がどこの誰とも 分からないマス岡田に私の携帯番号を教えたものだなと思った。

何はともあれ、こうやって電話してきたのだから、どうにかして聞きだしたのは間違いない。この時は、これで、マス岡田を九州に置き去りにして帰るという非情なことをせずに済んだと、ホッと胸を撫で下ろしていた。

ゴールへ向かって

元々、殆ど気にしてなかったのだが、マス岡田の所在がつかめたことで、私達はもう完全に吹っ切れていた。 もう考えるのは、ゴールのことのみ。この時、既に最終給水ポイントより歩き始めてから1時間ぐらい経っていたので、5㎞ぐらい進んでいたの は確実だった。

あと2~3㎞ぐらいかなと思った時にタクジから電話が入った。43㎞地点でクルマを停める場所を探したの だが、丁度良い場所を見つけられなかったので、44㎞を過ぎたところにある”ちゃんぽん屋”の駐車場をゴ ゴールにしたとのことだった。

私は既に膝を痛めてしまっており、走ることはできなかったが、このまま歩くのなら問題なかった。また、 姐御も足は痛めているだろうけど、精神力が強い姐御のことだから、まず大丈夫だろうと思った。よって、少しくらい距離が伸びたところで、私達には問題なかった。

前回のランは、自分の追い込み過ぎからくる足への負担と、翌週の生活のことを考えて、潔くリタイヤすることを選んだ姐御だった。だが、今回のランは楽しむこと、味わうことを第一に考えたからだろうか、実に伸び伸びと歩いたり、走ったりしているように感じた。

最近は、運動不足気味だと言っていたが、姐御の体力と精神力は、一日に200㎞以上も自転車で走った出雲遠征や、真夏の猛暑の折に40㎞ほど走った角島ラン、その他諸々のことで実証済みである。 いくら運動不足気味とはいっても、基礎体力が普通の人とは違うから、これくらいの距離なら自分のペース で行きさえすれば、問題ないのである。

ただ、姐御も大分ランで完走するのは今回が初めて。いくら完走出来るのが分かってはいても、頑張ったこ とのご褒美であるゴールが来るのが嬉しくないわけはない。歩きながら話をしていても、姐御の言葉の端々から”喜び”が満ち溢れているのを感じた。いつの日だったか、姐御は”千里の道も一歩から”という言葉が好きだと私に言った。その言葉は、その まま私の好きな言葉にもなった。

四国八十八ヵ所遍路をする時、こうやってレポートの長い文章を書く時、私の目標に向かって努力する時、この言葉はいつも私の支えとなった。姐御の言葉や考え方というもの、またその存在というものは私に大きい影響を与えている。だから、私は 今の自分があるのも姐御のおかげという感謝の気持ちは、いつも忘れていない。午前9時に最初の一歩を踏み出した長い長い千里の道も、ようやく終焉を迎えようとしていた。苦しくとも楽しいランの終わりには感動のゴールが待っているはずだった。・・・のだが。

誰もいねぇ!

071201_1802最終給水ポイントを出発してから既に1時間半が経とうとしていた。辺りは、漆黒の闇に染まっているため、ゴールの目標物を見失うまいと、タクジと密に連絡をとりながら進む。 “タクジの話からでは、もうそろそろのはず。”そう思いながら歩いていると、おそらく”ちゃんぽん”と 書かれているであろう看板が目についた。急いで、”もうすぐに到着するから、クルマから出て待っていてくれ。”と、タクジに電話を入れる。

071201_1757ゴールは、100m、50mと近づく。ついにゴール!”よっしゃあ!”思わずガッツポーズが出る。30㎞ 弱しか歩いていない私だが、それなりに苦しんだだけにゴールするのは嬉しいもの。で、姐御はというと、写真からも分かるように満面の笑みでのゴールであった。嬉しそうにはしゃぐ姐 御を見ていると、こっちまで更に嬉しくなった。

気持ちが落ち着いたところで、かなり先に到着しているはずのアホの末達を探すが見当たらない。タクジに アホの末達はどこにいるのか?と聞いたところ、まだ到着していないとのことで、驚いた。

私 「まだ到着してねぇ?そんなはずはねぇ!俺らよりかなり先に走って行ったんど!」

タクジ 「でも、俺もずっとここにおったけど見てないんっちゃ!俺に気付かんで行ったんやろうか・・。」

私 「俺もお前から聞いたとおり、アホの末にはゴールは”ちゃんぽん屋”やと伝えたんやけどな。もしかすると、俺が伝えた時は既に通り過ぎとったんかな?でも、絶対にタクジの方が、アホの末達よりも早く先に行っているはずだから、その前にどちらかが気付くはずだよな!」

