四国八十八ヶ所 自転車遍路(第三弾)

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2005年04月29日() ~ 2005年05月04日()

五日目(2005/ 5/ 3)

あまりの寒さに

050503_0651「ううっ!寒い!」あまりもの寒さに夜中に飛び起きた。久万公園は、さすが標高が高い山中にあるだけあってかなり冷えた。寝袋は、-10℃まで対応できる結構いいやつを使っていたし、こうなることを見据えて、ジャージの上着も着込んで寝ていたのに、それでも寒いとは驚きだった。隣に寝ていたアホの末も、いなくなったと思いきや、休憩所のベンチの上で寝ていた。おそらく、私より早く起きたのだろう。地面のコンクリートの冷たさから逃れるために、ベンチの上に上がったものと思われた。

さて、私も寒さ対策として何をしようか考えた。上に着るものはないので、このまま寝るしかない。だが、それでは、眠ることができないので、横になって海老のように丸まって寝ることを考えた。こうすれば、体温が寝袋の中に保たれて、寝やすくなるに違いない。そう思い、再び寝袋に入って丸くなった。なるほど、横になって丸くなれば、だいぶ違う。それでも、寒いことにかわりはなかったが、どうにか再び眠りに就くことができた。

起床

午前6時に起床。山の中だからか、辺りには霧がたちこめていた。まだ少し寒いが、朝の冷たく清々しい空気が気持ち良かった。気持ち良さのあまり、何度も何度も深呼吸を繰り返した。深呼吸をして酸素を大量に体に取り込むと、脳が活性化するというが、正にその通りで、頭がすごくシャキッ!と冴えたような気がした。

そして、頭が冴えたところで、毎日の恒例の前日の記録にとりかかった。前日は、記録する内容が盛りだくさんで、時間がかかるかと思われたが、頭が冴えていたためか、それで集中力があったからか、思ったよりも早く仕上げることができ、アホの末が起きるまでの時間を朝飯をゆっくり食うなり、公園の周りを散策するなりして有意義に使うことができた。アホの末は、私が公園の散策から帰ってきた頃にようやく起きた。

出発!その前に

050503_0751お互いに出発する準備ができたところで、公園を発とうとおもったが、その前にやるべきことがあった。休憩所の掃除である。私達が、この休憩所に来る前に、来訪者達が置いていったゴミがたくさん散乱していたのだ。私達も、泊まるところに食料を持ち込んではいたが、ゴミは必ず持ち帰ってコンビニかスーパーのゴミ箱に捨てるようにしている。それは、当然のことなのだが、その当然のこともできない輩がいるのだ。

こういうマナーのない奴には心底ムカついてしまう。 目の前に散乱したゴミをそのままにして出発するわけにはかないということで、燃えるものと、燃えないものに分別し、コンビニのビニール袋に入れて休憩所の隅の方に置いておいた。たつ鳥後を濁さずである。

44番 大宝寺

050503_0820_00大宝寺までは、久万公園からわずか1㎞たらずの距離。いくら、起きて間もないとはいえ、体を温める間もない距離であった。久万公園を出発して10分ほどで到着したのだが、こんなに大宝寺まで早くたどりつけたのも前日に頑張ったおかげであった。

大宝寺の周りは樹齢何百年という杉や欅の大木が何十本と茂っている。そのどれもがとてつもなく大きいのだ。大きいものだと、幹の直径が3m、高さが60mぐらいはあるだろうか。大木の林から、山門に至るまでの間、私はずっと上を見上げ続けていた。

050503_0825山門に着くと、山門は山門でこれまたデカかった!。おまけに造りも立派である。こんな山奥によくこんなデカい山門を建てたものだと感心しながらも、すぐに境内に入った。境内に入ると、まずは階段が私達を出迎えてくれた。そんなに長い階段ではないが、階段の角度が急なため、寝起きの体にはこたえる。

050503_0829階段を上り終えると、本堂が現れた。これまで、立派な寺を見慣れた私ではあったが、ここもなかなかのものであった。ただ、立派ではあるが、派手さはなく、素朴な感じのする寺である。決して、大きさや派手さを自己主張することなく、ただ緑の中にたたずむその姿は、どこか凛とした雰囲気を漂わせている。「緑とマッチする寺」、「自然の中に溶け込んだ寺」、本堂を前にして、そんな宣伝文句みたいなことを考えていた。

050503_0901納経を終えて、少しばかり境内を散策。境内にも大木が多いことに驚かされる。特に階段のすぐ横にある欅の大木には興味を魅かれた。いつぞや、故郷の山奥で見つけた欅の大木にも迫るほどの大きさで、最低でも500年以上は生きているように見えた。一番古い杉の大木で、樹齢千年ほど。ここの大木は、我々が普段目にする木々とは桁違いの樹齢である。

この大木達は、いったい何万、何十万というお遍路さんを見守り続けてきたのだろうか?もしかすると私の先祖達にも会ったことがあるのだろうか?千年あれば、自分のやりたいと思うことは殆ど出来るだろうか?などと、つい、思いを巡らせる。人間である私の人生なんて、よく生きてもたかだか80年。この木のように千年も生きられない。これでは、やれることも限られている。だから、今やりたいと思うことを確実にやるしかない!ここの大木を見ていると、改めてそう感じてしまう。

どちらかというと、本堂よりは大木の方が印象に残った大宝寺であったが、また来たいと思った。緑の多い、大木の多い大宝寺。紅葉の時期はさぞかし綺麗なことだろう。

岩屋寺へ

050503_0931私達は、どんどん先へ進まなければならない。ということで、長居するわけにもいかず、やることを終えると、すぐに大宝寺を後にした。次の岩屋寺までは約14㎞の距離。距離だけなら大したことはないが、大宝寺から更に石鎚山に向かって山奥に入っていくようになるため、標高は更に高く、道程は更に険しくなることが予想される。

「この辺の寺はキツいのばっかりやなぁ!」と愚痴をこぼしながらも、進むしかないので、気合いを入れてペダルを踏んだ。とりあえず、久万公園前の県道12号線まで戻り、岩屋寺に向けて、県道12号線をひたすら上ることとなった。

