汗汗フェスタ 2008
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2008年08月10日(日)
眠れない夜
前日の晩に某所で、飲みたくもないコーヒーの、それもかなり濃いやつを飲まされた。それが影響してか、午前1時過半頃に床に就いてからは、目がギンギンに冴えて、眠りに落ちることが出来なかった。いつもなら、横になるなり、すぐに眠りに落ちることができるのにだ。
やはり、濃いコーヒーの威力は絶大だった。どうにかして眠りに落ちようと、何も考えまいとすればするほど、逆に考えてしまい、更に眠れなくなる。
それならばたくさん考えれば、考え疲れて、そのうち眠りに落ちるだろうと、楽しかったことや思い出深いことを頭の中で回想するのだが、それをすると、気持ちが高揚してしまい、更に眠れなくなってしまった。
結局、何をしてもダメだということが分かり、為るがままにまかせることにした。およそ1時間おきに時計を見る。 午前3時。”まだ起床するまでにあと3時間ある!” 午前4時”まだ2時間ある!” 午前5時”あと1時間しかないのか・・・。”などと、時計を見ながら考える。
どれくらいに眠りに落ちたのかは分からないが、結局、午前5時に時計を見たのが最後であった。
起床
眠ったのか眠ってないのか分からない状態で、午前6時に床から起き上がる。頭はボーっ。目はショボショボ。最悪のコンディションであった。これから体力的にキツいことをやると思うと嫌になる。
睡眠不足は、何をやるにおいても最大の敵だ。おそらく体力的には、コンディションが好調の時と比べても大して変わりはしないのだが、これによって、やる気が無くなるのが一番の問題である。睡眠不足だと、何をやるにも面倒臭いし、気力も漲らないのだ。よって、この時私は、レースに参加することを止めようかとも考えていた。
だが、そのようなことを考えはすれど、実際にそんなことが出来るはずもない。そこで、目覚ましの濃いコーヒーを飲んだり、水のシャワーを浴びるなりして、少しでも気持ちをポジティブな方へ持って行こうと努めた。
そのおかげか、午前7時前にアホの末が迎えに来る頃には、”よおっし!やるか!”という気持ちまでにはならないものの、”仕方がねぇからやるか。”ぐらいの気落ちにはなっていた。
道中
アホの末と合流し、旧日置町の千畳敷まで向かう。ここ数週間ぐらい続く、相変わらずの快晴。この日も35℃越えの猛暑になることは確実であった。曇りで風が少しあるぐらいが、走るには丁度良いのだが、雲一つ無い空を見る限り、これから天気が変わることは、まず無さそうだった。
萩市から旧三隅町へ抜ける、新しく出来た自動車専用道を通り、長門市内に入る。長門市内を抜けた頃には、屋根や荷台にマウンテンバイクを積んだクルマが目立ち始める。それを見て、いよいよこれからレースが始まるのだと実感すると、少しだけ楽しい気分になった。
年に一回だけのお祭りなのだから、楽しまなければ損である。睡眠不足というネガティブなことに捉われている場合ではなかった。
合流
今回の汗汗フェスタは、これまでのレギュラーメンバーである私と宮本さんとアホの末の3人に、セージとゴリョウ、ヤタの3人を加えた6人で参加する。1チームは4人までなので、漢塾甲と漢塾乙の2チームに分けた。
ちなみに、漢塾甲の代表者はアホの末で、メンバーは宮本さんとセージを加えた3人。漢塾乙の代表者は私で、メンバーはゴリョウとヤタを加えた3人。昨年のレースを終えた時点で、大人数で喜びを共有したいと思っていたから、今回のレースは人数を増やそうと思っていた。
幸いにも、セージが漢塾に加わり、漢塾イカ釣り大会でも御馴染みのゴリョウとヤタが、マウンテンバイクも趣味の一つにあるということで、それが今回実現できる運びとなった訳だ。
セージとゴリョウ達とは、携帯でまめに連絡を取り合っていたので、現地に到着してすぐに合流することができたのだが、問題は宮本さんであった。 現地には、まだ到着してないばかりか、アホの末が携帯に何回と電話しても、電話に出なかったのである。「電話に出んわ!」などと冗談を言っている場合ではなかった。諦めの良い宮本さんなら、常識破りの宮本さんなら、ドタキャンする可能性は十分に考えられるからだ。