アホの末達のアホたれのおかげで、ゴールした感動の余韻もどこかへ行ってしまった。いくら辺りが暗いと はいえ、こんな真っ直ぐなだけの道で、何ではぐれるのだろうか?ゴールするよりも、はぐれる方が遥かに難 しいはずなのに。マス岡田といい、こいつらといい、そのアホたれぶりには失笑するしかなかった。

だが、なってしまったものは仕方がない。すぐにアホの末に電話した。何回かコールしてアホの末がやっと電話に出たが、その声は震えていた。タクジには”気付かなかった”と言う。”多分、ゴールを通り過ぎている”とも言う。おまけに”とても寒い!”とも言う。更におまけに、”もう走る気力も体力も無いから、早く迎えに来てくれ”とも言う。

勝手に行き過ぎて、しかもまだ”ぢよん○○”がゴールしていないというのに、”早く迎えに来い”とは、お前ら何様だ?と思った。本来であれば、”ぢよん○○”が到着するまで”アホたれ”どもを放っておくのだが、私も歳をとって丸くなったのか、長時間寒さに震えさせるのは可哀想だと思い、渋々ながらも救出に行ってやることにした。全く世話のやける”アホたれ”どもであった。

救出その1

“アホたれ”どもは、ホームセンターの駐車場の出入口で待っていると言っていた。暗闇の中、そのホームセンターを注意深く探しながら走る。そのホームセンターは、”ちゃんぽん屋”から1㎞も離れてない場所にあった。さて、”アホたれ”どもはというと、確かに駐車場の出入口でうずくまっていた。 “アホたれ”どもが私達を見つけるのは実に早かった。私が合図するよりも早く、私達に向かって手を振ったのである。”よほど待ちこがれてたんだなあ!”と思うと同時に、”このまま通り過ぎてやろうか!”という意地悪な心が出て、本当にそのまま素通りしそうになった。が、それをすると泣き叫ぶかもしれないので、さすがにやめた。

仕方なくクルマを停めて、”アホたれ”どもをクルマに乗せる。

アホたれ1号 「ううううっっ・・!ああったっけぇぇ!」カタカタ震える。

アホたれ2号 「あううぁっ・・!あったっかいでですぅぅ!」カタカタ震える。

俺 「アホやのうお前ら。迎えに来てやった俺に感謝せぇよ!」

アホたれ1号 「おおっおうううっ!」カタカタ震える。

アホたれ2号 「はいっいいっ!」カタカタ震える。

12月の晩のしかも風の強い日に薄着で長時間何もせずに待っていたとなると、体も芯から冷えるはず。2人とも、いきなり暖かいクルマの中に入ったものだから、寒さから解放された安心感で、ポカーンと放心状態になっていた。2人とも、しばらくは口が強張って、まともに話すことができないから、あまり話すことはしなかったが、救出してやって、あまり喜ばれると、意地悪したくなって、また寒い外に放り出してやろうかと思った。

2人

“アホたれ”どもを乗せて再び”ちゃんぽん屋”へ。

幸いにも”ぢよん○○”は、まだゴールしていなかった。待てども、待てども”ぢよん○○”の姿は見えない。タクジと相談し、”来た道を少し戻って、どの辺を歩いとるか確認してみよう。”となった時に”ぢよん○○”から電話が入った。

“ぢよん○○” 「ゴールはどこですか?」

私 「ゴールは”ちゃんぽん屋”や。歩いとったら、左側に大きい看板が見えるはずや。」

“ぢよん○○” 「分かりました。」

071201_1832電話を切ってから約5分後。遂に”ぢよん○○”がゴールした。足をひきずりながら、ボロボロになりながらの4回目のゴール。今回も、そのユニークな外見からは想像できないド根性を見せ付けてくれた。全く大した男であった。

結局、まともにゴールしたのは、姐御と私と”ぢよん○○”の3人のみ。

途中ではぐれたマス岡田。行き過ぎた”アホたれ”どもは、距離を多く走っていても、自分の足でゴールしていないのだから失格であった。特に可哀想なのが変態小野。 私達と最終給水ポイントで出会った時は、既に”ちゃんぽん屋”の手前まで行って帰って来たところで、しかもまた”ちゃんぽん屋”を通り過ぎたホームセンターまで行ったのだから、余分に22~23㎞走ったことになる。それで失格なのだから、文句の一つや二つ言いたくなるだろう。 それでも、「仕方がないです。」で、済ませるあたり、こいつの器の大きさというか、さすが常人ではないということを改めて感じた。これが、変態小野が変態と呼ばれる所以である。