この12号線もかなりの傾斜のある上りである。全力でペダルを踏むので、心拍数は上がるわ、汗が滝のように吹き出るわ、鼻水は出るわで、綺麗な服とも爽やかな自分ともおさらばしなければならなくなった。爽やかな自分のままで、この日を終えたかったのだが、やはりそのようにはいかず、すぐに爽やかな自分でいたいという執着を捨て去ったのだった。

私には、やはり汗臭いのがお似合いなのか、執着を捨て去ってからは、実にのびのびとペダルを踏んでいた。そして、3~4㎞ほど上り続けると、右手に遍路道の看板が現れたというか、不幸にも見つけてしまったので、やむをえず遍路道に入ることにした。

遍路道

050503_0943寺から寺の移動に遍路道はつきものである。と、いうか舗装道も含めて私達が通っているのは全て遍路道である。遍路道でない道を通ることはないし、常に遍路道を通っているのだから、「遍路道に入って行く」という表現は間違っている。ただ、私達は舗装のされてない昔ながらの道のことを、舗装された遍路道と分ける便宜上、遍路道と呼んでいるだけなのだ。だから、ここで私達が入って行った遍路道というのは勿論、舗装されてない昔ながらの道のことである。

この遍路道は、とりあえず下って小川のすぐ側を通って行くようになる。杉などの針葉樹が密集して昼なお暗い遍路道とは違い、広葉樹がまばらに生えて、その隙間から太陽の光が燦燦と差しこむので、明るく開放的な雰囲気のある遍路道であった。

その雰囲気につられて、最初は余裕こいていたのだが、その気持ちもすぐに打ち砕かれることとなった。上り下りを繰り返しながらもどんどん上っていくのである。岩屋寺は大宝寺よりも標高が高いところにあるため、上らなければならないことは分かっていたので、心の準備はできていた。しかし、遍路道での上りは、舗装での上りよりも遥かにきつい。マウンテンバイクを押したり抱えたりして歩いて上らなければならないという体力的なことが、その一番の要因なのだが、舗装されてない歩きにくい道を歩くという精神的なものも要因としてあるのだ。それでも、とにかく黙々と上り続けた。

予告

050503_094810分ほど進んだところに、「八丁坂1.5㎞」という看板が立っていた。この先、八丁坂という坂があると思うと「げえっ!」という気持ちになった。名前がついているからには、それなりの長さと傾斜のある坂であることが予想されたからだ。おまけに遍路道も終わる気配はない。このまま遍路道が岩屋寺まで続いていくのだろうかと、不安にもなった。

やはりなかなか簡単には行かせてくれないかと思ったが、進むしかなかった。いかなる障害があろうとも、それを乗り越えて進まない限りは、目的地に辿り着けないのだから。

八丁坂

050503_0957とりあえずは、遍路道を下って、以前は畑であったであろう開けた場所に出た。ここは上りも緩やかであったため、マウンテンバイクに乗って移動することができた。春であることを感じさせるなかなかの景色ではあるのだが、景色のことに気を奪われている余裕などあるはずもない。この時は、ただ、この先待ち受けている八丁坂のことしか頭になかった。

050503_1008この開けた場所を走ること10分、再び遍路道と書かれた看板とともに、山の中に入って行く遍路道が現れた。どうやらここを上っていけということらしい。そして、この遍路道を上ること10分、「八丁坂」と書かれた看板が見え、そのすぐ右側に八丁坂があった。小さい石がゴロゴロした、かなりの傾斜のある坂で、歩いて上ってもかなりきつかろうことは容易に察することができた。

岩屋寺まで4㎞と書かれているので、4㎞も坂を上り続けなければならないのかと、この時はガックリしたのだが、上ってみると想像と違った。確かに上るには、とてもきつい坂ではあったが、20分も上ると、あっけなく山の頂上に辿り着くことができたのである。距離にして1㎞弱ぐらいであろうか、思ったよりも距離が短かったので、拍子抜けした感もあったが、嬉しい誤算であった。

休憩

050503_1027山の頂上は、周りの山が見渡せて、とても見晴らしが良かったので、ここで休憩することにした。眺めから察するに、自分達はかなりの標高まで上ってきていることが分かった。

それにしても高い場所から見渡す景色は素晴らしい。遥か彼方まで見渡せるので、まるで自分が神にでもなったかのような錯覚をおこす。この山は、たかだか700~800mぐらいの山だが、何千mという高い山に登りたがる人の気持ちも分からないではない気もした。

いつまで眺めていても飽きがきそうにないのだが、ブトに咬まれて痒いのと、時間に余裕がないので、10分ぐらいで、休憩を終え、出発した。

尾根

050503_1043山の頂上からは、下るのかと思いきや、そうではなく、次の山の頂上へと、尾根づたいに進むようになる。こんなのは初めてであった。山の頂上の道は、幅1mほどで、その両側は道づたいに木が生えているものの、谷に向かって伸びている急斜面であった。ちょうど、二等辺三角柱を横に倒したものの頂点を走っているものと想像してもらえば分かり易いかもしれない。

尾根を進むことなんて滅多にないことだから、心も弾んだ。尾根は、ほぼ真っ直ぐの緩やかな傾斜で、マウンテンバイクで走ることも十分可能だったのだが、両横の急斜面のことを考えると、バランスを崩して谷に落ちるのが怖くてとてもそんな気にはならない。それでも、スピードアップのため危ない箇所以外は、極力、マウンテンバイクに乗ることにした。

最初は、恐怖感はあったものの、普段はないシチュエーションでの走りに没頭すると、それが爽快感というものものに変わるから不思議だ。特に前を走る、アホの末は水を得た魚のように楽しそうにはしゃぎながら走っていた。これぐらいのことで、嬉しそうにはしゃいで走るなんて、実に幸せな男である。しかし、後ろから冷静にアホの末のことを観察していた私も、この初めてのシチュエーションが楽しくて楽しくて仕方がなかった。