いくら電話してもつながらないことから、アホの末達の漢塾甲チームは、最悪の場合、アホの末とセージの2人でレースをすることも考えていた。2人で走るのと、3人で走るのでは体力の消耗度に雲泥の差がある。また、気持ちの上でも余裕が無くなってしまう。
宮本さんが来るまいと、私達の漢塾乙チームには影響がない。だが、アホの末達の心中を察すると、「宮本さん、来たらいいね。」ぐらいは他人事ながら思うのであった。到着してから20分待ち、30分待っても宮本さんは来ない。
そして、”もう、こりゃダメだ!”と、諦めかけようとした時に宮本さんは現れた。その時のアホの末とセージの安堵の表情が、とても印象的だった。迷子になった子供が、お母さんとようやく会えたような表情をしていたのだ。もし、これが宮本さんの演出だったとしたら、大した演出だと感心もするのだが、それはまず有り得なかった。
ただの遅刻に違いなかった。 普通の人なら遅刻かもしれないと思えても、この人の場合は、実際に来るまでは、遅刻ともドタキャンとも判断ができないから恐ろしい。しかし、まあ何はともあれ、最後に宮本さんが合流したことで、予定通りの6人でレースに参加できることとなった。
準備
代表者の私とアホの末が受付を済ませても、レースまでにはまだ1時間半近くも時間があったのだが、誰も試走をする者はいなかった。
理由は暑いし、面倒臭いからであった。また、誰も緊張してないし、意気込んでいる者もいなかった。事前に私が、「順位なんてどうでもいいから、楽しむことが第一やから、ケガをせんようにな!」と、言い含めていたのが関係あるのかどうか。とにかく漢塾は甲乙ともに気楽に構えていた。
しかし、レース開始までの1時間以上をただのんびりくつろいでいても退屈だ。そこで我々が目をつけたのが、宮本さんのマウンテンバイク。途中で、タイヤが外れたとか、ブレーキが効かなくなったとかのトラブルを起こさないように徹底的に整備を始め出したのである。
何かトラブルがあってリタイヤするのは仕方がない。だが、宮本さんはリタイヤするためにトラブルを呼び込むような人だ。何かあれば、”これ幸い!”と思うはず。とにかく、宮本さんが自爆する以外の不慮のトラブルだけは極力取り除こうと、言い訳をする機会だけは与えまいと、私達は必死だった。
悪運
私の漢塾乙チームの順番は、第一走者がゴリョウ、その次がヤタ、最後が私と、ジャンケンをせずとも簡単に決まった。だが、漢塾甲チームは毎年恒例のジャンケンで順番を決めていた。第一走者はセージ、次が宮本さん、最後がアホの末となった。
アホの末は、すぐにジャンケンで勝って一番抜けしていたが、こいつは昨年も一昨年も一番抜けして、順番がラストだった。私達は一周交替するので、順番が最後だと、走る周回数が前の順番の者より少なくなる可能性が高いので、誰もが取りたがる順番である。こいつは、日頃の行いが悪いくせにこのような時だけ絶対といっていいほど、美味しいところを持っていく。まったくもって、悪運の強い奴である。
ポジション取り
スタートの10分?15分?前までにはスターティングポジションに着かなければならない。スタート順は、最前列が招待選手やシード選手?など、予め決められており、その後ろは早い者順である。
だから、早く行けば、前の方の場所を取れるのだが、やる気の無い我々は、”後ろの方でいいや!”とばかりに時間ギリギリで重い腰を上げてスターティングポジションを確保しにスタート地点へと向かったのだった。
遅く行ったから、当然ながらスターティングポジションは最後尾に近い場所だった。我々のような順位にこだわらないチームには問題ないものの、これが上位を狙うチームやソロの者なら致命的なことである。