ここまでは、今回のスタート地点である苅田町のナフコから44.3㎞の距離。福岡県を越え、大分県の宇佐市に入っていた。”ゴールは3人、完走は2人しかしなかったけれど、全員ケガすることなく無事に済んだので良かった。さあ、晩飯食って帰ろうか!”と思いきや、まだ私達にはやることが残っていた。そう、マス岡田の救出である。ゴールした感動や、”アホたれ”どもの救出に気をとられて、こいつのことをすっかり忘れていた!。

車中

マス岡田が待っている”サルのこしかけ駅”までは、20㎞ほどの距離があり、どんなに急いでも30分近くはかかるものと思われた。この時既にマス岡田から電話をもらって、1時間半を経過していた。”早く行ってやらんと、寒いから可哀相や!”と、最初は思っていた。が、会話の火付け役の姐御のおかげで、ひっきりなしに話していたことと、帰りに何を食べようかということに気をとられて、またいつの間にかマス岡田のことはどこかへ行ってしまっていた。

おかげで、誰かに「道の駅を通り過ぎてしまうぞ!」と言われるまで、マス岡田のことを思い出すことはなかった。通り過ぎたら通り過ぎたで、置いて帰ったら置いて帰ったで、それもありかなと思ったが、それをするとマス岡田に一生恨まれそうな気がしたので、さすがにやめた。

再会~救出

道の駅は、店も全て閉まり、自動販売機の明かりがあるだけで、辺りは真っ暗であった。辺りをざっと見回してもマス岡田の姿は見えない。「マス岡田ぁ~!どこにおるんや??」と、声を出しながら探すが、見つからないし、マス岡田からの応答もなかった。

071201_1902だが、私にはマス岡田が居るであろう場所には大体察しがついていた。人間は暗がりよりも、明るい方へと行きたがるもの。この広い道の駅の構内の中で、唯一明るい場所といえば、そう!自動販売機の前である。そう思い、自動販売機のあるところまで行くと、やはり私の読みは当たっていた。マス岡田が、あまりもの寒さからか、自動販売機の前で一人うずくまっていたのである。

時刻は、この時午後7時をまわっていた。私に連絡をくれたのが午後5時くらいであるから、2時間近くもの間、寒さと孤独と闘いながら待っていたことになる。孤独ということで考えるならば、正午ぐらいに変態小野と別れて以来、ずっと一人ぼっちであったわけであるから誰かと会うのは、7時間ぶりのこと。そして、私と再会したのは実に10時間ぶりのことであった。

Tシャツの上はジャージのみの軽装、おまけに骨と皮だけの痩せた体で、何もしないでただ待つには、この日の気温は低すぎた。心も体も真底冷え切っているマス岡田に、その場で何を言っても「ううっああっあっ!ううっ!」と答えるだけ。カタカタ震えすぎて、言うことが言葉にならないので、話をするのを諦め、すぐにクルマに戻った。

クルマに戻ってからも、しばらくは寒さと孤独から解放された安堵感からか、しばらくは放心状態であったが、それも落ち着くと、いろいろと語りだした。変態小野と別れてから、中津市まで行ったが、いくら待っても私達と会えなかったので、道を間違えたかと思い、やむなく引き返したこと。”104″で私の実家の電話番号を聞きだし、実家に電話して私の携帯番号を聞いたこと。その際、私の親にすごく怪しまれてなかなか教えてもらえなかったが、しつこく食い下がって、どうにか教えてもらったこと。”私の予想は当たった。”

最初、交番で電話を借りようとしたが、見事に断られたこと。電話を貸してくれたガソリンスタンドの人は親切だったことなど。マス岡田の話を聞くと、”こいつも苦労したんだんだなあ”と思うとともに、”一生思い出に残るであろう良い経験もしたんだな”とも思った。だって、人の親切が分かったんだし、自分がどうにか助かる方法を必死に考えるという作業ができたのだから。

残念ながら、おそらくゴールした3人以上の距離を走りながらも完走とはならなかったマス岡田だが、そのことは大して気にしていなかったようだ。何はともあれ、マス岡田の救出という大役を果たした私達は、晩飯を食う店を探しに帰路についた。

ランを終えて

今回のランほどいろいろなことがあったランもない。変態小野とマス岡田の離脱しかり、岡田の迷子事件然り、アホの末と変態小野のオーバーラン然り。前回のランと比べれば、全然簡単なルートなのに何故?と勘ぐるのだが、結果としてそうなってしまったものは仕方がない。

だが、いろいろあったということは、それだけ思い出がたくさんできたということである。実際、この私にとっては、単純に比較することはできないが、人道を通った前回よりは、今回のランの方が印象深いものであった。

