四国八十八ヶ所 自転車遍路(第三弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2005年04月29日() ~ 2005年05月04日()

三日目(2005/ 5/ 1)

雨の降りしきる音で目が覚めた。時刻は午前6時、起き上がって周りを見渡すと、遥か遠くにアホの末が寝ている以外には誰もいなかった。アホの末が寝ている場所が、前日寝た場所であるから、かなりの距離を寝転げたのだと思った。周りに寝ていた人はさぞかし迷惑だったことだろう。

前日から分かっていたことだが、この日もやはり雨。それもかなりの強い雨であった。居心地の良い場所から、ドシャ降りの雨の中へ突入していくのは、毎度のことおっくうになる。しかし、どのような条件であろうと、進まなければならないので、雨の中に入って行く覚悟を決めた。問題は、アホの末のことである。こいつの容態が少しでも良くなっていればと願ったものの、前日の容態からすると、あまり期待はできないと思った。良くなっているよう願いを込めて叩き起こしたアホの末は、私が思ったとおり、前日と容態が殆ど変わってなかった。病人をこのドシャ降りの雨の中に放り出すのは、少し気が咎めたが、とりあえずは、倒れるか、走行不能になるまでやらせて、そうなった時はそうなった時だと、これも覚悟を決めた。

朝飯

いつもなら、起床してからすぐに食う朝飯がないのは初めてのことだった。1階の食堂はまだやってないし、コンビニも近くにはない。どうするかと考えた結果、もしかすると、朝一で菓子パンなり他の食物なりが仕入れられているかと思い、隣の釣具屋に行ってみることにした。

釣具屋の朝は早い。おそらく午前4時ぐらいには開店しているものと思われる。私が店内に入った時には既に4~5人の釣客がウロウロしていた。そして、問題の朝飯だが、前日に菓子パンが置いてあった棚には、何も置いてなかった。どうやら、前日の晩から何も仕入れてないようなのである。それならば、ここに置いてある唯一の菓子であるポテトチップスでも買おうかと、探すがない。これもどうやら先客に買われたらしかった。

それならば、前日はあったカップヌードルを探すが、これもない。これもどうやら先客に買われたらしかった。当てにしていたものが、何もなかったため崖から突き落とされた気分になったし、前日に買っておかなかったことを後悔した。これから、ドシャ降りの雨の中、険しい道程を移動しなければならないのに、何も食わずに動けるわけがない。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、店主に詰め寄って、何か食うものを売ってくれと懇願したのだった。最初、店主は困った顔をしていたのだが、何かを思いついたように店の奥に入って行き、出てきた時にはどん兵衛を2つ持っていた。どうやら自分のおやつ用に取っておいたものを売ってくれるらしいのだ。無理は言ってみるものだと思った。

無理を聞いてくれた店主に心から感謝しつつ代金の315円を払い、どん兵衛を受け取り、健康ランドへ戻った。 普段なら朝飯にどん兵衛なんて絶対に食わないのだが、この時は食えるものなら何でも良かったので、すごく有難かった。これでどうにかなる!たかがどん兵衛にありつけただけで、そんな気にもなった。

出仕度

出仕度をし、1階の食堂で湯を分けてもらい、そこのカウンターでどん兵衛を食った。食っている最中にカウンターの上を見ると、幸いなことにゆで卵が大量に置いてあったので、それも何個か購入して食った。これでどうにかそこそこ腹は満たされた。

バイクの人

アホの末が便所に行っている間に、ロビーでくつろいでいると、隣に座った人から話かけられた。話をしてみると、連休中だけの旅で、バイクでできるだけ遠くまで行くとのことだった。前日は香川県の坂出市から高知県の西端のここまでの500㎞以上を1日で移動したらしい。さすがは、バイクである。チャリンコの私達ならそれだけの距離を進むとなると、ずっと走りずくめでも4日ぐらいはかかってしまう。

すげえな!とは思ったが、別にバイクでまわりたいとか羨ましいとは思わなかった。何故なら今、自分にできることは、今しかできないことは、これしかないと思っていたからである。それに、マウンテンバイクで走ることは苛酷ではあるが、楽しいし、気持ち良いのだ。

