汗汗フェスタ 2009
- カテゴリ
- BICYCLE
- 開催日
- 2009年08月02日(日)
はじめに
今年も汗汗の日が来た。
この一年、いろいろとありながらもどうにかこの日を迎えることが出来た。無事にこの日を迎えられることの、変わらぬ体力を維持出来ていることの有難さを噛み締めながら私は今年の汗汗に臨む。
集合
午前6時に萩のメンバーは私のアパートに集合し、開催地である長門市の千畳敷に向かう。今回は、昨年と同じ6人のメンツに新メンバーの水津を加えた7人で出場する。水津は私のチームである漢塾乙のメンバーである。
現地に着くと、その直前まで雨が降っていたらしく、辺りは真っ白の霧で覆われていた。こんなのは私が参加したこれまでの中では初めてのこと。“コースが雨でグチャグチャになってなければ良いのだが!”という不安を胸をよぎる。
私達が到着してからすぐに漢塾山陽小野田支部のゴリョウ、ヤタのお笑いコンビが到着。驚いたことにゴリョウは彼女を連れての参加だった。付き合いだしてからまだ3ヶ月余り。出来たてホヤホヤのカップルだ。訳あって傷心での参加だった昨年に比べれば、この状況は天と地ほどの差。この行動の早さに、“さすがはゴリョウ!”と感心した。
それから一時間ほどして、宮本さんとセージが到着。現地集合予定時刻よりは遅れながらも、これで、メンバー全員が揃った。
試走
今年のコースは、変更があったらしく500mほど距離が伸びて一周4.8㎞になっていた。場内アナウンスでは、“コースを間違えないためにも本番前に試走をお願いします。”というようなことを言っていた。
だが、4.8㎞も試走をするのはキツいし面倒臭い。「人の後についていけば大丈夫やろ!」と言って誰も試走をしようとしなかった。結局、試走をすることになったのは、水津とアホの末だであった。このことからも、例年と同じく皆のやる気の無さが十分に感じられたのであった。
ジャンケン
アホの末達が試走から帰ってきてから、走る順番を決めるためにジャンケンをする。ジャンケンに勝って順番が後を選んだ方が、走る回数も少なくなる可能性が高いから、このジャンケンは非常に重要である。
私の漢塾乙チームのメンバーは4人。初参加の水津あ無条件に先頭ランナーということにして、残りの者でジャンケンをした。訳あってやり直しの結果、昨年と同じく2番ランナーがヤタ、3番ランナーがゴリョウ、ラストランナーが私ということになった。
昨年は、この3人で9周(そのうち私が4周)走った。今年は、距離が伸びてコースも雨でぬかるんでいるだろうから、おそらく6~7周ぐらいしか走れないであろうと思った。ということはだ。今年は4人だから、2周目はラストの私まで回らないことになる。
“今年は1周だけか。楽なもんや!”と、タカを括って余裕をかましていたのだが、残念ながらこの私の余裕の表情はこの後、曇らされることになるのである。
スタート前
「ええか!頑張らんでええからな!順位なんてどうでもええから、楽しむ範囲で適当にやれよ!頑張ってケガしたら何にもならんからな!」、そう言って先頭ランナーである水津をスタート地点まで送り出す。これは一昨年、崖からの転落事故により右腕をケガし、それからの一年間は思うように筋トレが出来なくて歯痒い思いをした私の経験に基づくアドバイスであった。
これはレースであるが、私達素人にとっては楽しむもの、つまり遊び以外の何物でもない。故に、ケガをして仕事や家庭、他のことに影響を及ぼしてはならないと考える。まあ、どうしてもマジでやりたければマジにやればいいのだが、マジでやったらケガする確立が高くなるというだけのこと。幸いにも水津は、そのことをよく分かっていた。
スタート
訳あって、スタート時刻は定刻の午前10時より5分遅れ、午前10時5分となった。
水津は私の指示通りに列の最後尾の方からゆっくりとしたスタートを切った。
3時間の長いようで短いレースが始まった。水津が戻ってくるのは、45分後ぐらいと想定してテントの中でダラダラと待った。昨年の反省により、今年はブルーシートで即席の日除けテントを作ったのだが、上空の厚く垂れ込めた雲を見る限り、せっかく作ったテントも用を成さないように思えた。
待つこと35分、何と!まだ戻ってくるはずのない水津が戻ってきたのである。もっと時間がかかると思ったのになかなかの健闘ぶりだった。だが、こいつが予想よりも10分早く戻ってくるということは、この後の予定に狂いが生じるということだ。“これは、この後のゴリョウ達の走りによると、もしかすると俺に2周目が回ってくるかも!”と、内心ビビりながらその後に続くゴリョウとヤタのタイムを見て再度、予定を組直すことにした。