何故なら、上位を狙うチーム同士やトップクラスの選手間の実力には殆ど差が無いし、また、最初の周は狭いコース内に人が密集しており、後ろから抜きにくいために、最初に出遅れると、後で挽回することが、まず不可能であるからだ。そのためか、前方に並んでいる者達は、見るからに上位を狙っているような速そうな者達ばかりだった。
全員が並び終えて、スタートまで1分を切った頃には、それまで騒がしかったのが嘘かのようにスタート地点は静まりかえった。後は、スタートのピストルが鳴るのを待つだけであった。
スタート
午前10時きっかりにスタートのピストルが鳴った。先頭の者は、ものすごいスピードで、私達の前を駆け抜ける。それから少し遅れて、第二集団が駆け抜ける。これもなかなかの速さだ。
続いては、一番数が多くてゴチャゴチャした中間集団。このあたりになると、人が密集しているので、前へ出て行くのは容易ではない。よって、先頭集団と比べるとスピードはかなり落ちる。それがしばらく続いた後に来たのが、後続集団。スピードは、中間集団と変わらないが、だいぶ人もまばらになっている。しかし、ここにもまだセージとゴリョウの姿は見られない。 その後続集団を見ていること1分ほど。
ようやくセージとゴリョウが仲良く並んで私達の前を走り抜けた。私の助言通りにちんたら走っているかと思いきや、周りのペースにつられて、結構マジで走っているようだった。
スタートした時は、周りのペースにつられて、なかなか自分のペースが守れないもの。これは、第一走者の宿命である。セージもゴリョウも、第一走者であるが故の洗礼を浴びていた。
第二走者
先に帰ってきたのは、ゴリョウであった。スタートしてから約30分での到着だった。大体、私達のレベルだったら、全力で走って15分、少し手を抜いて走って16~17分だから、これはなかなかの遅さであった。途中で、”吐きそうになった。”と言うぐらいだから、かなりキツかったのだろう。そう、最初の一周は、体が暖まってないから、一番キツいのである。
だが、遅いのも何のその。ゴリョウが二人分の時間を稼いでくれたので、ラッキーと思った。だって、1周交替のため、一人のタイムが遅ければ遅いほど、時間内に走る周回数が少なくなるのだから。
ゴリョウの次に走るは、ヤタ。 ゴリョウとの絡みは、やすきよ漫才並みの面白さを誇る、この男だからこそ、”次もやってくれるか!”と思ったのだが、違った。良い意味で、私の期待を裏切ったのである。
想定外
“どうせヤタも25分ぐらいかかるだろう。”と思いきや違った。時間を計ってないから、どのくらいの時間かは正確には分からないが、おそらく17~18分ぐらいの時間で帰ってきたのである。ヤタが、こんなに速いとは想定外であった。これが2周目、3周目となると、更に速くなるだろう。だが、せっかく早く帰ってきてくれても、嬉しさはなかった。はっきり言って迷惑だった。
心の準備も出来てなかったし、何よりも、レース前に用を足しに行こうと思っていたのが出来なかったからだ。 “こんなに頑張らなくていいのに!” ぶつくさ心の中でつぶやきながら、渋々、ヤタからタスキ代わりのゼッケンを受け取った。面倒臭えけど行く。走りたくないけど行く。仕方がねえけど行く。
“まったく!何のために3千円もの高い金を払って、キツい思いをするんだろうか?”毎年、思うこの疑問を今年も自分にぶつけながら、ゆっくりと走りだした。
トラブル
30mも走らないうちのことである。「ガシャッ!」と、音がして、ペダルが空回りした。
マウンテンバイクを降りて、車体を見ると、その原因はすぐに分かった。チェーンが外れたのである。チェーンはすぐに難なく取り付けることが出来たのだが、これが何かの予兆ではないかと、気になった。
いつもなら、この程度のことで、気になることはない。だが、昨年、崖から落ちて右肘と右肩をケガしたことがあったから、今年も何かあるのではないかと気になるのだ。もう、同じ目に遭いたくはない。よって、予定どおりに、いや予定以上に慎重に走ることにした。
トラウマ
全長3㎞のコースの最初の半分は、ひたすら下るだけである。よって、下るのが下手クソで苦手な私は、周りのペースに捉われることなく、マイペースで下った。