我にかえったら、また恐怖を感じるかもしれないし、結構キツい道なのだが、楽しいので、しばらくは続いて欲しいと願った。

境内

050503_1045そんな楽しい尾根での走りもわずか10分ばかりで終わることとなった。尾根が終わると、あとはひたすら下るだけ。15分も下ると、ゴツゴツとした大岩や、大木が多くなり、雰囲気も今までとはガラリと変わった。どうやら既に岩屋寺の境内に入ったものと思われた。そして、岩屋寺の本堂の1㎞手前まで下ると、目の前に高さが60~70mはあろうかという垂直に切立った巨岩と、樹齢千年は超えているであろう巨木が何本か現れた。

050503_1104_00巨岩と巨木の組み合わせは、見る者を圧倒するド迫力である。二人とも、しばらく上を見上げたまま固まってしまったほどであった。巨岩の前には祠があり、岩をくりぬいた祠の奥には、身長が6~7mはあろうかという赤い不動明王像が祀られていた。この巨岩と巨木が織りなす素晴らしい画を写真に収めてやろうと思ったが、近くで写真を撮ると、全体が入らない、あまり離れ過ぎるとその大きさが伝わらないし、迫力もなくなるので、難しいところだった。結局は、部分的に写真を何枚か撮ることにしたのだが、写真では見たままを伝えることはできないということを実感したのだった。

せり割り禅定

050503_1106写真撮影を終えたので、その場を立ち去ろうと思った時に、祠の横に巨岩を登るための入口があることに気付いた。高所恐怖症の私だが、巨岩に登ることには好奇心をそそられる。登るのは怖いけど、巨岩の頂上がどうなっているのかが気になって、思い切って登ってみることにした。

入口は、2つの巨岩に挟まれており、巨岩に挟まれた道をとりあえずは20mほど進む。その道の突き当たりに上に登るロープと鎖が垂れていた。私達の前に先客の人が4~5人ほどおり、その人達がとりあえず、巨岩の中腹に登るのを見届けてから、私達も登りだした。

050503_1111まずは、アホの末が行く。中腹までは、20mほどの高さを登るようになる。垂直に切立った岩ではないが、傾斜はかなりきつく、足を踏み外そうものなら、大けが以上は確定である。アホの末は慎重に慎重に歩を進め、どうにか無事登りきった。そして、いよいよ私の番である。実は、私は高いところがあまり好きではない。小さい頃よく、高いところから落ちていたのが原因でそうなったのだと思うが、それが大人になっても克服されてないのだ。なるべくは登りたくなかった。しかし、ここまで来て登らないのは勿体ないし、アホの末が登れて私が登れないのは、非常に癪でもあるので、思い切って、ロープの方に手をかけ、登ることにした。

050503_1112いくら高いところが好きでないとはいえ、登りだせば、するする登れる。だが、調子に乗って速く登っているうちに、片足を滑らしてしまった。幸い、しっかりロープを握っていたので、事なきをえたが、落ちていたらただでは済まなかった。体勢を立て直し、残りを登りきると、巨岩の中腹に到達した。そこは、人間が10人ぐらい入れば窮屈になるぐらいの狭いスペースだった。そこからは、遠くまで見渡せるほど景色が良かったが、そこは垂直に切立った巨岩の表側だったので、下を見ると、足がすくんだ。

050503_1113そして、更にそこから上へと、垂直に伸びる20mほどの巨大な階段があり、そこを登って、ようやく巨岩の頂上へ辿り着くらしいのだ。さすがに私は、もう登りたくはなかった。もうここまで登ればいいだろうと!しかし、アホの末は登ると言う。こいつがこう言うのなら、私も登らないわけにはいかない。恐いのを我慢して、アホの末について登ることにした。

階段は、垂直に頂上まで伸びているので、中腹まで岩を登ってきたのとは恐怖の度合が違う。後ろを振り向こうものなら、足がすくんで踏み外しそうになってしまう。後ろを振り向かないよう振り向かないよう心がけて登ったのだが、あと3段ぐらいで頂上という時に、恐怖心より好奇心が勝り、思わず後ろを振り返ってしまった。巨岩の中腹でも足がすくんだのに、そこから更に20m近く登ってきているところだから、その恐怖の度合は、先ほどの比ではなかった。足がすくむどころか、体がガチガチに硬直して、階段にしがみついたまま、何秒か動けなかった。

しばらくすると、硬直から解放されたので、どうにか残り3段を登りきることができたが、好奇心とはいえ、後ろを振り返ったことを強く後悔した。あの時、硬直が解けなかったら、一体どうなっていたのだろうか?

眺め

050503_1118そこは、直径3mぐらいの巨岩の先端で、ここまでどうやって運んだのだろうか、石の小さい祠が祀ってあった。登りきった当初、高いところが好きでない私は、恐さのあまり落ち着きがなかったが、それもここからの眺めの素晴らしさで、すぐに落ち着きのなさも解消されてしまった。それほどまでにここからの眺めは素晴らしかった。

しばらくは、高所ゆえの眺めの良さを楽しんでいたが、そろそろ戻ろうかという頃になると、現実に引き戻されてしまう。登るのも恐いが、降りるのも恐い。眺めを楽しんだ代償として、最初の上り口に戻るまでは、またしばらく恐怖を味あわなければならなかった。

道草

どうにか無事に巨岩を降りて、もと来た入口まで戻ると、岩屋寺まで急ぐことにした。ちょっと道草に時間をかけ過ぎたからだ。しかし、この原始の自然がそのまま残っている岩屋寺の境内は魅力的過ぎた。急ぐという気はあっても、ついつい大木に、山肌からの剥き出しの何ともいえぬ味のある巨岩に心を奪われて足が止まってしまう。大木と巨岩と苔の織りなす絶妙のハーモニー。原始の森は見どころがいっぱいだ。