ただ、こういうバイクで一人旅というのも歳をとって体力が落ちたらやってもいいかなとも思った。これはこれで、短期間でいろいろ行けるし、気持ち良さそうだ。 この人とは、アホの末が帰ってくるまで、たいして知りもしないバイクの話ばかりしていた。

出発

050501_0720_00アホの末が便所から戻ってきたところで、バイクの人とお別れをし、玄関から出た。雨は先ほど釣具屋に行った時よりも更に強くなっており、玄関から出て10秒もしないうちにびしょ濡れになった。覚悟は決めていたからどうってことはなかったが、アホの末はびしょ濡れになってますます気持ちが萎えたようだった。

アサヒ健康ランドから延光寺までは距離にして約1㎞。大した坂もなく、ゆっくり走っても3分ほどで着いてしまった。

第39番札所 延光寺

050501_0818延光寺はこれまで納経した寺の中でもどちらかというと、地味で小さい寺であった。しかし、降り続く雨の中、静寂の空間に悠然と佇む、その姿はどこか凛としていて、独特な風情を醸し出していた。

この寺が土佐之国で最後の寺となる。23番薬王寺からの約480㎞にもわたる土佐之国の長い行程もここで終りとなるのだ。これで修行の道場も終りと思うと、幾らかは気も楽になった。

朝早く、おまけにどしゃ降りの雨とあって、境内には私達以外に人はいなかった。雨の日は、リュックの中からものを取り出すのが面倒臭い。リュックのレインカバーを外して、線香やローソク、御札などをを濡らさないように取り出すのは結構骨が折れる作業なのだ。

050501_0840ここでは、納経を済ませた後、前日に書き忘れた日記を書いた。日記を書く20分ぐらいの間は、集中していたため、雨の音が聞こえなかった。ただ、静寂の中で黙々と書いていた。

日記を書き終え、納経所で記帳してから出発しようとする頃には、雨の強さが更に激化し、それこそバケツをひっくり返したような状態になっていた。アホの末は、濡れた寒さからか、顔が真っ青でカタカタ震えていた。それを見て、これは途中でリタイアするかもと思ったが、言葉はかけなかった。今さらどんな言葉をかけたところで体調が良くなるわけもないし、どんな状態でも進まなければならないことはアホの末も重々分かっていると思ったからだ。とりあえず、今は走りながらこいつの容態を見守るしかない、そう思い延光寺を後にした。

ここから次の観自在寺までは約30㎞。アホの末にはすごく厳しい道程になるであろうことは容易に想像がついた。

無情の雨

延光寺を出発しても雨が弱くなる気配はなく、強風も手伝って、大粒の水の塊が容赦なく私達に叩きつけられた。その凄まじさといったらこれまでに経験したことのないものだった。あまりもの大雨のため、手で顔を拭っても間に合わず、前が全く見えない状態がしばらく続いた。途中で、顔を拭うのをやめて下を向いて走らなければならないほどだった。

それでも、前を走っているアホの末は、いつもと比べるとかなりスローペースながらも、走ることをやめようとはしなかった。ここでマウンテンバイクを降りたら、気持ちが折れて完全にアウトになることが分かっていたのだろう。この時は、なるべく長く走ってくれと祈るばかりだった。

1時間半も続けて走ると、右手にコンビニが見えた。前を走っているアホの末はコンビニの明かりに吸い寄せられるように、コンビニに向かって行ったので、私もそれについて行った。

エネルギー補給

050501_1011コンビニに着いた時、アホの末は肩で息をしていた。よほど無理をしたのだろう。その頑張りは、いくらこいつがアホと言えど、認めざるをえなかった。アホの末は、「ここでエネルギー補給をさせてくれ!」と言うと、店内に入って、食物やら栄養ドリンクをしこたま買い込んでいた。私も朝飯がいつもより少なかったので、サンドウイッチやら肉まんやらを購入した。

それらの購入したものを食ってから、しばらく経ってもアホの末は座ったまま動こうとしない。どうやら、大雨で体温が下がりきっていたらしいのだ。その動けない様は、まるで爬虫類を彷彿とさせた。私はデブなので、寒さに強いためこれくらいのことはどうってことなかったが、アホの末は体調不良が原因で、こうなっていることが分かっていたから、しばらくはアホの末につきあってもう少し休憩をすることにした。しかし、コンビニに到着してから30分も経つ頃には、さすがの私も時間が勿体なくなって、じっとして動かないアホの末の尻を叩いて、無理やり走りを再開させたのだった。