後ろから、「すいませ~ん!」と、言われれば、でかい声で「どうぞ!どうぞ!」と言って、左側に避け(自転車が1台通るのがやっとの箇所が何ケ所かある。)、気持ち良く道を譲った。
今、自分がレースに出場しているということを忘れてしまったかのような行為だったが、それで「ありがとう!」とか言われると、すごく良い事をしたような気になった。
そして、スタートしてから5分ほど走ると、ついに昨年転落した急傾斜の下りにさしかかった。はっきり言って、自分の中では、ここで転落したことがトラウマになっていたから、結構ビビっていた。
急傾斜の下りは、下り口が左から初心者用、中級者用、上級者用と3つに分かれている。安全策を取って、初心者用から下ろうかと思ったが、やめた。トラウマを払拭するには、昨年と同じく上級者用から下らなければならないと思ったからだ。
意を決した私は、勢い良く上級者用の下り口に飛び込んだ。昨年は、凸凹道の石でつまづいた時の衝撃と、汗で掌が濡れていたことが重なり、ブレーキから手が離れて、前方に放り出された。今回は、そのことが良く分かっていたために、下るスピードは昨年と変わらないものの、デカい石を踏まないように細心の注意を払って下った。それと、いつ転倒しても、いつ放り出されてもいいように、心と体の身構えだけは十分なほどにしていた。
その甲斐あって、約70mほどの下りを無事に下り終えることができたのだった。若干恐さは、まだ残ってはいたが、無事に下り終えたことは自信になった。この調子なら、回を重ねるごとに恐さは無くなっていくものと思われた。
セーブ
急傾斜の下りを下りきり、もう少し行ったところの下りを下ってしまうと、コース内で唯一平坦な池に出る。約400mほどの池の周りは、順位を稼ごうとする者にとっては、前に出ていく絶好のポイントであり、私のような順位がどうでも良い者にとっては、絶好の休憩ポイントである。
だが、スピードを出すことはしないものの、後ろの者に抜かれるのは癪なので、抜かれない程度のスピードでは走っていた。何故、ここでスピードを出さないかというと、池が終った後に始まる後半の上りに備えていたからだ。
“下りも平坦な道も力をセーブしたので、次からは思いっきり走ってやろう!”と、これまでの鬱憤を晴らすつもりでいた。
上り
池が終ると、目の前に上りが現れた。約700mほど続く凸凹道の上り。これを上りきるのは、なかなかのキツさ。殆どの者は、ここで失速する。
一昨年、昨年、そして一週間前の練習と、何度もここを走っているので、私はここの地形を熟知していた。おまけに、足の筋力に自信のある私にとっては、自分の力を活かせる絶好の場であった。
“誰にも抜かれんぞ!”そう思い、ペダルを踏む足に力を込めた。
私の周りに速い者は誰もいないのか、サクサクと抜ける。昨年の上位チームのユニフォームを着た者も抜く。
10人抜き、20人抜いた頃だろうか?ものすごい勢いで、私を抜き去った者がいた。”体は小さいのに、何たる速さ!”と、思わず感心した。でも、すぐに気持ちを切り替えた。”誰にも抜かれん言うたやろうがっ!”そう心の中で叫んで、そいつの追跡を開始した。
これまでよりも、無理して更にスピードアップしたのだが、そいつとの距離は縮まらない。同じ距離を保つのがやっとであった。汗が目に入って前がよく見えず、鼻水はダラダラ、心臓は破裂しそうなほどバクバクしているのだが、とにかく、そいつを抜いて前に出ようとしていた。だが、この凸凹道で、これ以上スピードを上げるのは、今の私のスタミナでは無理であった。よって、ここで抜くのは諦め、これが終った後に始まる舗装道の上りで、こいつを抜くことにした。
バトル
常にそいつの5m後ろをついて走り、凸凹道を抜けて、舗装道へ出たと同時にアクションを起こした。あらん限りの力を振り絞って、そいつを抜いたのである。舗装道の上りは、約500mほどの距離しかない。最初にアクションをかけなければ、後から抜くのは無理と考えてのことだった。
だが、ことはそう簡単にはいかなかった。そいつは舗装道を走るのも速く、私がリードしたのは50mの間だけで、すぐに抜かれてしまった。残念ながら、私の方が体重が重いことを差し引いても、走力ではこいつの方が勝っていた。