そして、あと100mも下れば、岩屋寺というところに瞑想や坐禅をするのにうってつけの苔の絨毯が敷き詰められたナイスな場所を見つけたので、覚えたばかりの坐禅をしてみようと、苔の絨毯の上に坐って静かに目を閉じた。大きく深呼吸をして、心を解放し、ただ静かに耳をすます。森に住まう動植物の息吹が聞こえてくるような、何か大きいものに包まれているような気がした。わずか1~2分のことであったが、坐禅をしたおかげで気分はすごく良かった。

私達の旅は、サラリーマンであるが故の、急ぐ旅である。おかげで、いろいろなことを見落としがちになる。だから、たまには、このように道草をくって、景色やその場所の雰囲気を楽しむことも大切なのだ。

第45番 岩屋寺

050503_1151大宝寺を出発すること3時間。ようやく岩屋寺に到着した。岩屋寺は、その名のとおり、背後に山肌から剥き出しになった巨大な岩に包まれるようにして建っている。本殿の背後が大岩という、今までになかった独特のシチュエーションである。標高の高い山の中に建てられているだけあって、ここからの景色は素晴らしいものであった。

それにしても、ここの自然が原始の姿を留めているのも素晴らしいと思ったが、この殆ど自然に手をかけず、自然の中に溶け込むように作られた岩屋寺の本殿及び境内も素晴らしいと思った。よく寺や神社などが観光地化すると、必要以上に周りの自然に手をかけ過ぎて、自然本来の趣きを損なってしまう例がよく見かけられるが、ここは違った。自然の趣きを損なうことなく、人間が作った建物などの人工物と自然をマッチさせているのである。見事だと思った。

050503_1157本殿を正面に見ると、右手には、岩穴があり、階段でそこに登れるので、やはり好奇心から先ほどと同じく登ってみることにした。階段の高さは12~13mほどで、すぐに登れはしたのだが、登っている最中は恐かった。高い場所から更に高い場所で、臨む景色が素晴らしくないわけがなく、しばらくは手摺りにもたれて絶景に見とれていた。

050503_1153先ほどのせり割り禅定といい、この岩穴といい、岩屋寺の境内には修行に使われたとおぼしきポイントがたくさんあると思ったら気付いた。そう、ここは修験道や密教の修行の場だったのだ。この岩穴は、おそらく瞑想をする場所だったものと思われた。「こんな眺めの良い場所ならさぞかし集中して瞑想できたことだろう、いや、目をつぶるから関係ないか。」などといろいろと思いを巡らせながらも、そろそろ納経をしなければと思い、10分ばかりで岩穴から降りた。

本堂、大師堂でいつもの心のこもってない高速般若心経及び、各種お経を唱えて納経を終え、納経所へ行く途中で、一人の坊さんと会った。新潟県から来た普段は会社員をしているらしいこの坊さんとは、実は先ほどのせり割り禅定からここへ下る途中にも会っていた。会社員をしているのに坊さんとは、実家が寺なのかなとも思ったが、詳しいことは聞かなかった。大変礼儀正しく、人間も良く出来た人のように思えたが、坊さんに似つかわしくない眼光の鋭さと、物事に動じないやけに落ち着きのある態度が気になってならなかった。「本当にこいつ坊主か?本当は何やっている人なんだろうか?」と思ったが、そんなことは聞けるわけもなかった。まあ、この人が本当はどんな人であろうと私には関係のないこと、世の中にはいろいろな人がいるものだと思うだけだった。

050503_1231納経を終えて、いよいよ次の寺へ出発だと思いきや、まずは寺の表口まで延々と続く階段を降りていかなければならない。私達は、遍路道を通って寺の裏口から境内に入ったため、今度は寺の表口から出るようになるのだ。

050503_1233_01表口まではすぐだと思いきや、これが結構、距離が長いのだ。しかも階段だから自転車を抱えて降りなければならず、かなり体力を消耗してしまう。途中、登ってくる人に「兄ちゃん達すごいねえ!」と言われることは何度もあったが、その呼びかけにいちいち笑顔で対応する余裕はなく、軽く会釈をするだけだった。

050503_1233しかし、体力を消耗しながら階段を降りながらも、私は周りの景色だけはしっかり目に焼き付けていた。表口までの景色も、裏口までに至る景色に負けず劣らず素晴らしかった。木々の緑が、石の白さが、花々の赤や紫が、空の青が、それらの原色が織りなす景色の美しさは、どんな言葉でも表現することはできない。この美しさは心に直接響く。おまけに、道脇に何百体と並んだお地蔵さんにも圧倒された。

肉体的にも精神的にもキツい思いをしながらも、私達は何かを得ている。何か素晴らしいものを見ている。そう思うと、階段の降り過ぎで、ガクガクになっていた膝にも力が入った。結局、表口まで降りるのは15分ほどかかったが、心が満たされていたので、疲労はありながらも、それを感じることはなかった。5月という今の時期も良いが、紅葉の季節である晩秋にもこの寺を訪れてみたいと思うだけの大変魅力のある寺だった。

いざ!浄瑠璃寺へ

050503_1244浄瑠璃寺までは、とりあえず岩屋寺の途中まで上ってきた県道12号線と合流する国道33号線まで戻らなければならない。つまり、来た道を戻るわけだ。行きは途中から遍路道に入ったが、帰りはさすがに同じ遍路道を通って戻る気にはなれなかったので、ずっと県道12号線を通って戻ることにした。遍路道を通るにしろ、また途中で12号線に合流するようになるのだが、あの遍路道をまた戻るのは嫌だし、遠回りになるにしろ、景色が違った方が気分的にも楽なので、そうすることにしたのだ。浄瑠璃寺までは、約33㎞。大した距離ではないが、これから先どういう難関難所が待ち受けているかは分からない。気合いだけは抜かないよう気をつけることにした。

腹の虫

050503_1251岩屋寺を出てからはひたすら上るようになる。岩屋寺まで来るのにも、ひたすら上ってきたのに何故?と釈然としない気持ちになるが、目の前に上り坂があるのだから、上るしかない。そんなに勾配がキツい上りではないものの、やはり上りは体力を消耗する。だが、文句も言わずにとにかく黙々と上り続けた。

