萩~博多間往復

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2001年12月21日() ~ 2001年12月23日()

プロローグ

9月の大分遠征を終えて早3ヶ月、何事もなく平和な日々を過ごしていた。何一つ不自由のない生活。それはそれで、幸せなことだが、何か物足りなさを感じていたのも事実だった。今まで、世間一般の遊びといえることは全てやった。少しは人の道にそれたこともやった。最初のうちは、楽しいと思えていたことも、回数を重ねるにつれて、すぐに飽きた。その場限りのことでは、心が満たされなかった。

自分の心を満たすのは、自分だけである。といっても何をやればいいかは、分からない。とりあえず、精神のたるみきった自分に喝を入れるために、旅に出ることにした。

旅といっても交通機関を使った旅ではない。チャリンコの旅である。今回は、自分に喝を入れる旅であるから、盟友の末は誘わないで、1人でやることにした。まあ、誘ってもこの寒い最中では、絶対にやらないと思うが。

問題は、どこに行くかである。前回と同じとこには行きたくないし、寒いので野宿は出来ないから、1泊で行けるところにした。丁度、ぽん太郎さんが姉御と博多に泊まりで遊びに行くというので、それに便乗して自分も博多に行くことにした。

博多の天神まで、萩から180㎞ぐらいだから、どうにか1日で行くことが出来る。往復で360㎞だから、自分を叩きのめすのには適度な距離かもしれない。ただ、問題は寒さが最大の敵だということだ。寒いから、あまり休憩をとると体が冷えるし、勿論、前回のように外で昼寝をすることも出来ない。雪や雨でも降ろうものなら悲惨なことになる。前回とは比べものにならない悪条件になるのは、分かっていながらも、やろうと決めたことだからやることにした。決行する1週間前には、仕事中に車の中で、後輩のマラさんに博多にチャリンコで行くことを打ち明けた。「この寒い中、やるんすか!」と驚いていたが、マラさんに言った以上、後には引けなくなった。

決行前日も前回と同様に少し不安にはなったものの、前回で自信がついたからか、すぐに、やるしかないという心境に切り替えることが出来た。

そう、漢は決めたら何があろうと実行あるのみだ。しかし、この時は、想像を絶する苛酷な旅になろうとは、知る由もなかった。

2001/12/22行き

午前5時に起床して、窓から外を見る。雪が降っている。恐れていたことが、現実となった。最悪のコンディションである。やはり、今回は止めようという気になり、皆にどう言い訳をしようかと、言い訳を考えている時に、ふとテーブルに目がいった。蛍光塗料のついたタスキと、スポークに付ける反射板がおいてある。どうやら、ぽん太郎さんが、私の安全を考えて買っておいてくれたらしい。

その心遣いにジーンとくるとともに、止めようという弱い心はどこかに行ってしまった。そう、漢は決めたら実行あるのみだ。

やるぞ!という気持ちとともに午前6時に外に出たが、寒いうえに先ほどまで降っていた雪が雨になっている。それもかなり強い雨だ。また、止めようかという弱い心が出そうになったが、そこはグッとこらえて、冷たい雨の中に飛び込んでいった。肝心の自分の装備はというと、下がカーゴパンツに上がTシャツと風よけのヤッケだけである。どうせ汗をかくからと思い、軽装にしたのだが、雨の中に飛び出て1分もたたないうちにびしょびしょなった。有料道路に着いた頃には、雨が再び雪に変わっていた。雨と風に体温を奪われて、体が温まらず、なかなか思うようなペースで自転車をこぐことができない。それでも、自転車をこぐことを止めると、帰りたくなるので、休むことなく進んだ。

午前7時前ぐらいに雲雀峠の麓にようやく到着し、休憩する。しかし、休んでたら寒いので、前回の大分に行った時のように悠に休むことはしない。2~3分ぐらいで、すぐに出発する。

午前8時に大田のバス停に到着。ここまで、萩から2時間ぐらいかかっている。いつもなら、もう20分ぐらい早く到着できるのに。まあ、体が動かないのだから仕方がない。コーヒーを飲んでいると、地元のおばさんから話しかけられ、「どちらまで行かれますか?」と聞かれたので、「ちょっと、福岡まで。」と答える。おばさんは「えっ!」という顔をしていた。多分信じてないのだろう。それでも「どうか、気をつけて。」と言われる。