しかし、ターゲットとした奴に負けるのは嫌だ。 そこで、サドルに座ったまま走ったのでは、絶対に敵わないと知り、やむを得ず、奥の手である立ちこぎをすることにした。立ちこぎは、走力よりも体重の方にウエイトがかかっているから、あまり好きではないのだが、この時はそのような事を思っている場合ではなかった。こいつに勝つには、唯一体重で勝っているということを活かすしかなかった。
やむを得ず、こいつとの距離が開かないうちに、それを実行した。ただ立ってこぐだけではなく、ペダルが沈む時は体を沈め、ペダルが上がる時は思いっきり伸び上がった。つまり、体全体をダイナミックに使うことにより、ペダルに最大限の体重をかけた訳で、それが功を奏したのか、スピードは飛躍的にアップした。
結果、上りが終る直前に、どうにかターゲットを再び抜き去ることができたのだった。こいつには、再々度、千畳敷の台地上で抜かれてしまったのだが、”それは実力が違うから仕方がない”と、諦めもついた。実力差から考えて、上りで勝ったことだけでも奇跡的なこと。結果的に負けはしたが、私は、十分に満足していた。
根性なし
私がゴリョウにゼッケンを渡した15分にアホの末が帰ってきた。マウンテンバイクから降りたアホの末は、足元がおぼつかず、フラフラしており、目も虚ろであった。日頃の運動不足に加えての体調不良、しかも体の温まってない1周目は一番キツいとあって、そのような状態になるのも無理はなかった。
アホの末の状態は、かなり重症であり、話かけても反応せず、下を向いて黙りこくっているだけだった。そのうち、クルマの下の影になった部分に潜り込み、大の字になった。軽い熱中症にもなったのであろう。
とにかく、これでしばらくの間、戦線離脱することとなった。お遍路の時も何度もこのようなことがあった。もう同じことを何度も何度も言いたくはないけれども、言わせてもらう。これは日頃の行いが悪いが故に起こる事である。
本人はそのことを以前から良く分かっているはず。なのに、同じことを何度も繰り返す。分かっていても、改善できないのはバカである。ここまで繰り返せば、もう猿と同じレベルである。いや、猿も痛い目に遭えば、恐れて同じことを繰り返さないであろうから、猿の方がまだましである。バカは死ななければ治らないというが、こいつの場合は悪運が強いので、300歳まで生きそうである。もはや、どうしようもなく、私としては、笑って見守るしかない。まあ、こいつが愚かなおかげで、そのとばっちりも食うものの、おかげでネタには困らないから助かってはいるのだが。
とばっちっり
2周目のゴリョウは、なかなかの走りを見せた。1周目よりも、タイムが10分近くも早くなっていたのだ。1周目は誰もが一番キツいし、スタート時でコース内に人が密集して、抜くに抜かれない状態だったから、遅かったのは納得なのだが、それにしても良く頑張っていた。私は、レース前に”順位のことはどうでもいいから気楽にやろうぜ!”と皆に言ったはず。なのに、私も含めて、100%マジとは言えないながらも、皆、そこそこマジになっていた。
“何か違うな?”と、思いながらも、誰もがそこそこマジでやることを楽しんでいた。で、漢塾甲チームである。
予想通り、アホの末の体調は改善されず、宮本さんにゼッケンを渡したばかりのセージがアホの末の順番をとばして、行くことになった。こうなることが分かっているとはいえ、セージにとってはとんだとばっちりであった。本来であれば、40分ぐらい休憩できるところを、1人の順番をとばすために、その半分しか休憩できなくなるのだから、これは辛いものがあった。
セージには、アホの末がこのまま戦線に復帰しなければ宮本さんと2人で残りのレースを乗り切らなければならないという不安があったはず。我が漢塾乙チームに関係のないこととはいえ、セージの心中を察すると気の毒に思った。
しかし、アホの末は、自分が他人にどれだけ迷惑をかけたかということを意識しているのだろうか?