暗い山中の遍路道と違い、明るく開けた道を走るのは気持ちの良いものだ。道路下に流れる渓流や紫色に咲き乱れる藤の花の美しさに、時おり心を奪われながらも走ることに集中する。しかし、その集中も途切れる時がきた。腹の虫が鳴ったのだ。

朝飯を早くに食ってから、ここまで6時間以上も何も食わないで、過酷な運動を続けていたのだから、それも無理はない。どこか飯を食うところはないかと探したのだが、ここは山奥深いところであるため、すぐに飯を食える店が見つかる可能性は低い。「これは、国道33号線に合流するまでは無理かな。」と思ったが、そこは持ち前の根拠のないプラス思考で、「どこか適当なところに飯屋があるさ。」と、考えをすぐに切り替えた。

050503_1329_01そうやって信じて走ること30分。すぐに見つかったとは言い難いが、とりあえずは食事のできるホテルを見つけることができた。さっそくホテルに入ってオーダーをし、オーダーしたものが出てくるのを待っていると、岩屋寺で出会った只者ではない坊さんが入ってきた。この食堂には肉系のものしかメニューに置いてないのに、ここへ来るとは、どうやらこの坊さんは肉食妻帯をする坊さんらしかった。

肉食妻帯が禁じられていたのは、明治以前のこと。今では坊さんだろうが、一般の人と同じように普通に生活しているとはいえ、私の中に坊さんに対する先入観があったのだろう、坊さんが肉を食うことに違和感を感じてしまった。まあ、それもどうでもいいこととして、坊さんとまた会ったものだから、「本当にこいつは坊さんか?」という疑念が復活してしまった。悪い意味じゃない。あの凛とした佇まいは、只者じゃないぞと思ったからだ。ただ、幾ら疑わしく思ったところで、真偽のほどを確かめようはなく、疑うだけ時間の無駄なので、この坊さんのことを考えるのはやめにすることにした。

その代わりに、食堂の窓から見える山の断崖絶壁になった部分を見て、アホの末に「あの断崖絶壁を素手で命綱もなしに登ったら1億円やると言ったら登るか?」とか、「幾ら払ったら、あの断崖絶壁の頂上から飛び降りるか?」などと、とうてい30過ぎた、ものの分別のつく大人が口に出すようでないことを話して楽しんでいた。周りの人がこの話を聞いたら、眉をひそめることだろう。そうやって待つこと20分。ようやくオーダーしたものが目の前に並んだ。味は良くなかったが、腹はどうにか満たされた。

そして遍路道

050503_1349飯を食ってからゆっくりしたいところだったが、この日の午後5時までに浄瑠璃寺に辿り着いて納経をしたいと考えていたので、飯をたらふく食ってタポタポになった腹のまま出発することにした。走り出しは、体が思うように動かないが、それも20分も走れば慣れる。いつ終わるともしれない延々と続く緩やかな坂をとにかく上り続けた。

050503_141040分も走った頃だろうか、アホの末が右手に見つけなくてもよいものを見つけた。遍路道の看板である。大した遍路道ではないだろうと思って、遍路道に入ったが、それは大間違いだった。とにかく、どんどん上っていくのだ。しかも、上る傾斜が結構険しく、昼飯を食ったばかりで、休みたがっている体には酷だった。

しかし、こういう時こそ、考え方を切り替える。「美しい自然の中、思いっきり体を動かせることができて有難い。」そのように考えると、今この瞬間の一秒一秒がとても貴重な時間に感じることができた。遍路も今回で3回目、私は幾多の困難を克服して、考えや気持ちの切り替えが容易にできるようになっていた。

この遍路道は約40分ほどで抜けることができた。距離にすれば2㎞ほどしかなかったが、山道で自転車を抱えての移動は毎度ながら辛いものだった。

休憩

遍路道を抜けて少し走ると、この日のスタート地点である久万公園に到着した。この時、時刻は午後15時。午前8時に久万公園を出発しているから、ここに戻ってくるまでに7時間を要したことになる。長い道程であったと、しみじみ感慨に耽ったが、ここが本日のゴールではない、まだ次があるのだ。46番浄瑠璃寺をこの日の最終目的地としていたため、ここで腰を落ち着けるわけにもいかなかった。

とりあえず、県道12号線が国道33号線と合流するところまで下り、合流したところの角にあるコンビニで作戦会議を兼ねて休憩をすることにした。県道と国道の合流地点であるコンビニから46番浄瑠璃寺までは、約19㎞の距離。まだ2時間近く時間があるから、途中で山道の遍路道さえなければ、十分に到着できる距離であった。

が、へんろ地図を見ると、浄瑠璃寺までの途中には、しっかりと遍路道が書き込まれていた。しかも、かなりの長さで。これがどんな遍路道かは、へんろ地図からは分からないし、山中の遍路道であった場合、時間内に到着できない可能性もあるが、行くと決めた以上は、時間内に到着できるつもりで行かなければならない。「大丈夫!絶対に納経所が閉まる時間までに到着できる。」そう自分に言い聞かせて、休憩もそこそこに浄瑠璃寺に向けて出発した。

上る上る

050503_1545浄瑠璃寺へ向けて走りを再開。しかし、岩屋寺に行って戻るまでにかなり体力を消耗し、また筋肉疲労も起こしていたため、ペースが上がらない。しかも、緩やかながらもどんどん上っていくので、ペースが落ちているのが分かる。それでも、走らなければ、到着することができないので、必死こいてペダルをこぐ。いつ終わるか、いつ終わるか、そればかり考えながら走っていたが、この緩やかな上りは一向に終わる気配がない。

2㎞を超え、3㎞を超え、4㎞を超えた地点で、マウンテンバイクから降りた。さすがに上り続けるのがしんどかったからだ。久万町の街中からは、岩屋寺へ行くのも上り、方向の違う浄瑠璃寺へ行くのも上り。この時、久万町の街は、山々に囲まれた盆地の中にあるのだということを悟った。ならば、盆地を囲む山々の一番高いところまで上りきってしまえば、あとは下るだけというように前向きに考えるようにしたので、少しは気が楽になった。