午前9時には、美祢市のセブンイレブンに到着。腹が減ったので、ここで2回目の朝食をとる。それにしても、休憩していたら寒い。走っていたら、手足の先以外は温まるものだが、止まると、全身濡れているので、すぐに体温を奪われて寒くなる。  今なら、まだ引き返せるぞと、耳元で悪魔が囁いたが、ここで止めたら負けだと自分に言い聞かせて、どうにかそれに打ち勝ち、先に進むことにした。

午前10時には、厚保のコンビニに到着。ここでは、降り続いていた雨も止み、体も乾いてくるが、それでも寒い。休憩していて、周りの殺風景な景色を見ていると、心が荒む。それに今回は、1人で寂しいこともあり、心の荒みようにも一層拍車がかかる。

やはり、冬の田舎は嫌いだ。冬は都会に行くに限る。こんな寂しいところはとっとと後にしようと、休憩するのもほどほどに出発する。

午前11時には小月のローソンに到着。小月に入る前から、再び雨が降り出したが、ここでドシャ降りとなる。「何でや!雨のボケが!」と叫ぶものの、叫んでどうなるものでもない。待ってても止まないと思い、ひらき直って雨の中に飛び込む。すぐにビショ濡れだ。もう、どうにでもなれ!

午前11時50分に人道に到着。ペースは遅いものの、休憩時間が短いので、前回より10分早く到着してしまった。人道は、関門橋の麓にある。ここから海峡を隔てて、九州を望む景色は素晴らしい。いつ来ても特別な思いにかられる。

正午に門司に到着。前回と同じく、門司のジョイフルで昼飯。ビショビショの体で店内に入られるのはさぞかし、迷惑なことだったろうと思う。実際、かなり目立って注目を浴びていた。大分に行った時もここに来たなあ、あの時は暑かったのに今回は寒いなあ、あの時とまた同じものを食ってるなあと、感傷に浸りながらも、居心地が良いから、長居しそうなので、食い終わったらすぐに店を出た。最初は、店内と外の温度差に戸惑いながらも、5分もすると体が順応し、満腹の腹をタポタポさせながら自転車をこいだ。

午後1時40分に小倉に到着。もうここまで来ると、帰ろうという気はなくなっていた。福岡市まであと67㎞と書かれた標識のところまで来た。今のペースだったら、あと4時間ぐらいといったところだろうか。

疲れたので、パチンコ屋で休憩。店内は暖かい。人がやっているのを見ていると、好き者の自分はやりたくなってしまうので、見物するのもほどほどにパチンコ屋をあとにした。

午後15時頃に水巻町に到着。それにしても、小倉~八幡西間が長かった。北九州市は広い!先ほどから、自転車の後輪が空気が緩いようなので、タイヤをじっくり見てみると、なんと、押しピンが刺さっているではないか! 何で押しピンが?と思いながらも、刺さっているのを抜いたら一気に空気が抜けてしまうので、押しピンがささったまま細心の注意を払って乗ることにした。

午後15時40分に岡垣町に到着。3号線沿いには自転車屋がないため、時間のロスを覚悟のうえで、脇道にそれて探すことにした。なかなか見つけることができず、通りかかった自動車修理工場でどうにかしてくれないかと頼んだが、やはり、無理だとのことであった。仕方なく、作業中の兄ちゃんに、近くにチャリンコ屋かバイク屋がないか聞いた。ところが、私の目を見て私に直接話さないで、側の後輩らしき兄ちゃんに話して、その兄ちゃんに答えさせる。何故、私の目を見て、直接私に話さないのか。教育の必要ありだ。後輩の兄ちゃんは、某漫才コンビの小さい方に似た愛嬌のある奴なのだが。近くにあるそうなので、御礼を言って、工場をあとにした。

教えてもらったバイク屋はすぐに見つかった。タイヤの空気は殆ど無く、走行も困難になっていたので、ぎりぎりセーフといったところだった。バイク屋といっても、80歳ぐらいの爺さんが1人でやっているかなりさびれた古いバイク屋で、置いてあるバイクもかなり年季が入ったものばかり。長年、ディスプレイしてあるので、色が褪せている。手入れをしないとすぐには動きそうにはないが、古いもの好きの人にはたまらないのではなかろうか。

自転車は工場の方で直してもらうことになった。工場といっても、柱に屋根と三方にトタン板を貼り付けて壁代わりにしただけの6畳ぐらいの小さい簡易な建物だ。小屋の中にストーブが置いてあり、その横で婆さんが寝ている。ほのぼのした光景だ。先を急いで焦っていた気持ちもやわらぐ。