2周目
体が温まって、楽な2周目ということもあり、ヤタは私の予想を上回るタイムで帰ってきた。この男、吉本喜劇のお笑い系かと思いきや、なかなかやる。何度も言うようだが、私も含めて、3人とも完全なマジモードではない。力を抜き過ぎず、かといって出し過ぎず、そこそこにマジ。マジモードになり過ぎて、熱くなれば、体力的にもキツいし、ケガをする可能性も高くなる。力を抜き過ぎれば、ダレてしまって面白くない。この、そこそこにマジぐらいが、様々なことを客観的に観察できるため、レースを楽しむには丁度良かった。
楽しむということを何よりも優先する私達は、自然と?周りにつられて?そのようなモードになっていた。で、ゼッケンを受け取った私である。下りは力を抜き、上りで全開にするというやり方は変えなかったのだが、体が温まっていたためか、何をするにも1周目よりは楽に、スムーズにできた。そのため、結果的に私もタイムが1周目よりも上回っていた。
まあ、私にとっては、上りでたくさん抜けば、また上りで誰にも抜かれなければ、満足なわけで、タイムなんてどうでも良かったのだが。
復活
私が2周目を終えて、戻った時には、アホの末もようやくプチ熱中症が治ってレースに復帰しようとしていた。悪運の強いこいつのこと。やはり熱中症ごときで、くたばるようなタマではなかった。
他の敵
レースも終盤を迎え、太陽が頭の真上に近くなるにつれ、日差しも強くなり、気温もグングン上がっていった。 そのため、どのチームも最初から日除けのテントを張っているのだが、私達には日除けのテントが無かった。おそらく、テントが無いのは、私達だけだったに違いない。
おかげで、休憩している間もジリジリと日差しに焼かれ、いやおうなく体力を消耗していった。走っている時間よりも休憩している時間の方が長く、しかも殆ど動くことがないため、これはキツかった。休憩が休憩でなく、拷問のようなものであった。私達は、レース以外の場所でも闘っていた。
観察
私は、休憩している最中にも塾生達の走りを観察していた。週に1回、20㎞の走り込みをしているというセージは、萩往還の時とは別人のような逞しい走りをしていたし、宮本さんもマイペースながらも諦めることはしなかった。予想以上の走力を持ったゴリョウとヤタも、適度に頑張っていた。私も、適度に頑張ってはいるが、皆の頑張りに影響されたのか、最後の周ぐらいは、思い残すことなく全行程を全力で走ってやろうと考えていた。
最終周
ゼッケンをヤタからもらい、勢いよくピットを飛び出す。これまでは、平坦なコースでもスピードを出すことはなかったのだが、この時は違った。とにかく全力だった。すぐに始まる下りも、上級者からすれば蚊の止まったような速さかもしれないが、自分なりに転倒しないギリギリのスピードを出した。
コースの半分くらいまでは、それまでのタイムより1分ぐらいは早いような気がしたのだが、最後までそのペースが続くことはなかった。池の周りで、密集した集団に出くわしたのである。何十人もが密集しているので、抜こうにも抜けないのだ。
「すいませ~ん!」と言うと、すぐ前の者は避けてはくれるのだが、それを抜いたところで、その前にも、更にその前にも人がダンゴ状態で密集しており、そんなことを繰り返しても埒があかないため、抜くのを諦めた。そのため、しばらくは集団の後ろをゆっくりのスピードで走らなければならなかった。
池が終わり、上りに入った瞬間にギヤをトップギヤに入れ直し、大量に抜いていったのだが、それで遅れた分を取り戻せるわけではなかった。おそらく、この時点で2周目のタイムよりはかなり遅れていたはず。後半で遅れた分を取り戻すのは無理と思われた。
それが分かっていたから、タイムを縮めるのを諦めた。その代わりに、上りを今までよりも更に速く走ってやろうと思った。私は、7月生まれの蟹座である。あと一日生まれるのが遅かったら、獅子座だったのだが、ここではそんなことはどうでも良い。
蟹座の習性なのだろう。私は、蟹のようにシャカシャカするのが嫌いである。要するに、細かくチマチマしたことが嫌いだということ。だから、上りでギヤを落としまくって、軽くなったペダルをシャカシャカ高速でこぐのは嫌なのだ。そんなチマチマしたことをするぐらいなら、足の筋肉に負担がかかってもいいいから、ギヤを上げた重いペダルをこいだ方が良い。脚力は必要となるが、少ない回転数でたくさんの距離を進めるのだから、こんな合理的なことはない。