踏んだり蹴ったり

アホの末に無理やり走りを再開させたものの、体調が悪いのは変わってないらしく、時おりフラつくので、後ろから見ていてもすごく危なっかしかった。おまけにペースが遅いので、アホの末のマウンテンバイクの後輪と、私の前輪が接触しそうになることもしばしばあった。その度に私はペースを落とさなければならないので、結構大変だった。それでも、どうにか倒れることなく気合いで走っていたのは立派だった。「これだけ根性見せられれば、こいつも何時倒れても悔いはないだろう、ここで散っても、俺が骨は拾ってやるぞ!家族にはお前の散り際をちゃんと知らせてやるからな!」と、アホの末の根性に感心しながら走っていた。

1時間も走ると、アホの末が必死に右手で指差して、私に何かを示そうとした。それは、どうやら看板を見ろとのことだった。そして、私が看板を見ようとした時に事は起きた。

前を走っていたアホの末が、深い水溜りにタイヤをとられ、真横に転倒してしまったのである。しかし、見事にこけはしたものの水溜りがクッションとなって、そんなに大したダメージではないように思われた。が、私の予想に反してアホの末はこけた時の体勢のまま、全く起き上がってこなかったのだ。それを見て最初は大爆笑していた私も、さすがに心配になり、近寄ってアホの末の顔を覗きこんだ。目は視点が定まらず、顔の表情は固まったままで、体もピクリとも動かさず、まるでこいつの周りの時間だけが止まったようだった。

「どうしたんや!ええか!だいじょうぶかよ!」と声をかけると、私の声にやっと反応したようで、ようやくアホの末が口を開いた。「あまりにも咄嗟のことやったし、俺にばっかり不幸なことが続くものやから、ぶつけようのない怒りが込み上げてきたのと、今まで張りつめていた気持ちが折れてしもうたから固まって動けなかった。」と。それを聞いて私は何て愚かな奴だと思った。不意にこけて気持ちが折れてしまうのは仕方がないにしても、自分ばかり不幸なめに遭うからといって、怒りが込み上げるとはどういうことだ!風邪をひくにしても普段からの体調管理と、日頃の行いが悪かったわけだし、こけたのも周りをよく見なかったのと、日頃の行いの悪さが原因だ。前日、四国の姐御から身を隠そうとしてこけたのだって、そんなことする必要がないのにしたことと、日頃の行いの悪さが原因だ。そう、全ては自分が原因なのだ。怒りが込み上がる必要はどこにもない。

未熟な奴ほど、何か不幸なことや嫌なことがあると、他人やモノに責任を転嫁する。原因は自分にあるのにだ。それは私も同じであるが、私はこいつほどあからさまではない。まるで子供のようなアホの末の振る舞いを見ると、一体、こいつは何のために遍路をしているのだろうか?と、疑問に思ってしまう。本当に情けない奴である。

しかし、こいつの愚かさも私にとって役には立っている。こいつの行動の顛末を見ていると、こういうことはしてはいけないとか、人としてこうすべきではないとか、学習できる。私も愚かな人間であるからして、私よりも更に愚かなアホの末の存在は、私にとって反面教師となっているのだ。アホの末をなだめて起き上がらせ、先ほどアホの末が指差していた看板を見ると、(40番観自在寺0.8㎞)と、書いてあった。アホの末がこの看板に気付かなかったら、ここを通り過ぎてしまっただろうということを考えると、アホの末が必死に私にこの看板を私に気付かせようとしてこけたことは、無駄ではなかった。このことと、人間の愚かさを一つ私に教えてくれたことに感謝しつつも、観自在寺までの残り0.8㎞は、起き上がってもなお、グチグチと愚痴り続けるアホの末をなだめながら、マウンテンバイクから押しながら歩いたのだった。

第40番札所 観自在寺

050501_1143観自在寺は愛媛県に入って一番最初の寺である。観自在寺の観自在という名のとおり、観自在菩薩→観世音菩薩(観音様)が本尊かと思いきや、本尊は薬師如来であった。寺の名前からは全く想像できない本尊だったので、驚いたし、では観自在という名の由来はどこから?と、気にもなった。