頂上

050503_1555しばらく歩いて足が休まったところでマウンテンバイクにまたがって走りを再開。ゆっくりながらも、確実に上っていく。上りきってしまえば、あとは楽しい下りが待っていると思うと、先ほどまでと違って、そんなに上るのも苦にならない。それどころか、青空にたなびく飛行機雲に見とれる余裕さえあるから不思議だ。苦しいと思えば苦しい。しかし、そんなことを気にかけなければ、どうってことない。全ては気持ちの持ち方次第である。とりあえず、苦しいという気持ちから解放されたおかげで、5月の清々しい空気を肌で感じる、周りの景色を楽しむことができた。

050503_1617そんな感じで、走りを再開してから20分ほどで、頂上らしき場所に到着することができた。気持ちが切り替わってから、苦もなく上ってきたが、さすがにマウンテンバイクを降りると気持ちが切れたので、ドっと疲れが出て、アホの末と仲良く地面に寝転がった。

アホの末のマウンテンバイクの距離メーターを見ると、何と!先ほど休憩したコンビニから8㎞近くも上ってきていた。こんなに連続して長く続く上りは、37番岩本寺へ行く途中で心をへし折られた七子峠以来である。七子峠は、殆ど歩いて上ったが、この盆地からの上りは、途中少し歩いたぐらいで殆どマウンテンバイクに乗って上りきることができた。体力的にはあの頃と殆ど変わってないのに、この違いは何故か?要するに、考え方の違いである。あの時は、夜で周りが暗かったというのも影響しているかもしれないが、「何時になったら、終わるんだ?」というように絶望的な考え方をしていた。だが、今回は、「上りきれば、あとは下り。」というように前向きな考え方に途中から切り替えることができたことが、各々の結果に影響しているのである。

やはり、体を動かすのは心や精神である。その心や精神が良い働きができるように考え方にも気をつかうべきだと、この結果を見て改めて感じたのだった。

またまた遍路道

050503_1622道路に掲げられた看板を見ると、松山までかなり近づいていたことが分かった。今回の遍路の最終目的地を松山にしていたため、旅ももうすぐ終りなのだということも分かり、少し寂しくなった。しかし、今はそんな感傷に浸っている暇はない。目の前のことをやらなければならないのだ。休憩もそこそこに切り上げ、進行を再開することにした。マウンテンバイクにまたがると、私達が休憩していた場所のすぐ側にお馴染みの遍路道の看板を発見!舗装道をそのまま松山方面に下った方が遥かに楽なのは間違いなかったが、これが目についたら有無をいわさず遍路道に入らなければならない。もう体力的には底をつきかけていたが、意を決して遍路道に入って行った。

下る下る!

050503_1622_00これまで、ずっと上ってきたものだから、遍路道は下るようになる。下るだけだから、楽かと思いきや、これがとんでもなく傾斜が急な下りであったり、大きい石がゴロゴロ転がっているような悪路であったりして、ずっとマウンテンバイクに乗ったまま下るわけにはいかなかった。また、歩いて下るにしても、滑ったり転ばないように神経を尖らせたり、マウンテンバイクを抱えて岩場を下ったりするなどして、精神的にも肉体的にもかなり擦り切れてしまった。

せっかくここまで辛いのを我慢して上ってきたのに、下りでも辛い思いをしなければならないのは面白くなかったが、この時は目的地である浄瑠璃寺へどうにか時間内に辿り着くことに必死だったため、そんなに気にしている暇はなかった。いつまでも続く苦しみはない。苦しみのトンネルもいつかは抜けることができるの言葉どおり、この苦しみも終わる時がきた。時間にして30分ばかり、ようやく山中の悪路の遍路道を抜け、お日様の射す明るい場所に出ることができた。

田園風景

050503_1651暗い山中を抜け出ると、そこは山間に田んぼや畑が広がるのどかな田園地帯だった。時刻は午後16時50分ごろ、それは昼間と夕方の間の時間帯。昼間ほど明るくなく、かといって夕方ほども暗くもない。もうじき夕方を迎えるためか、時間が止まったような感じさえうける静まり返った時間帯である。普段は、こんなことなど気にかけることはないのだが、豊かな自然の中に身を置いていると、何となく肌で五感で、そういうものを敏感に感じとってしまうのである。

050503_1652目的地である浄瑠璃寺の納経所が閉まるまで、もうあと10分しかないのだが、気は急いてなく、どちらかというとゆったりしていた。それは、悪路の遍路道から解放され、浄瑠璃寺までもうすぐというのが分かっていたということよりも、周りの景色が素晴らしかったということの方が大きかった。陽が傾き、陽射しがやわらかになった中、土と新緑の匂いを浴びながらひたすら下る。何度もその心地よさに自分は、今、夢の中にいるのではないかとの錯覚さえ受ける。今まで、苦しみの中にあったものだから、そのギャップで尚更そう感じるのかもしれない。けれども、そう感じるだけの心癒される状況であったことは紛れもない事実だ。時おり、道端に咲く花に心奪われながらも、午後17時を少しばかり過ぎて、ようやく目的地である第46番浄瑠璃寺に到着した。

第46番 浄瑠璃寺

050503_1719急げぇ~!とっくに午後17時を過ぎているので、まずは納経所へ急いだ。もしかしたら、もう閉まっているかもしれないが、もし閉まっていたら、土下座してでもお願いして記帳してもらおうと考えていた。だが、そうはならなかった。私の日頃の行いが良いからか、納経所は開いていたのである。しかも、この日は人が多いからか、まだ記帳を待っている人もいた。ホッ!と胸を撫で下ろし、納経所の横に置いてある接待用の麦茶の入ったポットから、麦茶をコップについで飲んだ。「今日もどうにかなった!」と、自分の思う力の強さを確認し、ここまで無事辿り付けたことを神仏に感謝した。