私は、更なるスピードアップのため、ギヤを2つほど上げ、しかもこの凸凹道の上りから立ち漕ぎを始めた。おかげで、スピードは1割~2割ぐらいアップし、たくさんの選手を抜くことができた。だが、ギヤを上げて立ち漕ぎをしたために、消費するスタミナは激しく、凸凹道の上りを終えた時には、ヘロヘロ状態だった。もはや舗装道の上りでも同じことができるほどの体力は残ってなかった。
切り替え
よって、舗装道の上りではギヤを今までどおりの重さに落とし、サドルに腰を降ろした。凸凹道の上りをこれまでよりも早く走ったおかげで、幾らかはタイムを縮めることができたと思うが、もう同じペースで走れないことが分かり、気持ちを切り替えた。
最後の周だから、目一杯楽しんで走ってやろうと考えたのだ。まあ、楽しむと言っても、苦しさばかりに気がいくから、実際に楽しめるものではない。味わうと言った方が適切だろう。勿論、手を抜くとかではなく、今走れるスピードでは精一杯走るのだが、とにかく苦しみながらも楽しむのである。
どんなに苦しくても、いつまでも続く苦しみはない。走り続ければ、いつかは終る。ましてや、あとどれくらいで終るかということが分かっていると、どんなに苦しくても気が楽なものである。
そのため、心に余裕の出来た私は、昨年の大会からここへ来るまでのことを下を向いてペダルを踏みながら回想した。ケガをしてから、筋トレが思うように出来なくて難儀した。身辺でいろいろあり、それに気をとられることもあった。自分のことをする時間をなかなか取れない時期もあった。でも、それ以上に楽しいことや感動することがたくさんあった。 わずか1年だが、密度の濃い時間であった。
私は、相変わらず健康でいられることができたということ、昨年と同じ場所で同じことを出来ているということに感謝した。再びここへ来れないという可能性も十分にあっただけに、現在の状況に感謝の気持ちを抱くのは当然であった。
給水ポイントで、欲張って水を2杯飲んだ後は、もう回想するのをやめた。後は、目の前のことだけに身を任せた。舗装道の上りを終え、千畳敷の台地に出てからは、台地から望む海の美しさに心を奪われる。思わず、このまま突っ込んでやろうかという錯覚に捉われそうになる。チェックポイントを過ぎ、あと少しとなったところでは、名残り惜しさが胸をよぎる。だが、レースは終らせなければならない。
ピットで待っている最終ランナーのゴリョウの姿が、どんどん大きくなる。ゴリョウが自分と同じ大きさになった時に、遂にゼッケンを渡す。”やるだけのことはやった。””十分に楽しんだ。” 私の今年の汗汗はこれまでにない満足感と共に終った。
終わりに
いつも当然だと思っていることが、実は当然でないということ。これは、ここ数年の漢塾の活動や私生活を通して私が実感したことである。
これまでにたくさんのものを失ったり、不自由な思いをしたことがあるから実感できるのであるが、逆に言えば、そういう思いをしなければ絶対に実感できなかったと断言できる。そして、それを実感できるようになったおかげで、たくさんのことに”有難い”と、感謝できるようになった。自分を支えてくれる周りの者への感謝、自分を磨いてくれる様々な出来事への感謝、そして何よりも健康でいられることへの感謝など。おかげで、私は、そのことを実感する以前よりは、遥かに自分が幸せであることを実感できるようになった。
今回、ゴリョウとヤタというレースでもレース外でも漢塾を盛り上げてくれたお笑い?コンビの2人に加え、日々の努力の成果を見せつけてくれたセージの参加で、漢塾チームはこれまでにない充実を得た。この3人に宮本さんとアホの末を合わせた5人は、私の心の中の”2008汗汗”という物語を見事に作りあげてくれたと思う。
個々のキャラが1つの物語を編み上げるということを感じた次第だ。物語を作ってくれた塾生達に感謝し、ケガがなかったことに感謝し、最後にここへ来られたことを再度感謝した。私にとって、この汗汗というイベント・・いや、千畳敷という場所は、様々な物語を与えてくれる場所である。来年は来年で、また違った物語があるはず。 一年頑張って、またここへ戻って来たいと思う。
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