知らない土地で、普段なら絶対に行かない裏通りのこんなさびれたバイク屋に自分が居ることに、何かの縁を感じてしまう。今後、二度とここに来ることはないだろうし、この爺さんとも二度と会うこともないだろう。一度きりの縁、それでも縁には違いない。旅に出ているから普段は感じないことを感じるのだが、そう思うと、日常生活の中でもそういう一度きりの縁というものが、無数にあることに気づく。ここに来れたのも、パンクがとりもった縁だ。何故か。この情緒あるバイク屋の風景をよく記憶に留めておこうという気持ちになった。忘れようにも忘れられるはずもないが。

パンクの修理は10分で終わったが、探す時間も入れると、時間をかなりロスしているので、先を急ぐ。途中、宗像市に入ったぐらいで、左足を変な形で捻ってしまったので、古傷の痛みがぶり返してしまう。かなり痛いので、速く自転車をこぐことができない。足が痛いのに気をとられていたために、途中で寄る予定だった、某ラーメン屋を通り過ぎてしまった。自分の好きな某ラーメン屋で、ラーメンを食うことを楽しみにしていたので、かなりショックだった。

午後17時50分に古賀市に到着。コンビニで休憩。足がますます痛くなっている。目的地の天神までは、あと10数㎞ぐらいだが、速く自転車をこげないので、かなり時間がかかりそうだ。下手すると歩かなければならなくなるほど、足が痛い。明日の帰りはどうなるのだろう?と不安も頭をよぎったが、今はとにかく到着することだけを考えるしかないので、気合を入れて出発した。

途中で、どんなに足が痛くても自転車から降りない覚悟で、自転車をこいだ。痛いと思ったらこぐ力を緩めずに、尚更、力をこめてこいだ。大体、体より先に気持ちの方が萎えてくるものなので、気合さえいれておけば、少々の痛みは克服できるものだ。要は気持ちで負けないことが大事だ。

無我夢中で走ったおかげで、午後19時には、何とか目的地である博多区天神に到着することができた。走っていたのは1時間ぐらいだが、集中していたので、時間が短く感じた。到着してホッとすると同時に気が緩んだので、足の痛みがぶり返してきた。歩くのもままならない。明日の帰りは大丈夫なのだろうかという不安に再度襲われたが、今のことしか考えないことにした。

ともあれ、腹が減ったので、ホテルにチェックインして風呂にはいってから2人と合流することにした。しかし、ホテルの場所が分からないので、通りがかりの兄ちゃんにホテルの場所を聞いた。こいつも先程の兄ちゃんと同様に下を向いて私の目を見て話さない。教育の必要ありと感じた。ホテルにチェックインしてすぐに風呂に入った。体が芯から冷え切っているので、いくら湯に浸かっていても体が温まらない。手なんかパンパンに膨れていて、動かしにくい。それにしても風呂の何と気持ち良いことか。このまま浴槽の中で寝てしまいたいという気になった。普段ならここまで思うことは、ありえないことだ。

午後20時には、姉御とぽん太郎さんの2人に会うことができた。2人は、既に食べたそうなので、店に一緒に付き合ってもらい、私だけ食べることにする。牛丼のチェーン店に入って食ったのだが、その味の何と旨いこと。普段ならそんなに感動するほどの味でもないのに、この時は今まで食べたどんなものよりも美味しく感じた。おかげで、いつもの倍の量を食ってしまった。飯を食うだけでなく、夜の博多の街を楽しみたかったが、明日のことがあるので、2人とは別れてホテルに戻って寝ることにした。

とりあえず、博多で2人に会うという目的は果たした。明日は帰るだけだ。そう思いながらベッドに入る。また、そのベッドで寝ることの何と心地良いことか。思いっきり背伸びを何度もして、そのまま眠りについてしまった。多分、午後10時30分頃就寝。

2001/12/23帰り

午前5時半に起床。昨日は一日中濡れていたのに、不思議と風邪はひいてない。体の調子はすこぶる良い。問題は、足が痛いことだけである。暖かい部屋から、寒い外へ出て行かなければならないことを考えると、おっくうになる。朝が早いため、食堂で朝食をとることが出来ず、昨日買っておいた菓子パンを食ってから、午前6時半に出発する。