050503_1718納経所で、記帳を終えてから、本堂、大師堂へ行き、いつもの納経を済ませた。この浄瑠璃寺は、小さく派手さはないながらも、本堂や大師堂などの建物が緑の中によく溶け込んでおり、落ち着いた感じのする寺である。大師堂の中には、空海の幼少の頃の真魚様が祀ってあり、その手を合わせて何かに祈る様は、神仏には疎い私にもグッとくるものがあった。

「そんなに精巧な造りではないけれど、造り手の気持ちがこっちにもよう伝わってくるなあ。」と、その造り手の思いのこもった真魚様にしきりと感心するのだった。人間の作ったものには、彫刻であろうと、絵画、音楽であろうと、文章であろうと、魂が宿るというが、真魚様はその良い典型だった。魂がこもるのは、こういうプロが作ったものだけにではない。私達のような素人の作ったものの中にも魂はこもる。要は、上手か下手かではなく、心をこめて作ったか、気持ちをこめて作ったかどうかなのである。字や文章は下手でも気持ちをこめて書いた手紙、美味しく食べてもらおうと作った手料理、心から書きたいと思って書いた絵など、心をこめたものには魂が宿る。そして、それらのものに触れる度に感動するのだ。

私も、自分の創作するものに心をこめたいと思った。上手下手はともかく、心の入らないものは作りたくないと、考えを改めた。真魚様は、考えを改める良いきっかけとなった。

050503_1720全てを終え、浄瑠璃寺をあとにしようとする前に、納経所にもう一度戻って、この近くに公園はないかと聞いたところ、すぐ近くにあるとのことだったので、この日の宿泊場所は、その公園にすることにした。何たるラッキー!物事が思うように運ぶ。これも私の日頃の行いか、思いの力かと思ったが、ここまでうまく事が運ぶと、自分のお陰だけとは思えなくなる。神仏のお陰か、ご先祖様のお陰か、それとも私達の無事を祈ってくれている家族や友人、知人のお陰か。誰のお陰かは分からないが、無性に「お陰さまで、今日も無事過ごすことができました。」と、感謝の気持ちを持たずにはいられなかった。そして、勿論、親切に公園の位置を教えてくださった、納経所の人にも感謝しつつ、浄瑠璃寺を後にした。

公園

教えていただいた公園は、浄瑠璃寺から目と鼻の先にあった。便所も屋根のついた東屋もあり、野宿するにはうってつけの場所だった。今日はここで寝ようと思った。しかし、ベンチに座って何気なく、へんろ地図を開いたところ、ここから1㎞もないところに第47番八坂があることが発覚。しかも、八坂寺には通夜堂があることも分かった。予約もしてないし、おまけに時間も遅いから、もう通夜堂は満員でそこには泊まれないと思ったが、久々に布団で寝たいと思ったので、ダメもとで行ってみることにした。

第47番 八坂寺

050503_1806八坂寺には、公園から5分ほどで到着した。ここは、先ほどの浄瑠璃寺とは違い、本堂も大師堂も大きく立派な寺であった。八坂寺に到着した時は、既に午後17時半を過ぎており、記帳ができる時間ではなかったが、とりあえずは、通夜堂に泊まらせてもらうために寺の人と会う必要があったので、納経所に行った。

納経所には誰もいなかったので、呼び鈴を押すと、奥から歳は私達より少し上ぐらいの若い坊さんが出てきた。今日、通夜堂に泊まれるかどうか聞くと、泊まれると言う。しかも、私達以外に誰も泊まる人はいないそうである。泊まれることは嬉しかったが、せめて一人、二人でも他のお遍路さんがいた方が交流もできて良かったのにと、少し残念に思った。しかし、泊まれることは紛れもなくラッキーである。また更に「お陰様で!」という気持ちを私達を支えてくれている存在に対して持つのだった。

通夜堂に泊まるには、身分証明書として、免許証か保険証の写しがいるというので、お互いの免許証を提示した。寺も変な人や犯罪者を泊めたくないから、こういうことをするのは理解できるのだが、あまり面白くはない。これも、こういうことをしなければならないほど、物騒な世の中になったということなのだろう。

050503_1813私達が免許証のコピーをとってもらう間に、一組の老夫婦が、「時間を過ぎていてすいませんが、記帳をしていただけませんか?」と言って駆け込んできた。そう言われて、若い坊さんは、「いいですよ。どうぞ、どうぞ。」と言って嫌な素振りを一つもせずに記帳に応じていた。今からでも記帳してもらえると知り、私達も、「それならば、私達のもいいですかぁ。」なんて、それに便乗してちゃっかり記帳してもらった。時間内ギリギリに駆け込むと、嫌な顔する納経所も今までにあったので、この若い坊さんの対応は、すごく親切に思えた。

免許証のコピーをとって、宿泊人名簿みたいなのに記帳すると、通夜堂に通された。通夜堂は、寺の境内のすぐ側の駐車場の中にあった。プレハブで、6畳間と4畳間の二部屋があり、4畳間の方には小さいながらもキッチンがあった。寝るには十分な施設である。大人なら6~7人は寝られそうなスペースに私とアホの末の2人だけで寝るのは贅沢過ぎるぐらいだった。畳に寝転がってゆっくりしたいところだったが、記帳をしてもらったのに、納経がまだだったので、通夜堂に通してくれた坊さんに礼を言い、境内に向かった。

050503_1802本堂でまず納経をしようと思ったが、本堂の横にあるトンネルの中の地獄絵図に興味を魅かれ、つい、見入ってしまった。地獄で苦しむ亡者をお地蔵様が救うというもので、なかなかよく描かれていた。私達が、納経を終え、境内を散策していると、1人のおっさんがサイクリング自転車に乗って境内に入ってきた。このおっさんは、確か何番か前の寺でも見た記憶があった。おそらく、自転車で舗装道を通ってお遍路しているものだろうと思われる、なかなかいい体格をしたおっさんだ。