何もなければ、”楽しかったね!”だけで終ったかもしれない今回のランも、マス岡田をはじめとするアホたれ達のおかげで非常に印象深いものになったことを考えると、ある程度のトラブルもありかなと思ったし、こいつらに感謝しなければならないとも思った。ただし、勘違いしてならないのは、ランの目的は目的地まで走ること、歩くことである。トラブルは、あくまでランを面白くすることの手助けをするスパイスのようなものでしかない。ランを面白くするのは、個々の頑張りや存在感というものが主体であることを忘れてはならないのである。

そう考えると、今回のランの主役は、本来の実力を発揮して完走した姐御と、いつもながらのド根性を見せて完走した”ぢよん○○”ということになるだろう。我々を別の意味で楽しませてくれたマス岡田は、間違いなく裏の主役であった。

漢塾ランは生き物である。様々な個性を取り込んで、毎回違った姿を私達に見せてくれる。そのどれもが良く、そのどれもが思い出深かった。今回いろいろありながらも、私達は一人一人が良い仕事をし、見事に第四弾漢塾ランを作り上げた。おかげで、今回のランも、例に漏れず、私達にとって特別なものになった。しかし、次回はマス岡田のような迷子はだしたくない。ランに関わることだけに集中したい。もし、また同じようなことになったら、迷わず置いて帰るつもりだ。

開催状況
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旅立ち

2人で旅立って行った、マス岡田と変態小野。マス岡田とは、この後10時間近くも会えなくなるとは、この時は想像してなかった。自分のペースで行くのは結構だが、次回からは金と携帯を持って走れよ!

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タクジ

最初の5㎞しか走ってないので、まだまだ軽快な走りのタクジ。完全に前日の酒は抜けたようだった。このまま、最後まで走ってくれても良かったのだが、執拗に私を走らせたがった。結局、タクジが走ったのは15㎞だった。翌週参加する駅伝の良い調整にはなったことだろう。

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姐御

今時珍しいVサインの姐御。オーバーペースだった前回とは違い、今回は自分のペースを守っていたようだ。笑顔は、楽しんでいることと余裕の現れだろう。 間違いなく、”ぢよん○○”とともに今回の主役であり、我々を楽しませてくれた。やはり、漢塾には必要不可欠な存在というか、私よりも塾長として相応しい人かもしれない。

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神出鬼没

“ここに居るはずのないお前が何故ここに?”と、いきなり現れて、この私を驚かせた変態小野。変態小野は、既にここ(36㎞地点)から8㎞以上離れたところまで行って戻ってきていた。この時、既に50㎞以上走っていたことになる。(最終的に60㎞以上走った。)やはり、変態のなせる業である。

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最終到達地点

今回のゴールである”ちゃんぽん屋”。次回ランは、ここから始まる。某有名チェーン店かと思いきや違い、個人の店のようだった。晩飯時というのに殆ど人が入ってなかったので、晩飯をここで食おうとは思わなかった。

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喜びの舞い

やっとこさのゴール。長い長い苦痛から解放された喜びから、必殺の”喜びの舞い”を舞う”ぢよん○○”。魔闘気全開!その幻想的な舞いは、見るものを幽玄の彼方に誘う・・はずはなく、見ていて暑苦しいだけだった。 この”喜びの舞い”を見て、こいつに惚れる女性は1億人に1人もいないだろう。

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記念撮影

ランを終えた記念に記念撮影。約1名ここにいるはずの男がいない。実を言うと、迎えに行くのが面倒臭かったので、このまま帰りたかった。

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捕獲

自動販売機の前で、うずくまっているマス岡田を捕獲。よほど寒かったのだろう、とても良い表情 をしていた。ずっと、このようなうずくまった体勢で待っていたとのこと。 余談ではあるが、暖かいコーヒーを買おうと思ったら、100円しか持ってないから買えないでひもじ い思いをしたとのこと。あと10円あれば、カップ入りのコーヒーが買えたのに。いかにもマス岡田 らしい体験談であった。

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遠景

“サルのこしかけ駅”の遠景。全ての店は閉まっていたため、姐御の望む”地鶏の炭火焼き”を食うのは断念せざるをえなかった。ちなみに写真中央の一番明るい場所が、自動販売機がある場所で、マス岡田は、その前でうずくまっていた。

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ご褒美

“頑張ったご褒美”?の夕食風景。最初は某牛丼チェーン店で食おうと思ったのだが、隣にこの定食屋があることが分かり、こっちで食うことにした。自分で好きなものを取って、お好みの定食にできるとあって、皆各々違った定食を作り上げていた。味もなかなか良かったので、次回以降の御食事処リストに加えることにした。


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