外はまだ暗く、雨がシトシト降っている。深呼吸をして気合を入れてから、雨の中に飛び込む。気合が入っているから不思議と足は痛まないが、10分も走ると、体はビショビショになってしまう。途中、手があまりにも冷たくて痛いので、コンビニで手袋を買おうとしたが、無いので諦める。寒いし、足の痛みが再発しないうちに行けるだけ行くことにする。

福岡市内を抜け、新宮町、古賀市、福間町と抜け、9時過ぎには宗像市に着く。ここで雨がいままでにも増して強くなり、足の痛みも再発した。少し怖くなった。

午前10時に北九州市八幡西区に到着。コンビニで朝食をとる。ようやく北九州市に入ったが、ここからが長い。 門司まで40㎞ぐらいある。足の状態はかなり悪化している。少し曲げるだけで、激痛がはしる。これでは、速く走ることができない。時間をロスしたくないので、門司までは休憩なしのノンストップで行くことにする。少し焦りがでる。

途中、自動車専用のバイパスを通ろうとすると、パトカーが後ろから出てきて「そこは、自転車は通れませんよ!」と注意される。「うるせえなあ!」と無視して行こうとすると、サイレンを鳴らされたので、仕方なしに引き返す。おかげで、遠回りを余儀なくされる。

午前11時10分に小倉に到着。反対側の歩道を走っているチャリンカーの人に手を振る。それに気をとられる余り、歩道いっぱいにたむろっている怖いおじさん達の列に突っ込んだ。「やばい!」と思い全速力で走って逃げる。足が痛いくせにこういう切羽詰まった時は、ちゃんと走れるものだ。

午前11時50分に門司の人道入口に到着。その5分後に下関側の人道に到着。足が痛いながらもなかなかのペースだ。もしかしたら、全速力でしばらく逃げていたのが、功を奏したのかもしれない。足さえ痛くなければ、ここまでくれば、着いたも同然と思えるのだが、まだ90㎞以上あるのかと考えると、少し弱気になる。ここの食堂でうどんでも食っていこうかと考えたが、折角だから旨いものを食おうと思い、美祢市の某とんかつ屋までは我慢することにした。このペースならば、多分、午後15時ぐらいには、とんかつ屋に到着できるはずだ。

出発する前に雨が強くなった。天気予報では、くもりだったのに。腹がたつが、腹を立てても仕方がない。「やるしかない。」と自分に言い聞かせ、雨の中に飛び込んでいった。

午後13時に以前の大分遠征で野宿した、吉田の公衆便所で休憩する。雨は依然として降り続いている。周りは実に静かだ。しばらくは、何も考えることなく静寂に身を任せて、その場に佇んでいた。動く気になったところで、出発。湯谷温泉の前後の坂で苦しめられる。こんなゆるやかな坂なんて、いつもなら眼中にないのだが、今は勝手が違う。あの方なら座ったまま余裕で登っていくのだろうが、自分にはそれができない。しかし、立ちこぎができない以上、座ったまま登るしかない。ギヤを目一杯落とし、途中で腰を上げたりしながらもどうにか坂を登りきる。どんな状態であろうと、坂は登りきりたいのだ。

厚保に着いた時点で、足がどうにもならなくなり、自転車を降りて地面にへたりこむ。マッサージしたり、屈伸を何度もしたりしたが、どうにも良くならない。それでも行くしかなく、痛みは我慢するしかない。

美祢市内に入った時は、足の痛みがマヒして、足が動かなくなった。リタイヤの4文字が頭の中をよぎる。さすがに怖くなる。歩いて帰るにしても、この足では帰れるかどうかも分からないし、まだ50㎞も残っている。午前12時までに自宅まで帰れなければ、リタイヤと思っているので、どちらにせよ、歩くイコールリタイヤである。絶対にやると、言い切ったからには、何としてもやり遂げたい。ひざをガードレールに打ちつけたり、右の拳で強く殴ったりしたのが効いたのか、痛みが戻ってきて、足も動くようになった。また、いつどうなるやら分からないので、すぐに自転車に乗った。

午後15時に美祢市のとんかつ屋に到着。昼飯時を過ぎているので、自分以外には誰もいない。オーダーしてから出てくるまでに時間がかかったので、かなりイライラした。折角、ここで食べることを楽しみにしていたのだが、足が痛いのと、先のことを考えると味のことなど分からず、ものの2分ぐらいでたいらげて、すぐに店をでた。