050501_1203この寺も、街中からそう離れてない場所にあった。個性的な寺の多い八十八ヶ所の中では、ごく普通の寺のように感じた。最初は、あまり見どころのない寺なのかと思ったが、そうではなかった。大師堂の賽銭箱の上に大きな独鈷杵と五鈷杵が置いてあったのだ。密教の儀式で使う本物ではないが、そのレプリカといえど、同じ形のものを目にするのも触るのも初めてで、本物の何倍も大きい独鈷杵と五鈷杵は、迫力があった。側の説明書きには、この独鈷杵をさすると、願いが叶うというようなことが書いてあったので、頭が良くなるように頭を何度も独鈷杵にこすりつけた。これで頭が良くなるかどうかは分からないが、何となく得をした気分になった。

ここで、全てを終えたのは、正午過ぎ。近場で昼飯を食えそうな店もないので、すぐに出発した。次の寺までは、約50㎞ほどの距離である。

尻を叩く

50㎞の移動となると、マウンテンバイクに乗れない遍路道と昼飯の時間のことを考えれば、どんなに早く進んでも最低4時間ぐらいは要してしまう。納経所の閉まる時間である午後17時までに、次の龍光寺とその次の仏木寺まで納経しようと考えていたため、急がざるをえなかった。

相変わらず体調の悪いアホの末の尻を叩いて、可能な限り速く走った。アホの末も私に檄を入れられて、よく頑張って走っていたが、舗装道からそれて山の中の遍路道に入り、マウンテンバイクから降りて、歩かなければならなくなると、ぬかるんだ山道を上る辛さからか進むペースはガクッと落ちたのだった。それでも歩くことを止めなかったので、大体、予想していたぐらいのペースで進んでいた。

歩行者専用トンネル

050501_1302相変わらず雨の止む気配はなかった。遍路道を抜けて走りを再開。冷たい雨に濡れることも、尻の痛みも、もう気にもかけなくなっていた。何が何でもこの日のうちに次の次の寺まで辿り着こうと考えていたから、それどころではなかったのだ。

走りを再開してから20分も走ると、大小の2つ並んだトンネルが現れた。どうやら小さい方が、歩行者専用トンネルであるようだった。迷わずにそっちの方を通ることにした。歩行者専用トンネルとはいっても、中は普通車ぐらいなら余裕ですれ違えるぐらいに広い。おまけに何よりも静かで安全なのが良かった。普通のトンネルの中では、自動車の排気ガスや騒音、自動車に轢かれる危険性があるため、こういう歩行者専用トンネルの存在は有難い。もっと積極的に歩行者専用トンネルを作って欲しいが、金がかかるのと、山奥を自転車や歩きで通行する人は少ないので、需要の問題からも無理かなと思った。

うどん屋

050501_1343トンネルを抜けると、すぐに長い下りになったのだが、また更に雨が強くなったために、前方が非常に見辛かった。しばらく海岸沿いを走った後、また山中へ至る坂を上っている最中に左手にうどん屋を見つけた。ここへくるまでの20㎞ぐらいの間にコンビニも食い物屋もなかったため、そのうどん屋に寄ることにした。

このうどん屋、結構繁盛しているらしく、店内は満席だった。そのため、店の外で20分ばかり待たされるはめになった。また、店内に入って、注文してからも更に15分くらい待たされたため、先を急いでいる私としては、時間が無駄に過ぎていくことにすごく苛立ちを感じてしまった。しかも、こういう急いでいる時に限って注文したのは、うどんの中でも、最も熱くて食いにくいカレーうどんの大盛(しかも餅入り)だったため、非常に食い辛かった。それでも、時間を無駄にはしたくなかったので、舌にやけどをしながらも、無理やり胃の中に流し込んだ。早く食ったから味がよく分からないかと思われるかも知れないが、薄味で上品な味だったことは、早くかきこみながらも容易に分かった。時間があれば、ゆっくり、その味を堪能したかったところだ。ここでは、食う時間も入れて40分以上も時間をロスしてしまったので、食い終わると、アホの末にタバコを吸わせることなく、すぐに出発したのだった。