結果、ゴリョウとヤタ共に25分で戻って来た。そして、ゴリョウからタスキを受けた私は、走りながら、残り時間を計算した。走行時間はチームで3時間=180分だから、それを2で割ると90分。ここまで85分かかっているから、私が20分で走っても1周で105分かかったことになる。ということは、残り85分。タイムアップ寸前までタスキは渡せるから、このままではギリギリ私まで2周目が回ってくることになる。“これはいかん!”そう思った私はペースを落とそうとした。
しかし、新たなコースでは私の苦手なストレートな下りが無くなり、私の得意な上りが増えていたため、あまり手を抜くことが出来ずに予想よりも早い16~17分で走り切ってしまった。“タイムを遅くするどころか縮めてるやんか!”そう思ったのも後の祭り。それから時間稼ぎをすることもなく、すぐに2周目のランナーである水津にタスキを渡してしまった。
残り90分近く。一周目のペースで走れば、確実にラストランナーの私にタスキを渡せることは、ゴリョウ達も気付いていたらしく、ヤタと二人で「頑張って、何が何でも塾長にタスキを渡そうぜ!」と言ってはりきっていた。
祈り
二周目はコースの勝手も分かり、体も慣れるために一周目よりはまず遅くなることは無いむしろ、走るタイムは縮まる傾向にある。故に水津も一周目よりは遅くなることはないと思われた。“このまま行けば、俺まで二周目が回るのは確実!”そう思うと、どうにかして水津がクラッシュしてケガをするかチェーンが切れるなりして続行不能になるのを祈るようになった。
水津が乗っているのは私のマウンテンバイクであるが、私まで二周目が回らないようにするためには、修理代がかかったとしても壊れて欲しかった。そして、横を見ると漢塾甲チームの宮本さんもラストランナーである自分まで順番が回らないようにするために身内の不幸を一心に祈っていた。我が身のためには、身内をも犠牲にしようとする私達は悪魔のような人間であると、今になっては思うのだが、この時は客観的に自分のしていることを見ることが出来ず、懸命に身内の不幸を祈っていた。
更なる祈り
水津は、予想より1分ぐらい早く戻って来た。“よく頑張ったな!”と普段なら褒めてやるところだが、そうはいかない。何故なら、一人一人の走りに私の二周目がかかっているから。よって、「お前、もっとゆっくり走れば良かったのに!途中でリタイアしても良かったんど!」と、やる気の無い声をかけた。
次のヤタはやる気満々。一周目よりも早いスピードでピットを飛び出して行った。ここでもヤタの不幸を祈る。“ヤタよ!頼むから崖から落ちてくれ!頼むから○十万のチャリが空中分解してバラバラになってくれ!”ヤタが戻ってくるまで、必死に祈り続けた。だが、ヤタは先ほどよりもタイムを2分余りも縮めて戻ってきた。
“くっそ~っ!”と思いながらも、今度はゴリョウの不幸を祈った。“ゴリョウよ頼むから池に落ちて溺れてくれ!頼むから、マムシに咬まれて死んでくれ!頼むから公道に出たところでクルマにはねられてくれ!”と。しかし、そこまで祈ったところで、さすがにこれは身内の不幸を祈り過ぎだということに気付き自己嫌悪に陥った。
そして、同じく身内の不幸を祈る宮本さんに「どうしても走りたくないのなら、何で3千円も金を払って、毎年この汗汗に参加するんですかねぇ?走りたくないのなら、俺達参加しなければいいのにねぇ?走るためにここへは来るんですよねぇ」と、至極当然のことを言った。それを聞いた宮本さんは、「そうやねぇ。走るためにここへ来るのにねぇ。何でやろうねぇ!」と、答えた。
走るためにここへ来たのに、走りたくないという気持ちのために身内の不幸を祈るという卑しく矛盾した行為を客観的に見ることが出来たために自己嫌悪に陥ったわけだが、それでも走りたくないという気持ちに変わりはなく、ゴリョウの不幸を祈り続けた。
策
ゴリョウよりも先に漢塾甲チームのアホの末が戻ってきたのであるが、残り18分を残しているため、私なら余裕で宮本さんにタスキを渡せると思い、甲チームの次のランナーであるセージに「どうせもう一周走らなければならんのなら、俺が甲チームで走って、お前がゴリョウからタスキをもらって乙チームで走るか?」と提案した。
だが、時既に遅し。身代わりになるには、マウンテンバイクのハンドル部分に付けたお互いのゼッケンを取り替える必要がある。そうなると、著しく時間をロスして宮本さんにタスキを渡せなくなる可能性が高いので、諦めた。
一昨年に続き、怠け者の宮本さんに目にものを見せてやろと思ったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。
因果応報