おっさんは、納経を済ませた後、この寺の住職と思われる坊さんと、境内のベンチに座ってしきりに何か悩み事のようなことを話していた。私達は、その様子を離れた場所から見ていた。おっさんは、しきりに坊さんにこれはどういうことですか?どうしたらいいのですか?という具合に坊さんに問いかける。坊さんも面倒くさがらずに、その一つ一つの質問に丁寧に答える。そんな様子が30分も続いただろうか。おっさんは、納得した様子で、坊さんに礼をして去って行った。

おっさんの歳は、40代半ばぐらいといったところだろうか?どんな悩み事があるかは分からないが、このぐらいの歳ならば、家庭のこととか、仕事のこととか、いろいろなことが考えられる。私も、そのぐらいの歳になったら、悩み事の一つや二つくらいあるかもしれない。今は、悩み事というか、気にかかることぐらいしかないが、人生の荒波を越えていくのは大変なんだな、生きていく上ではいろいろあるんだなと、人生の先輩であるおっさんを見ていて実感してしまった。

時刻を見ると、もう既に午後18時半をまわっており、日も暮れてきたので、もう一度納経所に戻り、温泉の場所を聞いて、そこへ行くことにした。泊まる場所があったばかりか、温泉にも入れるときて、また更に「お陰様で」を感じたのだった。

温泉

温泉までは、八坂寺から4㎞ほど離れている。少し遠いような気もするが、汗と疲れをスッキリ落としてから寝たいので、これくらいの距離は苦にならない。帰りだけは汗をかかないように気をつければいいだけのことだ。

ゆっくり走ること15分。教えていただいた温泉に到着できた。予想していたよりもかなり大きな温泉で、温泉というよりも健康センターのような感じで、その中には飯屋も何件かあったので、ここで温泉に入ったついでに食っていくことにした。

ゴールデンウィークの真っ只中というだけあって、風呂場は人でごったがえしていた。元来、人の多い場所の嫌いな私は、最低限のことだけやってさっさと風呂場から上がった。それでも、体の汚れを落とすという、一番大きい目的は達成できたので、満足だった。風呂から上がると、次は飯ということで、ショッピングセンターの中にあるような店が壁で囲まれてない、フロアーに椅子とテーブルが置かれただけで、注文したものをセルフで持ってきて食べるだけの店で食べることにした。

こういう素っ気ない店だから、味の期待は全くしておらず、腹の中に入ればいいぐらいにしか思ってなかったが、いざ食ってみると、思ったとおり美味くはないが、予想ほど不味くはなかったので、少し得した気になった。

とりあえず、風呂と飯という二つの目的は果たせたので、二人とも満足気に温泉を後にした。帰る途中、コンビニに寄って夜食と朝食を確保、汗をかかないように行きの倍もの時間をかけて通夜堂まで戻った。

再会

050503_2117_00通夜堂に戻り、ドアを開けて中に入ると、入口のすぐ右側の壁に大きく寄せ書きが書いてあるのに気付いた。ここに泊まった人達が書いたのだろう。いろいろなことが書いてあるが、殆どのものが落書きまがいのもので、感心するものはあまりなかった。そういう中にあって、私の目を惹いたのが、「有難い」という落書きで、短い言葉の中にも素直に感謝の思いが込められていると感じた。それを見て、書いたのは誰かと思い、名前を見ると、何とそれは栄タクシーで一緒に泊まったあの真言宗の若い僧であったのだ。

日付も見ると、H16.5.24となっている。私達と一緒に栄タクシーに泊まったのが平成16年5月4日、最後に第18番恩山寺で別れたのが、翌日の平成16年5月5日であるから、寺にして29寺、距離にして800㎞近くを20日で移動してきたことになる。一日に計算すると、40㎞ほど進んでいる。それもずっと遍路道を歩いてである。歩くのが速い人では、一日に40㎞以上進む人はざらにいるが、遍路道を歩いてでの40㎞の移動はとんでもない速さである。確かに、当時、私達が遍路道をマウンテンバイクを押して歩いていると、どんどん距離が引き離されていたから、それも頷けるのだが、それにしてもすごいと思った。

以前、別れた時に、彼とはいつかどこかで再会するような気がしていたが、これがこういう形で実現するとは思ってもいなかった。志を同じくするものは、例え遠く離れていても惹かれ合う、どこかで接触するようになるとは思っていたが、そのことは本当なのだと実感した出来事だった。しかし、私はこれが本当の意味での再会とは思っていない。本当に何時か何処かで、肉体を伴って再会するような気がするのだ。昨年、徳島で会ったのも縁なら、ここ愛媛で再会したのも縁。彼との繋がりを強く感じるとともに、切れる縁なんてないのだと感じた。そう、少なくとも心の面では。

彼との思い出に浸ってから、私も彼にあやかって何か書くことにした。一つだけ書いておけば良いものの、そこは欲張りな私。漢塾のホームページのアドレスなど、三つも書いてしまった。こんなのまともに見る奴なんていないと思うが、いつかまた、歩きで遍路でここへ寄った時に自分の書いたのを見たら、懐かしく思うことは間違いないだろう。

最後の夜

050503_2119落書きを終えた後に、この日の日記を書いたり、翌日の予定を立てたりして過ごした。翌日は最終日。いよいよ今回の遍路の最終目的地である松山市に入る。ここまで来るのは、思ったよりも過酷だった。過酷さの面では、前回の遍路以上のものだった。今までは、早くこの辛い生活から解放されたい気持ちが大きかったのだが、最終日を前にすると、少し寂しくなるから不思議だ。

050503_2117でも、それは翌日が最終日だから思えることで、これがあと3日も4日も続くと思うと、そうは思えない。こういう生活も気分が変わっていいとは思うが、ずっとしたいとは思わない。文明生活に慣れきった甘ちゃんの私達には、いつもの生活の方が良いのだ。

翌日は、順調にいけば午前中ぐらいで終わる行程なので、少し夜更かししようかとも思ったが、今さらアホの末と話すことなんてないし、連日の過労で心身ともに疲弊しきっていたので、やることやったらすぐに布団に入った。目をつむったら瞬く間に眠りに落ちていったように思う。最後の夜に布団で寝られることをこの上なく幸せに思いながらも。


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