距離看板

国道56号線は、松山まで続く道路のため、松山まであと○○㎞というように残りの距離が表示された非常に小さい看板が道路脇のポールに添付されており、それが1㎞おきの間隔で出る。それを見ると、現在、自分達がどれくらい進んでいるか一目瞭然で、とても便利なのだが、松山までの距離が、あまりにも長いので、たびたび見ていると嫌気がさしてしまうのだ。この時は、その小さい看板は、たまに見るぐらいにして、宇和島までの距離が表示された、道路にせり出た大きい距離看板を見ていた。この距離看板は2㎞おきぐらいに設置されていた。うどん屋を出発した地点が宇和島まで19㎞ぐらいの地点だったから、この看板を見て、どんどん宇和島に近づいているということを実感すると、ペダルを踏む足にも力が入った。

宇和島市内

うどん屋を出発してから1時間もすると、宇和島市内に突入した。四国では、大都市というだけあって、宇和島市内は人も自動車も多かった。アサヒ健康ランドを発ってから、山の中や人気のない海岸沿いばかり通って来たおかげで、こういう賑やかな場所に来ると、何となくホッ!とした。

ついてない奴

自動車の通りの多い宇和島市内に入ったということで、自動車に気をつけながら走る必要があったが、スピードを緩めることはしなかった。これは、急いでいることと、市内に入ってから道が平坦になって走りやすかったというのが原因だが、このことが原因でアホの末が恐ろしいめに遭ってしまった。

某ホームセンターの駐車場入口前を通り過ぎようとしたところ、左折してきた自動車にあわや巻き込まれそうになったのである。幸いにも急ブレーキをかけて、事なきをえたが、アホの末はバランスを崩して転倒しそうになった。あまりにも腹が立ったのか、アホの末は大声でその自動車に対して怒鳴っていたが、その自動車は何事もなかったかのように行ってしまった。左の安全確認をしないで左折した自動車の運転手が悪いのは勿論だが、自動車が自分達が通り過ぎるまで待ってくれるものと思い込んでいたアホの末もいけなかった。ましてや、スピードを抑えて走っていれば、同じめに遭っても、いくらでも余裕を持って対処できたはずなのだ。アホの末が恐ろしいめに遭ったおかげで、その後の私達は、それでも懲りずに同じスピードで走っていたものの、事故らないように気持ちを引き締めたのだった。

それにしても、アホの末は四国へ来てから踏んだり蹴ったりで、ついてない。何事もない私とは正に対照的だった。やはりこれも、両者の日頃の行いの違いだろうか?

まだか!

私は、41番龍光寺が宇和島市内にあると思い込んでいたため、市内に入ってから、走っても走っても目的地に辿り着かないことに苛立ちを感じ始めていた。途中で、さすがに「おかしい!」と思い、マウンテンバイクから降りて、遍路地図を広げた。遍路地図で、位置を確認すると、龍光寺は宇和島市内にはなかった。現在地点から更に8㎞ほど山に入ったところにあったのである。龍光寺が宇和島市内にあり、もうすぐだと思い込んでいた私は、この事実を知ってガックリした。

しかし、事実がどうあろうと、急いで行くしかなく、すぐにマウンテンバイクに乗って走りを再開した。

もうすぐ!

遍路地図を広げたところから2㎞ほど走ると、さっそく険しい山道が始まった。もう既に市内からは離れているため、周りには山以外に何もない。時刻は午後16時にさしかかろうとしていたため、更に急ぐ必要があった。この時、この何もない山中で、野宿しなければならなくなったらどうしよう!という不安が脳裏をよぎった。時間があれば、次の寺までの道中で適当な寝る場所を見つける余裕があるのだが、もし龍光寺の納経所で記帳できなければ、その近辺で野宿しなければならないし、次の、距離が大して離れてない仏木寺で納経所で記帳ができなかったとしても、それは同じだ。記帳という面倒臭い作業があるので、それをするまでは、その寺を離れて次の寺へは行くことはできないのだ。

しかし、そんな不安を吹き飛ばしてくれるのが、いつもの私の「どうにかなるさ!」という何の根拠もない自信だった。そのことを思い出してから、先ほどまで考えていたネガティブな考えは何処かへ行った。そして、この2つの寺で記帳ができて、野宿するのに適当な場所があることを信じた。ネガティブな考えに支配されては、体が動かなくなる。逆にポジティブな考えに支配されれば、体の動きが軽やかになる。