私の視力は両方が2.0である。よって、ゴリョウの姿はピットの随分手前から確認することが出来た。
“ゴリョウに隕石でも当たらんかな。”そう思いながらも、私の横で既に自分には三周目が回ることが無いということが確定し、余裕こいてタバコをふかしている宮本さんを恨めしそうに横目で見ながらもタスキを受け取るためにテントを出た。ゴリョウは、満面の笑みで戻ってきた。タイムアウトまで8分を残しての帰還。ゴリョウは、困難な仕事を成しえた男の顔をしていた。
私は、渋々ゴリョウからタスキを受け取り、“ゴールする時には、既にタイムアウトになっているのに、もう次にタスキを渡す者は居ないのに、俺は何を目標に走るんや?”と、自分に自問自答しながらピットを飛び出した。
一昨年に私が宮本さんにしたこと(詳しくは漢塾レポートの汗汗2007を参照のこと)と全く同じ状況に、自分のやったことは自分に返ってくるということを走りながらも強く感じていた。
因果応報である。
目的探し
序盤の下りが多いところで、この最後の走りに何の意義を見出そうかと考える。下りながらも考える。必死に考える。考えに考えて、コース内の池を過ぎた最初の本格的な上りで閃いた。“とにかく上りだけは、誰にも抜かれることなく全速力で駆け上ろう!”と。
意義を見出すことが出来てからは、必死に上りを駆け上がった。10人抜き、20人抜いた頃には、面倒臭いので抜いた数を数えるのを止めた。脚力には自信があるため、周りの者とのスピードの差は歴然であった。
しかし、“これならゴールするまでに60~70人は抜けるかな?”と余裕を見せた時のことである。随分後ろの方で、「すいませ~ん!左に避けてくださぁ~い!」という声が聞こえたのである。“何を負けてたまるか!”とスピードを上げたものの、その声が自分のすぐ真後ろで聞こえたために急いで左へ避けて道を譲った。私を抜かした人は、「有難う!」と言って、私よりも更にハイスピードで上りを駆け上がって行った。礼は言われたものの、得意の上りで抜かれては悔しいので、更に更にスピードを上げて私を抜かした奴を追った。
抜かれて追いかけ始めた時点で既に10mほどの差がついていたが、奴に追い付こうと私は必死にぺダルに力を込めた。だが、距離はそれ以上に開くことはないものの、その差を縮めることはどうしても出来ない。奴も時折立ちこぎをしているので、私も立ちこぎをしたが、それでも追い付かない。そのまま、非舗装道の上りから舗装された公道の上りに出ても差は縮まらない。それどころか、公道へ入って200mぐらい上ったところで、私がガス欠のためにペースダウンし、その差は更に開いてしまった。結局、上りを上り切るまでに30mぐらい差を空けられてしまった。
これは、スタミナの差以外の何ものでもなかった。残念ながら、実力の差を痛感させられたわけだが、奴のおかげで自分もスピードアップ出来た訳だし、予定よりも多くの者を抜くことが出来たので、悔しいながらもそれなりに自分の走りには満足していた。
ゴール
ゴールではたくさんの人がタスキの周回数をチェックしてもらうために、並んでいたために何分か待たされた。ピットに入った時の私のタイムはおおよそ18分ということであったから、待ち時間を差し引いても一周目よりは多少タイムは早かったのではないだろうかと感じた。他の者は、私が最後はゆっくり走るものと思っていたらしく、「早っ!!」と言って驚いていた。
上りで必要以上に体力を消耗したため、疲労度は一周目の比ではなかったが、全力を尽くしただけあって、走り終わった時の充実感はそれなりにあった。
今年の汗汗を終えて
前述の宮本さんとの会話の内容にあるとおり、何故金を払ってまで走りたくもない汗汗に参加するのか?この素朴な疑問に対する答えは今のところ無い。
どう謙虚に答えても、心の底からこのキツいコースを金を払ってまで走りたいとは思わない。走り終わった後にそれなりの充実感を得られたとしても、金とここまで来る手間を考えたらマイナスである。それなのに、毎年参加している。
今のところ自分なりに唯一いえるのは、“毎年ここへ来れば、同じメンツと再会することが出来る!”という、云わば同窓会的なものを汗汗に感じているからだろうか。走っている時よりは、休憩している時にペチャクチャと喋っている方が面白いと思えるのは私だけではないだろう。(この傾向は、ゴリョウとヤタが参加した昨年より更に強まった。)
何だか間違っているような気もするけど、来年も私達は“走りたくねぇなあ!”とか文句を言いつつも懲りずに参加しているはずである。
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