走るスピードは半分になっている。寒いのも気にならないぐらい、足の痛さが気になる。痛めた左足になるべく負担をかけまいと、右足ばかりに力を入れていたので、右足も痛くなる。足が痛いことばかりに気をとられていては、走ることに集中できないので、痛いという意識を捨てることにした。捨てるといっても、捨てようと思って捨て去れるわけではない。痛みを忘れるほどに走ることに集中するということだ。痛みも寒さも所詮は、目的を達成する道程の障害物でしかない。障害物は蹴散らす。実際、まだまだ走れる。走れる限りは進むのみだ。

そのように気持ちの切替えをすると、強気になった。何があっても、ダンプトラックに轢かれない限りは、萩まで帰ってみせると、決意を新たにした。

午後16時20分大田のバス停に到着。萩まで残すところ、あと30㎞となった。足の痛みはもうどうでもよくなっていた。痛みよりも、やり遂げる気持ちの方が強いからだ。それでも、動かしにくいのは確かなので、ガードレールに膝蹴りをかましていると、通行人に変な目で見られる。危ない人と思われたのだろうか。

午後17時10分に雲雀峠の頂上に到着。道路の端に雪が残っていて危ないので、雪の残った歩道をブレーキをかけながらトロトロ下る。途中、雪がシャーベット状になった箇所をスピードを出して通過したために、バランスを崩して倒れそうになった。それでもなんとか無事下ることができた。

午後17時35分に有料道路入口と川上村の分岐点に到着。どっちへ行こうかと迷うが、あの方なら坂のある有料道路を選ぶと思い、完全勝利に向けて、有料道路を通ることにした。

萩に入るまでに坂はここしかない。最後の勝負と思い、思いっきり気合をいれて坂を登る。最後と思うと、とんでもない力が出るものだ。恐らく、今回の旅では、一番パワフルな走りをしていたのではないだろうか。本当に今まで足が痛かったの?と思うぐらいのスピードで難なく坂を登りきった。

頂上から萩の街を望むと、「どうにかやりきったんだ。」と熱いものが込み上げてきた。全行程の9割9分を終えた。あとは無事、家まで帰るだけだ。

午後18時に無事、自宅に到着。絶対にやり遂げるとは思っていたが、最悪のコンディションの中、よくやり遂げたものだと思う。今回ばかりは、自分を褒めてあげたくなった。精神的にも体力的にも、まだ余裕はあるが、体はボロボロである。足は歩行困難なぐらいやられてしまっているし、体も芯から冷え切って筋肉が硬直している。

かなり自分を追い込むことができたのではと、思うと同時にまだまだ精神的にも肉体的にも鍛えようがたりないということを実感した。目標達成の余韻に浸りながらも、友人に自慢話をするために電話をかけまくった。

旅を終えて

片道180㎞を行きは13時間(実働11時間)、帰りは11時間半(実働10時間半)で走りきった。足の痛みが酷かった帰りのほうが時間が短いというのが、驚きだが、それだけ休憩もあまりとらずに気合が入っていたからかもしれない。寒さ、雨、風、雪という最悪のコンディションに見まわれたが、ペースとしては大分に行った時と同じだった。途中で自転車で旅している者とも合わなかった。1人での孤独な旅だった。

前回の大分遠征とは違い、旅を終えて楽しかったなどとは絶対に言えない。確かに博多で姉御達と飯を食ったのは楽しかったのだが、全体の印象として、苦しさ、寂しさ、恐怖感、焦り、痛みというネガティブなことが強く心に残った。しかし、それに打ち勝ったことで、自分としては多少なりとも自信をつけることができた。そして、何よりも痛感したことは、普段は当たり前と思っていることが、実は当たり前ではないということだ。食べられる有難さ、風呂に入られる有難さ、暖かい布団で寝られる有難さ、人と交われる有難さ。そういうものが失われた時にことの有難さに気付く。わずか、ひと時のことではあったがそういうことを感じた。苦しみを乗り越え、多少なりとも感じることがあったことで、今回の遠征は自分にとって有意義なものになったはずだ。

でも、何ヶ月かすると、また平和ボケして精神がたるんでくるので、また何か自分を叩きのめすようなことをしなければならない。しかし、今度は苦しみながらも楽しくやりたい。こんな冬の寒い中1人でやるのは二度とゴメンだ。もう絶対にやらねえ。

追伸

また、いつか、あの爺さんのバイク屋に行ってみようかと思う。行き方は大体覚えているので、行けるはずだが、店があるかどうかは分からない。爺さん生きていればいいが。


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