「どうにかなる。」と、いつもの自分に戻ってからは、走りも一層アグレッシブなものになり、スピードもアップした。自分でも、まだこれだけ走れるのかと、驚いた。そして、この走りのすごさを実感して、自分の中の「どうにかなる。」という思いが、「どうにかする。」に変化していた。

第41番札所 龍光寺

050501_1629龍光寺へは、午後16時半頃に着いた。この頃には、雨が止んでいた。龍光寺は、昔の神仏習合の名残りを残す寺で、境内の奥には社殿へと続く鳥居があった。風情のある寺なので、時間があれば見て回りたかったところだが、そんな時間などないので、それは諦めた。そして、ハイスピードで納経を済ませ、さっさと記帳もした。

あまりに急ぐあまり、この寺での撮影も忘れてしまいそうになるが、そこはぬかりなく撮影しておいた。全て終えた時の時刻は午後16時40分。仏木寺までは約3㎞の距離。急げば十分に間に合う距離だが、途中で道を間違えたり、迷ったりしてもアウトである。急げぇ~とばかりにマウンテンバイクの置いてあるところまで走り、マウンテンバイクにまたがると、一目散に駆け出した。

この寺での滞在時間は10分と、これまでにおいても最短だった。

急げ!

龍光寺を発つと、時速30㎞ぐらいのハイペースで走り続けた。心臓がバクバクしながらもペースを落とすことはなかった。このまま行けば、6~7分で到着できるものと思われたが、やはりそう簡単にはいかなかった。アップダウンのない道ながらも、道を間違えないように交差点では、いちいち止まって仏木寺の方向を確認しながら慎重に進むので、結構時間がかかってしまった。それでも、納経所が閉まるギリギリの午後16時57分に仏木寺に到着。急いで寺の階段を駆け上がり、納経所に駆け込んだのだった。

第42番札所 仏木寺

050501_1722納経所で記帳を済ませると、張り詰めていた緊張の糸が切れて、体の力が抜けた。本当にギリギリだったが、何とかなった。だが、これが不安が脳裏をよぎった時の考えのままでは、こういう結果にはならなかっただろう。あそこで、考えを切り替えたからこそのものであることは間違いなかった。このことで、ますます自分の中の「どうにかなる。」という根拠のない自信を信頼する気になった。「念じて歩けば花開く。」という言葉の意味が少し分かったような気もした。

記帳は済ませたので、納経をするのに急ぐことはなかった。龍光寺で行った時の納経とは打って変わって、気持ちを込めて念入りにお経を唱えた。全て終えたのは午後17時15分頃だった。

この寺の周りにはコンビニも野宿できそうな場所もなかったため、次の寺である43番までの道中にそれらのものがあるかどうかを、境内を掃除していたおじさんに聞いた。おじさんは話好きな人らしく、話かけると、聞いてないこともいろいろと教えてくれた。やはり、この寺の近辺には、それらのものはないらしく、この寺から山を幾つも越えた明石寺のある街まで行かなければならないとのことだった。

明石寺の近くにあるのならば願ったり叶ったりである。距離もこの寺から14㎞と、さほど遠くないことから、そこまで行くことにした。この時、この寺には、私達以外にも40代半ばぐらいの白装束の男性の歩きお遍路さんも来ていたのだが、その振る舞いに驚かされた。行き交う人行き交う人に会釈をして挨拶をしているのだ。それだけなら、ただの礼儀正しい人で終わるのだが、その後に「道中無事でありますように。」とか、「あなたの行く先に幸がありますように。」とか、何か一言付け加えているのだ。まるで牧師さんか神父さんのような感じに思えてならなかった。

また、歩き遍路のくせして最低限の荷物しか持たず、その薄ら汚れた格好と何か悟ったような表情も手伝い、一種異様な雰囲気を発散していた。何の仕事をしているのか興味があったが、さすがに聞けなかった。このおじさんとすれ違った時は、私達も何か言われたが、よく聞いてなかったので、何を言われたかは分からなかった。世の中にはいろいろな人間がいるものだ。

しばし休憩

仏木寺を出たところに自動販売機が設置されている休憩所があったので、自動販売機でコーラを買い、しばし休憩した。よく考えたら、ここへ来るまで、うどん屋に寄った以外に休憩をしてなかったのだ。あとは、山を越えて隣町に行くだけだし、この日のノルマは達成していたので、気持ちにゆとりがあった。この時は、この日の予定を全て終えたつもりでいたので、まだ、もう一つ大仕事が残っていることを想像だにしてなかった。

出発~遍路道

050501_174210分ほどの休憩の後、出発。先に先ほどのおじさんが出発していたらしく、200mほど走ったところで、おじさんを抜いた。その際、会釈をしたのだが、その時もおじさんは何かを言った。しかし、素早く抜きさってしまったこともあり、何を言ったのかは分からなかった。が、何を言ったのかは想像できた。

600mほど進むと、遍路道の看板が現れたので、その看板の指す方向へ入って行った。最初は、舗装された農道らしき道だったが、道のすぐ横にある溜め池の端まで進んだところで、山を登って行く道が現れた。やむなくマウンテンバイクを降り、ここからは歩くことにした。

この遍路道、思ったよりも急傾斜で、しかも足元が雨でぬかるんでいることもあり、とても登りにくいし、おまけに日も暮れかけてきていたので、蚊が周りにプンプンまとわりついて、鬱陶しかった。また、すぐに終わるとタカを括っていたこの遍路道も、思ったよりも長く、山を登りきるまでには約1時間を要してしまった。距離にして3㎞ぐらいだが、連日の疲れの溜まった体には酷だった。

山を登りきると、舗装された道路に出たので、街まではそれを下るだけだった。道を下る時に下界の街を望むと、かなり小さく見えたので、かなり高いところまで登ってきたのだということが分かった。この長い長い下りを6~7㎞も下りきると、おじさんに聞いたとおりの街に着いた。小さいながらもかなり賑やかな街なので、ここなら野宿する場所も確保できると確信したのだった。

ほか弁

050501_1846街に着いたら、まずは腹ごしらえということで、食い物屋を探した。さすがは街中だけあって、たくさんの食い物屋があったのだが、魅力的な店がなかったため、丁度目に入ったほか弁にすることにした。ほか弁は日本全国どこにでもあり、そんなに味が良いというわけでもないが、いつも食いつけているから味も分かるので無難ではあった。

店舗は、山口県にあるものと同じものの、中に入って驚いた。メニューが全く違うのである。弁当の名前が同じものはあるものの、中身は全く違うし、山口県にはないメニューや更にはスパゲティまでもがあったのだ。そして、山口県ならば、メニュー表を見てオーダーするのだが、ここは違った。ガラスケースの中に蝋で作られた見本があり、それを見てオーダーするのである。島根県のほか弁も山口県のものと違っていたが、ここのほか弁ほどの違いではなかった。ほか弁という名前が同じだけで、店は全くの別の店だと感じた。

私は好奇心から、ほか弁の定番であるチキン南蛮とベーコンスパイススパゲッティをオーダーした。だが、どんな味か興味はあったものの、味の期待はしてなかった。

私達が弁当が出来上がるまで待つ間に、地元の人らしきおじさんが店内に入ってきて興味深そうに私達を見るので、「そうだ!」と思い、この近辺に温泉と公園はないか聞いてみた。温泉はないとのことだったが、公園はここから800mぐらい行ったところにあるとのことだった。これで泊まるところはどうかなった!温泉には入れなくても、それだけで十分だった。やはり地元の事は、地元の人に聞くのが一番である。おじさんと話し終えた頃に、弁当が出来上がったので、礼を言って店の外に出た。公園に行ってから飯を食おうかとも考えたが、腹が減りすぎてそれまで待つことが出来ないため、店の裏の駐車場で食うことにした。

ここのほか弁は、容器からして違ったし、中身も違った。それは見本を見て分かっていたが、実物を見ると、想像していたものとは更に違っていた。そして、味は更に更に違っていた。はっきり言って不味い!二度と食いたくないと思った。それはアホの末も同じだった。食い慣れているとか慣れてないとかの問題ではなく、味が山口県のレベルより断然下なのだ。ここの人達が山口県のほか弁を食ったらどう思うだろうか?このほか弁しかないから当然のように食っているが、この味しか知らないここの人達は可愛そうである。しかし、スパゲティの方は結構美味しかったのが唯一の救いだった。

買い物

弁当を食い終わってから、公園に行く前に、近くのホームセンターやスーパーで買い物をしておくことにした。ホームセンターでは、雨で地面が濡れていることから、寝袋が濡れないように下に敷くブルーシートを、スーパーでは夜食と次の日の朝食をしこたま買い込んだ。おかげで、買った物を二人で分けて持っても、荷がかさばり、とても走りにくかった。それでも、歩くのは面倒臭いので、無理してフラつきながらも公園に向かった。

公園

おじさんに聞いたとおりの場所に公園はあった。便所はあるし、しかも有難いことにここには、屋根付きの休憩所まであったのだ。雨はまだ少しではあるがパラパラしているし、天気予報では、この日の晩も雨が降ることになっていたから、これは助かると思った。野宿をする場所で、これ以上の場所はない。これも私が「どうにかなる。」と信じた通り、どうにかなった。これで更にますます私の根拠のない自信に信頼をおくとともに、私の日頃の行いの良さにも感謝するのだった。

休憩所に荷物を置くと、すぐに寝仕度を始めようとしたが、私の歯ブラシとブルーシートを買い忘れたのを気付き、どちらかが買いに行くことにした。お互いに、また走るのは嫌なため、ジャンケンで買いに行く者を決めることにした。ここでも、私の日頃の行いの良さがものをいい、結局アホの末が買いに行くことになった。

アホの末が買いに行っている間に、この日のことを振り返ると、大事なことを見過ごしていたことに気付いた。アホの末の体調が何時からか分からないが、良くなっていたのだ。その事を元気よく公園を飛び出て買いに行ったアホの末の後姿を見て気付いたのだ。そんなことに気付かないとは、私も相当焦っていたに違いない。想像するに、宇和島から龍光寺に至る間ぐらいから徐々に良くなり始めたのではないかと思った。あのハイペースの走りについてきていたし、その後の苛酷な運動にも根をあげることなく喰らいついていた。気力が体調不良に打ち勝ったのだろうか。褒めるところなど全くないアホの末だが、このことだけは褒めてやっても良いだろう。この調子ならもうリタイヤの心配をする必要もないと思った。

とりあえず、アホの末が帰ってくるまでは、荷物を整理したり夜食を食ったりしていた。

寝床作り

050502_0602_03アホの末が戻ってくるまでには、かなりの時間を要した。そして、二人揃ったところで、寝床作りを始めた。いくら、休憩所に屋根がついているとはいえ、雨が強く降れば横から雨が降りこむので、蚊対策の他に雨対策もする必要があった。

まず、蚊帳を張り、その中に寝袋が濡れないようブルーシートを敷き、ブルーシートの余った端の部分を横に折り上げて、蚊帳に括りつけ、横からの雨の降りこみを防いだ。そして荷物は、一番雨が降りこまない休憩所の中央に集めて置いた。これだけやれば、蚊はともかく、少々の雨には対応できるのではないかと思った。が、やはりこの日の午前中のような記録的な大雨が降ったらと思うと、多少の不安はあった。

就寝

寝床ができたところで、洗濯をしたり、頭を洗ったり、歯を磨いたりして寝る準備をした。全てを終えて、寝袋に入っても時刻はまだ午後21時過ぎ。普段ならバリバリに起きている時間だ。私もアホの末もお互いに話すことなく、寝袋の中でジッとしていた。そのうちいびきが聞こえてきたので、アホの末が先に寝入ったことが分かった。アホの末も無理をしたのだから、すぐに寝入るのは当然だった。

私は、目が冴えていたため、しばらくはこの日のことを振り返っていた。一日中雨に打たれて濡れまくっていたのに私は風邪をひかないどころか、体調はいつもと変わらず良かった。おまけに、この日の予定をこなせて、しかもこうやって屋根付きの寝る場所を確保できたのだから、全てが思うとおりに事が運んだといっても良かった。これは、果たして、日頃から体を鍛えていたとか、自分の思いが、念ずる力が強かったということだけが原因だろうか?確かに、それらのものが原因の一部となったことは間違いないが、それだけではない何か見えざる力が働いたような気もした。それが何かは分からないが、こういう行き当たりばったりの旅で、自分の思うように事が運ぶと、そういうものを意識してしまうのである。

今日のことも今までのことも決して偶然ではない。私もアホの末も何かに支えられ、守られているのは間違いないのだ。また、翌日以降の出来事を通して、そのことを更に実感させられるだろうとも思った。この時は、とにかく有難いと、寝入るまで見えざるものに対してひたすら感謝していた。


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